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蝉だって転生すれば竜になる 作者:あぶさん
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第7章 蝉の声は世界に響く その2



熱圏


大気圏の一番外側の層であり、その高度は地上800kmにも達する。

もはや大気と呼んでいいのかすら解らぬ程に空気は薄い。

遮る者のない太陽の熱が直接身を焦がしてくる為、そこにいれば高所にもかかわらず、火のように体が燃えあがる。

しかし空気が薄過ぎるせいで気温そのものは低い。そんな不思議な場所だ。


地上最強の生き物である私とて、風の魔法で周りを蝋のように固めなければ、決して辿りつけぬ場所である。


私は熱圏の中程で止まる。


これ以上昇れば引力から解き放たれて、宇宙へと放り出されてしまうだろう。


遥か昔、古代兵器が生まれた時代には、星の船で熱圏の更に外まで飛び出した者達もいたそうだが、私の限界はここまでだ。



私には、星の殻は破れない。



眼下に広がるのは球状の海と土。


そして真下には、守るべきユグドラシルがある。

樹高20000メートルのユグドラシルが、あんなにも遠く、小さく見える。


真上から見て初めて知ったのだが、ユグドラシルの全景はまるでワイングラスのような形をしていた。

下から見上げていた時は球状だと思っていが、実はユグドラシルの枝葉が作る球体は、上部にポッカリと穴が空いていたのだ。




聖杯


という言葉が頭に浮かんだ。

世界の何処かに隠されていると言われていた聖なる器だ。
手にした者は、不死身の肉体と永遠の繁栄を約束されると言われている。

数多の冒険者や、諸国の王達が世界中を探して、求めて、彷徨って、それでも見つからなかった神器。それが聖杯である。


なるほど、これでは誰も見つけられぬわけだ。


いつも美しいユグドラシルではあるが、今日は格別であった。

ユグドラシルが徐々に輝き始める。光が幹から上り、枝へと広がり、葉を覆っていく。

眼下に広がる巨大な青い星。その星の力が、ユグドラシルへと集まっていくのが私にもわかった。


それは青き星の意思。


全ての生き物が流すべき血を、ユグドラシルが引き受けろということだろう。

ユグドラシルが命と引き換えに、赤き星を受け止めろということだろう。




なんたる欺瞞!




全ての生き物を生かすために、全ての生き物の母を殺すというのか!

彼女の骸と灰を苗床に、何もなかったように別の種を播けとでも言うのか!

星よ! 青い星よ! これを欺瞞と言わずして何と言う!

緑の優しい彼女に、赤い死の星と添い遂げよと言うのか!



空を見上げる。 


赤い星が、大きい。みるみる大きくなってくる。



大気が震えた。


いや、震えたのは私であった。



宇宙空間から、禍々しき雲をまき散らしながら、楕円形の赤い星が、青い星へと向かってくる。
大きさで言えば直径10キロメートル程はあるだろうか。



私は古き竜の知識に問いかける。アレに勝てるかと?


なあに、たかが10キロじゃないか。たかが山一つ分ではないか。

山一つならお前の竜の咆哮が粉々に打ち砕いてくれるさ。

 

…とは、言ってくれなかった。竜の知識は、こう言った。



アレは危険だ。アレはよくない。

無限の暴力の塊だ。計り知れぬ力をその内外に宿している。

アレが地に落ちた時、膨大な位置エネルギーと運動エネルギーによって生まれた衝撃が巨大な爆発を生み出して、竜の住む島など一瞬で蒸発させてしまうだろう。

大気に塵と毒をまき散らし、この星全てを10年続く極寒の冬へと変えるだろう。

その10年で、この星の全ての生き物が死に絶えてしまうだろう。


植物も、人間も、動物も。もちろんお前も。



竜の知識は、そう言ったのだ。




何たる理不尽!




たかだか外の世界からやってきたというだけで、その体に無限のエネルギーを宿してしまうというのか!

お前の何万倍も大きいこの青い星を、真っ黒な死の星に変えてしまおうと言うのか!

蹂躙し、全てを飲み込もうとでも言うのか!

何の為に破壊し、何のために滅ぼすというのだ!



あの星の前では竜など只の小石に過ぎぬ。今日この日、最後の竜が滅ぶべき時が来たのだと悟った。





『大丈夫です』




誰かの声が、聞こえた気がした。下を向くと、彼女が緑色の光に満ち、輝いていた。


聖杯は、満たされていた。


ユグドラシルの枝と葉に溢れる生の力。星から集められた膨大な生命力と魔力が、そこにあった。

赤い星の死の力と、真っ向から立ち向かう緑色の生の力が。


『だって私は、その為にこの場所に、この世界に生まれてきたのですから』


彼女の言葉を思い出す。青い星にとっては、全て予定通りだったのだろう。

ユグドラシルをそこに産み落としたことも、その場所に忌まわしき赤い星が落ちてくることも。


杯の形の葉と枝は、隕石とぶつかり合った時の衝撃を全て彼女が受け止めるように“設計”されていたに違いない。

長く伸びた幹は、落ちてくる隕石の緩衝材として“使用”するに違いない。

最初から全てを計算した上で、星はユグドラシルを作ったのであろう。


そして自分の役割を果たす為に、ユグドラシルは今まで、ゆっくりと成長してきたのだ。

竜の記憶など到底及ばぬ、遥か昔の時代から…。




なんたる宿命!




緑の貴方よ。貴方は全てこの日のために、この星全ての生き物の為に、これまで生きてきたとでも言うのか!

何百万年、あるは何千万年という長い時を。今、この時の為に生きてきたというのか!

このような宿命に従った上で、あんなにも優しく生きてこられたというのか!

恐ろしくはないのか! あの凶暴な赤い星が! 

怖くはないのか! 死の暗闇が!



『逃げて下さい』



そう、言われた気がした。


空には凶大な赤い死の力。

地には遠大な緑の生の力。


私はようやく気がついた。自分がどれだけ場違いな存在かということに。


アレに対抗できるのはユグドラシルだけだ。卑小な竜の身などでは、アレに抗うことなど出来はしない。


赤い星が、ついに大気圏を突き破るのを見た。

星の表面を覆っている赤い氷が、太陽の熱と空気の摩擦で解けて、赤い湯気があちこちから噴出し始める。


まるで、果てしなく巨大な火の玉だ。

空気を切り裂く轟音が、聞こえないのが不気味であった。

それも当たり前だ。赤い星は音よりも早く動いているのだから。


外の世界よりやってきた、存在の次元が違う相手に、私の体はガクガクと震える。

血の気とともに、頭も冷えた。


私の咆哮などでは、あの赤い星を砕くことなどできはしない。

全力の咆哮をぶつけても、せいぜい氷の表面を僅かに削り取るぐらいが関の山であろう。


赤い星は私の羽ばたきよりもはるかに早い速度で、私へとまっすぐに向かって来る。

もはや後十数秒のうちに、私の身体は赤い星に飲み込まれるであろう。



『逃げて下さい!』



聞こえぬ筈の彼女の声が、再び聞こえた気がした。


そうだ。私が無駄死にした所で、一体何になるというのだ。彼女だって、私が生き残ってくれたほうが嬉しいはずだ。


例え幻聴であったとしても、逃げるための大義名分を私は得た。



『逃げろ!』



竜の肉体より生まれた生き物の本能が、私にそう警告した。

あれは駄目だ。あれは無理だ。あれは確実な死だ。

死にたくない! 今なら未だ間に合う。全力で飛んで。あの星の射線から逃れよ!

ユグドラシルなどどうでもいい。私は生きたい! 


そう、私の体が叫んだ。



『逃げなさい!』



竜の知識より産まれた賢者の知恵が、私を諭す。

お前では無理だ。あれには叶わぬ。お前が最強なのはこの星の中だけだ。

星の外から来た最強には絶対に叶わぬ。無駄死にだ。

心配しなくともユグドラシルが、星もお前も救ってくれるさ。


そう、私の脳が囁いた。



逃げるべきだ。逃げても良いのだ。


私が星に背を向け、全力で逃げ出そうと思ったその時。






『鳴こうよ』 






ただ一つ。小さな蝉の魂だけは、そう言った。

竜の肉体と知識に、小さく愚かな蝉の魂だけが反発していた。


愛しい彼女の為に、鳴きたいと言った。

求愛の歌を、彼女の為に歌いたいと言った。



力いっぱい、歌いたい。命いっぱい、歌いたい。



そうだ、私は蝉なのだ。蝉は、歌えば良いだけだ。


愛しい彼女に向けて、歌えば良いのだ。大きな声で、歌えば良いのだ。


彼女に聞いてもらいたい。私の歌を、聞いてもらいたい。



だから




『鳴こうよ』




ああ、鳴こう








ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン


聞こえているか、ユグドラシル



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン


届いているか、ユグドラシル



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン


竜の体に蝉の心。



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン


こんなちぐはぐな我が身ではあるが



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン


私は貴方を



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン


愛しているのだ







砕けているのは私なのか、星なのか。


ふと我に返れば、私は巨大な星に無様にしがみつき、ただただ、咆哮を繰り返していた。


大気との摩擦の熱というのはすさまじい。エリクシールである私の血が、へその辺りからボコボコと沸騰して水蒸気となり昇っていった。
赤い星とぶつかり合った時に、私の下半身はどこかへと消えていた。エリクシールも熱には敵わぬ。


ユグドラシルの元まで、あとどれだけの距離が残されているのだろう。

それまでにこの星を、一体どれだけ削り取れるというのだろう。

彼女が滅びぬ大きさまで、この星を小さくすることができるだろうか。

残された私の力で、どれだけこの星を砕くことができるだろうか。


いけない、いけない。歌を止めている暇など無い。


彼女のために、歌わなければ。




彼女にいきて貰いたいのだから。

彼女にきいて貰いたいのだから。




ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン 


ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



求愛と咆哮、咆哮と求愛。


もはや何のための鳴き声なのか、私にも解らなかった。

摩擦で沸騰した血液が、私の脳まで焼いてしまったのだろう。


ただひとつ、今鳴いているのはユグドラシルのためだということしか、今の私には解らない。 

竜の知識も血も肉も、どんどんと失われているが、そんな事はどうでもいい。



『もっと鳴こうよ』



ああ、鳴こう。私の魂。

愛していると、歌おう。


私はようやく気付いたのだから。


貴方を愛していると、歌いたいのだ。




ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン 


ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



聞こえているか、ユグドラシル。


届いているか、ユグドラシル。




聞こえぬのなら、もっと大きな声で私は歌おう。


届かぬのなら、もっと強い声で私は歌おう。 



ああ、嬉しい。あなたの為に歌えることが。


貴方のためだけに、歌を歌えることが。



もはや貴方がどこにいるのかもわからぬから。


貴方がどこにいてもいいように。




世界に響け! 我が喜びと求愛の歌よ!












ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン


ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン



ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン











鳴いて、鳴いて、鳴いて、鳴いて、鳴いて、鳴いて、鳴いて、鳴いて、鳴いて、鳴いて……

 










気がつけば、私は地に横たわっていた。






わんわんという、だれかの泣き声が、わたしの遠いみみをうつ。


眼球だけをうごかすと、はーぴーという種族が、声を上げて泣いているのだとわかった。

よくはわからないが、よかったなあ。とおもった。




誰かが小さくて柔らかいものを、わたしの額におしつけた。


赤子だった。側にいるのは、ははであろう。ははにそっくりな赤子だった。


やはりよくはわからなかったが、よかったなあ。とおもった。




おかしな服を来たリザードマンが、わたしの首をしめていた。


はて? 彼女がわたしをころすのだろうか。なんだか逆なきがするが、よくわからない。


ただ、彼女がくびをしめていたりゆうはわかった。わたしのくびから下はもうなかった。




かえるが泣いていた。私もともになかねばならぬとおもったが、からだがないから、なけなかった。



巨人が泣いていた。泣き声もごうかいだなあ、とおもった。なにとくらべてかはわからなかった。




「巨‥さん! …を! …のところにッ! 早くッ!」


やまねこのような、するどく、たかい声が、とぎれとぎれにきこえてきた。


わたしは、やまねこの少女にすがりつかれたまま、大きな手で、どこかへとはこばれていく。 


どこまでわたしをはこぶつもりなのだろうか。

どこまでわたしはいきねばならぬのだろうか。


そろそろ、いかせてほしいのだが。




おおきなきのそばに、わたしはおろされた。


きからなきごえがきこえた。


そのこえに、きからつたわるあたたかさに、わたしのたましいがよろこびにふるえた。



ああ、ありがとう! ありがとう! 

だれかはわからぬが、ここにつれてきてくれたひと!


そうだ! わたしはあなたにあいたかったのだ。

わかる! わかるのだ! あなたのことだけは、いまのわたしにもわかるのだ。



ユグドラシル



ユグドラシルのなきごえがきこえる。

よかった。いきていたのだ。ユグドラシルよ。


きいてくれたか、わたしのうたを。

とどいていたのか、わたしのうたは。


わたしはあなたをあいしているのだ。



ユグドラシルからなにかのことばと、たくさんのかなしみがつたわってくる。


ちがうよ。ユグドラシル。わたしはあなたをかなしませたかったんじゃない。


きいてほしかったんだ。あなたに。あなたのためだけの、わたしのうたを



なかないで。わたしがかわりになくから。




あなたのために、あなたのために、もういちど。 




もういちどだけ、かならずなくから。





おおきなこえで 







あなたへとなくから







































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