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第17話

「ヒロシ様、運動会というのはどういうものなのでしょうか?」


 エレーナの結婚式及び成婚パレードを翌週に控えた、九月最後の週末のアズマ工房。宏達が来ているという事で打ち合わせに訪れたエアリスが、和室に通されて開口一発、その質問をぶつけてきた。


「……誰にもネタ振ってねえのに、結局そこに行きつくのか……」


「まあ、時間の問題ではあったでしょうけどねえ……」


 自分たちの間ではもう終わっていたはずの話を蒸し返され、思わず乾いた声でうめく達也。時間が経っていろいろ冷めた真琴も、達也の言葉に同意するようにそうコメントする。


「ねえ、エルちゃん。一応予想はつくんだけど、念のためにちょっと確認。運動会の話ってどこから出てきたの?」


「アルフェミナ様とダルジャン様からです」


「……ああ、やっぱり」


「そらまあ、他にはおらんわなあ……」


 予想通りのエアリスの答えに、遠い目をする春菜と宏。こういうケースでダルジャンが噛まないわけがないのだ。


「アルフェミナ様がエルちゃんに話を持っていくのは、まあ分かるんだよね……」


「せやなあ。こっちに関していえば、瘴気をきれいにできる祭りは、多いほうがええもんなあ……」


「ただ、ダルジャン様が絡んでるとなると、絶対にまともな内容で伝達ってしてないよね」


「そらもう、間違いないわなあ」


 元凶についてそうぼやきあい、小さくため息をついて気持ちを切り替える宏と春菜。さすがにいつまでもエアリスの疑問を放置しては置けない。


「とりあえず、運動会については冬華に説明するための映像を見てもらえば、大体理解できるかな?」


「せやなあ。まあ、エルに関しては冬華と違うて向こうに行けるから、実際の運動会を見学してもらうっちゅうんも不可能ではないんやけど……」


「見学してもらうっていっても、見てもらえる運動会ってあったかなあ」


「それが問題やねんわ。学校の運動会とか体育祭は、中学以上になると家族すら観戦させてくれへん所が結構多いからなあ」


「そうなんだよね。うちの体育祭もそうだし、二中も保護者の観戦はなかったし」


 何かなかったかと頭をフル回転させ、記憶をひっくり返して検討し、自身が直接かかわっている範囲では厳しいと判断してため息を漏らす宏と春菜。丁度運動会シーズンだというのに、あるようでないのだ。


「ねえ、春姉。うちの町内会はやってないみたいだけど、春姉の伝手の範囲で地域の運動会とか、無いの?」


「二中の校区内だと、たしか川本町の子供会がやってた記憶はあるけど、部外者の見学とかどうだったかなあ……」


「春姉。子供会がやってるパターンは多分、違う町内会だとちょっと厳しい」


「だよね。ちなみに、うちの町内会は基本、その手のはほとんどないよ。町内会でのお付き合いなんて地域の大掃除と習い事、あとはいくつかのおうちでサロンみたいな事やってるぐらい。みんなお金持ちだからか、正直町内会としてよりそれ以外のところでの方が、顔をあわせる機会も一緒に行動する機会も多いらしいし」


「ん。最初からああいう高級住宅街に、その類のは期待してない。というより、セレブの集団なのに町内会があるのが驚き」


 春菜の説明に、表情を変えずにサクッとそういってのける澪。


「そのあたり追及すると話それまくるから置いとくとして、後は企業関係やけど……」


「それこそ、納入業者とかでもなきゃ参加も観戦もできないよね」


「僕が期待しとんのは礼宮関連やねんけど、どうなん?」


「今年はやってなかったはず。ただ、うかつに確認取ると、それを理由にお金と権力で強引に実行しそうだから、聞くに聞けないんだよね」


「確かにそうやなあ……」


 次々に出てくる意見。それら全てが没となり、他に何かないかと探り出したところで、エアリスが小さく声をかける。


「あの、説明が難しいのであれば、それはそれでよろしいのですが……」


「ああ、ごめんごめん。説明が難しい、っていうより、映像で見るだけだとピンと来ないかなあ、と思って、どうにか参加できないか検討してたんだ」


 遠慮がちに口をはさんでくるエアリスに、春菜が慌ててそう告げる。


「とりあえず、この後時間があるんだったら、用意してある映像を見せるよ。神の城で、冬華と一緒に見てもらったらいいかな?」


「せやな」


「ねえ、春菜ちゃん。その映像って、どんなもの?」


「えっと、私と深雪の小学校時代のものと、後は神楽ちゃんの去年の映像かな? 一応中学高校のもあるけど、中学はともかく高校のはあまり盛り上がってないから」


「そっか。……今思ったんだけど、春菜ちゃん。神楽ちゃんの保護者枠にエル様を入れてもらうとか、できないかな~?」


「あっ」


 詩織の提案を聞き、盲点だったと声を上げる春菜。神楽の通う小学校の運動会はエレーナの成婚パレードの翌週なので、日程的にも問題はない。


 余談ながら、潮見高校の体育祭は平日に行われ、潮見第二中学の運動会はその前日となる。なので日程的には、春菜達がエアリスを神楽の運動会に連れていくのは問題ない。


「とりあえず、ちょっとおばさんたちに確認とってみるよ」


「その辺は任せるわ」


「で、結論出たところでそろそろ突っ込んでおくわね。思いっきり運動会の話に意識が向いちゃってたけどさ、今日の本来の目的はエレーナ様の結婚式関係の話よね?」


「せやせや。完全に話それとったわ」


 なんとなくエアリスに運動会をどうやって教えるかに結論が出たところで、真琴から本来の議題について突っ込みが入る。その突っ込みを受けて、宏が話を修正する。


「っちゅうても、うちらが気にせなあかんのは、お祝いの品をいつどこに持っていけばええんかと当日どんな格好で行けばええんか、後はどういうスケジュールで動けばええんかだけやけどな」


「そうだね。今回に関しては、私達は基本的にはただの一参列者だし」


「基本的には、色々と気楽な立場よねえ」


 宏の言葉に同意する春菜と真琴。王族の結婚式に参列する、というのが気楽な立場と言ってしまえる自分たちの図太さに思わず苦笑しながら、達也が先を促す。


「で、気楽っつっても王族の結婚式なんだから、やっぱりそれ相応の服装ってのは必要だと思うんだがな。エル、具体的にはどのレベルにしておけばいい?」


「そうですね……。神衣となると、ちょっと行きすぎだと思いますので、もう少し落として……。そうそう、ヒロシ様が神衣を作る前に普段着にしていた霊布の服、あれぐらいがいいかと思います。普通ならスパイダーシルクでも十分すぎるのですが、一応ハッタリとしてそのあたりにしていただけたら、と」


「あのランクの生地で礼服を仕立てる必要は?」


「礼服まで行ってしまいますと、今度は主役であるお姉さまとフェルノーク卿を食ってしまう可能性が高くなります。ですので、気になるというのであれば、ちょっとしたフォーマルな他所行きもしくは略礼服、という程度のデザインのものを用意して下されば幸いです」


「要は、普段着にする程度のスーツがあればいい、ってことだな。ヒロ、できるか?」


「できるっちゅうか、詩織さんの分以外は出番なかっただけで霊布の略礼服は用意はしてあんねんわ。プレセア様ん時に着る予定で、布団のついでに一緒に仕立てたんやけど、そのままでええ、っちゅう話になってもうて結局一回も着いひんかってん」


「そうか。そういえば、あの時はそうだったな」


 宏の言葉に、納得したようにうなずく達也。こう言っては何だが、宏とて結婚式に参加する以上フォーマルな服を用意するぐらいの常識は持ち合わせているのだ。


 用意する服の度合いをそのレベルにしたのも、エアリスが口にしたようなことをちゃんと考慮したからである。


 結局そのあたりの常識と気遣いは、相手方の特別扱いにより完全に無駄になったのだが。


「にしても、あの時は霊布の服だからそんなもんか、とか思ってたが、よくよく考えればすごい特別扱いだよなあ」


「そうねえ。まあ、そもそもの話、王族の結婚式なのにあたし達みたいな庶民が参列できるって時点で、かなりの特別扱いだけどね」


 自分たちの特別扱いぶりに、思わずしみじみとそう漏らす達也と真琴。それを言い出せば、いくら慣れてしまっているといっても、王族の結婚式というスペシャルにもほどがあるイベントに平気で参加できる時点で、宏達もかなり特別な精神をしていると言えなくもない


 なぜなら、詩織は達也や真琴ほど平然とはしておらず、本当に参加して大丈夫なのか、と内心でずっとビビり倒しているのだから。


「でもさ、プレセア様の時は普段着ぐらいのがちょうどよかった、っていうんだったら、今回は大丈夫なの?」


「今回は、うちから素材提供したからな。染料一個取っても品質が全然ちゃうし、最高級のスパイダーシルクやったら、性能以外の面はそこまで霊布に劣るわけやないしな」


「それに、地球でもそうなんだけど、見栄えだけなら生地の差は割とどうとでもなるんだよ。特に、デザインに関しては王室は超一流の人を抱えてるわけだし、素人がデザインした無難にフォーマルな霊布の服になら普通に勝てると思うよ」


「なるほどねえ」


 宏と春菜の説明に、真琴が納得の声を上げる。


「詩織さんのはまあ、今から用意しても間に合わん事はないけど、どうせデザインは統一したあんねんから、春菜さんか澪の予備を着てもらえばええやろ。サイズ自動調整かかっとるから着れんことはないし」


「まあ、それでも別にかまわんのだが、どんなデザインなんだ?」


「ぶっちゃけると、つける小物とかで冠婚葬祭どれにでも対応できる、非常にわかりやすいデザインの黒いスーツやな。就活とかでもよく見るぐらいの感じやで」


「ああ、なるほどな」


「後で試着したらわかるけど、おおよそ外しようがないデザインのはずや。後の小物類とかは、前みたいに春菜さんとエルに調整してもらう感じやな」


「そうだな」


 自分たちの服について達也が納得したところで、思い出したように宏が確認を取る。


「あと、今の話やと、ファムらは制服でよさそうやけど、そのあたりはどない?」


「そうですね。ファムさんたちは、普段の制服で十分すぎると思います」


「ジノらは出席させるとかわいそうなことになりそうやけど、出席させた方がええ?」


「こちらとしてはぜひ出席していただきたいところですが、仮に欠席でも特に無礼という事もありません」


「さよか。でもまあ、今後もうちの規模を大きくするんやったら、ジノらぐらいでもこういう場に出る機会は増えそうやからなあ。ちょっと根性入れて出てもらおうか」


「そうですね」


 宏の鶴の一声で、ジノ達四人もエレーナの結婚式に参列することが決まる。宏の鶴の一声で身分的に本来絶対関わり合いにならないであろう世界に強制的に放り込まれた上、いい機会だからとライムの礼法の先生に一緒にがっつり絞られ悲鳴を上げることになるジノ達だが、そのあたりの事情についてはとりあえずここでは割愛する。


「で、次の話だが、結婚祝いはどうすればいいんだ?」


「とりあえず、今日目録だけ預かって帰りますので、現物はお姉さまの新居に送っていただければと思います」


「新居の方は、受け入れられる状態になってるのか?」


「アズマ工房からのものであれば、大丈夫だと思います」


「となると、オクトガル便で届けた方が分かりやすいか。なあ、ヒロ。オクトガルが運べる大きさと重さなのか?」


「ん~、せやなあ……。嵩は高いけどまあ、なんとかなるやろう」


 用意したもののサイズと数を頭の中で計算し、そう結論を出す宏。メインの贈り物はアヴィンとプレセアに贈った布団と同じものなので、嵩はともかく重さは大したことはない。


「と、なると、あとはどういうスケジュールで、だな」


「せやな」


「感じから言って、金曜日の夜の時点でこっちには来てないといけないよね?」


「そうですね。可能であれば、城か神殿に一泊していただければ、と思います。後、スケジュール的に、当日もお城にお泊りいただいて、翌朝に朝食を取っていただいてから帰宅していただくのが、皆様にとって一番楽な流れになるかと存じます」


 そのエアリスの言葉に、宏達の視線が達也に向かう。


「当日一泊は最初から想定しとったからええねんけど、前乗りでの一泊か……。うちらはまあ、どうとでもなるけど、ネックになるんは兄貴やな」


「お城に泊まるんだったら、夜の七時にはこっちに来てないとだめだよね」


「ん。うちの親とか見てると、自宅ワークでもない限り、社会人が夜の七時に家に帰りつくのは結構困難」


「……そうだな。面倒だから、有休をとっちまうか。どうせ繰り越せない有休が大量に残ってるしな」


 少し考え込んで、さくっと有給休暇を使うことに決める達也。日本人のサラリーマンにありがちな話だが、達也も有休は毎年大部分を捨てている。基本的に休みを取るのは体調を崩したときか役所などへ行く用事があるときだけで、住民票をとるとかその程度の用事は許可を取った上で外回りのついでに済ませることも多い。


 そういった用事もそうそうあるものではなく、営業部のエースである達也は大きなプロジェクトに複数同時に関わっていることもざらで、結果として遊びに行くために休む、という選択も取りづらい。それどころか取引先に泣きつかれて休日出勤することも多いため、代休もたまりやすい。結果として就職してから有給休暇を使った回数は片手で足り、日数も累計で十日はいかない。そのうち大部分は結婚式関連と新婚旅行で、それもほとんどは代休を使ってこなしている。


 今年は宏達や澪のことで結構休みを取っている方だが、それで人事部が休みを取る達也にも素直に休みを取らせてくれる会社にも驚いているあたり、達也も社畜一歩手前と言えなくもない。


 ちゃんと相応に給料を出し、残業代も休日出勤手当もちゃんと付けた上で福利厚生もしっかりしているからブラック企業扱いはされていないが、達也もなかなかきつい会社に勤めている。


「なんかさあ、それいろんな意味で大丈夫なの? って心配になるんだけど」


「忙しかった原因の大部分は、外回りしてるうちにデカいプロジェクトを複数取っちまったことだからな。年度変わった時点で最後の一個も一段落して、次の準備期間って感じだから手が空いてるんだよ」


「そういう事言ってると、昇進して更に大変なことになったりするんじゃないの?」


「いやまあ、主任に昇進はするんだがな……」


 有休について真琴につつかれ、つい情報を漏らす達也。入社して四年半、一年半の研修を終え営業部に配属されて三年。社内で規定されている最短年数での主任昇進である。


「あら、それはおめでとう。ってか、そうなるとあんまりこっちには出て来れないんじゃないの?」


「今までだって、月に二回ぐらいだっただろ? それが月に一回とか一日だけとかになるだけだよ、多分」


「それで済めばいいんだけどね」


「不吉なこと言うなよ……。ってか、俺の昇進は、今回はどうでもいい。来週のスケジュールの話だ」


「そうね。で、どういう感じで動けばいいの?」


 自身の昇進の話に話題がそれそうになったのを力技で修正し、エレーナの結婚式に話を戻す達也。達也に言われ、確かにその話は今はどうでもいいと切り替える真琴。


 年長者二人に促され、エアリスがスケジュールについて話を進め始めた。


「では、順を追って説明させていただきます。まず、大聖堂での式典は十一時から十二時までの予定ですが、今回は参列する貴族の数が大変多いので、皆様にはできるだけ早く大聖堂に入っていただきたいのです」


「具体的にはどれぐらいだ?」


「そうですね。……皆様の立場にかかわるもろもろを踏まえますと、恐らく遅くとも十時前には入っていただかないと、いろいろと面倒なことになるかと思われます」


「なるほどな。だが、十時前なら、別に城に泊まらなくても……。って、そうか。下手をすると、通用門をくぐるときに面倒なのに捕まるかもしれねえか」


「はい。ですので、誰にも邪魔されぬよう、王家の客専用のフロアに一泊していただければ助かります」


 エアリスの言葉にうなずく宏達。


 宏と春菜が神になったことが微妙に漏れ気味だからか、一時期のように複数の王家と親しく付き合っていることはつつかれなくなったアズマ工房。その分、どうにかしてお近づきになりたい連中も増え、ファム達この世界での一番弟子グループはおろか、ジノ達新米組にもちょっかいを出してくる貴族や引き抜きをかけてくる商会・工房などもちょこちょこ出てきている。


 流石にウルスを拠点にしている法衣貴族や、在地貴族でも王家に直接声をかけられるような高位の貴族および頻繁にウルスに来る貴族は、無理にお近づきになろうとするような真似はしない。だが、地方にいてあまりウルスに来る機会がない貴族はそのあたりの空気を知らず、そのくせ行商人やら御用商人のおかげでアズマ工房の名前と扱ってる品物のレベルだけは知っているものだから、とにかく面倒なちょっかいをかけてくるのだ。


「そうなってくると、ジノ達も城に泊めてもらう必要があるわね」


「ん。ちょうどいい機会だし、いまだに見習い的他人事気分が抜けてないジノ達に、自分たちの立場をきっちり理解させて覚悟決めさせる」


「せやな」


 真琴の一言に、澪がスパルタなことを言い出して宏に承認される。レイオットの手によってアズマ工房に送り込まれた時点で最初から逃げ場など無いのだが、かろうじて許されていた現実逃避の余地まで潰されていくジノ達。それを誰も哀れだと思わない点に対して、心の中でそっと十字を切る詩織。


 無論、詩織自身は、こちらに顔を出す以上ロイヤルな人間関係やそれに付随する面倒ごとを回避することは不可能、という点をしっかり認識し覚悟を決めている。


「とりあえず、前日の夜から当日の式典までは分かったよ。それで、式典の後はどんなスケジュールなの?」


「はい。式典が終わり、大聖堂から退場した後、フェルノーク卿とお姉さまがお色直しをしている間に、皆様には軽食を取っていただきます。このあたりは、アヴィンお兄様とプレセアお姉さまのパレードと同じですね」


「ああ、うん、そうだね。私と宏君は、軽食取った後厨房直行だったけど」


「その後、パレード開始から晩餐会の終了まで、皆様は私達ファーレーン王家と共に行動していただくことになります。今回の晩餐会はいくつかの会場に分かれて同時に行われますが、皆様に参加していただくのは、王家及び新郎新婦の関係者、宰相をはじめとした身内と呼んでしまっていい一部閣僚のみで行う、比較的少人数での会食となります。ですので、恐らく皆様が顔をあわせたことがないのはフェルノーク伯爵一家だけだと思いますので、身構えずに参加してくだされば結構です」


「ジノ達には、更に試練が上乗せされるっちゅう訳やな」


「先ほどのミオ様の言葉ではありませんが、たとえ見習いと言えども、抜けられない形でここに籍を置いている以上、他人事では済まない立場にいると言えます。それに今回に関しましては、それほど作法にうるさい人は居ませんし。早いか遅いかだけの問題ですので、覚悟を決めていただくしかないかと」


「せやわなあ。ちょうどええから、職員全員がああいうん経験しとくために、ひとまず練習台になってもらおか」


 宏の言葉に、にっこりほほ笑んでうなずくエアリス。もとより、王家だけでなく参加者全員が、その心づもりでいたのだ。


 エアリスたちが身内と呼んでしまっていい、と言い切るような貴族は、基本的に余程偉そうな態度で王家を馬鹿にしたような口をきかない限り、特に咎め立ててくるような人間ではない。ジノ達の初体験には丁度いい相手ともいえる上、どうせ早いか遅いかの違いでしかない。


「とりあえず、確認せなあかんことはこんなところか」


「そうだね。っと、そうそう。金曜日の晩御飯は、どうしよっか?」


「もし差し支えなければ、こちらでご用意させていただきますがいかがですか?」


「なんだかんだで、多分七時前後になると思うんだけど大丈夫?」


「ええ。それに、城の料理長も、簡単なものだけとはいえ、最近ついにワイバーンを調理できるようになりまして。特訓の成果を皆様にお見せしたいとの事です」


「だったら、ご馳走にならないとだめだよね」


 料理長の努力の成果を聞かされ、あっさりそう結論を出して他のメンバーをうかがう春菜。他のメンバーも特に異論はないのか、すぐにうなずいて同意する。


「じゃあ、打ち合わせはこれぐらいにして、何か手伝えることがあったら何でも言って。今日と明日は手が空いてるし」


「そうですね。では、お言葉に甘えて……」


 春菜の申し出に甘え、晩餐会の飾り作りや一部儀式用の機材の新調、平民に振舞う祝い料理の食材調達など、アズマ工房にとって得意技ともいえる頼みごとをいくつか口にするエアリス。


 その内容に実に楽しそうないい笑顔を浮かべ、すぐさま行動を開始する宏達。そこに暇を持て余しているオクトガル達も加わり、にぎやかにかつ無駄に高効率で式典のお手伝いを終えるのであった。








 そして、時は流れて結婚式前日の六時半ごろ。


「手土産よし、正装の準備よし。じゃあ、いこっか」


 準備万端整えて、春菜が職員たちに宣言する。


「ほら、とっとと諦めて背筋を伸ばすのです」


「そうそう。どうせ早いか遅いかの違いなんだからさ」


 宣言を受けて、早くもビビッて腰が引けているジノ達を叱咤するノーラとファム。城への出入り、それも王族エリアへ行くことも珍しくなくなった今、顔見知りばかりとなった城への移動ぐらいで、ファム達に恐れるものなどない。


「親方、ジノ達がヘタレて余計な事を言う前に、さっさと移動しましょう」


「テレスも、えらいスパルタやん」


「そりゃもう、私達はこの子達と変わらないぐらいの腕の頃から、カレー粉やインスタントラーメンがらみで王宮への出入りをさせられていたんですから。いい加減、そろそろ先輩に城へのパシリを押し付けてる現状に疑問を持ってもらわないと」


「そらまあ、そうやわな。偉いさんに挨拶して御用聞きするんを新米のパシリ扱いしてええかどうかは置いといて」


 テレスの口にするあまりに剛毅なパシリの内容に、思わず笑いながらそう同意してしまう宏。偉いさん相手に機嫌と注文を取る行為を商談と扱わなければ、確かにやっていることは単なるパシリではある。


「そういや、テレスとノーラは、レラさんと一緒にお見合いパーティに出てたわよね。最初の一回は企画そのものが盛大に滑っちゃったみたいだけど、その後どうなの?」


「……ノーコメントでお願いするのです」


「……一応、その後も二回ほどあった、とだけ」


「って言ってるけど、レラさん的にはどうなの?」


「まあ、新しいお友達は順調に増えていますね。全部女性で、しかも私の歳と本来の身分を考えると、ずいぶん年下でかつ身分が上の友人ばかりですが」


 頑として語らぬ、という態度のノーラとテレスからコメントを引き出すことをあきらめ、レラからいろいろ話を聞こうとする真琴。その質問に対するレラの返答を聞き、宏達は厳しそうな前途に天を仰ぐ。


「とりあえず、親方。母さんは別に、今更無理して参加しなくてもいいんじゃない?」


「せやなあ。友達、っちゅう風に言い切れる相手が増えとんねんやったら、別に新しい連れ合い作るんにこだわる必要はあらへんわなあ」


「というかね、親方。直接参加してないあたしが言うのもなんだけど、あたし達を邪険にせずかつ元の身分についてもごちゃごちゃ言わないで、工房の仕事とか運営に余計な口を挟まず自分の仕事と家庭の事にだけ専念する、なんて好条件の男いるの?」


「広い世界のどっかにはおるかもしれんけど、求人の類は専門外やからなあ」


「あと、仮にそういう人がいても、優先順位は母さんじゃなくてテレスとノーラのような気がするんだけど……」


「おっとファム、それ以上はいけない。それ以上はテレスとノーラに対して気の毒だ」


 切れ味鋭く厳しい意見を言いそうになったファムを、達也が割り込んで止める。実際問題として再婚になるレラより、彼氏いない歴が年齢とイコールであるテレスとノーラの方が優先順位も切実さも上なのは間違いない。間違いないのだが、それをギリギリとはいえまだ年齢一ケタのファムに言われるのは、それはそれでテレスとノーラにとってシャレにならないダメージになる。


「てか、話が変なところに飛び火する前に、さっさと行くぞ。俺の都合で遅くなっちまってんだから、さっさと行かないと向こうに申し訳ない」


 話が際限なく広がりそうだと踏んで、移動を促す達也。結局仕事を休めなかった上、奮闘空しく家に着いたのが六時過ぎだったという事を気に病んでいるらしい。


「まあ、達也さんはお仕事だったからしょうがないし、そのあたりは王様たちもちゃんと分かってくれてるから大丈夫だと思うけどね」


「だからって、だらだらしてていい理由にはなんねえよ」


「まあね。じゃあ、行くよ」


 そんな達也の焦りを受けて、微妙に苦笑を浮かべながら春菜がサクッと転移を発動する。歩いたり馬車を使ったりすると目立つうえ遅くなるので、転移で楽をすることにしたようだ。


 普通ならこの人数を転移で運ぶとなると、短距離でも洒落にならないコストがかかる。また、転移魔法はコスト以外にもクールタイムなどの制約が厳しいタイプの魔法なので、ファーレーン王家の人間でもなければこんな気軽な使い方はできない。


 だが、もはや時空神となった春菜にとって、同じ世界の中で移動する分には、転移のリスクやコストは普通に歩くのと変わらない。なので、かつてと違ってこちらの世界で転移をためらう理由はほとんどなかったりする。


「いらっしゃいませ、皆様。お待ちしておりました」


 どうやら、春菜が転移してくることを分かっていたらしい。転移した先の城門前広場では、エアリスがいつもの年配の侍女を従えて待っていた。城門前広場全体にエアリスの手で人払いの結界が張られ、パッと見て死角になる位置にはドーガをはじめとした護衛がさりげなく配置されている。


 国を挙げてのビッグイベントを直後に控えるだけに、城を含めたこの一角は、浮かれつつもどことなく物々しい雰囲気が漂っていた。


「こんばんは、エルちゃん。今日はいろいろよろしくね」


「はい」


 春菜の挨拶ににっこり微笑むと、人払いの結界を解いて城まで先導するエアリス。宏達にとっては勝手知ったる通り道ではあるが、今日は時間が時間で、しかも今まで一度も城に出入りしていないジノ達がいる。


 なので、一応門番に話は通っているが、面倒を避けるためにエアリスが通行証代わりをするのだ。


「ご苦労様です。話は通っていると思いますが、こちらは私の客人です」


「はっ! お通りください!」


 緊張感を漂わせたまま、宏達を通す門番。今日はいろいろあったからか、顔見知りである宏達相手だというのに、表情も態度も硬い。


 恐らくエアリスが一緒でなければ、普段のように顔パスという訳には行かなかったであろうことは間違いない。


「……実家を出て事実上貴族でなくなってから、初めて城に上がることになるとは思わなかったぞ……」


「……貴族としての勉強が役に立ったと喜ぶべきか、今更不十分な勉強でこの世界に足を踏み入れなきゃいけないことを嘆くべきか……」


 初めて中に入ったウルス城を見ながら、ジェクトとシェイラが小声でぼやく。一週間ほどのスパルタ教育で貴族時代の勘を取り戻したおかげで、ジノ達よりは態度の面で様になってはいるが、それでも所詮はいつ平民に転落してもおかしくない貧乏貴族だ。身分的にも掃いて捨てるほどいる騎士爵のうちの一家でしかなく、よほどの事情か偶然がない限りは、王族と面会する事はおろか城の貴族エリアに入ることすら簡単ではない身分である。


 当主ですらその程度の家において、あろうことか平民落ちが確定している末っ子が雇い主や先輩のおまけとはいえ聖女たるエアリスに親しくしてもらって、挙句の果てに国王主催の夕食に招待されているのだ。なまじっか貴族としての感覚があるだけに、そのプレッシャーは半端ではない。


「そういえば、ジェクトとシェイラの実家の話って、聞いたことなかったわね」


「ん。というか、ジノ達の家庭環境とか経歴もよく知らない」


「レイっちが連れてきた相手やからって、深く気にしてへんかったもんなあ」


「そうそう。でも、考えてみれば、どういうきっかけで殿下がジノ君たちを見つけたのかっていうのはちょっと不思議だよね」


「普通に考えて、接点とかなさそうだしなあ」


 ジノ達の家庭環境及びどういうきっかけでアズマ工房に来たのか、などという、今更それかと突っ込みたくなるような話題で盛り上がる日本人メンバー。良くも悪くもそういうことを気にしない宏達に、思わず苦笑が漏れるファム達職員第一期組。


 基本的に、善良なれど訳ありな連中が揃っている工房だけに、雇い主のこのあたりの鷹揚さは、ありがたくもあり不安でもある部分だ。


「まあ、今更やしどうでもええか」


「そうだね。ただ、言いたくない事とか忘れたいこととかは別に言わなくていいけど、私達が知っておかないとまずい事とかあったら、いい機会だから教えてくれると助かるかな?」


「親方、ハルナさん。それを聞くのは今更過ぎるのです」


「うん。ちょっとどころでなく反省はしてるよ」


 今更過ぎる話に、容赦なくノーラが突っ込みを入れる。その会話に、エアリスがくすくすと上品に笑い声を漏らす。


「まあ、別段隠してる事とかは特にないからいいんですけどね。俺の場合、もともと大家族の真ん中ぐらいっていう微妙なポジションだったから、独立した時点で親兄弟とはほぼ縁が切れてますし。それに、今親しい人間って、全部アズマ工房に所属してから知り合った相手ばかりなんですよね」


「私の方は、まだイグレオス神殿の方にも籍が残っている、というぐらいですね。籍が残っているからと無体なことはするな、とイグレオス様から神託が下っているそうですし、可能性としてはせいぜい、もっと腕が上がったら魔道具作りの教師になってくれと頼まれそうなぐらいなので、そっちの方は心配いらないでしょう」


 痛くもない腹を探られるのは勘弁願いたい、とばかりに、とりあえず問題になりそうな要素についてさっさと白状するジノとカチュア。さっさと逃げを打った二人に、微妙に恨めしそうな視線を向けながらジェクトが口を開く。


「俺たちの場合、仕送りしてる関係上、実家と縁が切れてないことが問題になるかもしれません。父と兄はまだいいのですが、嫁いだ姉二人、というよりその婚家がどうなのかが、俺たちにはわからなくて……」


「多分、現時点では大丈夫そうだから私達がここにいるのだとは思いますけど……」


「別に、ちょっとぐらいやったら実家優遇したってもかまわんで。もちろん、自分らの腕で出来る範囲に限るけどな」


「いやいやいや! 駄目になるときって、そういうところから駄目になるんですよ!」


「お兄ちゃんの言う通りです! 下手に優遇なんてして天狗になった挙句に実家が取り潰しになる、とか、最悪もいいところですから!」


 宏の悪魔の誘惑に対し、全力で抵抗するジェクトとシェイラ。このあたりの慎重さと潔癖さがここにいる理由なのだろうが、じり貧になり始めるとひっくり返せない匂いがプンプンする気質である。


「そろそろ食堂に到着しますので、そのあたりのお話は食事をしながら、という事でいかがですか?」


「せやな。っちゅうか、食事用意してもらえるんはありがたいんやけど、よう考えたら今日ってエレ姉さんが実家で食う最後の夕食やろ? エルはこっちで食うみたいやけど、家族水入らずでのうてええん?」


「そこは気にしないでください。家族団欒に関しましては、今晩お味噌汁でもいただきながら私の部屋でゆっくりじっくりと行う予定ですので」


「それはそれでどないなんよ?」


 最後の団欒に対して何とも微妙な事を言うエアリスに、思わず宏が突っ込む。


 実のところ現実問題として、王侯貴族の結婚だと、結婚式前日の花嫁は主にウェディングドレス的な意味で大した食事などできない。食べてもいいのだが、あまりしっかり食べてしまうと、翌日地獄を見るのは本人だ。


 それが分かっているため、基本的に新郎新婦は式当日の昼食ぐらいまでは空腹感に耐えながら小腹をうめる程度の軽い食事で我慢し、夕食でそれなりにまともなものを、夜食で帳尻合わせの食事をとる事で耐え忍ぶのだ。


 他にも、新郎新婦は夕食が終わるぐらいの時間まで最後の準備で手を取られるため、結局まともに家族団欒の時間を取れるのは寝る前の夜食時ぐらいになってしまうという事情もある。


 それを知っているがゆえに、家族も夕食ではなくその後の軽い夜食で最後の団欒を楽しむのが常となっている。


 明日嫁いでいく家族が空腹に耐え忍んでいるというのに、その目の前でちゃんとした夕食をバクバク食える神経をした人間は、王族と言えどそうはいないのである。


「とりあえず、今日はジノさんたちの予行演習という事で、私以外の王家の人間は居ません。一応目に余る点があれば指摘はしますが、主にこういう環境で堂々と食事をすることに慣れていただくのが目的ですので、そんなに身構えずに食事を楽しんでください」


「なるほどね。ってか、特にジノ達の緊張が目に余るってだけで、あたしたち日本人組とライム以外はみんな似たようなものなのよね」


「ん。ノーラ達も王家の人との食事にこそ慣れてるけど、そこに他の貴族がいる正式な晩餐会は初めて」


「ノーラとしては、条件的にはそんなに変わらない筈の親方たちが、そこまで落ち着き払ってるのが不思議でしょうがないのです……」


 なんだかんだと言って緊張がにじみ出ているノーラの言葉に、思わず微妙な感じの曖昧な笑みを浮かべてしまう宏達。


「そらまあ、うちらもなんだかんだ言うて場数は踏んどるしな」


「そうだよね。エルちゃん助けて治療したエレーナ様と一緒にここに連れて帰った時は、散々あっちこっちの晩餐会だとかお茶会だとかに引っ張りまわされたしね」


「大部分は春菜と達也がどうにかしてくれたけど、あたし達だって全く参加せずに引きこもり、って訳にはいかなかったしね」


「ん。ボクみたいな平民の未成年にも、機会って意味では容赦なかった」


「あれだけ引っ張りまわされりゃ、そりゃ嫌でも慣れるわな。もっとも、あの時俺らを引っ張りまわした貴族の半分は、もういなくなってるが」


 微妙にぼかしながらカタリナの乱の頃の事を告げ、ノーラの疑問の答えにする宏達。宏達の言葉に、タート一家以外の全員がなんとなく納得する。レラ達がよく分かっていないのは、当時の環境的にそんな上流階級の事情など気にする余裕がなかったため、そのあたりの空気感がいまいち分かっていないからだ。


「何にしても、いずれお前さんたちもこういうところに顔を出すことになろうから、今のうちにちゃんとした会食に慣れて、マナーをきっちり身に着けておいた方が後々楽だぞ」


「そうだね。ファーレーンは言葉遣いにはすごく寛容な国だけど、マナーに関してはいつまでも大目に見てくれる訳じゃないから」


 達也の言葉に春菜が同意する。実際、特に描写してはいないが、なんだかんだと言って宏達は全員、フェアクロ世界のほぼすべての国・地域で、社交界に出て外交問題などを起こさないレベルのマナーを身に着けている。結構無礼なことをしているように見えるが、それもちゃんと許される範囲を見切ったうえで問題にならないように行っているのだ。


 もっとも、今となっては、こちらの世界で宏達の言葉遣いやマナーに文句を言える国はなくなっている。派手にかしこまったりといったことをしないだけで、宏や春菜と直接対面すれば、相手が神もしくはそれに類する存在であることは本能的にわかってしまうため、無礼だなんだと騒ぐ気がなくなるのが理由だ。


 親しくない人間は神の威にあてられ、親しい人間はそんなものの影響など一切受けない代わりに、最初から細かいことなど気にしない付き合いをしている。


 宏と春菜ほどではないにしろ、真琴と澪も似たような感じだ。生産と戦闘を足したエクストラスキルの数がひそかに十個を超えた澪と、邪神戦の結果レベルが四ケタに届きつつある真琴は、肉体性能だけで言えば亜神とでも呼ぶべき領域に足を突っ込んでいる。宏達ほど顕著な影響はなくても、このクラスになればよほどの愚か者でなければ、対面しただけで敵に回せば終わると分かってしまうのだ。


 達也はまだ普通の人間の上限程度ではあるが、国家運営にかかわるほどの立場を持っている人間は、ウォルディス戦役と対邪神戦の英雄相手にその程度の些細な事で騒ぎ立てるほど愚かではない。そういう面でも、宏と春菜同様、わざわざマナーや言葉遣いごときで騒いで藪蛇をするような救いようのない人間はほとんどいないのである。


「ボク達がいるときにマナーぐらいで目くじら立てる人はこの国にはいないから、失敗するつもりでやるのが吉」


「そうですね。ですので、今日と明日は指導をしてもらう、ぐらいに思っていてください」


 丁度食堂の扉の前に到着したところで澪とエアリスにそう言われ、ライム以外は浮かない顔をしながらも不承不承という感じでうなずく。ライムは日ごろの成果を見せるのだと意気込んでいるため、職員組では唯一顔が明るく前向きだ。


 その後、指定された席に座った職員たちは、トロール鳥のコンソメスープと三種の前菜盛り合わせからスタートしたフルコースに悪戦苦闘することになり……


「やっぱり、ちゃんとライムと一緒に勉強しておくべきだったのです……」


「日頃から食べ方そのものは綺麗だとはいえ、親方たちが妙に完璧すぎるのがつらい……」


「あたし的には、一緒に勉強してたはずのライムにここまで差をつけられてる事にへこむよ……」


 非常に上品にかつおいしそうに食べる宏達や、貴族出身のはずのジェクトとシェイラより完璧なマナーで食事を進めていくライムに大いにへこまされることになる。


 なお、料理長渾身の一皿であるメインディッシュ、ワイバーンもも肉のステーキは、


「去年はまだまともに焼くんもできんかったこと考えたら、大分頑張ったんやなあ」


「ただ、まだまだ合格点はあげられない感じかな?」


「ん。王宮伝統のロイヤルソースを使うのは悪くないけど、ソースの調整が足りてない。ワイバーンにソースが負けてて、その上でワイバーンの素材の味を損なってる」


 と、料理長の今後の向上を願って、かなり厳しい採点が付いたのであった。








 その日の夜。エアリスの自室。


「お姉さま、このたびは本当におめでとうございます」


「ありがとう」


 ようやくもろもろから解放されたエレーナを、温かいみそ汁とともにエアリスが迎え入れた。


「……ふう、落ち着くわ」


 味噌とダシの香りを楽しみ、具のないみそ汁を一口音を立てずにすすって、吐息と共にエレーナが漏らす。なんだかんだ言って、明日の結婚式のためにずっと緊張が続いていたのだ。


「もうそろそろ、お父様もいらっしゃると思います」


「ええ」


「とりあえずお味噌汁を用意させていただきましたが、何か軽く召し上がりますか?」


「明日がつらくなりそうだから、我慢するわ」


「明日一日の我慢とはいえ、もう少しぐらいは召し上がっても大丈夫だと思いますが……」


 エレーナの体調を心配し、エアリスがそう告げる。が、エレーナも譲る気はないらしく、やんわりと、だが頑として食べ物を口にしようとはしない。


 そこへノックの音が聞こえ、侍女とのちょっとしたやり取りの後、現王室の人々が揃って入ってきた。


「姉上、おめでとうございます。いよいよ明日ですね」


「姉上、おめでとう」


「ありがとう」


 入室してすぐ、マークとレイオットがエレーナに祝いの言葉を継げる。


「父親としては、肩の荷が下りたような明日が来てほしくないような複雑な気持ちよ……」


「そうですねえ。アヴィンも海の向こうに婿入りしましたし、子供たちもずいぶん減ってしまいました……」


 しんみりとつぶやくファーレーン王に同意するように、正室であるエリザベス妃が明日には残り三人、まだ一歳半ほどの双子を入れても五人になってしまう子供たちを見てため息をつく。


「レドリックさんもエリーゼさんも、たくさんの兄弟がいるというのにほとんどの兄や姉と面識を持たずに育つのですね……」


「本当に、何とも寂しい限りです……」


 アヴィンの母で側室第一妃のレナーテが嘆くように末っ子の事に言及すると、マークの母で第二妃のミモザが心の底から同意する。


 余談ながら、正室であるエリザベスは子供たち全員を呼び捨てだが、レナーテとミモザは自分の子以外はさん付けである。別段特に決まりがあるわけではないが、暗黙のルールとしてそれが定着している。


「それはそうと、エレーナ。明日は結構な長丁場になりますが、ちゃんと食べていますか?」


「あまり食べると地獄を見そうなので、ほどほどにしていますが……」


「ほどほど、ではいけません。他の娘ならまだしも、貴女は完治してから日が浅いのです。病み上がりとまではいいませんが、体重が戻り切っているわけでもないことぐらい、母はお見通しなのですよ?」


「ですが……」


「体重も体力もいまいち戻り切っていないのですから、消化がよく滋養のあるものを食べなければ、明日一日は乗り切れません。それとも、式やパレードの最中に倒れて、夫となるユリウスに妻の体調管理もできず無理をさせて倒れさせた男という汚名を着せるつもりですか?」


「……それは……」


 エリザベス妃の有無を言わせぬ正論に、思わず言葉に詰まるエレーナ。エレーナの緊張と不安に、その点が関わっているのも事実である。


「エアリス。アズマ工房の方から、何かいいものをもらっていませんか?」


「……そういえば、確か……」


 エリザベス妃に確認され、夕食後に宏と春菜が作ってくれたものを思い出す。それを腐敗防止と容量拡張がかかった食料庫から探し出し、取り出して姉の前に出す。


「……これは?」


「茶碗蒸しです。速やかに必須栄養素を吸収しつつ、カロリーが脂肪に化けずゆっくり一日かけて燃焼するよう工夫を凝らしてくださったそうです」


「……その条件を満たすために、とんでもない食材が使われていそうな気がして仕方がないのだけど、あえて追及はしないわ」


 小さな茶碗に神の名を冠した食材をバランスよく詰め込み、エレーナの体質や予想される体調に合わせてとことんまで調整しつくした究極の茶碗蒸しを手に、小さく苦笑を浮かべるエレーナ。さすがにこれを出されてしまっては、自身が空腹を慣れと根性で抑え込んでいることを自覚せずにはいられない。


 適温まで冷めた茶碗蒸しを上品にひと匙すくい、ゆっくり口に運ぶエレーナ。口に入れた瞬間、ダシの芳醇な香りが口いっぱいに広がり、遅れて濃すぎない程度に濃厚でありながらどこか優しいダシの味と滋養たっぷりであることを主張するまろやかな卵の味、そして様々な具材から染み出したうまみ成分が混然一体となって、エレーナの味覚と思考をやさしく塗りつぶす。


 その優しい味に、気が付けばエレーナは無心になって匙を口に運び続けていた。


「……なんだか、ようやく人心地付けた気がするわ……」


「お姉さまが少しでも元気になられたようで、本当によかったです」


 ちょうど一杯分で心身ともに満足したエレーナが、ため息交じりに正直な気持ちを口にする。その本音に、にこにこと微笑みながらエアリスがうなずく。


「それにしても、今後こうして団欒の席を囲む年頃の娘は、エアリスさん一人になるのですね……」


「本当に、寂しくなります」


「エリーゼが年頃になるまで、あと十年ぐらいはありますからねえ……」


「そのころまでに、余は内孫の顔を見ることができるのであろうか……」


 三人の妃とファーレーン王の言葉に、気まずげに視線を逸らすレイオットとマーク。いい加減せめて婚約者ぐらい作れと、遠回しに言われたことを理解しているのだ。


 おそらくどう転んでも自分の子供は外孫になるエアリスは、そんな様子をニコニコと見守るばかりである。


「そうよのう。いっそリーファ殿下もこちらに来ていただくか?」


「それもいいかもしれませんね。どうせ、ウォルディスが我が国の手を離れるのは、どれほど頑張ったところで殿下の子供の代になるのですし、殿下自身もレイオットの事を憎からず思っているのですし」


「リーファ殿下がレイオットさんと結婚したところで、大した問題にはなりません。二つの国の王位継承者同士が結ばれて、その子供に各々の国を譲った事例も過去にいくつかありますしね」


「エアリスさんは、どう思われます?」


 ファーレーン王の言葉にエリザベス妃とレナーテ妃が乗っかり、ミモザ妃がエアリスに意見を聞いてくる。獲物を狙うような三妃の視線と、助けを求め縋りつくようなレイオットの視線を受けて、ニコニコと笑顔を浮かべたままエアリスが口を開く。


「そうですね。リーファ様に機会を差し上げる意味でも、時折こちらに来ていただくのは問題ないかと思います」


「エアリスっ……」


「お兄様、リーファ様以上に心を許せる女性でも連れてこない限りは、お母様方を納得させることは不可能だと思いますよ」


「……だが……」


「リーファ様を女性としてみることができぬのであれば、そうきっぱり告げるのが本当の優しさです。そうでないのであれば、おとなしく認めて心を通わせながら時が熟すのを待てばいいのです。どうせ、婚約などの話が出るにしてもあと三年は待つ必要があるのですし」


 エアリスの、どこまでも女性らしい意見にどう反論していいか分からず、言葉に詰まるレイオット。それを見たエアリスが、止めを刺すべく追撃をする。


「リーファ様の境遇につけこんでたぶらかしたような気がする、というお兄様の引け目も理解はできますが、女心というのはそれほど単純なものではありません。それに、私と違ってお兄様の場合、リーファ様の方から好意を示してくださっているのです。好いてくださっているのだから好きになれ、などというお兄様もリーファ様も侮辱するようなことは申しません。申しませんがせめて、そういう逃げの態度だけは改めて、好きなら好き、女性として見られないなら見られない、まだ自分でも分からないのであればもう少し待ってほしいと、正直に告げるのが誠意というものですよ」


 どうやら、自身の境遇と照らし合わせて思うところがあったらしい。エアリスが有無を言わせず一息に言い切って、妙に優柔不断なレイオットに止めを刺す。


「エアリスさんもいつの間にやら大人になって……」


「本当に、立派になりましたね……」


 いつの間にやら本気で恋愛や結婚について語る歳になったエアリスに、感慨深げにそんなことを言う側妃達。


「本当に、寂しくなるわね……」


「エレーナ」


「お母さま?」


 本当に心底寂しそうにぽつりとつぶやいたエレーナを、エリザベス妃がそっと抱きしめる。


「たまにならば、こっそり参加しに来てもいいのよ?」


「……とりあえず、今はお気持ちだけありがたく受け取らせていただきます」


 こっそりとそんな魅惑的な言葉をささやいてきた母親に、微笑みながらきっぱりと言い切るエレーナ。


 こうして、エレーナの王女としての最後の夜は、穏やかに和やかにゆっくりと過ぎていくのであった。

エレーナ様の結婚式まで行かなかった……。

恐るべし、運動会。

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