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ガールズ・アタック!

 手足の順序もでたらめに、貴大は中級区を駆けた。


 行く先も決めず、息が上がっても足を止めず、ただ、彼はひたすらに走り続けた。


 いや、正しくは、貴大は逃げ出しているのだ。空白の過去から手を伸ばすしがらみから。白紙のページに浮かび上がる己の罪悪から。


「ユミエル、ちゃんが、僕を家から出さない理由が……分かった。僕を一週間も家に置いていたのは、心配だったからだ。僕じゃない。僕が手を出してしまう少女たちを、あの子は心配していたんだ。だから、ユミエルちゃんは、いつも僕についていたんだ。監視をするために……!」


 息も絶え絶えに、貴大は自嘲する。醜い獣欲を隠し持つ自分を、心の底から侮蔑する。


「僕が帰ってからすぐに、ルートゥーちゃんという女の子が姿を消した訳が、今、ようやく分かった。あの子は逃げたんだ! 手を出されない内に、どこか遠くへ……手遅れにならない内に、逃げ出したんだ」


 それが懸命だと、貴大は思った。


 臆面もなく愛玩奴隷の少女を買い、メイド服を着させて侍らせ、それだけでは飽き足らず、あちらこちらに食指を伸ばす。


 人形のように美しいメイド。愛らしい竜人。十歳前後の獣人。褐色肌の冒険者。豪奢な服を着た貴族。白桃色のシスター。近所の定食屋の娘。その他にも様々な人物がフリーライフを訪れた。


「誰だっ! あの内の誰と誰に、僕は毒牙をかけてしまったんだ! 取り返しのつかないことをしてしまったんだ……!?」


 まさか、全員――。


 考えるにおぞましい予想が頭をかすめ、貴大は盛大に嘔吐した。


 びしゃびしゃと音を立てて路地裏を汚す吐しゃ物は、そのままそっくり、自分の醜さだ。自分の中には、こんなにも汚いものが詰まっているんだ。


 考えれば考えるほどに涙でにじんでいく視界。


 ひきつけを起こしたカエルのような声を上げながら、それでも貴大は何かから逃げだすかのように、前へ、前へと進んでいった。


「ここは、どこだろう」


 自問するも、記憶をなくした彼には分かるはずもない。


 路地から路地へと、壁を伝うように歩いた先は、どこか大きな広場だった。レンガが敷き詰められた円形の広場では、剣や槍、大弓を背負った人々が行き交っている。


 街の治安を守る警邏隊、上級区で見かけた騎士団と異なり、彼らの恰好はちぐはぐであり、統一感というものはどこにも見られなかった。


 甲冑とマントを身に着けた騎士風の男もいれば、毛皮を被った筋肉質の男もいる。短弓を手にした軽装のエルフもいれば、斧を担いだ大男もいる。


 この雑多な感じが共通点といえばそうなのだろう。武装した老若男女は、街にぽっかりと開いた空間で思い思いに過ごしていた。


「彼らはもしかして、冒険者……なのか?」


 記憶をなくした貴大は、ユミエルから様々なことを教わっていた。この街のこと。この国のこと。この大陸のこと。この世界のことを。


 その中で、冒険者という単語も確かに出てきた。貴大にとっては馴染みのない存在だが、イースィンドにとってはなくてはならない者たちであり、ごくありふれた存在でもある。


 国家組織だけでは手が回らないことを、荒事も含めて解決する者。未知の領域に挑み、強大な魔物と戦う冒険心を持つ者たち。それこそが冒険者であり、グランフェリアには、イースィンドで活動する彼らの本拠地があった。


 それがこの広場であり、広場の奥でどんと構えている巨大な建物なのだろう。そう判断した貴大は――ギルドホールに背を向けた。


 今の貴大にとって、まっとうに生きる人々は眩しすぎた。砂や泥に汚れながらも精力的に動く者たちと、視線を合わせることにすら引け目を感じた。


 罪悪感とは恐ろしいもので、今の貴大は、世間のあらゆるものに対して申し訳なさでいっぱいだった。自分のようなクソ虫が、冒険者たちに紛れ込んではいけないと本気で考えていた。


 身体を縮め、こそこそと広場を後にする貴大。だが、彼の背中に声をかける者がいた。


「タ、タカヒロ!? こんなところまで出歩いて……ちびメイドはどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」


「アルティちゃん」


 貴大の姿を見つけ、息せき切って駆けつけたのだろう。毛皮のジャケットを羽織った赤毛の少女は、荒い息を吐きながら、立ち去ろうとする貴大を引き留めた。


「まさか、一人でほっつき歩いてんのか? 駄目じゃねえか。まだ本調子じゃねえんだから、家で寝てねえと」


「怪我はしていないんだから、大丈夫だよ」


 貴大の体調を心配しているのか、彼の体のあちこちを触って怪我や不調の有無を確かめるアルティ。彼女は、自分がいながら貴大を記憶喪失にさせてしまったことをとても悔いていた。


 だからこその世話焼きであり、やや過剰とも言える心配だった。ただ、怪我の功名というべきか、毎日のように顔を出す少女には、貴大もすっかり気を許していた。


「そういえば、アルティちゃんは冒険者だったよね。だったら、ここにいてもおかしくはないか」


「そうだよ。冒険者のギルドホールはあそこにあるし、オレん家も近くにあるんだ。用がなかったら、たいてい、ここら辺でぶらぶらしてるぜ、オレは」


「そっか」


 自分よりも一回りも二回りも小さな少女が浮かべる屈託のない笑顔に、釣られて貴大も笑みを浮かべる。アルティの無邪気さは、今の貴大にとっての救いでもあった。


「それで、どうしたんだ? 何でお前、こんなところに一人でいるんだ? 連れはいるのか? はぐれたのか?」


「いや、その」


 ここ一週間のように、アルティは貴大に気を配り始める。


 貴大は、彼女の心配そうな顔を見て、素直に真実を伝えることにした。


「それが、記憶を取り戻すきっかけを探しに、一人で街に出たんだ」


「はあ? 一人で街にぃ?」


 貴大の告白に、唖然とするアルティ。


 それもそのはず、彼女はグランフェリア育ちのグランフェリア生まれであり、この街の広さ、複雑さはよく知っている。だからこその呆れであり、だからこその驚きであった。


「中級区だけで、どんだけ広いと思ってんだよ……毎日のようにオノボリ連中が迷子になってんだぞ? 記憶喪失になった奴が歩き回るとか、迷子になりに行くようなもんだ。最悪、人さらいにあうぞ」


「ははは……」


 すでに迷子になったし、人さらいにもあったとは、とても言えない貴大だった。笑ってごまかす彼を不審そうに見た後、アルティはごほんと大きく咳払いをして、どんと小さな胸を叩いた。


「よし、分かった! このまま別れるのは無責任だし、すぐに連れて帰るのは無情ってもんだ。オレがこの街を案内してやるよ」


「ええっ!? いや、そんな、悪いよ」


 記憶をなくしても、根は日本人だということなのか、貴大は遠慮が先に出た。しかし、アルティは尻込みする彼の腕を取り、半ば強引に歩き出した。


「いーから、来いって!」


「わっ、わわっ」


 つんのめるように歩き出した貴大を見て、アルティはにかっと笑った。


 その笑顔にどきりとした貴大は、前を向いたアルティの頬が赤くなっていることに、最後まで気がつかなかった。











 秋ももうすぐ終わり、グランフェリアに冬がやってくる。


 夏に比べればはるかに早くなった日の入りは、王都を夕日に染めることなく夜の帳を下ろしていく。何でも屋〈フリーライフ〉の居間もすっかり暗闇に包まれて、太陽の輝きは欠片も残ってはいなかった。


 黒色の居間に一人佇み、ユミエルは思う。


 これは私と同じだと。闇に覆われたフリーライフは、今の自分と同じなのだと。


 ユミエルにとっての貴大は、この街にとっての太陽だった。光り輝く存在。明るい世界へ導いてくれる存在。冷たい心と体を温かく照らしてくれる存在。


 貴大という青年は、ユミエルにとってなくてはならない存在だった。


 だというのに、いるのが当然だと思ってしまった。貴大は、自分のそばにいるものだと思い込んでしまった。そう思って、目を離してしまったから――貴大は、どこか知らない場所へ消えてしまったのだ。


 体はあるけれど、心はいない。貴大ではあるけれど、貴大ではない。とても半端な状態で帰ってきた貴大は、ユミエルの顔すら覚えてはいなかった。


「君は、誰?」


 戸惑うように投げかけられた問いに、ユミエルの心は凍りつき、ひび割れてしまった。親しみのない視線に、ユミエルの心には穴が開きそうだった。


 自分のせいだと、ユミエルは思った。帳簿なんて後でいい。細々とした仕事も後に回せばよかった。主人の後についていけば、自分が決してこのようなことにはさせなかったと、ユミエルは後悔した。


 そのために、力を望み、得たのではなかったのか。主人の役に立とうと、妖精たちの助力を乞うたのではなかったのか。


 浅はかで考えが足りない自分のために、主人は記憶をなくしてしまった。自分を『ちゃん』付けで呼ぶようになってしまった。寄り添っていた心は、壁の向こうへ隔たれてしまった。


 ユミエルは暗闇の中、一人、短鞭を撫でる。


 一人でほっつき回る主人には、これでピシリとおしおきを入れる。調子に乗りやすい貴大に、自分がこれでストップをかける。そして、貴大は甘んじてそれを受ける。げんこつを受け止める子どものように、貴大はユミエルのおしおきをその身に受ける。そして、ぶつくさと口だけの文句を垂れるのだ。


 遠慮のない関係が、そこにはあった。距離感が近い二人が、そこにはいた。


 だが、そのようなものは、今のフリーライフにはどこにもない。今の貴大をおしおきすることに、ユミエルは強い躊躇があった。まるで、他人に向けるような遠慮が――。


「……いけない」


 物思いから我に返ったユミエルは、居間のランプに魔法の火をつけて回った。いつの間にか、すっかり暗くなってしまっている。急いで夕食の準備をしなければならない。主人の出迎えも。


 アルティから、先ほど連絡が入った。貴大をフリーライフの近くまで送ったと。MAPに表示される光点の動きを見る限り、迷った様子はなさそうだと。


 彼を出迎えなければならない。記憶をなくしていても、体は確かに貴大だ。大事な主人を、出迎えなければならない――。


「その鞭で、僕をぶってくれ」


「――っ!?」


 いつの間に帰ってきていたのか。


 居間のすみには、幽鬼のように立ち尽くす貴大がいて、彼は死人のような瞳をユミエルに向けてくる。


「何を」


「よく分かったんだ。たった一日で痛いほど理解した。僕は罰せられるべき人間だということを」


「ご主人、さま」


「アルティちゃんに励まされている内は笑顔でいられた。でも、家に帰って君を見た瞬間、冷や水を浴びせられたようだった。そうだ、自分は愛玩奴隷を買うような人間なんだって、十歳前後の少女に手を出す鬼畜なんだって思い出したんだ」


 虚ろな瞳でユミエルに近づく貴大。かつての彼とは似ても似つかないその姿に、ユミエルは胸が痛んだ。


 ――違う! 貴方はサヤマタカヒロではない! 私のご主人さまは、貴方のような人ではない!


 否定することは簡単だが、この言葉を口にしてしまうと、ユミエルの中の決定的な何かが壊れそうだった。貴大とユミエルの繋がりが、今度こそ断たれてしまいそうな予感があった。


 だから、ユミエルは鞭を振るった。頼りない主人に活を入れるために。記憶をどこかになくしてしまう、だらしない主人におしおきするために。そして、自分を奮い立たせるために。


 これまでと同じように、ユミエルは、鞭を振った。


「――っ!!」


 渇いた音が、フリーライフの居間に響いた。次いで、貴大の怒声。


「痛えな、ユミエル! いきなり何すんだ!」


「っ! ご主人さま、今のは……!?」


「っ!? こ、これは?」


 記憶をなくしてから初めての、粗野な言葉。鞭に打たれた一瞬、かつての貴大が蘇った。


「も、もしかすると、ショック療法というやつかもしれない。ユミエルちゃん、もっと僕を鞭で叩いてくれ。そして、自分の罪を思い出させ、償う機会を僕にくれ!」


「……よく分かりませんが、分かりました」


 パーン!


「うぐっ!」


 パパーン!


「はうっ!」


 スパパパーン!


「ぬううっ!」


 ユミエルが鞭を打つたびに、貴大の柔和な表情は剥がれ落ち、その隙間からかつての貴大が顔をのぞかせる。


 ユミエルが強く、腕に力を込めるほどに、かつての貴大が戻ってくる。


 二人は、一本の鞭に、希望と未来を見出した。


「もっとだ! もっと僕を鞭でぶつんだ!」


「……はい」


 暗闇に閉ざされたフリーライフに、一条の光が灯った。










 一方その頃、グランフェリアの中級区を、一人の竜人少女が歩いていた。


「ふふん。ユミエルたちときたら、たかが記憶喪失程度で慌てふためきおって。タカヒロとの絆が信じられぬから、あのように慌てるのだ」


 黒い薄絹を何枚も重ねたドレスを身に纏った少女は、頭を黒薔薇の飾り物で彩っている。


「記憶の一つや二つなぞ、愛する者同士が口づけを交わせば、すぐに戻ってくるのだ。このように簡単なことが分からない時点で、底の浅さを感じさせるのう」


 ふふん、と得意げな顔をする竜人少女。彼女の名はルートゥー。自称、貴大の婚約者であった。


「だが、これは好機でもある。この一週間、手をこまねいている女どもをよそに、我は余裕たっぷりにドレスを作ってみせる。そして、嫁入りと見まごうほどに着飾って、貴大と口づけを交わす。蘇る記憶! 示される絆! 二人はそのままベッドに入り、互いの愛を確かめ合う……うむうむ、やはり初夜はドラマチックな方がよいからな」


 むふふと笑ったルートゥーは、ウェデングドレスにも似た衣装を揺らし、住宅街を歩く。


 何でも屋〈フリーライフ〉は目前だ。今のルートゥーには、どこにでもありそうな一軒家が、この上ない愛の巣に見えた。


「さあ、タカヒロ! 存分に愛し合おうぞ!」


 ルートゥーは意気揚々と玄関扉を開け、勢いよく居間へと飛び込んでいった。


 そして、そこで、見てしまった。







「ふぬうううううっ! もっと! もっとだぁあああああっ!」


「……こうですか? こうですか?」


「はおっ! はぐうう! そう、そうだっ! そうだっ!」


「……これがいいのですか? ご主人さま」


「な、な、なんかクルっ! なんかクルぅ!!」







「はうう……な、何なのだ、これはぁ……?」


 あまりにもあんまりな光景に、ルートゥーは腰を抜かし、その場にへちゃんと座り込んだ。


「何なのだ、何なのだぁ……?」


 四つん這いになり、尻を高く掲げて獣のような声を上げる貴大と、無表情に彼を攻め立てるユミエル。


 魔導ランプの淡い光に照らされた二人は、まるで何かの儀式のように、床の上で一方的な攻防を繰り返していた。


 涙目のルートゥーの視界で、貴大のケツから生えたセロリがびょんびょんと揺れていた。





そこはかとなくインモラルな香りが……よく考えてみると、いつも通りでしたね(・ω・)

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