第13話
トンネルを抜けると、そこは腐界だった。
「……こりゃひでえな……」
ヘドロと胞子が放つ異臭と、あちらこちら腐敗し、更に変質してあからさまにアンデッドとかそっち方面のモンスターになっている動植物。それらに対して、達也が思いっきり顔をしかめて吐き捨てる。
「もしかして、ここまだダンジョンとか?」
「分からんけど、太陽はちゃんと出とるな」
あまりの惨状に表情が抜け落ちた春菜の言葉に、空を見上げながら答える宏。ゲームの時、ダンジョン内部には太陽はなかった。それは洞窟や建物の中だけでなく、広大な草原などのダンジョンでも同じ事だった。
そのあたりの仕様が同じとは限らない。限らないが、トンネルの入り口付近がそうであったように、この光景が異界化した結果では無い可能性は、決して低くはない。
「師匠、地脈……」
「分かっとる。何かまた、妙な状況になってんなあ」
澪がいいかけた言葉に対し、一つ頷いて見せる宏。その様子に、無表情だった春菜が怪訝な顔をする。
「地脈が、どうしたの?」
「ここまでの状況やったら、地脈も相当汚染されてなおかしい。せやのに、地脈自体は綺麗やねん」
宏の答えを聞き、少し考える様子を見せる春菜。周囲に意識を集中して、瘴気をはじめとした状況を確認しようとするものの……。
「……駄目。私じゃよく分からない……」
「そこはまあ、しゃあない。ただ、一つ言える事は、や」
「言える事は?」
「恐らくここは、ダンジョンやない」
宏の断言に頷く澪と、本当に? という顔をするそれ以外の三人。この光景だと、今からダンジョンのラスボス戦だという方が自然なのである。
その様子を見てとった宏が、達也の首にぶら下がっているつぼに声をかける。
「なあ、自分ら転移できるやろ?」
「問題ない~、問題ない~」
「異界化してない~」
「出入り自由~」
宏に声をかけられ、それを証明して見せるように増えたり減ったりするオクトガル達。その光景に、疑っていた春菜達が本当に異界化していない事を納得する。
「だとしたら、この光景は……」
「呪われた土地、っちゅうやつになっとるな。要はアンデッドが大量に湧く墓地と同じや。瘴気がたまりすぎて、異界化するより先に土地が変質しとる」
春菜の疑問に、明快に答える宏。
実のところ、一カ所に瘴気が大量にたまった場合、異界化してダンジョンに発展するケースは意外と少ない。大多数はいわゆる呪われた土地になるのだ。
呪われた土地になると、具体的にどうなるかはその土地の状況や特性によって変わる。大多数はアンデッドの巣窟になるか、その地域の一般的な動物を変質させて大量のモンスター、それも新種を発生させるかのどちらかになるが、まれに異界化していないが実質的にダンジョンと変わらない状態になる事もある。この場合、違いは転移系のスキルで侵入・脱出が出来る事と明確なボスがいない事だけになる。
また、どちらも大量の瘴気によって変質する関係上、呪われた土地の真ん中にダンジョンが存在するケースも少なくはない。こういったダンジョンは成長も早く、難易度が高いものが多い。
もっとも、呪われた土地の場合、ダンジョンと違って土地を清浄化するのは難しくはない。浄化さえしてしまえば元通りになるので、エアリスのような力の強い巫女がいれば単独で、そうでなくても浄化系のスキルが使える神官や巫女を多数集めて、土地が大きくなって手に負えなくなる前に力技で元に戻すのが基本である。
現状では春菜の歌ぐらいしか強力な浄化手段がないため不可能だが、この土地も元に戻す事自体は可能だ。ただし、状況が不自然なので、単に浄化して終わり、という訳にはいかないのは間違いないのだが。
「元に戻せるのはいいとして、エルザ神殿本殿のすぐ近くがこんなことになってるのって、相当不自然だよね?」
「せやな。せやから、恐らく力技でここに瘴気を注ぎ込んだ黒幕がおるはずや」
宏と春菜の会話に、再び表情を引き締める一行。この状況で、何事も無く話が進む訳がない。
「状況的に考えて、その黒幕が黙って見てるはずはないわよね」
「何もせずにボク達にここを解放させるとか、多分あり得ない」
「さすがにちょっと、今回は寄り道が過ぎたかもしれないわね」
予想以上に悪化している状況に、気を引き締めながらも今までの行動を反省する真琴と澪。結果的に装備を強化したから無駄にはなっていないが、当初の予定ではボス素材で装備を新調するつもりは無かったのだから、クレストケイブのダンジョン攻略など後回しにしても良かったのだ。
「その手の反省会は後回しだな。春菜、例の奴を歌ったらどうだ?」
「ん、そうだね。まずは一曲歌って、ちょっと様子見てからかな?」
達也に促され、まずは少しでも浄化できる事を期待して般若心経ゴスペルを高らかに歌い上げる春菜。ただの歌とは思えないその圧倒的な浄化能力が、生きたまま腐り始めていた鳥や狼を一瞬にして浄化し、元の姿に戻して安楽死させる。胞子を飛ばそうとしていた毒キノコがねじれて干からび、崩れ落ちる。根腐れを起こし、全体が枯れていながらなお動き回っていた樹木が、全身に染みついた瘴気と怨念を取り払われ、溶けるように消え去る。
最初の一曲が終わる前に、声が届く範囲に居たモンスターがすべて浄化される。
「何よ、これ……」
「春姉の歌って、ここまで威力あった?」
「般若心経ゴスペルを歌うようになってから確かに浄化能力は上がってたが、ここまでじゃなかったはずだぞ……」
一回目を歌い終わったところで、見えていた範囲の沼地、その半分が元の地面に戻っていた。その様子を見ていた達也達が、唖然としている。思うところがあるのか、平然としているのは宏だけだ。
「……師匠、驚いてないけど、理由分かってるの?」
「はっきりとは言えんけどな。春菜さんも相当生産関係のスキル伸びとるやん」
「それがどうしたの? って、もしかして……」
「呪歌は確か、効果が精神に依存するって、どっかで聞いた記憶があるんよ」
宏のその一言に、一同大いに納得する。宏もそうだが、ここ最近の春菜はほぼ毎日料理をし、鍛冶場で鉄を精錬し、ハンマーをふるい、更に空き時間に毛糸で編み物をしたり薬の調合を練習したりと、生産廃人と同じような生活をしていたのだ。スキルだけでなく精神や耐久の修練も相当積み重ねている訳で、その上で恐らくベヒモス狩りでレベルも上がっているであろう事を考えると、ダールのころとは比較にならないほど精神力が伸びていても不思議ではない。
「単に歌に慣れて上手くなった、って線はねえのか?」
「それも多分あるとは思うんやけど、呪歌の類って、熟練度とかどうなんやろうな?」
宏の問うような視線に、二度目の歌を終えた春菜が解説する。
「呪歌はスキルとして習得する訳じゃないから、特に熟練度とかはないよ。歌唱の熟練度が上がれば自然と使える物が増えていくし。呪歌を使いたいときは、起動トリガーを引いた後に適当に歌を歌えば、起動した効果が出るの」
「トリガーってのは?」
「単に歌う前にどの効果を使うって意識するだけだから、外から見て分かるものじゃないんだ。多分、特殊舞踏も同じだと思う」
春菜の解説を、感心したように聞く一同。職人が引きこもって情報が途絶えている生産ほどではないが、歌唱や舞踏もおひねりを巻き上げる以外の機能に関しては、非常にマイナーだ。スキルそのものはかなりの人数が持っているのだが、呪歌や特殊舞踏が使えるほど熟練度が高い人間となると途端に人数が減り、更に実際に普段戦闘などで使っている人間となるとほとんどいない。敵味方を識別できないという欠点ゆえに、どうしても使いにくいのである。
「五年もやっとんのに、知らん事多いなあ……」
「スキル自体も全部出揃ってる訳じゃなさそうだし、攻略が終わってないダンジョンもいくつかあるし、開発以外に全部知ってる人間なんて多分いないでしょうね」
知らなかった仕様を知ってしみじみつぶやく宏に、真琴が同じようにフェアクロの奥の深さについてしみじみ感想を漏らす。
「とはいえ、般若心経ゴスペルが呪歌に分類されるのかどうか、ってえと疑問ではあるがな」
「そもそも、春姉がいちいちトリガー引いて歌ってるのかどうかも疑問」
達也と澪の会話を聞き、歌いながらちょっと困った表情を浮かべる春菜。それを見て、宏達は春菜が特に何も考えずに歌っている事を悟る。
「これで大体のところは分かったな」
「せやな。春菜さんの歌の浄化機能は、恐らくエクストラスキル取得で自動的にセットされる類のもんで、威力はなにがしかの能力値と曲の内容に依存、っちゅう所か」
「多分な」
春菜の歌を聴き、その結果を確認しながら、検証結果について話し合う宏と達也。歌を聞きながらの私語など、春菜の歌をないがしろにしているように見えなくもないが、これは聴き入ってしまわないようにするための予防線も兼ねている。たとえ般若心経ゴスペルという普通に聴くには少々微妙な曲といえども、春菜の技量で歌われれば普通に曲に没入してしまうのだ。
戦闘中にはそこまでの余裕がないため問題ないが、索敵範囲内には危険なものは存在せず、だが気を緩める訳にもいかないこの状況では、歌に聴き入ってしまうのは危険極まりない。それゆえに、わざと余計な会話をして意識を他所に向けているのである。
「よし。ほなちょっと確認やな」
「ボクがやるから、師匠はいざという時のために春姉のそばに」
見える範囲があらかた浄化され、もう少し先まで声をとどかせる必要があると判断した宏達。まずは立ち位置を神殿に近付けるため、ちゃんと元に戻っているか確認する事に。
先ほどまでの瘴気はきれいさっぱり取り払われているとはいえ、恐らく何者かの手で外部から強制的に瘴気を送り込まれて変質させられていたであろうと考えると、迂闊に前に進む事は出来ない。なので、セオリーに従って澪が状態を確認するのだ。
「……基本、問題はない」
「……何やろうな。瘴気もほとんど消えとって、地面とかに罠らしいもんがないっちゅんもはっきりしたのに、この妙な気味の悪さは」
澪の回答を聞き、むしろ警戒を深める宏。どうにも気に入らない。ここまでやっておいて、この程度で話が終わるなど、簡単すぎて納得できない。はっきり言って、おかしいどころの騒ぎではない。
「……澪、索敵範囲内に気配の類は?」
「生き物の気配なら」
「視線とかはあるか?」
「……何とも言えない」
宏が次々に放つ問いかけに、表情を動かさずに答える澪。生き物の視線のいくつかは、間違いなく自分達の方を向いている。だが、それは凝視しているとかそういう感じではない。
「……虎穴に入らずんば、か」
正直、気が進まない。この期に及んでとは思うが、正直引き返したい。このまま進めばえらい目にあいそうな気がする。だが、恐らくここで引き返したところで、次来た時にはもっと状況が悪くなっている。ならば、嫌な事は早いうちに済ませてしまった方がいいと割り切り、宏が慎重な足取りで進み始める。
宏の二歩ほど前を澪が進み、二歩ほど遅れて春菜が続く。その後ろを達也が追い、殿は真琴が務める。宏が渋ったのをとがめない程度には年長組も嫌な予感がしているらしく、その足取りは決して速いとは言えない。宏ほどはっきりと何かを感じ取っている訳ではなさそうだが、このまま何事もなく順調に神殿にたどり着ける、などとは誰一人考えていないようだ。
途中で何度も澪が調査をし、慎重に慎重に進んで行く最中に、その事件は起きた。
「! 春菜さん! 澪!」
背筋をゾクっとした何かが走り、とっさに叫んで二人を引き寄せる宏。何が起こったか分からず、目を白黒させる少女達。宏がそんな二人を抱え込んだところで、三人の影を起点に、急激に闇が広がるのであった。
「……」
手にしたティーカップに口をつけようとし、何度目かのため息とともにテーブルに戻すアルチェム。その様子にドーガが声をかけようと口を開き、結局何を言えばいいか分からずに口を閉ざす。
スティレンのエルザ分殿では、どうにも雰囲気が暗いアルチェムをもてあまし気味であった。
「アルチェム様」
「分かってます。分かってるんですよ。分かってるんですけど……」
埒が明かないと見て声をかけたエアリスに落ち込んだ声色で返事をし、再びため息をつく。今のアルチェムは、相当重症のようだ。
「エアリス様、一体何があったのですかな?」
「何が、というほどの事はありませんでした。私達の力が足りず、森を元の姿に戻す事が出来なかった。ただそれだけの事です」
「……なるほど」
エアリスの言葉で、いろいろと納得するドーガ。エルフであるアルチェムにとって、それは大層ショックだったに違いない。たとえ森の中を開拓して大規模な農業をやっていると言っても、過度に森に手を入れず、可能な限り共生するのがエルフの本来の姿だ。しかも、彼女は森の神・アランウェンの巫女。大量の瘴気によって無理やりあり方を捻じ曲げられ、それを元に戻す事が出来なかったとあれば、己の力のなさを嘆きたくなるのも仕方がなかろう。
「本当に、私は駄目エルフです……」
「そんな事はありませんわ」
「エル様、私が駄目エルフなのは否定できない事実ですよ……。だって、今まで何一つ役に立てていないんですから……」
どうやら、現在のアルチェムは心の底から自己否定モードらしい。こういう時の人間は、ちょっとやそっとでは意識が上向く事はない。正直、ここから気持ちを立て直させるのはかなり骨ではあるが、神の巫女がいつまでも落ち込んでうじうじしているのはいろんな意味でよろしくない。
こういう時は、まずは愚痴を全部徹底的に吐き出させるしかない。エアリスは姫巫女としての経験からそう考え、まずはとことんまで聞き役に徹することに。
「畑仕事も採取も弓の腕も全部中途半端で、私じゃなきゃ駄目だっていうような事が何一つないし……」
アルチェムの口から飛び出した最初の一言に、かなり困った顔をしてしまうエアリス。正直なところ、アルチェムが自虐的に言っている事は、組織のトップに近い人間としては迂闊に肯定できない。何故なら、全員が全員代えがきかないオンリーワンの仕事などしているようでは、その社会はまず破綻する。一人倒れれば全員一蓮托生なのだから、当然といえば当然だろう。
世の中、どうしてもナンバーワンかオンリーワン以外に対する評価は厳しくなる。厳しくなるのだが、では、ナンバーワンでもオンリーワンでもない人に価値がないのかといえば、決してそんな事はない。極端な話、世界で数人とか十数人とかの少人数しかできない仕事で、その仕事の重要性が高くかつできる人それぞれの間に優劣が付かないのであれば、ナンバーワンでもオンリーワンでもないが下手なナンバーワンよりはるかに価値は高くなる。
そこまで極端では無くても、世の中の大半は訓練すればある程度誰でもできる仕事で回っている。そういった仕事についてあまり価値を貶めてしまうと、誰かがやらなければいけない簡単な仕事を誰もやらなくなってしまう。そうなってしまってはおしまいだ。そういう意味ではむしろ、ナンバーワンだのオンリーワンだのより、ナンバーツー以下の人材の方がはるかに重要である。極論すれば、社会や組織の長以外は、たとえナンバーワンもオンリーワンも一人もいなくても普通に成立するのだ。
もっともそれ以前の問題として、いかに現状まだまだ未熟だと言っても、アルチェムはアランウェンの巫女というただ一人の存在だ。彼女が世界でも重要なオンリーワンの一人である事は、誰の目にも明らかである。アランウェンの巫女としての仕事は、アルチェム以外の誰にも出来ない。本人にその自覚がないのがかなり厄介だが、本来はエアリスの侍女の振りなどせず、一緒にVIP待遇にしなければいけない人物なのだ。
なので、アルチェムの自虐的な言葉は、二重の意味で正しくない。姫巫女としての仕事を半年以上こなし、王族としてもあれこれ経験したエアリスからすれば、それらの事は自明の理である。が、今のアルチェムにそれを言ってもまず伝わらないだろうが。
「無駄に胸だけ大きくて、ヒロシさんに『トー○キン先生に謝れ!』なんて怒られましたし……」
「トー○キン先生、ですか……?」
いきなり正体不明の人名が出て来て、戸惑いを隠しきれないエアリス。宏達の世界における近代以降のファンタジー小説の開祖と言われている人物の名前など、彼女達が知らなくても当然だろう。
ただし、無駄に胸だけ大きいというのはエアリス以外からも間違いなく否定の言葉が飛ぶ。確かに同じグラマー系の女性として見た場合、春菜に比べるとややボディラインが崩れた所はあるが、むしろその分男心をくすぐる部分があるのは間違いない。
「ヒロシさんの役に立てるって思って張り切って出てきたのに、結局肝心なところは全部丸投げだし……」
「アルチェム様、そこは私も同じなのですが……」
恐らくアルチェムの一番の嘆きポイントであろう言葉に、思わずといった感じで言葉を漏らすエアリス。惚れた男の役に立ち切れず、一番肝心なところは全て丸投げなのは二人とも変わらない。
「せめてもっと弓の腕が良ければ、足手まといにならずについていけたかもと思うと……」
エアリスには選びようがない選択肢を提示するアルチェム。もっとも、弓の腕だけで足手まといにならないようになるのは恐らく無理だろうな、という感想しか浮かばないが。
とはいえ、身を守るための手段はもっと充実させておいた方がいいかもしれない。何しろ、エアリスはこれまでに三度、敵の手に落ちている。二度目は宏達の目の前であったためにすぐに脱出できたが、一度目と三度目は救出するための手間をかけてしまっている。
それを考えると、エアリスとしてはせめて逃げられる程度には抵抗できるようになりたい。何度も何度もさらわれるなど、いくらなんでも危機管理とか防衛意識とかが疑われる。
余談ながら、後に宏達と茶飲み話でこの事を漏らしたら、ヒロインが何回もさらわれるのはお約束、とか、エアリスには「さらわれる:∞」の能力があるから仕方がない、とか、訳の分からない事を澪に言われてしまうのだが。
「好きな人が出来たのに、アピールする機会もなければアピールポイントもこれと言ってないし、相手のそばには特徴がかぶっててもっとハイスペックで距離の近い人がいるし……」
だんだんと愚痴の内容が怪しくなってきた事に、部屋に居る全員が何とも言えない気分になってくる。最初の落ち込み方に比べればはるかにましではあるが、事情を知らなければアルチェムの外見スペックでアピールポイントがないなどどんな冗談かと言いたくなるに違いない。
「チェムちゃんのアピールポイント~」
「ひゃん!?」
「感度良好~」
愚痴の方向性が変わってきたあたりで、空気を読んで黙っていたオクトガルがつぼから出て来て、実に空気を読んだ行動に出始める。
「脱がす~」
「見る~」
「触る~」
「揉む~」
服の上からアルチェムの立派なバストをこねまわしていたオクトガルが、容赦なく服を脱がせようとする。無論、空気を読む彼女達の事。服を脱がせるといったところで、せいぜい下着が見えそうで見えないところで止めるのだが。
「あっ、ちょっ、流石にこの状況で、脱がそうと、するのは……」
オクトガルの容赦ない攻撃に、必死になって脱がされないように抵抗するアルチェム。抵抗すればするほど見えない何かの力によって、どんどん際どい状態になっていくのはいつもの事である。流石のオクトガルも、そこをコントロールする術は持ち合わせていない。谷間が露わになった胸元に視線が吸い寄せられそうになって、必死になって目をそらす若い神官たちが気の毒である。
「そろそろやめておく方がええぞ」
「は~い」
苦笑しながらのドーガの言葉に、素直に従って解散するオクトガル。悪戯モードに入ったままらしく、先ほどの気の毒な神官たちの頭の上に乗り、
「今どんな気分~?」
などと余計な事を聞いている。
「ここはウルスではありませんから、悪戯はほどほどに」
「は~い」
エアリスに優しく窘められ、一匹を除き大人しくタコつぼに戻っていくオクトガル達。残った一匹は無論、エアリスの頭上に陣取る。
「少しは気分は晴れましたか?」
「……はい。ごめんなさい……」
「いえいえ。人間、だれしも気分がマイナスになる事はあります」
服を整えながら申し訳なさそうに謝罪してくるアルチェムに、にこやかに応じるエアリス。周囲の人間も空気が随分マシになったことにホッとしつつ、同じような事で愚痴りたいであろうエアリスに全て押し付けてしまった点については反省せざるをえない。
「ただ、結局問題は何一つ解決してないんですよね」
「どれも、一朝一夕には解決しない問題ですから、仕方ありません。身を守る手段に至っては、私はアルチェム様より分が悪いですし」
「でも、私よりはるかに巫女の力を使いこなしてますよね?」
「それこそ、積み重ねです」
アルチェムの反論に、きっぱり言い切るエアリス。生れた時からずっと使ってきた力なのだ。いくら資質は同等レベルと言っても、能力に目覚めたのが三カ月ほど前のアルチェムに現時点で負けるはずがない。
宏の言葉ではないが、大抵の事は慣れと根気と諦めと惰性なのである。
「そのあたりはもう、お互いこつこつ鍛えるしかない、って事ですか」
「ええ。一足飛びで身につけた力なんて、大体ろくでもないものです。ハルナ様も、ウルス城で身につけたアルフェミナ様の魔法を、いまだにちゃんと使いこなせなくて苦労なさっていますし」
「そうなんですか?」
「はい」
エアリスの言葉に、目を丸くするアルチェム。春菜に対しては大抵の事を軽々とこなしているイメージが強かったため、たとえ神の御技といえども使いこなすのに苦労しているなど想像すらしていなかった。
「ハルナ様ですらそうなのです。所詮凡人の私達は、地道にやるしかありません」
「そうですね」
エアリスの断言に、何度も何度も頷くアルチェム。この二人が凡人とかどんな冗談だ、と、周囲の人間が内心で激しく突っ込んでいる事には気が付かない。
「だったらまずは、この無駄に大きくて邪魔なくせに、好きな人に対するアピールには結局全然役に立たないどころかかえって余計なプレッシャーを与えるこの胸を減らす事からですか」
「それを捨てるなんてとんでもない!!」
アルチェムが口にした今後の目標、それを周囲の神官や侍女、オクトガル、果てはエアリスまでが口をそろえて却下するのであった。
「春菜さん! 澪! 大丈夫か!?」
急激に広がった闇を気合を入れて踏みつぶしながら、宏が腕の中に居る二人の無事を確認する。踏みつぶされた闇は一撃で砕け散り、後には何も残っていない。
「え、あ、うん。大丈夫」
「師匠こそ、大丈夫?」
状況の変化についていけず、自身が好きな男に抱き締められているという事実に動揺し、顔を茹でダコのように真っ赤に染めながらもどうにか宏に返事をする春菜と澪。地味にたくましいその身体の感触にドキドキしつつ、同じぐらい宏の様子を心配している。
「これぐらいは大丈夫や。大したことあらへん」
明らかに顔を土気色に染めながら、そんな風に強がってみせる宏。実際、踏みつぶした闇が浸食しかけていたが、宏の無駄に強靭な精神には歯がたたず、なんら影響を与えることなく消滅している。顔が土気色なのは、とっさのこととはいえ、女体を二つも抱きしめることになってしまったからだ。
「大丈夫には見えないよ……」
「ほな、悪いけど離してもええ?」
「えっ? あ、ごめんなさい! もう大丈夫だから!」
宏の顔色を見て、慌てて離れようとする春菜と澪。名残惜しさに離れようとしない自分の手を引っぺがすのに苦労しながら、宏のプレッシャーにならない距離からやや離れた位置に立つ。
「それで、今のは……?」
「恐らく、黒幕の攻撃やろうな。っちゅうか、見事に誘導された感じや」
宏の言葉に慌てて周囲を見渡すと、いつの間にか大量の瘴気が発生し、闇で出来た魔法陣が十重二十重に一行を取り囲んでいた。
「前哨戦か本番かは分からんけど、ボス戦なんは間違いなさそうやで」
「うん」
さっさとフルプレートモードに切り替えた宏の言葉に頷き、気が進まないながらも念のために流体金属アーマーも展開する春菜。オリハルコンブレストプレートの上からコーティングしているため、普通の服の上からやった時のようなサービス状態にはなっていない。
見ると、澪の方も同じようにレザーアーマーの表面を流体金属でコーティングしている。こちらは達也と一緒にベヒモス素材に切り替えているため、トータルではオリハルコン製の部分鎧よりは防御力を稼げている。
「さて、何が来るのやら」
「何が来たところで、どうせ碌でもない相手なのは変わらないでしょうけどね」
春菜のそばにスタンバイする達也の言葉に、彼らをかばうように前に出た真琴がコメントする。その言葉を肯定するように、魔法陣の中からそいつらが次々と現れた。
「……マジかよ……」
現れた敵を見て思わず絶句し、達也が唸るように言葉を絞り出す。
「考えようによっては、むしろチャンス?」
「……澪、この状況でそれを言えるとか、あんた大物ね」
「というか、三桁以上の数で同じ敵が出てくる場合、一ダメージで一体倒せるのがお約束」
「何処の世界のお約束よ……」
どう見ても百を超える数の敵に、そんな漫才を繰り広げる真琴と澪。
「TRPG方面だと、そういうシステムは珍しくない」
「流石にバルド相手にそれを求めるのは、無理があると思うな私」
澪の何処までもメタな台詞に、背筋に冷や汗をかきながらも平静を装い、控えめに突っ込みを入れる春菜。そう。出てきた敵はどう見ても百を超える数のバルドだった。
「どっちにしても、所詮はバルド。やってくる攻撃に関しては、大体ネタは割れてる」
「せやな。流石に一ダメージで一体とはいかんにしても、所詮相手はバルドや。第一形態のうちに数減らしてまえば、怖い事はあらへん!」
強気な事を言う澪に同意し、ポールアックスを一度頭上で大きく振りまわして気合を入れながら、宏がそんな宣言をする。
「そういう訳やから、かかって来いやあ!!」
いつものようにアウトフェースを乗せて大声で吠え、かき集められるだけバルドの注意を集める宏。こうして、フォーレでの邪神に関わる最後の戦い、その火ぶたは切って落とされたのであった。
「始まったな」
「ああ」
遠く離れた場所で、大陸西部を任せられた闇の主達は戦いの様子を見守っていた。
「予想通り初手は不発に終わったが、上手い具合にはまってくれたようだ」
「だが、所詮はバルド、しかも今回は数を優先して、大した思考回路は組み込んでいない。何処まで持つかは何とも言えん」
主Bの言葉に、小さく頷くA。もともと大して期待はしていないが、場合によってはまったくの無力で一切疲弊させられなかった、という可能性も無いではない。そうなってしまうと、彼らにはもはや打つ手は無くなってしまう。
「とりあえず、いつでも向こうにいけるように準備はしておくとして、だ」
「ああ。無論、何の小細工もせずに見守っているだけ、などという事は考えていない」
「そうか。まずは何をするつもりだ?」
「あの男がいると、魔力が絡む直接的な妨害は打ち消されやすい。ならば、奴らが立っている場、それ自体に干渉するのが正道だろう」
「なるほどな」
闇の主Bの言葉に、一つ頷くA。Aが納得したところでBが大地に干渉し、宏達が立っている場所を底なしの毒沼に代えようとする。だが……。
「どうやら起点が浅すぎたようだな。奴に打ち消された」
「ならば、足場を崩れやすくするために、地下に大きめの空洞を作ってみるか」
「出来るか?」
「やってみる、が……」
瘴気を流し込み、大地を変質させようとしたところで強い抵抗。結局目的を果たせずに手を引くA。
「どうだった?」
「女神に妨害された。流石に地脈が近いだけに、深い場所に対する干渉は容易ではなさそうだ」
「クレストケイブのダンジョンが、ここまで尾を引くとはな……」
女神エルザから思いもよらぬ妨害を受け、思わず歯噛みするAとB。つくづく今回の客人達は目障りな真似ばかりしてくれる。
クレストケイブのダンジョンが成立した当初、なんだかんだと言って女神に対してはかなり優位に立っていた。殺意の高いダンジョンにより、日増しに増えていく死傷者。その結果として地脈の汚染が進み、加えてダンジョン化により取れる鉱石が上位変換され、加工の難しいものばかりになったこともあって情勢が不安定化。更に地脈が汚染されていくという望ましい循環が発生していた。
このままいけばリスクに見合うだけの成果が得られると期待したのもつかの間、客人達の手により作りだされた新型溶鉱炉は本来難しかったはずの魔鉄やミスリルの精製能力を上げ、それらの製品の生産量を大きく増やしてしまった。
そうなってしまうと情勢悪化によって増えていた瘴気はがくんと減り、それに比例するかのように女神エルザの干渉力が増えていく。出回る装備が徐々に良くなってきたことにより、ダンジョンで死傷者も減少傾向に転じたこともあり、闇の主達は徐々にじり貧に追い込まれつつあった。
何かテコ入れを、と思っていたところに追い打ちをかけるように、客人達がベヒモスを討伐。それも一度だけならともかく、再生を待って合計三度も仕留めるという非常識な真似を実践し、ダンジョンを大幅に弱体化させてしまった。
こうなってしまっては、一気にひっくり返すような方法はない。ファーレーンとダールの失敗まで合わせて考えると、恐らく後しばらく、それこそ百年単位の時間をかけて策を進めない限り、大陸西部を崩壊させる事は不可能だろう。その事実は認めるが、巫女を失ったはずの大地母神がここまで力を盛り返してきたのは予想外にもほどがある。
「大規模な妨害は不可能となると、だ」
「奴らの弱点となりそうな所に直接攻撃しかあるまい」
「弱点、か。ならば、あの魔術師の男か、忌々しい歌を歌う女だろうな」
幾度かあれこれ試し、すべて女神に阻まれる。その結果に大きな被害を与える事を諦めたAの言葉に頷き、Bが三人に囲まれてガードされている男女に目を向ける。どちらも捨て置くには少々どころでは無く目障りだ。
既にバルドは三分の一が排除されている。瘴気を大量に消費するため、第二形態への変身条件を厳しくしたことが影響しているようだ。元々全部が変身できるほどの瘴気はなかったのでしょうがないが、流石に少々仕留められるのが早い。その原因の大部分は女の歌で、だが直接数を減らしているのは、魔術師の男の攻撃魔法が一番多い。
正直、どちらを始末しても劇的に戦況が変わるとは思えない。奴らを確実に全滅させたいのであれば、フルプレートの男を排除しないと話にならない。だが、こんな遠隔攻撃で奴を排除できるのであれば、とうの昔に連中は全滅しているであろう。
何しろあのフルプレートの男、普通の冒険者なら即死してもおかしくない攻撃をまともに食らっても無傷だし、死角から中央の二人に飛んでいく攻撃を見もせずに迎撃しているのだから。
「奴らの装備を考えると、確実に仕留められる保証はない、が」
「少しでもダメージが通ればいい。何もせんよりはマシだろう」
何やら方針を決めたらしい闇の主二人。中央の二人、その足元の大地に対して干渉する。
「貫かれて、悶えるがいい!!」
気合の声とともに、大量の瘴気を注ぎ込む。次の瞬間空間がねじれ大地が隆起し、春菜を抱き込み達也をガードした宏をあざ笑うかのように、ターゲットの二人に大地の槍が襲いかかるのであった。
「どうやら、連中も随分と焦っているようですね」
ついに直接干渉しはじめた闇の主達を見て、眉をひそめながら大地母神エルザが呟く。邪神がこちらの世界に浸食してから約三千年。今まで一度たりとも表に出て来なかったバルドの上司が、今回ついに直接手を下しに来た。その事実に驚きが、そしてそこに至った過程に呆れがにじんでしまう事をどうしても止められない。
「それにしても、彼らの周り道はつくづく予想外の状況につながりますね……」
闇の主達が出てこざるを得なくなった、その経緯を思い出してしみじみ呟く。ウルスでエアリスを助けて以来、傍から見て訳の分からない流れで次々とこの世界の問題を解決していく、今までにないタイプの客人達。本来彼らに頼りきりになるのは恥だが、長年の邪神との抗争で色々硬直化し、身動きが取れなくなっていたこの世界の神々にとっては、状況を動かす格好のきっかけになっていた面は否めない。
クレストケイブに長々と居座られた時にはいろいろとひっ迫していたエルザとしては焦らずにはいられなかったが、ここでも予想外の行動を繰り返し、結果としてはむしろ寄り道せずにこちらに直行するより事態は良くなっている。
「さて、随分あれこれ助けられてしまいましたし、少しばかり女神としての意地も見せますか」
残念ながら、これほどまでにいろいろ手助けしてもらっても、世界のシステム上はまだエルザが直接干渉できる条件が整っていない。所詮舞台装置でしかないこの世界の神々。その制約がなければそれこそ無制限に介入して世界を滅ぼしかねないのは事実だが、世界を維持するために課せられた制約が外敵に対し有効的な手段をとる事を阻む。そのジレンマがとてももどかしいが、言っても仕方がない。
制約のために敵や宏たちに直接干渉する事は出来ないが、地脈に対する多少の干渉は許される。おあつらえ向きに、男二人は自力で到達しかかっている神の技がある。達也の方はやや遠いが、宏の方はきっかけだけあれば十分だ。地脈を介してエルザの力に触れさせれば、技を使うための引き金には十分だろう。
闇の主たちが遠距離から地脈の近くに余計な干渉をしているのだ。エルザがそちらに対抗すると言う口実で地脈をガードし、宏達に覚醒のきっかけを与える事は難しくない。その目的で地脈を操作し、ついでに余計な事をしようとしている闇の主たちの干渉を阻む。
「申し訳ありませんが、これ以上は制約に引っかかります。この程度の手助けしかできない事は心苦しくありますが、ここを切りぬけてくだされば、終わってからの報酬は限界まで弾みましょう」
闇の主たちの干渉がやんだ隙に、聞こえていないと知りつつ、そんな言い訳がましい言葉とともに地脈を動かす。ほんのわずかな移動の結果、女神の力で保護された地脈は、地表すれすれの位置まで浮上する。
「後は頑張ってください」
更に余計な干渉がないかを警戒しつつ、エルザは全てを丸投げするのであった。
「グレイトフレア!」
イグレオスの力で強化された火球を放ち、三体のバルドを焼きつくす達也。状況はそれなりに順調に推移していた。
「いけると思ってるの!?」
「邪魔」
空から急襲しようとしたバルドを、真琴と澪が迎撃する。その隙間を埋めようとした次のバルドが
「こっちこいやあ!!」
宏の一喝で動きを止める。そのまま真琴に切り捨てられ、塵となって消える。
「嫌な予感がするぐらい、順調ね……」
「このバルド頭悪い」
機械的に、としか言いようのないやり方で連携を取り、無防備に突っ込んでくるバルド達。ゲームの時は大半のモンスターがこんな感じだったが、よりにもよってバルドがそのレベルに落ちている、というのが腑に落ちない。
バルドが生産のような手段で生み出されているのであれば、これだけの数だから行動パターンがお粗末なのも分からなくはない。問題なのは、生産されているという事はその気になればいくらでも増やせる、という事にある。
それ以上に、これだけの数のバルドを動員した相手が、何もちょっかいをかけて来ない事が気になる。正直、これで終わりだとは思えないために、どうしても大技を使うのにためらいがあるのだ。
「追加はあらへんみたいやし、このまま粘る……!!」
そう声を上げかけた瞬間、宏の背筋にゾクリとしたものが走る。とっさに目の前のバルド二体をまとめて弾き飛ばし、直感にしたがってカバームーブを強制発動。ヘビーモールを手放して、春菜と達也を自分のそばに引き寄せようとする。
「えっ?」
「何だ?」
宏の唐突な行動に、歌や詠唱を中断して戸惑いの声を上げる春菜と達也。何しろ、目に見える範囲でも探知できる範囲でも、宏が二人をガードしなければいけない要素が見当たらなかったからだ。
「邪魔や!!」
好機と見て突っ込んできたバルドを蹴り飛ばし、春菜を完全に抱え込んでやや遠い達也を引きずり込む。それと同時に、いやワンテンポ早く、空間がねじれ大地が隆起し、巨大な槍となって二人に襲い掛かったのであった。
スパロボの戦術MAPじゃあるまいし、エースで四番だけ集めてもどうにもならんですよね