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ノブ、ずるいやん 作者:奈備 光
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第 23 章 「混乱」

 大阪に向かって車を走らせながら、生駒はもどかしさを感じていた。
 優も考えごとをしているようで、助手席の背を浅く倒し、目をつぶって黙り込んでいる。カーステレオのボリュームを絞った。

 何度となくシミュレーションした自分達の推理は的を外れていた。警察の捜査もそうだ。

 新たな情報も多い。しかもそれらが示すことは、ある一点に収斂しているように見える。しかしその根幹部分を占めている、ひとつの出来事の持つ意味が不安定で、推理の決め手となるどころか、ますます混乱しているだけなのかもしれなかった。

 そして眼に焼きついた様々な光景。
 五右衛門風呂の猫の死体、離れの黄色いテープ、もぬけの殻となった健治の寝床、神社の暗闇と鳥居の蛇、獅子岩や庭の平石、権現さんの石像、妖気を発する祠、断崖、アマガハラで見たもの。
 そして昨日、生駒のアルバムにまた新しい画像が保存されていた。
 葬儀の前、村に到着するとすぐに見に行った場所……。

 神社に鎮座している獅子岩の脇をすり抜けてみると、かすかな踏み跡がせせらぎ沿いに続いていた。

 生い茂る雑草や顔にかかる蜘蛛の巣を払い除けながら、しばらく進むと、小道は右に大きく曲がっていく。振り返ると、すでに獅子岩の姿は溢れかえる緑に隠れていた。そこに石柱があり、立ち入るべからず、と読めた。
 両側は切り立った急な斜面。ところどころに大きな岩石が、今にも転げ落ちそうな様子でとどまっている。木々の太い根が、その岩を落とすまいと掴んでいた。
 空は梢越しにようやくその一片を覗かせるばかり。

 石柱の忠告を無視して角を曲がると、せせらぎは幅をいよいよ狭め、右に左に細かく蛇行しながら延々と続いていた。至るところに現れる小さな落差が水しぶきを上げ、滑りを纏った岩が積み重なっていた。
 小道は岩を渡り、瀬を飛び、木の根を跨いで登っていく。
 骨の折れる登坂だった。生駒と優は何度か休憩を入れつつ賑やかに進んでいった。

 かれこれ半時間ほども来たろうか。
 生駒と優が滝を諦めかけたとき、視界が変化し、申し訳程度の川原に出た。木漏れ日が水面をきらめかせている。背の低い草が、小石混じりの砂土にまばらに生えていた。
 踏み跡はその前で途切れていた。

「どうするよ。もう戻るか?」
「うん。でも、もうちょっとだけ」
「さっきから、もうちょっと、もうちょっとで、きりがないぞ」
「だってぇ。ね、次の角まで、ね」
「へえへえ。で、ここを渡れということか……」

 流れは十メートルほどの幅があるが、深さはない。
 向こう岸は、岩盤が長い年月をかけて水流に削られ、磨き上げられた肌を見せている。
 水はその岩の路頭を回りこむようにして流れ下っているが、水の中を上流に進むことはできない。丸い巨石が積み重なり、人の通れる隙間はなかったし、速度を増した水流が深みを作っていたからだ。

「ちぇ。履き替えるものを持って来ればよかったな」
「ノブはまだいいやんか。千九百八十円の革靴で。私なんか、フォーマル用の上等のパンプスが台無しになっちゃう」
「よくいうよ」
 生駒は大胆に水の中に足を踏み入れた。
 少し大きめの石を伝っていけば、くるぶしまで水につかることなく、なんとか対岸へ渡ることができた。見ると、岩盤に足がかりとなるような窪みが設けられてある。
「あそこやな」
「とんだハイキングやね」
 パンプスを脱いでしまった優が、後ろからついてくる。
「文句言うな。おまえが行きたいって言ったんやろ」
「はいはい」
「うわ。ここ滑るぞ。靴を履け。足を怪我するぞ」

 次の難関が目の前に迫っていた。岩を登り終えたところにアカマツが太い根を伸ばしていた。
 その根を跨いでいくことになるのだが、岩盤がそのあたりで直角にせり上がっているのだ。手を使ってよじ登らなければならなかった。
「やれやれ、せっかくのシャツもどろどろ」
「九百八十円」
「ふん。お、ついに滝はこの先か」
 岩の向こうで大きな水の音が響いていた。
「なんや。簡単やん」
「そうあって欲しいもんやな」
 生駒は右腕で松の根を抱え、体を岩の上に持ち上げた。
「よっこいせーっのホーイホイと」
 顔が岩の上に出た。そのとたん、思わず声をあげた。
「なんや、こりゃ!」
「なに?」
「これが滝か?」
「ちょっとぉ、手伝ってよ」
「おう」

 巨石が川幅を極端に狭くしていた。幅は三メートルもない。
 両側には、全体の大きさが想像もつかない岩が、まるで巨大な門のようにそびえ立っていた。渓谷というより、細い関所だ。
 上空は濃い緑が覆い尽くし、たくさんのシダがハングした岩からぶら下がっていた。薄暗く、水の飛沫が霧のように立ち込めていた。

 しかし生駒が驚いたのは、その渓谷の景観にではない。
 人の胴体ほどもある太い丸太が横に十数本、縦には五本掛け渡され、井桁に組まれて人の侵入を阻んでいたのだ。

 井桁には無数の流木が、根を洗い流された姿でせき止められていた。そしてそれらの朽木が枯れ落ちた無数の枝をせき止め、またそれらがさらに小さな小枝を絡め取っている。
 すなわち井桁は、それが全体として大きな木製ダムのような様相を呈し、前に立つ者を威圧していた。そして水は、あらゆる隙間から噴出し、巨大な壁泉のようにしぶきをあげていた。

 生駒はこの壁泉と化した人止めの柵を美しいとは思わなかった。
 むしろ痛々しいと感じた。
 この美しいはずの渓谷に、ぶざまな柵を立て込み、自然の力に任せて流れていくべき木々が押し留められて、おどろおどろしい姿を晒している。
 吹き出ている水の音が川の叫びのようだった。

 人が、たったひとつの一族が、あろうことか自分の宝を守るために、これほどあさましいことができるのか、と怒りがこみ上げてきたのだった。

 井桁が守ろうとしているもの。
 財宝であれ、石仏であれ、それを確かめないと、事件の根幹が見えてこないと感じたのだった。

 そしてもうひとつ、確かめてあることがあった。あの日、西脇が体を洗ったという「水場」である。
 アマガハラノへの山道とは別に、妖気の祠の前から分岐している踏み跡を発見していた。アマガハラノに行ったときには気がつかなかったし、このあたりに手掛りがあるはずだという確信がなければ見落としそうになるほどの痕跡だった。

 辿っていくと、細い流れがあった。最近できた新しい流れのようだった。どこかで溢れ出した水が、林の中をきままに流れていくように、幅も一定ではない。水の中から木が生えているし、本来なら水の中に生えていそうにない草が、流れに身を委ねていた。
「ここか。西脇の水洗便所は」
「変な表現」
「でもそれだけではないみたいやな」

 踏み跡は水の流れを横切って伸び、木立の間を縫うように続いていた。
「もしかして滝へ?」
 アセビの群落を押し通ってしばらく進むと、前方が明るくなってきた。
 やがて崖の突端に出た。
 木に縄梯子が括りつけてあり、降りられるようになっていた。崖下には岩がごろごろした狭い窪地があり、丸い池があった。

「降りてみる?」
「冗談やろ。ここは絶対無理」
 崖は高さ二十メートルほどだが、岩が庇のように空中に張り出している。縄梯子は引き上げられていたが、空中に放れば派手に揺れることだろう。

「やれやれ。滝は拝めずじまいやな。そうそう簡単にはいかないな。さ、帰るか」
 結構時間を食ったせいで、アマガハラノまで行くことは諦めて、村に降りてきたのだった。

 そして今、車を運転しながら、生駒は西脇釈放の決め手となった美千代の証言内容も気になっていた。久米がなにを聞いたのかを知りたかった。
 大阪に向かう国道沿いのコンビニで車を停めたついでに、寺井に電話を入れた。

 その証言とは、アマガハラノへ登った朝、集会所に泊まった西脇が恭介宛の伝言を残していた、というものだった。
 メモには「恭介へ。遅いので先にいく。例のところで待っている。六時 利郎」とあったという。そして、ほぼ同様のことを西脇自身が警察に訴えていた。

 美千代はあの朝、集会所の掃除当番に当たっていた。ロビーのゴミ箱に、しわくちゃに丸められたそのメモがあったという。
 警察は、狂人とされる美千代が、そのメモの内容を口頭でしか伝えなかったことで、信憑性に確信が持てなかった。しかし、集会所の裏の焼却炉から燃え残ったメモが発見されるに至って、警察は美千代の言葉を、証言として採用したのだった。

 つまりこのメモが、西脇自身が書いたものであり、内容が正しいとすれば、西脇は六時には集会所にいたということになる。
「無実が証明されたことになるんですか?」
 しかし、そのメモの存在が明らかになったとしても、西脇によるアリバイ作りかもしれない。
「ちがいますな。西脇利郎が六時過ぎに犯行現場を通りかかった、という事実の傍証が出たというだけです。つまり、これには別の証言もありまして」
 仙吉や橘が、山に入っていく西脇の姿を見たのがその時刻だったということだろう。

「メモにあった例のところというのは?」
「岩代神社だ、ということですな。あくまで西脇の供述によれば、ということです。我々もそこまで行ってみましたが、それを裏付けるものはありませんでした」
「血液反応のあった鉄パイプは、どうお考えなんです?」
「あれは、誰でもそこに置くことができます」
 西脇工務店の資材置き場は単なる空地で、出入りは自由にできるのだそうだ。

「で、釈放された」
「これ以上、拘留することができません。凶器が資材置き場で発見されたことのみによって、彼が犯人だと決定付けるわけにもいかないということです」
「で、木元も釈放と」
「そうです」
「拘留する理由がない?」
「そういうことです」

 寺井は凶器となった草刈鎌のことについては説明しようとしなかった。
 アマガハラノで久米の草刈鎌を使ったのは、久米と生駒と木元だ。つまり、木元でなかった場合は久米ということになる。そして班分けからすると、道長が共犯ということになる。
「警察は、久米さんあるいは道長さんを?」

 しかし寺井は答えず、
「このことはまだ誰にも言わないでいただきたい。特に村の人や采家の面々には。犯人はまだ絞りきれていません。正直に申し上げると、事件は一から洗い直しです。何度も申し上げるように、西脇利郎と木元勝の嫌疑が、完全に晴れたわけでもありません」
と、繰り返すのだった。

 そして、ギクッとするような言葉と共に、情報の見返りを求めてきたのだった。
「生駒さん、昨日今日と、山に何をしに行ってたんですか? なにか情報がありましたら、我々の耳に入れてください」
 監視下に置かれている! 滝を探しに行ったことを見られていたのだ!
 軽い戦慄を思えるとともに、警察捜査というものの愚直さを実感したのだった。

「久米さんも監視されているんですか?」
 電話の向こうの寺井は、ふふんと笑ったようだった。
 もちろんそうだと言うのだろう。逆に、
「久米さんがどうかしましたか?」と聞いてくる。

 久米と道長が共犯だった場合、健治の事件も、恭介の事件も、彼らのアリバイは成立しない。寺井も、当然その点を見ているのだ。

 生駒は、久米と橘が夜に山に入っていくのを見かけたから気になって、と応えておいた。このきわどい話をしてしまっても、寺井が久米と橘の行動をある程度は把握しているなら、という安心感も幾分はあった。
 ただ、財宝探しの話はまだ早い。
 寺井は鼻で笑うだけだろう。少なくともそれが何で、久米たちがどうしようとしているのかを、ある程度は掴んだ上で話さなければ、一蹴されるだけのような気がした。
 しかし、奈津と美千代はノーマークのはず。いざというとき、後手に回るのではないか。その不安を、どう伝えたらいいかと考える間もなく、寺井は電話を切ってしまった。

 生駒は急に減速し、路肩に車を寄せた。
「どうしたん? パンク?」
「そう、頭が」
「やっぱり、おばちゃんに会いにいくしかないか」
「急がないとな。久米さん、いよいよ決行するみたいやから」

 手帳に挿んであった名刺を取り出し、住所を確かめると携帯電話のボタンを押した。
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