春眠暁を覚えさせられる
「……ご主人さま。起きてください、ご主人さま」
「うう~ん……もう少しだけ……」
「……ご主人さま。起きてください、ご主人さま」
「ううう……zzz」
「…………」
ジャキッ!
「おはようございます! おはようございます、ユミエルさん!」
「……はい、おはようございます」
朝日差し込む三階建て家屋の一室にて、直立不動で挨拶を行う男の名は佐山貴大。中級区の片隅で何でも屋を営んでいる、元冒険者の青年だ。
「……ご飯はもうできています。顔を洗ってリビングへ来てください」
「はい!」
貴大の素直な態度に満足したのか、【スパーク・ボルト】を発射するマジックアイテム〈スタンガン〉を太もものホルスターに戻すメイド。だらしがない主人への仕置きに余念がない彼女は、新装備の導入にも意欲的だ。
この娘の名はユミエル。透きとおるような水色の髪と瞳をもった妖精種の少女で、何でも屋〈フリーライフ〉の住み込み従業員である。
彼女は右手を左肩に当て、左手を腰の後ろに回して一礼し、貴大の部屋を後にする。
もちろん、主人が二度寝などせぬよう、布団やシーツを抱えての退室だ。寝具を持ち出してしまえば、さすがの貴大も起きざるを得ないことを、この少女はよく知っていた。
「くそ~、ユミィの奴……容赦ねえよな、ったく……」
ユミエルの狙い通り、貴大は緩慢な動きながらも着替えを始めた。寝巻代わりの長袖シャツを脱ぎ捨て、タンスから「アメリカ合衆国」と書かれた白地のTシャツを引っ張り出す。
そして、それを目の前に広げて見つめることしばし。
「……まぁ、これでいいや」
広げてしまったシャツを畳んでタンスに戻すことが面倒くさくなったのか、ため息を一つ吐き、もぞもぞと「アメリカ合衆国」Tシャツを頭から被る貴大。
「どうせ、何が書かれているか誰も分からんって」
そうひとりごちて、着替えが終わった貴大は、朝食をとりにリビングへと降りていった。
―――そう、貴大が暮らすグランフェリアにおいて、「アメリカ合衆国」の意味を理解できる者などいない。それどころか、世界中、どこにもいないはずだ。
何せ、ここは―――。
異世界、なのだから。
佐山貴大が、異世界へと落ちてきたのは約四年前。
仮想現実のアバター(自分の分身)に意識を移して楽しむゲーム、《Another World Online》をプレイしている最中に、彼は異世界へと「落ちて」しまったのだ。
そこは、〈アース〉という名の、地球のもう一つの可能性。魔力の有無によって原初の地球から枝分かれした、剣と魔法の世界だった。
「でも、それはゲームの設定のはず……」
貴大は、今でもそう思う。〈アース〉とは、彼がプレイしていた《Another World Online》の舞台であり、決して現実に存在する世界ではなかった。そのはずだった。
しかし、その異世界〈アース〉で……レベルやスキルといった概念が存在するゲームのような世界で、貴大は今日も生きている。
異世界に転移した後、なぜか備わっていた《Another World Online》で身につけた力を活かしながら、今日も今日とて何でも屋稼業に励んでいる。
異世界に落ち、冒険者時代を経て、グランフェリアの街で何でも屋を始めて約二年……今ではそれなりに、周辺住民やお得意様の評価も高い。
「少し手がかかりそうなことでも、あの何でも屋に頼めば大丈夫」
そう言われるだけの実績を、貴大と彼のパートナーは積み上げてきた。
開業から二年とは思えぬほどの、依頼者からの信頼の厚さ。
しかしそれは、時としてこのような事態を招く……。
「……ご主人さま。今日の依頼は、道具屋〈アップル・バスケット〉での薬品調合補助。大衆食堂〈まんぷく亭〉でのランチタイムの助っ人。ブライト孤児院での奉仕作業。鍛冶工房〈ヘルバルト〉での商品整理があります」
「うおおおおっ!? なんでそんなに仕事があるんだよ!! き、昨日の話と違う……!」
「……今朝、お得様から飛び込みで依頼が来ました」
「おおおぉぉ……!」
昨晩、貴大に伝えられていた予定は、まんぷく亭とブライト孤児院での仕事のみ。近所の道具屋や鍛冶工房での仕事など、欠片たりとも聞いた覚えはなかった。
アップル・バスケットとは、何でも屋〈フリーライフ〉と同じ町内に存在する、小ぢんまりとした道具屋だ。母と娘二人で営んでいるこの店は、既存の商品の改善、品質向上に意欲的な店でもあった。
ヘルバルトは、包丁からロングソードまで、金物なら何でも取り扱う、腕のいい老職人マークの鍛冶工房だ。こちらも、何でも屋〈フリーライフ〉の近所に店を構えていて、貴大自身も装備品や料理道具の研ぎや手入れなどでよく世話になっていた。
ヘルバルトだけではない。アップル・バスケットでも、貴大は何度も世話をかけた覚えがある。イースィンドに来たばかりの頃、この国の文化や風習、街そのものに慣れていない貴大は、近所の人々に何かと助けられたのだ。
だからこそ、飛び込みの依頼であったとしても、無視することはできない。
例えそれが、怪しげなポーションの実験台だろうが、倉庫いっぱいに積まれた金属製商品の整理だろうが、受けた恩を思えば受けざるを得ない。面倒くさがりだが、何だかんだで動く時は動く貴大は、意を決したようにガタリと音を立てて立ち上がった。
「……お出かけですか、ご主人さま」
「いや、俺の計算ではあと三十分は寝れる。英気を養うことは、仕事をするうえでとても重要であり……ひっ!?」
ジャキッ!
危険防止のために普段は外してある弾倉型の雷魔石を、主人に見せつけるかのように〈スタンガン〉へと装填するメイド。その瞳は貴大を見詰めたまま動かない。
最近、貴大がこの世界に持ち込んだスパイ映画にハマっているユミエルだ。このまま主人が動かなければ、映画の登場人物のように躊躇なくトリガーを引くことだろう。
「わーったよ! 今日は予定が詰まってるもんな……早め早めに動きゃいいんだろ……はぁ」
猛獣の調教のように電撃をくらってはたまらないと、貴大は両手を上げて玄関へと向かう。〈スタンガン〉を仕舞い、その後にしずしずと続くユミエル。
「んじゃあ、行ってくるわ」
そして、ブーツの靴紐を結び終えた貴大は、ユミエルの頭にポンと手を置いて、玄関から出ていった。
「……いってらっしゃいませ、ご主人さま」
その背中に投げかけられる感情の籠らぬ声。
いつも通りの光景だった。
次回更新は明日の朝6時予定です。