停止した迷宮で
キーンコーンカーンコーン……。
「おい、起きろよ。いつまで寝てんだ」
「む、あぁ……」
いつの間に眠ってしまっていたのか……既に、俺たち以外は誰もいなくなった教室は夕焼けに照らされ、寝起きの目には痛いほどに赤く染まっている。
そうだ、ここは教室……明志高等学校の俺のクラスだ。
目の前には親しい友人の姿が……何だろう、妙に懐かしい。少し天然パーマが入った黒髪の友人・優介が、学生服の上に着込んだ学校指定のコートをばさりと揺らし、俺を急かす。
「今日は≪Another World Online≫でカレー作って食おうぜ、って話だったろ? 早く帰ろうぜ」
「そう、だったな……」
そうだ……≪Another World Online≫の仮想現実で食べるカレーの味はどんなものなのか、ここ一週間はそればかりを話していた。
昨日の夜、やっとの思いで「スパイス・ドレイク」からカレー粉を作り出す最後の素材を入手したんだったな。
うん、思い出してきた。今日は、いよいよそれを使ったカレーをみんなで食おうという話になったんだった。こんな所で寝てる場合じゃねえわ! はよ帰らな……。
でも、少し引っかかる。
「なぁ、優介……」
「ん? なんだ」
向こうからだと逆光になるのか、少し眉を寄せ、目を細めてこちらを振り返る優介。その姿はいつも通りで、どこにも違和感などない。だとすると、原因はこいつではなく……。
「俺って、何か仕事してる途中だったっけ?」
「はぁ?」
そう、そうだ。俺は眠る前、何か仕事をしていたはずだ。先生の手伝いだったか、クラスメイトの頼まれごとか……いや、どれも違う。どうにも思い出せない。でも、確かに、何らかの仕事の途中のはずなんだ。
でも、優介はそれを笑って否定する。
「ははっ、めんどくさがりなお前が仕事なんてするもんか。どんな夢を見てたんだ?」
「夢……」
そうかもしれない。夢の話を、寝ぼけたまま現実のことだと勘違いしていただけなのだろう。そうだよ、あれは夢だ。
≪Another World Online≫の世界に迷い込んでしまっただなんて……夢以外の何物でもない。荒唐無稽な与太話だ。ほら、その証拠に、夢から覚めた今では、そこで何をしていたのか、ほとんど思い出せない。所詮はその程度のもんだ。気にするほどのことじゃない。
帰ろう。先に行った優介が呼んでいる。
俺の家に帰るんだ。
そして俺は、夕焼けが照らす街並みを、友達の優介と一緒に歩き出した。
………………
…………
……
「ちくしょう、どうなってやがんだ……」
機能停止した迷宮での調査護衛……護衛とは名ばかりの、学者さまの「お守り」のはずだった。
それがどうだ。ワープトラップが発動し、今や調査隊はバラバラに分断され、たったニ人のお守り役の片割れや地上部隊とも連絡が取れない。【コール】を阻害する何らかの力が働いているのか、ざらざらとした音に邪魔され、通信ができないのだ。
更には、外ではお目にかからないような魔物の群……【スキャン】でレベルを確認するも、120~125と、今の俺でも油断すると危ないレベル帯の魔物ばかりだ。こういう輩にうかつに手を出すとマズイ。どんな特殊能力を持っているのかすら分からない相手に大立ち回りなど、流石のオレでもやりゃしない。
ここは、「ライトストライカー」になって覚えた隠蔽系スキルを使って息を潜めてやり過ごすに限る。安全を確認した後に、移動を開始しよう。戦うべき時は断じて引かないのがオレん家の家訓だが、今はそうじゃない。
調査隊の奴らを保護する。地上部隊と合流する。これらが優先事項だ。魔物なんて、いちいち相手にしていられない。
「きゃあああああ~~~~~~っ!!?」
そう決めた傍から、小規模な魔物の群の前に無防備に姿を晒したアホを発見した。あれは……調査隊の一人、セリエとかいうガキだったな。くそっ、こそこそ隠れている場合じゃねえ!
身を潜めていた柱の多い二階の通路から、吹き抜けの広間の一階へと一息に飛び降りる。そして、着地と同時に前方に転がって衝撃を分散させ、起き上りざまにセリエに襲いかかろうとしていた魔物の背中にナイフを突き立てた!
「ガァッ!?」
流石に、一撃じゃあ倒れてくれないか。死角からの攻撃で、なおかつ急所である心臓を狙ったんだがな……見たことが無い材質の黒い服を着た犬面野郎「スクール・コボルト」とやらは、傷口から血を噴き出しながらも勢いよく振り返り、爪を大きく振り上げる。
まだ魔物はいるんだ。こんな奴相手に手間取ってなどいられない。スキルを使って、速攻倒す!
「【ミラージュ・ダガー】!」
オレが手に持つ「稲妻の短剣」の周りに、「稲妻の短剣」そっくりな三つの幻影が浮かび上がる。おぼろげな蜃気楼か何かに見えるこれは、ただの幻なんかじゃない。なんと、それぞれが装備品の半分の威力を持つ魔素の刃だ。これを受けて、無事な魔物なんていないぜ!
「はぁあっ!!」
「スクール・コボルト」の腕が振り下ろされる前に、下段から掬い上げるように胸元を抉る。「稲妻の短剣」に付随する鏡像もまたそれぞれに突き刺さり、奴のどてっぱらに穴を開ける。
「ガ……!」
ごぶり、とどす黒い血を吐き、どうと倒れる黒衣のコボルト。よし、見たことが無い魔物だけど、攻撃は通じるようだ。これなら、オレ一人でも何とかなる! 残り三匹……一気に片を付ける!
そしてオレは、こちらにターゲットを定めていきり立つ「スクール・コボルト」どもにダガーの刃を向けた。
「あいてて……クソっ、最後にヘマしちまったな」
セリエが発した悲鳴や、クソコボルトの怒声や断末魔で他の魔物が寄ってくる前に、近くにあった小部屋へと飛び込んで、ドアの前にバリケートを築く。
どうやら、この部屋は簡易的な休憩所のようだ。ニつのベッドと、薬品が入ったクソ重い棚を立てかけて、すぐにはドアが開かないようにする。
その間にも、犬面野郎の爪がかすめた耳の上あたりがじんじん痛む。だが、安全の確保が先だ。治療はその後……。
「ひ、【ヒール】……!」
「あん?」
振り向くと、セリエが【ヒール】の淡い光をその手に灯して突っ立っていた。が、オレと目が合うと、ビクリと震えて後ずさる。ふん、こいつは調査に出かける時の顔合わせの時からこうだった。
ネズミが言うには、「箱入りのお嬢様で、粗暴な冒険者には慣れていない」そうだ。そんな奴が街の外に出ようとすんなよ。まったく、やりづれえな……だが、治療してくれたことは事実だ。礼を言わなきゃ女が廃るってもんだ。
「ありがとよ」
「は、はいっ……!」
かーっ、いちいちビクビクしやがって……オレぁ、こういううじうじした奴は嫌いだね。だが、一応こいつも護衛対象だ。傷一つなく王都まで送ってやる責任がオレにはある。
それは、死んでいると思った迷宮が実は生きていて、踏み込んだ瞬間トラップで最下層付近に飛ばされたとかいう訳の分からん状況でも変わらない。
つまり、オレはこいつを連れて、魔物蔓延る迷宮内を突破しなけりゃならないってことだ。まったく、何でこんなことになったのか……オレは、近くの壁に寄りかかりながら軽くため息を吐き、先日のことを思い出していた。
「アルティ、おめえもそろそろ「ペア」の仕事をしてもいい頃だ」
晩飯の席で、親父がいきなりこんなことを言い出した。
「お父さん、アルティにはまだ早いですよ」
心配性の母さんが、それをやんわりと否定する。「ペア」の仕事と言ったら、最低でも三人編成の「チーム」の仕事とは違って、ニ人だけで厄介な依頼をこなすものだ。それだけ危険度は上がる。母さんの心配ももっともだと言える。
だけど、オレのレベルはもう130を超えているし、そろそろ中級者と言ってもいいほどの実力を身につけているとは思う。自分でも、「ペア」の仕事に挑戦してみたいという意欲は前々からあった。母さんには悪いけれど、ここは受けるべきだろう。
「母さん、オレ、やってみるよ」
「アルティ!?」
顔を青ざめさせて、椅子から勢いよく立ちあがる母さん。この人は、オレが「憤怒の悪鬼」を相手に死にかけた時から、一層心配症の度合いが増したように思う。
まぁ、仕方がないかな。母さんは元々、切った張ったの世界の人間じゃない。宝石や貴金属をいじってマジックアイテムを作り出す細工師なんだ。魔物が跋扈する街の外や迷宮への恐れは、冒険者の比じゃないだろう。そこへ娘を放り出すだなんて、この人には耐えがたいことなんだ。
「アルティ、お願い。考え直して、ね、ねっ? もっと大人になってからでも遅くはないわ」
その証拠に、オレに縋り付く手は血の気が引いて真っ白だ。目には涙すら浮かんでいる。その懸命な様子を見ると、冒険者なんかやっていることを申し訳なく思ってしまう。でも……。
「ごめん、母さん。オレ、やってみたいんだ。オレだって、冒険者なんだ」
オレだって、誇りある冒険者だ。いつまでも「チーム」で満足してはいられない。向上心を失ってしまえば、冒険者としてお終いなんだ。オレも、いずれは「ソロ」の冒険者として大成したいんだ。
その想いを汲んで欲しい。
そう願って、母さんの目をじっと見つめる。
「アルティ……」
オレの服を掴む手を、そっと解いて胸元へと引き寄せる母さん。オレの決意が伝わったのだろう。悲しげな顔はそのままだが、引き留める言葉は、口を横一文字に結んで封じ込めた。代わりに口にするは、冒険者の母親としてのせめてもの願いだ。
「わかりました……でも、これだけは聞いて! 依頼は私が選びます。ね? お父さんもそれでいいわよね?」
「む……分かった分かった。母さんの好きにするといい」
オレも別にそれで構わない。「ペア」の仕事といってもピンからキリまであるのが当然だが、それはただニ人でやる仕事ではない。「ペア」用と銘打っている依頼は、主に迷宮関連のものだ。生っちょろい仕事など、あるはずがない。
迷宮でのお宝探索か、迷宮でしか現れない魔物の素材集めか……恐らく、母さんの手によって、多少は楽な条件になるのだろう。凄腕の冒険者が相方か、それとも浅い階層までしか潜らなくて済むものか……。
いずれにせよ、「ペア」の仕事ができるなら異論はない。オレだって、自分がどんな依頼だってこなせるだなんて自惚れちゃあいない。初めは、手堅いものからコツコツと。豪胆さが売りの「スカーレット」も、そこは履き違えていないんだ。
さあ、何にせよ腕が鳴るぜ! どんなしょぼい仕事だっていい。オレより遥かに強い冒険者が付くのもいい。ここから一歩ずつ、「ペア」が許可された冒険者として、経験を積んでいくんだ!
「で、なんでおめえがいるんだよ!?」
「俺に聞くなよ……」
調査隊出発の日、指定された場所に集まったのは以下の通りだ。オレ、ネズミ(タカヒロ・サヤマ)、エルゥとかいう学者さま(一度会ったことがある)、その助手のセリエとかいうガキ。これだけだ。
聞けば、迷宮は迷宮でも、ここから半日ばかりの位置に出土した、機能を停止した迷宮、通称「遺跡」を調査する仕事だそうだ。
これは本来ならば、国が主体で行う調査だ。送り迎えは騎士団の馬車。遺跡の地上警護も騎士団の仕事だ。当然、遺跡内への付き添いも騎士団がする仕事のはず……おそらく、母さんが無駄に広い顔を使って、この安全が約束された仕事にオレを捻じ込んだのだろう。
こんなのが「ペア」の初仕事だなんて……! しかも相手は!!
「ネズミが相方なんて聞いてねえぜ……」
「俺だってお前が来るとは思わなかったわ……」
そういやあ、このエルフの学者さまとネズミは、妙に仲がいいと聞く。その伝手で今回の仕事を得たのだ。おおかた、街の中の仕事をこなす何でも屋だけでは物足りなくなって、街の外にも出てみたくなったんだろうが……それがこの安全保証付きの調査とは恐れ入る。
「何をしているんだい? 早く馬車に乗りたまえ」
依頼主さまが急かしてくる……くそっ、行くしかねえか。一度受けた依頼を自分の都合で断るなんて、冒険者の風上にも置けない。この国の冒険者の代表とも言える親父の娘が、そんな真似をするわけにはいかないだろう。
渋々、戦馬二頭引きのバカでかい馬車へと乗り込んだ。その周囲を、乗馬した騎士たちが護衛として取り囲んだところで、馬車は進みだす。
もう、後戻りはできない。このままオレは、足にマメもできないような楽勝な依頼を、最後まで何をすることもなく終えてしまうのだろう。騎士付きの旅で、目的地が停止した迷宮……これなら、オレが戦う機会すらない。
(あ~あ、こりゃあ退屈なピクニックになりそうだぜ……くそっ)
揺れる馬車は淡々と進む。時折、弱い魔物避けのベルがカロ~ン、カロ~ンと鳴り響く。これがオレの「ペア」の初仕事? あり得ない……あり得ない! 心の中でひたすら悪態を吐きながら、これから始まる四日間を、せめて有意義に過ごすにはどうすれば良いのかをただただ考えていた……。
「ったく、それがどうしてこうなったんだか……」
透視スキル【クレアボヤンス】で、壁一枚向こうを覗き見る。どうやら、集まっていた魔物どもは散ったようだ。なら、今の内に移動するべきだろう。
ここは、曲がりなりにも迷宮内部……何が起きるか知れたものではない。安全が確保されているこの部屋だって、実はそれ自体が罠だというのはよくある話だ。
脱出不可能になるまで周囲を固められる前に、ここから移動しなくては。幸い、「遺跡」状態の時に事前に入った騎士団の連中がまとめた地図がある。それを頼りに、出口を目指そう。
現在地は、ここまでの地形、この部屋の形状から「東館一階・保健室」だと割り出せる。道中で説明を受けた時に知ったことだが、どうやらこの迷宮は地下に埋もれた建造物だそうだ。
最下層のこの階が、「地下三階」ではなく「一階」と記されていることからも、それが分かる。そういえば、セリエを助けた広間は、玄関から続くエントランスのようにも見えた。
現在地の把握はできた。ここからオレたちが目指す出口は、「西館三階・屋上への扉」だ。笑えるほどに対角線上に位置するそこへと、なんとか辿り着かなくちゃいけない。
地図を見るに、中央館と東館の屋上への扉、すなわち地上への出口はそこしか地表に出ていない。他はまだ埋もれているようで、通行不可と記されている。
「さて、それじゃあいくか」
何をするにも、まずは移動だ。一階にしかない他の館への通路を、なんとか突破しよう。中央館に着いたら、まずはネズミと合流だ。
強いのか強くないのか、まだいまいち分かんねえが、それでもレベル150はある奴だ。それに、斥候としての腕はいい。いるといないとじゃ大違いだ。
とりあえずの目的を定めたオレは、怯えるセリエのケツを叩いて、【マーキング】の赤い光点が示すネズミの位置、中央館三階へと歩き出した。
………………
…………
……
誰も気付かない。
誰も気付けない。
そうさ、アイツじゃないと気付けない。
ここは、この場所こそは……。
「明志高等学校」。
そうだろう?
……貴大。