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ノブ、ずるいやん 作者:奈備 光
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第 22 章 「並んだ棺」

 式場である集会所の前で綾を見かけた。葬儀ということで、互いに言葉をかけず、笑みさえ見せなかったが、綾は小さく手を振ってきた。
 しかし、片方の手は橘に握られている。
 今、綾の暖かい手をやわらかく握っているその手が、次の瞬間、なにをしでかすかわかったものではない。生駒はそんな気がして、ふたりを注意深く見守った。
 子殺しという言葉が、胸に重くのしかかっていた。

 綾が橘の腕に抱きついた。橘は綾の頭を撫で、なにごとかささやく。ごく自然に。仲の良い父と娘そのもの。
 小学五年生にもなれば父親と距離を置きたがる娘も多いが、このふたりは辺鄙な村でのふたり暮らしということもあってか、互いに支えあう愛情をストレートに表に出している。
 少なくとも綾の表情にはひとかけらの不安もない。
 橘に連れられて式場に入っていく後姿に、生駒はひとまず安堵のため息を漏らした。

 周りのことに注意を向ける余裕ができた。
 暑い中、略礼服を着込んだ久米は、早々と式場に到着しながら、クーラーのきいた部屋には入らず、入口の外に立ってポツリポツリとやってくる弔問客にその巨体を折り曲げている。
 村人に対する彼なりの配慮なのだろうが、違和感はある。
 久米が葬儀を取り仕切っているわけではないのだ。葬儀の段取りは仙吉だ。殺人の容疑で父親が拘留されている西脇家や、気の触れた母親だけがいる健治の家ではとても葬儀を出せる状況ではない。

「中に入られないんですか?」
「いやあ、僕は本当の村人でもないしね。ここで皆さんにご挨拶するほうがいいよ」

 生駒の久米に対する見方は昨夜以降、大きく変わってしまった。
 橘が綾をダシにしてこの村にやってきたのと同じように、久米も自分の創作活動を表向きの理由として財宝探しにやってきたのだとすれば、生駒もいい隠し味に使われたものだ。
 アトリエ新築工事も村人を欺く芝居のひとつだとすれば、生駒はまるでその片棒を担がされたサルみたいなものではないか。
 猫の首さえ、工事を中止にするために、久米自身が打った芝居だと考えられないでもない。そう思うと、これまでのように素直に久米と接することはできそうになかった。

 生駒は久米の表情を見つめた。
 どことなく疲れが見えた。それはそうだろう。あんな夜中に山登りをしているのだから。
「どうかした?」
「いえ」
 仙吉が久米と生駒の姿を見つけて近づいてきた。
「どうぞ中に」
「いや、僕はここにいますよ。お申し出はありがたいけど、厚かましいやつだと思われたくないので」
「そんなことはないですよ。さ、どうぞ」
「すみません。遠慮しておきます」
 こういうことは一旦言い出すと絶対に引かない。案の定、久米は話題を変えた。

「事件は一件落着とはまだいかないらしい。どうも、木元くんと西脇さんは釈放されるそうですよ。仙吉さん、聞かれてます?」
 葬式の日にする話題ではない。仙吉の顔が曇った。
「いえ……。わしはなにも」
「府警の寺井警部に聞いたんです。なんでも、西脇さんの方は美千代さんの証言が決め手になったとか。詳しいことは教えてくれませんでしたけどね。あっ、仙吉さんに言ってはいけなかったんだ。村の人にはまだ伝えないで欲しいと言われていたんだ。黙っててくださいよ」
 仙吉は特別な人だから耳に入れたというニュアンスを漂わせている。

「そうなんですか。でも、それはよかった」
 仙吉がこくりと頷いた。
 西脇の釈放はうれしいのだろうが、さすがに葬式の場で、喜びの声をあげるわけにはいかない。かすかな笑みを見せただけで会場に戻っていく。
 まもなく開式だという司会の声が聞こえた。

「釈放ですか。よかったですね」
「うん。ま、これはよかったと言えるんだろうね。少なくとも、采家から殺人犯は出さなくてすむみたいだから。ところで生駒さん。あなたにだけは話しておきます。僕ね。そろそろ、お屋敷を千寿さんに返そうかと思っているんだ」
「えっ、そうなんですか」
「正直言って、毎週来るにはやっぱり遠いよ。それに、なんていうか、生駒さんも気がついていると思うけど、僕自身がいまだに村の人たちに受け入れられていないようだし。あんな事件もあったしね。でもまだ、これは内緒にしておいてよ」
「はい」
「本当に申し訳なかったね。たいした設計の仕事をしてもらえなくて」
「いいんですよ。そんなことは気にしないでください。十分、楽しませてもらいましたから」

 今ここで、新しい設計の仕事を頼まれたとしても、もう身を入れてすることはできないだろう。
 ビジネスライクな業務として作業することはあっても、久米の人柄に惚れて、精一杯やってきた今までのような気持ちでは取り組めないだろうと思った。

「寺井さんに会ったんですか?」
「いや、電話したんだ。事件の目処はどうかって。気になるだろ。それに、今言ったように、村を引き上げようと思ってるからね。やはり采家の人たちのことが心配だし、事件が解決してからの方がいいかなと思ったり」
 生駒は久米の言うことを言葉通りに受け取ることができなかった。
 滝壷の財宝を手にいれておさらばするにしても、殺人事件と自分とは無関係だ、ということがはっきりしてから、ということだろうと思ってしまう。

「や、坂井さんも来てくれた」
 タクシーが集会所の前につけた。
「このたびは……」
「どうもご苦労さまです。もうすぐ開式です。さ、受付を」
 久米が坂井をロビーへ案内していった。

 葬儀が始まった。

 久米は座敷には入らず、ロビーで立ったままでいるらしい。おのずと坂井や生駒や優も立って式場を見つめることになった。
 他にロビーで参列しているのは、西脇工務店の下請け職人らしい日に焼けた男数人だけだ。狭いロビーはそれだけで満員となった。

 集会所の座敷には座布団が並んでいる。
 列席者は三十名ほど。最後列に橘と綾の後姿がある。
 正面奥にはふたつの棺が並んで置かれている。焼香台はひとつきり。
 奇妙な葬儀だった。

 警察の捜査では西脇が健治を殺したことになっていた。優との推理でもその可能性について話した。あるいはもっと具合の悪いことに、恭介が手を下した可能性さえ否定できないでいた。
 棺に納められた犯人と被害者が、そんなことには無頓着に仲良く並んで横たわっているのだ。

 生駒は遺影を見つめた。
 右側に置かれた棺の中に横たわっている恭介が、左側の棺の健治を殺したシーンを優と再現しあったことが、申し訳ないような気がした。

 この小さな村で殺人事件が続けて起きたことに、昨年の佳代子の死も含めると、一年の間に三人もの若い命が亡くなったことに、漠然とした不安と、やりきれない悲しみが頭をもたげてきた。
 恭介の死体を発見したときや、優と推理合戦をしたときや、クスノキの話を綾から聞いたときなどとは違って、葬儀という儀式の場ならではの独特な雰囲気の中で、生駒ははじめて悲しみらしき感情を持った。
 こちらを向いて笑っているふたつの遺影。香とユリの花の匂い。僧侶の読経の声。たくさん余っている茶色の座布団。
 そういったものの中で、告別の場をロビーから、つまり少し客観的な位置から眺めることによって、村の悲しみ、あるいは采家の悲しみといったものを感じたような気がした。

 葬儀社の社員が、出席者の名を読み上げ始めた。
「ご親族様のご焼香でございます。采千寿殿」

 奈津よりさらにひと回り小さな老婆が車椅子を動かそうとする。しかし腕に力が入らない。見かねた仙吉が立ち上がる。千寿が何度も仙吉に頭を下げるのが物悲しい。手が痛々しく震えているのが生駒の位置からでも見えた。

「采奈津殿」
 奈津がゆっくりと立ち上がり、焼香台に進んだ。そして小さく正座して丁寧に焼香を済ませると、その場で膝を列席者に向け、凍りついたように静止した。
 奈津の視線は久米や生駒を捉え、人々の間をさまよっていく。
 誰ひとり身じろぎもしない。
 奈津の目には、集まった采家の親族や村人の顔、そして久米や自分の顔がどのように映っているのだろうか。生駒はふと前に回って誰がどんな顔をして奈津の視線を受け止めているのか、見てみたいと思った。
 奈津は車椅子から下りて畳に座ろうとしている千寿と、彼女を抱えている仙吉に眼を止めてから、ようやく自席に戻っていった。

 千寿と奈津。ふたつ違いの姉妹。
 初めて見る千寿は、もう歩くことはもちろん、自力で車椅子を動かすことさえままならない。それに比べて、奈津は、背こそ少し曲がってはいるものの、しっかり自分の足を地につけている。
 奈津が隣に座った千寿になにごとかささやいている。千寿が力なく頷いた。

 生駒は、さっき心ならず盗み聞きしてしまったことを反芻した。
 トイレに行ったときのことだ。集会所の裏手で、奈津が千寿に詰め寄っていた。

 ふたりは采家の財産相続、すなわち千寿の遺産のことについて話していた。
 千寿は、皆で仲良く分ければいいの、遺書なんかは残さない、と話していた。そして、利郎がもっとまともな男だったら、佳代子もあんな苦労をしないですんだのに、と力なくいった。
 奈津は自分の遺産は、美千代と綾に譲るという内容の遺書を残してあるといった。采家の兄弟姉妹に遺産を巡る争いが起きないよう、千寿も遺書を書いておけと忠告しているのだった。
 千寿が悲しみに満ちた声で応える。
 私が今まで心の底から信用していたのは、あなたと美千代と佳代子だけ。なのに美千代も佳代子もああなってしまって……。どうしろというのよ……。
 意気消沈して抜け殻のようになってしまった姉と、潔癖で気性の激しい妹のやり取り。
 奈津は食い下がる。それにあの男をなぜ引き込んだのかと。千寿はこれにもふんわりと応えた。あれで償いになるかねえ……。

 夫や子に先立たれ、何十年もの年月を、支えあって生きてきたふたり。
 しかし、血の繋がりのない美千代や綾や佳代子しか信用できないとは、ふたりはどんなにか心細く、せいのない毎日を送ってきたことだろう。
 しかも千寿は、佳代子が西脇の妻の連れ子であることを知りながら、騙されていてやったのだ。
 どんなにか情けなかったことだろう。
 その切なさを胸に流し込まれたような気がして、生駒は肌寒ささえ覚えた。千寿が、それなら私の遺産はすべてあなたが引き継ぐことにしておくから好きにして欲しい、と言ったところまで聞いて、その場を離れたのだった。

 次の名が読み上げられた。ようやく喪主の番だった。
「西脇圭子殿」
 生駒は少し緊張した。あの日の圭子の狼狽振りが甦ってくる。

 家族が死んで平静でいろという方がおかしい。出棺のとき、妻や子が泣き叫ぶ情景は何度も眼にしてきたことだ。
 他人の葬儀に半ば儀礼的に参列してのことであっても、遺族のそんな様子を見ると心が痛む。そして、今からそういう情景が目の前で繰り広げられるとなれば、どうしても身構えてしまう。

 次々に名前が読み上げられていく。
「采武雄殿」
 健治の父親だ。病院のベッドから離れることができないという。
 もちろんここにはいないが、名は呼ばれた。司会者は事前に欠席を知らされていたのだろう。目を上げることもなく次の名を読み上げた。
「采美千代殿」
 再び生駒は緊張する。室内の空気が張り詰める。

 美千代はふらりと立ち上がった。
 そしてしばらくそのままの姿勢で、前に並べられた祭壇を眺めている。仙吉が再び腰を浮かしかけたが、隣に座った女性に裾を引かれて座りなおす。
 美千代の頭が右から左へと動いていく。目が自分の息子の遺影の上に止まる。足は一歩も前に出ない。その場に泣き崩れてしまった。
 女性が近寄って嗚咽を漏らし始めた美千代の肩を抱いた。実の姉か妹なのだろう。
 千寿が手を上げて美千代を呼んだ。奈津が席を譲った。千寿が美千代の腰を抱いた。そして自分の方に引き寄せると、耳元になにごとかささやいた。美千代はそのまま千寿の小さな体にもたれるようにして体を寄せた。そしてそのふたりの姿勢は葬儀が終わるまで変わらなかった。

 そんな様子に心を痛めながら、生駒は頭から離れないひとつの考えをもてあそんでいた。

 西脇と木元はとりあえず釈放されるらしい。しかし寺井はまだ村の誰にも言うなという。完全に無実だというわけではないからだろう。現時点ではまだ表向きは西脇と木元が犯人だということになっているのだ。

 しかし奈津は警察の見解とはまったく違った考えを持っているらしい。
 仙吉の話では、奈津の指示で、葬儀をこの形にすることを決めたという。しかし、いくら一族の長老の指示であっても、被害者である健治の両親は納得しないのではないだろうか。入院中の父親も、狂人となった美千代も、もはやそれしきの判断能力さえ失ってしまっているということなのだろうか。あるいは、それほど奈津の言葉は絶対だということなのだろうか。

 生駒は考えてみる。
 采家の一党は、健治を殺したのは西脇ではない、と信じているのではないか。
 むしろ否定する気持ちが、あえて今日のような葬式の形にさせているのではないか。

 佐古が立ったことで焼香が村人に移ったことがわかった。
 老人ばかりが続く。座布団の上にうずくまっている参列者が、ポツリポツリと立ち上がっていく。橘と野良着の男が譲り合っていたが、結局は野良着の男ふたりが先に焼香に立った。自分の服装が気恥ずかしかったのか、やたらと頭を下げていた。

 誰の顔にも笑顔はなかった。声を荒げるものもいなかった。静かな嗚咽が時折聞こえてくるだけ。
 生駒と優が最後に焼香をして、出棺となった。
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