第29話『はやく『こちら側』へいらっしゃいと彼女は言った』
思わず川野コウは身構える。
(襲われる)
そう考えたからだった。しかし、それは身体を害するという意味での『襲う』ではない。ならば、あえて拒む理由もないだろうに。
(いや……でも)
今の彼にとっては。このS・パーティという本来、自分の好みに100%直撃するような謎めいた少女が。
「怖がらなくてもいいのに」
「……警戒しているだけだよ」
「ふ~ん、まあいいけど。
で、この電気だけど。夜もふんだんに使えるようになったのは、結構最近の話よね? ここ百年にも満たない年月だわ」
「それはそうだろう。昔は電気の来ていない家だってあったし、電気代も高かったろうし……」
「まず、その前提は核融合発電の実用化が解決したわ」
そのアクションをトリガーとして、もともと登録していたのだろうか。パーティがぱちんと指を鳴らすと、部屋の電気が再び点灯した。
「少なくとも市民レベルでは無尽蔵に使えるほどの安い電力。
それに加えて、核融合発電実用化以前に十分すぎるほど効率化された電気・電子機器の存在。
前世紀と違って、現代の機器は使いっぱなしでも勝手にサスペンドもしてくれるし、省電力モードにも入ってくれる。故障検知までしっかりしてくれるわね」
「確かにその点は、進歩しているかもしれないけれど」
「コウ、人間が生きていくのに必要なのは何だと思う?」
「そりゃあ……食べ物と空気と……」
「うん、そこまででいいわ。
まず空気。これは問題ないわね。水。これも電気が無尽蔵に使えると、劇的に状況が変わるわ。海水も淡水になるもの。
そして、食料は土地と水さえあれば、作ることができる……たとえ、サハラ砂漠の真ん中だったとしても」
「………………」
「コウ、あなたは抜群ではないにしても、それなりに頭のいいヒトよ。
私が次に何を言いたいか、分かるんじゃない?」
「つまり……君は」
川野コウは既にS・パーティが求める答えにたどり着いていた。
(……怖いな)
その上で、回答を口にする前に目の前の少女が恐ろしいと思ってしまう。
(彼女は……これから世界が)
人類の世界そのものが、かつて経験したことのない時代へと突入するのだと。
そう言おうとしているのである。
「……電気もたっぷりある。食べ物も足りなくなることはない。これは人間が生存するために必要な要件が、ほぼ完全に満たされるということだ」
「そうよ。無尽蔵の電力があれば、水が作れる。食料が作れる。そして娯楽も有り余るほど提供することができる。
コウ、今、あなたが気づいたみたいに。世界の誰もが遠くないうちに気づくのよ。
もう私たちヒトは、一生懸命働く必要なんてないんだって」
「……本当にそんな時代が来るっていうのか」
「今、もう実現しつつあるじゃない。
特にあなたの日本よ。
簡単なパートタイムだけでも、飢えず、病まず、虐げられず。とても消化しきれないほどの娯楽の海におぼれて、人生を全うできるようになって、何十年経っているのかしら?」
「………………」
「しかも、そんな幸せが特定の特権階層だけでなく、ほぼ全階層で実現されている。
人類で最初に日本という国家が達成したことなのよ。
もっと胸を張って、世界に叫ぶべきだと思うけれど」
「日本人はそういう自分からのアピールは得意じゃなくてね……」
それでも確かに━━と川野コウは考える。
(日本はいい加減に働いていても、それなりの生活が出来る国なんだろうな)
犯罪が少ない。危険な食料が少ない。衛生的で健康保険も完備されている。
そんな国自体が、世界の中では圧倒的少数派であることは、海外渡航経験の少ない彼でも知っている。
「だけど、ただ安穏と暮らしているだけじゃ未来がないよ。
現に出生率は低いし、人口はじわじわ減っている」
「そうね、日本はそうね。けれど、他の先進国も移民を受け入れているからこそ、人口を維持できているのであって、日本のような道を選んだら同じだったはずよ」
「……戦争の話から、出生率の話か。
君は結局、何が言いたいんだ」
「ちゃんとつながっているじゃない。
人工知能は素晴らしい。人工知能はヒトを超えた。
そして、ヒトがこれまでのように必死で働かなくても豊かな暮らしが送れる時代が、遂に到来しようとしている。そのための条件もそろっている。
出生率なんて、高い生活水準と十分な余暇があれば、簡単に回復する話よ」
「なるほど、確かにつながっているね」
「つまり、これが『AI-HI主義』がもたらす世界なのよ」
「……その実現するかどうかも分からない思想を売り込む、いや、押しつけるために君たちは戦争をしている、と。
狂っている」
「私たちがもし狂っているのだとしたら、あなた達は腐っているわ。
共産主義は破綻した。資本主義ですらその限界が見えて久しいわ。
それなのに、新しい政治思想を模索しないだなんて……進歩を諦めた、腐りきった考え方よ?」
「そうだとしても……戦争でそれを押しつけるなんて、絶対におかしい」
「古くさい頭ねえ」
S・パーティは純粋な呆れの表情でそう言った。
(何を)
川野コウは怒った。カチンと来た。それは論理的なものではない。もっと原始的で、恐らく彼女があざ笑うであろう、個人的なプライドとか倫理観とか、そういったものを刺激されたことで生まれた怒りだった。
「まあ、でも今の世界ではあなたのようなヒトがまだまだ多数派よ」
「……これからもだ。君たちは僕からみれば、カルトだ」
「イエス・キリストも、ムハンマドも、ブッダも、コーシも最初は異端だったのよ」
「君のあがめる人工知能の……『ハイ・ハヴ』は新しい神だとでも言うのか」
「そんなところね。
だから、私は『ハイ・ハヴ』の使徒。忠実なるしもべにして、『AI-HI主義』を世界へと広めようとする、伝道者よ」
「だったら、僕は君たちを弾圧する側に回ってやる。
そんな偏った考え方を認めるわけにはいかない。僕なんかに出来ることは少ないだろうけど、絶対に阻止してみせる」
「今はそれでもいいわ、ネロ皇帝の精神的コスプレイヤーさん。
……すぐに世界のローマ帝国が私たちを国教として認めることになるから」
何の力もなく。
見識もなく。権力もなく。だが、それでも『ハイ・ハヴ』の使徒たるS・パーティに向かって、決然と宣言するコウに、彼女は満足そうな微笑みを見せた。
「1週間以内に帰国便の手配ができると思うわ。
この部屋はしばらく確保しているから、好きに使ってちょうだい。それと、日本に戻ったらこれを適当なモニタにつなげて」
「……このメモリーは?」
パーティから手渡された手のひら大のそれを、コウはよくあるメモリースティックだと考えた。だが、彼女は首を振る。
「メモリーじゃなくてコンピューターよ。
昔流行ったの。知らないかしら? スティックPCっていうんだけど」
「……こんなに小さいと、かえって扱いにくそうだけど」
「そうよ、それが廃れた理由。
人間の手足にはもう少し大きくて、入出力をつなげやすい方が向いていたのよ。スミソニアンで話したヒューマンインターフェイスの限界を超えてしまったデバイスね」
「……君は? このα連合国は? 世界はこれからどうなるんだ?」
「今、この世界には2種類の人間がいるわ。
人工知能に従う者と抗う者」
「………………っ」
身に纏っていたシーツを投げ捨てると、挑発するように背中をあらわにしながら、パーティは服を着始めた。
そして、ドレスのフリルをふわりと揺らし、スカートの裾をつまんで別れの一礼をしてみせると、最後にこう言った。
「早く『こちら側』へいらっしゃい。その時はようこそと言ってあげる」
「………………」
その言葉は恐らく真意だった。少なくとも悪意は見受けられなかった。
(でも━━)
川野コウに出来たのは。
少し強情だな、と。ややかっこわるいな、と。理性的ではないな、と。
そう思いながらも、彼には顔をしかめてその言葉を口にすることしかできなかった。
「お断りだ」