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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣 作者:河東ちか

第二章 騎士タリニオールの章

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第三話 昼餐会 1

 騎士オルネストは、一二年前、自身の率いる傭兵部隊を一旦アルテヤの本隊に合流させた後、三年ほどアルテヤに留まり、前アルテヤ王に代わって即位したを友人のリュゴーを補佐していた。
 まだ騎士見習いだったタリニオールは半年ほどでサルツニアに戻り、その後はオルネストが本国に戻るまで別の騎士に仕えていた。オルネストはアルテヤ王の相談役に在任していた間、機会があればランシィの住む村に直接出向き、赤ん坊の成長を気にかけていた。
 オルネスト自身は本国に戻っても、定期的に村に使いを差し向け、村の様子を伺っていた。タリニオールがアルテヤ行きを承諾した理由のひとつには、行方の掴めなくなった少女を気にかけるオルネストの存在が大きかった。
 そのオルネストは、妻の健康状態が芳しくないこともあって、今は一線を退き、賜った領地を治めるのに専念していた。きっとランシィが望めば、喜んで養女として迎えるだろう。彼らはたぶん、一二年前からその心づもりであったに違いなかった。 
 タリニオールは折を見ては、ランシィの住む孤児院がある区画を訪ねるようになった。同じ城壁内にあっても、居住する区画によって住人の階級も生活水準も変わる。ランシィの住む辺りは古くからの住人が多く、粗末で雑多だが住人同士がそれなりによい関係を保っている区域で、治安もそこそこ安定しているようだ。
 ランシィは昼は学校に、午後や夕方はカーシャムの道場か孤児院の小さな子ども達の相手か手伝いか、といった様子で、なかなか忙しいらしい。それでも、最初の出会いで思いっきり失態を見せておいたのが逆によかったらしく、タリニオールが顔を見せるとランシィは笑顔で迎えてくれた。もっぱらかわいがっているのは馬の方だったが。
 ランシィは、普段は眼帯をつけていない。前髪で目を隠すでもなく、それが当たり前のようにごく普通に過ごしていて、もちろん周りの子ども達もそれを気にする様子もない。ランシィが眼帯を使うのは、今のところカーシャムの道場に通うときだけらしい。
「左目が見えないのが特徴だと言われるなら、それを最大限に利用しなさいと、一緒に町に来た歌姫に言われたんだそうですの」
 孤児院の管理者である神官の女は、タリニオールの何気ない問いにそう答えた。
「あの子の左目は、一見傷もなくて綺麗だから、逆に開かないことを奇異に思うものもいるでしょう。眼帯をつけていれば、なにか事情があるというのは一目で判りますわよね。特に子どもというのは面白いもので、一度そういうものだと受け入れると、特別扱いしたり、からかおうと思ったりしないようですの。ランシィがここに来た時も子ども達は、眼帯の理由を聞いて納得した後は、特にあの子との関係に問題はありませんでした」
「ああ、そういうものかもしれませんね」
「それに、人と出会ったとき、一番に記憶してもらえますでしょう? それはいずれ、どのような仕事で身を立てていくにしても、とても有利なことなのだと、教えられたのだそうです。あの眼帯も、歌姫がその時々の服にあわせられるように何種類か用意して、ランシィの為に刺繍まで入れてくれたのだそうですわ」
「そこまで……」
 たった数ヶ月の間に、ランシィは彼らとどれだけの信頼関係を築きあげたのか。結果的に、祖父を失ってすぐオルネストに保護されるだけでは得られなかった、たくさんの有益なものを得てきたのかも知れない。
「一度言ってたのが、『眼帯をして、剣を持ってるなんて、女神ジェノヴァみたいでかっこいいでしょう』って。カーシャムの神官殿に教えられでもしたのでしょうね」
「ジェノヴァ……」
 自分の剣の柄に施されている紋章の由来ぐらい、タリニオールも知っている。サルツニアの騎士叙任は、神剣ジェノヴィアの安置されているジェノヴァ神殿で行われるのだ。
『裁定の左目』を自らの剣に埋め、それを人間に預けた戦と裁きの女神。絵画では、左目を眼帯で覆った美しい戦乙女として描かれる。ランシィはひょっとして、左目がないという共通点にひかれて剣を学び始めたのだろうか。そんなに単純な動機で、大人に並ぶほどの実力が短期間で身につくものかは、いまひとつ考えにくかったが。
 やはり一度、ゆっくり話す機会をつくったほうがよさそうだ。ランシィが知らない、女神ジェノヴァに関する知識をそこそこ自分が持っているであろう事も、話の糸口としては有用であるようにタリニオールには思えた。


「……ランシィ殿を招いた昼食会に誘われたと思っていたのであるが」
 やってきたディゼルトは、出迎えたエリディアに案内された部屋で、さすがにあっけにとられた様子で目をしばたたかせた。
「どうも俺には、小麦粉を練っているようにしか見えぬのだが、新手の遊戯ででもあるのかな」
「小麦粉を練っているのだが」
 鼻や頬に白い粉をつけ、粉を振った板の上の白い固まりをこね回しながら、タリニオールは真顔で答えた。隣で同じような格好で白い固まりと格闘しているランシィが、同じように真顔で頷いた。
「小麦を練っているのでございますよ」
 タリニオールがつけているのと揃いの前掛けを、ディゼルトにも差し出して、エリディアがにっこりと微笑んだ。エリディアが前掛けと三角巾をつけている分には非常に愛らしいし、ランシィも子どもらしく微笑ましいのだが、それがタリニオールとなると、見ている方の微笑みが複雑な意味を持ってしまうのは否めない。
「なんのためにと聞いても良いであろうか?」
「昼食のパンを焼く為でございますわ」
「この前掛けを手渡しているというのは、俺も小麦粉を練るのに参加することになっているのかな」
「心を通わせるには、同じ目標を持ってひとつの事柄を成し遂げるのと、同じ場で同じものを食べて飲むのが一番であると、ディゼルトさまが教えてくださったのでございます。素晴らしい教えであると思いましたの」
 ランシィが、素直に感心したように頷いている。たまにエリディアは、冗談なのか本気なのかよく判らないことを真顔で言うのだが、ランシィはそれを真正面に受け止めて感銘を受けたらしい。大人も子どもも男女も関係なく共に成し遂げられるひとつのことと言われて、エリディアが思いついたのが、小麦粉をこねてパンを焼くということらしかった。
 タリニオール自身も、最初は今のディゼルトと同じ反応をしたのだが、ランシィのほうが予想外に興味を示したため、自分はやらないとは言えなくなってしまったのだ。それならこの悪友も巻き込まない手はない。
「……このような形でなんなのだが」
 間にランシィを挟む形で、揃って同じ前掛けをかけ、顔にまで白い粉を散らして小麦の固まりを練りながら、ディゼルトがランシィに声をかけた。
「サルツニアから来た、アルテヤ支援部隊統括司令のディゼルトであるよ。ランシィ殿には友人のタリニオールを馬泥棒から助けて頂き誠に感謝している」
「まだ蒸し返すか」
「なにを言うのだ、大事な友を助けてくれた恩人に礼を言うのは当然ではないか」
 巻き込まれた仕返しと言わんばかりに、ディゼルトは誠実すぎて逆に軽薄に見えるほど真面目な顔で答えた。ディゼルトのあまりに真摯な表情に、ランシィはどう答えていいか判らないようだったが、タリニオールが憮然とした表情をしているので、やっとおかしそうに笑みを見せた。
「サルツニアって大きな国だから、王様に仕えてる人は堅苦しい人ばっかりなのかと思ってたけど、そうじゃないんだね」
「そういうわけでもないのだが……」
 いったいなにを否定すればいいのか判らなくなって、タリニオールとディゼルトは図らずも同じような顔で口ごもった。
 自分達がこねていた生地がほどよくまとまると、エリディアは先にこねてボウルに寝かせていたパン生地をいくつか持ってきた。かけられていた濡れ布巾をとると、手元でこねたばかりのものよりも大きくふくらんだ生地が出てきて、ランシィだけではなく男二人も驚いた様子で声を上げた。
「これがかようにふくらむのであるか?」
「麦酒のあわを作り出すのと同じもとが、パンにも入っているのです。ただ小麦を練って焼いただけでは柔らかくならないのですよ」
「なるほど……」
「このふくらんだものから一度空気を抜いて、切り分けてもう少し休ませたら、今度はみんなで形をつけましょうね」
 言いながら、エリディアはふくらんだパン種を押さえて空気を抜き、へらで器用に等分に分けていく。興味津々な様子でそれを眺めていたランシィは、エリディアからへらと別のパン種を渡されて、見よう見まねで空気を抜き、切り分けていった。その間にエリディアは、ランシィ達がこねた分を別のボウルに入れ、濡れ布巾をかけてやっている。
 切り分けた種をいくらか休ませてから、最後の仕上げに丸く形を作り、天板に並べていく。大きさは不揃いで、上手く丸くなっていないものもあったが、なんとかそれなりに並べ終えると、エリディアはそれにまた濡れ布巾を掛けた。
「これを、もう一時間ほど寝かせたら、窯に入れるのです」
「ずいぶんと手間がかかるんだなぁ」
「ものを作るのは手間がかかるものでございます」
 タリニオールまでが素直に感心している。パンを焼くなどと最初は侮っていたが、やってみれば知らなかったことが多く、面白くもあった。
「窯に入れるまでの間、あちらの部屋でお茶にでもいたしましょう。食事の前ですから、お茶菓子は我慢してくださいね」
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