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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第一章 流れゆく首都への旅

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1‐5 雨の日の旅立ち(5)

 勢いよく店から飛び出ると、周囲はすっかり暗くなっていた。家々から漏れる光、そして道の所々に光っている街灯だけが、道を弱々しく照らし出している。
 レナリアは息があがった状態で、店の玄関口を見据えた。あの青年はまだ出てこない。すぐさま来るかと思っていたため、やや拍子抜けをしていた。
 息を整えながら睨みつけていると、やがてドアが開かれ、そこから金色の線を伸びてきた。
 目と鼻の先に風が吹く。レナリアは腰に差していた剣を鞘ごと抜き、斜めに持ちながら、正面に突き出した。
 瞬間、青年の足の裏が鞘に当たった。衝撃を受けたレナリアは剣を持った状態で弾かれ、尻餅をつく。
 周囲を歩いていた数名の人々が、遠巻きに息を呑んでいた。
 鞘に入った剣を杖代わりにして立ち上がると、青年が歩いてくるのが見えた。
「反応がいいな。どこで鍛えた」
「どこだって、いいでしょう……。防ぐので精一杯の私なんか、簡単に倒せるんだから」
「それもそうだな」
 青年から発せられる気配が、殺気に変わる。彼は腰から下げていた剣をゆっくり引き抜く。
 背筋がぞわりとすると、レナリアも反射的に抜刀した。
 青年が数歩で間合いを詰め、切りかかる。レナリアは両手で剣を握って、攻撃を弾き飛ばした。
 重い。手が痺れる。
 連続で攻めてくるのを見て、舌打ちをしつつも、すべて合わせて弾き返した。
 青年の口元に笑みが浮かぶ。あちらは楽しんでいるが、こちらは楽しむ余裕などない。
 途中で攻撃を大きく弾くと、その隙に後方に下がった。
「いい構えだ。誰に教えてもらった……と言っても、答えてくれないだろう」
「当然」
「ますます気に入った。――女、俺たちの仲間にならないか?」
「は?」
 青年が左手のひらを上に向けて、軽く手前に拱く。
「その剣技や反射力など、我が組織でおおいに役立てることができるぞ」
 レナリアは眉をひそめた状態で、彼の言葉の続きを聞いていた。
「お前はアーシェル・タレスが何者なのか、知らないのだろう。あの女はこの国を救うべく必要な人間だ。それを最大限に生かすには、我が組織で保護するのがもっともいい」
「保護する上で、彼女の同意は入っているの?」
「後からわからせればいい」
 それを聞いたレナリアは長い嘆息を吐いた。
「……私は貴方のやり方には同意しかねる。だから仲間にはならない」
 青年は緩めていた口元を閉じ、剣をゆっくり持ち上げた。
「そうか残念だ。お前を殺すのは惜しい。力付くで押さえ込むとしよう」
 青年は両手で剣を持ち、レナリアより遙かに大きな歩幅で詰め寄ってきた。
 勢いよく振り落とされる剣に対し、レナリアも剣で対抗する。しかし剣を弾き飛ばすことはできず、そのまま鍔迫り合いの状態になった。
 手が、剣が震える。力がまったくかなわない。
 青年の力に勝つことはできず、徐々に押され、レナリアの剣が自分の左肩に食い込んだ
「痛っ……!」
 肩袖が少しずつ赤く染められていく。青年が耳の傍でささやいた。
「仲間になると言うのなら、この程度で許してやろう。強い女は好きだ。それにお前がいれば、アーシェル・タレスもこっちに来やすいだろうからな」
(てい)のいい人質ならお断りよ!」
 突っぱねると、青年はさらに踏み込んできた。剣がレナリアの肩を深くむしばんでくる。
 このままでは剣を持ち続けることすらできない。剣を落としたところで、青年に簡単に捕まえられてしまう。
 もはや背に腹は代えられない。
 なんとかして少しでも距離をつけよう。そうすれば相手の動きを封じる策に手を付けられる――そう思っていると、鼻先に雫が落ちた。
 その雫はだんだんと量が多くなり、やがて雨は本降りとなった。
 青年の意識が雨に逸れ、手元が疎かになったのを見逃さず、レナリアは剣を弾いて下がる。そして剣を地面に突き刺し、ウェストポーチから小振りながらも重量感のある黒い物体を取り出した。それを右手でしっかり持ち、青年に向かって突き出した。
 レナリアが握っている物を見た彼の目が大きく見開く。
「お前――!」
 黒い物体の全体が薄く青付いたところで、レナリアはぼそりと言った。

「――発動、水の華」

 引き金を引くと、激しい爆発音と共にあるものが発射された。それは青年の足下に直撃するなり、そこを中心として白い氷の結晶が広がった。結晶は男の足を包み、広がり終えると、途端に凍り付いた。
 青年は剣で氷を砕こうと、剣先を氷に突き刺した。だが勢いよく跳ね返される。剣で砕くには固すぎたのだ。
 息が上がっているレナリアは、覚束ない手で黒い物体をしまい込む。男が必死に氷を砕こうと試みているのを一瞥してから、店へ足を向けた。
「待て!」
 歩みを止めることなく、レナリアは右手で赤く染まった左肩を押さえて進んでいく。
「そうだな、待つはずがないよな。――俺の名はカーン。お前の名は?」
 探りを入れるような声ではなく、問いかけを意識した声音だった。レナリアはちらりと背後に視線を送る。
「レナリア。もう追ってこないでいただけると、有り難い、カーン」
「それは難儀な頼みだな」
「そうね、貴方の意志ではなく、上の意志で動いているのでしょうから、反旗を翻すのは難しいでしょうね。……私たちはここから離れる。この村の住民は何も知らない。だからこの地の人に、手を出さないで」
 せめてもと思い、声は大きく、口調は鋭くして言った。カーンは口を閉じたまま頷いたように見えた。
 雨に打たれながら彼に背後を見られた状態で、レナリアは店の中に入った。入ると店の男が入口のすぐ傍にいた。窓から二人の攻防を見ていたらしい。彼はレナリアの左肩を見て、大きく見開いていた。
「嬢ちゃん、その傷……!」
「旅の荷物の準備はできましたか?」
「あの荷物だ。小さいのが二つあるだろう」
 机の上に乗っている布袋を確認してから、硬貨をその横に置いた。そして袋を右肩で担ぎ上げる。
 すると男が袋を開けて、中に何かを入れ込んだ。
「血止めと包帯だ。これは餞別だ。嬢ちゃんなら自分で処置できるんだろう?」
「ありがとうございます。すみません、持ち合わせがあまりなくて。足りなかったら――」
「別にいい。嬢ちゃんがあのタイミングで来なかったら、俺は半殺しになっていたかもしれないからな」
「しかし、私たちがここに訪れたことで、こういう状況になったのは否定できません……」
 口ごもると、男は腕を組んだ。
「何かあると察していて、すべては覚悟の上で引き受けた。だから気にするな。落ち着いたら買いにきてくれれば、それでいい」
 レナリアは出しかけた言葉を飲み込んで、深々と頭を下げた。そして男に手渡されたタオルで左肩を押さえ、上から丈の長い上着を被せられてから、裏口に向かった。


 雨が降りゆく中での移動は辛い。
 しかももう夜である。昨日は満月に近かったが、今日のこの天気では月の光は期待できそうになかった。
 息が上がる。雨が体温を奪っていく。手もかじかみ、前に進むのが苦しくなってきた。
(何をやっているんだろう、私……)
 素性も知らぬ少女のために体を張り、逃避行の手伝いをする。凄腕の剣士を何とかやり過ごしたが、動きを封じた際にした行為は、体に反動がくるものだった。
 ふとアーシェルの微笑んでいる顔が脳裏を横切る。
 あの優しさに惹かれたから、手を差し伸べたといっても過言ではない。
 彼女の無垢な表情が、レナリアにとって大切な人と似ていたから、助けようとしたと言ってもいいだろう。
 裏にある馬車乗り場まで、あと少し。だがその距離が遠かった。
 意識が薄れていく中、レナリアの空色の瞳に帽子を被った少女がぼんやり映った。彼女の横にはフードを被った眼鏡をかけた少年がいる。幻だろうかと思っていると、一声かけられた。
「レナリアさん!」
 彼女の声を聞いて、レナリアは耳を疑った。気が抜け、その場に崩れ落ちそうになると、アーシェルに体を支えられた。
「左肩の傷、どうしたんですか!」
 キストンに右肩の荷物を二つ取り上げられる。アーシェルが右側につき、彼女に支えられながら、レナリアはゆっくり歩き始めた。
「ちょっと交戦しただけ……。相手の動きは封じたから、しばらく追ってこない」
「本当にちょっとなのですか!? 今にも倒れそうじゃないですか!」
 それを聞いたレナリアは、口元に小さな笑みを浮かべた。
「ありがとう、心配してくれて」
 それを聞いたアーシェルは息を呑んでいた。そんな彼女の負担を少しでも和らげるために、アーシェルの手から離れて、自力で道を歩き始めた。
「この疲れは休めばとれるから、大丈夫。……それより、二人してどうして来たの。先に行ってと言ったよね?」
 少しきつい口調で言うが、アーシェルはきりっとした表情で言い返した。
「遅いので迎えにきました。馬車は待たせてあります」
「だから先に――」

「一緒に行こうって言ったのは、レナリアさんですよね?」

 有無を言わせない、はっきりとした口調だった。
 目を丸くして、彼女を見返す。胸を張って、アーシェルは堂々と立っていた。そしてレナリアの右腕を軽くとった。
「それに旅は道連れですよね? さあ、行きましょう。ウォールト国の首都、ハーベルク都市へ」
 少女は先行して、馬車乗り場へ続く道を歩き始める。
 ふと雨足が少し和らいだ気がした。出足から雨に振られるなど、さんざんな旅の始まりかと思っていた。だが、思ったよりも酷い雨にはならずに、このまま止むかもしれない。


 * * *


「あらら、間抜けな有様ね」
 雨に打たれながら、呆然と立たざるを得なかった薄金色の髪の青年は、声がした方に赤い瞳を向ける。深紅の髪が腰まで伸びている豊満な胸の女性が、口に手を当てながら近づいてきた。
「その様子だとアーシェル・タレスは奪取できなかったようね」
「……見ればわかるだろう」
「そんな氷、自慢の剣で砕けばいいのに」
「砕けていれば、こんな状態でいるわけがない」
「それもそうね」
 女性は青年の正面に屈み、彼の足の動きを止めている氷の固まりに手を添えた。すると眉を軽く跳ね上げた。
「これ、魔術でできた氷じゃない。いったい誰にやられたの?」
「……アーシェル・タレスと共に行動している女だ。剣の腕が立つ女だが、まさか魔術まで使うとは」
「でもたいした魔術じゃないわよ。今回はたまたま雨が降ったから、威力が増しただけ。その女、おそらく攪乱くらいしか魔術は使わないでしょうね」
 女性は指先を氷に当てると、静かに呟いた。
「散れ――」
 すると氷は粉々になり、地面に触れると溶けてなくなった。
 青年は足を動かして、支障がないのを確認する。女は髪をかきあげながら、溜息を吐いた。
「攻撃をまともに受けるなんて、貴方らしくないわね。そんなにいい女だったの? 胸でも大きかったの?」
「どうして胸の話になる」
「私のこと見て顔色一つ変えなかったの、根に持っているのよ。まあいいわ。今から追えば追いつくでしょ。私が血祭りにしてあげるわ」
 女が青年に背を向けて歩きだそうとする。それを見た青年は鞘から剣を少し抜いた。鞘から抜かれる僅かな音を聞き取った女は、胡乱げな目を向ける。
「何のつもり?」
「無理して追わなくてもいいだろう。どうせ首都に向かうんだ。近づいた時点でアーシェル・タレスを奪えば、移動の手間が省ける」
「そうね。でも首都に近づけば近づくほど、彼女を守ろうとする輩が増えてくる可能性があるわ。今なら眼鏡の男と手負いの女でしょう。楽に奪える」
「それと大事なことを忘れている。今は雨だ」
 女ははっとした表情になり、視線を空に向けた。雨足が再び強くなっている。
「こんな天気に追うのは自殺行為に近い。定点報告を受けながらタイミングを見て、アーシェル・タレスを奪おう」
 女はまだ言いたそうな顔をしていたが、やがて肩の力を抜いて、男の元に寄ってきた。そして真横でささやかれる。
「こちらの動きを妨害しようとする者は、女であれ、私は容赦なく潰すわ。潰して欲しくないなら、うまく立ち回りなさい」
 女は両手を組み、頭の上でそれを伸ばしながら進み出す。
「ああ、疲れたわ。術自体は単純でたいしたことないのに、本当に固かった。まるでその女の覚悟みたいなのを感じたわ。怖いわね、女って」
「……お前もな」
 雨に消えゆく中、青年は呟く。そして彼はフイール村の中心にある教会を一瞥してから、その場を去っていった。
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