第22話
「……やっぱ、あのダンスかい……」
「ん。もはや別物ってぐらい違うけど、間違いなく原型はあのダンス」
マルクトに到着した日の夜。当初の予定通り王家の皆様及び宰相一家と観劇しながらの会食に臨んだ宏は、舞台の一番最初に行われたダンスを見て一気に脱力した。春菜の隣では、表情こそいつもどおりながら、同じように脱力している澪の姿が。
「あのダンス?」
「とある漫画のダンスでな。っちゅうか、もしかせんでも、ここに飛ばされてきた知られざる大陸からの客人、知り合いやな」
「そうなの?」
「せやねん。知り合いにな、自称キ○キ○ダンサーっちゅう奴がおってな」
「あ~、その名前、宏君が前に言ってたよね。たしか、腰蓑と草の鎧作った相手で、神の舞踏ってエクストラスキル持ってたんだっけ?」
「せや、そいつの事やな。っちゅうか、もう一年以上前の話やのに、よう覚えとったなあ」
「データベース方向での記憶力には、一応自信があるから。思い出そうとしないとすぐに思いだせないのが難点だけど」
他の人間の邪魔をしないように、小声でそんなやり取りをする宏と春菜。隣同士ゆえに会話が成立する程度の声だったのだが、どうやらマルクト王には聞かれていたらしい。少しばかり驚いた顔で、同じようにやや声をひそめながら会話に割り込んでくる。
余談ながら、マルクト王は現在三十路に差し掛かったところ、ダールの女王と同年代だ。二人の王妃と五人の子供がいるが、一番上の王子でもまだ十歳なので、これと言って仕事は任されていない。ただ、これに関しては逆の話、そのぐらいの年頃から政務に関わっているファーレーン王家の王子王女が特殊なのであり、マルクトの王子はまったくもって普通だ。
「工房主殿は、そのお名前を御存じなのか」
「ご存知、っちゅうか、向こうでは普通に知り合いですねんけど……」
「ふむ。三百年前の英雄と知り合い、か。不思議な話だな」
「アルフェミナ様とダルジャン様の話やと、向こうで同じ時代に生きとった人間やからっちゅうても、必ずしも同じ時代に飛ばされるとは限らへんらしいどころか、千年単位でずれるんもザラやそうですわ」
「なるほど。知られざる大陸というのは、奥が深い」
宏の説明に、何やら納得した様子を見せるマルクト王。その間にも、舞台の上ではダンスが続く。別物判定せざるを得ないパートが終わり、再び明らかにベースが某ダンスだと断言できるパートに入る。元ネタではお爺さんがやっていたため微妙な空気になっていた腰の動きも、妙齢の女性がやると意外と様になっているものだ。
このパート以外にも、随所にあのダンスのエッセンスが組み込まれた挙動があり、別物ではありながらやはり原型はあれだと断言できる。
ダンスに興味も知識もない宏や澪に分かるのだから、その道の専門家でかつ元ネタを知っている人間なら、間違いなくあのダンスをオマージュしたものだと断言してくれるであろう。
「今日の劇は、新作らしいな。我々もまだ見ていないものだから、実はかなり楽しみにしている」
「へえ? あらすじはどんな感じなんですか?」
「ああ。何でも、普段は男装の麗人が、とある事件の解決のために怪盗淑女に変身して悪を討つ、という内容らしい」
国王から新作のあらすじを聞き、思わず突っ伏しそうになる日本人一行。そのあらすじ、間違いなく、知られざる大陸からの客人の影響が出ている。
他の国の劇が、基本恋物語か直近に起きた事件を脚色したもの、もしくは神話や伝説をそのまま舞台にしたものばかりなのに、それらと一切かかわりのない完全に架空の物語、それも娯楽方向に大きく軸足を振った作品を上演するなど、未来を先取りしすぎにもほどがある。
「何でも、ここ数年ダールを賑わす、義賊アルヴァンから着想を得たそうだが、変身のための早変りが中々上手く行かなかったとか何とかで、ようやく形になったから新作として本日お披露目するそうだ」
「……本物の性癖まで忠実に再現していない事を祈りますよ……」
完成までの経緯を聞き、達也が思わず余計な感想を漏らしてしまう。変装前後の性別こそ逆なれど、その正体が女性である所が一致しているあたり、妙な符号を感じて何処までも微妙な気分になってしまう。
「本物と知り合いなのか?」
「顔見知り、といった程度ですけどね。ちょっとした事件でたまたま同じ現場に居合わせて、性癖を垣間見る発言を聞いたことがあるだけです」
達也の感想に食い付いた国王陛下に、無難な答えを返してお茶を濁す達也。正体を知っているなんて事は間違っても言えないし、その正体がダールの女王だなんて絶対に漏らしてはいけない情報だ。
「まあ、細かい事は聞かんよ。事情がありそうだしな。とりあえず、折角のディフォルティアの新作だ。ちゃんと堪能せねばもったいない」
何やらデリケートな内容に触れたと判断し、マルクト王がそれ以上は追及しない事を宣言する。王の言葉と態度につられ、宏達も私語をやめて舞台に意識を戻す。舞台では、今まさに劇が始まろうとしていた。
「……日本でもいけそうやな」
「そうね。ヅカあたりでやったら、きっと大受けするでしょうね」
「つうか、こっちに全員女性で演劇やる文化があるとは思わなかったぞ」
「あたしも驚いたわ。あと、あそこにファンが多い理由も理解したわ。男役の人の格好良さが、下手なイケメン俳優なんか鼻で笑う領域だったし」
一時間強の演劇はあっという間に終わり、最後まで釘づけになっていた宏達が次の出し物までの間、口々に感想を述べあう。非常にクオリティが高いその劇は、ここがファンタジー世界である事を一瞬忘れそうになるほどであった。
それだけ舞台に没頭していたにもかかわらず、きっちり出された料理の味も堪能してどれが美味かったかを把握しているのは、流石の食い意地だとしか言いようがない。
「今回はディフォルティア単独だったが、セバスティアン単独のものや二部隊合同のものもある。どれもなかなか見事なものゆえ、機会があれば是非見ていってもらいたい」
「機会があれば、是非」
王の言葉に、力強く頷く春菜。すっかりファンになってしまったようだ。
「因みに、二部隊合同の方も今新作を練習しておってな。何やら、ローレンから入ってきた漫画というものを元にするらしい」
「漫画って、もしかして……」
マルクト王の言葉に、真琴がひきつった顔をする。現時点で漫画といえば、ほぼ百パーセント真琴が描いたものだと断言できる。その中のどれがマルクトに流れてきているかによっては、色々と危険なことになりかねない。
ベースにしているのが四コマやアクション物ならまだいい。腐女子向けのあれこれ、それも特に中級者向け以上のものやモデルが誰かはっきり分かる一部の作品は、危険どころの騒ぎではない。
「ラブコメディだと言ってたな。確か、タイトルは『春菜ちゃん、がんばる』だったか」
「「「お願いします、それだけは勘弁してください……」」」
マルクト王が口にしたタイトルを聞いた瞬間、宏と春菜と真琴が同時に懇願する。ちゃんと許可をとったとはいえ、かなりいろいろ脚色して描いている真琴はもちろん、かなり脚色されていてなお本人だと分かってしまう宏と春菜にとっても、色々と洒落にならない。
難儀なのは、真琴の実力のおかげで物語としては掛け値なしに面白く、劇にするにも向いている作品であることだろう。著作権とかそのあたりの概念が緩いこの世界において、それだけの題材をサーガや演劇に使うなというのは無理がある。
一つ救いがあるとすれば、真琴は多少美化する程度でほぼ等身大の宏や春菜を、できるだけ悪くとられないように注意して描写していた事であろう。それゆえに、仮に劇を見た人間が宏や春菜と話をする機会があったとして、過度に敵視されたり実物と物語の落差にがっかりされたりする確率はそれほど高くない。
ただし、それが当人にとって救いとなるかは別問題だが。
「そう言えば、タイトルに出ている人物とハルナ殿とは名が同じだが、何か関連が?」
「ん、モデルになった本人」
「なるほど。自身がモデルになっている物語を、他者に演劇という形で演じられる。余も身に覚えがあるが、あれは非常に居心地が悪い」
「自分が作った物語を、知らないところで劇とかにされるのも微妙な気分になりそう」
「ふむ。それも確かにそうよの。お主がそういう事を言う以上、この中に関係者が?」
「そっちの真琴姉が作者」
マルクト王に、情け容赦なくどんどん舞台裏の事情をばらしていく澪。その話を聞いていたマルクト王が、何やら悪戯を思いついたような表情を浮かべる。
「折角原作者とモデルとなっている人物がいるのだ。その方々に恥じぬよう、全力で舞台の出来を完璧以上の完璧に仕上げてもらわねばな」
「「やめてー!!」」
何やら調子に乗って余計なことに気合を入れるマルクト王の言葉に、春菜と真琴の悲鳴が重なる。その二人とは裏腹に、どこか達観している様子の宏が印象的だ。
結局、もうある程度告知も進んでいるという理由もあり、舞台化の阻止は不可能なのであった。
「マルクトに行く必要が出てきました」
同じ日のウルス、アズマ工房。夕食の席で、アルチェムが唐突にそんな事を宣言する。
なお、現在夕食を食べているのはエアリス、アルチェム、リーファ、ライム、テレス、ノーラ、アンジェリカと、ライムのわがままに付き合って同席しているレラの八人である。
ジノ達は現在、修行も兼ねて自分達の夕食を調理中だ。指定された食材にやや難易度が高いモンスター食材が混ざっているため、現在進行形で絶賛生ごみ量産中である。
「マルクトに? アルチェムさんが、ですか?」
「はい。アランウェン様の巫女として、世界樹の知恵の継承者として、向こうでしなければいけない事が出来まして」
アルチェムとエアリスの会話に、黙って美味しい食事を堪能していたリーファの動きが止まる。聞き捨てならない単語が混ざるのはもはやあきらめるにしても、いくらなんでも世界樹の知恵とかそういう話を、ただの夕食の席でさらっというのはやめてほしい。
そんな事を思っているのはどうやらリーファだけで、他のメンバーは驚いたり身構えたりするでもなく、ごく当たり前に今後の日程でも聞くような感じで話を進めていく。
「それはいいんだけど、いつから行くの? 親方が転送陣を設置してから?」
「多分そうなると思う」
「一人で大丈夫なのですか?」
「正直、地理と移動手段の問題で不安があるから、場合によってはヒロシさん達に協力してもらうことになるかも。と言うか、転送陣を使わせてもらう以上は事情を説明しなきゃいけないんだけど、内容的にヒロシさんが食いついてくる可能性が高い気がするの」
アルチェムの言葉に、何かを納得した様子を見せる一同。工房主・東宏は、特定の条件さえ満たせば実に簡単に釣れる。最近は色々満たされてきているため、少々ハードルが上がってきているのは事実だが、それでもまだまだやりようはある。
その条件とは言うまでもない。特殊な素材の入手をちらつかせるか、もしくは職人魂が刺激される何かの製造依頼である。
アランウェンの巫女でかつ世界樹の知恵の継承者として行動し、場所がマルクトとなると、恐らく高い確率で特殊素材の入手が絡んでくるのだろう。
実はこの時点で既にマルクトとは転送陣がつながっているのだが、アルチェムはウルス自体には別件で昨日来ており、今日は転送陣を使っていないので気がついていない。転送陣を使ったノーラも、普段わざわざ転送先リストを確認していないため、転送先にアルファトの工房が増えていた事に気がつかなかったのだ。
そのため、現時点では誰もアルファトが転送陣ネットワークに追加されている事に気がついていない。
「どんな素材が手に入りそうなのですか?」
「ん~、話を聞くかぎりでは、まずほぼ確定なのがユニコーンの角、それも特殊個体のもの。後、場合によってはグリフォンのブレス袋とかペガサスの羽とかカーバンクルアイとかそういうのも手に入るかも」
流れるように素材の話に移ったノーラとアルチェムに、目を白黒させていたリーファがようやく口を挟む。
『あの、少し質問、よろしいでしょうか?』
「どうぞなのです」
『事情を説明して協力してもらうのに、なぜ素材の話が出てくるのでしょうか……?』
「親方に何か頼むのなら、素材か製造依頼で釣るのが一番手っ取り早いのです」
「今回は、大義名分を持って合法的に幻獣系の素材が手に入りそうなので、その話をすると食いついてきそうかな、という話なんです」
まるで一般常識を語るかのように、ノーラとアルチェムが宏の操縦方法を教えてくれる。そんな、聞かされても自身の役にはまったく立ちそうにない情報を聞かされ、リーファが困ったように乾いた笑みを浮かべる。
「ちなみに、一般的に男の人を操縦するのに絶大な威力を誇ると言われている、いわゆる色仕掛けとか女の武器とかは逆効果ですから、よく覚えておいてくださいね」
『……私の歳と外見で色仕掛けして、引っかかるような殿方とは余りお近づきになりたくないのですが……』
「そうでしょうね。周りも、リーファ王女にそんな致命的な変質者を近寄らせたりはしないでしょうし」
テレスの言葉に、リーファが少し曖昧な感じで笑ってみせる。幼女の色仕掛けに引っかかるようなタイプではないが、変態とは知り合いになっている。しかも、その変態がいなければ、恐らく精神的に壊れていたであろうと自覚するぐらいには世話になってしまっている。
だが、その話をして余計な誤解を招きたくない相手が何人かいるし、助けてくれた人に迷惑をかけるのも嫌だ。その程度にはその変態に感謝しているし、少なくとも故郷にいる親兄弟よりは好感を持っている。
そんな態度が透けて出たか、リーファが変質者の類と知り合いである事をアルチェムとライムを除くこの場の全員が悟る。悟りはしたものの、触れると色々と怖い事になりそうで、結局誰もこの場ではその事について追及しない。
「それで、話を戻すけど、アルチェムの用事って結局何?」
「マルクトの幻獣がちょっとおかしくなってるらしくて、その解決のために私が向こうに行く必要が出てきたの。幻獣はアランウェン様の管轄だから」
「なるほど、ね」
アルチェムの説明に、テレスが納得して頷く。
「ねーねー、マルクトって、どんなところ?」
「そうですね。教えてもらった知識としては、農業で生計を立てる、歌とか演劇が盛んな国だと聞いています。首都アルファトのあるあたりはダールほどではありませんが、かなり暑いですね。リーファ様を保護しに行った時は街を見て回る余裕は無かったので、実際にどんな所なのかについては、ウルスよりかなり暑い事ぐらいしか分かりません」
ライムの疑問に、エアリスが知っている事を教える。と言っても、ほとんどが教科書的な知識で、実体験したのは通年通してかなり暑いアルファトの気候ぐらいだ。はっきり言って、何も知らないのと変わらない。
『……私も、宿屋の天井と途中で通った断崖絶壁ぐらいしか、マルクトの記憶がありません』
「だ、断崖絶壁って……」
リーファがぽつっと漏らした単語に、テレスが半ば絶句しながら呻く。こう言っては何だが、国土に山がある国に断崖絶壁があることは珍しくもなんともない。が、そこを仮にも一国の王女が通るというのはどうなのか。
「亡命のための逃避行だったというのは分かるが、王女の体力でよく無事だったの?」
『今にして思えば、とても無謀な旅だった気がします』
リーファには正直、タオ・ヨルジャがいなければとうの昔に死んでいた自覚がある。利害の一致によるものとはいえ、足手まといでしかない子供と、ひたすら邪魔しかしない身体だけが一人前なのに中身は子供未満の侍女を抱えて、数々の難所を乗り越えた功績だけは否定できない。
その難所越えの厳しさが侍女のヒステリーを増幅した面は否めないが、そんな道を通ったおかげで妙な一団を一組排除できているのだから、無謀な事をした甲斐はあったのだろう。
もっとも、それだけの難所を乗り越えたというのに、結局最後までお互いに相手を信用せず、一体感も結束力も生まれなかったあたり、なんだかんだ言ってリーファもウォルディスの人間なのかもしれない。
「ふむ。思ったのだが、王女が今日、料理を教わりたいと申し出たのも、その時の事が関わっておるのではないか?」
『はい。ある人にも言われましたし、どんな環境になっても、ある程度ちゃんとしたものを食べられる方法を身につけておく必要を感じていました。今まで言い出す機会がなかったのですが、今日は丁度いいきっかけがありましたので』
「方向性こそ違うのですが、リーファ王女の考え方が、親方たちと同じになっているのです……」
「でも、どんな環境でも食べられるものを調達して食べられるよう、料理や食材調達の技を磨くことは重要だと思います」
何故か料理を教わりたいと申し出てきたリーファの思惑。それを聞いたノーラのぼやきに、珍しく口を挟んできたレラが実体験から来る考えをしみじみと語る。
食い詰めて最底辺の生活をしてきた期間が長いレラは、ちゃんとした最低限の食事すらままならない事による悪影響をよく知っている。宏達のようにどこまでも美味い食事にこだわろうという気は無いが、生ゴミと呼ぶのもはばかられるような、下手をすればネズミやゴキブリの餌より劣るようなものばかり食べていると、身体の健康だけでなく心の健康にも良くない。
スラムにいた頃はライムの明るさに救われていたが、そうでなければ間違いなく、親子揃って致命的な犯罪を平気で犯していただろう。
「そう言えば、レラさんはスラム出身だったのです」
「ウルスのスラムは、幸運にもヒロシさんのおかげで清潔で最低限ではあってもちゃんとした食事がとれ、薄給でも国に必要とされる仕事を任せてもらえる、人としての尊厳が保てる場所になりましたが、そうなる前は暗黒街よりマシというだけで、かなり荒んだ環境でした」
「まあ、そうでしょうね……」
食後のお茶を飲みながら、ぽつぽつと去年までのスラムについて語るレラに、テレスが辛うじてそう相槌を打つ。
今の旧スラム地区は、国の委託により実験農場で栽培方法の確立をする仕事を、食い詰めて流れてきた人間を雇って技能訓練とセットで行う場所になっている。この結果、以前よりはるかに前向きな形でセーフティネットとして機能するようになった。
最近では隣接地区の空き地も畑や田んぼに変え、更に試験栽培している作物の種類を増やしているため、人の手はいくらあっても足りない。時折突然変異を起こしてモンスター化するが、アルフェミナ神殿のおひざ元とも言える街だからか、逃げようとはしても積極的に攻撃に転じようとする作物は今のところ発生していない。
ウルスのスラムは、様々な意味で幸運だったといえる。ファムが宏からスリを働こうとしていなければ、その時スラムでメラネイト中毒がはやっていなければ、恐らくスラムはスラムのままであっただろう。
また、メラネイト中毒の発生件数が少なければ、国がアズマ工房に緊急依頼として治療の依頼を行わなかっただろうから、レラとライムだけがたまたま助かった形になりあちらこちらから恨まれたりねたまれたりして、結局身の危険はなくならなかったに違いない。そういった意味では、中毒の大量発生の原因が土壌汚染であり、安全保障や衛生改善の観点により土壌改良から実験農場まで一気に国家プロジェクトが進んだのは、ウルスのスラム地区だけでなくレラにとっても幸運であった。
そこまでプロジェクトが進まなければ、セーフティネットのレベルではあってもスラムが雇用の場にはならなかっただろうし、その場合いくら全員平等に治療を受けていてもレラ達三人だけが最低の環境から抜けだした事は変わらない。こういう命が関わる環境での嫉妬は、容易に人を殺す方向に発展するのだから、全員の環境が底上げされる方向に進んだのは、本当に運が良かったのである。
「中々、壮絶な環境に生きてきた人間が揃っておるなあ……」
「ジノ達はともかく、親方の直弟子に当たる人間は全員、何らかの形で親方に命を救われているのです。ある程度以上平和でない人生を送ってきているのはしょうがないのです」
「聞くところによると、姫巫女殿もアルチェムもヒロシに命を救われているらしいが、ヒロシが命の恩人ではないのは、もしかしてこの場では我と王女だけか?」
「そうなるのです」
「あれも女性恐怖症の癖に、まめなことよのう。揃いも揃って美女か美少女ではないか」
アンジェリカのその評価に、レラが微妙に物言いをつけたそうにする。極限の状況では容姿など何の役にも立たないと思い知っているため、コンプレックスの類は特にないのだが、褒められて思うところがあるのはまた別の話である。
現実問題として、他の人間はともかく、レラは美女と呼ばれるほどの容姿はしていない。環境のおかげで髪や肌の手入れが行きとどき、基本穏やかで物静かな、だが明るい表情をしているために三割増しで魅力的になってはいるが、そのぐらいなら市場で働いている女性を適当に捕まえ、同じ環境で一カ月も生活させれば雰囲気以外は高確率で同じような感じになるだろう。
ファムはもう少しマシで、ライムの誕生日プレゼントを借りて成長した時の姿は、いわゆるクラスで三番目ぐらいの美人という感じだった。学校や学年によっては学年で一番とか学校全体で一、二を争う、とか、そのぐらいにはなれるだろう、恐らく異性にもてるという観点では一番になりそうな容姿に育つのがほぼ確定している。
だが、レラはあくまで十人並み。真琴同様、平凡な容姿と言われる範囲の女性としては魅力的な顔ではあるが、あくまで誤差の範囲である。容姿が魅力的にうつるなら、それはあくまでボディケアと雰囲気のたまものであり、リーファとは違って磨けば光る逸材だった訳ではない。
そのあたりの自覚があって素直に褒め言葉を受け入れられず、かといってそう言って文句をつけるのも自意識過剰な気がするし、何より相手は客人でいろんな意味で自分より上位の存在。褒められて文句をつけるなど、いろいろ恐れ多い。
そんな諸々もあり、結局レラは沈黙する。こんな事を考えるところからも、レラが基本社交辞令ですら美人だとか美しいだとか言われる機会がなかった事が良く分かる。
スラムで生活していれば恐らく生来の容姿など関係なく顔を褒めてもらうことなど不可能で、そこにライムが生まれてすぐぐらいの頃から住んでいたのだからその頃はしょうがないとはいえ、なかなか不憫な話ではある。
「命の恩人で好意も持っていれば感謝も尊敬もしているのも事実なのですが、ノーラはそれで単純に惚れるほどチョロくは無いのです」
「本人は当時無自覚でしたが、ハルナさんが微妙に熱視線を送っていた時点でそういう対象からは外しました。あの人と張り合うなんて、エルさまとアルチェムぐらいじゃなきゃ無謀もいいところです」
「まあ、分からんではない。よほど強烈なきっかけでもなければ、ハルナと張り合おうなどと普通は考えんしな」
容姿を褒められることに対してレラが何か思っている事を察し、話を不自然にならない形で恋バナ方面にずらす。
「あちらこちらで恋の花が咲き始めておるが、テレスとノーラはどうなのかな?」
「……合コン、日程が決まったそうなのです」
「……恋愛は諦めるにしても、いろんなところの思惑が絡んだブラックな感じのお見合いは嬉しくないなあ、と言うのが本音ですね……」
アンジェリカの話題誘導に、素直に乗ったノーラにあわせてテレスも思うところを口にする。変わった先の話題もレラが無関係ではないのだが、容姿や変質者の話題よりはましである。
「そう言えば、その件ですが、お兄様から伝言がありまして」
「伝言? どんなものなのです?」
「はい。それなりの家柄か身分は無いが有能で信頼できる人間かを集めることになるので、人数合わせも兼ねて相手を探している貴族や大商人など名家のご令嬢も数人、女性側として参加させるとの事です」
「そういう人たちとノーラ達を一緒に扱わないでほしいのです。ノーラは基本、どこの馬の骨とも知れないモーラ族なのです……」
エアリスから受けた伝言に、微妙に絶望的な表情を浮かべるテレスとノーラ。何処となく達観した様子を見せるレラ。
「ねえねえ」
「どうしたの、ライム?」
「おかーさん結婚するの?」
「多分、このままだとそうなるんじゃないかしら。新しいお父さんは嫌?」
「おとーさんでおにーちゃんは親方とタツヤおにーちゃんだから、おかーさんをいじめない人ならどうでもいい」
レラとの会話で、ライムが無邪気にシビアできつい事を言う。子供なんてそんなものではあるが、宏や達也とライムとの絆を超えなければ父と認めてもらえないあたり、レラの再婚相手は前途多難である。
恐らく、同じぐらい重要なファムも認識は同じようなものだろうと考えると、なおのことである。
「この工房から嫁を取る男は、みな苦労しそうだのう」
「レラさんに関しては、さすがに仕方がないと思います。正直、私もファムさんやライムさんが、亡くなられた実のお父上やヒロシ様、タツヤ様以外を父親として認めるとは到底思えませんし」
そこを割りきれる男以外、レラの相手は務まらないのではないか。同席者全員にそんな事を思わせながら、この日の夕食は終わりを告げるのであった。
「コードネーム・バースト。新しい仕事さ」
「おや。今回は早いんだな」
「ファーレーンからの客人がらみだからな。一連の経緯を考えると、事情にも通じているお前に任せるのが一番手っ取り早い」
翌日、マルクトでの早朝。まだ日の出直後という時間から既に活動している勤勉なアサシンギルドでは、余計なことに対して勤勉な変態暗殺者に新たな指令が下っていた。
「了解了解。で、どんな内容だ?」
「幻獣達の生息地の異変については、知っているか?」
「異変が起こってるって事だけは聞いてる。確か、アジュカあたりが調査隊に同行してたと思うが?」
「ああ。詳細については後で説明するが、調査隊では手に負えないことが確定した。それで、ファーレーンからの客人であるアズマ工房一行に正確な調査と解決、継続的な対処が必要であるなら対処方法の確立を依頼することになった」
「あの調査隊で、か。そりゃなかなか大事だな」
ギルドマスターの説明を聞き、ピエロマスクの下で表情を引き締めるバースト。詳細こそ知らないが、一応調査隊の構成員ぐらいは聞いている。その中にあった幾人かの名前が、バーストに真面目な態度を取らせていた。
彼にそんな態度を取らせるぐらいには、派遣された調査隊は有能な人員で固められていたのだ。
「それで、その話で何で俺に声がかかるんだ?」
「簡単な話だ。アズマ工房一行に同行するファーレーン側の密偵が、お前のよく知る人物だからだよ」
「ん? ああ、王女様をファーレーンに逃がした時に組んだ、あの出自は俺達と同類っぽい歳や見た目にそぐわぬ凄腕ちゃんか」
「ああ。リーファ王女の件でお前と共同で動いた、レイオット殿下の隠し腕ことレイニー・ムーンだ」
「そりゃ心強いような不安なような、って感じだな」
レイニーの立ち居振る舞いを思い出しながら、バーストがおどけてそんな風に答える。単純な潜入工作の力量は自分の方が上、トータルでの情報収集能力は相手の方がかなり高い。正面きっての戦闘は状況次第。不意打ちからの初撃に関しては圧倒的に自分が上。しかしながら、その不意打ちで仕留め切れるかというと絶対の自信は無い。
正直に言って、相手が少女であることを差し引いても、余り敵対したくは無い相手だ。味方であるうちはいいが、敵に回られると同業者だけにやりづらい。
「正直に言うと、お兄ちゃん他所の国の密偵とはあんまり縁を深めたくないんだが」
「心配するな。そもそもそいつと敵対する状況では、マルクト全土がファーレーンを敵に回しているのと変わらん。だから、敵に回ることは無いと思え」
「そういう問題じゃないんだが、まあいいか。いい機会だし、あの凄腕ちゃんが気にしてるっぽい部分を徹底的にメンテしてやるか」
「個人的に敵対する可能性があるから、余計なことはするな」
先ほどまでのプロフェッショナルな緊張感はどうした。そういいたくなるほど速やかに、バーストが普段の変態に戻る。
信じられないことだが、これで本心から性欲とか下心とか一切無しに純粋に善意から、レイニーの身体をメンテナンスすると言っているのだから難儀な話である。
「話を戻す。お前が選ばれた理由は他にもある。一つは言うまでもなく、アサシンギルド屈指の潜入・生還能力。場合によってはおかしくなった幻獣達の巣に突入することになる。というより、アジュカが駄目だったのも、おかしくなった幻獣に発見され、重傷を負わされたからだからな」
「またハードな話で。つうか、アジュカで駄目なら、俺でも大概怪しいんだが?」
「そこは、先方と相談してくれ。で、だ。お前が適任であるもう一つの理由なんだが、今回まず手始めに調査するのが、レブル地方のユニコーンの森。調査の際、ベースにするのはオルガ村」
「あ~、そういうことか、なるほどな」
「そういうことだ。先方を村人に紹介するついでに、弟達に顔でも見せてこい。随分顔を見せてないんだろう?」
「へ~い」
幹部に言われ、素直に頷くバースト。場所にしても人選にしても、色々納得できる話だ。
レブル地方はアルファトから比較的近い場所にある。比較的近いと言っても乗合馬車で一週間以上はかかるが、前の調査隊が派遣されたロガーザ山地のペガサス群生地よりはマシだ。あちらは普通に移動だけで二十日はかかり、しかも途中乗り物が使えない場所が出てくる。そんな場所に、国外の、しかも頭を下げて調査を依頼した人間をいきなり送り込むのはよろしくない。
その点、レブル地方のユニコーンの森は、街道からこそ離れているが、すぐ近くまで普通に馬車が使える。調査拠点にするオルガ村も、森から一般人の足で約一日と結構な距離はあるが、調査用に用立てするであろう高速馬車なら二時間かからない位置にある。
基本的に安全性その他の問題から、一部例外を除きこれ以上近くに人間の集落を作ることはできない。そのため、調査する幻獣の生息地としては、レブル地方のユニコーンの森が一番利便性がいいと断言できる。
余談ながら、調査隊はアジュカが重傷を負わされた時点で、とっとと長距離転移でアルファトまで戻ってきている。
「それで、調査開始はいつからなんだ?」
「先方の都合次第だが、遅くとも三日以内というところらしい。アルファトに工房を作って、色々準備を整えてからとのことだ」
「なるほど、了解。つまり、今日出発するって事はまずない、って事か」
「そうなるな」
「なら、ちょっと日課を済ませてくる。今から出れば丁度いいからな」
そう言って、恐ろしいまでの早業で部屋から消えるバースト。その余りの早業に、調査の詳細を伝えようとしていた幹部が頭を抱える。
「まだ、説明することが山ほど残っていたんだが……」
結局、四方八方に手を尽くして再びバーストを呼び出し、深夜帯に調査の詳細その他を説明するという二度手間を強いられる幹部であった。
「シームリットちゃん、また鍋の修理お願いね」
「あいよ。そこ置いといて」
「とうとう包丁の刃が派手に欠けちゃったから、新調したいんだけど大丈夫かしら?」
「三日くんない? 今入ってる注文で、鉄の在庫カツカツなんよ。先週注文だしたんだけど、予定が明後日なんだわ」
「分かったわ。三日ね。お隣の奥さんに、材料切るのだけお願いしなきゃね」
バーストが指令を受けた日の昼。目的地であるオルガ村にある一軒の鍛冶屋は、今日も大盛況であった。
村で唯一の鍛冶屋を切り盛りしているのは、ウサギ系獣人の特徴を持った若い男。外見上の特徴はノーラ達モーラ族と余り変わらないが、よく見れば耳の形が違う。と言っても同じウサギ系獣人か観察力に優れた人間が見れば分かる、という程度でしかなく、普通の人間系種族が見ても区別がつくほどの差は無い。イギリス人とフランス人ぐらいの差といったところだ。
何らかのトラブルがあって誰かが駆け込んでくるのは、大体この時間帯だ。それゆえに、シームリットと呼ばれたこの鍛冶師は、この時間帯はあまり仕事にならない。
「さて、今日の注文はこんなもんかね」
あの後も五人ほどの村人が駆け込んできて、素人手入れではどうにもならなくなった斧や鎌、鍬などを持ち込んでくる。それらの刃先を確認し、鍋やフライパンの修理個所を観察して一つ頷く。
「じゃあ、昨日の端材で修理できる奴から行きますか」
そう言って、最初に取り出したのが小さく穴が開いたフライパン。フライパンと言っても揚げものなんて概念がないこの村では主に用途は焼き物か炒め物だが、この調理器具の概念を持ち込んだ知られざる大陸からの客人がフライパンと呼んでいたため、世界的にフライパンと呼ばれている。
「材料よし、品物よし、ハンマーよし、準備完了。じゃあ、いくぜ!」
穴埋めのための端材をあてがい、大きくハンマーを振り上げる。
「オレのじゃねえし!」
振り上げたハンマーを気合を込めて振りおろしながら、とんでもない事をシームリットが叫ぶ。最初の一撃であっさり穴が埋まり、続いての打撃でどんどん材料とフライパンが馴染んでいく。一撃ごとにフライパンと材料の境界線が無くなって行き、十五回ほどの打撃でフライパンの修理は完了する。
「うむ、毎度のことながらほれぼれする仕上がりだ」
とんでもない事を叫びながら叩いた割には、本人の言葉通り見事な仕上がりを見せるフライパン。長年の使用で狂っていた形状も叩き直され、フライパンとして最適な曲線を描いている。
「ただいま帰りました~」
「あいよ、おかえり」
他の鍋の修理を終え、いよいよ大物であるいい感じにへたった鎌に取り掛かろうとしたところで、去年結婚したばかりの愛妻・マーヤが帰ってきた。
ほんわかした雰囲気の癒し系美女で、僧侶がまとうような衣装を身にまとっている。頭に生えている鹿の角が、彼女が鹿系の獣人であることを物語る。
「で、どうだった?」
「ダメでした。またしばらく、向こうに行かないといけないかもしれません」
「そっか。装備貸しな。修理するから」
「いえ。私の装備より、お仕事を優先してください。すくなくとも、今日明日はここにいますし」
「いや、そうもいかないって。前みたいにいきなり状況が変わって、慌てて飛び出す羽目になっちまったらやばいしさ」
そう言いながら、強引に彼女のメイスを奪い取り、修理のために奥に持っていくシームリット。そのまま使い込まれてずいぶんヘタっているメイスを確認しながらポツリと付け足す。
「それにな。オレがちゃんと修理しなかったせいでこいつが壊れてお前になんかあったら、悔やんでも悔やみきれねえし。それで死んだりしたら、後追いかけちまう自信があるぞ、オレ」
そんな口説き文句を言いながら、まだ普通の修理で何とかなる範囲のそのメイスを、先ほどの鍋類とは比較にならないほど丁寧に修理し始める。
その私情の入り方は正直職人失格ではあるが、まだまだ新婚、しかも穏やかながらなかなかの大恋愛で結ばれた二人とあっては、ある程度仕方が無いことかもしれない。
「さて、気合入れていくぞ! オレのじゃねえし!!」
もっとも、修理のときの相変わらずの掛け声が、すべてを台無しにしているが。
「あ、そうそう、シームリットさん」
「なんだ?」
「村長さんから聞いたんですが、近いうちに調査のための人員が来るそうです」
「ほうほう。そりゃ朗報、だといいなあ……」
「そうですね」
朗報かどうか分からない話に、なんとなく微妙な言葉が続いてしまう。
「とりあえず、人妻になった途端に『よるなビッチ!』とか言い出す子達がいなくなってくれるといいんですけど……」
「そんなこと言ってやがるのか……」
「本来は伝承と違って、浮気でもしてない限りは人妻かどうかなんて気にしないし、男性に触られるの嫌がったりしないんですけどね……」
なかなか深刻なことになっているらしいユニコーンの森に、いろいろため息が止まらない夫婦。特に嫁のほうは特殊な役割を担っているらしく、その深刻さはちょっと冗談ではすまない。
「本当に、今度来るらしい人たちが解決の助けになってくれるといいんですけどね。戦士見てるといっても限界がありますし」
そうぼやいて、再び深々とため息をつくマーヤ。そんな彼らに対し、運命の出会いと再会は刻一刻と近づいているのであった。