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水環の査察官 作者:桐谷瑞香

第一章 流れゆく首都への旅

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1‐10 消えた流水音(5)

「水環の査察官様」
 女が抑揚のない声で話しかけてくる。
「何でしょうか」
「お一人なのですか?」
「はい。帰省から戻りなので、一人です」
「つまりはここに来ていることも、他の査察官は知らないのですね?」
 女がくるりと振り返ってくる。同時に後ろから脇に腕を入れられて、両腕を男に押さえられた。男の足を引っかけて転ばせようと試みたが、先に足を床から離される。足をばたつかせていると、女性の手が伸びてきて左頬に触れられた。
「こんなに可愛らしい女の子が一人で乗り込むとは、いい度胸ね。少しは遠慮したらよかったのではないの?」
 鋭い爪で頬を引っかかれる。そして顎をくいっと持たれて、視線をあわせられた。
「帰省中の査察官がいつまでたっても戻ってこない。おそらく水車を熱心に見ていた査察官が川にでも落下したとでも、上は思うでしょうね」
 女は拳を握りしめ、レナリアの腹部に勢いよく入れ込んだ。
「かはっ……!」
 防御する体勢もとれず、まともに拳が入ってしまった。レナリアの全身の力が抜けていく。抵抗することなく、男に床に俯せにさせられる。そして女に液体の入った小瓶を口に付けられた。
「さようなら、可愛い査察官。永遠の眠りにつきなさい」
 小瓶の液体が喉の中に入っていく。意識が徐々に遠のきそうになったところで――レナリアは歯で舌を噛んだ。
 女に向かって頭突きし、転ばせる。驚いた男が腕に触れようとしてきたので、それを避けるかのように手を激しく振り、すぐさま立ち上がって数歩下がった。
 目を見開いている村長が、彼らの後ろにいた。
 レナリアは右手で左肩に触れ、口からにじみ出た血を舌でなめる。村長に向かって真っ直ぐ言いつけた。
「不正云々は置いて、これでもう実刑は免れなくなりましたね」
「そ、その女を取り押さえて、口封じしろ!」
 命令された男が拳をかざして迫ってくる。レナリアは勢いよく放たれた拳を寸前で顔をずらしてかわす。懐に入り、男の腕をつかんで足払いをし、床に叩きつけた。後頭部にうまく叩くことができ、意識を失わすことができた。
 よろよろと立ち上がると、短剣を持った女がレナリアめがけて駆け寄ってきた。軽々かわし、突き出された右腕を掴み、膝で手首を下から叩く。短剣は手からこぼれ落ち、女の目が白黒しているところで、腹に深く拳を入れ込んだ。
「意識を失わせたいのなら、これくらい強くしてくださいね」
 女は為す術もなく、崩れ落ちた。
 レナリアは女をまたいで一歩一歩村長に近づいた。村長は壁に背中をつけると、大声で叫ぶ。
「おい、この女を捕まえろ! 殺しても構わん!」
「あらあら、本性が出たことで。査察官が来る前に、豚箱に放り込むのが先になりそうですね」
「その前に、お前が死ぬんだ! おい、早く来い、護衛!」
 必死に叫んでいると、階段から足をならして、一人の人間が降りてきた。レナリアは視線をそちらに向けて構える。だが現れた人物を見て、拳を下ろした。
「護衛なら来ませんよ、村長さん」
「なんだと!?」
 村長が階段に視線を向けると、そこに現れた人物を見て、目を大きく見開いていた。眼鏡をかけた少年が、先端で電撃を発している小さな四角い箱を手にして降りてきたのだ。
「僕と知り合いの手によって、大人しくしてもらいました。実力行使でくるとは……。あの水車の脇にあった家の跡地を見て薄々察していましたが、本当だったのですね」
「誰だ、貴様は!」
「誰だっていいでしょう。女性を一人殺そうとした人間に、言いたくありません。――自警団の皆さん、彼らの行動を見ていましたよね。もはや言い逃れられない状況です。どうぞ捕まえてください」
 そう言うと、階段から体格のいい自警団員たちが降りてきた。抵抗する暇もなく、あっという間に村長は取り押さえられ、床で意識を失っている男女も縛り上げられた。
 レナリアはその場に座り込み、息を吐き出す。すると目の前にタオルが差し出されてきた。顔を上げると、キストンがタオルを手にしている。彼の手にあった物騒なものは、既にしまわれていた。
「口に血がついている。アーシェルさんがびっくりするから、早めに拭いて」
「ありがとう」
 タオルで口回りを綺麗に拭き取った。口の中ではまだ血の味がするが、我慢するしかなさそうだ。
「知っていたけど、本当に無茶するんだね」
「腹に一発加えてもらえば、言い逃れできないでしょう。言いくるめきれなかった私の落ち度でもあるから、最後は体を張るしかないの」
「査察官って、本当にきつい仕事なんだね。――どうしてその職についたの?」
 キストンの手を借りて、レナリアは立ち上がる。そしてゆっくり階段を上り始めた。
「私の人生を救ってくれたのが、査察官だったの。その人のように生きたいと思ったから、査察官になったのよ。相当しごかれたから、これくらい全然へっちゃらよ」
「その人がレナリアの師匠?」
 頷くと、キストンは口元に笑みを浮かべた。
「僕と同じだ。ひょんなことで助けてくれた人が整備士だった。厳しい世界だけど、その人と同じ視点で物事を見たいと思って、志願したんだ。この道を選んだのが果たしてよかったのかはわからないけど、今はとにかく頑張ろうと思う」
「私もよ」
 階段を上りきると、廊下の端で両手を握りしめていた銀髪の少女が、レナリアに気づくなり駆け寄ってきた。そして全身をくまなく見て、体の心配をしてきた。
「一人でこんな無茶するなんて、何しているんですか! 一歩間違えれば、死んでいたかもしれないんですよ!?」
「これくらいいつもやるから、心配しないで。尻尾を掴むには、ある程度の度胸と演技も必要なのよ」
 レナリアは少しでも気分を和らげさせるために、アーシェルの頭を軽く撫でる。彼女はまだ納得できない表情だったが、そんな彼女の背中を押しながら、三人は入り口に向かって歩き始めた。


 レナリアは治療を受けた後、ケリィ村の自警団に聴取をとられることになった。体調は万全ではなく、あまり気が進まなかったが、キストンとアーシェルの同席許可が下りたため、渋々承諾した。
 村長派が自警団内にいたら面倒だと思い警戒していたのだが、それは杞憂だったと気づく。
 手荒い扱いもされず、むしろ村長の悪巧みをより追求しようと躍起になっていた。そのため答えられることには答えていると、彼らは熱心にメモを取っていた。首都から水環の査察官を寄越さずとも、この村の中ですべてが完結するかもしれない。しかし見過ごせなかったのは事実だ。上にはきっちり報告するつもりである。
 今の村長の容疑は、殺人未遂に加担したことだ。まだ水車に関しては何も容疑をかけられていない。レナリアが持っている物的証拠は、督促状と書かれた紙切れのみ。このどうとでもとれる紙では容疑をかけられない。さらに確実な証拠を少しでも増やすために、捜索をするよう頼む以外は、レナリアは自分から助言はしなかった。
 キストンの聴取も同じ部屋で行われ、すべてが終わる頃には辺りは暗くなっていた。帰りがけに立ち寄った食堂で食事をとると、ようやく宿に戻った。村長が捕まった後、水車の杭は返され、急いで普及させたのか、食堂では問題なく水が使われていた。
 馬車の荷台も直されたと耳に入っている。これで明日にでも移動が再開できそうだ。
 キストンと部屋の前で別れ、レナリアは部屋に入ってベッドを目にするなり、そこに突っ伏した。
「レナリアさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。聴取がくどすぎて、疲れただけだから。アーシェル、先にシャワー浴びてきていいよ。明日の移動に備えて、今日は早めに寝よう」
「そうですね……。ではお言葉に甘えて」
 素直に従ったアーシェルはささっと支度をして、シャワー室に向かった。その後ろ姿をレナリアはぼんやり眺める。彼女の背中が見えなくなると再度ベッドに横になり、息を吐き出した。顔の前に持ってきた手は微かに震えていた。
 この村のために査察官としてやることはやったと思う。ただあのように騙すような手でやりたくなかった、というのが本音だった。
 特に今回は村長相手だ。彼が捕まれば、村全体に必ず負の影響を及ぼす。統率者がいなくなり、暴走した村を見たことがあるレナリアにとって今日の行動は、本当はとりたくなかった。
 物思いにふけっていると、部屋のドアが軽くノックされた。ベッドから起きあがり、ドアの前に寄ると、小さく声をかけた。
「どなた?」
「僕だよ、キストンだよ」
 キストンの声を聞いてほっとしたレナリアは、ゆっくりドアを開いた。彼はこちらの顔を見るなり、はっとした表情をしていた。
「レナリア……?」
「どうしたの? 明日は早いのに」
 キストンはあたふたとしながら、手に持っていた茶封筒を差し出した。
「これ、自警団の詰め所で受け取った、本省に渡す書類。渡し忘れていたから……」
「わざわざありがとう。すっかり忘れていた。これで夜のうちに確認できる」
「そうか……仕事熱心だね」
「無償で水車の原因を突き止めた君に言われたくないよ」
 一歩下がり、就寝前の言葉をかけようとすると、キストンが視線を逸らして、ハンカチを突きだしてきた。
「これは?」
「目の回り見てみなよ。酷い顔しているぞ」
 レナリアは封筒を抱えながら、軽く目の回りに手を添える。ほんのりとだが水滴が付いていた。
「……ごめん」
 焦げ茶色の髪の少年が俯いてぽつりと呟いた。
「どうして謝るの?」
「僕がレナリアを村長の前に立たしたものだから……」
「すべて自分の意志よ。自分で名乗って、自分で役回りを提案した。こういう展開になるのも、最悪の結果になる可能性も含めて、全部覚悟していた」
 なるべく抑揚を与えずに、少年に諭す。
「大物相手に査察結果を突きつけた後は、だいたい緊張から解放されて、こんな感じになるの。だから気にしないで」
「そう……なんだ……」
「情けないって思う? ごめんね、私もまだまだ学ぶべきことが多い人だから」
「情けないなんて……。僕だったら緊張で声なんか出せないよ」
 キストンはゆっくり首を横に振って、ドアから離れた。ドアが彼の手によってゆっくり閉められていく。そして閉まる前に軽く手を振られた。
「今日はありがとう。また明日からよろしく」
「こちらこそ。おやすみ、キストン」
 挨拶をした後に、ドアは静かに閉じられた。鍵を閉めたレナリアは茶封筒を持って、ベッドに腰掛ける。そしてベッドの上に茶封筒を投げ置いて、首からかけている楕円形のペンダントを取り出した。
「そう、すべて覚悟したこと。これを手にしたときから、すべて……」

『査察官の中でも水環すいかんは危険な地にいく可能性が高い、五本の指にはいるぞ。それでもなるのか?』

 レナリアの師匠の言葉が反芻する。ペンダントを両手で握りしめた。
 水は生物にとってなくてはならないもの。それに関する争いは命を懸けているものも少なくない。
 今回は主に金であるが、辿っていけば命の水に通じるものだ。だからこそ村民たちは一致団結して争いをしかけようとし、村長はそれに対して暴力でねじ伏せようとしたのである。
 どちらも必死なのだ。
 その間に入っていく査察官が、どれほど危険なのかは、承知しているつもりだった。二つの団体の溝が深ければ深いほど、均衡を取っ払った際の影響も凄まじいものであると知っていた。
 目を反らしたくなるが、水を正しく供給するために、それでも査察官は前に出ねばならない。
 この村がどういう道を辿るかはわからないが、今のレナリアの仕事はこの書類を持って首都に戻ることだ。
 顔を拭い、気分を持ち直したところで、茶封筒に入った書類を取り出した。
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