第2話
宏達がスーシャ村に戻ってきたとき、宿泊場所はカレーの匂いに包まれていた。
「あ、おかえり」
戻ってきた宏達を見つけ、何やら地図に書き込みをしていた真琴が声をかけてくる。
「おう、ただいま。で、何でカレー作ってんだ?」
「ちょっと、単純だけど複雑な事情があってね」
「なんだ、そりゃ?」
「カーバンクルの異変に関係してるのよ。正直、あたしとしてはこれが上手く行かない事を祈りたいんだけどね……」
どことなくアンニュイな空気を漂わせながらそういう真琴に、怪訝な顔をするしかない宏、春菜、達也の三人。一緒に戻ってきたアンジェリカは、どちらかと言うとカレーそのものに興味をひかれているらしく、宏達の会話にはこれと言って関心を示していない。
アンジェリカは基本的に、宏達がする事に口を挟まない。行動原理や価値観が違い過ぎる上に、単純な実力は宏達の方が上だからだ。今の世界については宏達の方が圧倒的に詳しいこともあり、アンジェリカは現状、人間関係や特殊な種族の絡み以外、求められない限りは自分の意見を口にする事は無い。
「ふむ。実にスパイシーな香りがするが、これはどのような料理なのだ?」
「カレーって言う、ボク達の故郷の国民食。これを炊いたお米の上にかけて食べる」
「ほう? それほどのものなのに、今までお主らが作っているところを見た事が無いのだが?」
「ちょっとスパイス系の料理続いてたから、しばらく作ってなかった」
「なるほどな」
澪の説明に納得しつつ、少しばかり期待の視線を鍋に向けるアンジェリカ。暴力的なまでに食欲をかきたてるスパイスの匂いは、直前まで村全体の引っ越しを行っていたアンジェリカにとって、どうにもならないぐらいに魅力的なものであった。
「……旨そうだのう」
「もう少しでできる」
「我の分もあるのか?」
「五十人分ぐらい作ってるから、普通に考えてボク達の晩御飯分ぐらいはあるはず」
「そうか。それはありがたい」
その会話が終わるか終らないかぐらいのタイミングで、がさがさと何かが草をかき分けて近寄ってくる。
「何やら来たようだが……」
「むう。来たらいいな、ぐらいだったのに……」
澪がカレーを作っている天幕の周りを、十重二十重と表現したくなるほどの数、小動物が取り囲む。その姿はどう見ても、黄色い毛皮を持つ耳の長いリス。
額に宝石があることも含めて、どう考えてもカーバンクルの変異体である。
「ぐ~!!」
「ぐっぐ~!!」
話に聞いていた通りの鳴き声を上げながら、じりじりと包囲網を縮めてくるカーバンクル達。その目はいろんな意味で本気である。
「まだできてないから落ち着く」
澪の鋭い声に、ぴたりと動きを止めるカーバンクル達。さすがに、まだできていないものを奪おうとするほど、頭が悪くなっている訳ではないらしい。
それでも、澪にプレッシャーをかけるのまでやめる気はないらしく、ある種の殺気のようなものをにじませた視線をひたすら注ぎ続ける。
「師匠、春姉。多分足りない」
「うん、私達も作るよ」
「短縮したらんと間に合わんな」
澪のSOSを受ける前から、既に仕込みに入っている宏と春菜。カーバンクルが姿を現す前に野菜の選別を済ませているあたり、毎度のことながら素晴らしい連携である。
「そろそろ、この手の炊き出しに使う米は在庫が微妙になってきとんなあ」
「下手に神米使う訳にもいかないもんね」
大量に米を研ぎながら在庫の不安を口にする宏に、春菜が同意する。使いきれないほどの食材を確保しているアズマ工房ではあるが、いつでも仕入れられる普通の食材は案外在庫を持っていない。
特に最近は、宏達自身が口にするのは神の食材ばかりになっていることもあり、地域性を感じさせるもの以外は特に追加で仕入れたりはしていない。そのあたりの影響が、こういう時に出てきがちである。
「あっ、そうそう。澪ちゃんはカレーのお肉、何使ったの?」
「ブルホーン。地味に三頭分ぐらい残ってたから」
「あ~、そう言えば余ってたよね」
澪が口にしたモンスターの名前に、春菜が物凄く納得した風情で何度も首を縦に振る。
ブルホーンはウルス東部の草原に生息する中では最強のモンスターで、見た目も性質もほぼ牛そのものである。
ウルス東部の草原に生息する狼以外のモンスターの常で、このブルホーンも基本的には手出ししない限りは襲ってこない。だが、一度戦闘態勢に入れば、駆け出しの冒険者など一瞬で命を散らすほどの攻撃力と敵対した相手の息の根を確実に止めるまで攻撃の手を緩めない執拗さを見せる、まさしくモンスターの名にふさわしい戦闘能力を見せる。
当然、その肉はトロール鳥よりちょっと劣る値段、という程度には高級品で、これを安定して狩ることができれば戦闘面では一人前、という、登竜門的なモンスターである。
達也と真琴が暇にあかせて仕留めてくるため、アズマ工房で牛肉といえばガルバレンジアやベヒモスを狩るまではブルホーンの肉だった。その名残か、ブルホーンの肉は結構な在庫があったのだ。
地味にブルホーン肉とアズマ工房製のカレー粉という、ウルスでも富裕層しか手が出せない高級品を使った料理になってしまっているが、そもそも宏達が作るものは基本、屋台で売る一部商品以外どれも高級品なので今更の話であろう。
「アズマ工房では、カレーといえばビーフカレー」
「うん、そうそう」
澪の言葉に頷きつつ、超高速で調理を進めていく春菜。早く仕上げて煮込み作業に入らないと、カーバンクル達が暴れ出す。
凄まじい速度で宏と春菜が具材を煮込む所まで調理を進めたあたりで、ようやく澪の作っていたカレーが完成する。澪が火を止めた事で完成したと判断し、とっとと食わせろと更にプレッシャーをかけるカーバンクル達。その圧迫面接的な行動に苦笑しながら、澪が手早くカレーライスを皿に盛っていく。
完成品をアンジェリカが地面に置いた瞬間、カーバンクル達が物凄い勢いで殺到した。
「ちょっと待てお主ら、少し落ち着け!!」
殺到したカーバンクルに蹂躙されそうになり、ヴァンパイア的特殊能力を駆使して大慌てで逃げたアンジェリカが叫ぶ。餌にワッと集まってくる毛皮系小動物、という絵面は非常にほのぼのとした可愛らしいものだが、実態はそんな生温いものではない。
しかも、叫びを聞いたカーバンクル達、それも生存競争に負けてカレーにありつけなかった連中が殺気だった視線を向けてくるのだから、たまったものではない。いくら真祖のヴァンパイアといえど、手は二つしかない。一度にそんな大量に配膳することなどできないのだ。
「……小動物にたかられて身動きが取れなくなる幼女。ビジュアル的には完璧なのに……」
「ミオよ、これがそんな呑気なものだと思うのか?」
絵面だけなら同意できる澪の言い分に、必死になってカレーを配って回っているアンジェリカが、ひきつった顔で反論する。
普通、小動物はビームで幼女を脅したりしない。
「申し訳ありません! お手伝いします!」
そこへ村長に呼ばれて席を外していたティアンが戻って来て惨状を目の当たりにし、大慌てでアンジェリカの手伝いに回る。そのままセバスティアンで培った華麗な執事技を駆使し、優雅に丁寧にかつ迅速にカーバンクル達へカレーを給仕する。
「……むう、やっぱり足りなかった……」
後から後から次々によってくるカーバンクルにより、瞬く間に消費され尽くしたカレー五十人前。一皿を数匹で食べているのにこの始末だ。食べ方が普通に動物のそれで、二足歩行して皿を抱え込んだりという真似をしないのがせめてもの救いであろう。
それだけでも、いかにカレーで釣ったカーバンクルの数が多いか想像できるだろう。
「もうちょっとだけ待って。そろそろ煮込み終わるから」
「こっちもご飯そろそろ炊けんで」
追加を作っていた春菜と宏の言葉が聞こえたか、標的を澪からそっちの二人に変更するカーバンクル達。その余りに正直な反応に、間違いなくこいつらは言葉が通じない振りをしている、との認識で一致する一同。
何にしても、この調子で食われてしまうと、自分達の夕食が無くなる。材料は問題ないが、調理する時間が足りない。
「これ終わったら打ち止めやで」
「ぐっぐ~!!」
「自分ら、ただで食わせてもらっとんねんから、文句言うたらあかんで」
「ぐ~!!」
「ビームで脅すとか、チンピラと変わらんでな。そんな奴に食わすカレーはあらへん」
宏の言葉に、ピタッと威圧系の動きを止めるカーバンクル達。やはり、ここまで来てお預けは嫌なようだ。
「……師匠、カーバンクルの言ってる事分かるの?」
「分かる訳ないやん。このシチュエーションでこの態度やねんから、多分言いたい事はこういう事やろうなっちゅう想像で声かけとるだけや」
「……やっぱりそっち?」
宏の、ペットなどに対するある種当たり前といえば当たり前の対応に、ちょっとだけがっかりした様子を見せる澪。宏ならもしかして、と思ったのだが、さすがにわざとやってる系の無理やりな鳴き声までは解読できないらしい。
「っちゅうか、何期待してんのんよ……」
「いや、ひよひよの言葉とか分かってるんだから、師匠なら分かるかも、って」
「ひよひよの言うてる事分かるんは、自分らも一緒やん」
きゅっ、としか鳴かない謎生物を引き合いに出す澪に、宏が容赦なく反論する。その理屈ならアズマ工房の人間全員が分かるはずだし、逆に眷族として預けられたはずのラーちゃんが何を主張しているかを、主であるはずの宏ですら理解できていない時点で、理屈としては破綻している。
なお、余談ながら、そのラーちゃんはオルガ村へ向かった日の朝、マルクト王宮に出向く前にウルスの工房に戻り、世界樹の若木に預けてきている。今頃はファム達が交代で神キャベツを与えて面倒を見ているはずだ。
「で、とりあえず三百人分ほど用意したんやけど、いけるか?」
「……多分大丈夫」
「まあ、足らんかったら早い者勝ちやけどな」
宏のその宣言に、カーバンクル達の様子が変わる。さすがに追加されたカーバンクルの数は千をちょっと超える程度だが、一皿に対する配分次第ではありつけない奴も出てくる。
結果、これまで宏達に向けていた威圧感を、今度は仲間達に向け始める。
「……こういうところ見とると、幻獣っちゅうても所詮は獣やなあ、思うわ」
「まあ、人間だってこういう人結構いるしね」
「言っちまえば人間だって獣の一種だからな。野生動物と変わらない行動をする奴だっているさ」
あさましく奪い合いを始めたカーバンクルの様子に、かなり失礼な感想を漏らす宏。そんな宏の感想に、フォローになっているのかなっていないのか、大概失礼なコメントを付け加える春菜と達也。
そんな失礼な人間達の事など眼中にない、とばかりに、給仕されたはしからどんどんと平らげていくカーバンクル達。それでも暗黙の了解か、一口でもありついた個体は別の皿に突撃をかけたりしないあたり、一部の殺伐とした環境で暮らしている人間よりは行儀がいいかもしれない。
「で、俺らの晩飯は、残りそうか?」
「調査隊の人らまで回るかは微妙やけど、うちらとアルチェム、それからアンジェリカさんの分までは何とか確保したで。おかわりは無理やけど」
「この状況でおかわりなんかしたら、それこそビームの餌食よね」
最大の懸念である夕飯の問題。それに対する宏の答えに少しほっとした様子を見せながら、カレーなら十人前は平気で食べる澪をさりげなく牽制する真琴。
「それにしても、これで不定型生物的な性質まで持ちはじめたら、完璧にアウトね」
「さすがに、そこまでの変質はすぐには起こらんやろう。聞いた感じ、ここまで来たんもここ一月ぐらいの事らしいし」
「分かんないわよ? こういう異変って、表に出てきたら一気に進むって相場が決まってるし」
「どっちにしても、ユニコーンと同じ方法でいけるんやったら明日明後日ぐらいでけりつくし、その間に進まん限りは大丈夫やで」
「そうだといいんだけど、ね」
宏の楽観的な意見に、いまいち不安を隠しきれない真琴。結局のところ、この日のカレーパーティのおかげでカーバンクルからの妨害が起こらなくなり、宏の言葉通り二日ほどの作業で異変の原因そのものは割とあっさり解消する。
「後は時間かけて戻るん待つしかあらへんでな」
「そうだね。で、グリフォンも一度に戻るんだっけ?」
「アランウェン様の言葉が正しいんやったら、そうなるわな」
「だったらいいんだけど。それで、今思ったんだけど、グリフォンの異変って、どんな感じだったのかな?」
春菜のその疑問を受け、関係者の視線がティアンに集中する。その視線を受け、ティアンが何処となく気まずそうに資料を手に異変の内容を説明する。
「グリフォンはですね。突然『働きたくないでござる!』と叫び出すようになって、心配になって様子を見に行った人間を爪やブレスと言ったかなり危険な手段で追い払うようになってしまった、と聞いております」
「グリフォンやのにニートかいな……」
「グリフォンって、ニートの定義に当てはまるのかな……?」
「春姉、そこ気にする所じゃないと思う……」
やはり予想通り異変らしくない異変を聞き、色々反応に困りながらどこかずれた会話をする宏達であった。
「団長! これ以上はもう!!」
「民の避難状況は!?」
「残り三分の一です!」
「撤退しながら時間を稼ぐぞ!!」
「はい!!」
ウォルディスの北側、国境から五十キロほど離れた山間にある都市国家・オルタストク。総人口五千人ほどのこの小さな国は、ウォルディスの王太子軍の手によって滅亡の危機にさらされていた。
「ウォルディスめ! 正当な理由も宣戦布告も無しに攻めてくるとは、どこまでも腐った奴らだ!!」
怒りに駆られながら、地の利と障害物を活かしてウォルディス軍の化け物を仕留めていくオルタストク騎士団長。もっとも、オルタストクの騎士団といっても総勢は百名ほど。そのうち国防や治安維持に専任している人間は団長を含めてわずか五名に過ぎず、残りの大半はいわゆる文官を、専属ではなく文官でもない騎士は農家や狩人を兼任している。
所詮都市国家であるが故に、百人もの人間を騎士に専任させることなどできない。だが逆に、騎士団の指揮を受けて戦える、となると国民の半数近くは可能である。辺境の都市国家や農村の常で、オルタストクの国民や騎士団も、下手な大国の私設騎士団よりはるかに精強だ。
だが悲しいかな、所詮は小規模な都市国家。国民全てを集めてもオルテム村にも及ばぬこの小さな国は、圧倒的な数の暴力にさらされ今にも陥落しつつあった。
「門を崩すぞ!」
「いつでもどうぞ!!」
最悪に備えて市壁に仕込まれた仕掛け。それを最も効果を発揮するタイミングで起動するオルタストク騎士団。小規模国家ならではの思い切りの良さ、とでも評すべき手段で、ウォルディス軍を多数仕留めた上で通り道を完全にふさぐ。
オルタストクは北側の街道が断崖絶壁に挟まれ、街自体も高台の上にあるというその地形上、街の中を通らねば先に進む事は出来ない。市壁も七割近くが断崖絶壁を利用した天然の要害であり、南側の門を崩してしまえばウォルディス軍は簡単に通れなくなるのだ。
しかも、先人たちの知恵がたっぷり詰まったオルタストクの市壁は、門を崩しても防衛には一切影響が出ない設計となっている。その間に同盟相手である都市国家・プリムストクや更にその北の中堅国家・ゴルドナスタンまで王族や国民を避難させ、稼いだ時間と起こった出来事の情報を対価に、土地を取りかえす手伝いをしてもらう。それがオルタストクの生存戦略であった。
プリムストクにしてもゴルドナスタンにしても、オルタストクがこうやって時間を稼いでくれなければ、あっという間にウォルディスをはじめとした脅威に蹂躙される。人口五千、それも半数以上が戦闘能力を持つ都市を滅ぼすような事件・異変となると、どちらの国も国の存亡にかかわるような被害を受けかねない。
プリムストクに至っては、オルタストクと規模が大して変わらない。オルタストクが滅ぶと、まず間違いなく一蓮托生で滅んでしまう。それゆえに、この二国とゴルドナスタンは運命共同体として積極的に避難民を受け入れてくれるのだ。
今回も、ここできっちり時間を稼げば王族が援軍を呼んでくれる。彼らはそう考えていた。だが……。
「団長、壁が!!」
「なっ!?」
崩した門と一緒に、市壁が一瞬で粉砕される。その光景を見て、ウォルディス軍は最初から自分達をなぶるためにわざと手を抜いていた事を悟るオルタストク騎士団。
更に追い打ちをかけるように、彼らの前に何かが複数、投げ込まれる。
「な、なんだ……!?」
「……っ!?」
「……ウソだろ……?」
投げ込まれたそれは、どう見ても人間の頭部、それもよく見知った人物のものであった。
「陛下……? 殿下……?」
投げ込まれたのは、オルタストクの国王と王太子、及びその他全ての王族と護衛の首であった。どれも恐怖と苦痛、悔恨で表情が歪んでおり、尋常な最後ではなかった事を示している。
そして、オルタストクの場合、王族がすべて討たれたという事は、実に致命的な事実につながってしまう。
オルタストクの王族は、この手の有事に際して、常に避難民の先頭に立つ。真っ先に逃げるから、ではない。最強の戦力として正面の敵から民を守るためであり、プリムストクやゴルドナスタンと迅速に交渉するためである。
その王族が全滅したのだ。一緒に避難した国民は、恐らく全員命を失っていることだろう。
少なくとも、プリムストク近郊までは高さ百メートル以上の断崖絶壁で挟まれ、脇道の類が一切存在しないのだから。
「団長、もしかして……」
「ああ、そういうことだろうよ、畜生が!!」
既にプリムストクが落ちている。そう判断せざるを得ない結果に、団長が荒々しく吐き捨てながら武器を構える。
実際のところオルタストクの避難民は、崖の上から飛び降りてきたウォルディス軍の奇襲を受け、抵抗むなしく圧倒的な戦闘能力を持つウォルディスの異形兵に一方的に蹂躙されていた。上からの奇襲にはちゃんと備えていたのだが、千人単位の異形兵が崖を飛びおりて襲撃を仕掛けてくるとなると、彼らの規模ではどう備えても無意味だったのである。
だが、いかに相手が化け物だとはいえ、この場にいる騎士団には、そこまで非常識なやり方をしたとまではさすがに想像できなかったようだ。
もっとも、オルタストクの滅亡が確定した以上、プリムストクが蹂躙されるのは時間の問題であろう。順番が違うだけで、団長の考えは別段間違っていないのである。
「せめて、こいつらを一匹でも道連れにするぞ!!」
「はい!!」
守るべき民と忠誠を誓った主を同時に失ったオルタストク騎士団の守護隊三十名。彼らは本当の意味での最後の手段である仕掛けを使い、ウォルディスの異形兵三千を道連れに、オルタストクの街そのものと一緒に消滅する。
宏達がカーバンクルの群生地の異変を解決したこの日、オルタストクの国民約五千人は一人残らずウォルディス王太子軍の異形兵に食いつくされ、殺しつくされたのであった。
同時刻。ウォルディス北西部の国境。
「ちぃ!」
いまいち印象の薄い、それこそ何処にでもいそうな男が数人、異形を相手に大立ち回りを行っていた。
「またこの化け物か!!」
「一体どれだけこいつらを飼ってやがるんだ!?」
その動きを見なければ恐らく戦闘能力を有しているとは思えなかったであろう、平凡そうで割と貧弱そうな男達。そんな男達が、フォレストジャイアントを超える体躯を持つ名状しがたい人型の異形相手に、見事な戦いを繰り広げていた。
とは言え、その手に持つのは短剣や投げナイフの類ばかり。切れ味は十分だが決定打を与えるには少々軽すぎるらしく、異形が弱っている様子は見えない。
「大技を使う! 悪いがフォローしてくれ!」
「おう!」
男のうち一人の言葉に、残りの男達が気合の声で応じる。とにかく武器の相性が悪い彼らの場合、誰かが大技を使わない限りはこの化け物を仕留める事は出来ない。
大技の溜めに入った男から注意をそらすように、残りのメンバーがあの手この手で化け物の動きを妨害する。その非常に粘着質な妨害にじれて、化け物が大ぶりの一撃を地面に叩きつける。
その決定的な隙。そこを狙って、いつでも発動できるように溜めていた技を叩き込む男。突き刺した切っ先から振動波を放ち、内部を共振でずたずたにする、ゴーレムや中身が空洞の生き物以外には極めて有効な必殺技。それが見事に効果を示し、化け物が膨れ上がって破裂する。
その体液を浴びないよう、技を放った男は短剣を突き刺した時点で離脱している。
「……よし」
「今回も、どうにかしのげたな」
異形の化け物が復活しない事を確認し、不要な布で化け物の体液を拭いながら男達が安堵のため息をつく。
「まったく、何処の国の密偵も帰ってこない訳だ……」
「さすがにここまでしつこいとは思わなかったな……」
「同僚達がどうなったかとか、あまり考えたくないなこれは」
その場を足早に去りながら、男達が口々にうんざりとした気分で愚痴りあう。
そう。彼らはウォルディスの内情を探るために派遣された、各国の密偵であった。
「だが、さすがにローディストにたどり着けば、連中も仕掛けてはくるまい」
「だといいんだが、な」
密偵の一人、ローレンから送り込まれた人物の楽観的にも聞こえる言葉に、ダールの密偵が懐疑的な反応を示す。余談ながら、先ほど大技で化け物を仕留めたのは、ダールの密偵である。
「少なくとも、ここまでおおっぴらにあの化け物をけしかけてくる事は無いはずだ。いずれマルクトに仕掛けてくるのは間違いないが、目撃者を消すという目的でマルクト第二の大都市であの化け物を暴れさせるなど、本末転倒以外の何物でもない」
「確かに、な。問題は、そのローディストまでまだまだ随分と距離がある、という事だが……」
「それも、もうすぐどうにかなる。どんなやり方をやっているかまでは分からんが、どうやら転移や通信の妨害はアガザまでらしい」
「本当か?」
「探知を誤魔化されてなければ、間違いないはずだ」
ファーレーンの密偵、それも神殿で特殊な探知の訓練を受けた男の言葉に、他の国の密偵達も顔を輝かせる。
思えば、今まで彼らが生き延びてきたのも、このファーレーンの密偵がいたからこそだ。脱出しようとした彼らをファーレーンの密偵が止めていなければ、恐らく最初に潜入していた国境近くの大都市を出た瞬間に、一人残らずミンチになっていただろう。
その大都市・ヤンキンでは、一部例外を除き外から来た人間の食べ物には特殊な寄生虫が仕込まれており、王都ジェーアンから一定以上離れるように動くと寄生虫が一気に巨大化し、内部から破裂する羽目になるのだ。
その寄生虫の存在に気が付き、特殊な手段で駆除したのが、このファーレーンの密偵であった。
その後もあの手この手で妨害を見つけては排除し、密偵達に指示を出しては困難を乗り越え、と、とにかくファーレーンの密偵は彼らの中でも頭一つ抜けた活躍をしている。
ただしその分、戦闘能力という面では他の密偵に比べて劣るため、彼一人で脱出できたかどうかというと恐らく無理だったであろう。その点については、本人も全面的に認めている。
なお、一つ補足しておくと、ファーレーンの密偵が口にしたアガザというのは、ウォルディスの半属国とでもいうべき小国の事だ。そこともう一つ、レーガという小国を通り抜けることで、ようやくマルクトに到着するのである。
「アガザさえ抜けてしまえば、今度こそ転移魔法も転送石も使えるんだな?」
「ああ」
「ならば、そこまで急ぐぞ!」
「気合十分なところ悪いが、お客さんのようだ」
フォーレの密偵の気合に水を差すように、ファーレーンの密偵が邪魔ものの存在を告げる。どうやら隠れて奇襲、などという考えは無いらしく、その異形が森の中からのっそり現れる。その数五体。
「ふむ。さすがに絶対絶命という奴か」
「呑気な事を言っている場合か!?」
「悪いが、今回は俺の大技は厳しいぞ。まだ回復しきっていない」
「長期戦は不利、という訳か。参ったね」
などと弱音を吐きながらも、習い覚えた動きで淡々と異形を攻撃する密偵達。数が増えたとはいえ、やる事は今までと同じ。できるだけ一体に攻撃を集中させ、確実に仕留めていくのみ。
逃げようとしたところで逃げ切れないのは、ここ数日で身にしみて理解している。
「とにかく、まずは一体。一体減らすだけでもずいぶん楽になる」
「それは分かっているが、なかなか厳しい目標だな」
全ての異形の攻撃をさばきつつ、最初にフォーレの密偵がダメージを与えた一体に本命の攻撃を集中させる密偵達。大技を使わなければどうしても時間がかかるが、その大技を使うためには数を減らさなければいけない。そのジレンマに渋い顔をしつつ、ひたすら逃げ回りながら攻撃を重ねる。
そんな絶望的な膠着状態が三十分ほど続いたところで、ファーレーンの密偵が更に絶望的な事を口にする。
「誰か、もしくは何かがこちらに近付いてきている」
「距離はどれぐらいだ?」
「目の前にかく乱要因が存在しているからはっきり断言できないが、おおよそ五百メートル以内といったところか。恐らくだが、向こうからこちらが見えていると思われる」
「かなりまずいな、それは……」
攻撃の手を緩めることなく、ファーレーンの密偵からの情報を吟味する密偵達。この状況で乱入してくる存在など、十中八九敵対的な存在だろう。自分達の味方である可能性も否定はできないが、それを当てにするようなおめでたい頭の構造をしている人間は、密偵として生き延びられない。
こうなってくると、どうにかして一人だけでもアガザを抜けられるよう逃がす算段を立てた方がいい。
「ファーレーンの。あんた、こいつらを振り切って逃げられないか?」
「はてさて、どうだろう。今までの事を考えると、ここでどうにか逃げ切っても、アガザに行く途中でどうせまた遭遇するだろう。そうなると、私一人ではどうすることもできないね」
「……確かにそうだろうな」
ファーレーンの密偵の冷静な、というよりいっそ冷酷な言葉に、これで詰みかとの意識が密偵達の間に広まる。それでも自暴自棄にならず、冷静に相手を仕留めよう、もしくは隙を見て逃げ延びようとするのは、彼らが腕利きである証拠であろう。
そんな彼らに、運命は救いの手を差し伸べていた。
「誰だかは知らないが、助太刀する!」
若い男のその一言と同時に、無傷の異形が一体、腕を斬り飛ばされる。
「どなたかは知らないが、助かった!」
「何、我々にも下心がある。それに、そいつらはこちらの敵でもあってな!」
その言葉とともに、恐らく正規の訓練を受けているであろう二十人ほどの集団が、見事な動きで異形を仕留めていく。
彼らの乱入により、五体の異形はわずか数分で全滅した。
「本当に、助かった」
「さっきも言ったが、我々にも下心はある。それに、そいつらは仲間の仇でもあるからな」
乱入してきた、恐らく騎士崩れ、もしくは敗残兵と思われる集団に、密偵達が礼を言う。
「助けた礼をせびるようで申し訳ないが、食料を分けてはいただけないだろうか? 途中で最低限の武具だけは調達できたのだが、残念ながら食料のほうは大した量を手に入れられなくてな」
「ああ、かまわない。といっても、我々の方にもそこまで余裕が無いから、十分にとは言えないのだが……」
「分けていただけるだけ、ありがたい。それと、もう一つ。厚かましい願いを言うようだが、もしマルクトに向かうのであれば、我々も同行させてもらえないだろうか?」
「さすがにそれは、あなた方の正体を教えてもらわないと無理だな」
「これは失礼した。我々は、ウォルディスの第三王女を旗頭にしていた派閥の一つ、その残党だ。今更権力など求める気はないが、せめて祖国の暴走を少しでも食い止めたい。そのためには、どうしても誰か一人でも生き延びてマルクトにたどり着かねばならない」
それが事実であれば、この敗残兵は思った以上に重要な一団だ。それだけに、真偽を判断できずに顔を見合わせる密偵達。
その空気を破ったのは、またしてもファーレーンの密偵であった。
「彼らは嘘をついていない。同行してもらって問題ないだろう」
「本当か?」
「ああ。嘘発見の魔法に引っかかっていないからね」
「……ファーレーンの人間であるお前が、何故に我がダールの領域で発見された、それもダールの人間でもごく一部しか身につけていない魔法を覚えているんだ?」
「女王陛下の厚意で、ファーレーンとフォーレの人間も何人か、大地の民のもとで研修させてもらっていてね。その時に教えてもらった」
アルフェミナ神殿に続き、またしてもとんでもない経歴をしれっと暴露するファーレーンの密偵。戦闘以外の実力とその経歴を鑑みるに、どうやら彼は随分と大物らしい。
「……嘘発見? そんな魔法があるのか?」
「ダールの灼熱砂漠の地下に住む、大地の民という民族が持ってる魔法だ。ダールの彼が言ったように、その重要性と扱いの難しさから、ごく一部しか使えない魔法だよ」
「扱いが難しい、か。確かに情報を精査する際、嘘をついていないと分かることがいい事ばかりではないからな」
ファーレーンの密偵の言葉に頷きつつ、彼が誰なのかうっすらと想像がつき始めた密偵達。だが、それが正しいかどうかは、ローディストまで逃げ伸びてから確認すれば十分だ。
「まあ、細かい事はどうでもいい。とりあえず、さっきの話が事実なら、むしろ同行してもらわなければ困る」
「そうか、それはありがたい」
これまでに蓄積した疲労のせいか、正体が筒抜けとしか言いようが無い会話をしつつ、第三王女派の残党を受け入れる事にする密偵達。
今まで秘密のベールに包まれていたウォルディスの現状。それがついに外部に伝わる時が来たのであった。
「お父様、少々よろしいでしょうか?」
宏達がカーバンクルの異変の原因を除去する前日。アズマ工房で対ウォルディスについての話し合いをしていた王達のもとへ、唐突にエアリスが訪ねてきた。
「今、重要な会議の最中なのだが……」
「ウォルディスに対応するための打ち合わせでしたら、私の用件も無関係ではございません」
「そうか……」
和室の入り口で娘とそんなやり取りをし、ファーレーン王が室内に居る他の王に視線を向ける。その視線を受け、やりとりを聞いていた他の王を代表し、フォーレ王が口を開く。
「姫巫女殿がわざわざこの会議に割り込もうとするのだ。それなりに緊急か、我らにも直接話しておくべき事柄か、どちらかなのであろう?」
「はい。ウォルディスが軍を動かしてきた時、どうしても必要となる話です」
「であれば、我らが姫巫女殿を拒む理由は無い」
フォーレ王の言葉に、小さく頭を下げるエアリス。フォーレ王の言葉に頷き、エアリスの入室を許可するファーレーン王。
「それで、用件はなんだ?」
「ウォルディスが侵略に使うであろう軍勢、それと相対するときに必要になるであろう装備についてのお話です」
「ふむ。詳しく」
「はい。昨日の朝、ヒロシ様からの連絡とアルフェミナ様からのお告げで、ウォルディスが使う特殊なモンスターについて教えていただきました。そのモンスターは、戦闘能力そのものは極端に低く脅威となりえないものの、見ているだけで精神を蝕まれて行き、最終的に取りこまれてしまう可能性が高い、との事でした。
私にその話が来たという事は、恐らく普通の軍では抵抗できないのだろう。そう判断しまして、昨日神殿で対抗策となりうる物を試作しました。ですが、神殿は基本的に、戦うための組織ではありません。また、どれだけの数を作らねばならないかも、私では判断ができません。
ですので、試作品を見た上で変更すべき点を教えていただき、その上で最低限必要となる数を提示していただきたいのです」
そう言ってエアリスが取り出したメダルに、各国の王の視線が釘付けになる。
形状としては実にシンプルなもので、普通に小ぶりな円板にひもをくくりつけているだけである。十枚ほどの円板全てが大体形も大きさも揃っているところや表面の状態などを見ると、恐らく鋳造で鋳抜いてそのままひもを通しただけのものなのだろう。
余談ながら、ちょっとした護符や結界がらみの道具を作るため、神殿にも鍛冶場は存在する。といっても、鍛造に関してはそれほど高度な事はしておらず、主に行われる作業は今回のような鋳造作業である。護符にしろ結界がらみの道具にしろ、大多数は使い捨ての消耗品なので、いちいちきっちり鍛造などしていられないのだ。
ミスリルのような高度な金属は設備的にも技術的にも扱えないが、その代わり宏ですら知らないような特殊な配合の金属を作り鋳造するという、それはそれですごい独自技術を持ち合わせているのがこの世界の神殿という組織だったりする。
「ふむ、まさに試作品、じゃな」
「はい。数を作る必要があるので、機能さえすればよい、という状態で持ち込ませていただきました」
「という事は、手を入れると言うても大したことはできんのう」
「申し訳ありませんが、そういう事になってしまいます」
エアリスの正直な返答に、王達が苦笑を漏らす。そもそも神殿は営利団体ではないため、特殊な技術は持っていても生産力その他の面で大したことはできない。数を作れるのも、今回エアリスが用意したような護符と聖水ぐらいである。
そんな神殿に対して、形状の大幅変更のような無茶な仕様変更を要求しても無理なのだ。
「とりあえず、数を作る必要があるものを立派な形状にしろなどと言う気は毛頭ないが、せめて表面ぐらいはどうにかできんのかの? こうもざらざらでは色々とまずかろう」
「一応、磨き作業は行う予定でした。ただ、配合や祝福の処理の決定に思いのほか時間がかかりまして、今日の会議に間に合うようにとなると、残念ながらその状態でその数が限界でした」
「ふむ、なるほど。それで、磨き作業を行ってどれぐらい作れるのかの?」
「護符の生産を全てそちらに回し、技師が食事と睡眠の時間以外全てで生産を行って、辛うじて一日に千個ですね」
その回答に、ファーレーン王が渋い顔をする。
「全て回して千、か」
「申し訳ありませんが、アルフェミナ神殿ではこれが限界です」
「いや、それについては仕方が無い。むしろ問題視しているのは、必要量が揃うまで全ての生産能力をそちらに回してしまうと、普通の護符の在庫に問題が出るのではないか、という事だが……」
「そうですね。現在の使用量を考えると、もって一週間でしょうね」
「一週間、か。作れて七千。微妙なところだな……」
七千という非常に微妙な数に、頭を抱えるファーレーン王。しばし考えた後、妥協案をひねり出す。
「では、一日おきに、もしくは三日メダルを作って二日普通の護符を生産する、という形ではどうか?」
「それでしたら、一週ごとにメダルのみの週と護符の生産を混ぜる週を作ることで、ある程度対応できるかもしれません。ただし、しばらくの間は葬儀はともかく、結婚式を行う余裕は無くなりますが……」
「そこは仕方あるまい。恐らくそれどころではなくなるしな」
エアリスの申し訳なさそうな言葉に対し、問題ないと断言するファーレーン王。実際問題、神殿が絡む事になりそうな結婚式は、現状エレーナとユリウスのものしか予定されていない。そちらの方もまだ詳しい日程は未定で、恐らく早くても来年になるだろう。それ以外となると今度は、歳が釣り合う嫁や婿を探すのに苦労している段階でやはりまだまだ先になりそうなところである。
どちらにしても、ウォルディスが本格的に暴れ出せばそれどころではなくなる話で、しかもそれが時間の問題である事は暗黙の了解となっている。我がままで結婚式を割り込ませた結果準備に支障が出るとなると、白い目で見られる程度で済めば御の字なのだ。
むしろ、葬儀ですら本殿ではなく分殿で行う、と言いだしかねないのが、今現在ファーレーンに残っている高位貴族である。エアリスの懸念は杞憂だろう。
「そのメダル、他の神の神殿では作れないのか?」
「アルフェミナ様のお話によれば、抵抗力を強化するのに時空属性が重要となるようですので、恐らく他の神殿で作ったとしても、効果が足りないか恐ろしく生産コストが重くなるかのどちらかになるかな、と。せめてザナフェル様の神殿が機能していれば、同程度の生産性で同程度の効果のものを作り出せるのですが……」
ローレン王の疑問に、実に残念そうにエアリスが答える。正直、アルフェミナ神殿だけで行うには、要求されるであろう分量が多すぎる。多すぎるのだが、他の神殿に振るのは難しいのだ。
「そう言ったもろもろを踏まえまして、妥協できる必要最低限を教えていただきたいのです」
「そうよのう。ウォルディスがいつ動き出すか、どの規模で動き出すかにもよるが、足止めと時間稼ぎに徹する事を考えても恐らく一万は必要であろうなあ」
「うむ。儂の勘で言わせてもらうなら、それでも必要最低限に届いてはおらんだろう」
「だが、二万もとなると、今度は時間が絶対的に足りない。必要最低限の数を全部揃えてからなどと言わず、まずは間にあわせで作れるだけ作ってもらって、それを順次マルクトに提供していくしかないだろう」
ダール女王の目算にフォーレ王が否定的な意見をぶつけ、妥協案としてローレン王が落とし所を提示する。
護符の生産を肩代わりするからメダルに専念すべし、という意見は誰も出さない。汎用品のものはともかく、各神殿でしか作っていない、正確には作れない物も結構多く、足りなくなるというのが大体そのあたりのものだという事を王達はよく分かっているからだ。
恐らく、エアリスが提示した日程に関しても、他国の神殿から汎用品を提供してもらう前提での話であろう。それを察した上で、それでも王達は一万では足りないと断じているのである。
「とりあえず当面はそれでしのぎつつ、どうにか生産量を増やす事を考えねばなるまい」
「恐らく鋳型から抜いたものに手を入れず、そのまま機能するように仕上げるだけならもっと作れるのであろうが、さすがにこのままでは実用上の問題が無視できん。磨き工程が増えた分を、他のところで短縮できんか考えねばな」
「だが、これは何処までも単純な鋳造品じゃ。鋳造は儂らの専門分野の一つゆえに断言するが、せいぜい炉と磨く人数を増やすぐらいしか、劇的に生産量を増やす手段は存在せん。作業速度を上げると言うたところで、鋳型から抜く作業を多少速くするのが関の山じゃ。鉄を溶かす時間も冷えて固まる時間も、そんなに大きく短縮できんからな」
「そして、冷めねば磨けぬから生産量にブレーキがかかる、という訳か。いっそ、この状態で納品してもらって、こちらで磨いてしまうか?」
「その手段は可能か?」
ローレン王の提案に、エアリスが小さく首を横に振る。この場合、磨けば機能を失う、ではなく、そもそも仕上げた時点で人の手では傷ひとつ入らないほどの強度になる、というのが実態だ。
「……それに関しては、工房主殿に相談するのが一番手っ取り早いのではないか?」
「そうだな。エアリス、ヒロシがいつこちらに戻ってくるか、聞いておるか?」
「カーバンクルの異変について原因の解決を済ませたら、とりあえず一度戻ってくるそうです」
「そうか。ならば、その時に相談に乗ってもらおう」
物を作る事なら、宏に相談。いくら知恵を絞ってもどうにもならないと判断し、またしてもアズマ工房に丸投げの案件を増やす各国の王。
もっとも今回に限っては、少なくとも製品を量産するところまではエアリスが自力でこぎつけており、その生産量を増やす方法を相談するだけなのだから、今までの一から十まで頼りきっているケースに比べれば幾分マシではあるが。
「一気に生産方法まで話が飛んだが故言いそびれたが、儂としては他にも一つ気になる事がある」
「なんでしょう?」
「このメダル、首から下げるのはひもでなければまずいのか?」
「いえ」
「では、首から下げるためのものも、アルフェミナ神殿でつくる必要があるのか?」
「最初から最後までアルフェミナ神殿でつくる必要があるのは、本体だけです。紐に関しては、完成後にあり合わせのものをくくりつけただけですので」
「そうか。では、型の変更が可能であれば、この穴をもう少し大きくしていただきたい。あのひもでは頼りなさ過ぎて不安ゆえ、鎖に変更したいのだ。鎖に関しては、わが国で作っておる装飾品用の細く頑丈なものを使えばいいだろう」
フォーレ王の要請に、小さく頷くエアリス。ひもを通す穴を大きくするぐらいは大した手間ではないし、フォーレは装飾品用の細く丈夫な鎖も得意分野だ。
「とりあえず、基本仕様は決まった。ヒロシが戻ってくるまではここで決まった方針に従い、修正する部分を修正した上で作れる限り作れ。費用は同盟費の方から捻出しよう」
「かしこまりました」
「材料で足りなくなりそうなものがあれば、ここを経由で妾たちが準備する。費用は当然同盟費からじゃ。姫巫女殿は遠慮せずにどんどん注文するように」
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
当面の方針や決めるべき事を決め、作業のためにエアリスが退出する。それを見送った後、ローレン王が口を開く。
「さて、ファーレーン王よ。一つ聞いておきたい事がある」
「宏の報告書に関しては、手元に届いたのが昨晩の事でな。実を言うと、エアリスにこの場で話を聞くまで、報告書の内容を知らなかった」
「なるほど。その件について、貴国ではどの程度の人員が把握している?」
「レイオットをはじめとした中枢の人間が、一通り報告書に目を通したところだな。詳細についての検討はこの会議の後の予定であったが、残念ながら昨日はあちらこちらに飛びまわっておって、落ち着いて書類を見る時間が無かった」
「そうか。事が事だけにのんびりできない。すまないが、可能な限り迅速に我らにもその報告書を回してくれ」
「既に手配は掛けてある。恐らく、この会議がお開きになる頃には準備ができているであろう」
ファーレーン王の言葉に一つ頷き、最初の議題に話を戻す事にするローレン王。なんだかんだと言いながらも、政治の場では着々と話が進んでいるのであった。
さすがにカーバンクルをこれ以上掘り下げるのはいろいろ危険なので、ちょっくら省略させていただきました。
やること自体は基本ユニコーンとあまり変わりませんし。