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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第一章 流れゆく首都への旅
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1‐6 消えた流水音(1)

「おい、これ持てるか?」

 藍色の髪の幼い少女はそう言われると、両手を前に出した。すると無精髭を生やした茶髪の男性が、彼女の手に黒い袋を乗せた。やや重いが、しっかり持つことができた。

 男はその様子を見て目を丸くした後に、苦虫を潰したような顔をした。

「持てちまったのかよ。上の奴らが放っておいてくれないぜ」

「持てたら駄目なの?」

 男は逡巡してから、少女に袋の中にある物を取り出すように言った。少女は首を傾げながら袋に手を突っ込み、中にあるものを抜き取った。

 長方形の持ち手部分と、筒のような形状が組み合わさってできている物だ。その二つを繋いでいる一部には指をひっかけられそうな、取っ掛かりがあった。色は全体的に黒いが、光の反射具合によっては、群青色にも見えるだろう。

 少女はそれをじっくり見た後に、男の顔を見上げた。

「これって何?」

「己の身を守るためのものだ。相手に攻撃をするものじゃねぇぞ」

 男が真面目な顔をして力説しているが、少女は首を傾げるばかりだ。

 何が言いたいのか、よくわからなかった。だが、これは大切に扱おうと思った。

 記憶に残るような美しい色をしている、それがとても気に入ったから。



 * * *



 微睡みが薄れゆく中、体が小刻みに揺れていた。ぼんやりしていると、突き上げるような衝撃が全身を襲った。文字通り体が跳ねる。それによってレナリアは完全に覚醒した。

「あ、レナリアさん、やっと起きましたか。今まで起きなかったのが、不思議なくらいでしたよ」

 深い青色の瞳の少女がレナリアを覗いてくる。上半身を軽く動かすと、腰のあたりにかけられていた毛布がずり落ちた。まとめていた藍色の髪は、いつのまにか下ろされている。

 レナリアたちが今いるのは、近隣の村まで荷物を運ぶ幌馬車の車内だ。フイール村を夜に出発したが、幌の隙間から外を見ると、既に太陽はだいぶ高い位置に移動していた。

 幌の中は様々な荷物で埋め尽くされており、その隙間を縫うようにして、レナリアたちは乗車している。荷物と荷物の間に体を納めた少年が、本を閉じてレナリアを見た。

「おはよう、レナリア。といっても、もうお昼過ぎだけど」

「だいぶ寝ていたみたいね、私」

「この中に入って止血を終えた途端、死んだように眠り始めたからびっくりしたよ。今みたいな激しい衝撃が何度もあったけど、ぴくりとも起きなかったし……」

「気を使わせてごめん。集中しすぎた後は、だいたいこんな感じなの。もう大丈夫だから、安心して」

 右手で軽く左肩に触れる。キストンがしっかり包帯を巻いてくれたおかげで、血が流れるようなことはなかった。右肩を軽く回して、筋肉の凝りをほぐす。

「左肩の調子はどうですか?」

 帽子を脱いだアーシェルが、おずおずと聞いてくる。レナリアは表情を緩めた。

「しばらくは重い物は持てないけど、切られた部分はそこまで深くないの。皆が思っている以上に早く傷は塞がると思うから安心して」

「それならよかったです……。レナリアさんをここまで追いつめる人なんて、どういう人だったんですか?」

「凄く強い剣士だった。剣筋は辛うじて見えたけど……。できるなら二度と会いたくない」

 血を連想するような赤い瞳で微笑んでいる彼の顔が、軽く脳裏をよぎると、レナリアは軽く首を横に振って、顔をかき消した。

 キストンは本を床に置いて、進行方向に視線を向けた。

「御者の話によると、夕方には村に着くそうだよ。馬の足が雨でできた泥濘にとられた関係で、予定よりは遅い到着になるって」

「結構雨が降ったものね……。今日中に着くのなら充分でしょう」

 外では燦々と太陽がきらめいている。昨晩雨が降っていたのが、嘘のような天気だった。

 徐々に頭が冴えてきたところで、二人からレナリアが意識を失っている最中の出来事を聞くことにした。

 結論から言えば、何事もなく馬は走り続けているようだ。

 傷を負ったレナリアを見たキストンは気が気ではなかった一方、アーシェルは「雨が降っているから大丈夫」と言い切ったという。首を傾げて尋ねると、彼女はにっこり微笑んだ。

「雨が降って道が悪くなっている夜に、危険を冒してまで追ってくる人は少ないと思っただけですよ。同乗している護衛さんも腕利きの方ですので、余計に無茶な攻め方はしてこないと思いました」

 護衛の男性とは馬車に乗り入れる際に顔を合わせたが、意識もはっきりしていなかったため、あまり記憶に残っていない。今は御者の隣で周囲に対して目を光らせているようだ。

 キストンも彼が護衛なら、何の心配はないと言いきっていた。

 かつてキストンは彼と馬車を同乗した際、夜盗から襲われたことがあった。しかし彼は慌てることなく、夜盗であった五人の男をすべて蹴散らしたらしい。どうやら頼もしい人が護衛についているようだ。偶然とはいえ、とても有り難かった。

 レナリアは幌の中をぐるりと見渡した。

「でもまさか荷馬車で移動するとは思わなかった」

「人を運ぶ馬車よりも速く進むし、値段も安いから、たまにお願いして同乗させてもらうんだ」

 人を運ぶのであれば、速さを多少加減する必要が出てくる。しかし荷物のみなら多少荒くても、物が傷付かなければ問題ない。それを同意して乗るのだから、値段も安くなるのだろう。

「なるほどね。――移動に関してはキストンに任せる。何度も往復しているんだから、臨機応変に対応できるんでしょ?」

「全速力で戻ってこいって言われることはよくあるから、希望によっては通常の行程より短い時間で行くことも可能だよ。ただ今回はアーシェルさんのことも考慮して動く。そこまで無理はせずに、なるべく早く行こう」

「……私はどうでもいいんだ」

 レナリアがぼそりと言うと、キストンは真顔で言い切った。

「僕より体力がある人が、何を言っているんだ。自分のことをか弱いとでも思っているの?」

「思ってない」

 間髪おかずに、レナリアは言い切った。

 息を吐き出しながら、肩をすくめる。

 かつて女扱いをされたくなく、必死に師匠の指導に食いついていた。時に優しく、時に厳しく指導してくれる恩師のおかげで、すっかり逞しい少女に育ってしまったようだ。

 後悔をしたことはないが、こうも扱いが違うと、一瞬自分の性別を疑いたくなってしまった。

 手近にある小さな棚に右肘をつけ、そこに顔を乗せる。そしてぼんやりと幌の隙間から見える外を眺めた。

 しばらく満足に両手で剣を握れないだろうが、本来は片手剣であるブロードソードを右手で振るくらいならできるだろう。これで牽制すれば、逃げるための時間くらいは作れるはずだ。

 これから何日かかるかわからないが、武器を持っている身として、レナリアが二人を守る覚悟で、旅を進めるべきだろう。


 * * *


 キストンの言うとおり、夕方にはケリィ村に到着することができた。村の西から南にかけて川が流れており、川沿いを進むと、せせらぎが聞こえてくる村だ。

 首都寄りの町へ向かうための馬車の乗車券を購入し、軽く食事をとってから、三人は川の近くにある宿に入った。そしてキストンと出発時間を示し合わせ、廊下で寝る前の挨拶を告げて、彼とは別に女性陣で部屋の中に入った。

 部屋は狭いが、弾力のあるベッドが二つ並べられている。ふわふわとしたベッドで寝れば、かなり疲れがとれるだろう。

 そのベッドの上に、レナリアはフイール村で購入した布袋を広げた。

 非常食、地図、コンパス、マッチ、上着など、旅に必要な最低限の物が揃っている。無駄のない物の選び方を見ると、あの男は以前にも似たような注文を請け負ったことがあるのではないかと思った。

 なるべく野宿は避けたい。夜は夜行性の動物が牙をふるうかもしれないし、夜盗が襲ってくる場合もある。さらにアーシェルの体力も考慮すると、野宿を避けるという結論がでるのが必然的だった。

「レナリアさん、シャワーでも浴びに行きますか?」

 宿の中にはシャワー室が入っている。宿泊客には無料で提供されていた。

 レナリアは荷物をしまいながら頷く。

「そうね、行こうか。ずぶ濡れの後、シャワー浴びていないから、気持ち悪いし」

 片付け終えると、レナリアは入り口近くで待機している銀髪の少女に向かって振り返った。

「ねえ、アーシェル、一つだけ聞いていい?」

「いいですよ」

「首都に行けば貴女を保護してくれる人がいる、そう認識していいのよね?」

 アーシェルは目を丸くした後に、軽く首を振った。

「はい、そうですけど……」

「じゃあこのまま道中町や村に寄りながら、首都に向かうよ。首都に入ってからのことはまたあとで考えよう」

「ありがとうございます。……レナリアさん、どういう人が首都にいるかって、聞かないんですね」

 レナリアは髪を軽くかきながら、毅然とした顔をしている少女を見た。

 いつも微笑んでいるが、彼女は時としてこういう顔つきをする。自分の心は決して揺るがない、と無言のうちで訴えている表情であった。

 彼女の顔を見て、レナリアはふっと表情を緩めて、視線を逸らした。

「そういう返し方をされると余計に聞きづらいよ。話したい時に話して、その方がいいでしょう。さあ、シャワー浴びて、早く寝よう」

 部屋のノブに手を触れると、背後からアーシェルがぽつりと呟いた。

「レナリアさんって、過去に何かあったんですか? その……気遣い方が、今まで会った人とは違ったので……」

 背を向けたまま、ノブをぎゅっと握りしめた。

「アーシェルの言うとおり、私も昔色々と経験してね、その後それに関してたくさん探られたの。そこでいい思いをしなかったから、私は他人のことを探るのはやめようって思っただけよ」

 かなり簡略化して言ったが、彼女はそれ以上問い返してこなかった。

 二人で宿の端まで移動して、それぞれ小さなシャワー室に入る。人が一人だけ入れるそこには、上部にある穴から水が出てくるようになっていた。蛇口を軽くひねると、水がでてくる。川の傍で水車が回っていた。おそらくあれを使って、宿に水を引いているのだろう。

 服を脱ぐと、レナリアはゆっくりシャワーにあたった。

 ふと、なぜ昨晩、唐突に雨が降ったのか疑問に思った。夕方近くまで、空には雲がほとんどなかった。空模様を見ていても雨が降る気配などなかった。

 それなのになぜ雨が降ったのか――。

 偶然とはいえ、助かってよかったが、どこか腑に落ちなかった。

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