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フリーライフ ~異世界何でも屋奮闘記~ 作者:気がつけば毛玉

プロローグ(第三部)

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淫獣伝

「僕の名前は」

「タカヒロ・サヤマ」

「僕の居場所は」

「ここだ。この場所こそが、君の帰るべき場所だ」

「僕はこれから、どうすればいいのだろう」

「ずっとここにいればいい。スキルを忘れていてもいい。アイテム欄を開けなくてもいい。君はここにいればいい」

「でも、僕は貴女を知らない。貴女のことを覚えていない」

「私が君を覚えている。君のことを理解している。君を確かに必要としている」

「僕はここに、いてもいいのでしょうか?」

「ずっといればいい。君はここにいればいいのだよ」

 暗闇の密室。三方の壁には見上げるような本棚が備えられ、それでも収まり切らなかった本や羊皮紙が、吐き出されるように床へと溢れ出していた。

 雪崩を起こした古文書と、乱雑に積み上げられた紙の束。足の踏み場もないほどに散らかった部屋では、黒髪の男女がひっそりと抱き合っていた。

 柔らかく男を抱擁する白衣の美女と、彼女の優しさにぎこちなく応える長身痩躯の青年。震える男の手が背中へと回った時、女は優しく微笑んだ。

「君の居場所はここだ。これまで通り、私の助手として生きていけばいい」

「そのことを覚えていなくても?」

「君が私の助手だという事実は変わらない。そう、何も変わらないんだ」

 眼鏡の奥から見つめる瞳に、青年は限りない慈しみを感じた。

 この女性は、自分を必要としているのだということを強く感じた。

 だからこそ、彼は――佐山貴大は、縋りつくようにエルゥの体を抱きしめた。

 締め付けるような抱擁。だが、黒髪のエルフは微笑みを崩さず、逆に貴大の背中を優しく撫でて、彼の不安を和らげる。

 そこには、確かに愛があった。貴大とエルゥの絆があった。記憶が失われても消えない繋がりが、二人の心を結んでいた。

「君はここにいなさい。ずっとここにいてもいいんだよ」

「エルゥさん、エルゥさん」

「そう、ずっとここにいて――そして、」

 薄闇の中で、エルゥはそっと貴大の耳元に呟いた。

「モルモットになってくれればはっ!?」

「エルゥさん!?」

 鈍い打撃音。直後、エルゥはずるりと床へと崩れ落ち、弛緩した顔を貴大に晒した。

 白目をむいてのびるエルゥは、口の端から赤い舌をだらしなく垂らし、一筋の涎をしたたらせた。身体は芯を失ったかのように力なく横たわり、その四肢は壊れたマリオネットのように投げ出されている。

 そして、彼女の側頭部には、見事なたんこぶが一つ。貴大がそのことに気がついた瞬間、彼は手を取られ、エルゥの研究室から連れ出されていた。

「き、君は……確か、セリエちゃん」

 貴大の浅い記憶に残る少女の名前は、セリエ・ポルト。ふわふわとした栗毛とベレー帽が特徴である少女は、木製のハンマーを王立図書館地下の廊下に放り捨て、空いた左手でも貴大の腕を引いた。

「エルゥさんを殴ったのは君? だ、駄目だよ、そんなことしちゃ。打ち所が悪いと、最悪、死んじゃうかもしれない」

「大丈夫です。あれは叩いた相手を【気絶】させるだけのハンマーなので、安全です」

「撲殺専用ハンマー!? なんて恐ろしい……!」

 記憶をなくした貴大は、【気絶】という名の状態異常も知らない。彼は全てを忘れてしまった。名前も、家も、〈アース〉のことも――そして、自分が持っている力のことも。

「ここまでくれば安心ですね……いいですか、タカヒロさん」

「は、はい」

 無事、王立図書館を脱出したセリエは、貴大へと振り返り、彼の手をぎゅっとつかむ。

「あの人は悪い魔女なのです。騙されてはいけません。今度、巣の中へと引きこまれたら、もう戻れないかもしれません。街中で声をかけられても、決して、あの人にだけはついて行かないようにしてください」

「エルゥさんは、魔女だったのか……!」

 思い返せば、貴大と接する間、エルゥは終始笑顔だった。

 街角でばったり出会った時も、王立図書館へと連れて行かれる間も、地下研究室にいた時も、貴大へと送られる親愛の笑みは崩れなかった。そう、まるで、仮面でもつけているかのように――!

 エルゥの瞳の奥に垣間見えた、不穏な光を思い出した貴大は、顔を青ざめさせて細かく震える。

 その弱々しい姿に、セリエは涙を浮かべながら、握りしめた手にますます力を込めた。

「思い出してください。貴方は勇者なのです。魔女を御し、龍をも下す勇者様なのです。どうか、そのことを思い出してください。力と記憶を取り戻し、昔のように威風堂々と構えていてください」

 あどけない少女の、涙ながらの懇願。

 しかし、肝心の貴大は、困った顔をするばかりだった。







 謎の遺跡で記憶をなくした貴大は、アルティらの手によって、王都グランフェリアへと戻された。

 何でも屋〈フリーライフ〉と、出迎えたユミエルを不思議そうな顔で見つめる貴大。彼の記憶喪失を知らされたユミエルは、思わず貴大へと縋りつき、彼の目をじっと見つめた。

 部屋へと案内した。愛用のマグカップを見せてみた。慣れ親しんだ揺り椅子に座らせてみた。

 しかし、返ってきた言葉は、

「記憶にない」

 という無情なものだった。

 それからの一週間、ユミエルは貴大の記憶を取り戻すべく、方々を駆け回った。高名な医者に診てもらった。知り合いの聖女に祈ってもらった。薬師である老龍に頭を下げた。

 ありとあらゆるつてを頼り、ユミエルは貴大の記憶を取り戻すべく、やれることなら何でもやった。しかし、結果はどれも芳しくなく、貴大の記憶は欠片たりとも戻る兆しを見せなかった。

 何ら解決法を見つけ出せないまま、一週間。消沈するユミエルに気を遣い、貴大は独自に記憶回復に向けて動き始めた。

 グランフェリアの街を歩いて回れば、何かを思い出すかもしれない。景色や建物、ちょっとした何かがきっかけとなり、記憶を取り戻せるかもしれない。

 そう考えた貴大は、地図を片手にこっそりと家を抜け出してきたのだが――。

 その矢先に、エルゥによる拉致事件だ。貴大はすっかり委縮してしまい、戦々恐々としながら家路を急いだ。

「見慣れない街を歩こうというのが、そもそも間違いだったんだ。グランフェリアは大都会だっていうし、悪い人だっていっぱいいるはずだ。現に、家を出て五分でエルゥさんに捕まったし。ああ、あのままあそこにいたら、僕はどうなっていたんだろうか。魔女っていうぐらいだから、鍋で煮られていたのかな。やっぱり、都会って怖いなあ……うう、早く帰ろう」

 両手で肩をこすりながら、貴大はおっかなびっくり、上級区の大通りを歩く。道の端で地図を広げながら、進んでは止まり、進んでは止まりを繰り返しながら自宅を目指した。

 上級区の王立図書館から、中級区の何でも屋〈フリーライフ〉。慣れた者ならば一時間ほどで踏破できる道のりだが、今の貴大にとって、グランフェリアは魔都にも等しい。

 大まか過ぎる地図もいけなかった。巨大な王都を収めるには、たった一枚の羊皮紙では小さすぎたようで、貴大が持ち出した地図には、主要な通りと建築物しか描かれていない。

 遠くに見える塔の名前すら知らない貴大にとって、この地図はいささか頼りなかった。中級区には辿りつけたのだが、そこで気を緩め、近道をしようとしたのがいけなかった。

 路地に次ぐ路地。行く手を塞ぐ袋小路。三階建の住居やアパルトメントで構成された迷路に、貴大はあっという間に現在位置を見失ってしまう。

 自分が今、住宅街の奥まった場所にいることは分かる。だが、そこがどこなのかは分からない。でたらめに歩いたところで、大通りに戻れるかどうかも分からない。

 道は四方に続いているが、それがかえって八方ふさがりの状況を生み出している。広げた地図に顔を埋めた貴大は、背中に冷や汗を浮かべながらそわそわとその場で足踏みをした。

「もしかしなくても、迷子だよね、これ。ううう、ど、どうしよう」

 青ざめた顔をあちらこちらに向ける貴大。困り果てた彼に、しかし手を差し伸べる者はいなかった。

 ――かに、思われたが。

「わんっ!」

「わっ!?」

 ベビーブロンドの髪をした、大柄な獣人少女が貴大に跳びかかった。

 たまらず後ろへ倒れた貴大に、のしかかったまま頬を舐める少女。犬のような尻尾をぶんぶんと振りたくる彼女には、見覚えがある貴大だった。

「確か……クルミア、ちゃん?」

「わんっ!」

 名前を呼ばれたクルミアは、向日葵のような笑顔を見せた。

 貴大が記憶喪失になったという話は、貴大がグランフェリアへ帰ってきた日のうちに広まっていた。出不精のようで意外に顔が広い貴大の異変は、それだけ噂になりやすく、人々の口から口へと『貴大、記憶喪失!』のニュースは広まっていったのだ。

 当然、下級区に居を構えるブライト孤児院にもこの噂は届いており、ゴールデンレトリバーの特徴を持つ犬獣人少女、クルミア=ブライトも、貴大の記憶がなくなったことは知っていた。

 噂を聞いた途端に駆けつけて、貴大に知らない人を見るような目で見られた時は悲しくなった。いつもは頭を撫でてくれる貴大の手が動かないのを見ていると、声を上げて泣きたくなった。

 そのような状態にある貴大が、こうして名前を呼んでくれることが嬉しい。反射的に頭を撫でてくれることが嬉しいクルミアだった。

「わうわう」

「わわっ、くすぐったいよ、クルミアちゃん」

 喜びのあまり、ついつい犬語になってしまうクルミアは、仰向けに倒れた貴大に馬乗りになり、彼の顔をなめ回す。

 見様によっては濡れ場に見えないこともない光景だが、幸か不幸か、周りに人はいなかった。

「わふっ!」

「あはは、クルミアちゃんは無邪気だね」

 一回、二回と貴大がクルミアの頭を撫で下ろすと、元気印の大わんこは、気持ちよさそうに目を細め、ぐりぐりと貴大の手に頭を押し付けた。

 その遠慮のなさに微笑みを浮かべた貴大は、寝転がったまま、更にクルミアの頭を撫でようと――。

けだもの……っ!」

「はっ!?」

 突き刺さる視線を感じた。刺々しい、非難の感情を覚えた。

 慌てて顔を上げた貴大が見たのは、クルミア似の獣人少女だった。クルミアの髪を長く伸ばし、服を落ち着いたエプロンドレスに変え、雰囲気を大人っぽくした少女。

 彼女は、汚らわしいモノを見るような目で、クルミアに手をかける貴大のことを見ていた。

「あっ!? い、いや、これは違うんです!」

 パッと両手を離し、クルミアから離れる貴大を、少女は変わらず剣呑な目つきで見つめていた。

「記憶がなくなったと聞いていましたが、なんのなんの。どこも変わっていませんね。この手の早さは、流石、タカヒロさんといったところでしょうか」

「えっ、えっ!?」

 クルミアを守るように抱き寄せ、貴大から引き離した少女の名は、ゴルディ。クルミアと姉妹同然に育った犬であり、最近、犬獣人への転生を果たした少女である。

「その様子だと、私に手を出したことも忘れていますね? それに、クルミアに手を出したことも」

「いいっ!? 手、手を出したって、君たちにっ!?」

 ゴルディの口から飛び出した衝撃的に発言に、貴大はのけぞらんばかりに驚いた。

「そうです。タカヒロさんは、事あるごとに私たちを呼び出して、全身を舐めしゃぶるように撫で回しました。何時間も『運動』をして、それだけでは飽き足らず、ベッドでも一緒に『寝ました』。わ、私なんて、何度裸で街中を歩き回されたか……」

「あ、う、え……!?」

「その様子では、私たちの年齢のことも忘れていますね? 私は十二歳。クルミアに至っては十歳です」

「十二っ!? 十歳っ!?」

 身体の大きさと年齢のギャップに、貴大は思わずゴルディの言葉を否定しようとした。だが、記憶を失ってから初めてクルミアに会った時、確かに、ユミエルから紹介されたではないか。

『この子は、クルミアちゃん。十歳の女の子です』

 と――!

「未だ幼い女の子に手を出すなんて、犯罪ですよ、犯罪! この責任……とっていただけるのでしょうね?」

「責任!」

「結婚しかないでしょう。私たち二人を、お嫁にもらってくださいよ、タカヒロさん」

「け、結婚!」

 ぼそぼそと耳に囁かれるゴルディの声に、ビクリ、ビクリと痙攣をする貴大。彼の中では、常識と良識と責任と罪悪感がぶつかり合い、激しい火花を散らしていた。

「な、何てことだ……! 記憶を失う前の僕は、小さな子に手を出すロリコン野郎だったのか……! ど、道理で、ユミエルちゃんやルートゥーちゃん、アルティちゃんやセリエちゃんとか、周りに小さい子が多いと思った!」

「さあ、今こそ責任を果たす時……って、あれ? タカヒロさん?」

「うあああああ……! 何てことだ! 成人前の女の子たちの純潔を散らして回るなんて、畜生のすることじゃないか! あああ、僕は、僕は何てことを……! きっと、『これだけ身体が大きかったら合法だろ、グヘヘ』なんて言ってたんだ!」

「タカヒロさん? あれ? おーい、おーい」

「淫獣だ! 僕は人間じゃない! 淫獣だったんだ! うわああああっ!」

「え、ちょ、タカヒロさーん!? どうしたんですかーっ!?」

「タカヒロッ!?」

 貴大は、がむしゃらに走り出した。

 獣人少女たちの制止を振り切って、遮二無二、どこかへ向かって駆けて行った――。

 残されたのは、残念そうな顔をしたゴルディと、最後まで会話が理解できず、首をかしげているクルミアだけだった。


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