第10話
「どうしたの?」
突然大声を出した宏と達也に、何事かと春菜が駆け寄ってくる。奥からは真琴と澪も出てきた。全員、まだ鎧は外し終わっていない。なお、ノートン姉妹は戦闘能力が無いため、こっちに出てこないように言い含めた上で風呂の掃除を振っている。
「……その娘、誰?」
どうやら呼び鈴を鳴らしたらしい少女を見て、完全に硬直している二人に問いかける春菜。少女の表情が発情していると表現したくなる種類のものだからか、好き好き光線を放っている視線が完全に宏をロックオンしているからか、その言葉には微妙に棘のようなものがある。
「……暗殺者や……」
春菜のちょっと棘のある口調に再起動した宏が、震えながら絞り出すような声で回答する。
「えっ?」
「ファーレーンで春菜さんとエルを暗殺しようとした実行犯、そいつや……」
「えっ? えっ?」
「そいつが、よりにもよってヒロの事をハニーとか言いやがってな」
「……どういうこと?」
「そんなん、僕が聞きたいわ……」
宏の本気で怯えている乾いた声に、予想外の回答に戸惑っていた春菜の中で、何かのスイッチが切り替わる。宏を守るように前に出て、いつでも剣を抜き放てる体勢で少女を見据え、言うべき事をきっぱりと言う。
「どのような御用件かは知りませんが、お引き取り願えますか?」
「……えっ……?」
完全に彼女を敵認定したらしい春菜の、冷気すら漂う視線と取り付く島の無い言葉に、かなり戸惑った声を漏らす少女。同じように前に出てきた真琴と、後ろでけん制する準備を整えた澪の視線も似たようなものである。
「まって、まって。敵対する意志はない」
「残念ね。今回ばかりは、そっちの意志の問題じゃないのよ」
「どういうつもりかは知らないけど、私達にとって、あなたがした事を許す理由が無い」
「今なら殺しはしないから、さっさと立ち去る」
外敵相手に一気に結束した女達の様子に、それはそれで引く宏。言ってしまえば、女性のこういう面に苦しめられた部分もあるのだから、当然と言えば当然の反応であろう。
「まって、まって。レイオット殿下からの言付けが」
「レイっちから?」
「どういうことだよ?」
意外な名前に、いろんな意味で引きまくっていた宏と達也が反応する。とはいえ、よくよく考えてみれば、この暗殺者の処分はレイオットに一任されていた訳で、別段生きていてもおかしなことは何もない。表向きは関係者が全員処刑された事になっていた事に加え、その後かけらも話題が出なかったために勘違いしていたが、レイオットからは処分したとも生かしているとも聞いていないのだ。
「ハニー達、裏の世界に顔が利かない。殿下がそこをフォローしろって。後、これ伝言」
「……よりによって、何でこいつを使うのか……」
「……でも、レイっちやったらやりそうや……」
レイオットが言ったであろう言葉に妙に納得しながらも、どうしても文句を言わずにはいられない男二人。女性陣はいまだに一切気を緩めず、ブリザードのごとき視線を向けたまま慎重に少女が差し出した手紙を受け取る。男二人の態度は幾分ましではあるが、それでも警戒そのものは続けている。
「達也」
「了解」
真琴から渡されたレイオットの手紙を開き、ざっと中身に視線を走らせる。内容は大体少女が言った通りの事ではあるが、いくつか判断に困る事も記載されていた。そのあたりについて確認を取るため、とりあえず少女に声をかける。
「なあ。いくつか確認したいから、正直に答えてくれ」
「心配しなくても、嘘はつかない」
「それはこっちが判断する」
帰りの車中で頑張って身につけた嘘発見の魔法をひそかに発動し、他のメンバーに視線を走らせて同意を取った上で、最初の質問のために口を開く。因みにこの魔法、ゲームの時には存在しなかったもので、モグラからもらった魔法関係の資料の中にあったものである。他にもいろいろあったが、一番覚えやすかったのでとりあえず一番最初にこれを覚えたのだ。
「お前、こいつを襲った事を覚えていないっていうのは、本当か?」
「……やっぱり、わたしがそれやったの……?」
「本気で覚えてねえよ、この女……」
悄然とした様子での少女の回答に、見事なくらい何一つ嘘が含まれていない事を確認し、思わず頭を抱える達也。一体何がどうなってこの状況なのか、はっきり言って全く理解できなければ理解したくもない。
「まあいい、次だ」
「どんと来て」
「何でこいつをハニーって呼ぶんだ?」
「私の一番古い記憶が、ハニーに触れられてものすごく気持ちよかった事だから」
少女がうっとりした様子で言い放った質問の答えになっていない言葉に、今度は宏に冷たい視線が集中する。その様子にがくがく震えながら達也の後ろに隠れようとした宏を捕まえ、とりあえず確認すべき事を確認する事に。
「ヒロ、正直に答えろ」
「聞きたい事は大体分かるから言うけど、首絞められそうになったから暴れたら、ワイヤーが変な感じで絡まってもうただけや。どうにか離れられへんかってもがいとったら、勝手にこいつがあへあへ言いだしたんやけど、正直どこにどんな風に当っとったとか全然覚えてへんし、そんな事気にする余裕もあらへんかった」
「だとよ。因みに、全部本当の事だ」
「そもそも普通の女の人でも怖あてよう触らんのに、暗殺者みたいな物騒な生きもんを組み敷いてとか、何でそんな怖い真似せなあかんねん」
「物凄い説得力ね、春菜」
「まあ、宏君だったら、普通はそうだよね……」
宏の弁明を聞き、ものすごく納得してしまう女性陣。宏にとって、触れること自体が怖いという意味では、春菜も暗殺者もまったく同じラインだ。違いがあるとすればせいぜい、春菜ならどれぐらい触っても大丈夫か、という見切りがある程度出来ている事ぐらいだろう。無論、宏の認識と実際の春菜の許容量とは天と地ほどの差があるどころか、普通ならセクハラとか痴漢扱いされるラインでも許されるのだが、恋人同士でもない間柄の相手に対してそういう認識があると言うのは、たとえ相手が宏でなくてもいろいろまずい。
もっとも、そもそも暗殺者だと分かっている、それも敵対している相手を抱くなど、薬か何かでまったく身動きが取れない状態にでもしていない限りは自殺行為でしかないのだから、余程頭の悪い人間でもない限りは普通、春菜達が危惧しているような事にはならない。
「それで、話を戻すとして、何で覚えてねえんだ?」
「殿下は、薬が抜けた時の副作用と暗殺者ギルドの仕掛けの影響だって言ってた。暗殺者ギルドに襲撃をかけた時までは、ちゃんとした記憶があったって聞いてるけど、正直覚えて無い」
「薬?」
「そう言えば、レイっちが言うとったなあ。こいつら元々使い捨ての人形みたいなもんで、人格とかあったら面倒やからって、薬でその辺殺しとったんやって」
「なるほどなあ。仕掛けってのは、暗示か何かの事か。察するに、こいつらが捕まった時に余計な情報を漏らさないように記憶を消すか何かするための仕掛けが、何らかの理由で誤動作したってところだろうな」
出てきた情報から、大方レイオットが推測したのと同じ結論を出す達也。嘘発見の魔法のおかげで、いちいち相手を疑わなくていいのがありがたい。もちろん、嘘は何一つ言っていないが真実全てでもないケースなどこの魔法では見抜けないものも多いが、今回の場合はそれほど問題にならない。
「で、今日は何の用でこっちに来た?」
「殿下から許可をもらって、顔つなぎと今まで集めた情報の提供に」
「だ、そうだ。嘘は言ってない」
とりあえず、がっちり結託している女性陣に判断を仰ぐ。達也本人の考えとしては、正直信用は出来ないが利用はできそうだと言う感じだが、宏の事を考えると排除した方がいいかも、と思わなくもないところである。
「信用できない」
「こいつ嫌い」
「こいつに頼るんだったら、他の方法考えた方がいいわね」
見事なまでの敵認定にかなりショックを受けた様子の少女と、余りに見事な連携に過去のトラウマがうずきガクガク震えている宏。流石に宏が直接ひどい目にあったところを見ているだけに、春菜達の間での認識は恐ろしいまでに一致しているようだ。
「そ、そんな……」
「被害者ぶってるけど、信用できる理由があると思うの?」
「そうそう。先に師匠に危害を加えたの、そっちだし」
「それに、あんた何か隠してる目的があるでしょう?」
共通の敵に対して、結束して当たる春菜達。明らかに、意識が完全に戦闘モードに切り替わっている。これから味方になるはずの相手からの厳しい追及に、涙目になりながら小動物のように小さくなる少女。これではどちらが悪者か分かったものではない。
「わ、わたしは危害なんか加えない……。ただ、頑張って役に立って、ハニーからご褒美をもらいたいだけなのに……」
「ギルティ」
「ギルティ」
「ギルティ」
少女が漏らした本音に、三連続で有罪判決をぶつける女性陣。もはやいじめそのもののような状況に、少女よりも宏の方が部屋の隅でガタガタ震えながら命乞いをしそうになる。
「おーい、ちょっと落ち着け」
そんな宏の様子を見かねた達也が、春菜達をなだめに回る。正直なところ、真琴と澪はともかく、春菜がここまで過剰に攻撃的な反応を示すとは思わなかったのだが、もてあまし気味の恋愛感情に振り回されて空回りしてる女に冷静さを求めるのは酷なのかもしれない。しかも、事は下手をすればその惚れた相手の命に直結しかねないのだ。いかに理性的な春菜といえども、攻撃性を押さえきれないのはしょうがないだろう。
「とりあえず、傍から見てるとどっちが悪者か分からなくなってるぞ」
「達也、あんたこいつが信用できるっていうの?」
「いんや。ただな、そいつが信用できるかどうかじゃなくて、ヒロが御覧のありさまだからな」
本当に部屋の隅でガタガタ震えて命乞いのような言葉を言い始めた宏を見て、頭が冷えるを通り越して青ざめる三人。同じやるにしても、宏の目の前ではなくもっと別の場所でやらなければいけなかったのだ。
「それに、こいつは信用できねえが、お前さん達のやり方も人としてどうか、って感じだったからな。こいつが過去にやった事は簡単に許しちゃいけない事だが、だからと言って何やってもいいって訳じゃねえぞ」
「あ~、ごめん……」
「……すごく反省……」
「……そうだよね。今のはさすがに、人として駄目だよね……」
宏の様子に加えて達也に諭され、自分達が相当やらかした事を自覚する三人。これでは、宏の中学時代のクラスメイトを悪くは言えない。
「さて、頭も冷えた事だし、どうする? 俺としては、こいつは信用できないが、利用はできなくもないと思ってる。ただ、ヒロの事を考えるなら、出来るだけこっちに近寄って欲しくはないところだ」
「あたしは、利用する事自体も反対ね。宏の心の安全とあたし達の精神衛生のために、出来れば一切の接触を断ちたいところよ」
「真琴姉に一票」
「ヒロは使い物にならないから、あとは春菜の意見だけだな。どうする?」
達也の問いかけに即座に応えた真琴と澪の意見を聞いたところで、出来るだけ冷静に自身の考えをまとめようとしている春菜に対して結論を促す。冷静になった状態で同じ意見であれば、達也としては異を唱えるつもりはない。
「私は、心情的には真琴さんや澪ちゃんと同じ。ただ、話を聞く限り、宏君を襲った時は自我とか人格とか、ほとんど無かったんだよね?」
「殿下の手紙とかから察するに、恐らくはそうだろうな」
「だったら、贖罪と更生のチャンスを一回もあげないっていうのは、流石にフェアじゃないと思う。だって、その頃は単なる道具だったんだし」
「ってことは?」
「いくつか条件はあるけど、しばらくは様子見したい。私達が、裏側の情報収集が出来ないのは事実だし、ね」
メンバーの中では、現時点では一番甘い意見を出す春菜。先ほどまでの妙な過激さが嘘のようだが、元々彼女は余り攻撃的な感情を持続させるのが得意ではない。先ほどは宏の事で頭に血が上り、さらに真琴達と結託したためにどんどん言動が過激になって行ったが、恐らく春菜一人だけだったら、無抵抗の相手をつるしあげるところまでは行かなかったであろう。
「駄目かな?」
「いんや。見極める時間が必要、ってのは理にかなってるしな」
「心情的には納得いかないけど、宏の反応を考えるとそこが落としどころじゃないか、って気はするしね」
「何かあった時の排除方法だけきっちりしてれば、ボクは特に文句なし」
冷静になれば、それなりに倫理だの人道だの道徳だのの持ち合わせはある一同。現状無抵抗の相手をどうこうするにはちょっとばかり善良すぎる事もあり、春菜の案に誰も異を唱えない。ただし、現状では情を持つような相手ではない以上、敵対したり問題を起こしたりすれば、命を奪うことも視野に入れた上で容赦なく排除するつもりではあるが。
「って事に決まったんだが、ヒロ?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「おーい、戻って来い」
部屋の隅でガタガタ震えながら命乞いを続ける宏の頬を軽くたたき、現実に引き戻そうとする達也。余りに過敏な反応に呆れそうになるが、よくよく考えれば達也ですら引くほどの状況だったのだから、宏ならばこの反応もおかしくはないだろう。
「女怖い女怖い女怖い女怖い」
「今回ばかりは同意したくなるが、とりあえずいい加減戻って来いって」
ちょっとやそっとのショックでは復帰しないと踏んで、とりあえず宏の鞄から鍛冶用ハンマーを取り出して軽く頭をかち割る達也。普通なら命にかかわるやり方だが、刃を殺してあるとはいえポールアームが直撃してもダメージにならない男だ。達也の腕力で振られたまったくスキルの補正が無い小型ハンマーの衝撃など、そもそも痛みを感じさせられるかどうか自体が怪しい。
「あいたあ!」
これ以上は流石にやばいよなあ、などと思いながら叩き込んだハンマーの衝撃で、とりあえず宏の目の焦点があう。どうやらちょうどいいぐらいのダメージだったようだ。
「なんやなんや?」
「やっと戻ってきたか」
「何があったん?」
「お前、春菜達とあの暗殺者のやり取りにビビって、ガタガタ震えながら命乞いしてたんだよ。で、とりあえずこっちの話がまとまったから、いい加減戻ってきてもらうためにこれで一発殴ったんだよ」
「……兄貴、地味に過激やな……」
「お前、普通のやり方じゃ、戻って来なかったんだよ」
どうやら命乞いをしている間の事は完全に記憶から飛んでいるらしく、達也の言葉に不思議そうに首をひねり続ける宏。その視線が元暗殺者の少女を捕らえたところで、色々思い出したらしくまたしても顔が青ざめる。
「とりあえず、あいつの処遇については、こっちの意見はまとまってる」
「どないするん?」
「いくつか条件を付けた上で、本当にこっちに敵対する気が無いのかどうかを見極めるためにいろいろ働いてもらうことにした」
「……まあ、レイっちがこっちに送り込んできた、っちゅう事は、それなりに安全やっちゅう事やろうから、別にそれはかまへんねんけど……」
「まあ、不安なのは分かる。だから、条件付きだな」
そう言って、春菜に視線を向ける。達也の視線に一つ頷くと、頭の中でまとめていた条件を口にする春菜。
「まず一つ目。私達の許可なく宏君と接触を持とうとしない事」
「えっ!?」
「二つ目。宏君と二人だけで話をするのは許さない」
「そ、そんな!?」
「三つ目。こちらから呼び出した場合を除き、私達と接触するときは、事前にレイオット殿下の許可を取ること」
「それはいままで通り」
必要な条件を淡々と並べて行く春菜と、その言葉に一喜一憂する暗殺者。そのやり取りのおかげで、無表情のように見えて意外と表情が豊かである事が分かる。
他にもあれこれ細かい条件を付けた後、ダールの現状に絡む情報を受け取って話を終えようとする春菜。
「とりあえず、せっかくの殿下の心遣いだし、これはありがたく有効活用させてもらうね」
「出来たら、ご褒美が欲しい」
「それを要求できる立場だと思ってるんだ」
「うっ……」
春菜の厳しい一言に、しおしおとしおれる暗殺者。
「それはそれとして、あなた、名前は?」
「……レイニー。レイニー・ムーン」
「了解」
あれこれ長い戦いの後、ようやく自身の名前を告げる事に成功する元暗殺者・レイニー。名前を教えた事で、多少空気が軟化した感じがして、少しだけ嬉しくなってくる。
「で、ご褒美って、具体的に何が欲しかったんだ?」
もっとも、その空気を読みながらわざと意地の悪い発言をした達也のせいで、色々と台無しになるのだが。
「頑張ったから、ハニーにおっぱい揉んで欲しい」
「ちょっ!? 何やそれ!?」
「有罪! やっぱり有罪!」
なかなかとんでもない発言をやらかしたレイニーに、若干緩くなっていた空気があっという間に凍りつく。予想の斜め上の方向にかっ跳んだ変態ぶりを見せつけられ、全力でどん引きどころか怯えすら見せる宏と、いろんなものをかなぐり捨てて獰猛な表情で有罪判決を下す春菜。余りに余りの事に、他の三人は反応を決める事が出来ずに凍りつく。
「やっぱり様子見とかやめる!」
「いや、確かに予想外だが、正直に願望を答えただけで反故にするのは流石にどうかと思うぞ」
「放置してたら宏君が危ないにもほどがあるもん!」
「そんな羨ましい事、絶対に認められない、ってか?」
「違うよ!」
再びヒートアップした春菜を押さえるために、あえていじる方向で状況をかき回す達也。春菜の意識が達也にそれた次の瞬間、澪ですら補足しきれないほど見事に撤収してのけるレイニー。その様子を唖然とした態度で見ていた真琴と澪が、我に返ってひそひそと話しあう。
「ねえ、澪」
「ん?」
「あれ、どう思う?」
「師匠のリハビリには、ある意味うってつけかもしれない」
「いいの、それで?」
「少なくとも、本気で師匠とキャッキャウフフしたいのは間違いないみたいだし、ボクとか春姉には、ああいう方向性で女体の恐怖を取り払うのは無理っぽいし」
どうやら、澪的にはレイニーのあの言動は別に問題ないらしい。
「宏君!」
「な、なんや?」
「私が絶対守ってあげるからね!」
真琴と澪の言葉を聞きつけた春菜が、決意を新たにしたと言う感じの表情でそんな事を叫ぶ。そのやたら真剣な表情と決意に満ちた言葉に、全力でどん引きする宏。いろんな意味でペースが乱れているこの時の春菜に関しては、後々まで宏を除くメンバー全員からいじられる羽目になるのであった。
「エル、アルチェム、そろそろダールに着くぞい」
南部大街道からダールへつながる街道、そのラストといえる位置で同行者に声をかけるドーガ。商人の祖父とその孫、二人に仕える使用人という設定があるため、ドーガは主であるエアリスに対してそれっぽい口調で声をかけている。他に誰かが聞いているわけではないとはいえ、すでにダールの一般道なのだから、とっさのときにそれらしい反応を出来るように今の段階から馴らしておく必要があるのだ。
もっとも、お忍び(と言っても、縁が無い人間が見ても分からないと言うだけで、関係者から見ると全然忍んでいないのだが)でウルスをうろうろする時も、大体の場合は祖父と孫と言う設定で行動しているため、もはや本人達もこの偽装にまったく違和感が無いのだが。
「一ヶ月以上かかるって聞いていたんですが、何かものすごく早く着きましたねえ……」
「そりゃあ、曲がりなりにもゴーレム馬車じゃからのう。それに、一般人には使えん裏技を使い倒しておるんじゃ。これぐらい早くなければそのほうが問題じゃて」
「そういうものですか?」
「そういうものじゃ。それに、連中も本気を出せば、十日程度で十分ダールに到着するしのう。もっとも、裏技を使えんはずの奴らが、街道を通ってもその気になれば十日でダールに着く、というのは異常なんじゃが」
「あ~、それはなんとなく分かります」
地味に一般常識が備わってきているアルチェムが、ウルスでの経験を元にしみじみと頷く。案内兼護衛のテレスや女性冒険者達と一緒に、ウルスだけでなく近隣の村まで乗合馬車などで行ったときの移動速度と比較すると、ゴーレム馬車がとんでもないスピードなのがよく分かる。
宏達が使っているという、これよりもっと速い移動手段というのは、正直想像もできない。馬車というのは乗っている人間としては意外と遅く感じるものだが、それでも時速六十キロを超えるゴーレム馬車は、アルチェムの経験した最高速度を大きく超える。いくら速度が分かりにくいといっても、さすがに時速何十キロの世界で約三倍違えば速度の差は十分感じられるわけで、アルチェムが速い速いというのも当然といえば当然である。
「それでお爺様、後どれぐらいでダールに到着するのでしょうか?」
「そうじゃなあ。まあ、一時間も見ておけば十分じゃろう」
窓の外を興味深そうに観察しながらのエアリスの質問に、おおよそのところを答えるドーガ。現時点でほぼ予定通りの日程で走っているため、何か大きなトラブルでもない限りは、今日中に十分ダールに入れるだろう。
窓の外にはこの地域の特産である砂麦畑が広がっており、農民たちがせっせと雑草の処理をしているところが目に入る。もっとも、視線の向け方を変えると、時折畑の切れ間から地平線まで見渡せるほど広大な草原が見え、この地域が起伏の少ない土地である事を嫌が応にも思い知らせてくれるのだが。
「しかし、よくもまあこれだけの数のカレー粉や醤油が間に合ったものじゃ」
「工房の皆さんも村の皆も頑張ってましたから」
「ですが、ダールの気候で、こういったものが売れるのでしょうか?」
一応商人の孫と言う設定になっているため、商売人として重要な事を確認しにかかるエアリス。カレー粉はともかく、醤油やポン酢は微妙なのではないか、と思わなくもない。ウスターソースやとんかつソースはあるいは、と思わないでもないのだが。
「まあ、ダールで売れなんだら、フォーレかローレンで売ればよかろう。もっとも、連中がこの街に来て結構経つんじゃから、いい加減このあたりの調味料を使った料理の一つや二つは出来ておるとは思うが」
「そう言えば、ダールのお料理って、どんなものが多いんですか?」
「スパイスを良く効かせた、かなり辛い味付けのものが主体じゃな。スパイス類は毒消しの作用があるものが多いからの。後、このあたりは砂漠に近いから、少々水が高くての。煮込み料理も水を使うものではなく、羊乳やヤシの実の果汁なんかにスパイスをたっぷり混ぜたつゆで煮込むものが多い」
「辛い味付け、ですか……」
「うむ。大抵火を噴きそうなほど辛いか、酸味がきついかのどちらかになるのう」
ドーガの解説に、うええ、と言う感じの表情を浮かべるアルチェム。オルテム村でもウルスでも、刺激の強い味の料理はカレーぐらいしか食べていなかったため、極端に辛かったり酸っぱかったりと言う味付けのものは苦手なのだ。むしろそういう料理は、エアリスの方が強い。
ここに来るまでに食べた料理はスパイスの量こそ多めなれど、それほど極端に辛いものは多くなかった。むしろウシやヤギの乳をベースに果物で味を調えた、どちらかと言うとフルーティな甘さがベースとなった料理の方が多かった。とは言っても、最後に食事をした場所から、既に普通の馬車で一日以上かかる距離を進んでいるのだが。
「お主は、辛いものは苦手かの?」
「カレーとか、ウルスでの普通のスパイス焼きぐらいは平気なんですけど、火を噴くほどと言うのはちょっと……」
「ふむ。まあ、テレスも似たような感じじゃったし、オルテムのエルフは全体的に極端な味付けは苦手じゃと言う事かの?」
「多分、そうだと思います」
村で一般的に食べられている料理を思い出し、確信を持って頷くアルチェム。そもそも、ベースとなる味付けがすべて鳥のガラとシイタケで取ったダシなのだ。香辛料の類もそれほど作っていない事を考えると、余程の量の砂糖か塩をぶちこまない限りは、極端な味付けになどなりようが無い。
「まあ、エルの事もあるし、出来るだけ穏やかな味の料理を探しはするがの。こればかりは地域性が絡む問題じゃからのう」
「お爺様、アルチェムさんの事はともかく、私の事はあまりお気になさらずに」
「いやいや。エルは料理もするんじゃから、あまり極端な味付けに慣れるのはよろしくなかろう?」
「その地域では、その地域の味付けのものを食べてこそ、ですわ」
味覚に対する悪影響を心配するドーガに対し、チャレンジ精神旺盛なエアリスは一歩も引かない。そのまましばらく押し問答を続けた結果、お金に余裕があるんだったら多種少量の盛り合わせのようなものを用意してもらえばいいんじゃないか、と言うアルチェムの提案により結論が決まる。
「……ダールの城門が見えてきたのう」
「あれですか?」
「うむ、あれじゃ」
押し問答も終わってしばらくしたところで、ようやく最後の目的地であるダール王国の首都・ダールが目視できる範囲に近付いてきた。
「何やら、物々しい事になっていますわね」
「そうじゃのう。何やらトラブルでもあったようじゃ」
「そういえば、妙に空が霞みがかっているような……」
アルチェムの言葉に空を見上げる。確かに、砂漠へとつながる方面が妙に霞みがかって見える。大規模な砂嵐の後はこういう天候になると聞いた事があるが、道中の休憩時には、そういう話は聞いた覚えが無い。
「これは、街に入るには少々手間がかかりそうじゃのう」
「こればかりは、仕方がありませんわ」
「アルチェム、すまんが念のために、連中が出て来んようになだめておいてくれんか?」
「そう言えば、あの子たち大人しいですよね」
ここ三日ほどの道中、ずいぶんと大人しかったオクトガルの事を思い出し、そんな疑問とともに居場所として用意してあったタコつぼを覗きこむ。それほど大きなつぼではないため、首から下げたり鞄か何かのようにぶら下げることもできる。そんな小さなつぼの中を確認すると……。
「あれ?」
「どうなさいました?」
「いえ。中にいないなあ、と思って」
「呼んだ~?」
アルチェムの言葉に反応して、唐突にオクトガルがつぼの中に現れる。
「何処行ってたの?」
「退屈だったから、ウルスのお城で遊んでた~」
「出番~? 出番~?」
「あ~、そうじゃなくて、これから検問だから、ちょっと大人しく隠れててね、って言おうと思ってたの」
「りょうか~い」
「お城で遊んでくる~」
アルチェムの説明を聞いて、あっさり転移で馬車の中から消えるオクトガル達。どうやら、このつぼを持ち歩けば、何処にでも自由に行き来出来るようである。恐らくこのつぼに限らずマーキングしてある物資があれば、そこを移動先のポイントに指定できるのだろう。
因みに、オクトガルを連れ歩いている理由はそれほど大したものではない。アルチェムとエアリスの荷物にこっそり紛れ込んでいた奴がいたため、知らないところで余計な事をされるぐらいならと、普通に同行させることにしたのだ。
「お城の皆様には、ご迷惑をおかけします……」
「まあ、しょうがあるまい。排除しようとして排除できる連中でもないからのう」
「本当に、ごめんなさい……」
アルチェムの責任でもないのに非常に申し訳なさそうにしているのを見て、思わず苦笑してしまうエアリスとドーガ。既にオクトガルが日常の風景に組み込まれているのだから、今更来なくなったとしたら、むしろ寂しがる人間の方が多いと言う事は分からないらしい。
「さて、そろそろわしらの番じゃな」
ややピークの時間からはずれているからか、案外待たされずに街に入る手続きが始まる。
「証明書、確かに確認しました。ドル・オーラ殿で間違いございませんね?」
「うむ。間違い無く、ファーレーンで御用商人をさせてもらっておる、ドル・オーラじゃ」
「女王陛下と神官長様から手紙を預かっております」
「ふむ?」
「特に荷物に不審な点もありませんので、このままお通りいただいて結構です」
「手間をかけたな」
門番に入国審査の手数料に多少の心付けを上乗せした金額を支払い、そのまま門をくぐる。門番の注目が外れたところで、エアリスが双方の手紙を確認する。
「……お爺様」
「なんじゃ?」
「このままこの街のイグレオス神殿にご挨拶に伺った後、真っ直ぐ宮殿の方へ向かいましょう」
「……ややこしい話か?」
「そこまでは分かりませんが、どうやらこのまま私達がこの街で普通に宿をとるのは、少々問題があるようですわ」
「ふむ、分かった。ならば、このまま神殿に向かうかの。幸い、道の方は以前来た時とそう変わっとりゃせんようじゃし」
エアリスの申し出を聞き入れ、そのまま真っ直ぐイグレオス神殿に向かうドーガ。後一時間早ければ神殿で宏達と会えたのだが、どうやら運命はこの段階での遭遇を望んでいなかったようだ。結局、この日は宏達の拠点を調べる暇も無く、王宮の方で一夜を過ごすことになる姫巫女一行であった。
「ファーレーンの姫巫女殿は、実にすばらしい娘じゃのう」
「……国際問題になりますので、絶対に手を出さないで下さいよ?」
「お主は妾を何じゃと思っておる? 流石にあの年の娘に手を出すほど落ちぶれてはおらぬ」
「それを信用できないから申し上げているのです」
姫巫女一行を受け入れた王宮では、女王とその腹心が、例によって例の如く、漫才のような会話を繰り広げていた。
「ついでに言うならば、あのエルフの巫女殿にも手を出さないで下さいよ?」
「あれはおそらく、胸を揉まれる程度なら慣れておる感じじゃし、本番でなければ問題なかろう?」
「大有りですよ……」
ここのところ少々禁欲生活が続いたからか、どうにもタガが緩んでいる感じの女王の言動に、とにかくひたすら頭を抱えるしかないセルジオ。正直、神のお気に入りである巫女達に遊びで手を出すなど、後々の怖さを考えれば勘弁してほしいところである。放任主義でおおらかなアランウェンはともかく、アルフェミナはいまの姫巫女に対して非常に過保護だと聞く。しかも、アルフェミナの姫巫女は普通に未婚のファーレーン王族で、その上まだ月のものすら来ていない年頃だ。彼女に手を出すのは、何重もの意味で問題がありすぎる。
「それにしても、タイミングが良かったのやら悪かったのやら」
「微妙に判断に困るところですね」
「一応確認しておくが、姫巫女殿はどういう扱いになっておる?」
「表向きは、ファーレーンに駐在しているダール大使の紹介を得たファーレーンの御用商人、と言う事になっております。魔道具で外見も変えていますので、ドーガ卿が武人である事に気がつくものは居ても、あの一行が姫巫女であると言う事に気がつく人間はいないでしょう」
「もっとも、姫巫女殿の物腰や雰囲気を考えると、単なる商人の娘だと思う人間も少なかろうがな」
「そこまではどうにもなりません」
エアリスのまだ十一歳とは思えぬ物腰や立ち居振る舞いを思い出し、その記憶の中の所作に思わず小さく感嘆のため息を漏らす。何度思い出しても見事の一言で、あそこまで綺麗で周囲に対する配慮に満ちた所作を日常的に行える人間はそうはいない。自分達も含めて、ダールの貴族には彼女に太刀打ちできるほど品の良い人間はいないだろう。
「全くもって、一体どのように育てれば、あの年であれほどの女に育つのか、その秘訣を教えてほしいぞ」
「教わったからと言って、恐らく実践は難しいでしょうが……」
「そうじゃろうな。それに、バルドとカタリナ一派が排除されるまでの境遇が決め手だと言うのであれば、リスクの方が大きすぎてとても参考にもならん」
「あの状況で国が持ったのは、ファーレーンだからでしょう。ダールで同じ状況になれば、あっという間に泥沼の内戦に突入です」
「当然じゃ。あれだけ自身の手足を縛っておったと言うのに、あそこまで王室の影響力が維持できている国など、そうあってたまるか」
王家にそこまでの力が無いダールの場合、自国の王女がかつてエアリスのように無能でわがままで残酷だという風評が立ってしまえば、一気に現王室の解体にまで話が進みかねない。その上ファーレーンと違って、ある程度王家の血が混ざっている人間さえ確保しておけば血統魔法の維持は問題なく出来るとくれば、強硬策で問題を起こした現王室を排除しても、トップが変わることによる混乱の発生以外に困る事が無いのだ。
その上、ダールにはアルフェミナの姫巫女のように、王室が直接関わっている権威はあるが権力は無い類の、本人の人格や能力に一切関係なく、特定の先天的な資質の有無とその強さだけで誰が就任するかが決まる類のポストは存在しない。つまり、問題児扱いされてしまえば、その命や身分を維持できるような制度にはなっていない、と言う事である。
ファーレーンの場合、王族男子の子供か姫巫女およびその候補の子供にしか血統魔法が受け継がれないと言う事もあって、そう簡単に現王室を解体して、と言う訳にはいかなかったのが、先の騒動で泥沼の内戦に突入せずに済んだ最大の理由だ。法や国内の感情の問題で強硬に出る事が出来ず、貴族達になめられていた部分は確かにあったが、大貴族の支持や忠誠までは失われていなかったために、間一髪とは言えそれほど大きな問題にならなかった。他の国では、おそらくカタリナの反乱を待つまでも無く国が崩壊していたであろう。
「何にせよ、ファーレーンはますます強靭な国になるじゃろうなあ」
「次代を担うものが皆、国外に対しては穏健派である事が救い、と言うところでしょう」
「そもそも、外征などあの姫巫女殿が許しはしまいよ」
ここ半年ほどで国民からの人気をこれでもかと言うぐらい集めたエアリス。いかに権力の無い姫巫女とはいえ、彼女が反対するような事を強行できるほど、貴族達の支持基盤は厚くない。それに、外征を行ったところで得る物が少ないのは、ダールやフォーレの側だけでなく、ファーレーンの方でも同じ事なのだ。それならまだモンスターの駆除回数を増やした方が、素材的にも治安的にも余程プラスが大きい。
少なくとも、西方地域で国と国との大規模な争いが起こる心配は、当面はなさそうである。
「さて、とりあえず明日の事じゃ」
「はい」
「連中と姫巫女殿一行は縁浅からぬ関係じゃし、一緒の席で歓待する方がよさそうじゃのう。そういう意味では、今日到着してくれたのはいいタイミングじゃった。急な変更が重なってすまんが、調整を頼む」
「御意」
女王の言葉に一つ頭を下げ、明日の調整のために部屋を出て行くセルジオ。変更が重なるとはいえ、女王の言葉の通り渡りに船ではある。これで、どの程度の歓待をすべきかという点に頭を悩ませずに済むのだから。
「さて、明日がどうなるか、楽しみじゃ」
あれこれ波乱の予感がする状況に、心の底から楽しそうに笑う女王。ダールでの物語も、そろそろ転換点を迎えようとするのであった。
「あら、ヒロシ様?」
「……エルか?」
「はい。このようなところで会うなんて、奇遇です」
「なんか、仕組まれとる気がひしひしとするけどなあ」
翌日の十時ごろ。工房での朝食を終え、迎えの馬車に乗って城に入り、女王の身体が空くまでの間城を見学していると、同じように城を見学していたらしいエアリス一行と遭遇する。ノートン姉妹は何やら重要な話があると城に詰めている神官に呼び出され、この場にはいない。
「で、お前さん達は、どういう設定でここに?」
周囲に誰もいない事を確認し、小声でエアリス達がどういう立場でこの場にいるのかを確認する。
「わしはファーレーンの御用商人、ドル・オーラじゃ」
「孫娘のエル・オーラです」
「お二人の側仕えをしております、アルチェムです」
「なるほど」
エアリス達の設定を聞き、妙に納得して見せる達也。恐らく、部外秘の重要な商談と言う名目で滞在しているのだろう。
「エルちゃん、ドルおじさん」
「なんじゃ?」
「その設定、必要だったの?」
春菜の素朴な疑問に、思わず苦笑を浮かべるエアリスとドーガ。実際、普通ならばエアリスの場合、他所の国に行くのであれば姫巫女と言う立場を前面に出して国賓待遇で出向くべきであり、わざわざ妙な設定をこねくり回してお忍びのような形で他国の王家と接触する理由はないはずである。少なくとも、現在のファーレーンの状況から考えれば、わざわざエアリスが正体を隠さなければいけない理由は思い付かない。
「普通ならば必要はないのですが、今回は私が本来の立場で外遊するには少々時期尚早だと言う意見が多かったことに加え、自由に動きづらい国賓待遇だと困るという事情もありまして」
「あたし的には、物見遊山のためにその設定、って言うんだったら流石に年長者としてちょっとお話が必要だと思うけど?」
「そういう訳ではありません。ただ、各地の巫女様と色々とお話をするのに、内容的に衆人環視の前でと言うのは、少々問題がありますの。それに、私が接触を持ったと言う事が知られると具合が悪い事情もありますので、今の時期に国賓待遇で、と言うのは巫女としてもちょっと」
「何だかややこしい事情がありそうねえ」
「ええ。少々ややこしい事情があります。ねえ、アルチェムさん?」
「本当に、ややこしい事情があるんですよ……」
エアリスに話を振られ、いろいろ先行きが不安そうな表情で力なくこぼすアルチェム。年齢だけで言えばドーガとそれほど変わらない彼女だが、人生経験の濃度と言う面では、この場で最年少のエアリスにすらはるかに及ばない。今回のように、ある種の場数を踏んだ経験が必要な場面では、いろいろと不安の方が先立つ。
「と言うか、アルチェムをウルスから連れ出して、大丈夫なのか?」
「そもそも、エルフをメイドにするっていう設定、微妙に無理を感じる」
達也と澪に疑問点、と言うか不安なポイントを指摘され、苦笑を浮かべるしかない姫巫女一行。家事能力に関してはともかく、それ以外の部分で非常に無理がある事ぐらい、言われなくとも本人達も理解しているのだ。そこら辺をどう伝えようかと少し迷っているうちに、ドーガの腰にぶら下がっていた小さなつぼから、唐突に数匹のオクトガルが飛び出してくる。
「エルフ~」
「巨乳~」
「メイド~」
「巫女~」
「それなんてエロゲ~?」
「やかましい!」
微妙に思っていた事を言われ、思わず全力で突っ込みを入れる達也。本人のせいではないとはいえ、アルチェムの属性は並べてみると妙にいかがわしくなるものが多い。
「つうか、こいつらといつの間に知り合いになってたんだ?」
「四月頭ぐらい~」
「チェムちゃんの荷物に潜り込んでこっそり来たの~」
「お城でエルちゃんと遭遇~」
「遺体遺棄~」
「何の遺体を遺棄したんだよ……」
相変わらず唐突に遺体遺棄と言う単語を持ち出すオクトガルに、どっと脱力しながらも律儀に突っ込みを入れる達也。いちいち突っ込んでいては話が進まないと分かっていても、突っ込まなければそれはそれで話が進まないのが悩ましいところだ。
「まあ、心配せんでも、仕事が止まるほどの悪戯はしておらんよ」
「全然安心できへんのは何でやろうなあ?」
「あははははは……」
流れるような台詞の応酬に、何とも言えない表情で乾いた笑い声を上げるアルチェム。彼女自身も基本的には被害者なのに、オクトガルがアランウェンの眷族だと言うだけでどうしても責任を感じざるを得ない。地味に損な性格をしているエルフである。
「っと、誰か来とる」
「はいはい、隠れて隠れて」
「は~い」
「ちょっと戻ってる~」
どうやら彼らに用があるらしい誰かの足音を聞きわけ、大慌てでオクトガル達に退散を指示する。指示に従いオクトガル達がどこかに転移をし終えたところで、堅苦しい印象の中年にさしかかった頃合いの年頃の男が声をかけてくる。宏達を迎えに来た男で、女王の腹心であるセルジオと言う人物だ。
「お話し中申し訳ありません。陛下の準備が整いました。お茶を用意しましたので、こちらへいらしてください」
「分かりましたわ」
「了解です」
多分オクトガルを見られただろうなあ、などと思いながら、一度ここに出てきた以上、連中なら好き勝手出入りするから一緒だという結論に思い至って、細かい事は考えない事にする一行。とりあえず問答無用で成敗されないように、状況を見計らって女王とその腹心には話を通しておいた方がいいだろうと、別に気にしなければよさそうな事を考えてしまうあたり、なんだかんだで全員オクトガル達を嫌いではないらしい。
そのまま、よく分からない道を五分ほど連れまわされ、微妙に辺鄙な位置にあるやや寂びれた感じの小屋に案内される。
「良く来られた。妾が女王のミシェイラじゃ。このような場所で申し訳ないが、少々公の場では話しづらい事柄も話したいのでな。不便をかけるが、了承してほしい」
「こちらとしても願ったりですので、お気になさらず」
女王の言葉に対し、視線で案内の男に確認を取った上で、この場のメンバーを代表してドーガが答える。エアリスでは無くドーガなのは、念のために表向きの立場にのっとってである。
『なあ、ちょっとええか?』
明らかに毎日屋台に来ては売り物を全種類制覇して、歌まで堪能して帰っていく例の女性が女王だった事に戸惑っていると、宏が念話式のパーティチャットで話しかけてくる。
『どうしたの?』
『あれ、ほんまに女王様か?』
『ドルおじさんの態度を考えれば、間違い無く本物だと思うんだけど』
『何か問題があるのか?』
宏が唐突にパーティチャットで言いだした疑問に、必死に表情を取り繕いながらも更に大きくなった戸惑いを隠しきれない日本人一行。そんな彼らに、かなり大きな爆弾を投下する宏。
『恐らくやけど、この人アルヴァンやで』
『……は?』
宏が投下した爆弾に、辛うじて反応を示せたのは春菜のみ。他の三人はそもそも何を言われたのかが理解できず、完全に動きが止まっている。
「お主ら、何か言いたそうじゃのう?」
「あ~、ちょっと口に出すんははばかられる話ですねんけど……」
「何、この場で何を言ったところで、口外するような者は居らぬ」
「それでもやっぱり怖いんで、質問事項は紙に書いた上で、陛下が確認したらすぐに燃え尽きるようにしますわ」
何とも迂遠な事を言って、ポシェットからメモ用紙とボールペンを取り出して何やら簡易エンチャントを施しながら質問事項を書きつづる宏。そのメモ用紙を二つ折りにして女王以外に中を確認できないようにした上で、念のために腹心に許可を取って直接手渡しする。
メモ用紙に記載された内容を見た女王は一瞬驚きの表情を浮かべ、すぐさま苦笑を持ってその驚きを誤魔化す。中身を知らない腹心と姫巫女一行がその様子を見て、よほど大きな爆弾を投下したのだろうと判断する。もっとも、すでにメモ用紙は完全に燃え尽きており、何が書かれていたかは余人にはもはや確認することすらできないのだが。
「まったく、よもや見破られるとは思わなんだ。流石は知られざる大陸からの客人、と言う事かの?」
「っちゅう事は、やっぱり?」
「うむ。質問の内容については、肯定しておこう。じゃが、心配せずとも、妾は間違いなく本物の女王じゃ。ドル殿とエル殿ならば、その事を証明してくれよう?」
「うむ。この方はまぎれもなく女王陛下ですじゃ」
「どのような質問があったかは存じ上げませんが、まぎれもなくミシェイラ陛下はこの国で最も尊いお方です」
ドーガとエアリスの力強い断言に、かえって混乱の色を大きくする日本人一行。その様子に苦笑し、まどろっこしい状況を変えようと話を進める事にする女王。
「少々ややこしい事になったようじゃ。茶を運ばせたら完全に人払いをするから、少々待つがよい」
「あ~、すんません、ややこしい事言うてしもうて」
「なに、ばれてしまったのは妾の未熟じゃ。妾とて、汝の立場であれば何とか確認しようとするしのう」
などと笑って言い切って、控えていた侍女に茶と茶菓子を運ぶように命じる。
「さて、とりあえず座ったらどうじゃ?」
「それでは失礼しまして」
女王の言葉に従い、特に席順の類を考えずに大雑把に着席する一行。どういう順番が正しいのか、と確認しようとしたところ、まどろっこしいからとっとと座れと言われてしまう一幕もあったが、女王のおおらかさゆえにこれと言って揉めることなく話が進んで行く。
「折角来てもらったからのう。茶菓子はわが国が誇る名産品を用意させた。もっとも、まだまだ生産量が少なくて、原料はともかく加工品の方は余り沢山は用意出来んがのう」
「名産品、ですか?」
「うむ。何、すぐに分かる」
そう言って、客人達の反応を楽しみにしていると言う様子で茶菓子が運ばれるのを待つ女王。それからほどなく、音を立てずにカートを押してきた侍女が、一口サイズの小さな黒い欠片がいくつか乗った皿を、客人達の前に一つずつ並べて行く。
「……えっ?」
「……もしかして、これって……」
「ちょっと待て! これヤバいんじゃねえか!?」
女王とエアリスの前に置かれた皿を見て、顔色を変える達也達。もっとも、それ以上に大きな反応を示す男が一人。
「……」
「ひ、宏君……、だ、大丈夫……?」
予想、と言うより覚悟していたよりも激しい反応に、隣に座った春菜が恐る恐る声をかける。だが、宏は目の前のものに対する恐怖で、春菜の言葉に何一つ反応しない。正確に言うなら、彼の反応は侍女がカートを持ちこんだ時点で始まっていた。
「……何か、まずかったかの?」
「女王陛下が厚意でこの貴重なお菓子を出してくださった事は分かります。私達も故郷に居た時は良く食べていましたし、基本的には大好きなお菓子ですから」
「……お主らの故郷にも、これがあるのか」
「ええ。ですので、人によってこれのせいでひどい目にあう事もある、と言う事で……」
春菜の言葉に、それと知らずに地雷を踏んだ事を悟る女王。この場にいる人間の視線は、チョコレートの乗った皿を前に完全に凍りつき、瞳孔が開いて顔色が土気色になった宏の姿をとらえていた。