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むっちりお休み

久々に淫魔さんの登場です。



 よく、「毎日朝帰りってほんとですか?」って聞かれるけれど、そんなことはない。


 娼婦だって、ううん、娼婦だからこそ、早寝早起きはなるべく心がけているの。


 だって、朝に寝て、夕方に起きるだなんて生活、自然じゃないもの。遅くてもちゃんと夜には寝て、お日さまが登りきらないうちに目を覚ます。これができない子は長続きしない、というのが、水商売や売春の常識でもある。


 娼婦を守護する女神さま、デュレックだって、こう言っている。


【やることやったら、さっさと寝なさい】


 って。


 神さまの言うとおりとはよく言ったもので、このありがたい教えを守らない子は、いつか必ず、体を壊してしまう。夜行種族でもない限り、人は夜に寝て、朝に起きるもの。自然に反した生き方は、どこかでツケが払わされてしまうの。


 だから、私たち夜と夢の商売人たちも、月が出ているうちに必ず床に就く。勤め先の娼館パブ『黒揚羽』も、夜の六時に店を開けて、午前零時には『営業中』の札を返すようにしている。


 閉店ギリギリに、ハッスルしているお客さんに捕まっちゃうと、一時、二時と帰りが遅くなっちゃうけれど……それでも、お日さまが登ってからの帰宅、というのは今まで一度もなかった。


 普段は、午前一時。遅い時は午前三時。そこから七、八時間たっぷり寝て、遅めのブランチをゆっくり食べる。そして、市場で買い物をしたり、街をぶらぶらしたり、友だちと遊んだりして、のんびり過ごす。お客さんに付き合って、お酒やおつまみを飲んだり食べたりするから、晩ご飯はちょっとだけ。それから、余裕をもって出勤するというのが、いい娼婦なんだとお母さんから教わった。


 その教え通りに、私は毎日を生きている。たくさん働いて、たっぷり寝て、ゆったり過ごして、またたくさん働く。淫魔大賞なんてものがあったら、花まるがもらえそうなほどに模範的な生活。今日も私は、人よりちょっとだけ遅い時間に目を覚ました。


「ふー……ふふふ。今日もカフェオレがおいし♪」


 大きなマグカップに、濃いめのコーヒーと冷たいミルク、スプーンいっぱいの砂糖を入れて、ゆっくり、何度も、かき回す。


 そうして作った温めのカフェオレを、時間をかけてじっくりと味わう。テーブルの上には、薄く切ったパンと、ふわふわのオムレツ。それに、アンディーブとトマト、チーズのサラダ。ちょこちょことそれらをつまみながら、私は毎朝、一杯のカフェオレを飲み終える。


 流しで食器とマグカップを洗ったら、お次は洗濯だ。キャミソールや下着は手洗いをして室内に干して、部屋着や寝間着は足ふみ洗いの後、窓の外に吊るす。


 今の時期、ちょっぴり洗濯をさぼってしまうと、服や下着はとんでもないことになる。友だちの一人は、ショーツにキノコを生やしちゃったとか。娼婦にとっての服は、騎士や冒険者の鎧と同じ。大事大事に手入れしないと、致命傷にもなりかねない。


 特にナイトドレスは、鎧でもあり、男心をくすぐる剣でもある。毎日、ちゃんと洗濯屋さんに届けて、丁寧に洗ってもらわなくちゃいけない。


 おすすめは、最近、住宅街に新しくできた〈ミルモ・クリーニング〉。あそこは、服をしまっておく場所にラベンダーのポプリを飾ってあるから、虫食いがなくていい香りだと評判なの。


 今日もドレスは、そこに持っていこう。それだけを決めて、私は部屋の掃除にとりかかる。


 放っておくといつの間にか砂とホコリがたまってしまう床。それに、ちょっとずつ潮風や煙突から出た煤で汚れていく窓。その二つを重点的に磨いて、私は部屋をぴかぴかにしていく。


 それが終わったら、今日の家事は終了だ。時刻は午後二時。ちょっと一息ついて、お茶を飲みながら本でも読むにはいい時間。


 先日、お客さんからもらった美味しい紅茶の茶葉もあるし、友だちからもらったチョコビスケットも残っている。今日のアフタヌーンティーは、これで決まり。私は早速、水を注いだケトルを、コンロの上に置いて火にかけた。


「イヴェッタさん! 服をください!」


「にゃーっ!?」


 突然、にぎやかなお客さまが現れた。


 開けっ放しの窓からぴょんと飛び込んできたのは、ご近所に住んでいるタカヒロちゃん。


 細い体格と、意外に引き締まった体が魅力的な、東洋から来た男の子。彼は、小さな女の子を肩に担いで、かつてない迫力で私に迫る。


「まあ……上着だけでいいの?」


「いえ、イヴェッタさんのではなく」


 いそいそと服を脱ぎ始める私を見て、タカヒロちゃんは何故かキリリとした顔をした。


 この冷静なツッコミに、私は何だか不思議な気持ちになる。男の人の中には、服や下着、靴下に興奮する人がいるというのは知っている。そのうえ、脱ぎたてじゃないといけないという、頑固なこだわりがあるということも知っている。


 健全な若者であるタカヒロちゃんが「服をください」というのは、そういうことじゃないのかしら?


 要領を得ないタカヒロちゃんの言葉に、私は首を傾げてしまう。


「服というのは、こいつの服のことですよ」


「にゃー」


「あらっ、かわいい子。猫獣人なのかしら?」


 タカヒロちゃんが、担いでいた子を両手で抱き支え、突き出してきた。


 黒く染めた絹のような髪。黒曜石みたいに煌めく瞳。ぴょこぴょこ動くチャーミングなネコミミ。だらりと垂れて、ゆらゆら揺れているしっぽ。


 それらをかわいい女の子にくっつけると、何てステキなものができあがるの! 驚かざるを得ない可憐さに、私はついつい、黒ネコちゃんの頭を撫でた。


「ふーっ!」


 そして、ネコパンチをおみまいされた。


 ……せ、背筋がゾクゾクっと……!


「も、もう一回」


「ふかーっ!」


「ああ、こらこら。大人しくしてろニャディア」


 タカヒロちゃんがくるりと体を回したから、二度目のネコパンチは不発に終わった。


 ちょっぴり残念な気がするけれど、ネコちゃんとは話の後でいっぱい戯れよう。


「ニャディアちゃんって言うの? その子の服が欲しいの?」


「ああ、そうなんですよ。こいつ、前もパーカーが欲しくて俺にちょっかいをかけてきたんです。本人はおねだりのつもりなんでしょうが、どーにも分かりにくくて」


「にゃっ!?」


 本人はふるふると首を振っているけれど、これは猫のツンデレなのかしら。


 押したら引いて、引いたら押してくるのが猫獣人だって聞いたことがあるけれど、確かにそれは当てはまると思う。同僚にも猫獣人が一人いるけれど、その子も結構、甘え下手だ。


 ついつい、冷たい態度をとってしまうのが猫獣人。でも、そこがいいという殿方に支えられ、彼女らは夜の街でも人気が高い。


 タカヒロちゃんも、猫好きな人間だったのかな? 甘えられるよりも、冷たくされる方がよくて、でも、ほんの少しだけでれでれして欲しい。甘さ控えめな猫ちゃんを、タカヒロちゃんは求めていたのかしら。


 そう考えると、私やユミエルちゃん、ルートゥーちゃんの誘いに乗らなかったのもうなずけるわね。求められるよりも、求めたい。ある意味では、殿方の本能にどこまでも忠実だったのが、タカヒロちゃんという人間だったのよ!


「あ、あんたなんかに服をあげるわけがないでしょ! 勘違いしないでよね!」


「そこを何とか、頼みますよ。俺、女ものの服を売ってる店には疎くて。お金なら払いますんで」


 あれ? 試しにツンデレってみたけれど、まったく反応がない?


 付け焼刃はダメってことね。こだわりを持つ殿方には、見かけだけの小細工なんて通用しない。淫魔として培ってきた知識は、やっぱり正しかったわ。


「ニャディアちゃんなら、ユミエルちゃん用にとっておいた服が合うかも。ちょっと探してみるわね」


「はい、お願いします」


 まだふるふると首を振っているニャディアちゃんと、彼女を支えているタカヒロちゃんを置いて、私は別室のクローゼットを漁り始めた。







「じゃーん! これぞ水兵ニャディアちゃん!」


「おおー。セーラー服ですか」


 白い生地とは対照的な、水色のセーラーカラー(えり)が目にも鮮やかな、セーラー服。


 長袖長ズボンは殿方用。長袖を半袖にして、ズボンの代わりにスカートを組み合わせて、より可愛らしくしたのが、女の子用。


 遺跡からレシピが出土して、瞬く間に東大陸に広がった海軍用の服は、ちょっと裕福な家庭や、夏の『黒揚羽』でも大人気の衣装だった。


「にゃ、にゃ」


 セーラー服を着たニャディアちゃんは、しきりに新しい服を気にして、袖を引っ張ったり、スカートをつまんだりしている。


 そのたびにしっぽがくねり、くねりと動いて、何だかしなを作っているようにも見えた。


「おー、似合ってるじゃないか、ニャディア。かわいいぞ」


 タカヒロちゃんの褒め言葉に、ニャディアちゃんはぷいっとそっぽを向いて、そのまま窓の外へと飛び出していった。


 そのしなやかな動きは、まさしく猫そのもの。そして、お手本みたいなツンデレっぷりも、どこまでも猫だった。


「これでニャディアのやつも、俺につきまとってこなくなるか。あー、これでゆっくりできるか、な……」


 ふー、と大きなため息をついたタカヒロちゃんが、こてんとソファーで横になった。見ると、彼は目をつむって、早くも寝息を立てていた。


 そういえば、ユミエルちゃんから、「最近のご主人さまはお疲れですから」という話を聞いていたわね。どうして疲れているのかは知らないけれど、確かに、心身ともにぐったりと疲れていそうな感じ。


 いったい、何が……はっ!? 昨日、街でばったり出会ったルートゥーちゃんは、ツヤツヤしていた!


 それに、「先日、タカヒロと本気でヤりあった」とも話していたっ!


 出勤前だったから、深くは聞かなかったけれど、あれはもしかしてそういうことだったんじゃないかしら!?


 うら若き乙女であるユミエルちゃんとルートゥーちゃん。彼女らの固く、未成熟な果実は、しかし、馥郁たる香りを放ち、男の獣心を刺激する。家の中には、男が一人と、女が二人。邪魔する者は誰もおらず、個室のドアは、壁と言うにはあまりに薄い。


 献身的な少女たちに、日増しに高まる白濁の欲望。日常的に肌と肌がすれ合うような小さな家では、いつまでも若き獣欲を溜め込んでおくことなど、到底不可能だった――。


「こ れ だ !」


 きっと、タカヒロちゃんとユミエルちゃん、それにルートゥーちゃんは、ついに一線を越えちゃったのね。それこそ、若さに任せた激しい交わりを、寝食を忘れ、昼夜問わずに行っているのね!?


 恐ろしい……なんて恐ろしい! 枯れ木と謳われたタカヒロちゃんをここまで消耗させるなんて、人の欲望ってなんて恐ろしいの!


 でも、うらやましい! できれば、元気溌剌なルートゥーちゃんをして「殺されるかと思ったぞ」と言わしめる猛攻を、受けてみたい。


「ふ、ふふふふふふ……」


 淫魔としての本性を現して、私はタカヒロちゃんに迫る。


 無防備にソファーに寝転がる、羊の皮を被った狼に、唇を近づけていく。


 そして、私たちの肉と肉が、甘く溶け合う瞬間――部屋に、誰かが飛び込んできた。



余談ですが、最近、またまた話題になっているので、娼婦や売春についてちょっと調べてみました。


何でも、売春婦は世界最古の職業だとか、聖職だった時期もあった(神聖娼婦)とか、軍隊にはつきものだったとか。


確かに、西洋の歴史もの映画やドラマ、漫画だと、よく出てきますよね、娼婦。マグダラのマリアさんからして元娼婦だというから、その歴史は推して知るべしでしょう。


貴族専門の高級娼婦や傾国の美女たち、歴史小説において必ずと言っていいほど出てくる遊女(また、吉原、深町などの遊郭文化)の存在など、人類の歴史にふかーい関わりがある売春婦。


彼女らを主題にした作品はたくさんありますので、話題になっている今、それらに触れて、娼婦についての知識を深めてみるのもいいかもしれませんね。


さて、次回は???視点。お楽しみに!

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