7.昼餐会<3/5>
「……ランシィ殿を招いた昼食会に誘われたと思っていたのであるが」
やってきたディゼルトは、出迎えたエリディアに案内された部屋で、さすがにあっけにとられた様子で目をしばたたかせた。
「どうも俺には、小麦粉を練っているようにしか見えぬのだが、新手の遊戯ででもあるのかな」
「小麦粉を練っているのだが」
鼻や頬に白い粉をつけ、粉を振った板の上の白い固まりをこね回しながら、タリニオールは真顔で答えた。隣で同じような格好で白い固まりと格闘しているランシィが、同じように真顔で頷いた。
「小麦を練っているのでございますよ」
タリニオールがつけているのと揃いの前掛けを、ディゼルトにも差し出して、エリディアがにっこりと微笑んだ。エリディアが前掛けと三角巾をつけている分には非常に愛らしいし、ランシィも子どもらしく微笑ましいのだが、それがタリニオールとなると、見ている方の微笑みが複雑な意味を持ってしまうのは否めない。
「なんのためにと聞いても良いであろうか?」
「昼食のパンを焼く為でございますわ」
「この前掛けを手渡しているというのは、俺も小麦粉を練るのに参加することになっているのかな」
「心を通わせるには、同じ目標を持ってひとつの事柄を成し遂げるのと、同じ場で同じものを食べて飲むのが一番であると、ディゼルトさまが教えてくださったのでございます。素晴らしい教えであると思いましたの」
ランシィが、素直に感心したように頷いている。たまにエリディアは、冗談なのか本気なのかよく判らないことを真顔で言うのだが、ランシィはそれを真正面に受け止めて感銘を受けたらしい。大人も子どもも男女も関係なく共に成し遂げられるひとつのことと言われて、エリディアが思いついたのが、小麦粉をこねてパンを焼くということらしかった。
タリニオール自身も、最初は今のディゼルトと同じ反応をしたのだが、ランシィのほうが予想外に興味を示したため、自分はやらないとは言えなくなってしまったのだ。それならこの悪友も巻き込まない手はない。
「……このような形でなんなのだが」
間にランシィを挟む形で、揃って同じ前掛けをかけ、顔にまで白い粉を散らして小麦の固まりを練りながら、ディゼルトがランシィに声をかけた。
「サルツニアから来た、アルテヤ支援部隊統括司令のディゼルトであるよ。ランシィ殿には友人のタリニオールを馬泥棒から助けて頂き誠に感謝している」
「まだ蒸し返すか」
「なにを言うのだ、大事な友を助けてくれた恩人に礼を言うのは当然ではないか」
巻き込まれた仕返しと言わんばかりに、ディゼルトは誠実すぎて逆に軽薄に見えるほど真面目な顔で答えた。ディゼルトのあまりに真摯な表情に、ランシィはどう答えていいか判らないようだったが、タリニオールが憮然とした表情をしているので、やっとおかしそうに笑みを見せた。
「サルツニアって大きな国だから、王様に仕えてる人は堅苦しい人ばっかりなのかと思ってたけど、そうじゃないんだね」
「そういうわけでもないのだが……」
いったいなにを否定すればいいのか判らなくなって、タリニオールとディゼルトは図らずも同じような顔で口ごもった。
自分達がこねていた生地がほどよくまとまると、エリディアは先にこねて鉢に寝かせていたパン生地をいくつか持ってきた。かけられていた濡れ布巾をとると、手元でこねたばかりのものよりも大きくふくらんだ生地が出てきて、ランシィだけではなく男二人も驚いた様子で声を上げた。
「これがかようにふくらむのであるか?」
「麦酒のあわを作り出すのと同じもとが、パンにも入っているのです。ただ小麦を練って焼いただけでは柔らかくならないのですよ」
「なるほど……」
「このふくらんだものから一度空気を抜いて、切り分けてもう少し休ませたら、今度はみんなで形をつけましょうね」
言いながら、エリディアはふくらんだパン種を押さえて空気を抜き、へらで器用に等分に分けていく。興味津々な様子でそれを眺めていたランシィは、エリディアからへらと別のパン種を渡されて、見よう見まねで空気を抜き、切り分けていった。その間にエリディアは、ランシィ達がこねた分を別のボウルに入れ、濡れ布巾をかけてやっている。
切り分けた種をいくらか休ませてから、最後の仕上げに丸く形を作り、天板に並べていく。大きさは不揃いで、上手く丸くなっていないものもあったが、なんとかそれなりに並べ終えると、エリディアはそれにまた濡れ布巾を掛けた。
「これを、もう一時間ほど寝かせたら、窯に入れるのです」
「ずいぶんと手間がかかるんだなぁ」
「ものを作るのは手間がかかるものでございます」
タリニオールまでが素直に感心している。パンを焼くなどと最初は侮っていたが、やってみれば知らなかったことが多く、面白くもあった。
「窯に入れるまでの間、あちらの部屋でお茶にでもいたしましょう。食事の前ですから、お茶菓子は我慢してくださいね」
手を洗い、前掛けを外した客人達が通されたのは、タリニオールとエリディアが普段居間として使っている部屋だった。客間ではないのであまり広くはないが、日当たりも良く庭も見渡せて、本を読みながらくつろいだりするのにはちょうど良い部屋だ。
その部屋の壁に飾られた一枚の絵に、ランシィが関心を示した。月と太陽が共に輝く空の元で、左目に眼帯をした美しい戦乙女が、一人の若者に己の持つ剣を与えている絵だった。剣の柄には戦乙女の右目と同じ色をした宝玉が飾られている。
「その絵は、騎士叙任の記念に王宮から賜ったんだよ」
隣に立ったタリニオールに言われて、ランシィは彼が騎士であったことを思い出した様子で目を白黒させている。失礼な話だが、これまでの経緯もあって文句も言えない。
「これは、サルツニアの始祖シャール大帝が、女神ジェノヴァから裁定の瞳の入った剣を授かった光景を描いた絵だそうだ。神殿にあるものの複製だけど、きちんとした画家に描かせているから、本物にかなり近いと思うよ。本物は、神殿の壁一面の大きさだけどね」
使われている絵具も、高級な顔料を惜しげもなく使った深みのあるものだ。子どもながらにもそれが判るらしく、ランシィは陶然とした様子で絵を見つめている。
「本物の宝剣ルベロクロスにはまっている宝玉は、もう少し色の薄い赤だったけど、確かに不思議な輝きをしていた」
「見たことがあるの?!」
「もちろん」
今まで自分を「頼りないおじさん」程度にしか思っていなかったらしいランシィの顔つきが、みるみる尊敬を含んだものに変わっていく。なんだか嬉しくて、タリニオールは少し得意げに頷いた。
「騎士叙任の時に、王が使う剣が、宝剣ルベロクロスなんだ。あれは不思議な剣でね、時の王と、世継ぎの王子か王女でなければ、台座から持ち上げることも、鞘から抜くことも出来ないんだ」
「本当?」
「うん、おとぎ話みたいだろう? でも実際に、触れるのを許されて台座から持ち上げようとしたのだけど、ぴったりすいついて持ち上がらないんだ。そのまま鞘から抜くことも出来ない」
「へぇ……」
「でも不思議なもので、剣を宝物庫にしまうために、ジェノヴァ神殿の神官が台座の両端を持つと、ちゃんと持ち上がるんだ。本当にあれは、持ち主を選ぶ剣なんだね」
「ジェノヴァ神殿の神官に、会ったことがあるの?」
意外なところにランシィが食いついてきた。カーシャムの神官の青年から、なにか気を引く話でも聞かされていたのかも知れない。タリニオールが頷くと、
「ねぇねぇ、法衣は何色だった?」