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フェアリーテイル・クロニクル ~空気読まない異世界ライフ~ 作者:埴輪星人

ダール編

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第11話

「……どこや、ここ?」

 必死になって呼び掛けてくる声。それに引き寄せられるように、内にこもっていた宏の意識が浮上する。

「宏君!」

「正気に戻ったか……」

 外に意識を向けて真っ先に視界に入ってきたのは、まったく見覚えのない部屋の内装と泣きそうな顔をしている春菜、そして心底ほっとしている様子の達也の顔であった。

「兄貴……? 春菜さん……?」

「状況を説明する前に確認だが、ヒロ、何処まで覚えてる?」

「……ちょう待って……」

 達也に聞かれ、覚えてる最後の光景を必死になって手繰る。

「えっと、確か、王宮に来て、エルとかと会うて、女王陛下のお茶会に参加するって話になって……」

 そこまで思いだしたところで、急激に体が震え始める。お茶会の時に何かあった。それは覚えているのだが、何かは思い出せない。ただ、凄まじい恐怖に耐えきれなかった事だけは思い出せる事から、女性恐怖症関連の何からしい、という推測はできる。

「分かった。大体分かった。だから、無理に思い出さなくていい」

「宏君、大丈夫、大丈夫だから……」


 思い出そうとするだけで過剰な反応を示す宏に、無理に思い出させようとしない方がいいと判断し、そこで話を終わらせようとする二人。この分では、チョコレートが出てきた事について今話をすると、いろんなことが振り出しに戻りそうだ。

「……なんか、申し訳ない感じや……」

「気にすんな」

 この場にいる二人の対応からいろいろな事を察し、何とも申し訳ない気分になる宏。本能が拒絶するため何があったかは思い出せないが、少なくともかなり大変な事になったのは分かる。しかも、非公式とはいえ女王の前での粗相だ。問答無用で無礼打ちされても文句は言えない。

 わざわざこんな部屋を用意してくれているあたり、女王サイドも今回の件を大事にする気はないようだが、それでも粗相をしたという事実は消えない。そんな状況での後始末を仲間達に押し付けてしまったのは、本当に申し訳ないとしか言えない。

「それで、今どういう状況なん?」

「細かい話は後回し、まずは完全に立ち直ってからだ。状況を説明するとなると何があったってところからスタートになるから、今の状態だとまた同じ事になりかねん」

「今は無理しちゃ駄目だよ」

「ほんま、重ね重ね申し訳ないなあ……」

 どうにも仲間にいろいろと洒落にならないレベルで心配と迷惑をかけてしまった事に、今までにないぐらい恐縮する宏。周りから見れば避けようが無かったトラブルだとはいえ、かなり後処理が面倒な問題を起こした事は事実な上、関わっている相手はレイオットのようにある程度気心が知れた王族という訳ではない。

 自分自身でもどうにもならない部分があるとは言えど、毎回毎回同じ事で仲間に迷惑をかけると言うのは、宏本人にとっても不本意な話ではある。だが、いくら意気込みがあろうと気合を入れようと、そう簡単に克服できないのが恐怖症の類である。レイニーとのやり取りの時にあれだけ怯えていたというのに、原因の一人である春菜と一緒の部屋にいて大丈夫であるだけでも、元々の症状からすればかなり改善しているのだ。後はもう、積み重ねしかない。

「そう言えば、真琴さんと澪は?」

「エルちゃん達と情報のすり合わせ中。これからどうするかは女王様も含めて話し合う必要があるから、色々な事が落ち着いてから、もう一度話し合いの場を用意するって」

「なるほど、了解や」

「でもまあ、女王様も忙しいみたいだし、今日は流石にそんな時間は作れそうもないって」

「なんかもう、本気で申し訳ない事してしもうたなあ」

「それはもういいから」

 どこまでも申し訳なさそうにしている宏に優しく微笑みかけ、なだめるように声をかける春菜。そのまるで聖母のような微笑みを見て、昨日のレイニー相手の剣幕とは大違いだと、女の表情の多彩さというやつに感心ともあきれともつかない感想を抱く達也。

「それで、お腹すいてない?」

「あんまり食欲はあらへんなあ……」

「そっか」

「っちゅうか、どんぐらい逝っとった?」

「三時間ぐらいってところか。昼はとっくに過ぎてるな」

「じゃあ、皆飯は食うたん?」

「一応は、な。アルコールがきつい料理と辛い料理が結構多かったから、春菜と澪とエルはそこらへんちょっとメニューを変えてもらうことになっちまったが」

 水が貴重なダールでは、水の代わりに酒を使う料理もかなり多い。昼間から屋台で買えるようなものにはアルコールが入っている物は少ないが、ほとんどの煮込み料理は酒かヤシの果汁か動物の乳にスパイスを混ぜ込んだもので煮込む。その時に殺菌作用を少しでも強くするためか、あまりアルコールが飛ばないように工夫して煮込むものも少なくないため、物凄く辛い上に酒の味がするスープやシチューも結構多いのである。

「なるほど。兄貴の感想は?」

「ああいう味が基本だと、関西風のうどんとかはあんまり受けねえだろうなあ」

「……屋台について文句言うとる癖に、屋台前提の感想が出てくるんってどうなん?」

「癖みたいになっちまってるからなあ……」

 宏達と行動するようになって九カ月ほど。地味に達也も屋台思考が染みついているらしい。

「まあ、そういう訳だから、エルもアルチェムも、流石にちっと苦戦してたな」

「さよか。それやったら、晩飯の時には気合入れとかんとあかんか」

「その方がいいかもな。ま、それほど辛くねえのもあったから、そこまで心配しなくてもいいとは思うがな」

 出てきた料理についての情報を述べて、片時も離れる気はないと全身で意思表示を示す春菜を残し、真琴達に宏が正気に戻った事を告げに出る達也。

「ご飯が要らないんだったら、何か飲む?」

「せやなあ。なんか頼んでええ?」

「うん。何がいい?」

「任せるわ」

 喉は乾いているようだが、これと言って飲みたい物も思い付かず、春菜に丸投げする宏。その意を受けて、すきっ腹にダメージを与えないように、刺激の少ない穏やかなタイプのハーブティを用意する春菜。こちらの世界固有のハーブを使うもので、牛乳などを入れると空腹をある程度満たしながら乳製品特有の胃もたれなどを抑えてくれる、マイルドな味の飲みやすいお茶である。

「はい」

「ありがとう」

「他に何か、欲しいものとかあったら言ってね」

「今は大丈夫や」

 飲みやすい温度に調整されたハーブティーを一口飲み、何処となくほっとした表情を見せる宏。どうやら、無意識のままにかなりいろいろな事に対して気を張っていたらしい。なんとなく警戒を続けていた宏がようやく肩の力を抜いたのを見て、心の底からの安堵と喜びの感情が浮かぶ春菜。

 自分がとことんまで宏に惚れこんでしまったらしいとまたしても自覚しながら、この穏やかな時間がもっと続いて欲しいと切に願ってしまう春菜であった。







「で、大体予想はついとるんやけど、そろそろ僕が何やらかしたか教えてくれへん?」

 夕食が終わり、あてがわれた部屋に引き揚げたところで、こっそり隔離結界を張りながら仲間達に問いかける宏。流石にもう夜も十時を過ぎているのだ。いい加減精神的にも落ち着いているし、覚悟を決めればかなりショックな内容でも取り乱せずに聞く事が出来るはずである。

 なお、当事者だと言う事で、エアリス達も同席している。ノートン姉妹は何やら城に来たくなかった理由に関するあれこれで、どうにも今日明日ぐらいは身体が空かないらしい。城に来てからは晩餐の席以外では顔を見ていない。

 因みにこの隔離結界、念のために女王だけは除外設定してある。

「話すのは問題ないけど、アンタ本当に大丈夫なの?」

「不意打ちやなかったら、根性入れればさっきみたいな事にはならへん、はずや」

「感じ悪い事をあえて言わせてもらうけど、あたしとしては正直、今回に関しては何回もフォローするのは嫌よ?」

「分かっとる。僕も正直なところ、聞かんでええんやったら聞かんと済ませたいとこやけど、それはいろいろまずそうやん」

 きつめの言葉とは裏腹に、なんだかんだいってそれなりに心配している様子を見せる真琴。そんな彼女に対して、どうにもならないであろう現実を突きつける宏。分かっていた現実に小さくため息をつくと、余計な事を思い出させないように出来るだけ簡単に何があったかを説明する事にする。

「何があったかは簡単よ。お茶受けにチョコレート、こっちではカコラって言うらしいんだけど、それが出たのよ」

「……やっぱりか。それで、大体の事は思い出したわ」

 真琴の説明を聞き、微かに震えながらどうにか冷静さを保って静かに呟く宏。その様子に、どうにも心配が止まらない一同。

「ヒロシ様、あまりご無理をなさらないように……」

「状況的に、多少は無理せんとあかんからなあ。悪いんやけど、これぐらいはちょっと見逃して」

「……これ以上は、と言う状況になりましたら、私と春菜様が力ずくでも話を終わらせます。それでよろしいですね?」

「了解や」

 どういったところで宏が引くような状況ではないと判断し、ため息交じりに妥協するエアリス。下手に精神力が強いからか、時折とことんまで我慢してしまうのが怖いところだ。

 そのまま、宏が思いだしたであろう内容と実際に起こった事、それらについて確認を終え、その後どうなったかについて詳しい話を終えたところで、達也が思わずといった感じでため息とともに思った事を口にする。

「しかし、ヒロ」

「何や?」

「それだけチョコレートが怖いのに、向こうでよく普通に生活出来たな。買い物の時とか、どうしてたんだ?」

「ある、っちゅうんが分かってる場所やったら、どうとでもできるで。スーパーとか、チョコレート製品が置いてある場所はしれとるから、お菓子コーナーと新製品コーナーに近寄らんかったらそんなに問題にならへん。どうしても近寄らなあかん時は、根性入れて出来るだけ早く通り過ぎるようにしとったし。まあそもそも、僕の個人的な買い物はほとんどネット通販でどうにかしとったから、普通の店で買い物するんも月に一回あらへんぐらいやったし。それに、チョコレートは怖いけど、嫌いな訳やないんよ。せやから、写真とか絵で見る分には恐怖症も出えへんし」

 宏の言葉に、妙に納得する。そもそも宏の場合、チョコレートの問題が無くてもスーパーマーケットなどでの買い物はハードルが高い。曜日や時間帯にもよるが、少なくともスーパーマーケットはウルスの平均より大幅に人口密度が高い。しかもスーパーマーケット、特に食品スーパーの場合、全体的に男女比が女性に偏っている事が多いため、女性恐怖症の宏には中に入ること自体が非常に覚悟がいる行動となる。

 これがコンビニになると人口密度によるハードルは下がるが、今度はチョコレートと距離を取るのが面倒なことになる。そのため、これまたよほどの理由が無い限りはコンビニに入って買い物、などと言う事は考えない。

 そんな状況でよく普通に高校に通えるものだ、と思わなくもないが、宏達が住んでいる地域が都会的な田舎、と言う感じで、通っている高校もそんなに人口が多い地域にはないため、登下校および校内に居る時の人口密度がウルスを大幅に下回っている。もっとも、宏と春菜が住んでいる市自体はとある財閥の本拠があったりVRシステムをはじめとした様々なオーバーテクノロジーを開発した天才が住んでいたりと知名度そのものは高く、さまざまな産業も発達しているため人口そのものは多い。そのため、駅前や繁華街などは大都市圏にも負けない賑わいを見せていたりするのだが。

「っちゅうか、自分らがほんまに聞きたいんって、何でそこまでチョコレートが怖なったか、やろ?」

「そりゃ、ここまでの事だから、な。後々フォローするためにもある程度の事は聞いておきたいが、お前さんの古傷えぐってまで聞く気はねえよ」

「ヒロシさん、無理はいけません」

「そもそもヒロシよ。お前さんのその恐怖症、わしらが経緯を知っておったからといって、問題の解決に役に立つものなのか?」

「まあ、解決にはならんやろうなあ」

 ドーガの疑問に、苦笑しながら同意する宏。実際、知ったところでどうなる訳でもない。話をすることで信頼している事を示す、などと言うのも今更すぎる。まったく無意味ではなかろうが、有意義な行動でもない。そんな事はこの場にいる人間全員が分かっているため、知りたいとは思っても誰も口に出さなかったのだ。だが

「師匠が話してもいいのなら、ボクは聞きたい」

「澪?」

「ボク達が話を聞く事で、少しでも師匠が前向きになれるんだったら、どんな内容でもボクは聞く」

 微妙に牽制しあって動きが取れなかった一同の膠着状態を潰すために、澪があえて地雷を踏みに行く。この部分では終始態度が一貫していた澪だからこその態度であろう。

「……私も、知りたい」

「春菜?」

「春姉?」

「知ったところで解決できないとしても、何があってそんなに苦しんでるのかは知りたいよ。知らなきゃ、どう支えていいかも分からない。見当違いな事をして余計に傷つけちゃうかもしれない。それに、何があったかを知れば、少なくともその痛みを少しは分かち合えると思う。だから」

 そこで言葉を切り、宏の瞳を正面から見つめる。ひと呼吸かふた呼吸かの沈黙の後、春菜は己の覚悟を口にする。

「今の状態で話せる範囲でいい。宏君、何があったのか、教えて」

 この言葉を発した事で、もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。そんな恐怖すらねじふせて、春菜は宏の身に起こった事を尋ねる。恐らく、今を逃せば、二度とこの話をする機会はない。それに、この男を愛するのであれば、自分はこの事について知っておかねばならない。この話を聞いて、その結果生じた人間関係の不都合を乗り越えて、初めて勝負の場に立てる。根拠など何もないが、春菜はいま、その考えを欠片たりとも疑っていない。

 澪に乗っかる形になってしまったが、恐らく誰も言いださなければ春菜が先に言っていただろう。後れを取ったのは単に、それらの覚悟をきめるのにかかった時間の差である。エアリスはこういう時は宏の判断に従うため、彼が話すと言えば、春菜達のような仰々しい態度を取らずに、ただ静かに何が起こったかを聞いただろう。こういう話を聞く事に関しては、春菜達といえど姫巫女として常日頃から鍛えられている彼女にはかなわない。

「まあ、おそらくは大した話やないんやけど、な」

 そう逃げ腰の前置きをして、覚悟を決めるように深呼吸をひとつ。そして、微妙に震える体を抑え込みながら、まずは結論を簡単に告げる事にした。

「何があったかっちゅうのを簡単に言うと、や。バレンタインに生のひき肉入った義理チョコ無理やり食わされて、食中毒起こして死にかけてん」

 あっさり言うような内容ではない事を、努めて軽く言ってのける宏。ある意味予想していた内容の、少々予想を超えた部分に誰も何も言えず、その場を沈黙が覆った。







 宏が話した内容は、予想よりひどかった。

「……また、えぐいな……」

「……そりゃあ、女性恐怖症にもなるわね……」

 その後、宏がぽつぽつと話した事件の一部始終を聞き、うめき声のようなコメントを絞り出す達也と真琴。他の人間は、現実に起こったとは思えないその話の内容に絶句し、とても言葉を発する事が出来なかった。

 宏の話を要約すると、次のようになる。

 中学二年のバレンタインデー。一時間目の最中に机の中に仕込まれていた義理チョコを装ったその危険物に気がついてしまった事が、事件の発端だった。差出人不明のそれに気がつき、非常に嫌な予感がしたためこの時点では見なかった事にしようとした宏の目論見は失敗し、隣の席の女子生徒の告発でその存在がクラス中に明らかにされてしまった事が、宏にとってもこの中学にとっても不幸の始まりであった。

 半年ほど前から徐々に激しくなっていた女子生徒達の宏に対するいじめは、この時も平常通り当たり前のように速やかに行われた。とはいえ、最初の段階では、いじめとまでは言えなかっただろう。単にその場で食べて感想を言え、と言うだけのものだったのだから。

 これが真っ当なちょっと不味い程度のチョコレートであれば、我慢して普通に食べて無理やり美味しかったと言わされて終わり、だったはずだ。だが、そのチョコレートは中にほぼ腐ったと言っていいほど傷んだ生の牛と豚の合挽き肉が仕込まれ、味付けもかなりめちゃくちゃだった。はっきり言って、とても食えた味ではないそれを吐き出そうとした宏は、運動部の女子数人に押さえつけられて無理やり飲みこまされた後、数発殴られて残りも全て食べさせられる羽目になった。

 流石にあまりにも宏の様子がおかしかったために、男子生徒のほとんどは最初に吐き出そうとした時点で女子を止めに入っていた。いたのだが、バレンタインデーにもらったチョコを無碍に扱うという行為に、日ごろは目立って宏に攻撃的な態度を取っていなかった女子まで結託したために、阻止するには至らなかった。もしこの時、男子まで敵に回っていたら、宏の女性恐怖症は重度の対人恐怖症となり、二度と病院から出てくる事はなかったにちがいない。

 そんなものを食べさせられて無事で済む訳も無く、昼休み前に見事に食中毒を起こした宏は、ある意味幸運である意味不幸なことに保健室で胃袋の中身を全てぶちまける事になった。この時吐いたのが保健室でなければ、恐らく食中毒の原因がこの生肉入りのチョコレートであった事が特定されず、事件として扱われる事も無く、これをネタに更にいじめられる事はあってもこの後起こった女性恐怖症を重症化させる事件も発生しなかっただろう。

 関係者全員にとってもう一つある意味で不幸であった事があるとすれば、この日の宏は寝坊して朝食をとっておらず、前日は普段より早い時間に夕食を終えていた事であろう。結果的に十二時間以上の絶食をしており、胃袋の中がほとんど空であったために、食中毒の原因が他にあり得なかったのだ。

 発症した食中毒がかなり性質が悪いものだった事もあり、宏は三日三晩生死の境をさまよった上他の症状で二週間入院することになった。その入院中に、無理やりチョコを食わせた女子生徒が身内がいない時間に謝罪を口実に見舞いに来て、とことんまで罵詈雑言をまき散らして人格どころか生存権まで全否定して帰って行くという出来事があり、その事を予想していた宏の数少ない男の友人によってこっそり録画されていたその事件は、無修正でいくつかの動画サイトに前後の経緯も含めてアップされ、瞬く間に大騒ぎになってしまったのだ。

 かなり度を越したその光景が日本中に広まった結果、宏達の中学では次々にカップルが破局、その原因として恨みを集めた発端の女子生徒達は宏を逆恨みして殺人未遂を犯し、現行犯逮捕。それまでに何人かの女子がその事について恨み節をぶつけに来ていた事もあり(最初の見舞いの翌日には病院側が面会謝絶を行っているが、他人の見舞いの振りをして無理やり侵入した生徒が何人かいた)、宏はめでたく重度の女性恐怖症となって二カ月ほど集中治療室で二十四時間VRシステムによる特別治療を受け、更に半年ほどはずっと特別なカウンセリングを受け続けることとなり、保健室登校が出来るようになったのすら夏休み終わりからかなりたってからで、それすら週に一日か二日、と言う程度だった。

 結局冬休みには今の地域に引っ越したため、中学三年の時は学校には合計でも二週間程度の日数しか登校していない。

「そう言えば、犯人が見つかって無いって、どういうことだ?」

「そら簡単や。あのチョコを誰が入れたか、はっきりせえへんねん」

「はあ?」

「残念ながら、監視カメラどんだけ解析しても、クラスメイトにゃチョコ仕込める人間が居らんかってん」

 発端となった義理チョコに関してだけ言うならば、クラスメイトは間違いなく全員白だった。クラスメイト以外なら候補は三人ほどいるのだが、うち二人はそもそもチョコレートを作っていない事や、その家がひき肉を最後に購入したのが一カ月以上前であることなどから可能性は低いと判断せざるを得ず、残りの一人は調査しようにも事件の翌日に一家揃って日本を出ており、現在も帰ってきていないため捜査が中断。出国理由が父親の左遷に伴う急な海外転勤で、時期以外にはその背景に特に不自然な点も無く、更に容疑者が事件当時少年法の範疇であったために証拠不十分な容疑では呼び戻すことも難しかったため、現在も捜査は中断したままである。

「まあ、そういう訳で、チョコレートがものすごい怖いねん。元々チョコは普通に好きやったんやけど、あの日以来匂いだけでもあかんなってなあ……」

「そら、無理もないだろうよ……」

「もしかして、ひき肉料理で身構えるのも……」

「まあ、そういうこっちゃ。ただ、幸か不幸かチョコのおかげであんまり肉っちゅう感じもせえへんかったから、チョコみたいに拒否反応が出るほどやないんやけどな」

 力なく笑いながらそう告げてくる宏だが、春菜としてはまったく笑えない。

「と言うか、さ」

「ん?」

「あんた、そこまで女子に嫌われるようなタイプには見えないんだけど……」

「あ~。真琴さん、中学生女子のダサい男子に対する容赦なさっちゅう奴を、甘く見たらあかんで」

 宏の言葉に思うところがあるのか、苦い顔で同意するように頷く春菜。澪も何か心当たりがあるのか、師匠に一票とぼそっと呟いている。

 中学ぐらいだと男女関係なく、他人に対する評価項目は大抵見た目や雰囲気が一番上に来て、人間性などはかなり下の方にくる。もっと言うならば、中学の時ほどひどくないと言うだけで、高校での宏の女子からの評価はかなり低い。

 更に言うならば、中学生当時の宏は人格的にもダサいという欠点を克服できるほど魅力的な訳では無かった。ヘタレと言う点は変わらない上、ちょっとした事ですぐ泣く泣き虫だったこともあって、どうにも周りがイライラして殴りたくなるタイプだったのだ。無論、だからと言って殴っていい訳でもなく、またそういう事をするから余計に泣き虫になるという悪循環に陥っていた部分もあるが。

「それに、当時はひどい鼻炎でなあ。始終鼻ぐずぐず言わせとったから不潔やいうんで、小学校の頃からそらまあいじめられたわ。性格的にも明るい訳でもなかったし、運動神経も体力も無かったから余計やで」

「そういう事か」

「そういう事や。スクールカーストと監獄実験、っちゅう奴やな」

 大抵の場合、公立中学はその地区の小学校がそのまま持ちあがる。小学校の頃のいじめられっ子と言うのは、中学に入ってもほぼ確定でいじめられっ子である。

 そして、スクールカーストで最下位扱いされると言う事は、その学校に在籍している間はほぼ人権など認められない、と言う事でもある。宏にとって幸いだったのは、フェアリーテイル・クロニクルで職人をやっていたため、同じ中学にもそれなりの人数、男子の友達がいたことだろう。女子の友達もゼロではなかったが、ゲーム内ではともかくリアルでは一切接触がなかったので、この場合はカウントしない。逆に不幸だったのは、先生がむしろスクールカーストを積極的に強化するタイプが多かった事で、特に女の先生にその傾向が強かった事が宏の女性恐怖症と女性不信に拍車をかけている。

 人間と言うのは慣れて忘れる存在だ。そういう状況が続くと、どんなにエスカレートしてもそれが普通の事だと認識してしまうのである。結果として、自分達がやっている事が悪い事だという認識が完全に無くなり、相手が本来自分達と同じ立場と言う事を忘れてしまうのだ。その事を証明したのが、監獄実験と言う実験である。

「なんかこう、色々思い出してちょっと腹立ってきたよ」

「思い出したって、何を?」

「当時の新聞記事とか。ああいうのって、絶対いじめられる方に原因があるんだから、って言うよね?」

「あ~、言うよなあ」

「いじめられる方に原因があったとしても、集団で一人を攻撃した揚句のはてに再起不能に追い込むのは擁護出来るような事じゃないのに、絶対にいじめられる方が悪くていじめる側には非が無いんだから、いじめられる側の指導を徹底しろ、って言ってくるよね?」

「場合によっちゃあ、いじめがエスカレートした揚句リンチして殺したケースにまで、そういうコメント言う奴いるよなあ。流石にその手のケースだと、賛同者は少ないが」

 いじめに限った話ではないが、何か事件が起こった時、当事者の一方だけに原因や問題があるケースなど一握りにすぎない。割合の問題はあれど、当事者双方に何かの問題がある事がほとんどで、大抵は一方がどれほど改善しても問題が解決しないのだ。そもそも、片側だけに原因や問題があるのであれば、その原因や問題が解決すれば感情的なしこりは残れど、それほどこじれずに事件が終息するものである。

「とりあえずそんな感じやから、カウンセリングの先生とフェアクロでのリハビリのおかげで、何とか最低限共学の学校で勉強できるとこまでは回復したんやけど、女の人に関しては触るんも触られんのもはっきり言うて怖い」

 自身の首を撫でながら、そんな事を言う。女の力とは思えない怪力で首を絞められ、窒息させられかけた事が原因で、余程覚悟を決めていないと、手が届く範囲に女性がいると落ち着かない。自分から触るのも、触った瞬間に相手が切れて自分を殺そうとするんじゃないかという被害妄想が抑えられず、近寄ること自体が非常にきつい。

 ゲームの時の人間をやめた精神力が適用されているからか、こちらの世界に飛ばされてからは女性に近寄ることによる心理的なプレッシャーはずいぶんマシになっている。だが、精神力で押さえるのも限界があるらしく、長時間接触したり接触した状態で殺気をぶつけられたりすると、容易く取り乱してしまう。チョコレートに至っては、包装も何もしていないものがあると、それが手が届く範囲でなくてもアウトだ。

「だったら、無理して共学に通わなくてもいいんじゃねえか?」

「うちの場合、家と工場、両方の引っ越しが噛んどってな。話持ちかけてきた得意先の親会社が安く用意してくれた土地っちゅう奴が第一種工業地域やから二階に家とかやると物凄い不便な上に、歩いてとか自転車で通える範囲に高校とかあらへんかってな。で、うちらの地元にある男子校って、全寮制か無茶苦茶ガラ悪いか物凄い遠いかで、どこもちょっとっちゅう感じやってん」

「あ~、うん。確かにそうだよね」

「春菜さんも分かるか」

「うん。宏君の家がうちの高校から歩いて通える範囲にあるんだったら、男子校って碌なところないよね。工場が中央工業団地にあるんだったら、一番まともな男子校の近くまで車で一時間ぐらいかかるし、あの近辺は町工場とか無理だったと思うし」

 地元民にしか分からない話題で盛り上がる宏と春菜に、何とも言えない視線を向ける一同。話についてはいけないが、男子校と言う選択肢がなかったらしい事は、なんとなく伝わっては来る。少なくとも、全寮制と言うのは逃げ場がないという点で、三年前の時点では選択肢として成立しなかったのだろう。

「まあ、そう言う訳で、先方が事情を聴いていろいろ段取りしてくれた中に学校の事もあって、向こうさんが勧めてきたんが今の高校やってん。僕みたいなケースが一番安心して通える、っちゅう話で、聞くにたがわず物凄いいろいろフォローしてもらってんで。多分、違う高校やとまたすぐに不登校やったと思うわ」

「……なるほどね」

 一連の話を聞いて、いろいろな事が腑に落ちた真琴。ヘルインフェルノをあそこまで減衰させられる精神力を持っている割に、女性関係では呆気ないほど壊れてしまう不自然さ。戦闘廃人で春菜以上にデータに精通している真琴にとって、上級魔法を普通にキャンセルできるような抵抗値を持つ人間が、そこまで簡単にパニックになるのはおかしいでは済まない話だった。

 明らかに演技ではない以上、実際に宏が壊れそうなほど恐怖心を感じているのは間違いなかったが、そこまで怖いのなら、逆に春菜と一緒に行動できる事の方がおかしい。そう思っていたのだが、実に簡単な話だった。

 要するに、それだけの精神力が無ければ女性と一緒に行動できないほど、彼の女性恐怖症がひどかっただけである。そして、良くも悪くも春菜が上手くトリガーを避けて宏の負担を減らしていたから、真琴や澪、更にはエアリスが一緒に居てもどうにか問題なく行動出来ていただけなのだ。

 恐らく、日本にいた時は、宏にとって安全な距離はもっと遠かったに違いない。共学で大丈夫だったのは、学校側の手厚いフォローにくわえて、本人が女性と一緒に行動する機会を出来るだけつぶすように立ち回っていたのだろう。

「やっぱり、学校なんて行くもんじゃないわねえ……」

「いや、そりゃ流石に極端じゃねえか?」

「あたしたちみたいな人種は、場合によっては学校は地獄なのよ」

「せやなあ。今の学校はまだましやけど、中学は本気で地獄やった」

「入院してから、毎日が快適」

 いろんな意味で日本の社会に適合できていない三人。ひところに比べればずいぶんマシになったと言っても、日本の教育や社会のゆがみはまだまだ根深いらしい。

「なんか、ごめんね?」

「いや、春菜さんは関係あらへんやん」

「中学の時の事はともかく、うちの学校で宏君の居心地が悪いのって、確実に私も関わってそうだから……」

「春菜さんは別に陰口とか叩かへんし、ダサいからっちゅうだけで生存権認めへんような事あらへんやん」

「それは当り前の事って言うか、単に男の子のファッションセンスとかに興味無かっただけっていうか……。それに、そういう事言ってる娘を嗜めたりとかしてないし……」

「そんなん、春菜さんが言うたぐらいで価値観変わるかいな」

 宏が、ありとあらゆる可能性をバッサリ切り捨てる。顔がいいだけの変な男に捕まって痛い目を見る、などという経験でもしない限り、今の歳ではそういう価値観は簡単には変わらない。外見は生きていくのにそこまで役に立たない事を理解するには、社会に出てそれなり以上に揉まれないと難しいだろう。

「ヒロシ様。私達が、怖いですか?」

 宏と春菜が押し問答に入りそうになったところで、エアリスが唐突にそんな事を問いかけてくる。

「正直に言うと、そっちから普通に手が届く距離に居る時は、怖い」

「では、今の距離では?」

「今は怖くない」

「それは、私達だからですか? それとも、単に逃げられるだけの距離があるからですか?」

「……春菜さんとかエルとかでなかったら、こんな長い時間同じ部屋にゃ居れんで……」

 宏が春菜やエアリス、澪相手に緊張せずに済む距離は、現在半径九十センチ。お互いもうちょっと手を伸ばすか、もう一歩踏みこまなければ手が届かない距離。アルチェムはエロトラブルの関係からその距離は辛いが、単に椅子に座って話をしているだけならば、オクトガルさえいなければ同じぐらいの距離でも平気である。

「私やハルナ様が怖い、という訳ではないのですね?」

「春菜さんは最近、たまにものすごい怖いときがあるけど、基本的にはそうやな」

「あ~、ごめんね。つい過剰に反応しちゃって……」

「出来たら澪らと結託すんのやめて。あれ、本気で死ぬほど怖いから」

「本当にごめんね……」

 春菜の謝罪に、苦笑するしかない日本人一行。春菜が過剰に反応したり澪達と結託したりするのは、大抵宏に関わる問題がある時だ。宏を守ろうとして過剰反応を示した結果、当の宏を怖がらせるという本末転倒ぶりは、恋する乙女の面目躍如といったところか。

 因みに、レイニーの時に妙に真琴が彼女を嫌っている様子だったのは、結託した際に春菜達に引きずられたからである。春菜が妙に過激だったのも同じような理屈だ。

「とりあえず話を戻しますね」

「あ~、ごめん。思いっきり話の腰折ってしもたなあ」

「いえいえ。お気になさらずに」

 春菜が過剰反応する原因を察して微笑んでいたエアリスが、とりあえず話を戻す。

「異性と触れ合うのが怖い、と言うのであれば、私達で練習してはいかがですか?」

「練習?」

「はい。とりあえず、軽く手を握ることからスタートでどうでしょう?」

「それって、普通でもハードル高ない?」

 宏の言葉に、顔を真っ赤にしながら首を縦に振る春菜。軽くとはいえ手を握るとか、恐らく幸せの余り緊張しすぎて、まともではいられないだろう。

「手を握る、というのが難しいのであれば、手や肩など、日常生活で接触する可能性がある場所に軽く触れる、というのでも結構です。いかがですか?」

「えらく過剰に押してくるやん……」

「私は、人とは究極的には触れ合う事を求める生き物だと思っています。触れ合う事で救いを得る生き物だと思っています。なのに、ヒロシ様が触れ合う事が怖くて、触れ合う事で得られる救いに手が届かないのはとても悲しいのです」

 真剣にスキンシップの重要性を語るエアリスに、同意するように頷くドーガと達也。既婚者である二人は、心を通わせた相手と触れ合う事で得られるもの、その大きさについてよく理解しているのだ。

「私達なら、大丈夫です。ヒロシ様を傷つけるような事は決してしません。ですから、女性と触れ合う事を怖がらないでください」

 そう言って春菜に目配せをし、宏のそばに歩み寄って右手にそっと触れるエアリス。エアリスの真意を察し、勇気を出して宏の左手に手を添える春菜。まさしく両手に花、と言う体でありながら、何かに耐えるような宏の表情をじっと見つめ、これが限界だろうと悟ったところで手を離す。解放感とともに、ほんのわずかながら感じる寂しさに、少しばかり戸惑いを覚える宏。

「こういう感じで、少しずつ私達が近くにいる事に慣れていってはいかがでしょうか?」

「ハードル高いなあ……」

「そうかもしれませんわね」

 予想より穏やかな声でぼやく宏に、くすりと笑いながらすっと離れるエアリス。春菜ほど近くなく、アルチェム程遠くなく、澪ほど棘のある対応をしてこなかったという絶妙の距離感を利用した、ある意味見事な戦法である。

「宏君……」

「ん?」

「あのね……」

 もう一度、今度はもう少しだけ強く宏の手を取り、ありったけの想いを込めて宏の目を正面から見つめる。春菜の青い瞳に自分が映っている事に対して妙な違和感を覚えながら、触れられている事に対する恐怖心を必死になって押さえて次の言葉を待つ宏。

「今回みたいな事で何かあっても、私が全力で宏君を守るから、ね」

 昨日風呂場で散々からかわれたその決意を、今度は昨日よりはるかに冷静な状態で口にする。恋心の熱に浮かされている事は否定しないが、それはエルフの森で自覚してからこっち、いつもの事である。少なくとも昨日のようにまともな判断が出来なくなっている訳ではないのだから、十分冷静であろう。

「だから、ほんの少しでいいから、私達の事を信じてくれると、うれしい」

 そこまで告げて、名残を惜しむように手を放し、元の位置に戻る春菜。春菜が手を離した事で恐怖から解放され、心の中で安堵のため息をつく宏だが、やはり、意識できるかできないか程度に感じるほんのかすかな寂しさに、内心で大きくなる戸惑いを隠せないのであった。







「さて、ラブシーンはもう終わりかのう?」

 春菜とエアリスの、無暗に愛情がたっぷり詰まった行動の余韻。それをぶち壊すようにそんな言葉がかけられる。

「……いつの間に?」

「そうよのう。姫巫女殿がそちらの工房主に、自分達で女体に触る練習をしてはどうか、と提案したあたりからか?」

「結構前から居ったんやなあ……」

「全然、気がつかなかった……」

 どうやら、一国のトップの目の前で、ずいぶんと大胆で恥ずかしい真似をしてしまったようだ。仲間内だけでも後で思い出したらのたうちまわりそうになる事請け合いだと言うのに、女王様の前でと言うのは致命的に恥ずかしい。

「知らぬこととはいえ工房主殿には随分酷な真似をしてしまったからのう。流石に謝罪なしではこちらの気が済まんからと思って来てみたら、実に割り込みにくい状況になっておってな。まあ、おかげで、ずいぶんいいものを見せていただいた。若いと言うのは実にいい。そうは思わんか、ドル殿?」

「そうですな。わしも若いころは、それはもう女房と熱烈に愛し合ったものですじゃ」

 宏と春菜の様子に調子に乗った女王が、ドーガを巻き込んで次々に追い打ちをかけてくる。因みに、ドーガはいまでも奥さんとはラブラブである。

「愛されているではないか、工房主殿」

「いろんな意味で勘弁してください……」

「罰あたりな事を言うのう。男なら、全員俺のものになれ、ぐらい言って見せてはどうじゃ?」

「残念ながら、うちの故郷では複数の女囲うんは、法的にも社会的にも認められてへんのですわ」

「そうなのですか?」

 宏の言葉に不思議そうに反応したのは、何とエアリスであった。この場で最年少の少女の反応に、日本人の視線が集まる。種族的に重婚という考え方が無いアルチェムも同様である。もっともオルテム村の場合、一度子供を産んで育て終えたら、ばれない限りは浮気OK、などというとんでもない暗黙の了解が無い訳でもないが。

「なんか、おかしな言葉を聞いた気がするんだが……?」

「おかしなも何も、別にファーレーンでは複数の男女が婚姻を結ぶ事を禁止していませんが?」

「そ、そうなんだ……」

「もちろん、当事者がちゃんと心の底から納得していることが前提ですし、貴族の当主は側室を持つ事は許されても重婚は認められていませんが」

 所変われば価値観は変わるもので、どうやら国全体の雰囲気が緩いファーレーンは、そこのところも結構緩いようだ。

「そういうもんなん?」

「そうじゃのう。そもそも、重婚を一切認めておらん国の方が珍しいし、我がファーレーンは比較的要件が厳しい方じゃな。少なくとも、男二人と女三人、などと言う組み合わせでの重婚は認めておらぬからのう」

「そんな組み合わせを認めてる国もあるんだ……」

「ウォルディスなんぞがそんな感じじゃな。もっとも、彼の国の場合、そもそも結婚というシステム自体が名前だけのもの、という感じではあるがの」

 ドーガの解説に、世界の広さに感じ入ってしまう日本人一行。

「まあ、ドル殿やそちらの魔術師殿のように、一人の女房を徹底的に愛しぬく人間も珍しくはないし、庶民の大半は男女一対一の夫婦関係を築いておるがのう」

「それやったら、僕が文句言われる筋合いはあらへんのと違います?」

「いやいや。工房主殿のようにもてる男が、ある程度女を囲ってくれんと女が余る」

「は?」

「少なくとも我がダールでは、女の方が数が多いのじゃ。もっとも、こちらに入ってくる情報を見る限り、ほとんどの国が同じ傾向らしいがな。因みに最近の出生数だと、六対四まではいかんが、六割に近い程度には女の数の方が優勢か? そこに加えて男の方が体力を使う危険な仕事をこなす事が多いから、必然的に死にやすくなる、という事情もある」

 女王の解説に、何とも難しい顔をしてしまう日本人一行。ウルスにいた時にはそれほど意識しなかったが、思いだしてみれば子供は女の子の方が多かった気がする。屋台や店で働いている人間も、全体で見ればやや女性に比率が偏っていたかもしれない。男は店よりも力仕事や外に出ていく仕事が多いからかと思っていたが、単純に女性の方が数が多い、というのも納得できない訳ではない。

 因みに当然のことながら、ファーレーンやダールでカウントしている出生数などの数字は、それほど正確なものではない。そもそも国が把握している人口自体、実際の総人口より二割から三割は少ないのだから当然だ。だが、その把握できていない二割から三割が、把握できている人口動向とは反対の性別に極端に偏っている、などという事も普通はない。故に、国が把握している男女比は、基本的にそれほど大きく狂う事はないのである。

「そういうわけじゃから、妾の体で女体の神秘を味わってみるのはどうじゃ? 歌姫殿や姫巫女殿、エルフ殿を相手にする時に大いに役に立つぞ?」

「そんな何重もの意味で怖い事出来るかい!!」

「むう、残念じゃ。まあ、歌姫殿の目が怖いし、ワームの餌になるのも勘弁願いたい。先ほど無作法をしたところでもあるし、ここは大人しく諦めるとしようかのう」

 冗談めかしてそんな事を言って、婀娜(あだ)っぽい視線を次は春菜に向ける。

「ならば、歌姫殿。妾のもとで、男を悦ばせる技を磨いてみぬか?」

「……遠慮しておきます」

「純潔を奪わぬことは保証するが?」

「それを胸を張って宣言できなくなりそうなので……」

「むう、頭が固いのう」

 いろんな意味でお堅い春菜の対応に、本気で残念そうにする女王。達也をロックオンしようとして本人に睨まれ、肩をすくめて色々あきらめる。

「とりあえず、女王陛下がアルヴァンや、っちゅうんはこれで確信しましたわ」

「そうそう。それについて聞こうと思っておったのじゃ」

 宏のコメントで、とりあえず本来するつもりであった方向に話を戻す女王。

「工房主殿、いつどこで妾がアルヴァンだと分かった? そもそも、アルヴァンとしてそなたと顔を合わせたのは、一度だけだったはずじゃ」

「女王がアルヴァンやと分かったんは、さっきの顔合わせの時ですわ。ただ、アルヴァンが女やっちゅうんは、その最初の一回ではっきり分かっとりましたで」

「根拠は?」

「根拠、っちゅうんも難しんやけど、女かどうか自体は、見ればすぐ分かりますねん。なにせ、どんな格好しとってもどんな性格しとっても、女っちゅうんはそれだけでものすごい怖い訳でして」

「……ほんに、筋金入りじゃのう」

 宏の説明に、呆れたようにコメントする女王。そこに、今まで口を挟もうとして挟めなかったアルチェムが、素朴な疑問を口にする。

「あの、質問いいですか?」

「なんじゃ?」

「アルヴァンってなんですか?」

 アルチェムの基本的な質問に、場が妙に沈黙する。その様子に、聞いちゃいけなかったのかとおろおろするアルチェム。そんな場の空気を軟化させたのは、当のアルヴァンである女王であった。

「そう言えば、エルフ殿は長らく南部大森林の中央あたりで暮らしておったと聞く。なれば、ダールの事情など知らぬのも無理はなかろうなあ」

「森から出て、まだ二月ぐらいやもんなあ……」

「ダールで暴れてる怪盗の事なんざ、知らなくても無理はねえか」

「怪盗、ですか?」

「主によろしくない事をやってる貴族や商人をターゲットにした泥棒、ってところだ」

 達也の身も蓋もない解説に、当の本人が思わず苦笑を浮かべる。

「事実ではあるが、もう少し言い方というものを考えて欲しいのう」

「と、言われましてもねえ」

「まあ、そういう訳じゃ。流石に妾本人が見聞きした事柄で、直接入手した不正の証拠となれば、基本言い逃れはきかんからのう」

「また、無茶な事をしますね」

「何、ミスをしても確実に逃げる手段は何重にも用意しておるよ」

 妙に自信満々の女王に、何を言っても無駄だと考えてとりあえずスルーしておくことにする一同。この女王が癖の強い人間である事は、これまでの流れではっきりしているのだ。突っ込んだところで話がループするだけだろう。

「それにしても、いつも思うのじゃが」

「……なんか、碌でもない事を言い出しそうな気がするから聞きたくないけど、何でしょうか?」

「男が好む艶本の類では、妾のような怪盗がならずものに捕まって性的な意味で好き放題されて色に屈する展開が多いが、色に屈したところでいいなりになる理由もあるまいに、何故大抵いいなりになるんじゃろうなあ?」

「そんな事を聞かれても困るんだが……」

 やはり碌でもない事だった。そもそも、女王ともあろうものが、なぜ男性向けの成人指定の本の内容を知っているのだろうか?

「色に溺れたところで、別にその連中に依存する必要もあるまいに。第一、世の中は広い。探せば、ああいう事をする連中よりはるかに素晴らしい技を持った男も居る。そもそも、あの手のどんな病気を持っておるか分からん男のナニなんぞ、好んで何回もくわえこみたがる女の気がしれん」

「女王、女王。一応子供がいるんで、そういう話はちょっと」

「む、すまん。確かに配慮に欠いた」

 まるで男子高校生あたりが教室で盛り上がるかのような猥談を始めようとした女王を、とりあえずどうにか黙らせることに成功する達也。達也に話を切り上げさせられ、思わず舌打ちした澪を真琴が睨みつける。微妙に具体的な表現が出てきた事で居心地悪そうに頬を染めている春菜と、内容が分かっているのか分かっていないのか、普段通りにこにこ微笑みながら超然とした態度を維持するエアリスが印象的だ。なお、アルチェムは確実に分かっていない。

「何にしても、ヒーローの彼もいっしょに食事でも、という約束は果たした訳じゃ」

「あれ、約束だったんだ……」

「きっぱり断ってへんかった?」

「気にするな。さて、とりあえずこれからの事じゃが」

 妙に上機嫌に話を終わらせ、最後の議題を提示する女王。

「とりあえず、お主らの用件は、どちらもイグレオス神殿本殿に関わるものじゃろう?」

「そうですね」

「私とアルチェム様も、本題はそちらになりますわ」

「こちらも少々気になる事がある。日程の調整が必要ゆえ少々待たせることになるが、早ければ二日後、遅くても五日以内にはダールを発てるはずじゃ。勝手を申して済まんが、妾も同行させてもらおう」

 かなり大事になりそうな事を言い放ち、勝手に予定を組んで行く女王。突っ込みを入れようにも、こんな時に限って一国の女王としての威厳と眼力を持って黙らせにかかるから、性質が悪い。

「ついでと言っては何じゃが、工房主殿が発見した地下遺跡、そちらに少々寄り道をしたい。到着が更に遅れてしまう事になるが、構わぬか?」

「それはまあ、問題ありませんが、何故に?」

「大地の民とやらと、接点を持つべきだと判断したからじゃ。お主らも、異論はあるまい?」

 ダールの女王として、間違いなく重要事項であろうことを力強く言い切る。領内に未知の、それも数以外の色々な面で自分達を上回っているであろう集団が存在する。その集団が基本的に友好的であるという報告がある以上、何らかの形でコンタクトを取ろうとするのは、当然と言えば当然である。

 ただし、女王自らというのは、流石に不用心ではないか、と思わなくもないが。

「重要なんは認めますけど、女王様が直接行くんは、何ぼ何でも不用心ちゃいます?」

「下手に使者なんぞ出して、そ奴が粗相をした日には目も当てられん。どうせ通り道にあるのなら、妾が直接行った方が間違いが少ない。それに、その大地の民とやらは、基本友好的な連中なのじゃろう?」

「まあ、そらそうですけど……」

「フットワークが軽いにもほどがあるぞ、この女王……」

「女の身で国をまとめるのじゃ。余り根を張っている訳にはいかんのでな」

 あきれ顔の宏と達也に、にやりと笑って見せる女王。本当に、いろんな意味で面倒な人である。腹心である彼の気苦労がしのばれる。

「さて、そろそろいい時間じゃ。いい加減引き上げんとセルジオがうるさい」

「そうですね。決めるべき事も決まりましたし」

「うむ」

 まとめるべき話をまとめ終えたところで、いい加減立ち去ろうとしてもう一つ告げておくべき事を思い出す女王。

「そうそう、忘れておった。歌姫殿」

「なんですか?」

「デントリスが諦めておらぬ。色々釘は刺したが、余計に火をつけただけ、という状況になってしもうたようじゃ。すまぬ」

「あ~、あの人、諦めが悪そうですしね……」

「場合によっては、工房主殿に迷惑がかかる事になるかも知れんが、どうにかうまく切り抜けて欲しい」

 ありそうな展開に、思わず苦笑が漏れる宏、春菜、澪の三人。ダールでやるべき事が終わるまで、まだまだ先は長そうだと他人事のように考えてしまう日本人達であった。
これで大丈夫なのか非常に不安な今日この頃……。
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