第9話
「……なんか、妙に慌ただしいわねえ」
ルーフェウスに来た日以降、初めて冒険者協会に顔を出した真琴は、やけに浮足立った雰囲気でバタバタ走りまわっている様子に困惑していた。
「まともな依頼、あるのかしら……」
余りに浮足立っている協会内部に顔をしかめながら、依頼ボードの方へ歩こうとする真琴。正直なところ、今日はたまたまできた隙間時間を埋めるために、ちょっとした依頼を探しに来ただけだ。本格的なトラブルに巻き込まれるのは避けたい。
仮に巻き込まれたとしても、明日まで宏の特別講義が続くのだから、まともに動けるのはそれ以降となる。しかも、その後は大図書館の特別書庫に潜るという大仕事も待っているのだ。
国際情勢もどうやらきな臭くなってきている現在、これ以上余計な寄り道は避けたいのである。
「討伐依頼、討伐依頼、っと」
儲けは度外視で、できるだけ短期間で終わってかつ、食材になりそうなモンスターの討伐依頼を探し回る真琴。元々メインは宏の誕生日パーティに使えそうなモンスター食材の調達だが、単に食材ハンターだけをやって終わるのは勿体ない、なんて貧乏くさい小市民的な発想だ。
本当なら、真琴一人でやることではない。だが、春菜はまだまだ食堂のメニュー関連の仕事があり、澪はジノの後輩として入ってきた三名の面倒を見るので手いっぱい、達也は現在資料の整理中で、こっち方面に関われるほど手が空いていないのである。
達也の資料整理を手伝おうかとも思ったのだが、現在は整理した資料をもとに文章と表にまとめ直している段階で、下手に他人が手を出すとややこしくなるからと手伝いを拒まれたのだ。
そういう事情なので、大きなトラブルはできるだけ触らない方針で行きたい。そんなせこい考えを見透かすように、トラブルというのは向こうからやってくる。
「アズマ工房の方ですか?」
真琴の姿を見た職員が、期待と不安に揺れ動く表情で真琴に確認を取る。日本人は人種が違う上、他所の国の冒険者協会から優遇すべしというコメントとセットで人相書きが出回っているため、冒険者協会の職員なら識別自体は非常に簡単だ。
「……一応、所属はそうなるわね」
「助けていただけませんか!?」
真琴に肯定されて一瞬顔を輝かせ、次に真剣で切羽詰まった様子で縋りつかんばかりに頼みこむ職員。その様子に引きながら、とりあえず自分達の事情を説明しようと真琴が口を開く。
「助けてくれ、って言われても、今うちの工房で動ける冒険者はあたしだけだし、工房主を当てにしてるんだったら、明日いっぱいは特別講義で動けないわよ?」
「それが終わってからでも問題ありません! 色々手づまりになっててどうにもならないんです! お願いします!!」
「って言われても、あたしの一存じゃ決められないのよ。今日はたまたまあたしだけ手が空いてたけど、こっちも色々忙しいから」
「でしたら、せめて検討だけでも!! 報酬だって限界以上に上乗せしますから!!」
とことんまで必死になっている職員の様子に、限界まで抵抗しつつもある種の諦めに似た気持ちが湧きあがってくる。とは言え、これは別に情にほだされた訳ではない。
ここまで食い下がってくる相手から逃げるには、真琴が持っている札が弱すぎるのだ。
「……分かったわよ。帰って話し合いするから、中身を教えなさい」
それでも更に数分間押し問答を続け、相手が伝家の宝刀、というより半ば自滅技である国家権力の介入まで使おうとしたところで、とうとう完全に抵抗を諦めて両手を上げる真琴。どうにか口説き落とせたことにホッとし、現在起こっている重大な問題について説明する職員。
「実は、ルーデル湖の島で、連絡が取れなくなった人が急増していまして……」
「それ、明後日以降でいい、なんてのんきな案件じゃないわよ!?」
「分かっていますよ、そんな事! これまでに四回送り込んだ捜索隊も、全員消息不明になってるんです! 最後に送り込んだのなんて、三級の冒険者なんですよ!?」
「……要するに、送り込める人員がいない、って事?」
「……そうなんですよ……」
真琴の指摘に、肩を落としてそう答える職員。三級の冒険者ともなると、ウルスやダール、スティレン、ルーフェウスと言った大都市でも、それほどの人数は抱えていない。それゆえに、手が空いているそのランクの冒険者を捕まえるのはかなり難しい。その上の二級以上ともなると、所属はしているが街にはいない、というのが普通になってくる。たまたま補給か何かで戻ってきたときに捕まえる以外、二級以上の冒険者に依頼を出すのは不可能である。
なので、三級の冒険者を送り込んでも解決しないとなると、二級以上が戻ってきていない現状では、事実上冒険者協会からは送り込める人員がいなくなるのだ。
「でもさ、それだったらあたし達を送り込んでも一緒じゃないの?」
「普通の五級や七級の冒険者ならそうでしょうけど、アズマ工房の皆様を額面通りの実力だとは誰も考えていませんので」
「……その根拠は?」
「この世界のどこを探しても、新品のオリハルコン装備を身につけた五級冒険者なんていません」
反論しようにも非常に反論し辛い理由を突きつけてくる職員に、思わず言葉に詰まる真琴。装備の値段は命の値段とはいえ、自分達の装備がランクや日ごろの仕事内容からすれば過剰もいいところなのは事実だ。
「とにかく、三級の冒険者を送り込んでどうにもならなかった以上、他に今動かせる普通の冒険者を何人送り込んでも一緒です。ですので、特殊な装備をたくさん作りだして所有していると名高いアズマ工房の皆様に頼る以外、我々で打てる対策がありません」
「はいはい。とりあえず相談だけはするけど、こっちにも優先順位があるから、絶対に引き受けるとは言い切れないわよ?」
「ええ、分かっています」
「とりあえず、連絡が取れなくなった人が行った島の位置と、その島に何があるのかぐらいは教えて。それと、この依頼の手続きよろしく」
真琴が差し出してきた依頼票を見て、渋い顔をする職員。これまでの話の流れで、堂々と普通の依頼を受けようとする態度に、色々思うところがあるらしい。
「あ、あの……」
「どうせうちの工房主は夕方まで学校から動けないんだし、あいつ抜きだと防御面が手薄になるから、最初っからこんな依頼受けられないわよ。だったら、それまでに終わる仕事をこなすぐらいは問題ないでしょ?」
「……分かりました」
ここで機嫌を損ねてはまずいと判断し、しぶしぶ手続きを済ませる職員。こうして、宏達の中では珍しく、真琴が厄介事を引き当ててくるのであった。
その日の夕食後。
「って訳なの……。ごめん……」
「いやまあ、そのパターンだったら、いずれにしても俺らに回ってくるんじゃないか、って気はするが……」
「もしかしたら、あたしが冒険者協会に行ってなきゃ、禁書庫に潜る頃までは触らずに済んだかもしれないじゃない……」
例によって和室で日本人だけで集まり、真琴が検討だけでもと押し付けられた依頼を説明して頭を下げる。非常に申し訳なさそうにする真琴を、一生懸命なだめる達也。今回に関しては明らかに不可抗力で、しかも真琴はぎりぎりまで抵抗したのだから、文句を言える筋合いはない。
それに、宏か春菜が余計な事をして脇道にそれるいつものパターンと違い、今回は力技で押し付けられたとはいえ正当な依頼なのだ。一応冒険者協会に所属している身分では、断ろうにも断りきれない。
これまでのルーフェウス学院の改革も一応、国王および学院長から直接依頼を受けているといえばそうなのだが、そのやり方が脇道にそれ倒しているのが問題である。宏や春菜に物事を任せるとすぐに獣道レベルの脇道にそれようとするのは、年長者として時折非常に頭が痛い。それた時点で後に引けなくなっていることが多いのだから、余計にだろう。
そこから比べれば、今回の真琴は可愛らしいものである。
「まあ、話を戻すとして、どこを調べるんだ?」
「ルーデル湖の中にあるドルテ島っていう島。全周五十キロちょっとの結構大きな島で、三つぐらい漁村があるらしいの。他にもあっちこっちにある島とかもっと先にある漁場とかに向かう時、ここが中継地点としてものすごくいい位置にあるらしくて、結構行き来が多いんだって」
「なるほどな。どれぐらいの距離だ?」
「流石に手漕ぎボートでいけるような距離じゃないけど、普通の漁船なら三時間から四時間ぐらいで着くって言ってたわね。航路とか湖の流れの影響で結構変わるみたいだけど」
「確かに、割と近いな」
大体の位置関係を書き込んだ大雑把な地図を広げながら、今回の目的地について説明する真琴。この世界の一般的な漁船は、地球の小型漁船ほどの速度は出ない。ゆえに、漁船で半日前後となると、直線距離ではそれほど離れていない。
「で、そこを経由して漁から戻ってくる船が、どれも予定を三日以上過ぎてるのに戻ってこなくて、おかしいと思って調べたらそこにある漁村全部と連絡が取れなくなってたって話。幸いにして別の航路で漁をしてる船は無事だし、備蓄も十分だから流通の方には混乱は出てないけどね」
「大事じゃねえか」
「結構な大事になってるわね。しかもややこしい事に、通信自体はつながるみたいなのよ」
「そうなのか?」
「三級の冒険者を送り込んだときは、通信はつながったって言ってたわ。今も通信自体はつながってるんだけど、相手から返事が来ないらしくて」
通信がつながる、という点から、少なくとも外部と遮断する種類の異界化は起こっていない。それは断言できそうだ。だが、それだけ分かっても何の足しにもならない。
「で、それがいつの話だ?」
「五級をメインにした最初の調査隊を送り込んだのが先週らしいわね。で、三級を送り込んで連絡が途絶えたのが昨日。その間に協会から一組、騎士団からも一組、調査に行って全員消息不明らしいわ」
「無茶苦茶厄介な状況になってるな、それ」
「厄介な状況になってるのよ。協会の方も三級がここまであっさり連絡取れなくなるとは思わなかったらしくて、内部で凄くバタバタしてるところにあたしがのこのこ顔を出しちゃったもんだから……」
「そりゃ、捕まってもしょうがねえか……」
状況を聞き、どこまでも不可抗力だった事を理解せざるを得ない達也。この分だと、明日宏が講義を終えてすぐに国王あたりが直接乗り込んでくる可能性も捨てきれなかった。恐らく、今日押し付けられるか明日押し付けられるかの違いだったのだろう。
「なんか、宏に更にとんでもない誕生日プレゼント押し付ける羽目になっちゃったけど……」
「しゃあないって。それに、ちょっと距離近過ぎて見過ごせる話やあらへんし」
申し訳なさそうに宏に頭を下げる真琴に、どっちにしても関わるつもりである事を告げる宏。そもそも、碌でもない誕生日プレゼントなどとうの昔に貰い受けているのだ。まだ冒険者らしい内容である分、現在進行形の厄介事である特別講義よりははるかに心が躍る。
「にしても、話聞いとると、ホラーかミステリーあたりの映画みたいな事件やんなあ」
「そうだよね」
宏の指摘に春菜が同意する。他のメンバーも同じ印象を持っているらしい。どっちも割とファンタジーとは食い合わせが悪そうなジャンルだが、あり得ないとは言い切れない。
「師匠。ホラーかミステリーかで対応が変わるんだけど、どうするの?」
「そんなもん調べてみんとどっちなんかが分からんし、共通して通用する準備だけしとくしかないやろ」
「ねえ、宏君。それしかないのはいいとして、共通して通用する準備って?」
「ホラーにせよミステリーにせよ、いわゆる不安とか恐怖とかの類でこっちの足並み乱すんが基本やから、まずそこらへんやな。もしかしたらその手の状態異常が発生しとるんかもしれんし、その対抗策は必須やろ」
必要な準備について、宏がスラスラと答えていく。不安や恐怖にとらわれないようにする対策は確かに必須だが、あの手の映画でありがちな、登場人物が抱く過剰なまでの不安や恐怖を状態異常として対策するのはなんとなく微妙な話ではある。
「納得はいくしそれで対応できないと困るんだけど、なんだかホラー映画とかのパニックが状態異常対策で防げちゃったら、それはそれで何か釈然としない気分になりそうだけど、私の考え方がおかしいのかな?」
「いや、その気持ちはよく分かる」
「というか、それで対策できちゃう可能性があることが、ファンタジーとホラーやミステリーとの食い合わせの悪さにつながってるんでしょうね」
「まあ、幽霊とかゾンビみたいなのがモンスターとして普通に存在してるのも、ホラーとの相性が悪い理由だろうがね」
宏が打ち出した対策に対する微妙な気分。それを正直に口にした春菜に、達也と真琴も同意する。
「そこは文句言われても困るから話戻すとして、や。他に準備しとくとすれば、お互いに居場所が分かるようにいろいろ細工しとくんと、不意打ちされんようにいろんな方法で探知能力を強化するんと、あとは物理攻撃が効かん相手に対する対策か?」
「それと、安全に休憩できるように、安全圏をつくる準備も必要だと思う。というか、感じからして一日じゃ絶対終わらないよね?」
「せやな。何相手にするにしても、結界の類は張れるようにしとかんとあかんか」
話し合いにより、どんどん必要なものがあぶり出されていく。情報が少なすぎる、というより情報を集めに行くため、事前にできそうな準備など知れているが、それでも随分いろいろとやっておきたい事は出ている。
「一番大きい問題が残ってるんだが、現地にはどうやって行く?」
「潜地艇使えばええんちゃう?」
「あれでいけるのか?」
「基本は潜水艇にドリルつけただけやからな。普通に水中も進めんで」
「そうなのか……」
微妙に釈然としない回答を聞き、どことなく遠い目をする達也。別に風情なんて求めるつもりはないが、それでもドリル付きの潜水艦でホラーの舞台に突入するのは、凄まじい勢いでジャンルが粉砕されている気がする。
「とりあえず、精神系の状態異常は食らうといろいろ厄介やし、念のためにちょっと強めの万能薬用意しとかんとなあ」
「強め、か。具体的には?」
「材料的にかなりきついけど、どうにか二級の万能薬作るわ」
「……まあ、そうだな。過剰かも知れんが、万能薬は強力な方がいいからなあ……」
宏のコメントに、エルフの森のダンジョンなどを思い出して、真剣な表情で同意する達也。他のメンバーも似たような表情である。
幸運にも今まで大きな被害を受けてはいないが、あの時もう少し強い毒がきていれば危なかった、などというケースがなかったわけではない。そう考えれば、出来る準備は限界までしておくに限るのだ。
「あとは食糧関係やけど、これはまあどうにでもなるやろうから、あえて特別になんかする必要はないやろうな」
「そうだね。ある程度簡単に食べられるように加工した方がいいとしても、何日分も調理しておく必要はないと思うよ」
「師匠、春姉。もしかしたら、現地で炊き出しとか必要かもしれない」
「あ、そっか。だとしたら、沢山料理を用意しておいた方がいいか。こういう場合は豚汁がいいんだけど、ルーフェウスの人たちは味噌の香りが駄目なんだよね。多分色も厳しそうだから味噌汁系統は駄目だとして、何がいいかな?」
「ポトフかドワーフスープが無難? 後は普通にシチュー?」
「その系統かな」
食料がらみで出てきた新たな検討事項に、ああでもないこうでもないと頭をひねる春菜と澪。そこに宏が
「まあ、人間極限下やったら、慣れん匂いで受け付けん、程度は割とあっさり乗り越えるもんやけど」
などとかなり邪悪な事を言い出す。
「宏君、いくらなんでもそれはちょっと……」
「師匠、そういうやり方で日本食を布教するのは感心しない」
内容が内容だけに、即座に春菜と澪から否定の突っ込みが入る。
「てか、そもそも日本食を広めて定着させる必要なんて特にないんだから、そういう人の弱みに付け込んでまで自分達の好みを押し付けるなよ」
「なんとなく今までナチュラルに広めてきたから忘れてたけど、日本食が受け入れられようがどうしようがあたし達にあんまり関係ないんだから、困ってる人を助けるときはそういう考えは捨てなさい」
更に、年長者からも宏へ厳しい言葉が飛ぶ。
「まあ、半分は冗談やけどな」
「半分は、って……」
「別に布教するとかそういう話やなくてな。手持ちの材料とか相手の人数とかによっちゃあ、他のもん用意する余裕あらへんかもしれんやん。特にポトフとかドワーフスープは、味噌汁に比べるとどないしても煮込むんに時間かかるんやし」
言い訳じみた宏の指摘に、少しばかりその場に沈黙が下りる。
「言われてみればそうね。足りなかった場合厄介よね」
「うん。確かにドワーフスープとかポトフとかは、ダシが出て具にある程度味が染みるまでちょっと時間かかるよね」
「かといって、味噌汁とか豚汁だと、下手すれば豪快に余る訳でしょ?」
「うん。余った場合、ちょっと処分に困るかも」
新たに出てきた問題に、地味に頭を悩ませる春菜と真琴。同じ余り物でも、ドワーフスープはスティレンかクレストケイブのドワーフ達にさし入れとして持っていけばあっという間に消費しつくすだろうし、ポトフも使う鍋に腐敗防止の機能があるから腐る心配などは無く、出張販売なりなんなりの口実で売り物に回せなくもない。
だが、豚汁となるとそういう訳にもいかない。売るにしても現段階のルーフェウスでは売り物にならない事ははっきりしており、差し入れに使うにも炊き出し用途で作ったとなるとかなり豪快な分量になるため、差し入れする先が足りない。
基本何でも食べるドワーフや味噌汁大好きなオルテム村のエルフに押し付けるのもありだが、エルフはともかくドワーフには味噌汁を食べさせたことがない。故に反応が読めないこともあって選択肢に入れづらい。
「だったら、煮込むのに時間がかからないもの、たとえばフォークで食べられるように調整した汁麺の類を用意するとかはどうかしら?」
「それもありだけど、今度、麺を作ったりゆでたりする時間が厳しいかも」
「せやったら、ライン一本組んで、生産速度の限界にチャレンジして元祖鳥ガラのインスタントラーメン用意するか?」
宏の提案に、その手があったかと春菜がポンと手を打つ。色々メニューを並べ立てていた真琴も、緊急事態における食料供給の観点で屈指の手段ともいえるその提案には、反対する理由が思い付かない。
「ほな、ちょっと向こうでライン組んでくるわ」
「ちょっと組んでくるわ、で、ライン一本完成させる師匠が素敵すぎる」
「いつもの事やん」
などと言いながら、真火炉棟に移動する宏。どうやら、真火炉棟で生産するらしい。それに一応助手としてついていく春菜と澪。
本来なら衛生的な事を考えると、埃が舞っていそうな真火炉棟では無く別の場所で作るべきだろう。だが、残念ながらまだインスタントラーメン工場は建物の工事が完全には終わっておらず、かといって工房には真火炉棟以外に生産ラインの類を仮設置できるスペースがない。
それゆえ、消去法で真火炉棟を使うことにしたのである。現在真火炉はあまり使っていないため、埃その他も対策が取れないほどではないのが救いであろう。
「さて、まずは真火炉の前に壁用意して、中をクリーンルーム化やな」
いつものようにとんでもない事を言いながら、作業に入る宏。一時間ほどでラインの設置作業を終えると、試運転に入る。
「とりあえず、ちょっと味見やな。春菜さんと澪は、まだ食えるか?」
「味見程度なら大丈夫」
「ボクは余裕」
「ほな、作るわ」
ラインの試運転を終え、挙動には問題がない事を確認したところで試食に入る宏達。もはや一時間でクリーンルームにしてラインを完成させたことには誰も突っ込みを入れない。
「……味はこんなもんやな」
「麺の長さは、もうちょっと短くした方がいいかも。私達は慣れてるからいいけど、初めて食べるんだったらちょっと苦労しそうだし」
「後、ほぐれるまでの時間ももう少し早く」
「了解や」
春菜と澪の駄目出しを受けて微調整し、セットできる材料全てをラーメンに加工するよう指示を出す宏。ついでにちょっと改造し、鳥ガラスープだけをフリーズドライで作るラインも用意する。
「とりあえず、これで寝とる間に何食かはできるやろう」
「そうだね。お疲れ様」
地味に人がほとんど触るところがないラインに、特にコメントせずに作業の終了を宣言する宏と春菜。結局、仮設置した生産ラインのフル稼働により、恐らく必要とされるであろう分量を上回る数のインスタントラーメンを確保する宏達であった。
『……それは、本当か?』
「うん。多分、ハニー達が調査に行くことになると思う」
宏が生産ラインを組み立てたのと同時刻。定時連絡でレイニーからもたらされた情報に、レイオットは渋い顔になるのを止められなかった。
『別のルートからも報告を受けてはいたが、たかが数日でそこまで深刻な事態になっていたのか……』
「三日前は三級冒険者を送り出したところだったから、まだまだそこまで深刻な事にはなってなかった」
『なるほどな。お前以外からの定時連絡で一番近いものが五日前だから、そんなに話は大きくなっていなかった訳か』
「うん。多分今日が定時連絡じゃなかったら、緊急連絡で報告してたと思う」
レイニーの補足説明に、一つ頷くレイオット。ここまで状況が悪化しているのだから、恐らくレイニー以外からも緊急連絡が入って来るだろう。他の密偵からまだ連絡が来ていないのは、定時連絡の時間を避ける意味合いとその間に少しでも情報を追加で集めているからという二つの理由なのは簡単に推測できる。
『しかし、解せんな』
「何が?」
『お前の報告だと協会の職員が国家権力による強制指名をちらつかせていたらしいが、我々との力関係を考えれば、ローレン王がヒロシ達にそんな危険な依頼を押し付けるのは不自然に思える』
「恐らく、職員の暴走。少なくとも、背後関係は無かった」
『それを許すほど今の王が舐められている、ということか。いや、当人はそこまで考えておらず、国が乗り出すべき状況だからこれぐらいの命令はするだろうと安直に考えただけか?』
レイオットがぶつぶつ言いながら思考に没頭しはじめたのを、黙って見守るレイニー。意見を求められている訳ではないので、口を挟む理由がない。それに、レイニーが拾ってきて報告した情報だけでは、偏った判断しかできない。一定ラインの推測はするが、精密な分析は専門家の仕事だと割り切っている。
まあ、レイニーの場合はその一定ラインの推測も意外と精度が良くなってきており、それも情報収集能力の高さとして活かされるようになっているのだが。
『断定するには少々情報が荒い、か。判断は保留だな。それにしても、つくづく厄介事を押し付けられる連中だ』
「私も協力した方がいい?」
『いや。お前の得意なジャンルではないから、やめておけ。連中が調査に向かっている間に、邪神教団を調査しろ』
「了解。場合によっては排除?」
『ああ。情報源になりそうもなく、排除しても他に影響がないなら全部排除しておけ」
「任務了解」
レイオットの指示に頷き、定時連絡を終了するレイニー。邪神教団は放置しておくと訳の分からないところで変な増え方をする。ある程度泳がせれば一網打尽にできるならともかく、横のつながりがあるか怪しいなら排除してしまった方が後腐れがなくてすっきりするし、ローレンに対しても恩を売ることができる。
そのあたりの思惑も理解した上で、レイニーは愛しのハニーに褒めてもらうために、色々と掴んでいる情報の仕分けを始めるのであった。
「親方、本当にいいのですか?」
「今更文句言うてもはじまらんやん」
「ですが、これ以上ローレンの事情に付き合う理由は無いと思うのです」
「国家権力敵に回すんは面倒やからなあ……」
決行前日。本来なら後ろにずらした宏の誕生日パーティ兼宏の特別講義打ち上げパーティをする予定だったその日の夕食は、再度の延期により普段通りのメニューに変わっていた。明日大規模な調査に行くとなると、パーティ料理を作るような余力は無かったのである。
質素ではないものの特に変わったメニューがあるでもないその日の夕食を見て、色々思うところがあったノーラがそんな事を口にするのも無理からぬ事であろう。
「ちゅうか、思ったんやけどな」
「何なのですか?」
「もうここまで後ろにずれるんやったら、いっそもっとずらしてライムと一緒にやってええんちゃう?」
恐らく戻ってくれば既に八月第一週が終わるであろう事を考え、宏が事実上自身の誕生日パーティを中止するような提案をする。もう来年は二十歳ともなれば、特に男子の場合は誕生日などせいぜいプレゼントを渡す口実とちょっといいものを食べる口実にしかならない事もあり、割とどうでもよくなってきたらしい。
「ダメ! ぜったいダメ!」
宏のそんな風情のない提案に、真っ先に真っ向から反対意見をぶつけたのはライムであった。その顔を見れば、反対理由がご馳走を食べられないからなんていう自分本位の理由では無い事は誰にでも分かる。
「っちゅうてもなあ。僕はええけど、たった二週ちょっとしか間が開かんで二回もパーティするんは、皆きついやろ? 特に準備面で」
色々と分かっていない感じの宏の言葉は、夕食の席にいた全員に無言で否定される。むしろ、宏とライムの誕生日パーティは、いろいろな理由で絶対にちゃんと開かなければいけないのだ。
「あのさ。あたしと春菜の誕生日をちゃんと祝ったのに、よりにもよって工房主の誕生日をちゃんと祝わないって、あり得ないでしょ?」
「そうだよ、宏君。それに、宏君とライムちゃんの誕生日は、西部三国の王様達が色々と張り切ってるんだからね」
どうにも納得していない様子の宏に、絶対中止にできないもろもろの理由を突きつける真琴と春菜。正直な話、これで宏の誕生日パーティが中止になったりライムとワンセットになったりしようものなら、ローレンは西部三大国家に対してとてつもなく立場が悪くなる。
「……何で王様らが張りきってんねん……」
「ファーレーンからすれば救世主、ダールにしてみればいくつかの問題を解決した立役者、フォーレにとっては魔鉄の生産量を増大させた恩人だからじゃないかな?」
これまでの実績を並べ立てて、西部三大国家での王家の覚えの良さを証明する春菜。その回答に、思わずげんなりした顔をする宏。
「まあでも、政治的な話にはしないとも言ってたから、宏君は普通にお祝いしてもらえばいいと思うよ」
「西部三大国家の王家のトップが集まって、政治的な話にはせんっちゅうても説得力無いで」
「師匠、それは言わないお約束」
絶対に話が大きくなりそうな状況にげんなりして突っ込んだ宏に、澪が更に突っ込みを入れる。
もはやアズマ工房の影響力は大きくなりすぎているのだから、何をやったところで政治的な話になってしまう。そもそもルーフェウスでやらかしたあれこれや、それに付随して開発したあれこれも既に政治的な影響を及ぼしているのだ。今更誕生日が政治的に利用されたところで、大した違いなどない。
もっとも、それ以前の問題として、西部三大国家の王家が直々に誕生日を祝うこと自体、既に政治的な話である。中身が普通に恩人を祝ってついでにどんちゃん騒ぎをするだけであっても、外から見ればそうはとらえられない。それを理解した上で普通に誕生日を祝う気満々なのだから、西部三大国家の王達はかなりいい性格をしている。
「……まあ、今更抵抗しても無駄みたいやから、大人しゅう祝ってもらっとくわ」
「なんか、本気でいろいろ悪いわね」
「昨日も言うたけど、真琴さんのせいやあらへんから気にせんとき。王様らの話はもっと関係あらへんし」
疲れたようにそうコメントし、白菜とロックボア肉のミルフィーユ仕立てを口に運ぶ宏。それにどう声をかければいいのか分からずに沈黙していたテレス達職員一同の代わりに、満腹になったひよひよが宏の膝の上に飛んでいく。
「きゅっ」
「まあ、心配せんでもええで。ちょっと面倒くさい、っちゅうだけやから」
「きゅっ」
「せやなあ。ほな、飯終わったら存分にもふらせてもらうわ」
「きゅっ」
会話になっているようななっていないようなやり取りの後、宏の膝の上でうとうとするひよひよ。
「……俺達、どういう基準でこの工房に連れて来られたんだろう?」
「お兄ちゃん、お家復興のためとはいえ、私達とんでもないところに来ちゃったみたいだよね……」
「イグレオス様……。この環境は、魔道具製作をもっと極めたい、などと過ぎた願いを持ってしまった私への罰なのでしょうか……」
それまでの会話を聞いていた新米三人が、あまりの魔窟っぷりに天を仰ぐ。その様子を、どこか達観したような顔で見守る二週間先輩のジノ。
「たった二週間なのに、ジノが先輩面してる」
「まあ、二週間も余分にいれば、後輩達の狼狽ぶりが微笑ましくなるのはしょうがないんじゃないかしら」
「生意気とは思うのですが、ジノも一応多少は戦力になり始めているので許すのです」
「先輩達、反論できないけどそれちょっとひどいですよ……」
その様子をばっちり観察されてファムとテレスにいじられ、ノーラにきっちり止めを刺されてへこむジノ。
「そういや、従業員全員が揃って食卓囲むのって、いつまで続くんだろうな?」
ファム達と新人の会話を聞くともなしに聞いていた達也が、ふと思った事をぽつりと呟く。
「達兄、どういう意味?」
「いや、な。このままの流れだと、当然新人ももっと増えるよな?」
「まず間違いなく増える」
「だとしたら、そのうちこの食堂で全員は無理になるし、常に全員揃って同時に飯ってのも、ヒロ達が全員分の飯を作るのも無理が出てくるよな?」
達也の素朴な、だが非常に鋭い指摘が全員に突き刺さる。
「なかなかきついところをつくわね、達也」
「いや、別に責めてるとかそういうことじゃなくてな。全員揃って同じ食卓囲んで飯食うのは大事なことだが、規模がでかくなると無理が出てくるよなあ、って思ったら、どこでどう線引きするんだろうな、って気になっただけだ」
「まあ、線引きするとしたら、ジノ達には悪いけど、最初にいた四人とレラさんがあたし達と一緒、それ以外は特に事情がない限り別、って感じになるんじゃない?」
真琴のなかなか容赦のない線引きに、むしろパージされたジノ達四人が何度も首を縦に振って同意する。力量的にも稼ぎ的にも関係的にも、テレス達に混ざって工房主一行と一緒に食事している今の状況がおかしいのだ。
「一年も差がない、ってのは無粋な突っ込みか」
「ほぼ立ち上げ初期からいた人材と後から来た人材では、どうしても扱いに差は出るわよ。それに、ライムを後から来た新弟子達と同じ扱いにするのはいろんな意味で無理があるし、ライムを特別扱いするんだったら姉のファムも、その同期も特別扱いしなきゃだめでしょ?」
「まあ、なあ」
真琴の正論に、理解も納得もしつつどこか寂しそうに同意する達也。
「その手の話は、もっと人数増えてから考えたらええんちゃうか?」
「そうそう。もしかしたらここで打ち止めかもしれないんだし、ね」
とりあえず面倒になったらしい宏と春菜が、問題を先送りにする提案をする。
「ま、限界が来たら自然となるようになるか」
「うん。なるようになるよ」
達也が出した結論に春菜が同意し、この話題は終わる。この後微妙に下がったテンションを、ひよひよを存分にもふって更に準備のためにいろいろ作ることで大きく回復させる宏であった。
「この度は依頼を引き受けていただきまして、ありがとうございます」
決行当日。これから出発する事を告げに冒険者協会に顔を出した宏達に、依頼を押し付けた職員が深々と頭を下げる。
「まあ、それはええんやけど……」
頭を下げた職員に対して割とおざなりな態度を取りながら、待ち受けていた他の人物に目を向ける宏。
そう、待ち受けていた他の人物、である。
「この人ら、何なん?」
「皆様だけに押し付けるのはまずいだろうとの上層部の判断で、冒険者協会から一組、騎士団から一組調査チームを出す事になりました」
「……なんやろう、この物凄いフラグくさい状況……」
説明を聞いて、非常に微妙な顔でもう一度参加者を観察する宏。仲間の顔は確認していないが、恐らく似たような表情を浮かべているのであろうことは想像に難くない。
「何か文句でもあるのか?」
「文句っちゅうか、なあ……」
宏達の顔を見た冒険者のチームが、少々気を悪くした様子で宏に絡む。その様子に自分たちの態度が失礼に過ぎる事に思い至り、どう説明するかを考える。
「兄貴、説明投げてええ?」
「俺かよ……」
「悪いとは思うんやけど、上手い説明のしかたが思いつかんのよ」
「俺だって大差ねえぞ……」
宏に丸投げされて、しぶしぶながら説明をバトンタッチする。
「あ~、上手く説明できないんだが、俺達の故郷の物語だと、こういう状況で人員が増えると、増えた人員の実力とかに関係なく状況が混乱したり余計な被害が増えたりする事が多くてなあ。気を悪くするのは分かるんだが、あまりにもそういう話と状況が似てるもんでちっとばかし不安に、な」
「あのなあ……」
「いや、本気で悪いとは思うんだ。ただ、お前さんたちにもそういうジンクスみたいな話はあるだろう?」
達也の説明に、釈然としないながらも反論せずに黙る冒険者達。はっきりいって、アズマ工房の連中の態度は許せるものではない。が、では自分達にそういう話がないのかと言われると困る。
ベテランの冒険者でその手のジンクスを持ち合わせていない人間などまずいないのだから。
「まあ、他にも、増えるっちゅう話聞いてへんかったから、薬の数がぜんぜん足らんっちゅうんもあるんやけどな」
「薬の数?」
「話聞いとったら、もしかしたら精神系の状態異常が来るかも、っちゅう印象があったからな。とりあえず万能薬とアンチテラーポーション、アンチパニックポーション、アンチヒュプノシスポーション、それからサニティポーションをそれぞれ複数のパターンで作ったんやけど、五人で行く予定やったから材料調達せんでもいけるか思って、そんな数は作ってへんねん」
「万能薬はともかく、その程度なら俺達もちゃんと用意してあるが?」
「等級の問題やな。前にな、普通に売っとる程度の薬やとどうにもならん状態異常食らった事があってな、強い薬作っときたかってん」
「なるほどな」
準備の問題と聞き、先ほどの話と合わせてようやく納得する冒険者達。もっとも、実際には食らったわけではなく予防したとか、そのときに使ったのが四級の万能薬だったとかは想像すらしていないが。
「準備してたより多くの人間が来て、余計なジンクスを思い出したから微妙な顔してたってことか?」
「まあ、そんなとこだな。準備が足りない状況で人数増えるっていうこの状況が、うちの故郷の物語でよくある展開とやたら一致するもんだから、ちっと微妙な気分になってたんだ」
「話は理解したが、せめて顔に出すのはやめろよ……」
「不意打ちだったから、我慢できなかったんだよ……」
不意打ちと聞き、今度は冒険者協会の職員に視線が集中する。
「事前に話さなかったのか?」
「こちらでも急遽決定しまして……」
「顔合わせが当日になるのは仕方ないにしても、せめて前日には話を通しておけ。でないと、今回みたいに余計なトラブルが起こるんだからな」
「申し訳ありません……」
事情を総合的に判断し、問題は宏達では無く冒険者協会の方にあると考えた冒険者チームのリーダーが、職員に対して苦情をぶつける。今回のように、大人の事情で後から人員をねじ込む場合、前日の段階で全員に話を通しておかないと、大抵余計なことで揉める。
「それにしても、騎士団か……」
「あら、そっちも不安?」
「ああ。俺達は前もって騎士団が来るのは聞いていたが、それでも今回の仕事内容を考えるとなあ……」
騎士団の存在に妙な不安を感じているのは、何も宏達だけでは無かったらしい。冒険者チームのリーダーが漏らした言葉に、真琴が納得七に意外三といった感じの言葉をかける。
「我々が邪魔だと?」
「戦闘になる可能性も低くは無いから邪魔って訳じゃないんだけど、今回みたいな種類の調査だと、部署によっては全然そういう訓練受けてないでしょ? そこがちょっと不安なのよ」
「これが、大きな被害を出してるモンスターを探す、なら、ボンボンが集まってるって噂の第七騎士団以外は信頼できるんだが……」
真琴とリーダーの言葉に、反論しきれずに黙る騎士団の隊長。役割分担の問題ではあるが、騎士団は確かにそういう傾向がある。
単純な戦闘能力では、よほどの例外でない限り、騎士団が冒険者に後れを取る事は無い。冒険者と騎士団では、装備も戦闘訓練も質・量ともに大違いなのだから当然である。悪環境下での生存のための訓練も充実しているため、そういう面でも足を引っ張る事は無い。
だが、今回のような異変の調査となると、戦闘能力と生存能力だけでどうにかなる訳ではない。いわゆる斥候としての訓練と豊富な知識や経験がなければ、肉壁の能力を持つ人足と変わらない。
「どうやら、期待に添えないようだ。すまない」
「いや、こっちも言葉が過ぎた」
「指摘された内容は至極もっともだ。貴殿らが不安になるのも仕方あるまい。そもそも、離島の調査にフルプレートを着こんで行く連中を見てベテランの冒険者が不安を覚えるのは当然だろうに、自分達でそこに気がつかない時点で、貴殿らの指摘には一片たりとも反論の余地はない」
「いや、だから部署とジャンルの問題で、騎士団が無能だと思ってる訳じゃないから」
生真面目に反省し落ち込む騎士たちに、必死になってフォローの言葉をかける真琴と冒険者チームのリーダー。騎士隊長が言うように、フルプレートを着こんで離島の調査に行こうとした事に不安を覚えたのは事実だが、この場合はそれを正式な装備として活動している部隊にこの仕事を命じた人間が問題だろう。
彼らはあくまでも、自身の受けた訓練をもとに命じられた任務を遂行しようとしているだけなのだ。拒否権のない現場の人間に、罪を問うても意味がない。
「というか、真琴さん。この場合、普通の騎士隊が来てくれたのはそれはそれでありがたいと思う」
「どう言うこと?」
「状況から言って、現時点でまず間違いなく、調査の拠点にする漁村にも何らかの被害が出てるよね?」
「ああ。確かに拠点防衛に長けた普通の騎士の部隊も、すごく重要な仕事があるわね」
春菜のフォローも兼ねた指摘に、真琴も冒険者チームのリーダーも言われてみればと納得する。
「ここに騎士団の特殊部隊から何人か人が出てれば、あたし達の準備不足以外は完璧だったんだけどねえ」
「現在、騎士団の特殊部隊は全員手が離せない状況だそうです。先方もどうにか一個小隊ぐらいは都合をつけたかったようですが……」
「忙しい理由に心当たりがあるから、文句は言えないわね。ある意味で、あたし達が迷惑をかけたみたいなものだし」
「迷惑、ですか?」
「こっちの事」
不思議そうな顔をする冒険者協会の職員をあしらい、仲間に視線を向ける真琴。もはやごちゃごちゃ言う必要はなさそうである。
「とりあえず、話がまとまったらさっさと出発」
「せやな。っちゅうても予想外に大人数になっとるから、使う予定やった船には全員はどう頑張っても乗れんのやけど」
宏の指摘に、船の手配が必要ない事を伝え忘れていたと気がつく冒険者協会職員。はっきり言って今回は、言い訳がきかないぐらい失態続きである。
「も、申し訳ありません。船の手配は必要ない事をお伝えするのを忘れていました……」
「まあ、手配っちゅうか、前に作った船持って来とるから、それ使うかっちゅう話になっとっただけやけどな」
「お前ら、船なんか持ってるのか?」
「特殊な奴一隻持ってんねん。持ち運びもできるし、うちらだけやったら何とかなるから」
持ち運びができると聞き、大きめのカヌーのようなものを想像する冒険者達。普通、自作が可能で持ち運べる船なんて筏かカヌーぐらいなので、彼らの想像も宏達相手でなければ間違いではない。
「持ち運びできるような小さな船でドルテ島まで行こうとするのは、無謀なんて次元じゃないぞ?」
「どんな船想像したかは知らんけど、ちゃんと動力つきの頑丈でスピードでる船やで。用途と構造は特殊やけどな」
宏のウソ臭い言葉を聞き流し、職員の方に顔を向ける冒険者達。アズマ工房の名前は知っているのだが、そこまでとんでもない技術力を持っているとは思っていないのである。
「で、俺達はどうやってドルテ島まで行くんだ?」
「水軍から船と人員を借りる手はずになっています」
「なるほど。それはありがたいな」
職員の返事に、あっさり納得するリーダー。状況的に、ドルテ島の周りに大型の水棲モンスターが出現した可能性も否定できない。それを考えると、漁師などに船を出してもらうのは避けたかったのだ。
宏が持っている(と冒険者たちが考えている)小船など、もってのほかである。
「だったら、港の方に行くか。待たせるのも悪い」
「待たされることに問題はないが、準備は大丈夫か?」
「さっきのこいつらの口ぶりと身につけてる装備からするに、ここで仕入れられるようなもんは十分な数を常備してるだろうからな。俺達も普通の薬類と食糧は十分に補充してある」
「そうか。なら行くか」
いつの間にか主導権を握っていた冒険者チームのリーダーが、出発を宣言する。主導権を握られた事に気がついた宏達だが、冒険者としての経歴と経験は彼らの方が上なので、特に異を唱える気は起こらない。
リーダーなんて面倒な真似は、仕切りたい人間が勝手にやればいいのである。
「……で、今頃気ぃついたんやけど」
「どうしたの、宏君?」
「なんか、自己紹介するん忘れてたんちゃう?」
「あっ……」
宏がそんな事を言い出したのは、船に乗って最初のミーティングの時。結局、ミーティングで一番最初に自己紹介をするという何とも間抜けな状況になり、真琴がこっそり渡していたホラー漫画の影響もあって、妙に先行きが不安になる一行であった。