後日譚。黄金の娘、駄々をこねる。参
クロイツの領主であるクラインミフェル伯爵が、隣国でありながら交流のなかったヴァスィリオの使節団を、最初にもてなすラーバンド国の代表となった。
クロイツの中心部にある領主の館に迎え入れた際は、『黄金の王』という字で呼ばれる国主は、紗を被り、麗しいと噂の尊顔を拝することはかなわなかった。
ラーバンド国宰相たるエルディシュテット公爵家の三男、案内役を務める青年の打診により、歓迎の宴の席は、使節団の人員より二人分増やされることになった。
いまや知らない者のいない英雄『白金の勇者』は、『黄金の王』の知己であるという。以後は彼も、国主の案内役を務めるという。
そして『白金の勇者』が伴う麗人といえば、名高い『妖精姫』に違いなかった。
宴の席に姿をみせた『黄金の王』と『妖精姫』を見た伯爵は、思わず息を呑んだ。
黄金と灰色の眸以外は瓜二つの姿に、二人の関係性は説明される必要もなかった。
美しい若き女王と妹姫の同じ形の艶やかな黒い角には、よく似たつくりの数多の宝石が輝く異国の繊細な金銀の細工が掛けられていた。
ラーバンド国とは全く異なる服飾だが、精緻な造りの帯も、滑らかな光沢を持つ衣装も、貴人に相応しいものだとわかる上品さを兼ね備えている。
「"***、********"」
黄金の眸の王の言葉を、傍らの麗人たる灰色の眸の姫が通訳する。
「王は、この度の歓迎に、感謝の意を伝えております」
にこりと優しげに微笑むその姿は、歳を経た伯爵すら魅了する、美しさだけではない魅力を兼ね備えている。
元々他種族に友好的な伯爵だが、彼は思った。
『魔王』という言葉に、おどろおどろしさや恐ろしさを感じている多くの貴族や人民も、この『妖精姫』を前にすれば、その意識は一新させるだろうと。
『黄金の王』も負けず劣らず美しいのだが、何処までも柔らかな雰囲気を持つ妹姫の美しさは、それとはまた別のものだった。
クロイツの治安維持部隊である憲兵たちも、宴の席の護衛として出向いていたが、思わず職務を忘れて見入ってしまっているようだが、それも無理はないほどだった。
このヴァスィリオの歓迎の宴の為、休日を返上してまで任に就くことを、自主的に志願した者も多くいると報告を受けていた。兵たちの熱心な仕事ぶりを思えば、つい目を奪われてしまったことを職務怠慢と叱責するには至らないだろう。
憲兵隊の責任者たる隊長はそろそろ退任の年齢だが、最後にこれだけの名誉ある任に就けて感無量となっているようだった。
『妖精姫』に微笑みを向けられ、ねぎらいの言葉を直に承り、感動のあまり目頭を手布で押さえている。
黒髪に黒衣を纏った『白金の勇者』とは、王都で行われた夜会で見えたことがあり、面識があった。
完璧なラーバンド国流の礼節で挨拶の口上を述べた彼は、ごく自然な動作でヴァスィリオの妹姫をエスコートする。
些細な動きに、きらきらと白金色の長い髪が揺れる。『勇者』に信頼しきった微笑みを向ける姫君の姿に、『勇者』の『白金』という字の意味が滲んでいた。
『白金の勇者』と『妖精姫』は、英雄譚に歌われる通りに睦まじい間柄であるらしい。
そして、ならば『勇者』が、魔王である『黄金の王』と知己である理由も明白である。
厄災と呼ばれた魔王討伐の立役者たる『勇者』と、魔王の妹姫。
ヴァスィリオとラーバンド、両国の新たな関係を象徴するかの如き存在だった。
などと、クラインミフェル伯爵は思ったりするのであるが、現実はやはり、微妙にずれているのだった。
「もう無理、もう無理、もう無理……」
「んなことねぇって……ちゃんと『お姫さま』らしく振る舞えてるぞ?」
「フリソス、言葉わからない振りで押し通すなんて、聞いてない……」
微笑みの状態で表情を固まらせたラティナは、傍らのデイルに必死で訴えていた。王都の社交界で鍛え上げた作り笑顔が動かないデイルは、そんなラティナを小声のままで宥め続ける。
「"色々と、余が西方大陸語に通じておらぬことにしておいた方が、都合が良いからな"」
飄々としたフリソスはさらりとそう言って、ラーバンド国側の人員を観察する。『虎猫亭』で見せていた天然娘の姿は鳴りを潜め、一国の王に相応しい毅然としたものに印象は改められていた。
「デイルも、いつもと違うし……」
「まぁ……こういった場所で振る舞うのも、俺にとっちゃ仕事に含まれているからさぁ……」
普段のべたべたな距離感を思えば離れてはいるが、充分世間的に見れば親密な距離で二人は会話を交わしていた。
「"プラティナが懸念しておった、食事のことも、プラティナが同席しておれば全て解決するではないか"」
「"せっかくのご馳走なのに……緊張して味がわからないのも、残念なの……"」
「何言ってるかわからねぇんだけど、ラティナが残念なこと言ってる予想はつくなぁ……」
余所行きの表情をほんの少し緩めて苦笑を浮かべたデイルは、ラティナをいつも通り抱き締めて慰めようと、一歩近付こうとして、友人の何かを言いたげな視線に気が付いた。
何事もなかったかのように、再び元の距離を保つ。
「まぁ、ラティナが不慣れなこともわかっているから、俺もこうやって傍に居るんだから……フリソスの言葉じゃねぇけど、困った時には微笑んで誤魔化しちまえば良いからな」
ラティナに儚げな微笑みを向けられれば、それで大抵の相手は黙るなんてことをデイルは本気で考えていた。
身も蓋もない言い種だった。
そんなこんなで宴が進んだ際、文化も異なる異国の使節団ということで、ダンスは観賞するに留められ、踊る機会がなかったことには、ラティナは心底ほっとした。
彼女のリズム感のなさは、幼い頃からの筋金入りのものである。
「"……と、言いつつ、面白く無さそうな顔だな、プラティナ"」
「"そんなことないよ。綺麗なドレスや綺麗なひといっぱい見れるし……楽しんでるよ"」
姉が少し意地悪く言ったのは、管弦楽団の演奏が流れる中、ホールで踊る人びとをラティナが見ていた時だった。
複雑なステップの難しさなど感じさせずに、くるくると回る人びとの姿に、自分がその中に交じれば、あっという間に足をもつれさせて転んでしまう予想が出来た。
「"……だって、踊れないもん。無理だもん"」
ローゼに礼儀作法を学んだ時にも、流石にダンスのレッスンはして貰っていなかった。舞踏会に憧れる気持ちはあっても、まさかこんな風に機会があるとは思えなかったので、敢えて練習する必要性も見出だせなかったのである。
そんなことを考えながら、かすかに膨れるラティナの視線の先には、デイルがいた。
基本的にラティナの隣を動こうとしないデイルであったが、立場上、どうしても付き合いとして数人の令嬢と踊る必要が出てきた。
自分が見たことのない顔つきで、知らない女性の手を取るデイルの姿に、ラティナの胸はほんの少し締め付けられる。
「"お仕事だから仕方ないって、わかってるもん。子どもみたいに駄々こねたりしないもん"」
先ほどから語尾が『もん』ばかりになっている様子からも、彼女が、拗ねているのははっきりとしていた。
フリソスは少し呆れたように、妹を見た。
「"あれだけ露骨に、顔にも『社交辞令』を貼り付けておるのは、なかなか出来ないことだと思うがなあ……"」
作り笑顔であることを隠そうともしない表情で、型通りの返答のみに限るデイルの姿は、自分をラティナの側から引き離そうとする相手への不快感を隠そうとはしなかった。
それでも表面上は、礼節を守っていて、文句を言われるような失態を演じてはいない。
フリソスは器用なことだと思いながら、デイルのはっきりとした意思表示を前にしても不服そうな妹の姿に、根本的なところでは似た者同士の二人なのかもしれないと思うのだった。