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第7章 蝉の声は世界に響く その1




「滅ぶのか、ユグドラシルよ」



「はい」



「星が、落ちてくるのか」



「はい」



「あなたがそれを、受け止めるのか」



「はい」



「この星の全ての生き物の代わりに、あなただけが死んでしまうのか?」



「はい」



「いつ、の話だ」



「七日後に」



「どうにか、ならぬのか?」



「…ごめんなさい」



「何故だ! 何故貴方なのだ! 何故貴方が犠牲にならねばならぬ!」





「だって私は、その為にこの場所に、この世界に生まれてきたのですから」











第七章  蝉の声は世界に響く









みなさん、見えていますか? 彼が輝きを増し、煌めく様が

星たちの光に囲まれて、登ってゆく姿が、見えていますか? (ワーグナー)











ガリッ ガリッ という音とともに、像は少しづつ形を成す。もはやこの爪の扱いにも慣れたものだ。

木の性質という物も大分わかってきた。どこが堅くどこが柔らかいか。どこに注意をせねばならないのか。そういったコツというものを段々と掴んできた。


 

あの日からもう、3日も経った。

 


いくら不器用な私とて、毎日毎日トーテムポールを削り続けていれば、それなりに慣れるものである。


順調だ。全てが順調に進んでいる。


一つ問題があるとすれば、モデルである彼女ぐらいか。



「どうした? 笑ってくれぬか? ハーピーよ、私はそなたの笑っている姿を彫りたいのだ」

 


無理やり笑おうとしたハーピーは、苦しそうに頬を歪めるばかりで、あの林檎のような愛らしい笑顔は浮かべてくれなかった。

 

仕方あるまい、ならば記憶の中から笑顔を呼び出すしかないだろう。私は最高のトーテムポールを作りたいのだから。



「世界樹様はとても悲しんでいらっしゃいます」

 


制作に励む私の背中に、冷たく、硬い声がぶつけられた。



「おお、ニュージュか。ちょうど良かった。今日にでもハーピーの像が完成するのでな。次はそなたを彫るつもりだったのだ。明日、私のところへ来てくれぬか?」



「世界樹様はとても悲しんでいらっしゃると言っているのです!」



「そうか‥。ならば悲しむことなど何もないと伝えておいてくれ」

 


ギリッっと、石と石をこすりあわせたような音がした。


愛らしい少女の口から漏れたものとは思えない、歯ぎしりの音だった。



「自分で言えばいいでしょう! 毎日毎日こんなものを作って! なぜ! …なぜ、世界樹様に会ってくださらないのですか!」



「…私は意思の弱い男でな。最後の日まで会わぬと決めたのだ」

 


あの日以来ユグドラシルには会っていない。



夏の太陽が降り注ぎ、喉がカラカラと鳴いた。私は水飲み場から、水をぐいと飲んだ。

 

ユグドラシルは私の背中にある岩山の方角にある。巨大な岩山は世界樹から私の体をスッポリと覆い隠している。


ここからではユグドラシルは私の姿を見ることはできないし、私からも彼女の姿を見ることはできない。



「最後の日には、会いに行ってくれるのですか?」



「ああ、約束する」



「…信じても、良いのですか?」



「私は約束は必ず守る」

 


ニュージュの目を見て、堂々と答える。ニュージュは私を睨みつけ、もう一度ギリリと歯ぎしりすると、ユグドラシルのいる方角へと消えていった。

 


振り返れば、笑ってくれと頼んでおいた筈のハーピーが声を上げずに泣いていた。

 


モデルを頼んでおいたはずのニュージュは、次の日、私の元には来てくれなかった。










ユグドラシルと最後に会った日から5日が経った。


赤い星は既に竜以外の生き物でも視認できる程に大きくなっている。もはや残された時間は少ない。

 


私の目の前には、ファゾルト、ファフナー、ゲーコ、ラミア、ハーピー、ニュージュの、首が並んでいる。




「うむ。大分完成に近づいてきたな」




縦に積み重なっている皆の顔は笑っている。最近は誰も、その笑顔を私には見せてはくれなくなってしまったが…。

 


私の友は、みんな綺麗に笑うのだ。だから私は大好きな、皆の笑顔を彫ったのだ。



「後はやはり、彼女も彫らねばなるまいなあ…」



苦手ではあるが、彼女も私の友達である。私は巣のある方角に背を向けて声を上げる。



「ああ、喉が渇いたなあ。水でも飲むか」



それからおよそ三分後、巣穴の前の水飲み場へと向かう。

 


ゲーコが掘り当ててくれた地下水へと直につながる水飲み場は、大量の水がこんこんと湧いており、炭酸水のように泡立っているせいで底は見えない。

新鮮な天然水がいつでも飲める、素晴らしい水飲み場である。

ザボンと顔でも突っ込んで飲めば、湧きたての地下水の冷たさがきっと喉を潤してくれるであろう。

 


ところで、リザードマンという種族は息は長いものの、水中で呼吸をすることはできない。

せいぜい水中に潜んでいたとて、5分が限界というところか。

 


暫く待っていると、ぷかりと白い頭が浮かんできた。



「ふむ‥、やはり近くにいたのか。リザードマンの巫女よ」



「ごきげん麗しゅうございます。我が君よ」


 




・・・・・・・・・



・・・・・・・・・




リザードマンの巫女の顔を彫刻する。彼女は手頃な岩に腰を掛けたまま、こちらに向かって涼やかな笑みを浮かべている。


モデルが協力的であると、仕事も捗る。ガリガリ、ガリガリと、みるみると形が作られていく。



「…そなたは、ちゃんと笑ってくれるのだな」



「我が君が私に笑ってくれとおっしゃってくださる。これ以上の喜びがこの世にあるでしょうか?」



「‥そうか、そなたにとっては私は信仰の対象であったのだな」

 


ニュージュが目を覚ました時の、ユグドラシルへの狂信ぶりを思い出す。

命じられれば何でも従う。死ねと言われれば喜んで死ぬ。


信仰するものとされるもの、その関係とは一体どういうものなのだろうか。友人、とは呼べぬのだろうか?


それからは私は黙々とトーテムポールを掘り続けた。



「我が君よ。貴方様が何を考えていらっしゃるのか、卑小な私には計りかねますし、それについてあれこれという権利もございません…」



黙ってモデルを続けていた彼女が、不意に口を開いた。



「私は我が君を信じております。貴方様が成すことは全て私にとって正しいのです」



「そうか…」



 彼女の言葉の意味はよくわからない。しかし、盲信や狂信とは違う芯の強さが、そこにはあるような気がした。



「…ですが一つだけ、女として我儘を言わせていただければ…」

 


微笑みを浮かべたままじっと動かなかったリザードマンの巫女は、突然平伏すると、額をべたりと地に押しつけた。



「どうか、どうか、命を投げ出すような事だけはおやめ下さい! どうか、どうか。私は貴方をお慕いしております故。どうか! どうか!」

 


リザードマンの巫女はそれだけ言うと、再び岩の上に座り微笑みを浮かべた。


額についた土がパラパラと落ちていった。



彼女の願いに、私は無言を貫くことしかできなかった。


 



仕事だけは、捗った。











6日目。トーテムポールも完成間近である。

その頂上に最後に彫るべきものは決まっている。 




大樹ユグドラシル

 



彼女の姿をトーテムポールの天辺に彫る。

ぐーっと伸びやかに、空へとそそり立つ美しい姿を思い浮かべながら。

 

憧れと想いと尊敬を、全てを込めた最後の彫刻は、6日目の夜に完成した。

 


…しかし、完成はしたものの何かが物足りない。

 


ふと、遊び心が沸いた。

 


私はユグドラシルの幹を僅かに削ると、そこに小さな小さな出っ張りを彫る。



足りなかったのは遊び心だったようだ。

 



大樹に蝉のようにしがみつく竜の姿を付け加えることで、トーテムポールは完成した。












七日目の朝、夜が開ける前に目を覚ます。


赤い星は月のように大きな輪を纏いながら、不吉に大きく輝いている。

 


最後の日だ。

 


まずは岩山へと向かう。


ファゾルトとファフナーにどうにかしてくれと頼まれていた黒い岩山。一週間前は僅かに傷をつけることしか叶わなかった、あの岩山である。

 



狙いを定める。

大きく息を吸い込んで、魔力と空気を腹の中で練リ合わせる。生まれた音を腹の中で反響させて、何百倍にも大きくする。



それが私の、本来の咆哮。




「ミーーーーーーーンッ!」


 


咆哮がうねりを上げながら岩山に炸裂する。

砂埃が掻き消えた後、目に写ったのは、粉々に砕け散った岩山だった。



一週間前、ぶくぶくと太っていた私の体は、今はすっかり元通りになっていた。



当然である。この7日間、何も食べてこなかったのだから。


樹液を寄越せと暴れる胃袋に、たまに水をやるだけで過ごしてきたのだから。


決して樹液の誘惑に負けぬよう、一度も彼女に会わなかったのだから。



「すごい…」

 


声の方を振り向けばニュージュが私を見上げていた。

よかった。喧嘩別れのようになってしまっていたから、最後にもう一度会いたかったのだ。



「ニュージュよ、頼みがある」



私は友に、願いを言う。



「ユグドラシルの事を頼む。私などの事でも、彼女はきっと心を痛めてしまうだろうから」



「頼むって、まさか…、竜さん…! あなた!」



「ニュージュよ。達者でな」



その言葉を最後に飛び立とうとしたが、山猫のように鋭く高い声が私を呼び止めた。




「貴方は…、生まれたばかりなのでしょう!? 生まれてまだ、3週間しか経っていないのでしょう!? なんで、なんで!?」

 




ニュージュの言葉は私には意味がわからなかった。



 


だって、







「三週間も生きれば十分じゃないか」














最後に向かうべき場所は決まっている。私は七日ぶりにそこに降り立つ。


ユグドラシルの幹に手を触れると、感情と言葉の奔流が私の中を駆け巡った。



「ああっ! ああっ! 本当に! 本当に会いに来てくれたのですね! 同居人さん!」



もはや共に住んでいない私を、彼女はなお同居人と呼んでくれた。



「別れを言いに来たのだよ。ユグドラシルよ」



「ああ、ああ! 同居人さん! ありがとうございます! 会いに来てくれて! 最後に会いに来てくれてっ! 別れを言いに来てくれてっ! ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます!」

 


会いに来なかった私を責めるどころか、ユグドラシルはなんども礼を言って来た。



「ああっ! そんなに痩せてしまって! 最後になりますが、好きなだけ飲んで下さい! お腹いっぱい! 好きなだけ!」

 


樹液の甘い匂いに私の空きっ腹が引き寄せられてしまいそうになったが、必死で耐えた。


「樹液はいらぬ」と伝えると、まるで酔いが冷めたかのようにユグドラシルは急におとなしくなり、震えた声で「そうですか」と答えた。



「約束を、果たしに来たのだよ」



「約束‥?」



「約束したであろう? 完成したら必ず見せると」



私はトーテムポールをザクリとユグドラシルの幹の直ぐ側に突き刺した。



「ギリギリになってしまったがやっつけ仕事などではないぞ。どうだ? 中々のものだろう? 私が作ったトーテムポールだよ。教えは受けたが全部私が作ったものだぞ」


 

ユグドラシルは、暫く無言であった。目を持たぬ彼女だが、私が手に持つそれを一生懸命に見つめている事が感覚で分かった。



「その‥、反対側も見せてもらってもいいですか? しっかりと記憶に焼き付けておきたいのです」

 


手に持ったトーテムポールを、ゆっくりと回していく。


トーテムポールが一周して、もう一周して、三周目を回りきった所で、ユグドラシルは「もう大丈夫です」と言って、私を止めた。



「同居人さん…、貴方には本当に‥、一体なんとお礼を言えばよいのでしょうか」



ユグドラシルが纏う空気は、いつものような穏やかな、優しいものへと変わっていた。



「貴方と出会って三週間。本当に、本当に、楽しかったのですよ」



ユグドラシルの言葉には、言葉以上のものが込められてるようなきがした。




「私、貴方に出会えて本当によかった」



「私もだよ。ユグドラシル」




「だから同居人さん」

「だからユグドラシル」




私とユグドラシルの声が重なる。





「貴方は絶対に私が守ります」

「貴方は絶対に私が守るよ」


 



私の口から飛び出た自分とほとんど同じ文言に、ユグドラシルは驚いていた。



翼をはためかせる。



「待って! 同居人さ‥」

 


ユグドラシルとは幹や根など、その一部に触れていなければ会話はできない。



故に空に浮かんだ私には、彼女の声は届かない。翼のないユグドラシルでは、私に追い付くことはできはしない。

 


さよならを言っていないことに気付いたが、仕方あるまい。

 


竜の翼と魔力でぐんぐんと空を昇る。


 


夜は既に明け始めていたが、いくつかの一等星は今だ煌めいていた。

 



一等星達が作る三角形の中央。







不吉に輝く赤い星に向かって、私はまっすぐに飛んでいった。








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