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第六十話 功臣の死と九州の混乱

「いやーーー、久々に出産だったから大変だったよ。高齢出産だし」


 天正十四年、いまだに朝鮮との戦は終わっていなかったが、津田家には新しい子供が産まれていた。


 今日子が、四十七歳という高齢で女の子を出産したのだ。

 ある程度アンチエイジング技術が進んでいる時代から来たとはいえ、この年齢での出産は珍しい。

 お市も、葉子も、既に四十近くなったので既に子供は産んでいなかった。


 高齢なので二人は今日子を心配したが、本人は出産の翌日から元気に他人の診察までしてみんなを驚かせていた。


「私、体が頑丈なのが取柄なんだよねぇ」


「それは、信輝様や信秀様達を見ればわかります」


 葉子は、子供の頃からたまに風邪を引く程度の二人の頑丈さに驚いていた。

 自分が産んだ娘も含めて、他の娘達も健康で、早世するような者はいなかった。

 これが他の家だと大抵は早世する子供がいるので、今日子の医療技術もあるが代々健康な一族なのだと感心している。


 自分の娘達はもう家臣家などに嫁いで行ったが、すぐに妊娠して元気な子供を産んでいる。

 主家との婚姻なので政略目的ではあるのだが、嫁ぎ先では丈夫な子供を産んでくれるいい嫁だと重宝された。

 津田家の子女は美しい娘が多いので、夫側からもありがたがられている。

 

 結婚しているのに、性格や好みに合わないと仲が悪い夫婦も珍しくないからだ。

 それでも何か政治的な理由でもないと離縁はしないため、側室や妾の子供を可愛がり、その子を跡継ぎにしようと争いが起こるのがこの時代では常であった。


「今日子、今回は留守番でもいいんだぞ」


「私も行くよ。船にも乗れるし、夕の面倒も見れるから。やっぱり私が直接診てみないと」


「それもそうだな、急ごう」


 織田政権に、また問題が発生していた。

 筑前、筑後を有し、信長から九州探題に命じられた滝川一益が突如重病に陥ったのだ。

 一益が床に臥すと、滝川家の家中で家臣達の間に争いが起きた。


 一益の嫡男一忠が武辺に恵まれず、次男の一時、三男の辰政を推す家臣達が出て三つ巴の後継者争いになってしまったのだ。

 これを唯一押さえられる一益は病床にあり、一益が代理を任せた一忠ではその命令に従わない家臣が多かった。


 一益は朝鮮派遣軍の後方支援を一手に引き受けており、家臣達が争って仕事に支障が出ているため、前線では食料備蓄量の減少などが起こっていた。


 羽柴秀吉が見舞いも兼ねて一益の元に向かったが、この状況は改善されていない。

 このまま事態が進むと、朝鮮派遣軍が補給不足で壊滅する恐れもあった。

 そこで、津田夫妻が診察も兼ねて現地入りする事となった。


「津田殿は相変わらず若々しくて元気そうですな。今日子殿もお美しい」


 病床にあっても一益は光輝と今日子にいつも通り声をかけるが、その表情には既に死相が浮かんでいた。

 あまりの容態の急変に、光輝も今日子も内心驚きを隠せない。


「お世辞を言っても、診察では容赦しませんよ」


「戦よりも、今日子殿の診察の方が怖いですな。大殿にも、謙信公にも容赦しませんから」


「患者の健康のためですから」


 今日子は一益の診察を開始するが、その表情は笑顔のままだ。

 だが、今日子と付き合いの長い光輝にはわかった。

 もう一益が長く生きるのは難しいのだと。


「過労が激しいですね。栄養と休養が必要ですよ」


「そうですか」


「滝川殿は働きすぎですぞ」


「藤吉郎とて大して変わらぬではないか。朝鮮からわざわざ見舞いを済まないな」


 久しぶりに一益を見舞いに来た秀吉も一緒に思い出話などに花が咲いたが、一益の体調が今日子の予想以上に悪く、光輝達は三十分ほどで部屋の外に出た。


「今日子殿、小一郎のように何とかなりませぬか?」


「小一郎殿の場合は、療養と漢方薬が効いたから大丈夫だったのよねぇ……」


 朝鮮に在陣していた秀吉の弟小一郎が一時倒れて重篤になったのだが、この時は今日子から処方された漢方薬と休養で回復している。

 それ以降は、竹中半兵衛、黒田官兵衛と仕事を分け合って休養を十分に取り、食事に気を使うなどして健康に留意した結果、今では秀吉の代理を務められるまでに健康状態が回復していた。


「今日子殿に言われて、水は煮沸して冷ましてから使っております。それで、大分病人は減りました」


 朝鮮の水に合わないという前に、朝鮮の水質自体がよくないのでそのまま飲んで病気になって最悪死ぬ者も少なくなかった。

 今日子が水の飲み方を指導して、ようやく病人が減りつつあったのだ。


 他にも、梅毒などの病気に気をつけるようにと指導もしている。

 秀吉、加藤清正、前田利長などは前に今日子に叱られたので気をつけているが、派遣軍の将兵には現地の娼婦と遊んで性病になる者が増えていた。


 まさか名のある将が性病で死にましたと公には言えず、風土病で命を落としましたという事になっている。 

 性病でも、放置すれば重篤となる。

 抵抗力が落ちて他の風土病などにもかかりやすくなり、それで亡くなる者も多かった。


「もっとも、病人が減っても戦況はよくなりません。逆に後方に難題が……」


 病床に臥せっている一益に言うわけにはいかないが、朝鮮派遣軍への補給がこれ以上滞れば大変な事になってしまう。

 秀吉としては、どうしていいものなのか困ってしまっていた。


「一益殿の病状はどうなのですか?」


 秀吉は周りに滝川家の家臣がいない事を確認してから、小声で今日子に問う。


「特にこれといった病気というわけではなく、若い頃から相当に無茶をしているから体がボロボロなんです」


 この時代の六十三歳ともなれば、もう老人であった。

 それに加えて、一益は若い頃から信長に従って各地を転戦、無茶をしたツケが今になって響いている。


「極度の過労から老衰の一歩手前のような状態で、このままだと一か月保てばという状況です……」


 だが、それを滝川家の家臣達に言うわけにはいかなかった。

 もし言えば、今度こそ本格的に後継者争いで騒動が発生するであろう。


「大殿に報告するしかないですね……」


「それしかありませんか……」


 光輝と秀吉は、石山の信長に手紙を出した。

 一週間ほどで返事がきたが、それには自分が九州に赴くと書かれてあった。

 士気が低下しがちの朝鮮派遣軍に活を入れつつ、本命は一益の見舞いのようだ。


「大殿、申し訳ありませぬ」


「いいのだ。休め一益」


 小勢のみで筑前に姿を見せた信長は、すぐに病床の一益を見舞った。

 床から体を起こそうとする一益を、信長が止める。

 

「大殿、私はもう長くはないでしょう」


「バカを申すな。今日子に診てもらったのだ。すぐに治る」


 信長は、手紙で一益の病状を知っている。

 それでも何とか快癒してほしいと願い、一益の両手を取って涙を流した。


「大殿のお気持ちが何よりの薬です。ですが、私は九州探題として責任があるのです。朝鮮派遣軍の事もあります」


「であるか」


 信長は真面目な表情に戻り、一益の話を真剣に聞こうとする。


「三人の息子達に九州探題は務まりますまい……一忠には武が足りず、一時と辰政には政が足りませぬ……」


 一益のように、戦も政治も上手い優秀な人物などそうはいない。

 信長は、一益の能力に期待して彼を九州探題に任じた。

 だが、彼の子供がそれを継げる能力を有しているわけではないのだ。


「この職を辞した後、大友宗麟殿がどう出るか……」


 一益に九州探題を譲って隠居状態にある宗麟であったが、次の九州探題に不満があればこれに協力しない可能性もあった。


「もしそうなれば、朝鮮派遣軍の補給が途絶える可能性が……」


「宗麟は、義統共に打ち首だ」


 信長が豊後一国を安堵した大友家であったが、過度のキリスト教への傾倒で寺院や神社の破壊を行い、揚句に奴隷売買を信長が禁止したのにそれを密かに行っていた。

 それが明るみに出たのは、津田水軍が奴隷を載せた南蛮船を拿捕したからだ。


 実は光輝は、九州で奴隷売買が盛んな事を知って、遠海で船と積み荷の奴隷を奪う作戦を、津田水軍に実戦経験を積ませるためと行わせていた。

 信長は全国に奴隷売買禁止の布告を出していたので、光輝の行動を黙認している。


 奪還した奴隷は、津田領に移民させたり、教育を受けさせたりして生活の糧を得られるようにしていた。

 光輝からすれば簡単に人口が増やせ、奴隷貿易という悪を防ぎ、被害者の救済も行って世間の評判もよくなる。

 

 津田家にとっては、大変に都合のいい状況であった。

 一部宣教師を含む南蛮人が苦情を言ってきたが、それこそ光輝にとっては好都合だ。

 自分達が違法な奴隷売買をしている癖に、それを取り締まった津田家に文句を言ってきたのだから。

 この件は全国に情報が流れ、日本でキリスト教に傾倒する者が更に減ってしまった。

 一応キリシタンの名誉のために言っておくと、バチカンは奴隷売買を禁止している。

 だが、それが極東の地で無視されている現実が知られ、そんないい加減な宣教師の存在を一向宗などと重ね合わせる日の本の民衆は多かった。

 

「我が一度命じた事を蔑ろにした宗麟と義統は許せぬ。一益、九州探題はサルに任せるがいいか?」


「はい、息子達には無理です。藤吉郎、あとは頼んだぞ」


「お任せ下さい」

 

 秀吉は、普段のように謙遜して一度断るような真似はしなかった。

 それをしては一益に失礼になるし、朝鮮派遣軍の事も心配だったからだ。


「一益、最後の仕事だ」


「わかりました」


 信長は一益と共同で、大友家の改易と宗麟と義統の打ち首を命じた。

 罪名は、宣教師も含めて南蛮人の奴隷の売買を黙認し、彼らも相応の利益を受けていたというものであった。

 この命令は速やかに遂行され、名族大友家は豊後を奪われる事となる。


 続いて、羽柴秀吉の九州探題就任と、筑前、筑後への転封。

 秀吉とは領地を交換した格好になったが、一益は筑前で息を引き取り、葬儀の後に嫡男一忠は播磨、一時は但馬、辰政は因幡へと分割分与される事となった。


 豊後は派遣軍の総大将である信勝に与えられたが、旧大友家臣達の反発は強く、信勝も豊後に帰還して領内を治める事となる。


 ところが朝鮮から帰国後に信勝は発病、今日子が診察する前に急死してしまい、信長はこれらの混乱を治めるため、予定よりも長く九州に滞在する事となった。

 信長のおかげでようやく混乱が治まったが、朝鮮派遣軍の士気は上がらない。


 そこで一時停戦を行うべく、信長は明に使者を派遣する事となる。

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