第二十二話 ウェルス芋はお腹が膨れるので美味しい
篝火で煌々と照らされている帝国軍陣営。現在は攻略した第一要塞から少し進んだ場所で、今後の方針を決める軍議が行われている最中だった。第一軍指揮官にして、帝国第一皇子アレク・キーランドを筆頭に、錚々たる面々が意見を出し合っている。
アレクが皇位を継げば、そのブレーンとなるであろうエリート将校達。アレクが直々に見出しただけあり、武勇、知略に秀でている者が多い。順当に出世街道を歩んできた、師団単位の兵を率いる将官クラスの者ばかりだ。
だが、今はその誰もが難しい顔をしており、事態が芳しくない事を感じさせる。
「物資調達はどうなっているか」
アレクが指で机を叩きながら、おもむろに尋ねる。
「はっ、田畑は全て焼き払われ、農村の民家は全てが無人です。井戸には毒が投げ入れられている有様。彼奴らの焦土戦略は徹底しております」
「現地での調達は非常に難しいですな。本国からの輸送に頼らざるを得ません」
「王国軍の遊撃隊が、我が軍の輜重隊に襲撃を繰り返しています。その警備に兵を割かねば、今後の兵站に支障を来たすかと」
王国領を侵攻するに従い、その補給路が伸びてしまっているのだ。ケリーの第5軍は遊撃戦略に切り替え、徹底的に兵站の妨害活動を繰り返している。無事にたどり着くのは5割にも満たないのが現状だ。このままでは兵糧不足どころか、餓えに苦しむ事になるだろう。
「……殿下。第一要塞は攻略したのです。ここは春が訪れるまで時期を待つのはいかがでしょうか。物資の輸送も捗り、進軍速度も上がります。我らはこれ以上無理に攻める必要はありませぬ」
将官の一人が進軍停止を進言する。理に適った意見であり、アレクも内心ではそれが最善と考えていた。
だが止まることの出来ない事情があるのだ。『なんとしてもマドロスを攻略すべし』という至上命令が下っている。
父であると同時に、皇帝でもある男、アルフ・キーランドからの命令。老いるにつれて柔軟な考えが出来なくなってきている。それでも帝位を得るまでは不興を買うわけにはいかないのだ。
「それが出来るのならば、この時期に遠征などしない。陛下は一刻も早くマドロスを陥落させろと仰せなのだ。我々が考えるのは、如何にして敵要塞線を突破し、マドロスを陥落させるかだ。諸君らにも知恵を絞ってもらうぞ」
アレクが強い口調で言い放つ。それに応えるように第七軍指揮官のグスタフ中将が発言する。ウェルス地帯の領主であると同時に、第七軍を率いる神経質そうな痩せ型の男。マドロスを治めるケリーとは小競り合いで何度も剣を交えた仲である。
猜疑心が強く、慎重で冷静を地でいく男だ。余所者には基本的に冷淡だが、ウェルス出身の兵達からの信望は篤い。ウェルス防衛と発展の為に、その身を粉にして働いてきたのだ。
「10万もの大軍で今後も進軍するのは自殺行為ですな。雑兵共は第一要塞防衛、輜重隊の警護に回すべきかと。第一、第七の精兵5万で要塞線の一点を集中攻撃の上突破、一気にマドロス城を陥落させるのが最善かと思われます」
錬度の低い兵は待機させ、攻略するのに必要と思われる数だけで進軍を続ける。
兵糧に不安がある現状ではグスタフの意見は妥当な所だった。
要塞線防衛に当っている王国軍第5軍とほぼ同数ではあるが、彼らは分散して守備しなければならない。
帝国軍には進軍経路を選択する権利があるのだ。その判断がマドロス攻略の明暗を分けるのは確実だった。
「それが現実的な策か。飯がなければ戦うことはおろか進むことも出来ん。
後は我々に幸運がある事を祈るばかりだな。幸い私は熱心な星教徒だ。必ずや加護がある事だろう」
皮肉気味に苦笑すると、グラスの水を飲み干した。彼は宗教などというものを信じていない。だがそれを口に出すと異端扱いされるので、言わないだけだ。信じられるのは地位、金、力。信じるだけで救われるのならば、苦労はない。だから彼はその全てを兼ね備えた帝位を目指す。長男であるという生まれつきの幸運を最大限に活かしつつ、血の滲むような研鑽を重ねた。
それが認められ、帝位獲得まで後一歩まで来ている。ここでしくじる訳にはいかないのだ。後釜を狙う輩は数え切れないほどいるのだから。
唯一心を許せた実の弟、アランは早々に帝位獲得競争から離脱し、帝都から逃げ出すように解放軍に参加してしまった。
アレクが帝位を獲得した暁には、呼び戻して重要な役職に就いてもらうつもりだ。
大まかな方針が決まり、最も重要な攻略目標を絞る議案に移ろうとした時、軍営に伝令が駆け込んできた。周囲の重装した親衛隊が長槍を交差させ伝令の行く手を遮る。将官が伝令に何事かを尋ねる。非礼を承知で乗り込んで来たのだ、至急の報告と予想される。
「軍議中だぞ。一体何事か」
「はっ、王国軍の騎兵隊が投降して参りました。その数は2000騎程。
指揮官の女士官が、殿下にお目通りしたいと申し出ております」
「ほう。それは朗報ではないか。そうは思わないか、グスタフ」
面白そうにアレクは口元を歪めながらグスタフに話しかける。彼がマドロス人に対し、憎悪を越えた感情を持っていることは承知している。どう反応するか試しているのだ。
グスタフは顔を顰める。マロドス人は決して帝国には従わない。下手に面会などさせたら、アレクの身に危険が及ぶ可能性がある。
「……その女士官というのはマドロス人か?」
「いえ、中央国境地帯の出身だと申しておりますが。また、敵司令官の一族、ダラス・マドロスを連れております」
「ダラスと言えば、忌々しいケリーの息子ではないか!」
「余り待たせるのも悪かろう。早速会おうではないか。騎兵を率いる王国軍の女士官か。実に楽しみなことだ」
「……武器は全て取り上げろ。その女士官だけ連行し、厳重な警備を敷くのだ。殿下に万一の事がないよう、最大限の警戒を払え。その挙動から決して目を離すな」
グスタフが親衛隊に厳命すると、敬礼してその通りに行動を始める隊員達。怪我でもさせようものならば、彼らの命はない。
「心配性だな、グスタフ。その調子では長生きできんぞ」
「この性格のおかげでここまで生き延びてきました故。怪しいと思われましたならば、決して容赦なさいますな。敵と見做して御会い為されます様に。笑みの裏に剣を忍ばせている可能性もあります」
「言われなくても分かっている。そういった物は嫌と言うほど味わってきたからな」
アレクは無表情で頷いた。笑みの裏に潜む欲望、野心。そういった汚い感情に幼い頃から触れ続けてきたのだ。臭いを嗅ぎ分ける能力には自信があった。
武装した衛兵に幾重にも囲まれながら、シェラはアレクのいる天幕まで連行される。槍の穂先が向けられ、何か不審な動きをしたら、即座に串刺しにされるであろう。シェラはそれをどうでも良さそうに眺めながら、大鎌を肩に担ぎながら進んでいく。
テントの前で豪華な鎧を着た親衛隊2名に制止される。得物を持ったまま通す事など、認める筈がない。
「待たれよ。この先はさる高貴なお方の天幕。そのような物騒なものを持ったまま通ることは罷りならぬ」
「これを預ければ良いのかしら」
シェラが鎌で肩を叩く。親衛隊は苦々しい表情で頷いた。
「……その鎌はこちらでお預かりする。決して非礼な真似はしないように」
親衛隊員が乱暴に鎌を奪い取ろうとしたが、余りの重量で思わず落してしまう。その大鎌は見掛け以上に重く、持ち上げるだけでも苦労する程だった。目の前の小柄な女が持っていたとは信じられない。こいつはそれを軽々と肩に担いでいたのだから。
「フフッ、大丈夫? 手が震えてるみたいだけど。無理はしない方が良いわよ。魂が削られちゃうから」
「――し、心配は無用だ! さぁ、早く入られるが良い。殿下がお待ちだ」
シェラが天幕の中に入ると、中央には金髪の若い男が椅子に腰掛けていた。その両脇には勲章をつけた偉そうな男たちが10人程ばかり。そして周囲を取り囲むように剣呑な親衛隊が目を光らせている。勿論シェラの背後にも。
シェラは堂々とその中を歩いていき、若い男から少し離れた正面の位置で恭しく跪いた。
「我が帝国軍に加わりたいというのは貴官か? 随分とお若いようだが」
「はっ、シェラ・ザードと申します。王国での階級は中佐。騎兵を指揮しておりました。この度は帝国軍の一員に加えて頂きたく参りました」
アレクがシェラを見下ろす。一見するとただの小娘が鎧を着けているだけに思われる。が、そんな人間が騎兵2000も指揮できる訳がない。何よりも、敵地と言って良いこの場に至っても動揺している様子が窺えない。大した精神力を持っているらしい。
「女性の身でありながら、その若さで中佐の地位を獲得されたのだ。貴官はさぞかし有能なのだろう。一体王国に何の不満があったのか教えてもらいたいな。投降した理由を聞かせて欲しい」
「働きが正当に評価されない事、そして王国には未来がない事です。内部は腐敗し、上層部は己の保身しか考えていない。命を懸けて戦うに値しません。私も2000の兵を率いる身です。無駄死にだけは避けたかったのです」
王国を痛烈に批判するシェラ。そして懐に手を入れて封蝋された手紙を取り出す。側で控えている親衛隊員に手渡した。
アレクはその手紙を受け取り、尋ねる。
「……この手紙は?」
「我が上官ヤルダーからです。現在は第二要塞の守将を務めております。身分が保障されるのであれば、要塞を明け渡し速やかに投降すると。第二要塞から火の手が上がったのは、その証明の為でもあります」
将官達がざわめく。それが本当ならば、またとない好機である。アレクは封を開けて手紙に目を通す。
忠誠を尽くしてきたにも関わらず、この上ない侮辱を受けたので投降したい。身分と、城兵の命を保障してくれるならば、第二要塞は抵抗せず門を開け放つ事を約束する。
要塞より東進した場所には、王国食糧貯蔵庫が隠されている。マドロス城と同時に攻めることで壊滅的打撃を与えられるであろうと、精細な地図付きで記されていた。
アレクがその手紙を将官達に渡すと、色めきたって各々が意見を述べ始める。
「殿下、この機を逃す手はありませぬ。直ちに第二要塞を目指し、一気にマドロスを陥落させましょうぞ」
「ヤルダーといえば、敗戦の責を問われ更迭されたと聞きます。最近では命令違反により降格されたとか。我らに内応するというのも有り得ぬ話ではありません」
「敵の食料貯蔵庫の位置が分かればしめたもの。占領して我らのものにすれば兵糧には困りませぬ」
「これぞ天恵とも言うべきものです。殿下、斥候に命じて位置の確認に当たらせましょう」
将官の一人が伝令に命じようとしたその時。
「待たれよッ! まだ決め付けるのは早い。この士官には確認すべき事がある。伝令兵! ダラスと王国軍の捕虜を数名連れて来いッ!」
「はっ!」
意気上がる将官達をグスタフが一喝する。これが真実と決め付けるにはまだ早い。偽の投降だったならば、窮地に陥るのはこちらである。
グスタフはシェラを全く信じていない。この女の言葉には感情が篭っていない。次の瞬間にはこちらに襲い掛かってきても不思議ではない。そう、人間味を感じさせないのだ。こうして殺気を篭めた視線で睨みつけても、平然と受け流している。
年若き女兵士に、易々と受け流せるものではないはずだ。こいつはとんだ食わせ者かも知れない。グスタフは警戒する。
伝令を呼びつけ、捕虜として連れてこられたダラス・マドロスを連行するように命じる。そして今までの戦いで捕らえた王国軍の捕虜も連れてこさせる。シェラを試すためにだ。
アレクは黙って一連の流れを眺めていた。真偽を見極めるには丁度良いと考えている。
「中佐、不躾で悪いが、先に一つだけ確認したいことがある。貴官の胸元に、獣の刺青はないであろうな?」
グスタフがシェラに尋ねる。マドロス人ではないという何よりの証明。胸元に刺青があるならばこれ以上の話は無用。即座に殺すべきである。
シェラは無言で胸部のパーツを外すと、おもむろに胸元を露出させた。やせ細ったその身体には、刺青どころか傷ひとつなかった。
「これで、宜しいでしょうか?」
将官達はシェラの身体から視線を逸らす。流石にまじまじと見つめるのは騎士道に反するという思いがある。
「……グスタフの非礼を詫びよう中佐。貴官がマドロスの者でないことは分かった。グスタフ、納得したな?」
「はっ、このグスタフの考えすぎだったようです。中佐、疑ってすまなかった」
アレクが侘びを入れると、シェラは何も言わず、無表情のまま身なりを整える。恥や怒りといった感情を見せることはなかった。
しばらくして、猿轡を噛まされ縄で拘束されているダラスと、数名の捕虜が天幕に連行されてくる。
親衛隊が猿轡を取ると、ダラスは顔を紅潮させてシェラに対して罵声を上げる。彼は第二要塞の所属だったが、シェラに行きがけの駄賃として暴行を受けた挙句、拘束されてしまったのだ。
「シェラ! 貴様何のつもりだッ!! 一兵卒から中佐にまで昇進させてもらった王国を裏切るとは!! この売国奴め! 貴様のような恩知らずの売女は地獄に落ちろッ!」
「殿下の御前だ。口を慎め、犬畜生の息子が」
「ウェルスの豚め! 我が父が必ずや貴様の一族を根絶やしにしてやるッ。否、ウェルス人は全員皆殺しだっ!」
「黙れッ! マドロスの狗めがッ!!」
グスタフが顔を思い切り蹴りつけると、ダラスは血反吐を吐きながらも抵抗する。今度は帝国に対して罵声を上げ始めた為、再び猿轡を噛ませる。他の捕虜と同じく強引に跪かされ、頭を前に倒される。
「――殿下。ここはシェラ中佐に処刑をお任せしてはどうでしょうか。帝国への忠誠を示してもらう機会となりましょう。中佐、まさか否とは言われますまいな」
「それは良い考えだなグスタフ。シェラ中佐、貴官の初任務だ。この屑共を処刑するように。こいつらは一度降伏しておきながら、脱走を企んだ恥知らずな連中だ。即刻処断してもらいたい。今すぐ、この場所で構わぬ。勿論、出来るであろうな?」
アレクが獰猛な笑みを浮かべながら命令する。親衛隊に目配せして攻撃態勢に入らせる。否と言ったらそういうことだ。
「了解しました。私の得物をお預けしているので、返していただいても宜しいでしょうか?」
シェラが一切の躊躇なく了解して立ち上がる。アレクが武器を返してやるように命じると、大鎌を持った親衛隊員2名が現れ、息を切らせながらシェラに手渡す。
シェラは演舞するように大鎌を振り回した後、ダラスの首元へと刃を構えた。
白刃が篝火の明かりを受けて、鈍い光を放っている。
「ダラス大尉。貴方、ついてなかったわね。でも心配しなくて大丈夫よ。一瞬で楽になるから。私、こういうの慣れてるから」
残酷に微笑んだ後、シェラは死刑を宣告する。ダラスは声にならない悲鳴を上げながら止めろと訴える。
アレクはシェラが本気だと判断し、このまま執行させるかをもう一度思案する。敵指揮官の息子であるこのダラスという男にはまだ利用価値がある。脅迫の材料に使えるからだ。処刑するにしても、敵に見せ付ける形の方が効果がある。ここで殺すのはやはり勿体無い。アレクは結論を素早く出した。
「待てシェラ中佐。その男の処刑は一時中止だ。その者にはまだ聞きたい事があるのを失念していた。他の捕虜は執行して構わない。後始末は考えなくて大丈夫だ。存分にやってくれ」
アレクは己の首を掻き切る動作をして、処刑を促した。血を見るのは嫌いではない。
「了解しました」
「や、やめて」
「もう逃げ出したりしないから許してくれ」
「ちゅ、中佐」
捕虜たちがひれ伏しながら命乞いをする。シェラは軽く首を横に振った。
「ごめんなさいね? でも、人間諦めが肝心よ」
ダラスから離れた後、流れるような動作で、容赦なく5つの首を刈り取った。捕虜達は悲鳴を上げる間もなく絶命した。天幕の入り口方面が赤い血飛沫で染め上げられる。ダラスが絶句して呆然とそれを見詰めている。
アレクが止めていなければ、ダラスの首も確実に胴体から離れていたであろうから。
今までの受け答え、行動を見てアレクはシェラの人間性を大体把握した。この女はいわゆる傭兵型の人種なのだ。己の働きに対し、正当な評価、或いは求めている物を与えていれば良い類の人間。そこに義理や思想などは挟まれない。報酬が支払われている間は、決して裏切らないであろう。それがなくなった場合は、簡単に祖国を見捨て、同胞を殺す事が出来る。
アレクからすると非常に扱いやすく、また使い勝手の良い人間である。今の大鎌の捌きを見ても、中々の武力を持ち合わせているように思われる。親衛隊員も顔を青くさせているようだ。
そして何よりも気に入ったのは、殺すときの仕草や表情だ。アレクは死神に少しだけ見とれてしまった。別に美女という訳ではない。だが、皇宮にいるどの女よりも強烈な印象をアレクにもたらした。
「グスタフ。彼女の帝国への忠誠は示されたと思うが、どうだろうか」
「……はっ、確かに見届けました。今後は我々の頼もしい同志となる事でしょう」
険しい表情で頷くグスタフ。完全には納得していないが、これ以上疑いをかける証拠もない。命じられた通りに王国兵を殺したのだ。王国に対してまだ心ある者ならば、多少は躊躇を見せるであろう。それが一切ないのは確かだった。
「血生臭い席になってしまったが、シェラ中佐。貴官を心より歓迎する。後程指示を出すので、今日はもう休まれよ。食事が必要ならば、輜重隊に申し付けるが良い」
「はっ、ありがとうございます。違わぬ忠誠をお誓いします。それでは、失礼致します」
シェラは敬礼した後、天幕から立ち去っていく。手にした鎌からは、赤い液体が滴り落ちていた。
「中々面白い女だな。どうやら腕も立つようだ。働き次第では使っても良いかもしれん。特に人を人と思わない所が見所がある。使いこなせば良い手駒になりそうだ」
「……殿下。あの女は危険です。どうか深入りなさらぬように。あやつは何を考えているかわかりません」
「相変わらず心配性だな、グスタフ。あれは金と身分、そして働き場所さえ与えておけば大丈夫だ。そういう人種なのだ。お前には理解できんだろうがな」
「……念の為です。シェラ中佐の騎兵隊は分散して配置した方が宜しいかと」
2000の騎兵を4つに分けて、帝国の各騎兵隊に所属させる。何かを企んだとしても、少数ならば被害は少ない上、連携をとる事もできないだろう。諜報隊に命じて探りを入れさせることも忘れない。
「お前の好きなようにして構わん。但し、中佐の機嫌を損ねない程度にしておけ。そうだな、我らに貴重な情報をもたらし、王国兵の首を持参した報奨金を渡しておこう。度量が狭いなどと思われたくはないからな」
アレクが命じると、参謀の一人が頷いた。
「承知しました。直ちに手配いたします」
「よし、それでは更に作戦を煮詰めようではないか。これからが遠征の山場と言えよう」
アレクが促すと、シェラが持ち込んだ地図を睨みながら、将官達は再び意見を出し合い始める。先程とは違い、随分と士気が上がっている。
(……殿下の目を疑うわけではないが、やはりあの女は信用できぬ。念には念を入れるに越したことはあるまい)
グスタフは更に監視役をつける事に決めた。投降してきたからといって、ここまでするのは異例ではある。だが、やはり嫌な感じが拭えないのだ。ウェルス出身のカール少尉をシェラにつけ、不審な動きがあったら報告しろと命令し配属させた。
カールという男は機転は利かないが、命じられた事は確実に実行する。こういった任務にはうってつけだった。
帝国軍野営地。兵士達が身体を休め、各々が食事や雑談に興じている。寒さが厳しく、至る所で焚き火が行われ暖を取っている。
少ない食料と厳しい寒さ。この2つは帝国兵の士気を嫌でも奪っている。まだ崩壊にまでは至っていないが、深刻な状況だった。
シェラは自分の騎兵隊のテントまで早足で向かう。早くしなければ食事にありつけない。やがて焚き火の側で周囲の様子を観察しているカタリナの姿を発見する。向こうも気付いたらしく、シェラに向かって合図を送ってきた。
「ご無事でしたか、中佐」
「ええ。何の問題もなかったわ。それより何を食べているの?」
兵達が貪っている物に視線を向ける。芋のようなものに、何かを塗りつけて食べている。焚き火の明かりに照らされて、とても美味しそうに見える。シェラは唾を飲み込んだ。
「……配給された食糧です。今晩はパンとこの芋が2つです」
カタリナが眉を顰めながら報告する。浮かない表情なのは簡単だ。この芋は美味しくない。
「私の分もあるかしら。そろそろ我慢できなくなりそうよ」
「ただいま取ってまいります。暫くお待ちを」
カタリナが輜重隊に向かおうとしたところ、若い男が声を掛けてくる。両手には芋とパンを持ちながら。
「それには及びませんよ。中佐の分をお持ちしました。どうぞお召し上がりください」
愛想笑いを浮かべながら、シェラへと手渡してくる。カタリナが怪訝な顔で尋ねる。
「貴官は?」
「これは申し遅れました。私の名はカール。階級は少尉です。グスタフ閣下より貴方の隊で働くようにと命令を受けました。何か不自由な点がありましたら何でもお申し付けください。お力になれるよう努力します」
シェラに向かって敬礼する。顔は笑っているが、目は猜疑心を隠せていない。あからさまな監視役だが、それも承知でグスタフはその任につけた。常に警戒しているから妙な気は起こすなという、警告も兼ねている。
「そう。それじゃあ、これから宜しくね。とりあえず私は食事するから、話は後で聞かせてもらうわ」
早速パンに齧りつき、芋を棒で刺して火で炙り始める。香ばしい匂いがシェラの鼻をくすぐる。
「食べる時は、バターかチーズを塗ると良いですよ。多少は誤魔化せます。我がウェルスの特産、ウェルス芋は栄養があり、大量に収穫できるのですが、味に多少の難がありまして。世の中上手くいかないものですね」
病害や虫に強く、栄養価もあり短期間で大量に収穫可能なウェルス芋。冬以外ならば育成可能で栽培場所は選ばない。今回の遠征では糧食として大量に持ち込まれている。輸送されてくる食糧もこの芋が大部分を占めている。保存も利く上に、非常に安価だからだ。
但し、兵からの評判は宜しくない。歯ごたえがありすぎる上、苦味がある。しかも毎日この芋ばかり。士気が落ちている原因の一つでもある。兵達の評判など知ったことではない上層部は、種芋を占領地域に植え、現地での調達を計画中である。来年は嫌というほどの芋畑を見ることが出来るであろう。
「食べれるならば文句は言わないわ。美味しいに越したことはないけれど」
「そうですね。他の兵達にも聞かせてやりたいお言葉です。食べられるだけマシだという事が分かっていない連中が多くて」
「文句を言えるのは余裕がある証拠よ。切羽つまればそんな事言えなくなるから」
「まさに至言ですね。このカール、感服致しました。……それでは今日はこれにて失礼致します。申し訳ありませんが支度がありますので。明日からは共に行動させて頂きます」
一礼すると、シェラ達の下から立ち去っていく。シェラはつまらなそうに見届けながら、程よく火の通った芋を手に取る。熱さを我慢しながら半分に割ると、湯気がもわっと立ち上った。カタリナがその面にバターを塗りつけてくれる。阿吽の呼吸だ。
大口を開けて芋を皮ごと貪り始める。シェラ隊の面々はその光景を楽しそうに眺めている。何でも美味しそうに食べる上官の姿は、何度見ても飽きないらしい。
「どうですか? 苦味が強すぎると思うのですが」
「草よりは美味しいわ。あれは苦いなんてものじゃないからね」
「……草をそのまま食べるのは、中佐か馬だけかと思われます」
「人間、腹が減れば何でも食べるわよ。草だろうが腐肉だろうが。餓えには誰も勝てないから。それでも、私は人間だけは食べない。絶対にね。カタリナ、何でか分かるかしら?」
「……私には分かりかねます」
暫く考えた後、カタリナは正直に答えた。人肉を食べたいと考えたことはない。死体を操ることに罪悪感を覚えることはないが、人肉だけは抵抗がある。餓えていても、恐らく口にすることはないだろう。
「それはね、私が人間だからよ。簡単な話でしょう」
どこか壊れたような目で、シェラは咀嚼しながら答えた。
カタリナは無言で頷いた後、話題を変えた。思わず口に出そうになった問いを飲み込んで。
『貴方は、本当に人間なのですか?』という不敬極まりないもの。
「……帝国の将官の印象はどうでしたか?」
「王国より頭の良さそうなのが揃ってたわよ。アレク殿下も面白そうな人間だったし。将来は立派な皇帝になるんじゃないかしら。私には関係ない話だけど」
手についたバターを丁寧に舐めながら、どうでも良さそうに答えを返すシェラ。
パンと芋2つじゃ全く満たされない。が、贅沢を言える立場ではないので今は我慢する。
我慢できなくなったら仕方がない。
「……私、いえ、私達は中佐と共に最後まで行動します。中佐はご自分の道を、好きなようにお進みください」
声量を落としてカタリナが呟く。言外に深い意味を篭めている。シェラが望むなら、このまま本当に帝国軍に付いても良いとカタリナは言っている。騎兵隊も皆同じ意志である。
「ありがとう。本当に嬉しいわ。それじゃあ、貴方だけに良いことを教えてあげる」
シェラは微笑みながらカタリナへと近づく。そして耳元で呟いた。
「私が戦う理由は3つあるの。1つは食べる為ね。2つ目は反乱軍を思う存分殺す為よ。最後の1つは秘密だけどね。私が王国軍で戦っていたのは、その全てを満たすことが出来るからよ」
食欲を満たす為に戦う。恨みを晴らすために大鎌を振るうと、食料と金が手に入る。こんなに素晴らしい働き場所は他にはない。
しかも食事を共にしてくれる仲間も出来た。シェラは現状に満足している。
いずれは3つ目も叶えることが出来そうだ。そう遠くない時期に。
カタリナは最後の1つに非常に興味がそそられたが、尋ねることはしなかった。聞いても答えてくれそうになかったからだ。いずれ分かるときも来るだろうと我慢する。
「……それでは、ここは?」
「フフッ、言わなくても分かるでしょう、カタリナ。反乱軍を裏から支援してたのは誰かしら。私にとっては余り違いがないわ。つまり、そういうことよ」
カタリナから身体を離すと、獰猛な笑みを浮かべる。様子を窺っていた騎兵達は、指揮官の意志を正確に汲み取った。
焚き火の爆ぜる音だけが響き、暫くの間沈黙が辺りを包んだ。シェラもパン屑を炙りながら長い食事を楽しんでいる。
突然、シェラの頬に冷たい何かが降って来た。他の隊の兵達も夜空を見上げて、深い溜息をつく。
『降ってきやがったぜ』
『あー寒い寒い、やってられねぇ!』
『酒もってこい! それに毛布だ!』
『自分でいけ馬鹿野郎』
『ったく、こんな場所で冬を越すなんてついてねぇ!』
ざわめき出した周囲を無視して、シェラは雪の感触を珍しいといった様子で楽しんだ。
騎兵達は布切れを纏い、寒さから身を守っている。カタリナもマントをとりだし、シェラへと被せた。
「――雪、か」
「厳しい行軍になりそうですね」
「でも、きっと楽しくなるわ。白って綺麗だから。赤がとても映えるわよ」
一面の白景色に、点々と散らばっていく赤い色彩。それを想像しながら、シェラは最後のパン屑を口に放り込んだ。