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流水の管理者の一歩 作者:桐谷瑞香
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中編

 * * *


 テレーズとバルドは、ルベグランによって工場地帯のある一角に連れてこられた。空は薄暗く、今にも雨が降ってきそうだ。
 連れてこられた工場には老朽化が激しい水車が併設されていた。近くにある川から水を汲み上げていたようだ。現在、水車は止まっており、油のようなものが水車に巻かれた布ににじみ出ている。
 現場に来て建物の看板と水車を見るなり、バルドは顔をしかめた。
「ここが例の事業所ですか」
「ああ。マロッカ工場って言って、小さな部品を作っているところだ。朝方下流にいる住民から、川に油が流れているという連絡が入った。調べた結果、この工場から油が流れ出ているのを発見した。工場の中には誰もいなかったから、今は関係者を捜している最中だ」
「それなりの量の油が流れたようですね。油膜は依然として川の向こう側まで広がっています。早く回収しないと他の人に多大な迷惑をかけます。もっと公に警察沙汰にして、犯人を捕まえてもいいんじゃないですか?」
 バルドは川辺に寄って、棒で膜らしきものをつついた。膜は一瞬割れたが、すぐに元に戻ってしまう。
「そんなことしたら二度と工場経営ができなくなるだろう。一度の失敗だけで叩いたら――」
「すみません、ルベグランさん、本当に今回限りの失敗なのですか?」
 テレーズは水車の傍に寄って、細部まで見ながら会話に割り込んだ。
「どういうことだ」
 ルベグランが厳しい口調で聞き返してくる。テレーズは一歩下がって水車全体を見渡した。
「それに関連して少々気になることがありまして、お話してもいいですか?」
「いいぞ」
 テレーズはある一点を指で示した。水車と建物内部に繋がっている管を繋ぐ部分である。
「ここにあるべき杭がありません。それがないと水を満足に中まで引っ張れません。つまり今日に限らず、以前からこの水車はほとんど使えない状態だったのではないでしょうか」
 ルベグランはテレーズが指したところをじろじろと見る。彼は頷きながら元の位置に戻った。
「本当だな。三年前は一定の速度で水車が回っていたから、刺さっていたはずだ」
「ではこの三年の間に何かあったようですね。杭が外れていれば引っ張る水の量が格段に減りますし、水車を回すためにさしている油が多少漏れてしまいます。わかりやすい異変ですので、気付くはずです。それを知っていてもなお使い続けていれば、少量とはいえ油が何度か流れ出ていると思います」
「そんな状況でも使い続けていたのか? なぜだ?」
「それは……わかりません」
 よく聞く事例が、整備もできないほど資金に困っていたから。だがそれを裏付ける証拠はない。
 テレーズはさらに一歩離れて、工場も横目で見た。
 金属加工をしている小さな工場で、川から汲み上げた水は主に冷却用として使われていると、ルベグランは言っていた。冷却用の水は工場内で循環しており、ある程度の日数が経過すると川に戻し、再び新しい水を取り入れる構造のようだ。そのために水車を止めたり動かしたりを繰り返しているらしい。だから数日置きに水車には近づくはずだ。
 水車の異変に気付いても金がなく対応できないため、放っておいたのだろうか。
 それとも黙認せざるを得ない状況があったのだろうか。例えば整備士にさえも、この工場に近づけさせたくなかったとか。
「――水環の査察管のルベグランさん、一つ聞いていいですか」
 バルドが両手を腰に付け、目を細めて見上げている。
「ここは本当に稼働している工場でしたか?」
「三年前は稼働していた」
「では事件後に中への立ち入りは? まだならば査察管なら事前連絡なしで査察と称して立ち入りしても構わないですよね?」
 問われた男性は渋い顔をしている。
「今、中に入るのか? 書類の手続きとか色々面倒なんだが」
「面倒って言いながら、独断と偏見で結構な数の強制査察をしていますよね? こっちは実働部の査察の数を情報地提供してもらっているんです。知らない振りをしないで下さい」
 理詰めで言われたルベグランは頭を激しくかいていた。
 査察とはいわゆる立ち入りのことを言っている。査察管であれば強制的に立ち入れる権限も持っているため、事業者側が拒絶しても中に立ち入ることは可能なのだ。
「他の査察管は入っていないんですか?」
「鍵がかかって入れなかったから、先に事業者を探している。事業者の住まいがここから少し離れたところらしい」
「つまりまだですか。ルベグランさんの力を使っても、入れないんですか?」
 眼鏡の山の部分を指で軽く上下して、バルドはルベグランに詰め寄った。
 詰め寄られた方はやや仰け反った状態で溜息を吐いた。そして服の中に入っていたペンダントを取り出して、工場の入り口に向かって歩き始める。ペンダントには国章が描かれていた。
「バルドさ、管理部より実働部の方が向いているんじゃねぇの?」
「さあ、どうなんでしょうか。実働部で働いていませんから、わかりません。性格的に管理部に適している人間とは思えないので、もしかしたら実働部の方がいいかもしれません」
「異動の希望先は違ったのか」
「はい。自分の意に沿わない管理部への異動命令がでました」
 バルドが苦笑しながら言っている。
 意外だった。あれだけテキパキ仕事をしているが、望んでいた仕事ではなかったのか。
 ルベグランに言われた資料を的確に探し出す、さらにそれに関連する内容をすらすら言っていく。数多くある事業所から、一つの事業所の詳しい情報だけを口に出すのは、生半可な知識でどうにかなることではない。不平を言いつつも、バルドは自分の境遇を受け入れて、仕事に取り組んでいるようだった。
 テレーズ自身も日々仕事に取り組んでいれば、いつか彼のようになれるだろうか。明日への不安と未来への期待が混じり合う。
「自分が行きたかった職場でなかったら精神的に苦しいと思うが。俺なら数日で放棄する」
「ルベグランさんも極端ですね。すべての人が思い通りに生きられるとは限りません。自分の意に反した道が提示されたとしても、状況を受け入れて日々取り組むだけです」
 それは清々しさも感じられる言葉だった。テレーズはその言葉をそっと胸の中にしまい込んだ。
 入口に着くと、ルベグランは閉ざされた扉を叩いた。何も反応がない。すると彼は閉められた南京錠を左手で持った。右手で針金を握っている。
「傷つけなければ、あとでとやかく言われないだろう」
「鍵がかかっている建物の中にも入ったことがあると聞きましたが、そうゆう手段でしたか。他の人もできるんですか?」
「いんや、この手を使うのは俺くらいだ。たいていの査察管はもっと真面目だ。だから事業者を捜しに行っている」
 ルベグランは鍵穴に針金を突っ込んで、ごそごそと動かす。すぐに小気味のいい音がし、錠は開いた。南京錠を持ち手部分にかけて、ルベグランとバルドは左右に扉を引いた。
 その間にテレーズはランプに火をつけた。扉を開いたルベグランがそれを手に取り、彼を先頭にして中に入る。
 内部は隔てるものが一切なく、右から左に目線を向ければ建物全体が見渡せた。機械もいくつか置かれているが、稼働している様子は見られなかった。
「何日も前に廃業していたんですか?」
「いや、俺が聞いた限り、昨日も灯りが付いていた」
「灯りがあったからって、廃業していないと言いきれませんよね」
 バルドが近くにあった機械を指で触れると、埃が指に乗った。しばらく使われていないのは明らかだ。
「水車は稼働しているが、中の機械は動いていないとなると、不正に水を汲み上げていたことになるな。相応の理由がなければ、水をとっちゃいけねぇから……。まったく面倒な案件になってきたぜ……」
 無精ひげをいじりながら、ルベグランはぼやく。テレーズは二人のやりとりを聞きつつ、水車で汲み上げた水の行方を目で追った。奥に続いているようだ。
 二人を差し置いて歩き出そうとすると、男性陣はすぐに前にでた。
「迂闊に前にでるんじゃねぇ。落とし穴でもあったらどうする」
「赴任早々怪我でもされたら、こちらの責任問題になる。くれぐれも余計なことはしないように」
「すみません……」
 渋々と謝ると、ルベグランはテレーズの意図を察して水が流れる管を追い始めた。奥まで歩いていくと、管は床の下に潜っていた。
 眉をひそめたルベグランはバルドにランプを渡し、床をぺたぺたと触り始める。そしてある引っかかりを見つけると、うっすら口元を開いた。指をかけられる部分が二つある。ルベグランとバルドは協力して床を外した。
 そこから地下へ続く階段が伸びていた。ルベグランは再びランプを持って下りていく。バルドは先にテレーズを行かせて、最後尾について下りていった。
 地下に下り、ランプを部屋全体に掲げると、途端にルベグランとバルドは眉をひそめた。
「こりゃ……査察どころのレベルじゃないぜ」
「警察沙汰じゃないですか。これでは事業者を捕まえるのは難しそうですよ。息を潜めて隠れていることでしょう」
 部屋の中央部の床には、四角い鉢に植えられた草が一面に生えていた。深い緑色の葉だ。太陽の光にも触れず、こんな地下室で生えているとはいったい何の植物だろうか。
 テレーズが首を傾げていると、ルベグランが呟いた。
「……麻薬の一種だ」
「え……?」
「最近出てきた種類だ。あまり知られてはいない。バルドは誰かから聞いたのか?」
「そうですよ。そっちの取り締まりをしている友人がいて、手を焼いているって聞いただけです。水さえあれば育つ種類で、川の近くでよく栽培されているようです」
 ルベグランは草の傍に寄り、しゃがみ込んでランプを当てた。管はそこまで伸びていたが、水の流れは見られなかった。
「水車が壊れたことで水の供給は止まっているようだ。時間が経てば枯れるだろうが、その前に専門家に立ち入らせよう。ここからは俺たちの領域じゃねぇ」
「そうですね。官公町街に戻って、事の顛末てんまつを話しましょう。今回の件は水環省だけでどうこうできる案件ではありません」
「ああ。俺みたいに場馴れしている奴でも、他と協力が必要だな」
 ルベグランは立ち上がり、来た道を戻り始めた。そして階段をテンポよく上がっていく。二人もそれに続いた。
「何て言うか、二人を連れ回して悪かったな。あとでそっちの部長を通じても詫びは入れておく」
「別にいいですよ。たまには現場も見ておきたかったですから」
「そう言うなら、バルドも書類を漁っているだけじゃなくて、もう少し外にでろ。中だけじゃ水環省の良さがわかないぞ。いつか元の場所に戻るとしても、経験できるものはしておけ」
 バルドは小さく笑みをこぼす。素直に笑っている彼を見て、テレーズは目を丸くした。
「ルベグランさんは見た目に違わず優しいですよね。普通は残れって言うでしょう」
「ああ、そうだな。お前みたいな優秀な奴は手元に置いておきたい。だがお前自身が望んでいないなら、止めるのはどうかと思うぜ」
 ルベグランは自分たちの都合だけではなく、他人のことも考えている。組織全体の流れで考えがちな場では、とても有り難い存在だった。
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