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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
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1‐7 消えた流水音(2)

 * * *



 翌朝、朝食をとるまえにレナリアは洗面所に行き、蛇口をひねって顔を洗おうとした。しかし捻っても、捻っても何も出てこなかった。

 眉をひそめて、蛇口付近に耳を近づけると――、あるべきはずの流水音は聞こえてこなかった。



 それより少し前、レナリアたちの隣の部屋に泊まっていたキストンも、同様の状況に直面していた。洗面所の前で腕を軽く組み、右手を顎に添える。

 昨晩までは水は出ていた。シャワーで水を大量に使った後でも、水の勢いは衰えることはなかった。つまり昨晩から今朝にかけて、配管もしくは川から水を汲む水車に異変が起こったと考えていいだろう。

 キストンは部屋に戻り、床の上に広げた物をリュックに詰め込む。そして必要な工具を入れたバックを肩にかけ、受付に向かった。

 受付では数名の人たちが、宿主に詰め寄っていた。

「ちょっと洗面所の水が出ないんだけど!」

「朝食が作れていないって!? おいおい、わざわざ朝食付きの宿を選んでやったのに、それはないぜ!」

「申し訳ありません、お客様。今、近場の食堂に朝食を頼んでいますので、準備ができ次第、そちらで朝食をおとりください。洗面所の代わりに関しては、誠に申し訳ありませんが、現在水で濡らしたタオルをご用意していますので、そちらをご利用くださいませ」

 宿全体の水供給が止まっている。どうやら水を汲む水車に原因があるようだ。

 とりあえず水車の様子を見よう、そう思い、宿の正面を出て、裏に回ろうと思った矢先、血相を変えた女性が宿の中に飛び込んできた。そして宿主に耳打ちをする。それを聞いた彼は目を大きく見開いた。

「村中の水車が壊れているだと……!?」

 受付にいた人たちが、息を飲む音がはっきりと聞こえた。



 キストンは宿主だけに自分が整備士である旨を告げて、宿の裏に案内してもらった。

「すみません、お客様にこんなことをして頂き……」

「困っているときはお互い様です。ただ、僕たち昼前には村をでる予定なので、きちんとした修繕まではできないと思います。可能な限り状況を見て、それから村の整備士に引き継ぐ形になるでしょう」

「それでも助かります。少しでも事が進んでいることを、お客様にお伝えできますから」

「謎の故障ですと、説明しにくいですからね」

 キストンが苦笑いしていると、後ろから声をかけられた。店に飛び込んできた女性である。

「お話し中にすみません」

「何でしょうか」

「村からの移動は馬車ですか?」

「はい、そうですが……」

「実は先ほどこちらに来るときに耳にしたのですが、馬小屋も何らかの被害にあったらしく、対処が終わるまでは馬は出せないと言っていました」

「え、本当ですか?」

 女性は躊躇いながらも頷いた。現場を見ていないからはっきり言えないが、彼女が嘘を吐くとは思えなかった。

 村全体で何かが起こっている――?

 まるでキストンたちを足止めしたいようにも感じられた。

 アーシェルは諸事情により、ある集団に追われていることは本人の口から聞いた。非常に申し訳なさそうにしていたが、世の中の裏の顔も多少は知っているキストンには、たいした事でもなかった。

 キストンの師匠であるガリオットは、表業界では偏屈な整備士として有名だが、裏の業界では様々な物に取り組む製造者として名を馳せていた。その様々には人を傷つける物も含まれている。

 ガリオットの名前を出したとき、レナリアの反応は一般人とは少し違っていた。査察官という立場を踏まえても、少し妙だった。おそらく彼女は師匠の裏の顔を知っている。国の査察官は堅物の取り締まり屋だと思っていたが、国民が知らないところで暗躍しているのかもしれない。

 村の状況についてはあとで詳しく調べようと思い、水車に案内してもらった。すると途中で、共に旅をしている少女の声が頭の上から聞こえてきた。

「キストン、おはよう」

 宿の端にある窓から顔を覗かせている、藍色の髪の少女。既に髪は頭の後ろでまとめ上げている。彼女の後ろには、帽子をかぶった銀髪の少女がちょこんと立っていた。

 宿主に一言断って、レナリアたちに近づいた。そして彼女の耳元に口を寄せる。

「今から裏にある、水車の様子を見てくる。昼前には一区切りつけるつもりだ」

「わかった。こっちは馬小屋の方を見てくる。村の水車だけでなく、馬車まで何かあったって聞いたから」

「……レナリア、情報を得るのが早いな」

「仕事柄、周囲に漂っている噂話は勝手に耳に入ってしまうのよ。じゃあちょっと行ってくるね」

 レナリアは翻すように背を向けて、アーシェルを伴って、廊下を歩いていった。

 その後ろ姿を見ながら、つくづく察しがいい人だなと思った。

 飄々としていたが、おそらく脳内では手元にある情報を的確に寄せ集めているはずだ。時に一点に集中して周りが見えなくなってしまうキストンには、常に情報を取捨選択し、俯瞰(ふかん)的に見ている彼女はすごい存在だった。おそらく首都までの移動も、彼女がおおいに先行してくれるだろう。

 再び宿主たちに案内されると、程なくして水車に辿り着いた。水車の回転は止まっており、ざっと見た限り大きな壊れ方はしていない。傍では途方に暮れている白い作業服を着ている男性が立っていた。服装からして料理長のようだ。

「おはようございます。水車の異変に気づいたのは、貴方ですか?」

 キストンは軽く頭を下げてから、水車に視線を移動する。料理長は頭を縦に振った。

「はい、そうです。朝食の仕込みをしようと蛇口を捻りましたら、まったく水が出てきませんでした。試しに他の洗面所やシャワーも捻ったのですが、どこも水が出ませんでした。さすがに妙だと思いこちらに来たら、水車が止まっていたのです」

 水車を使って取り入れられた川の水は、まず宿に併設されている貯水タンクに入れられる。そのタンク内で貯まった水を、宿では使っているのだ。もしタンク内に水が入りすぎたら、自然に川に流れるよう、上部には川に通じる配管が伸びている。

「朝起きた時点、おそらく早朝になるでしょうが、その時はまだ使えたんですね」

「はい、そうです」

 キストンは屈んで、水車から貯水タンクまで通じる管を見る。仕切弁などはついていないため、水の流れが止まれば、逆流して川に戻ってしまうだろう。

 配管の太さ、貯水タンクの量を見て、脳内で計算していく。夜間の使用量により多少前後するが、真夜中過ぎに水車が止められたと考えていいだろう。

 キストンは立ち上がり、じっくり回転軸を見た。あるべき所に刺さっている小さな杭がない。これがなければ満足に水車の羽根が回ったり、止まったりできないだろう。今、完全には止まらず、ふらふらと揺れているのがいい証拠だった。

 なくなっている杭は特注品だ。キストンでも作れなくないが、細かな調整が必要になってくるので、時間がかかる。さらに重要な部位であるため、材質にも気を使わなければならない。きちんと作らなければ、再び壊れてしまうだろう。

 ゆえに犯人から盗まれた物を取り戻し、それを再度付けた方が、確実に水車を復旧できる。

「あの、どうでしょう。直りますか?」

 キストンは水車に触れて、軽く回す。それは間もなくして止まってしまった。

「……直せなくもないですが、盗まれた物を探す方が早いと思います」

 杭がなくなっている部分を指でさした。店主はそこを覗き込んだが、目をぱちくりしただけだ。

「ここがいったい何なのでしょうか」

「ここには小さいながらも杭が埋め込まれていました。それが外されています。そのせいで水車の回転が止まってしまったと思われます」

 店主が眉をひそめる。

「それだけで止まってしまうのですか?」

「止まりますよ。すべての部品は理由があって付けられています。動かすため、支えるため、装飾するため――無駄なものは何一つありません。いいですか、これは窃盗行為の事件です。自警団に伝えて、いち早く犯人を捕まえてください。水車の構造に関して熟知している人が、これに絡んでいるでしょう」

「その言い方ですと、犯人は複数いると?」

 キストンは村全体を眺めた。

「村にある水車の多くが被害を受けているんですよね。複数犯いなかったら、おかしいと思いますが」

 今、キストンが言い当てられるのはそこまでだった。

 なぜ水車を止めたかったのか、その理由はわからない。それは追々(おいおい)わかることだろう。



 キストンと挨拶をした後、レナリアはアーシェルと共に村の入り口近くにある馬小屋へ向かった。乗馬用の馬だけでなく、馬車も何台か止められている。朝早いにも関わらず、人々がせわしなく動いていた。

 受付では本日の乗車券の払い戻しが行われている。レナリアは怪訝な表情で、受付にいる男に詰め寄った。

「何かあったんですか?」

 一刻も早く首都に向けて移動したいのに、この仕打ちは辛い。

「お客様ですか? 申し訳ありません。乗車券を出していただければ、払い戻しをしますので……」

「だから何があったんですか!?」

 レナリアはにこにこした表情で、両手を激しく机についた。男はびくっとする。

「す、すみません」

「謝るくらいなら、事情を話してください」

「……あまり騒がれたくないので、黙っていてくださいよ……」

 レナリアとアーシェルは男に顔を近づけた。男は観念したかのように口を開く。

「実は荷台の車輪部分が脱落してしまい、その対応に追われているのです」

「古くなって壊れたんじゃないのですか?」

「いえ、村にいる整備士に聞くと、車輪と荷台を繋いでいる、ねじがなくなっていたらしいです。特注品の小さなねじが」

 男は頭をかきながら俯く。

「夜の時点では問題なく、朝も見た時は何事もなく車輪と荷台部分が一体になっていたのですが、試走してみると、途端に車輪が落ちまして……」

「全部の荷台の車輪ですか?」

 躊躇いながらも男は頷いた。レナリアは慌ただしく動いている人たちを眺める。

「なくなっている部品がわかったのなら、急いで取り付ければいいのではないですか?」

「はい。ですから今、発注を行っています。ただ先ほども行ったとおり特注品なので、今日、明日に物が作られて届くのは難しいと思われます。現時点では果たして何日かかるか、わかりません」

 男の話を聞いて、レナリアは内心焦っていた。彼の口調ぶりからすると、下手すれば一週間以上、馬車が出せないかもしれない。その期間、村で立ち往生していれば、あの薄金色の髪の男が村に来てしまう。今の体の状態で再戦すれば、間違いなく負ける。

 徒歩で移動するか。慣れない乗馬を試みるか。それとも待つか――。

「レナリアさん」

 アーシェルが袖を引っ張ってくる。彼女をちらりと見た後に、レナリアたちは受付から離れた。少女の目はバタバタと動いている人間たちに向けられている。

「犯人探ししませんか?」

「犯人?」

「はい。犯人さえ捕まえれば、無くなった物を取り戻せて、荷台の車輪をつけられるはずです」

 躊躇いもなく言い切るが、すぐには首を縦には振れなかった。

「アーシェル、いいかな。犯人が愉快犯だった場合、盗んだ物を捨てるはず。証拠を持っていたら、捕まる可能性が高くなるからね。そしたら探し出せないでしょう」

「そうですね。ですけど、私は今回の犯人、そういう人ではないと思っています」

「……根拠は?」

「盗まれた部分が、歯車に関する知識がない人には気付かない場所だからです。愉快犯ならそんな遠慮せず、大破を試みるのではないでしょうか」

「音の問題で控えた、という考え方もある。あと複数の被害を出したかったから、時間をかけず、手早く事を起こすために、そこだけをこっそり狙ったかもしれない」

 ここから村の中を歩いてくるまで人に尋ねなくても、村の被害状況が聞こえてきた。

 多数の場所で水が出ない――その一点が。

 とても地味であるが、村を混乱の渦に陥らせていた。

 アーシェルは手をぎゅっと握りしめる。

「……レナリアさんの言うとおり、盗まれたものは既に処分されているかもしれません。ですが、これだけは言えると思いますよ」

 そして深い青色の瞳で、レナリアの空色の瞳を見据えてきた。

「犯人の中には車輪関係について、詳しい人がいるはずです。私たち一般人であれば、あれを抜くことで車輪が確実に脱輪するなんて、わかりませんから」

 それは賛同できる内容だった。頷こうとしかけたが、途中で止めた。頷けば、アーシェルの術中に嵌まることになる。

 レナリアは両手を腰に付けて、肩をすくめた。

「はっきり言ってしまうと、犯人探しをしている時間なんて、私たちにはないのよ? それよりも先に進む方法を考えないと。……それに村の中を歩き回るなんて……危ない」

「心配性ですね、レナリアさんは。小さな村で騒ぎを起こせば、すぐに気付かれますよ。――では、一日だけ犯人探しをしませんか?」

「一日って……」

「ずっと宿に引きこもっているのは疲れてしまいます。近隣の町村の情報収集も兼ねながら、探しましょう。それならいいですよね?」

 様々な情報を収集するのは、今後村や町を転々とする上で大切なことだ。同時に人の目に晒すことになるため、危険が伴うのも事実である。

 それをすべて承知の上で、アーシェルはレナリアのことを突き動かしてきたのだ。

 再び息を吐き出してから、レナリアは了承の意を込めて頷いた。アーシェルの顔がぱっと明るくなる。

 護衛する側にも気を使って欲しいと内心思いながら、レナリアは少女に引っ張られて、村の中を歩き出した。

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