第10話
「もうそろそろ、いいか?」
宏達の解体作業とオクトガル達のアルチェムいじりがひと段落したのを見計らって、達也が声をかける。既にあたりは完全に日が落ち、いくら満月とはいえ明かりなしではまともな作業は何一つ出来ない状態になっている。
「せやな。ええ加減さっさと神殿に、って思うたけど、よう考えたらいっぺん戻って晩飯でもええぐらいの時間になっとんなあ」
「月があんなに高い」
澪が指さした先には、不気味な青紫に輝く満月が。その巨大な満月は、相当長い事ダンジョンで足止めを食っていた事を示すように、既に天頂に来ていた。
「どないする? まだまだ草を始末せんと先には進めん感じやけど、気合入れたら後一時間もすれば神殿つく感じやで」
その妙に不吉なものを感じさせる不気味な色に顔をしかめつつ、この後どうするかを周りに振る宏。何かよからぬ事が起こりそうな月だが、アルチェムもオクトガル達も何も言わないので、とりあえず大丈夫だろうと気にしない事にする。
「この暗い中、草刈りしながら進むのはパス……」
「だよね……」
「ほな、戻るか」
木材を鞄に詰め終わり、よっこらせっ、とオヤジ臭い掛け声で立ち上がって鞄を担ぎ直した宏に、またしても待ったがかかる。
「今から戻るんだったら、もうここで普通に野営したらいいじゃないの。ダンジョンの跡地だから、開けた状態で草もそんなに生えてないし」
「そうだよね」
「戻るのもテントたてるのも大差ない」
もうこれ以上うろうろしたくない。そんな日本人女性のわがままが炸裂し、数の暴力で押し切られる。まあ、押し切られたと言っても、男性陣も強固に反対するような理由があった訳ではないが。
「見張り、どないする?」
もはや手慣れた作業をこなしながら、宏が野営をするなら絶対必要な事を確認する。いつもは大体決まったローテーションでやるのだが、今日は全員ものすごく疲れている。正直な話、体力的には相当きつい。
「私達がやる~」
「見張り見張り~」
「前張り前張り~」
「微妙な単語が聞こえた所が非常に不安だけど、任せても大丈夫?」
確認してくる真琴に肯定するかのごとく上下運動をして見せ、周囲にフォーメーションを組んで散開するオクトガル達。
「こんな感じ~」
「バリア張ったの~」
「これでいい~?」
キャンプ地点に残ったオクトガルが、確認を取る。
「配置はそれでいいんだが、これから飯だし、今すぐでなくてもよかったんだぞ?」
「ご飯?」
「ご飯ご飯~」
「お肉? お魚?」
「食べていい? 食べていい?」
あちらこちらに散っていたオクトガル達が、夕食と聞いてわらわらと集まってくる。
「リス肉でよかったら、食うてもええで」
「食べる~」
「食べるの~」
宏の言葉に飛び付くと、キャーキャー言いながらどこからともなくナイフとフォークとお皿を取り出す。その様子に思わず失笑しながら、手を洗ってから鉄板を二組用意し、ありったけのリス肉をたれに漬け込み始める宏。宏の作業に合わせ、とりあえずわかめスープの調理に入る春菜と、小麦粉をこねてナンのようなものを鉄板で焼き始める澪。その作業を食い入るように観察するオクトガル達。因みに、魔道具仕様の鉄板が二組あるのは、護衛任務の時にもう一つあれば便利だという意見が出たため、工房に帰ってから急遽作り上げたものだ。
「ご飯ご飯~」
「お肉まだ~?」
「我々は~、空腹だ~」
とうとう鉄板の上に肉が乗せられたところで、タレの焦げる匂いに反応して一斉に騒ぎ始めるオクトガル達。八本の足のうち二本で支えた皿を、ナイフとフォークで叩いてちんちん鳴らす。明らかに自分達より先にこいつらに食わせなければ、落ち着いて食事など出来ない。そう判断した宏が、オクトガルの体格に合わせたサイズにリス肉を切り分け、どんどん彼女(?)達の皿にのせていく。宏の判断に従いたくさん焼いたナンもどきや野菜を配る澪と、小さいカップに苦労しながら適量を注いでいく春菜。オクトガルの数が数だけに、それなりの規模の炊き出しのような状況になっている。
オクトガル達は足が八本ある上に宙に浮けるため、それほどの面積が無くても食事できる。そうでなければとても食事のスペースが足りていなかっただろう。その事に感謝すべきか否かに悩みながら、どんどん料理を配っていき、ようやくオクトガル全部に行き渡ったところで、最初に付け込んだ肉や仕込んだスープが全部切れる。
「ありゃ……」
「追加で作らんとあかんなあ」
「ごめんね、もうちょっと待って」
二人の言葉に、思わずため息が漏れる料理していない組。美味そうな匂いに耐えられそうになかったのは、何もオクトガルだけではないのだ。澪の焼いていたナンもどきも、それほどの分量は残っていない。
「待つのはいいんだが、肉は足りるのか?」
「肉もタレも十分あるから、そっちは問題ないで」
「わかめもまだまだ在庫は十分」
二人の返事を聞いて、とりあえずひと安心する達也と真琴。何から何まで申し訳ない、と言う感じで思わず俯くアルチェム。手伝おうにも、三人の手際があまりにも良すぎるのと調理器具の数がぎりぎりなのとで、手を出す隙間が無いのだ。
「達兄、真琴姉、アルチェム、とりあえずこれかじってまってて」
あまりに空腹が辛そうな待機組を見かねて、少しだけ残ったナンもどきを三等分して差し出す澪。
「いいのか?」
「あれ見て、我慢できるの?」
オクトガル達を視線で示しながらの澪の言葉に、力なく首を左右に振る三人。なにしろ連中ときたら
「うまうま~!!」
「肉汁~!」
「まいう~!!」
「わかめ~、わかめ~!」
「う~ま~い~ぞ~!!」
「三つ星の~! 通~!!」
などと騒ぎながら、その飛行方法でどれだけうまいかを力説してくれているのだ。中にはグルメごっこのつもりか、妙に詳細に味を解説しながらうっとりしてるやつまでいて、正直辛抱たまらなくなってきた。はっきり言って、空腹の時には拷問以外の何物でもない。
「まあ、そんな手の込んだ料理じゃないし、すぐ出来るから」
「しかし、あいつら結構よう食うなあ。毎日あの調子で食われたら、食材いくらあっても足らんで」
体の大きさからすれば明らかに多めの肉や野菜を、平気な顔で平らげているオクトガル達。あの数であの食欲と言うのは、何とも燃費が悪そうだ。
「普段はそんなに食べないの~」
「さっきいろいろやって、エネルギー切れ~」
「美味しい料理でチャ~ジ」
「お肉うまうま~、野菜うまうま~」
宏のコメントを聞きつけたか、上下運動と食事を続けながらオクトガル達が自己主張する。実際のところ、オクトガルはその自己主張通り、普通なら一度体格に合わせた量を食べれば一カ月以上飲まず食わずで普通に活動できる。今回は真琴と澪を回収し、春菜達を運搬し、足場にまでなったためにエネルギーを大量消費したため、とかく空腹だったのだ。数匹がエネルギーを大量に消費する場合、その消費を群れ全体で分担するという謎生物らしいシステムを持っているため、全体が一気に空腹になってしまうのである。
「まあ、今回はいろいろ世話になった事だし、腹いっぱい食わせてやったらいいさ」
「あんたはいいわよね、基本的に恩恵だけもらってるんだから……」
達也のいい子ちゃん的な発言に、即座にジト目で突っ込みを入れる真琴。隅々まで徹底的に色々やられたアルチェムを除けば、精神的に一番被害が大きかったのはおそらく彼女だろう。
「そりゃ確かに、こいつらがいなきゃ詰んでた可能性があるのは認めるわよ。でもね……」
「ま、まあまあ、そんなにとがらなくても」
「これがスケベ目アイコンみたいな目つきでおやじチックにねちっこくやってきたんだったらともかく、言ってる事が腹立つだけでやってる事は動物が懐いてきたレベル」
ある面真琴と大差ない扱いを受けていた澪の、実に割り切った言葉。それを聞いてがっくりと肩を落とす真琴。動物なら何を思っていてもこっちには伝わらないが、こいつらは半端に言葉での意思疎通ができるのが問題なのだ。春菜の言葉に持てる者の余裕のようなものを勝手に感じ取ってしまう点でも、真琴は実に大きなダメージを受けていた様子である。
「その、言ってる事が腹が立つってのが最大の問題だと思うんだけど……」
「貴族達の陰口よりよっぽどましだったから、そんなに気にはならなかったけど?」
ぼやけばぼやくほど立場が悪くなっていく真琴。ついにはすっかり諦めていじけてしまう。一応フォローしておくなら、あれだけいろいろセクハラされて、あれだけいろいろ暴言を吐かれれば、普通は真琴位には腹を立てるものである。あっさり割り切った澪や、普通に最初から気にしていない春菜の方がおかしいのだ。
「とりあえず、肉は焼けたで」
会話に加わらずに肉を焼く方に専念していた宏が、真琴の皿に一番いいところを一番たくさん盛ってやる。飯でフォローできるほど簡単な気持ちではないだろうが、美味いものを腹いっぱい食べれば少しはマシになるものである。
「そう言えば、このリスってどんなモンスターだったの?」
「ここ来る途中に何べんか夕飯のために仕留めたリスおったやろ? あのリスが全長二メートルぐらいの大きさに巨大化しただけの奴や。それがざっと見たところで百匹前後のコロニー作っとったから、ポメで一網打尽にしてん」
「あれは、横で見ててびっくりしました……」
「効率的やったやろ?」
突っ込みに対してあっさり切りかえされ、何とも言えない乾いた笑みを浮かべるアルチェム。彼女の攻撃が効きやすい数少ないモンスターだったのに、普通に活躍の場も与えられずに始末されてしまったのは微妙に寂しい気がしなくもない。
「因みに、肉は食えるけど内臓は用途が微妙やったし、骨はあんまりダシも出えへんからほってきたで。毛皮はまあ、売りもんぐらいにはなりそうやったから、無事な奴だけ回収してきといた」
仕留めたモンスターからきっちり素材をはぎ取っている宏に、思わず呆れた目線を向ける一同。真琴と澪も中ボスの粘菌を多少は回収したが、ここまで細かくはやっていない。春菜と達也に至っては、回収できるような仕留め方を一切していないので素材はゼロだ。
「他にもいろいろ取ってきたから、戻ったら整理やな」
「素材といえば、イビルエントの木材でどの程度のものが出来るんだ?」
「せやなあ。弓にするんやったら、ハンターツリー製より三つはランク上がるで。後、家具とかやったら千年単位で使えるもんになるし」
現状、このチームの装備品で素材のメインが木材なのは弓だけなので、他の用途となるとどうしても家具とか道具になりがちである。もっといい金属を手に入れたら鎌や手斧の柄もいい木材が必要になるのだが、現状では普通の木材で特に問題が無い。春菜のレイピアや真琴の大剣は柄も金属製で、握りのところにいい革を巻いているだけなので木材は使っていない。達也の杖も特殊な精製方法で魔力伝導率を高めた鉄を一体成型した短いもので、これまた木材は使っていない。
「木材で思い出したけど、織機は作れないの?」
「作れるけど、自動修復と耐久強化を三回ぐらい重ね掛けしてガチガチに強化して、やっと二日ごとに一着分の霊布が作れる程度やな」
前々から気になっていた不良在庫の霊糸。それをどうにか物に出来ないかと考えた春菜の問いかけに、かなり微妙な回答が返ってくる。
「因みに、作るのはどれぐらい時間がかかるの?」
「布織るだけやったら十分ぐらいやで。その間にものっそいぼろぼろになるから、残りは修理の時間やな」
「……微妙だね」
「微妙やねん。シャトルなんかは下手したら使い捨てやし。あと、流石に持ち運べるようなサイズにはならんで」
つくづく最上位素材という奴は厄介だ。考えてみれば、魔鉄の加工も似たような騒ぎがあったのだから、下位の素材で作った道具で上位の素材を加工しようとすれば、これぐらいの問題は当たり前なのかもしれない。
「とりあえず、何作るかは村に戻ってから考えるわ。今は飯や」
「そうだね」
色々先送りした宏の言葉に素直に同意し、いただきますをして料理に手をつける。基本シンプルな、調味料以外はだれでも作れるような代物だが、シンプルだからこそ実に美味い。オクトガル達が騒ぐはずだと周りを見ると、いつの間にやら見張りに入ったらしく、既に周囲には影も形も見当たらなかった。
「悪戯さえしなきゃ、あの子たちもすごくいい子なんだよね」
「いい子なんですよ、連想ゲームでおかしなことを言い出さなければ」
流石に神様のペットだけあって、その性質自体は実に善良だ。言動が妙にうざい事とやたらと好奇心だけで性的な悪戯をしたがる事が問題ではあるが、悪戯に関しては犬猫あたりが本能でやらかすものと大した違いはないレベルなので、そういうものだとスルーした方が精神安定上問題が少ない。
「それにしても、リスの肉って美味しいですね」
「この肉が、普通のリスと同じような味とは限らへんけどな」
「だよね」
色々と見た目と味が違う物の実例を連想しながら、アルチェムの感想に余計な補足を入れる宏と春菜。その言葉にそういうものかと思いつつ、こんな場所で食べるものとしては味も見た目も極上の料理に幸せな気分になるアルチェム。たっぷりの美味い飯と特別に解禁されたいい麦焼酎のおかげで、真琴の機嫌も少しばかり上向きになるのであった。
「何ぞ、さびれた感じやなあ」
「三十年ですからね~」
翌朝、ついに到着したアランウェン神殿を見上げて、正直な感想を漏らす宏とアルチェム。ここ三十年ほどは危険が一杯の裏ルートを命がけで突破して奉納、という形が続いたため、神殿の手入れがかなりアバウトなまま放置されているのだ。木材と細かな石材を組み合わせて作られた神殿は、あちらこちらが周囲の植物に浸食されてなかなか大変なことになっていた。
「……せやなあ。折角来たんやし、春菜さんと澪の訓練も兼ねて、ちょっくら大規模改修としゃれこむか」
「えっ?」
いきなり行動が脇道にそれ始めた宏に、思わず乾いた声を上げる春菜。流石に、この場でいきなりそっちに話が流れるとは思わなかったのだ。
「えっと、今からやるの?」
「逆に、後に回すと面倒やん」
「って言うか、ボク達がやる作業なの?」
「こう言うんを見ると、何っちゅうかむずむずしてくんねん」
完全にスイッチが入ってしまっている宏に、思わず揃ってため息をつく春菜と澪。
「やるのはいいが、材料は足りてるのか?」
「そらもう、兄貴らが狩ってきたモンスター素材とか、だぶついとるんがようさんあるし。それに」
「それに?」
「どうせハンターツリーも、絶対材料としては余らせるしな」
やけに説得力のある宏の言葉に、あきらめの表情で同意するしかない達也。何しろ、ボス戦で大量に湧いたハンターツリーの無垢材が、数にして三十本以上あるのである。まず間違いなく、普通に余る。大した規模の神殿でもないので、それだけあれば余裕で修理ができる。
「そう言えば、アルチェムが何かやって枯らせたやつは、普通に使えるのか?」
「まあ、使えん事はないで」
「それなら別にいいんだがな」
「っちゅう訳やから、ちょっと儀式したら作業開始や。まずは、寸法測りつつ状態チェックからや」
そう言って祭壇にいろいろお供え物をして何やら簡単な儀式をした後、巻尺やら何やらを取り出してあちらこちらをチェックして回る宏。その宏にならって、それほど間違いようのない場所を測定しはじめる春菜と澪。待っている間暇な達也と真琴は、何もしないのもあれなので神殿の周囲の草引きや掃除などを始める。アルチェムは手が足りないところのお手伝い、と言う感じだ。
「アルチェムさん、ちょっとこっち押さえて」
「はーい」
「そっちが終わったらちょっとこの材木支えとって」
「分かりました」
宏がざっと起こした図面に合わせて、てきぱきと作業を進めていく一同。神殿を貫通している大木の枝はもはやどうにもならぬと早々に対処をあきらめ、建物の一部として利用。方々の腐った柱や壁を取り外し、基礎が駄目になっている部分に防腐加工したハンターツリー製の杭を打ちこんだ後、鉄筋に近いものを含めた何種類かの材料を入れて補強し、撥水性のセメントもどきで固め直す。
そうやって、最低限の枠組みだけを残して柱を修復した後、屋根から壁からすべて取っ払い、ハンターツリーを加工して作った柱を組み木の要領で取り付けて補強、足元からの水の浸入を避けるため、ある程度の高さまで石や砂利を組み合わせて隙間を埋め、再びセメントもどきで固める。そこまで終わったところで、これまたハンターツリーで作った板を釘を使わずに固定していき、ようやく神殿としての体裁が整う。
当然のことながら取り付けそのものはともかく、取り付けられるように加工するのは当然宏しかできない。故に、取付と固定は宏の指示に従い、他の人間が総出で行う形になった。神殿までの移動中はどこかに行っていたオクトガル達もいつの間にか戻ってきており、高所作業となる屋根の取り付けを進んでやってくれたのは日本人達にとってはありがたい援軍であった。板の配置が終わり、雨漏りがしないようにあれこれ屋根に細工をした後、防腐剤代わりの汁を全体に塗って、ようやく神殿の修復が終わる。
朝から始めて昼食をはさみ、日が落ちようかと言う時間までかかる大工事であった。
「大きめのあばら家ぐらいの建物でも、結構大変なもんだな……」
「そらまあ、日曜大工、っちゅうレベルではあらへんし、しゃあないで」
「そう言う作業を、思い付きで突発的に始めないでよ……」
「放置しとくんも、気分悪いやん」
達也と真琴の苦情に、悪びれる様子もなく平然と答えてのける宏。土木レベルの作業がせいぜい基礎のやり直し程度だったことに加え、エクストラスキル「神の城」を持っているからこそこのぐらいの時間で済んだが、本来はその場で材木を加工しながらだと一日やそこらで終わるものではない。そもそも、基礎自体が一日で終わるなどあり得ない作業である。基礎工事が土木と大工、どちらのスキルでも可能な作業でなければ、今頃作業も出来ずに酒盛りの類でもする羽目になっていただろう。
本来、決して思い付きで始めるような工事ではあり得ないのだ。
「新しい建物って気持ちいいし、別にいいんじゃない?」
「そこは否定しないけどさ」
「考えてみれば、神殿の修理って職人冥利に尽きる?」
「そうだね。言われてみれば、結構大それた仕事をしてたんだよね、私達」
今更ながら、自分達が結構大それた仕事に手を出した事に思い至る春菜と澪に、思わず苦笑を漏らす年長者組。
「何にしても作業も終わった事やし、ちょっと結界やらなんやらの手直しと再起動して、終わった報告も含めて祭壇にお供えしてくるわ」
駄弁りながらも祭壇のチェックと手入れを終えた宏が、神殿を神殿として機能させるために必要な、残りの作業を終わらせに出る。三十年お供え程度で放置されていた上、至近距離に結構な濃度の瘴気をため込んだダンジョンが存在した影響もあり、結界も随分とへたっている。このままでは、器だけ作って魂を入れないという言い回しそのものの状態になる。
「どんな状態ですか?」
「予想通り、相当へたっとるわ」
いつ破れてもおかしくないレベルで弱っていた結界を張り直し、そのまま流用した神具で色々な術式の再起動をかける。その様子を、いつの間にか外に出て来ていた春菜や澪と一緒に見守る。敷地の中を清浄なエネルギーが充満し、神殿が神殿として再び機能しはじめる。
「後は、お供え物やな」
「ドワーフ殺しがあるのなら、燻製肉を一緒に供えてくれればありがたい」
祭壇前でお供え物の準備をしようとしたところで、唐突にそんなリクエストが聞こえてくる。振り返るといつの間にか、やたら立派に枯れきった雰囲気を発散する、見た感じ中年ぐらいの、森の奥深くに隠棲しています、みたいな感じの男が佇んでいた。町に出て托鉢でもすれば、その気もないのに無意識にお布施をしてしまいそうな人物である。
「もしかせんでも、アランウェン様でっか?」
「もしかしなくとも、アランウェンだ」
「おやまあ」
神殿の主が直々に登場する。そんな珍事に、思わず唖然とするしかない一同であった。
「色々聞きたい事もあろうが、まずは食事にしたらどうだ?」
供えられたドワーフ殺しの蓋を躊躇いも見せずにあけながら、何か言いたそうにしている達也を制してそんな事を言う。なんだかんだと言いながらも真っ先に立ち直った宏が、リクエスト通りロックボアとトロール鳥の燻製肉に野菜と果物を祭壇に供えた直後の行動である。流石にあのエルフやフォレストジャイアントを守護しているだけあって、この神様は飲兵衛でザルのようだ。
「ふむ。この燻製、なかなかいい味だな」
「それはどうも」
優雅に燻製をかじる神様に苦笑しつつ、自分達の夕食を準備するべく食材の検討を始める春菜。真琴と澪が焼き払って回収してきた中ボスのキノコもどきか、同じく中ボスの宏が仕留めたオオサンショウウオか、微妙に悩ましいところである。
「迷ったときは、両方使う!」
豪快に言い切って、適度な大きさの粘菌とオオサンショウウオの切り身を用意する。そのまま流れるように宏がダンジョンで採取した謎の野菜や木の実、根菜などを準備し、隅のほうを軽くあぶって味やら何やらを確認した後、面倒だと言わんばかりに全部天ぷらと唐揚げにする春菜。その剛毅な料理方針に、全力でひく真琴。達也も微妙に心配そうだ。
「灰汁抜きとか、大丈夫なのか?」
「齧った感じ、火を通せば問題ないレベルだったよ」
「ならいいんだが……」
春菜の言葉に、無理やり納得して完成を待つことにする達也。真琴のほうも不安を隠しきれないながら、下手に口を挟まないことにしたらしい。
「と言うわけで、完成」
「……澪は何作ってたんだ?」
「天つゆとお吸い物?」
「天ぷらだからまあ、普通よね」
素材が全部謎であることを除けば、実に普通の話である。
「で、春菜がメニュー決めるより早く何か仕込んでたけど、ヒロは何してたんだ?」
「釜飯や」
宏の言葉に、何の釜飯? とは怖くて聞けない一同。ダンジョンで何を拾ってきているかが分からないため、中身が想像できない。
「とりあえず、その天ぷらと唐揚げ食べ終わるぐらいに炊き上がるから、先そっちいこか」
宏の言葉に、火にかけられて微妙に湯気を出している釜飯から視線をそらす。今日の夕食は、どうしてこうも覚悟が必要な内容なのか。
「それならまあ、先にこっちを食うか」
「そうね」
正直なところ、瘴気たっぷり殺意バリバリだったダンジョンで回収した、まともに毒見もしてないような食材を山盛り使った天ぷらや唐揚げなどあまり食したいものではない。が、とりあえず唐揚げのほうは、宏とアルチェムが材料であるオオサンショウウオの肉を一度食べているので問題はなかろう。昨日のリス肉も、今までやりあった中に同じモンスターがいて、食べたことがある肉だったから問題なかった。
故に、問題となるのは妙な寄生の仕方をしていたキノコや、イビルエントの一部分としか言いようがない木の実、根菜、木の葉の類だろう。もっと平たく言うなら、春菜が作った天ぷらが怖いのだ。
普通に考えれば、あれだけ瘴気が濃くて性質が悪いダンジョンに住んでいたモンスターの肉など、どれほど高度な料理人の手で毒抜きをしてもらっても怖くて下手に食えない気がするのだが、実際に食って確認した人間が居るものに関しては、未知の食材には腰が引け気味な達也と真琴もまったく文句を言わない。
「ん、いい感じ」
特に構えることなく粘菌の天ぷらを口にした春菜が、満足げに頷く。その様子に大丈夫そうだと判断した真琴が後に続く。驚いたことに、味そのものはまいたけに似ており、からっと天ぷらにするとなかなかの美味だ。
澪はすでにサンショウウオの唐揚げを平らげている。こちらでのこの手の生き物は割合淡白な味のものが多いのだが、このサンショウウオはボスだけあってか、肉自体がなかなかしっかりした味をしている。これは食欲魔神の澪も大満足である。
「ふむ、それもうまそうだな」
「言うと思って、分けとります」
「すまんな」
お供え物として別に分けてあった天ぷらとお吸い物、それから唐揚げをとりあえず麦焼酎と一緒に祭壇に供える。
「うむ、美味い」
「こんなところででっち上げた即席料理で申し訳ないんですけど」
「美味ければ気にするようなことでもあるまい」
などと言い切って酒をかっ食らいながらどんどんお供えを平らげていくアランウェン。眷属のほうは昨日たくさん食べたからか、食わせろと騒ぎ出すことはなかった。アランウェン本人が居るからか、周囲を囲んでぷかぷか浮くだけで、これと言って口を開く様子も見せない。
「で、そろそろ釜飯がいい具合になりそうやけど」
「もう腹はくくってるから、とっとと用意して」
「了解や」
真琴の催促を受け、釜の蓋を開けて中身をざっとかき混ぜる。先に一膳分をよそって祭壇に供えると、残りを大体等分に盛って配っていく。
「で、結局何の釜飯なんだ?」
「季節の釜飯・森のダンジョン風味やけど?」
「……回答になってねえ……」
宏のあまりにもあまりな回答にうめくように突っ込みながら、魚のようなものが入った釜飯を食べる。美味い。美味いのだが……。
「この魚、何?」
「多分、サンショウウオの取り巻きやったはずの魚」
「取り巻きだったはず、とは?」
「速攻で陸の上に引きずり上げたもんやから、基本なんもできんままアルチェムに止め刺されとったわけやけど、何か?」
宏の回答に、視線がアルチェムに集中する。アランウェンの存在に緊張し、萎縮したまま非常におとなしく食事を続けていたアルチェムが、突然向けられた視線にびっくりして硬直する。
「今の話は?」
「えっとですね。一番最初、陸に引っ張り出すために宏さんが水に入ってスマッシュでサンショウウオを跳ね飛ばしたわけなんですけど……」
「けど?」
「そのとき一緒に巻き込まれたらしくて、サンショウウオの体に弾き飛ばされた魚が地べたをびちびち跳ね回ってまして……」
「邪魔だからしめた、と」
達也の言葉に頷くアルチェム。それで大体出所が分かったところで、おとなしく一緒に添えられたごく普通のたくあんなどと一緒に黙々と平らげて行く。
「美味いものをそんな辛気臭い雰囲気で食うのはどうかと思うが」
「ちょっと食材がねえ」
「ロックボアやワイバーンを食っているのなら、今更だろうに。あのダンジョンも、構造としては性根が相当曲がってはいるが、肉や魚で食えないものはいなかったように思えるが?」
「理屈で分かってるのと、実際に経験してるのとではいろいろ違うんですよ……」
「そういうものか」
納得したようなしていないような、と言う風情で達也の言葉に頷くと、供えられた麦焼酎を飲み干し、ドワーフ殺しのビンを新たに開ける。素面でやってられるか、という感じの飲み方に見えなくもないが、さすがに神様だけあって酔っ払う気配はまったくない。
「さて、飯も終わったことだし、一杯やりながら本題に入るとしようか。付き合え」
「さすがに、俺はそのドワーフ殺しは無理ですが……」
「好きな酒を飲めばよかろう。酒蔵ぐらいあるのだろう?」
アランウェンの言葉にしぶしぶ頷くと、とりあえず焼酎を一本引っ張り出す。未成年組はさすがに酒はまずいという事で、とりあえず適当に用意したバウムクーヘンとフルーツジュースで代用する。こうして、ようやく本来の目的であるアランウェンにいろいろ聞くというところにこぎつけた一行であった。
「さて、まずはアルチェムの巫女としての覚醒と、眷族の解放に協力してくれたことに礼を言おう」
「まあ、成り行きみたいなもんやし、そこは礼を言われる筋の話でもありませんで」
「こういうことは、けじめだからな」
元々そのつもりで宏達にアルチェムを押し付けたくせに、妙にまじめぶって言うアランウェン。その雰囲気だけは賢人と言う風情をたたえているが、前に並んでいる酒瓶が微妙に台無し感を演出している。
「アルチェム、今もちゃんと聞こえているか?」
「はい」
「その声を聞き、向き合っていくのがお前の役割だ。さすがにまだウルスの姫巫女ほどの力は使えまいが、お前はエルフだ。時間はいくらでもある」
「日々、精進してゆきます」
「あまり肩肘張る必要はないぞ。努力して腕が伸びるようなものでもない」
アランウェンにたしなめられても、今一歩肩から力が抜けない感じのアルチェム。そんな彼女を思わず生暖かい視線で見守ってしまう一同。
「こちらからもいくつか用件はあるが、まずはそちらの聞きたいことを聞いておこう」
アランウェンから振られて、アイコンタクトで役割を押し付けあう。結局最年長で一番常識人で、もっとも切実に帰りたい達也が代表で口を開く。
「いくつか質問はありますが、まず最初に一つ」
「うむ」
「私達は、向こうに帰ることは出来るのでしょうか?」
一番最初に核心を突いた質問を飛ばす達也。それを聞いたアランウェンが、やはりそこからかと言う表情で酒を一口飲み、あっさりと回答を返す。
「それに関しては、アルフェミナから伝言がある。帰る方法はちゃんと存在していると伝えておけ、とな」
非常にあっさりと知りたいことを教えてくれたアランウェンに対し、さすが神様と感心しながらも動揺を抑えきれない日本人達。ないといわれる覚悟もしていたためありがたいといえばありがたいのだが、実現できる方法なのかどうかが分からない以上は喜べない。
「その方法は?」
「私の管轄外だから知らぬ。が、お前達の同類はすべて、向こうに帰っていると聞いている」
「なるほど、それはつまり……」
「方法は知らんが、不可能な方法ではない、と言うことだな」
詳しくは三女神に聞け、と言われて思わず困った顔をしてしまう一同。ウルスにいる間にそういう話をしたかったのに、アルフェミナが何一つまともに話してくれなかったのだ。割と頻繁にエルの口を通して色々と会話はしたのだが、オンオフが激しくて、落ち着いて話をする機会にはついぞ恵まれなかったのである。
「まあ、アルフェミナは今、地味にいろいろ忙しいからな」
「エルの体に頻繁に降りとるくせに?」
「ある程度の頻度で巫女の体に降りておかねば、リンクが切れやすくなるからな。それに、現在の巫女は歴代で最も力が強く、また就任した年齢も屈指の幼さだと聞く。今のうちから体を慣らしておいたほうが、後々いろいろと便利だ」
「それ、降りるたびに寿命に影響する、っちゅうんは?」
「初代を超えるほどの資質となると、早死にする方向での影響はなかろう」
「なるほど……」
それはそれで物騒な、と言いたくなる回答に微妙に納得し、よくよく考えれば聞きたいことがほぼ終わったのではないか、ということに気が付く。
「他には?」
「あの、アルフェミナ様からの伝言、なぜ最初の段階で教えてもらえなかったのでしょうか?」
「こちらへの移住を望む可能性もあるから、聞かれるまではいう必要がないと、奴から言われておってな」
「……もしかして」
「こちらに迷い込んできた連中、すべてが故郷に戻ることを望んだわけではない、と言うことだ」
どうにも、歴史の裏側にはいろいろな話がありそうだ。所詮あいまいな歴史書と童話もどきだけでしか確認していない話なので、ある意味当然だろう。
「まあ、たいした意味はなかろうが、知られざる大陸からの客人について詳しく知りたければ、禁書『フェアリーテイル・クロニクル』を探せ」
「……!」
「それって!」
「お前達がやっていた、VRMMOとやらの名前と同じだろう?」
唐突に出てきた名前に、今度こそ動揺を隠し切れない日本人達。いくつか知らない単語に加え、禁書のタイトルに対するすさまじいまでの動揺を見せる日本人達に対して、不思議そうな視線を送るアルチェム。
「アルチェムよ。今の話は、こちら側の人間には関係のない話だ。忘れる必要はないが、気にしたところでまったく意味はない」
「分かりました」
神様が言うのだから間違いないのだろう。そうあっさり納得して、さっくり疑問を捨て去るアルチェム。知らなくても困らないことを穿り返す趣味は持ち合わせていない。
「その名前が出てくるということは、この世界はやっぱりゲームと同じ?」
「あくまでも極度に似ているだけだ。思い当たる部分はあるだろう?」
「それはもう、山ほどあります……」
「人間が物語と言う形で空想している世界は、大体同じような世界がどこかに存在していると思え」
詳しい理屈は知らんがな。そのアランウェンの言葉に、知っても意味のないことだと頭を切り替える宏達。実際、この世界がゲームの世界そのものだろうがそうでなかろうが、今更どうでもいい話である。
「で、フェアリーテイル・クロニクルが禁書というのは?」
「そちらでの扱いは知らんが、こちらでのフェアリーテイル・クロニクルは、この世界の御伽噺、そのすべての成り立ちと裏側の事情を余すことなく記載しているからな。当然都合の悪い事実も山ほどあるだろう」
「うわあ……」
「他に質問は?」
アランウェンから聞き返され、いろいろ衝撃的な話に混乱する頭を必死に回転させながら漏れがないかを確認しなおす。が、微妙に空回り気味の思考では効果的な質問などすぐに出てくるはずもなく……。
「その、フェアリーテイル・クロニクルはどこに?」
「ルーフェウスの大図書館辺りにあるのではないか? 管轄外だから、他にありそうな場所など知らん」
聞いてからいまいちだと思った質問に対して、身も蓋もない回答が帰ってくる。
「さて、その様子ではどうやら、今はまともな質問は思いつかんようだな」
「すんません……」
「何。私は他の神に比べれば比較的暇だからな。聞きたいことがあれば、また聞きにくればよい」
「ほんまにすんません」
謝ることでもなかろうに、妙に恐縮して見せる宏。その様子に失笑を漏らしつつ、自身の用件を済ませることにするアランウェン。
「さて、ではこちらの用件に入ろう」
「俺達に何か?」
「何、言葉だけでなく、実用的な礼をしておこうかと思ってな」
そういうと、軽く手を振る。指先からあふれ出た光が、五人を包み込む。
「えっ?」
「今のは?」
「とりあえず、森の中で役に立つあれこれの技を、二年ほど修練すれば身につけられるであろう程度に刻み込んでおいた。それと、宏、春菜、澪だったか?」
「私達、ですか?」
「ああ。お前達は土木と農業の技を身につけているようだから、そのための知識と感覚を少しばかり引き出しておいた。あまりやるとエリザがうるさいから、神の技に届くほどではないがな」
「いや、この程度のことで届いたら、それはそれで不味いですやん」
そんな微妙な会話を続けていると、唐突に澪の様子がおかしくなる。
「どうしたんだ、澪?」
「な、何かすごい力が……」
「えっ? ……もしかして!?」
「うむ。春菜、お前のオーバー・アクセラレートに相当する弓の技を伝授した」
あまりの大盤振る舞い振りに、思わず絶句する一行。
「……この程度のことで、そこまでしてもらうんはちょっと……」
「ダンジョンを一つつぶして、地脈を浄化して、更に神殿の修復と結界の強化までした報酬と考えれば、それほどおかしなものでもなかろう?」
「だ、だけど……」
「所詮、われわれ神など、意思と人格を持った舞台装置に過ぎん。舞台装置として許される以上のことは出来んからな」
またしてもあまり知りたくない裏側をもらし、新たに封を切ったドワーフ殺しをあおるアランウェン。さすが神様、本当にざるだ。
「何か、あたしと達也はあんまり強化された感じがしないんだけど……」
「魔法使いは微妙に管轄が違うからな。いろいろ使えそうな魔法は伝授しておいたから、それでしばらくはしのいでくれ」
「いや、伝授してもらえただけで十分なんで、そこは気にしないでください。が、確かに俺はともかく真琴が微妙なのは気になりますね」
「相性の問題もあるが、出し惜しみしている人間にわざわざ新しい技を与えるのも、と思ってな」
「出し惜しみって、もしかして刀のことですか?」
「他に何が?」
アランウェンの言葉に、なんともいえない表情になってしまう真琴。確かに、スキルの充実度合いで言えば、大剣より刀のほうが上だ。だが、刀という武器そのものの限界に負けて転向してからずいぶんたつ。いまさら戻しても勘を取り戻せるかどうかは微妙だ。
「せっかく、神の武器を打てる男がいるのだ。こき使って本領を発揮してはどうだ?」
「武器だけの問題じゃ……」
「一度体に刻み込まれた技など、そう簡単には忘れん。言い訳している暇があれば、一回でも多く武器を振れ」
そのまま、これで話は終わりだと言わんばかりに無理に酒盛りに年長者二人を巻き込むアランウェン。アランウェンとの邂逅は、いろんな意味で物事が動く新たなきっかけとなったのであった。
神様もいろいろあるんです