どーでもいい知識その③ 闘牛士の帽子は「モンテーラ」と言う
ずず……ずずず……と前触れもなく始まる弱震。
べっとり、べっとり……とサナギの根元から霧が這い出し、地表を覆うハゲモグラたちを呑み込んでいく。比例して真夏の丑三つ時を思わせる生温かさが広がり、冷え切っていた墓石を結露させた。
ぎぃぎぃ……と「冷や汗」をかく墓石たちを更に脅かしたのは、何かが不気味に軋む音。
暗い土の中で目覚めた死者が、内側から棺桶を開けようとしているような音だ。
霧の表面をさめざめと震わせながら、空き缶大の影が浮いてくる。
位牌だ。
化石を思わせるタッチで、ノコギリクワガタが描かれている。
サナギの土台を担う骸骨が苦しげに腕を伸ばし、地面の位牌を掴み取る。
始まったのは、バケツリレー。
骸骨から骸骨へと手渡される位牌が、上へ上へと移動していく。同時に彼等はそれをルービックキューブのようにこね回し、怪傑ゾロっぽいアイマスクに組み替えていった。
サナギの左肩から頭蓋骨の欠けた骸骨が這い出し、アイマスクこと〈スキャバイザー〉を受け取る。前進し、前進し、箱乗りっぽく身を乗り出した彼は、改の顔面が埋まっている場所にバイザーを叩き付けた。
史上最もバイオレンスな焼香とでも言うべき強打が、骨のサナギを完膚なきまでに打ち砕く。吹雪のごとく白煙が噴き出すと、鋭利な骨片がハゲモグラたちに降り注いだ。ちぃー! と耳を劈くような悲鳴が飛び交い、薄い血煙が地表を覆う。
骸骨どもの体臭――石灰のような乾燥臭が、改の鼻から離れていく。前後して、合成された画像に過ぎなかった視界が、バイザーのカメラで捉えた映像に切り替わった。
画面の端からひょっこり顔を覗かせたのは、やなせたかし先生チックなクワガタさん。
ジェスチャーやリアクションで、現在の状況を教えてくれる頼れる奴だ。
「さあ、踊ろうか」
恒例の決め台詞を放った改――いや〈ダイホーン〉は、顔の横で手を叩き、フラメンコの足拍子「サパテアート」風のステップを踏む。鍛冶が刀を叩いた時のように火花が散り、トン! テン! カン! と情熱的な足音が響き渡った。
フラメンコの踊り子「バイラオール」の靴は「ボタ」と言い、軽快な音を出せるようにつま先とかかとに釘が打ってある。
本来なら加工された靴も技術もない〈ダイホーン〉に、彼等の真似をするのは無理だ。今回は蹄鉄の付いたブーツと石畳の加勢によって、何とか小気味よい音を響かせることが出来た。
キザな振る舞いを見た餓鬼は、辟易とするでもなく縮み上がり、一歩後ずさる。足下まで迫っていたハゲモグラの大群もまた引き潮の様相を呈し、〈ダイホーン〉と距離を取った。
思わず背後に足を出してしまうのは、〈ダイホーン〉にもよく理解出来る。
何しろ歯を食いしばった骸骨が、目からノコギリクワガタばりの大顎を生やしているのだ。〈ダイホーン〉を着て、始めてファッションチェックした時は、腰の引けた鏡像が鏡に映らなくなる場所まで逃げた。
骸骨とは言っても、改の肉が剥がれてしまったわけではない。
正確には、骸骨を模した鎧だ。
鎧と聞くと仰々《ぎょうぎょう》しく金属板を纏った姿を想像しがちだが、〈ダイホーン〉は違う。
全身をくまなく守るのは、ミイラ顔負けに巻いた黒いチューブのみ。ガラス化した金属で作られた装甲〈アモルファシュラウド〉は、頭や胸などの急所、もしくは攻防に駆使される手足などに限られている。薄膜を何回も重ね、群青に塗装された表面は、タマムシのように煌びやかな光沢を放っていた。
面積こそ少ないそれだが、モチーフの再現度は芸術的と言っていい。
〈ダイホーン〉の姿を一言で言い表せと求められたら、誰もが同じ答えを返すだろう。
そう、「闘牛士」と。
目から生えた大顎は、こめかみを挟むように後頭部へ回ることで、闘牛士の帽子「モンテーラ」を象っている。
肩当てで角張り、黄金のラインで縁取られた胸当ては、彼等のジャケット「チャケティリーヤ」そのもの。ウシの一撃を避けるために、短く作られたところまで瓜二つだ。タイトかつ長めに作られた腰部の装甲は、七分丈のズボン「タレギーリャ」をうまく表現している。
〈ダイホーン〉の背中から左半身を覆うのは、青いボロ布〈ヒラリムレタ〉。何かの間違いでウシが墓場に迷い込んで来たら、突進を即決することだろう。
この骸骨〈Phantom・Document・Frame〉――略して〈PDF〉は、敵対者への威圧も考慮してデザインされている。でなければ、骸骨の闘牛士なんか作らない。素直にハリウッド的なパワードスーツを用意する。
動物と人間とでは、感性が違う。
例えば、動物は銀幕のエイリアンを怖いとは思わない。
台所に出現する黒い悪魔も、ただのエサだ。
何より、多くの動物は「死」と言う概念を知らない。
捕食者から逃げるのは、本能的に遺伝子を存続させようとするためだ。喰われれば自分が消えると理解しているからではない。
その証拠にアリやハチなど、巣全体で遺伝子を共有する生物の場合、兵隊は進んで女王の盾になる。大事なのは自分たちの遺伝子であって、我が身ではないのだ。
ある意味で動物は、知性的な宇宙人以上に感情を共有しづらい相手だ。
そんなイカルス星人より胆の座った連中を、人間と同様に後ずさらせる――。
断言しよう。
〈ダイホーン〉の外見には、雷鳴や地震に通じる破壊力がある。
生物と言う生物に理屈や経験を超越した恐怖を味わわせ、竦む以外の選択肢を奪ってしまう。
「あ~、あった~い。やっぱ冬はこいつに限るなあ~」
呆けきった声を漏らすと、〈ダイホーン〉は自分の肩を抱き締めた。
先ほどまでは凍えて痺れていた身体が、今はコタツのような温もりに包まれている。言わずもがな、〈PDF〉の恩恵だ。
腹部の気門〈レームダクト〉から取り入れられた空気は、高性能の空調によって快適な温度に調節される。北極でもハワイの気分を楽しめたし、夏コミでも汗一滴かかなかった。
とぉ!
隙あり! と宣言するかのような勇ましい咆哮。
油断しきった〈ダイホーン〉を見て恐怖心が薄れたのか、立ち竦んでいたはずの餓鬼が両足で跳び上がる。物々しい地鳴りが大地を揺さ振ったかと思うと、足場に使うには脆すぎた墓石が粉々に砕け散った。
風圧によって外套を膨らませながら、高々と放物線を描いていく餓鬼。〈ダイホーン〉の頭上に到達したそれが、フィギュア選手のようにスピンした途端、外套の裾からしゅるしゅる! と大蛇が飛び出す。いや大蛇ではない。消防隊のホースのように長く太い尾だ。
スピンの生んだ遠心力によって急加速したそれが、空中を薙ぎながら〈ダイホーン〉に迫る。
尾の先端にある羽根状の塊を引き寄せ、引き寄せ、尾の太刀風が頬を打つ距離まで引き寄せると、〈ダイホーン〉は左腕に掛けていたマントをひら~りと翻した。狙い通り尾の羽根とマントの表面が接触し、ホットミルクの膜に似た白い光が瞬く。
マントの表面をスリップしながら、明後日の方向に逸れていく。
立ちはだかる空気を鎌のように刈り取り、横から脇腹を打ち据えるはずだった尾が。
予想だにしなかった動きに体勢を崩され、空中の餓鬼が墓石の間に落ちる。ドサッ! と間抜けな墜落音が響くと、湿気った土埃が低く舞い上がった。
マントの表面には「嘘で実体化した何枚もの水面」が、高密度に圧縮した状態で積み重ねられている。
機能に即した表現をするなら、「濡れた路面」とでも言ったところか。攻撃を逸らすように傾ければ、ツルツルな表面が弾丸や切っ先を「スリップ」させてしまう。
仮に滑らせることが出来なかったとしても、分厚く積み重なった水の抵抗が、攻撃の勢いを殺してくれる。熱の遮断や光の吸収、屈折にも効果覿面だ。また電磁波を減衰させやすい水で身体の大半を覆うことは、人間のレーダーに捉えられにくくする働きも担っている。