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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第二章 騎士タリニオールの章

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第三話 3

 パンを窯に入れて焼き上がりを待つ間に、エリディアはあらかじめ用意していたシチューを温めて、大人の男ふたりと少女は、葉野菜を洗ってちぎり、ガラスの鉢に盛りつけていた。孤児院で手伝いもしているせいか、熟れた蕃茄トマトを切り分けるのも、ランシィはなかなか手際がよい。
 あまり種類を多くせず、ランシィがふだんからなじんでいそうな献立にしたのも、エリディアの配慮だった。不揃いながらもそれなりに美味しそうに焼き上がったパンをかごに盛り、居間から続くベランダに整えられたテーブルに設けられた昼食の席を、小さな賓客は偽りなく楽しんでくれた様子だった。
 ランシィにしてみれば、騎士と軍人に挟まれて葉野菜をむしる行為からが、面白かったに違いない。結果的に、ディゼルトの言った『同じ目標を持ってひとつの事柄を成し遂げる』行為が効果的であることが証明されたわけである。言った本人には、多少不本意な形での証明になったのかも知れないが。
 ひとつ話すと、いろいろなことが連鎖的に思い出されたのだろう。皆で食後のお茶を楽しみながら、ランシィは生まれた村でのことや、カーシャムの神官と共に村から出てからのことを少しづつ話し始めた。
「敵が、自分を『女だから』『子どもだから』『片目が見えないから』なんて侮るなら、そのままそう思わせておきなさい」
 歌姫は、ふとした折りによくランシィにそう教えたという。
「その侮りを、利用しなさい。相手が口先で騙そうとしてるなら、愚かな振りをしてあげればいい。子どもだと手加減するなら、その手加減を利用しなさい。いちいち自分の持っている力を示して、相手を本気にさせる必要はない。相手がこちらを侮って、本来の力を出さないでいるうちに、さっさと片付けてしまったほうが楽でしょう? って」
「その歌姫はどこかの軍で参謀の経験でもおありか?」
「ないと思うけど……」
 ディゼルトの真面目な顔の問いに、ランシィが戸惑った顔で答える。
 なるほど、それでランシィは、タリニオールが馬泥棒に襲われたとき、口上も上げず、警告もしないまま突っ込んできたのだ。馬泥棒達は、近寄ってくる影を見て子どもだと判断し、警戒を怠った。
 もちろん、それはランシィの技量が発展途上で、使っているのが真剣ではないからこそ許されたことだ。いずれカーシャムの神官に並ぶほどの技量を身につけ、帯剣を許されるようになったら、警告なしに斬りかかるのは逆に咎められるようになるだろう。
「逆に、相手が圧倒的に自分より弱いときは、力をみせつけるのも有効だってグレイスには言われた」
 ランシィが話したのは、村を出てすぐに出会った、物取りの三人組の話だった。ランシィ達が休んでいた小屋に、物取り目的で押し入ろうとした男達に、神官の青年はわざと自分がカーシャムの神官だと明かし、圧倒的な力量の差を見せつけ、戦意を喪失させた。
「半端に痛い目にあわせて恨みを買うよりは、思いっきり怖がらせて、見逃してもらって良かった、もう近寄らないって思わせた方がお互いに安心だろうって」
「確かにそれも、交渉術のひとつだな」
 タリニオールは大きく頷いた。
 たとえ最初に対峙したときは圧倒的にこちらが優位でも、変に恨みを持たせたら、次はもっと大人数でかかってこようと考えるかも知れない。あるいは、面と向かわずに、剣呑な手段で復讐しようと考えるかも知れない。それなら思い出すのも嫌なほど怖がらせて、もう近寄る気を起こさせないほうがずっと面倒がない。
 聞けば聞くほど、自分より年下であるはずの神官の青年や歌姫の方が、よほどしっかりしている。ランシィが自分を『頼りないおじさん』扱いしたままなのも仕方ないかも知れない。タリニオールがなんとなく落ち込みかけたのを察したかのように、エリディアがあらかじめ用意していたらしい封筒と便箋を持ち出してきた。
「オルネストさまに、ランシィからお手紙を書いて差し上げて欲しいのです」
 同じ女同士だからなのか、もうすっかり打ち解けた様子で、エリディアはランシィの前にその便せんを差し出した。
「私たちは幸いなことに、あなたとこうしてお話しをすることが出来るけど、オルネストさまは奥様のお体のこともあって、長い間領地から離れることが出来ないそうなのです。でも、ほんとうにあなたのことを気にかけておられたの」
 そうだった。直接会って話せない分、ランシィにとってはオルネストはあまり現実味のわかない、遠い存在だろう。だが、王から賜った自分の剣を証として託すほど、オルネストはランシィを気にかけていたし、現にその剣が自分達とランシィを引き合わせたのだ。
「今ここですぐに書くのは難しいかも知れないけれど、ぜひひとこと、オルネストさまに今の状況をお手紙で伝えていただくことはできないかしら。もちろんタリニオールさまも、まめにご報告はしてるのですけど、やっぱりあなたから直接連絡があったほうが、安心なされると思うのです」
「うん、いいよ。書くなら、早い方がいいよね」
 恥ずかしがって戸惑うかと思っていたが、ランシィはあっさりと頷いた。用意されたインクとペンで、子どもらしく、ちょっとたどたどしくも丁寧に便せんに文字を連ねていく。


 長い間わたしを気にかけてくださって、ありがとうございます。
 オルネストさまが置いていってくださった剣のおかげで、村を出てから、いろいろな出会いに恵まれました。
 タリニオールさまは、わたしと出会ったとき、わたしが無事なことを心から喜んでくれました。
 涙を流すほど喜んでくれて、わたしはとてもうれしかったです。
 ディゼルトさまもエリディアさんも、とても楽しくて親切です。
 いろいろあって、今はラウザの町にあるレマイナ教会の孤児院で暮らしています。カーシャム教会の道場で剣の修行もしています。町ではいろいろなひとに親切にしてもらっています。
 左目が見えないことで、逆にわたしは、もらったものがたくさんあります。
 わたしにたくさんの仲間をくれてありがとうございます。
 いつかりっぱなひとになって、オルネストさまにごあいさつにいけたらいいと思います。
 わたしがちゃんとした大人になれるまで、もう少し見守ってください。


 それから、ランシィはエリディアに汚してもいい刷子を貸して欲しいと頼むと、それで自分の右手にインクを塗り、便せんの一枚をいっぱいに使って、自分の手形を押した。
 どれくらい自分が大きくなったのか、オルネストに判りやすく知らせるのに、これが一番だと思いついたらしい。タリニオールは驚いたが、どうせ手を汚したついでならと、もう一枚自分達のために手形を押してくれるように頼んだ。
「手形なんか押さなくたって、おじさんは直接触れるじゃない」
 終わって、手を洗って戻ってきたランシィは、おかしそうにそう言うとタリニオールの顔の前に自分の手を広げてさしのべた。
 タリニオールはふと、一二年前、自分がラウザの村を出た日のことを思い起こした。
「……ちょっとこれ、握ってもらっていいかな」
 言いながら、タリニオールが人差し指を伸ばしたので、ランシィは不思議そうに首を傾げながらも、言われるままにその指を右手で掴んで見せた。
 あの日、小さな赤ん坊は、その小さな手のひらで、タリニオールがおそるおそるさしのべた人差し指をぎゅっと握ったのだ。その手は今、人差し指だけではなく、四本の指もきちんと握れるほどに大きくなっていた。
「本当に、大きくなったんだなぁ……」
「今更なに言ってるの?!」
 呆れ顔で応えたランシィは、タリニオールが涙ぐんでいるのに気がついて、反応に困った様子で笑みを見せた。ランシィの方がよほどしっかりしている。
 これなら逆に、この二人は仲良くなれるかも知れない。それが、ぽんぽんとタリニオールの頭をなでるランシィと、気恥ずかしそうながらも嬉しそうにしているタリニオールを見る、ディゼルトとエリディアが抱いた共通の感想だった。
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