第20話
「外が騒がしいのう」
マズラック騎士団をほぼ壊滅させたあたりで、中庭の異変を感じ取ったドーガがつぶやく。
「戦闘による喧噪ではないのですか?」
「違うな。剣戟の音が聞こえん。それに、何やら言い争っておるようじゃ」
戦闘中という観点から見れば、明らかに妙な状況。その状況に首をかしげながらも、とりあえずオドネルを追いつめるドーガ。一応隊長だけあって、毛が生えた程度とはいえ雑兵よりは強いオドネルだが、ドーガからすれば誤差の範囲でしかない。抵抗らしい抵抗も出来ず、あっさり武器を砕かれ鎧を壊され、腰が抜けてその場にへたりこむ。
「おかしいなどと言うておっても話は進まん。少しばかり確認して……」
ドーガは、最後まで言葉を続ける事が出来なかった。中庭と同じ種類の異変が、この玄関ホールでも起こり始めたからだ。
「……なんじゃ?」
マズラック騎士団の体が、唐突に変異しはじめる。あるものは腕が急激に太くなってオーガですら引くほど筋骨隆々になり、あるものは髪の毛が触手に変化する。まだ人型を保っているのはマシな方で、中にはそもそも人の体を保つ事が出来ず、スライム状の何かに化けてしまった者すらいる。共通点は瘴気を発散するようになった事と、サイズが人間の倍以上に膨れ上がった事ぐらいだ。
「……グロいのう」
映像化する場合、まず間違いなくモザイクをかけられるであろう不気味な光景を油断なく観察しながら、嫌悪感たっぷりに言い捨てるドーガ。
「外が騒がしかった事と、何か関係があるのでしょうか?」
「分からん。分からんが、少なくともこ奴らを放置しておくわけにはいかん、と言うのは間違いないじゃろう」
「……外でもこれと同じ事が起きているのであれば、少々まずい事になっている可能性もあります」
レイナの指摘に頷き、槍を構え直すドーガ。マズラック騎士団の総数は百。今回の変異でどの程度化けるかは不明だが、ケルベロスほどのプレッシャーは無い。とは言え、人間としての知性が残っていれば、変異によって得た戦闘能力をどう使ってくるかは分からない。一挙に蹴散らしてしまうべきだろう。
「とっととやってしまうぞ、レイナ!」
「ドーガ卿はこの場を突破して、中庭に加勢してください」
「む?」
「もはやこいつらに対しては、気を使わねばならない要素は皆無。見たところ、大した素材を残すような感じでもなく、ヒロシ達にしても元人間から取った素材を使って平気で居られるほど壊れてはいない。ならば、私が好き放題暴れたところで、誰も文句は言いますまい」
獰猛な、実に獰猛な笑みを浮かべながら、襲いかかってきた最初のミュータントモンスターを三枚に下ろしつつ言い切るレイナ。
「だが、一人でこの数は、ちっとばかしきつくは無いか?」
「少々変異した程度で、この愚か者どもを調子に乗せるのは腹立たしい。それに、これまでのあれこれに対して、合法的に報復できるまたとない機会。多少きつかろうがどうしようが、きちんと一体残さず完璧に殲滅しますので」
ドーガの微妙に困ったような言葉に応える間にも、更に二体切り捨てる。普通の斬撃が通じにくい相手には、きっちり属性付与を行って攻撃を通しているあたり、なかなかにクールだ。
「……分かった。じゃが、突破するときに何匹か轢き殺す事については、一切苦情も文句も受け付けんからな」
「了解です」
その相談を聞いていたらしい元オドネルだったミュータントモンスターが、あざ笑うように声を上げる。
「この数の差に加えてこれだけの力を我らが持ったと言うのに、中庭への加勢を考えるとは、本当に頭が悪いな、女失格!」
オドネルの言葉を無視し、力をためるドーガをかばうようにどんどんと敵を切り捨てていくレイナ。時間にして一秒あるかないかのため時間の後、正面玄関を通って中庭に出られるルートのうち、最も大量に敵を巻き込めるラインを見切って技を放つ。
「貴様らにはもったいないが、時間短縮のため使わせてもらうぞ! 轟天槍覇!」
己が使える最強の大技を解き放ち、正面玄関に向けて飛び出すドーガ。一本の巨大な鋭い錐となったドーガは、進路上にいるミュータントモンスターの胴体を穿ち、貫き、粉砕して進んで行く。正面にとらえたものだけでなく、進路の端をかすめただけのモンスターすらずたずたに引き裂いて突破し、三十を超える死骸を作り上げて悠々と玄関を出ていくドーガ。瞬く間に半数近くまで数を削られたマズラック騎士団だが、彼らの受難はまだ終わってはいなかった。
「一体一体削るのは邪魔くさい! まとめて死ね!」
ドーガの大技に意識が逸れている間に、レイナの方も技の準備が終わっていたようだ。濃密な殺気とともに、広域攻撃用の技を叩き込む。
「ブラスタースクエア!」
闘気をこれでもかと言うぐらい乗せた刃を横一閃に振り抜くと、その軌跡に沿って濃密なエネルギーが進路上のものを焼き払って行く。距離による減衰もあって当たったもの全てを仕留めるには至らなかったが、この一連の流れにより、無傷なのはたまたまどちらの攻撃範囲からもそれ、逃げ切る事に成功したオドネルのみとなった。戦闘可能なモンスターの数も、すでに三十程度まで減っている。
「さて、頭の悪い女の正当な八つ当たりに、最後まで付き合ってもらおうか」
とことんまで獰猛な笑みを浮かべてアウトフェースを放つレイナに、変異した力を持ってしてなお恐怖を押さえきれないマズラック騎士団であった。
「春菜!」
「大丈夫!」
脇腹にナイフを突き立てにきたオリアを弾き飛ばし、刺さったそれを呪いを警戒して柄を握らないように注意しつつ引っこ抜きながら、真琴に応える春菜。攻撃力を上げる方向でかなりの呪いがかかっているナイフだが、彼女が着こんでいる防具を全て貫くには少々足りなかったようだ。
今の必中攻撃でスタミナを根こそぎ持って行かれたからか、弾き飛ばすより先にオリアは意識を失っていた。相手の力量によって消耗が変わる類の特殊攻撃なのだから、当然と言えば当然だ。そもそも、発動できただけ奇跡である。
必中攻撃と防御力無視は、RPGとつくゲームには大抵存在する。それはフェアリーテイル・クロニクルも例外ではない。ただし、フェアリーテイル・クロニクルの場合はこの類の機能を持つスキルは非常に少なく、かなり高レベルのボスクラスの攻撃スキルかエクストラスキル、ごく一部のドロップもしくは製造装備の特殊機能に存在するのみである。
また、相手と自分の力量差や相手のスペックに応じてスタミナの消費が変わり、宏やドーガの防御力を無視してダメージを与えるとなると、相当なコストがかかる。春菜相手に必中攻撃をかける場合、このケースに比べれば相当ましではあるものの、全く訓練を積んでいない一般人では、スタミナを根こそぎ持って行かれた揚句に気絶するのが落ちだ。
これはスキルではなく装備の特殊機能だった場合でも同様で、発動するためには相当のスタミナが必要となる。これが仮に攻撃が自動的に必中攻撃、もしくは物理防御無視となる武器だと、一発ごとにゴリゴリとスタミナを持っていかれるため、相当なタフさが無ければ使い物にならない。とはいえ、物理法則を無視させるのだから、ある意味当然と言えば当然かもしれないが。
そう考えれば、オリアは戦闘面でもそれなりに優秀だったという事になる。当人にとっては嬉しくもなんともないだろうが。
「とは言え、ランニングシャツ越しにナイフの刃先があたってる感触はあったから、本当にぎりぎりだった感じだけど……」
「だってさ。やっぱりランニングシャツだけじゃなくて、ちゃんとしたブラとショーツも作ってあげた方が良かったんじゃないの?」
「無茶言わんといてや……」
流石と言うかなんというか、その呪いのナイフは、ワイバーンレザーアーマーを完全に貫き、下に着ていたスパイダーシルクの服に穴をあけ、ほとんど皮鎧と変わらない防御力を持つ絹製のランニングシャツに当るところまで刃先をとどかせていた。刺されたあたりを触って確認したところ、ランニングシャツにも微妙に刃が突き立っていた感触があるため、本当に紙一重だったようだ。
もし仮に、ランニングシャツを作ったのが宏でなく澪だったら、糸を織って生地を作るところから始めていなければ、もしくは彼女を刺したのが昨夜の暗殺者のようにきちっとした訓練を受けていた人間だったなら。春菜は無傷では済まなかっただろう。そもそも、ナイフにどんな呪いがかかっているか分からない以上、ほんの少し刺さっただけでもいろいろアウトだった可能性は高い。
因みに、宏が防げなかったのかと言うと、防ぐためのスキルまで手が回らず、まだ覚えていなかったためどうにもできなかったのだ。必中攻撃を肩代わりできるのは、ダメージそのものを肩代わりするディボーション、物理的な距離や時間を無視して割り込むカバームーブ、同じく物理的な距離や時間を無視して入れ替わるキャスリングのいずれかのみになる。いくら物理法則を無視して必ず当たる攻撃と言っても、流石にヒット直前に障害物が出現したり対象が入れ替わったりしたときに、それを追いかけるほどの性能はない。
「思い付きとはいえ、ランニングシャツだけでも作っておいて貰ってよかったよ、本当に……」
「まあ、あれやったら男もんのシャツとあんまり変わらへんから、そんなにプレッシャー感じんと作れた感じやけど……」
いきなり言われて大慌てで五人分を織る羽目になった時の事を思い出し、微妙に遠い目をしてしまう宏。王宮サイドがたくさん用意してくれたおかげで絹糸の量が十分にあったから良かったものの、蜘蛛の巣に採りに行くとなると、なかなか微妙な分量だった。糸自体の質に思うところが無いではないが、今現在市場から調達すると、これ以上の品質は手に入らない事も分かっているため、多少性能が落ちる事については妥協してもらった。
わざわざ新しくランニングシャツを作ったのは単純な話で、後衛に届く必中攻撃の類があった場合の備え、その一環である。流石に操った侍女に必中攻撃の機能を持つ呪いのナイフを持たせる、と言うところまでは想定しきれなかったが(そもそも、オリアはいまのいままで刃物の類を一切持っていなかった事は確認されている)、一枚重ねればそれだけ色々な事に対処できるようになる。宏のガードが完璧ではない以上、こういう備えはいくらあっても困る事はない。
「とりあえず、そのうち冗談抜きで、全員分のちゃんとした下着をヒロが作ることも検討した方がよさそうだな」
「やめてや……」
達也の厳しい台詞に、肩を落としながら拒否の言葉を漏らす宏。まだ子供のエアリスですら、洒落にならないプレッシャーを受けたのだ。グラビアアイドルと勝負して勝てるような女の下着なぞ、間違っても作りたくはない。
「下着の話はそろそろおいておけ」
「そうだな。で、結局今のはなんなんだ?」
「……多分、バルドに付け込まれたのでしょうね」
気絶させられた自身の侍女を見降ろし、苦い口調で断定するエレーナ。彼女が宏や春菜に対して、半ば敵意と呼んでもいいような感情を持っていた事には気が付いていた。ちゃんと治療を終えて帰ってきたため、流石に宏達を詐欺師だとかそういう方向で疑ってはいなかったが、その治療に一切関わらせてもらえなかった事に対する不満は、バルドの手によってもはや憎しみと呼べるところまで膨れ上がりかけていたのだ。
そんな彼女の感情には気が付いていたが、かといって日ごろの言動や強すぎる忠誠心を見ていると、もし仮に一緒に工房に連れて行ったところで、やれ部屋が狭いだ汚いだ、やれ食事が粗末だ食材が怪しいだと、つける必要のない文句をつけて治療を妨げたであろう事も想像に難くない。
これが部屋や料理ぐらいならまだいい。薬について難癖をつけはじめたら、下手をすればそれこそエレーナの命にすら関わりかねない状況であった。考えすぎだと言いたいところだが、いくらこの件で反発を買い、そこをバルドに付け込まれたとは言えど、往診の度に宏達に対して見せていた態度を考えると、杞憂だとは言い切れないのが難儀な話である。
「貴方達がお菓子をばら撒いて、城の人たちの歓心を買った事すら気に食わない様子だったし」
「余程、姉上の治療に関われなかった事を恨んでいるのだな」
「何度も釘を刺したのだけど、ね……」
「そう言う恨みは、案外根深いものだからな。本人は心の整理をつけたつもりでも、些細な事でぶり返す事は珍しくない。ましてや、バルドはそう言う小細工だけは得意だ」
ため息交じりのエレーナの返事に、面倒な事をしてくれる、と言う表情を隠そうともせずに相槌を打つレイオット。
「さて、姉上。父上達は先に行かせた。少々厳しいとは思うが、急いで合流してくれ」
「分かったわ」
「……あかん、手遅れや」
更にあたりの空気が変わった事を敏感に察して、ぼやくように宏がつぶやく。
「……この感じ、隔離結界?」
「近いけど多分違う。多分、異界化しかかっとる」
顔をこわばらせながらの春菜の疑問に、同じく険しい顔で宏が答える。異界化した空間と言うのは、入るのは簡単だが出るのは難しい。
「お父様達は、大丈夫かしら?」
「向こうの移動速度と異界化のペースから考えたら、多分脱出は出来ると思う。下着がどうとか無駄話しとった時点で、今の異界化範囲からは出とったしな」
「ただ、エレ姉は今からだと無理。下手をすれば孤立する」
師弟の言葉に、表情を引き締めながら頷くエレーナ。最悪の場合でも、後衛として足を引っ張らない程度に支援する事は出来る。それに、エアリスともども、宏から与えられた切り札も持っている。
「とりあえず、なにが出てきてもいいように心構えだけはしておいて。最悪、私達の対応能力を超えるかもしれない」
春菜の厳しい言葉に、真面目な顔で頷く王女二人。エアリスだけなら最悪アルフェミナが守るだろうとは思うのだが、体の負担がどうとか言っていた事を考えると、エレーナの方に手が回るかは不明である。
「流石にここがダンジョンになっては拙い。最悪の場合、王家の切り札を切る必要があるかもしれん。そうなったら姉上とエアリスを連れて、どうにか脱出してくれ」
「……それって、レイっちがやらなあかん事なん?」
「残念ながら、この札を切れるのは国王か王太子、元国王のみ。国王が健在であれば、王太子は代えがきく。流石に、今の政治情勢で父上がいなくなるのは拙いからな」
その言葉で、切り札と言う奴がどんなものかを理解する日本人達。それが王家の重要な仕事とはいえ、なかなかえげつない立場だ。
「そういえば、異界化した空間を元に戻すって、出来るの?」
「イベントの通りだったら、黒幕を仕留めて瘴気を浄化すれば元通りになるわね」
春菜の疑問に、真琴が明快な答えを返す。ある意味予想通りの回答なので、方針を考える必要はない。やる事は何一つ変わらないのだ。
「……何か出てくる」
澪がぽつりとつぶやく。その言葉に反射的に身構えると同時に、半透明の何かがうようよと現れる。
「スペクターか……」
「ヒロ、一ヶ所に集められるか?」
「やってみるわ」
オリアをとりあえず儀式の間の扉前に動かし、浄化系攻撃魔法のチャージに入りながら声をかける達也。達也の言葉に一つ頷くと、ものはためしとアウトフェースを発動させてみる宏。
「来いやあ!!」
掛け声とともに濃厚なプレッシャーを放つ。あまりの迫力に、一ヶ所に集まる前に吹き散らされるスペクター達。
「……何ぞ消えてもうたけど、どないなん?」
「いや、スペクターがアウトフェースで消滅するとか、俺も初めての経験なんだが……」
微妙に間抜けな状況に、何とも言えない空気が流れる。
「……スペクターのような精神体が、あれだけの密度のプレッシャーにさらされて、無傷で居られる訳が無かろう」
「そう言うもんなん?」
「ああ。ユリウスやエルンストも、あのレベルのスペクターなら、大抵アウトフェース一発で蹴散らしているぞ」
呆れたようなレイオットの解説に、そういうものかととりあえず納得する二人。そこにぼそりと、真琴が突っ込みを入れる。
「スペクターとかゴーストの類って、春菜が歌えば一発でけりがつくんじゃないの?」
「……そうかもな」
「……せやな。言われてみればそうや」
瘴気を浄化できるのだから、アンデッドを成仏させる事ぐらいできても不思議ではない。とは言え、ゲームの時の常識が完全に抜けきっている訳ではない上、当の春菜がアンデッド相手に歌を歌うと言う行動をとった事が無いため、出来るかどうかは当人にも分からない。他にも何人か歌唱エクストラを持っているプレイヤーは居るが、呪歌の性能の問題で根本的に戦闘中に歌を歌う事がほとんど無いため、そんな実証実験は誰もしていない。
そもそもの話、ゴーストとかスペクターの類は単純な物理攻撃は効果が無く、ボス級でもない限りドロップアイテムもないため、わざわざ積極的に狩りに行く機会が無い。出現場所も限られる上に経験値面でもさほど美味しい相手でもなく、出現場所に何かいい素材や美味しいモンスターがいる訳でもない。
ほとんどのプレイヤーがイベントで一度は戦った経験がある相手ではあるが、それ以外に遭遇すること自体がまずない事もあって、今回話題になっているスキルに限らず、あの連中に良く効くスキルの調査自体行われていない。第一、こちらの世界とゲームのアウトフェースや神の歌が、同じ性能だという保証もない。
故に、彼らがこのあたりの事を知らなかったとしても、何の不思議もない事ではある。
「また何か来た」
「春姉、お願い!」
「了解!」
澪に言われて、地面からにじみ出るように現れた不定形の腐敗臭を放つ何かに対し、本気の歌を聞かせる春菜。とっさに歌えと言われたために即座にいい曲が思い付かず、日本人なら誰もが知っているであろう青いタヌキ、もといネコ型ロボットが出てくるアニメの主題歌を朗々と歌い上げる。因みにあんなこと出来たらいいなと言う歌詞の方である。
予想通りアンデッドの類だったらしく、春菜の歌が響き渡ると同時に動きを止め、崩れ去っていく腐った何か。どうやら綺麗に浄化されたようで、肉片すら残らず消え去っている。
とは言え、日本人なら必ず一度は見た事があるあのアニメの主題歌が後から後から出てくるアンデッドを片っ端から浄化していくシーンは、恐ろしくシュールな絵面ではある。
「……なんだ、あの歌は?」
「うちらの国の、子供向けの物語の歌や」
「童話のようなものか?」
「似て非なるもの、っちゅうとこやな」
宏の解説に、なんとなく納得するレイオット。そろそろ状況も佳境に差し掛かろうと言うのに、今一締まらない神殿サイドであった。
「……歌が聞こえると言う事は、どうやらあの侍女は失敗したようですな」
「本当に、使えない……」
神殿の瘴気が薄まっていく様子を観察しながら、状況の悪さに嘆息するバルドとカタリナ。流石に致命傷を与えることまでは期待していなかったが、全く効果無しと言うのは予想外にもほどがある。
「ですが、六千人分の怨念を即座に払いのけるほどの力までは、流石に持ち合わせていない様子。いい加減覚悟を決めて、直接仕留めに向かった方がよさそうです」
「全く、どこまでも忌々しい話ね」
ままならぬ現状に対し顔を醜悪に歪め、怨念のこもった言葉を吐き捨てるカタリナ。その様子を見て、彼女をファーレーン一の美姫だとたたえる人間は居ないだろう。
春菜が来るまでは、まだちゃんとした誇りと言うものが存在していた。不思議なもので、前提条件がおかしくとも、誇りの持ち方そのものに筋が通っていれば、たとえそれがどれほど一般的なものと相容れなかろうと、醜悪という印象にはつながらない事が多い。カタリナもその例に漏れず、少し前までは悪女なりの美しさ、とでもいうべきものがあった。
だが、今のカタリナはそうではない。なまじ整った容姿をしているだけに、その醜悪さがかえって目立つ。もはや誇りと呼べるものをすべて捨て去り、単に気に食わない事を気に食わないとわめき八つ当たりして暴れているだけのただの子供にまで堕ちてしまっている。そこに美学は無く、支持するに足る理念もなく、故に人を従わせるに足る説得力もなく、ただただ図体が立派で年齢を重ねただけの子供が持つ醜悪さしか表に出ていない。
既にバルドに捨て駒にされてしまってはいるが、彼女についた貴族たちがもう少しまともな時に今のカタリナの姿を見れば、己がいかに愚かな選択をしたのかを思い知ることになっただろう。もっとも、大半に関しては、カタリナの姿は自身の鏡でしかないのだが。
「とにかく、あの小娘と巫女二人を始末すれば、カタリナ様の勝利です。後は好きなようになさればいい」
「そうね。ならばまずは、半分とはいえ血がつながっていること自体が腹立たしい、どこまでも生意気なあの小娘を、私が直々に始末する事にしましょうか」
既に選択肢は無い。仮にすべてが上手く行ったところで単なる簒奪者扱いだろうし、首尾よくエレーナとエアリスを排除できたとしても、今から地脈を侵食するのはかなり難しい。低能化することと引き換えに、確かにカタリナは凄まじいまでの力を持つに至った。だがその力を持ってしても、地脈を汚しきる前に反作用で命を落とすことだろう。そもそも、国王とマークが逃げ延びている以上、どこまで行っても、カタリナには先などない。
だが、バルドにとってはそれでいいのだ。たくさんの嘆きと恨み節こそが、彼が信仰する神に対して最大の捧げ物になる。ウルスほどの大都市ならば、姫巫女を排除するだけでも、それほど時を置かずして地脈を汚しきることができるだろう。カタリナはそのための捨て駒である。
「さて、決戦に行きましょうか」
もはや彼にとって最高の結果は望めない。バルドは、不本意な状況における最後の賭けに臨むのであった。
「難儀なことになっておるのう……」
「ドーガ卿!?」
中庭。後から後から現れるアンデッドに手を焼いていると、思わぬ援軍が現れる。
「玄関口の方は、よろしいのですか!?」
「あらかた始末は終えたからのう。後は、レイナ一人でもどうにかなるじゃろう」
飄々ととぼけた口調で言ってのけると、最も大量に湧いて出てくるあたりに向かって突っ込んで行く。槍ではなく盾を構えての突撃ではあるが、その大質量はそれだけでも圧倒的な凶器となる。新たに湧いたアンデッドをシールドチャージの一撃で一気に制圧すると、辺りをもう一度見渡して状況を確認する。
「ミュータントの類はおらんようじゃな」
「全て殲滅いたしましたので」
「ならば、後は持久戦、と言う事かの。城全体が異界化しておる以上、こ奴らはいくら倒したところできりなど無かろう」
ドーガがあっさり結論を言い切る。やはりそれしかないのかと微妙にうんざりしながらも、新たに発生する気配を見せるモンスターに対して身構える騎士たち。
「何、儀式の間も姫様も健在である以上、そう長くかかるとも思えん。わしらの仕事は神殿にいる面子がバルドを仕留めるまでの間、有象無象を向こうに寄せ付けない事。これだけの頭数がいれば、大して難しい仕事でもあるまい?」
「終わった後がいろいろと大変そうですが、確かに大した仕事ではありませんね」
神殿の方から聞こえてくる、明るい曲調の何とも言えない歌詞の歌に耳を傾けながら、やや気だるげに答える副団長。漏れ聞こえた歌だけでも瘴気が薄まってゆき、わずかずつとはいえ出てくるモンスターの強さが落ちていく。それでも倒す数が数ゆえ、装備品の整備や騎士たちの休暇ローテーションなど、終わってからやらなければいけないもろもろは気が遠くなるほど面倒くさそうだ。
「とりあえず、五分ほどはわしが稼いでやるから、部下達の状態確認と隊列の組み直しをとっととやってこい」
「了解です」
ドーガに追い立てられて、騎士たちの状況確認に移る副団長。流石に最初の方は激戦だっただけあり、そろそろガス欠になっている人間は少なくない。中にはメインウェポンが破損している者も何人かいる。予備の武器でも一線級の実力は持っているが、あまり無茶をさせるのは良くないだろう。前衛として相手の攻撃を受け止め続けたある騎士など、いつ鎧が全壊してもおかしくないほどの損傷を受け、いい加減ポーションで誤魔化すのも限界、と言うぐらいの負傷をしている。彼がそれだけ頑張っていなければ、壊滅まではしないにせよ、犠牲者ゼロでここまでこぎつける事は出来なかったに違いない。
そういった一人一人の様子を手早く確認し、ダメージに応じて配置を入れ替えて陣形を組み直す。数千人の部隊の編成をわずか五分で終えるところは、やはり精鋭をまとめる立場にいるだけの事はある。個人の武勇だけでは、隊長や団長に抜擢される事はあり得ないのだ。
「完了しました」
「ならば、少々休憩させてもらおうかの。流石にこの老骨には、派手な戦闘が続くのは堪えるでな」
「お任せください」
明らかにまだまだ余裕がある様子のドーガに返事を返し、第一隊を前に出して新たに出現したモンスターを始末しにかかる副団長。神殿からは、しみじみと人生を語るタイプの、昭和の香りがするこれまた場にそぐわない歌が聞こえてくる。非常にレベルが高いだけに、思わず聞き入りそうになって実にやりにくい。だが、この歌が瘴気を払っているのも確かなのだ。歌うな、などとは口が裂けても言えない。
どうにも様にならない雰囲気の中、騎士団は地道に雑魚を殲滅し続けるのであった。
「ごめん、ちょっと休憩」
休みなしで四曲ほど歌ったところで、喉に多少の違和感を覚えて中断する春菜。本人に自覚は無いが、瘴気を浄化する歌と言うのは普通より負担が大きいらしい。問題なのは、歌ってる本人は普通に歌っているつもりであり、特に歌い方を切り替えていたりはしないことだろう。
「お疲れさん。飴ちゃんあるで」
普段酒場などで歌っていた時に比べ微妙に声がおかしくなっていた事を敏感に察知した宏が、大阪のおばちゃんばりにのど飴を取り出して投げ渡す。金柑に似た味と成分の何かとはちみつを使った、比較的穏やかな味ののど飴である。因みに、似ているとはいえ地味にモンスターなので、普通の人間は下手に触ることすらできない材料だ。なお、宏が作ったものである以上、普通に薬としての効果がきっちりある。
「春菜が飴を舐め終わるまでは、俺達が暴れるしかないな」
「せやな。歌止まった途端に、何ぞ実体化はじめとるし」
宏の指摘に、苦笑するしかない一同。流石異界化。この程度の瘴気だまりでも元気にモンスターが発生するあたり、実に面倒くさい。
「とりあえず、来いやあ!」
現れたカブトムシのようなモンスターを、とりあえず威圧して注意を自分に引き付ける。
「兄貴、こいつのはらわた乾燥させて処理したら、肝臓の薬になったはずやで」
「また地味だな……」
「まあ、解体しとる暇もなかろうから、適当に焼いたって」
「了解。周囲の瘴気ごと焼き払うか」
宏の周りをぶんぶん飛び回っている三体のカブトムシ。その動きを確認したうえで、瘴気だまりごとまとめて焼き払うのにちょうどいい術を詠唱する。
「行くぞ、ヒロ!」
「はいな!」
「獄炎聖波!」
達也の気合の声とともに、何とも言えない色合いの炎が瘴気だまりを焼き払う。その炎に叩き込むように、器用に一回のスマッシュで三体のカブトムシを弾き飛ばす宏。聖属性なのかそうでないのか分からない名前の魔法だが、地獄に蓋をしている炎を呼び出して不浄なるものを焼き払う、と言う効果から分かる通り、聖属性と炎属性の浄化系上級攻撃魔法である。達也の場合、こう言ったスキルを使って、わざわざ遠回りなやり方で浄化する以外に、瘴気を払う手段が無い。
「……親玉の到着みたいやな」
カブトムシを焼き払い、ほぼ清浄な状態になった神殿内に、今までとはまた異質な感じの瘴気の塊が侵入してくる。その瘴気の塊を察知して、宏が警告の声を上げる。
「聖気が満ちる事が皆様方にとって都合が悪いとは言えど、ここまで根こそぎ払いますか。あくまでも自然の摂理に逆らうとは、どこまでも傲慢な人たちですね」
「なんか、言ってる事が木を見て森を見ない種類の環境保護団体みたいだな……」
入ってくるなり言い放ったバルドの言葉に、うんざりした感じでつぶやく達也。
「達兄、その心は?」
「人間の活動も、自然の摂理の一部分だって話だ。典型的なところだと、割り箸なんかが有名だな」
「どういうこと?」
「一度人間の手が大きく入った森って奴はな、定期的に増えすぎた木を間引いたりして適度なバランスをとったりしてやらないと、かえって禿山になったりしやすくなるんだ。で、割り箸ってのはそう言う時に切った木を使って作ってるから、環境を破壊するような代物じゃねえんだよ。ま、今は割り箸自体がほとんどなくなったし、一時は間伐材をあんまり使ってなかったから批判されてもしょうがなかったんだがね」
達也の解説に、感心したような表情を浮かべるファーレーンの皆様。雑学に詳しい春菜や真琴、農業土木伐採あたりのスキルの恩恵でそういう知識が十分にある宏などは、うんうん、と頷いているだけだが。
ちなみに、宏たちの住む日本では、割り箸は祭りなどの屋台か持ち帰りの弁当に使われている程度で、普通の食堂やレストラン、旅館などの箸はすべて普通の塗り箸になっている。また、使われている割り箸は当然、間伐材を使っている。
「ま、そう言う訳だから、お前さんが思う種類の自然の摂理に任せたところで、モンスターたちにとって居心地がいい世界になるとは限らんぞ?」
「それで滅ぶのであれば、それが自然の摂理と言うものです」
無茶苦茶な事を言い放つバルドに、処置なし、と言う顔をする達也。こう言った手合いは、どんな証拠を突きつけたところで、自分の主張に相反する事実は絶対に認めないだろう。
「だ、そうだが、それでいいのか?」
「こんな国、どうなろうと知った事ではありません」
バルドの言い分をどう思っているのか、そう思って水を向けたカタリナからは、なかなかにぶっ飛んだ回答が返ってきた。
「王族は教養を磨いて当然、人のために尽くして当然。物心つく前からそうやって人の事を育てておいて、いざ下の子が姫巫女の資質を持って生まれれば、私の事など無価値と言わんばかりの扱い。どれほど努力しようが、どれほど尽くそうが、生まれ持った資質が少々劣っただけでゴミ屑同様の扱いをする国など、滅んで当然でしょう?」
カタリナの言い分を疑問に思い、日本人一同が確認するようにエレーナ達に視線を向けると、苦い顔で首を横に振る。
「カタリナ。あなたがどう思おうが勝手だけど、あれを努力したとは、人のために尽くしたとは、誰も評価しないわ」
「エアリスが今現在あなたより支持されているのは、姫巫女としての資質だけの問題ではない。心の伴わぬ上辺だけの、それも一方的で的外れで、本当の意味では相手の事を一切考えていない奉仕活動など、評価されないのは当然だろう。そんな事も分からないほど愚かだったのか、姉上?」
カタリナの言葉を、真っ向からきっぱり全否定するエレーナとレイオット。生まれ持った資質ゆえかつけた教育係が悪かったのか、カタリナは常に自分が、と言うよりは自分が学んだ理屈が絶対正しいという前提で行動していた。そのため、表面的な情報から導き出される、理屈の上では正しいが本質的には無意味な奉仕を上から目線で投げ与えるように行う事が多く、奉仕活動をしたという行為には感謝されても、その実何の役にも立っていなかった事も珍しくはなかった。
それでもバルドが来るまでは、カタリナなりに正しくあろうと努力していた。それが分かっていたから、王室一家は彼女の行動に対して注意はしても、今現在のように存在そのものを全否定する事は無かった。エアリスにしても、カタリナに嫌われているのは自分に非があるからだと、少しでも姉の神経を逆なでしないように相手の言い分を良く聞いて、至らない部分を必死になって直そうと努力してきた。
結局のところ、それが彼女をより歪ませてしまった面は否定できない。同じ事をしているのに、家族の中で自分の行いは否定され、エアリスの努力は認められる。差は無いはずなのに、妹ばかりができた子として褒められる。現実には、それではいけないと言われた事を聞き入れず、否定されたやり方に固執して周囲との関係をこじらせたカタリナ自身の自業自得ではあるが、本人からすれば、エアリスばかりがひいきされているように感じてしまうのも無理はない。
「恵まれた立場で育ったレイオットや、自身の一切を否定された事のないお姉さまには、永遠に分かる事は無いでしょうね」
「……本当にそう思っているのであれば、世界一の名医を探してきてあげるから、目と頭を診察してもらうべきね」
「私の事を認めない、受け入れない世界など、みんな滅んでしまえばいいのです」
噛み合わない、と言うより、姉と弟の言葉を一切聞き入れようとしないカタリナとの会話に絶望し、微かに残っていた希望を捨てるレイオットとエレーナ。そこに、今まで黙っていたエアリスが口を開く。
「カタリナお姉さま」
「誰に向かって口をきいているのかしら、汚らわしい」
「何故、私がそこまで気に食わないのでしょうか? どうすれば、お姉さまの心が静まるのでしょうか?」
「……どこまでも傲慢な子供ね。そもそも、あなたが生まれてきたこと自体が気に食わないと、何度言えば分かるのかしら? 今あなたが死んだところで、あなたが存在したということ自体が私の神経を逆なでするのよ。それを理解できないなんて、どこまで愚かなのかしら?」
存在したこと自体を全否定するカタリナ。最初からどうあがいたところで、カタリナとエアリスは心を通わせることなど出来なかったのだ。
そもそも、カタリナはエアリスの誕生を喜んだ事は、一度もない。レイオットやマークは血のつながった兄弟として、ちゃんと血縁の情を感じる事が出来たと言うのに、エアリスに関しては懐妊が分かった瞬間から憎悪の対象であった。眠っているだけでちやほやされるのが気に食わない。起きて泣きわめくだけで周囲があたふたと駆け回るのが気に食わない。息をしていること自体気に食わない。何より、兄も姉も弟達も、みんなエアリスばかり気にかけるのが引き裂いてやりたいほど気に食わない。
そんなカタリナとの関係を改善しようと努力したところで、気に食わない理由が増えるだけである。
「それでも、そうね。あなたに出来る事が一つだけあるわ」
強烈な憎悪がこもった、醜悪としか言いようのない笑みを浮かべながら、うっとりと幸せそうに言葉を続ける。その様子に危険なものを感じたエアリスが、懐剣を抜き放って構えをとる。良く見ると、カタリナの影が異形としか呼べない形に変化している。
「私の手にかかって死になさい。血の一滴、肉片の一欠けらも残らぬほどズタズタにされなさい」
「ダンシング!」
「エッジ!」
その言葉と同時に、カタリナの影から触手のようなものが飛び出す。宏や真琴がカバーに入る隙も与えず、凄まじいスピードでエアリスを貫こうとする触手。同時に、いつの間にかその数を増やしていたバルドが、彼女達にとっては背後に当る位置から襲いかかる。
だが、仕掛けてくると分かっていれば、いかに近接戦闘が素人の二人でも、切り札を起動するぐらいの事は出来る。二人がキーワードを唱え終わったのは、触手が飛び出した瞬間であった。キーワードを言い終えると同時に、二人の周りにそれぞれ六本ずつの懐剣が浮かび、それを取り巻くように二十四本ずつの、形も大きさも異なる刃が出現する。
最初の一本がかぎ爪の生えた触手を貫いた次の瞬間には、躍りかかってきていたバルドの分身、もしくは偽物を複数の刃が串刺しにする。攻撃用と思わしき二十四本を潜り抜けた触手や分身は、防御用の六本に阻まれ動きが止まったところを、攻撃用が完全に沈黙するまで切り裂き、刺し貫く。
良く見ると、攻撃用は常に二十四本、防御用は常に六本、何も相手をしていないフリーの刃が存在している。故に、次々と現れる偽バルドや触手、その飽和攻撃も一切の意味をなしていない。実体化している刃の数がどう少なく見積もっても百を超えたあたりで、バルドは飽和攻撃をあきらめた。
「……また、あなたの小細工ですか」
「防御用、っちゅうたらこれぐらいはせんとな」
今までの経緯から、こういう余計なものを作るのはこのヘタレ男に違いない。そういう思いを込めて睨みつけると、ガタガタ震えながらもおどけるように返事を返してくる。実に腹立たしい事だが、今回失敗した原因は、八割がたがこの男にある。
「……エルンストが兵器と言う訳だ。最大で何本まで同時に出現する?」
「実験では、一万までは確認した。それ以上は面倒になって試してへん」
「ワイバーンに通用するかどうか、と言うのは?」
「見ての通り、一本一本のパンチ力が微妙や。十メートル級の獲物とか、倒しきるまでに何本かかるか分かったもんやない」
宏の言葉に納得するレイオット。実際偽バルドに対しては、完全に動きを止めてはいるが、止めを刺すまでには至っていない。偽バルドの生命力であれだとすると、ワイバーンあたりの突進力なら、この防衛網を突破してエアリスを叩き潰してしまう可能性は高い。
それに、傍で見ていれば明確な弱点もある。発動した段階で敵に捕まってしまっていた場合、相手によっては決定的な対応が出来ない。前回神殿に侵入した時に、宏がこの機能を使わせなかったのもそれが理由である。もっとも、そもそも密着されるほどの距離に敵を近づけてしまった時点で、懐剣の有無に関係なくいろんな意味で終わりなのは間違いないのだが。
「さてと。エル達の見せ場も終わったみたいだし、あたし達もそろそろ暴れましょっか」
「そうだな。とりあえず、邪魔な取り巻きを殲滅するか」
すらりと大剣を抜き、とりあえず一番近くにいる偽物を切り殺す真琴。獄炎聖波で焼き払う達也。澪はいつもの弓ではなく、短剣を抜いて偽物の核を器用に正確にくりぬいていく。更に増えた偽バルドを宏がまとめて足止めし、レベル百未満のプレイヤーなら即死しかねない攻撃を体ですべて受け止め、かすり傷未満でしのぎきる。
たまに完全に止められなかった流れ弾で宏以外がダメージを受けることもあるが、威力を大幅にそぎ落とされた攻撃だ。その程度のダメージは、初級の回復魔法で即座に治療される。
流れはやや宏たちが優位に立つ形で膠着していた。
「それらをいくら殺したところで無駄ですよ」
「いえ。聖気が増えていく分、あなた方にとってはむしろ不利になるだけ」
「それに、我々はまだ、全く本気を出してはいませんよ」
仕留めるはしから増えていくバルドが、上から目線で楽しそうに語り続ける。だが、そんな事ぐらい、この場にいる全員百も承知だ。消費するリソースより回復するリソースのほうが多いこの状況なら、相手がどれだけ増えたところで関係ない。そもそも、偽者をどうにかするための手札はちゃんとある。今は単に春菜の喉が回復するまでの時間稼ぎに過ぎないのだ。
「春菜、そろそろいけるか!?」
「問題なし。リクエストは?」
「相手の神経逆なでした方がよさそうやから、ズン○コ節あたりいっとこか」
「は~い」
達也の呼びかけに答え宏のリクエストを受け、某演歌歌手のものでもなくド○フのものとも違う、その二つの大元となったと思われる、いわゆる海軍小唄と言うやつを歌いはじめる春菜。冗談半分でネタにしたのに、きっちり応えてくるあたり底しれぬ女である。
「妙に哀愁漂う歌だな……」
「意味の分からない単語もあるけど、とりあえずこういう状況で歌う歌ではない、って言うのは分かるわ……」
「さっきから、もう少しましな選曲は出来ないのか?」
歌を聞いたレイオットとエレーナが、微妙な表情で微妙な感想を漏らす。そんな微妙な歌でも、瘴気はきっちり浄化されるらしい。触手がすべて枯れ果て、串刺しにされたものは崩れ去り、カタリナとバルドが揃って苦しみ始める。
「歌をやめろぉ!」
余りに強力な浄化作用に耐えきれず、とうとう人の姿を捨てて悪魔と呼ぶのがふさわしい肉体に変身して春菜に躍りかかろうとするバルド。だが……
「どこ行く気や!?」
宏がアウトフェースを発動させると同時に、バルドの進路をふさいで跳ね飛ばす。濃密なプレッシャーが壁となり、宏の姿が数倍の大きさに見える。もはや春菜の居場所を目視する事すらかなわぬとみて、偽バルドをすべて取り込み宏に躍りかかる。
「まずは貴方から始末せねばならないようですね!」
「出来るもんならやってみい!」
正面から突っ込んでくるバルドに対し、豪快にポールアックスを薙ぎ払って対抗する。馬鹿の一つ覚えのスマッシュかと予測し、スマッシュ潰しを入れようとしたところで、相手が姑息にも小細工をしていた事に気がつく。
宏が叩き込んだ攻撃は、スマッシュではなかった。初級の強打技・スマイト。スマッシュと違って吹っ飛ばしたり姿勢を崩したりするような追加効果は一切ない、純粋に攻撃するだけの技。初級の技である上に形になったのが昨日の事なので、技としての性能は最低ライン。それこそ現時点ではスマッシュにすら一歩譲る程度の威力しかないが、それでも普通に単なる物理攻撃で殴るよりは威力がある。
何より、宏から飛んでくる一定以上の高威力攻撃が、必ずしもスマッシュとは限らなくなった事が大きい。発動後の隙が大きかったり、タメに無駄が多かったり、そのくせ現状の威力では真琴の基本攻撃二発分にも届かない低威力だったりと問題は多いが、今回のようにスマッシュ潰しをすかして本命を叩き込むには、十分に役に立つ。
スマッシュ潰しを体でダイレクトに受け止め、そのままの流れでスマイトを叩き込む。普通より隙の大きい攻撃がぶつかり合った結果、最初に体勢を立て直したのはやはり、ほぼ無傷の宏であった。
「真琴さん! 兄貴!」
「了解! ブレイクスタンピード!」
「いけ! 聖天八極砲!」
スマッシュでバルドを弾き飛ばした宏の合図に従い、真琴が大剣の通常スキルとしては最上位に当たる大技の一つを、達也が浄化系の集束型大魔法を叩き込む。大剣スキルとしては珍しい乱撃タイプの技を、赤いオーラを全身にまとって遮二無二叩き込んで離脱する真琴。一撃一撃がケルベロスを両断できるだけの威力を秘めた斬撃を三秒間で合計二十叩き込み、スマッシュと同質の体当たりで相手を吹っ飛ばすと言う大技だ。その後に八卦のエネルギーが入り混じった、森羅万象の力を固めた砲弾がバルドに着弾する。
「いけては……、無いわね、間違いなく」
「大分削った感じではあるがな」
一撃入れた感触と、曲がりなりにもボスである事を踏まえて、予想をすり合わせする真琴と達也。二人が使ったのはどちらもかなりの大技ではあるが、残念ながら、通常のスキルとしては最強の攻撃力を持つ訳ではない。
ブレイクスタンピードは、性能的にはエレメンタルダンスをマイナーダウンしたような代物で、コストパフォーマンスには優れるものの、一撃の重さでは二枚ほど劣る。それ以上にエレメンタルダンスが持つ、宏クラスの魔法抵抗でも持っていない限りは必ず弱点をついた事に出来る、と言う特性が無い事が痛い。結果として、数値上の補正は二割も差が無いのに、実際の威力は大違いと言う何とも言えない現象が起こる。
聖天八極砲も、複数の属性による攻撃としては強力なのだが、似たような特性でもっと威力のある魔法が、通常スキルにすら少なくとも二種類はある。威力の割に習得が楽で、大魔法としてはキャストタイムとディレイが小さく、熟練度アップによるコストダウン効果が大きいという特性から習得者は多いが、間違っても最強の魔法ではない。単純な威力を求めるなら、もっと極悪な魔法はいくらでもあるのだ。
それにそもそも、達也はスペルユーザーとしては上の下だ。彼の真骨頂は素材集めの時の手札の多さであって、最大火力は二の次と言うタイプである。こういう搦め手から攻めるには向かない相手だと、魔法使いとしては今一歩パワー不足なのだ。八極砲による煙が途切れたところで、丁度春菜の歌が終わる。煙の向こうのバルドは、予想通りまだ止めには程遠いダメージ状況であった。
「……とことんまで、気に食わない真似をしてくれますね……」
「そりゃまあ、巻き込まれた以上は、生き延びるために必死に抵抗ぐらいするさ」
満身創痍、とまでは行かず、だが決して浅手でもない傷を負って憎々しげに吐き捨てるバルドに対して、ニヒルな笑みを浮かべながらからかうように言ってのける達也。宏と違ってビビっているのに虚勢を張っている、という雰囲気は一切ないあたり、役者の違いのようなものを見せる。
「さて、一応言っておくが、こっちはまだ、切り札になるようなものは切ってねえぞ。まだ抵抗するんだったら、今のうちに切れる札は切っておくんだな」
小馬鹿にするように、余裕たっぷりの態度を見せつけながら言ってのける達也に、思わずあわてるエレーナ。
「タツヤ、迂闊にそう言う挑発は……」
「この手合いが、この程度で手札を使いきるなんざ、あり得ねえ。だったら、まだ消耗らしい消耗をしてない段階で使わせるに越した事は無いからな」
泡を食って突っ込みを入れるエレーナに対して、余裕の態度を崩さずにあっさり切りかえす達也。今現在の状況で、その余裕の態度を潰せるような要素が無い事が、バルドの冷静さを削り取っていく。
「なるほど。確かにあなたの言う通りですね。ではその口をふさぐために、少々手札を切りましょうか」
バルドの言葉と同時に、十を超えるケルベロスが召喚される。いきなり増えた取り巻きに、面倒くさいと言う表情を隠そうともしない真琴と達也。流石に数が数だけに、これは不味いかもしれないと少々不安になる春菜と澪。一体何発殴られればいいのだろうか、などと腰が引けた事を考える宏。その様子に、勝ち誇ったように笑うバルド。形勢逆転かと思われたその時、入り口方向にいたケルベロスが三頭串刺しにされ、国王が避難した方向にいたのが四頭、一瞬でミンチになる。
「何!?」
「ボスじゃから、もうちっとましなものを呼び出すかと思えば……」
「さっき陛下の邪魔をしたのもこれだったが、貴様は犬をけしかけるしか能が無いのか?」
入口から現れたドーガと、隠し通路方面から現れたユリウスが、心底呆れたように言い放つ。彼らの技量なら、護衛対象を背後に抱えていても、ケルベロスごとき何十頭来たところで取りこぼすことなどない。更に一頭ずつ仕留めて宏達に合流すると、エレーナとエアリスを囲むように両脇を固めて油断なく構えをとる。
「どうやら、少々時間をかけすぎましたか。ですが、フェルノーク卿はともかく、ドーガ卿はいささか消耗しておられるようですが」
「何、お主の攻撃をガードするだけなら、さほど体力を消耗する訳でもないからのう。火力はユリウスと真琴がおるし、春菜の切り札もある。わしが出しゃばらんでもどうとでもなろう」
ドーガの言葉が終わる前に、宏達に更に援軍が訪れる。
「すまない、またしても遅くなった!」
ドーガ達同様、進路上にいたケルベロスを三枚におろして始末しながら、謝罪の言葉とともにレイナが駆け込んできた。見ると、左腕が明らかに折れている。どうやら、右腕一本で大剣を振り回し、ケルベロスを三枚におろしたらしい。片手で振り回せるような重さとバランスではない武器を使ってそれをやってのけるあたり、年に似合わぬかなり人間離れした筋力と技量を持っている女だ。
「遅くなったはいいが、その左腕はどうしたんだ?」
「恥ずかしい話だが、オドネルを始末した時に、最後の自爆でやられた。流石に大技は厳しいが、ケルベロスを始末するぐらいはどうとでも出来る」
達也の問いかけに、少々恥ずかしそうに答えるレイナ。余りの回答に思わず唖然とする真琴以外の日本人組と、かつて利用して罠にはめた相手の予想以上の力量に憎々しげな表情を浮かべるバルド。
「で、あの下種はちゃんと完璧に始末してきたんでしょうね?」
「破片一つ残っていないから、さすがに復活する事は無いだろう」
「了解。まあ、仮に復活しても、再生怪人なんて大抵は単なる雑魚だけどね」
日本人組で一人だけ冷静だった真琴が、レイナが任されていたであろう仕事の首尾を確認する。それを聞き終わったところで、春菜が女神の癒しで骨折を治療する。部位欠損は無理でも、流石に骨折程度なら十分治療できるのだ。
「ありがたい、助かる!」
「戦力ダウンを放置しておく理由は無いし。で、オドネルって言うのが例の?」
「ああ。マズラックの私兵の頭だ。あんなものとヒロシを同一視していたなど、本当に情けない話だ」
どうやら、レイナはいろいろな意味でけりをつけたようだ。ならば、後は目の前の、今回の件の黒幕を始末すれば終わりである。
「さて、戦力も充実したし、さっさと終わらせよう!」
「あまり、甘く見ないでいただきたい!」
さあ、攻勢に出るぞ、と言うタイミングで、バルドが気勢を上げて衝撃波を放つ。それを前に出て受け止める宏。完全に出鼻をくじかれた形になり、思わず動きを止めてしまう一同。
「ここまで、ここまでさせるとは感服しますが、それでもこの場は私の勝ちだ!」
鬼気迫る表情で絶叫するバルド。その言葉が終わると同時に、更に彼の肉体が変化し始める。それに合わせて、今まで辛うじて元の姿を保っていたカタリナも、肉体が変質し始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ。こんな序盤のボスで二段階変身とか、バランスおかしくない!?」
「真琴さん、最初のボスやからって、そこまで弱いとは限らんで!」
そんな気の抜けるやり取りをしながらも、気を引き締め直す日本人チーム。変身中に手を出そうにも、分厚い瘴気の壁に阻まれて攻撃できない。空き時間をぼさっとしているのも芸が無いと、とりあえず残っていたケルベロスを全て始末し、支援魔法をかけ直す。
瘴気の壁が消えた先にいたのは、数倍のサイズになって禍々しさが増したバルドと、メデューサ、もしくはラミアと呼ぶのがふさわしい、頭髪と下半身が蛇となったカタリナであった。