第二十一話 煮干はしょっぱくて美味しい
将官達が居並ぶベルタ城、謁見の間。敗軍の将ガムゼフは地に額を擦り付けて平伏していた。
全ての責任は、作戦を立て指揮を行った自分にある。立ち止まる機会はあった。ヤルダー師団の更迭という情報。そこで一度行軍を停止し、綿密に偵察を行うべきだったのだ。
ガムゼフの後悔は尽きない。全ては水の泡。今後はディーナーが完全に主導権を握ることになるのは間違いない。
「このガムゼフ。姫より兵を預かりながらこの不始末。申し開きの言葉もありませぬ。どのような責めも負う覚悟です。規律を保つためにも、この私めに厳罰をお与えください」
「それは違います、ガムゼフ。実行するように命じたのはこの私。貴方達は勇敢に戦ってくれました。これからも私に力を貸してください。決して早まった事をしないように。まだまだ戦いは続くのですから」
「姫。それでは士気を保つことが出来ませぬ。このような時こそ、信賞必罰を徹底することが肝要なのです。どうか、私を処断くださいますよう。情けなど無用です」
吐き出すように訴えるガムゼフ。己の死により、ベルタ派の失点を帳消しにする覚悟である。
それを分かっているディーナーは、彼に助け船を出す。ここで貸しを作っておく算段だ。
ガムゼフ自体も決して愚か者ではない。王都地帯にツテもあり、作戦を立案できる能力もある。今回は失敗に終わったが、楔を打ち込むという意味では成功している。王国軍はキュロスにも防衛戦力を向けねばならないのだから。
「ガムゼフ殿。たかが一回の敗戦で命を捨てるなど馬鹿馬鹿しいですぞ。この戦いでの勝利とはただ一つ。王都を解放し、圧政者を打倒することなのですから。まだまだ貴方の力が必要です。このディーナー、謹んでお願い申し上げる。どうか解放軍の為に、その力をお貸しください」
ディーナーは頭を下げるガムゼフの手を取り、立ち上がらせる。全てが芝居だ。だが派閥争いなど存在しないとアピールする為にも、必要な事である。
これでガムゼフは当分の間大人しくなる。その間にディーナーはベルタ派を切り崩していくつもりだ。
旧王国派閥がのさばっていては、何の為の解放戦争なのか分からなくなる。王国南部調略と並行して、速やかに実行していく必要があった。重要なのはアルツーラの元に、意志を統一すること。サルバドル派に一応は属しているディーナーだが、本心はそれである。王政を奪還した暁には、一気に改革を推し進めなければならないのだから。
「しかし、私達の同志を何人も手にかけている死神とは何者なのですか。ボルール、ボジェク、ハスティー。皆勇敢な者達でした。易々と討ち取られるなど今でも信じられません」
「王国軍中佐、シェラ・ザード。20に満たない女士官で、元第3軍の騎兵隊を率いているようです。降伏した士官の話によると、元は農村の出身で王国の徴募に自ら応じたとか。進むべき道を見誤った、哀れな人間です。大義を見出せず、ただ殺すことに溺れてしまったのでしょう。同情すべき点はあるかもしれませんが、これ以上の過ちを見過ごすわけには参りません」
平然と素性を語ってはいるが、内心では煮えたぎる怒りが沸き立っている。ディーナーにとって許しがたい人間。次の戦いで必ず殺すつもりだ。確かにその武勇は脅威ではあるが、所詮は突撃するしか能のない女。
罠を仕掛けて重囲すれば、必ず討ち取れる。兵法に明るくないことは、元副官のヴァンダーから聴取済みだ。シェラを討ち取った後、その身体を八つ裂きにしてようやくディーナーの怒りは収まるだろう。
綿密に練り上げた戦略を、個人の暴勇で打ち破るなどあってはならない。そんな事は決して認められない。
「……ただの農村出身の兵卒が、数年の間に中佐に昇進したと? 女の身でありながら、これほどの武勇を身に着けるとは。全く信じがたい。死神という評判も頷けるというもの」
ベフルーズが白髭を撫でながら腕組みをする。戦闘を目撃した士官の話を聞くと、それが眉唾ではないことが実感できた。
あいつの前にだけは立ちたくない。皆が口を揃えて怯えながら語るのだ。壊滅したハスティー隊では、正気を失った兵もいる始末だ。
いずれ相対するであろう死神。指揮官としては実に厄介な敵である。優秀な武官を当てても、易々と討ち取られては意味がない。
解放軍随一の使い手、フィン大佐でもなければ太刀打ちできないのではないか。だが万が一討ち取られでもしたら、全軍の士気に関わる事態となる。ベフルーズは思わず溜息を吐いた。
「……死神の件は、このディーナーにお任せください。折りを見て、討ち取られし同志達の無念を果たしてご覧に入れます。ガムゼフ殿。その時は是非とも“ご協力”ください」
「……了解しましたディーナー殿。このガムゼフ、これからも解放軍の為に尽くします」
ガムゼフが表情を作ってアルツーラに向き直り、一礼する。
「ありがとうガムゼフ。これからも宜しく頼みます。……ディーナー。今後、私達はどのように動くべきですか?」
アルツーラが問い掛けると、ディーナーは一拍置いて淡々と答える。
「はっ。もう間もなく厳しい冬が訪れます。この間に戦力を整え、まずは民達の生活を復興させましょう。幸い敵将シャーロフは守勢に徹しております。打って出てくることは、まずありますまい。仮に来たとしても、足止めすることは容易い事です。雪は我らにとって力強い防壁となるのですから。今は同志を集め、訓練を行い、我らの大義を世間へと広く訴えかけるのです」
富国強兵。現在の解放軍の方針はこれに尽きる。戦力を消耗した現在、力を蓄えることが最優先だ。
「それでは我々が王都を目指すのは、春の訪れを待ってということでしょうか?」
「はい。我々が動くのはそれからになりましょう。我らを支援して下さっている帝国は、王国北西部、マドロス地帯を攻略している模様です。冬が来ても彼ら王国軍に安息の日は訪れません」
その言葉にアラン皇子が頷く。10万の兵力を伴って、継承順位第一位のアレク皇子が遠征中だ。
アレク率いる第一軍団、帝国北東部ウェルスを守備する第七軍団が共同して侵攻している。アランの実兄に当り、皇帝である父からの覚えも良い人間だ。何事もそつなくこなし、人心を掌握するのが上手い。この遠征が成功した暁には、その立場と地位も確固たるものになるだろう。今のアランにとってはどうでも良い事であるが。
「我が兄アレクならば、必ずやマドロスを攻略する事でしょう。王都を突く構えを見せれば、カナン防衛も薄くなるはず。我々は好機を待ち、戦力を蓄えるのが最善かと」
アランの言葉を受け、アルツーラが力強く頷いた。
ベフルーズへ確認するように視線を送ると、彼も異論はないようだった。
「方針は決まりました。各自、最善の努力を行い、大義の実現の為に働いて欲しい。私も全力を尽くします」
「はっ、お任せください!」
各自が退出し、アルツーラとアランが親しげに話し始めるのを見届けた後、ディーナーも自室に戻る。
やるべきことは幾らでもある。時間があればあるほど調略を施しやすい。次にカナンを攻める時は、確実に落とす。だが、カナン防衛に就いているシャーロフ相手では、長期戦を余儀なくされるだろう。冷静で堅実なあの男は、まずこちらの策には乗ってこない。篭っていれば要害カナンは守りきれるという自信と確信があるからだ。そしてそれは正しい。
解放軍としては、迂闊な王国軍をおびき出して、各個撃破というのが望ましいのだが。
(……そろそろシャーロフ元帥にもご退場頂かねばなるまい。ベフルーズ将軍には悪いが、私情を挟んでいる余裕はない)
その為の種は撒いてある。後は確実に芽が出るように誘導するだけだ。そしてその類の策はこのディーナーが最も得意とする所。鼻を軽く鳴らした後、諜報員への指示を綿密に記した密書の作成を開始した。
キュロス防衛に成功したヤルダー混成師団と、シェラ騎兵隊は、シャーロフの指示により王国北西部へと向かっていた。
王国北西部、帝国との最前線に当るマドロス地帯。西には帝国領ウェルス地帯があり、長きに渡り対立してきた歴史がある。
カナンにおいては、ロシャナク要塞にはシャーロフが入り、バルボラが前線警備、ラルスがキュロス要塞の守備に回った。
冬季において攻勢を仕掛けるつもりはないので、余剰兵士は王都へと帰還させている。兵士達に疲労と不満が溜まっていた事もある。
バルボラは冬季攻勢を訴えていたが、リスクが高すぎるとシャーロフは却下した。冬場は物資の輸送すら困難なのだから。
ちなみに敵奇襲部隊を撃退し、峠を越えて逆落としを食らわせ、敵本隊側面を突くという大戦果を挙げたヤルダーだったが、残念ながら大将への復帰は認められなかった。シャーロフの奏上は却下され、次の活躍次第で復帰させるとヤルダーには通達された。 再び意気消沈したヤルダーではあったが、これからが頑張りどころと奮起し、一人士気を高めていた。
同じようにシェラの昇進も見送られた。流石に大佐まで昇進させるのはやり過ぎであると、待ったがかかったのだ。
本人は全く気にせず、黙々と食事を取っていたので問題はなさそうだった。昇進よりも、目先の食い物のほうが大事なようであった。
――王国北西部マドロス地帯本拠地、マドロス城。
「これはこれは、ヤルダー元大将兼元帥候補閣下ではないか。まだしぶとく生きていたのか!しつこいのはその顔だけにしておけよ! ハハハッ!」
到着したヤルダーを迎えたのは、下品に笑う第5軍司令官ケリー・マドロス中将である。
すっかり禿げ上がった頭をポンと叩きながら、憤慨するヤルダーにまぁ座れと促す。
乱暴に席に着いたヤルダーは、室外まで届く声量で遠慮なく怒鳴り散らす。
「か、顔の事だけは貴様に言われたくないわ! このむさ苦しい禿げ頭め!」
「この方が兜を被るのに楽なのさ。貴様もそのうち分かる時がくる。それまでお前の首が繋がっていればな! ワハハハハッ!!」
ケリーが笑い声を上げると、室内の士官達も笑い声を上げる。誰もがケリーに見込まれた勇敢な男であり、最後まで戦いぬく気概に溢れている。第5軍はマドロス地帯出身者で固められた異質な軍隊である。彼らが帝国に下ることは決してないだろう。
「き、貴様らッ! 私を侮辱するにも程があるぞ! わざわざ援軍に来てやったというのになんということかッ! どいつもこいつも馬鹿にしおって!」
机を叩きつけるヤルダー。顔は茹蛸のように赤くなっている。
「まぁ落ち着けヤルダーよ。同じ階級になったからむしろ話易くなったではないか。大将も中将も似たようなものだ。俺にとってはどうでも良い話だ。
そうだろう? まぁ飲め飲め」
ケリーがヤルダーの肩を叩きながら酒を注ぐ。北西部は寒さが厳しく、酒は温められた物が提供される。
まだ雪は降ってはいないが、寒さは肌を突き刺す程だ。普通ならば戦いを仕掛けようとは思わないだろう。
酒を一気飲みして感情を落ち着かせたヤルダーは、大きく息を吸い込み、そして吐き出した。それなりに付き合いのあるこの男は、こういう性格なのだ。人を喰ったような男で、非常に性格が悪い。その癖戦いでは結果を残すという嫌な奴なのだ。
「……もう良い! さっさと本題に入るぞ。帝国の奴らはどこまで来ているのだ」
「うん? ああ、帝国の馬鹿共か。あいつらこの糞寒い冬になっても引きやがらねぇ。こっちは冬までもたせるつもりで戦ってたのによ。元はといや、ダーヴィトの軍団を動かした糞のせいなんだが」
今は亡きダーヴィト率いる第4軍と、ケリーの第5軍でこの地域の拮抗をなんとか保っていたのだ。それを王都の馬鹿が無闇に動かしたせいで、この有様だ。帝国軍との防壁となる筈だった新要塞。馬鹿正直に篭って戦っていたら、確実に壊滅させられていただろう。 ケリーは完成したばかりの第一要塞を無力化した上であっさり放棄、住民を退避させながら持久戦に持ち込んだ。敵の兵站を妨害するゲリラ戦と、築き上げてきた小さな砦や、隅々まで知り尽くした地形を利用して遊撃戦を展開した。その甲斐あって敵の足止めに成功し、冬季まで持ちこたえる事には成功した。
「……ダーヴィト殿は残念だが、ベルタ城で」
「ああ、知ってるよ。気にくわねぇ奴だったが、酒を見る目だけはあったな。あいつの選んだ酒は、本当に美味かった。それだけは惜しいな。うん、実に惜しい」
家柄を鼻にかけるダーヴィトと、辺境であるマドロス地帯出身のケリーが上手くいく訳がなかった。とはいえ、お互いに衝突するようなことはせず、出来るだけ関わらないようにするという間柄であった。ダーヴィトが義理で贈ってくる酒は、予想外に美味かった。
「……帝国軍はアレク皇子が総大将という話は本当か?」
「ああ、帝位を得るための得点稼ぎだろうよ。奴らの意気込みは大したもんだ。ついでにウェルス家の糞野郎も鼻息荒くして攻め込んできてやがる。腹立たしいったらありゃしねぇ」
帝国領ウェルス地帯、第七軍団指揮官グスタフ・ウェルス中将。ケリーとは先祖からの遺恨がある怨敵である。
ケリーはマドロス地帯を、グスタフはウェルス地帯を守るために、お互いに殺したり殺されたりする仲である。
200年前から続く、血に塗れた腐れ縁だ。この因縁こそが、ケリー達が帝国軍に降伏しない一番の理由でもある。
グスタフがマドロス地帯を支配すれば、必ず今までの復讐をするだろう。逆の立場ならケリーもそうする。今更綺麗ごとで収まるような関係ではない。殺すか殺されるか。相手の都市を壊滅させるまでそれは続くだろう。殺される前に殺さねばならない。それが領主の役目である。
憎悪の始まりは、降伏した民を殺戮したとか、されたとかいう話らしいが、もうどちらの言い分が正しいのかも分からない。知りたいとも思わない。何れにせよマドロス家は王国に付き、ウェルス家は帝国に付いた。それだけの話だ。
マドロス人は胸元に守護獣の刺青をする習慣がある。ウェルス人は肩部に聖鳥を刻印する。皮肉にもそれが人種を識別する記号となり、お互いの対立を更に煽る結果となっていた。
「……もう冬になるというのに、撤退する気配はないのか? 10万もの大軍だ。維持するだけでも苦労するだろうに」
「そりゃもう元気一杯で攻め込んで来てるぜ。皇子直々に指揮してるからな。手柄の稼ぎ所って訳さ。こっちは折角育てた畑を焼き払いながら撤退続きだってのによ。とはいえ、奴らに食わせる飯は一欠片もねぇからよ。一つ残らず炭屑にしてやったぜ。冬に入り、奴らの兵站が厳しくなったこれからが本当の勝負だ。帝国の馬鹿共に地獄を見せてやるぜ」
第5軍は帝国軍侵攻経路上の住民を全て避難させ、井戸に毒を入れ、畑を焼き払い、家畜は殺した。帝国兵にくれてやる物は一つもない。ケリーだけでなく、兵、住民に至るまでその考えは共通していた。
捕まれば乱暴されて殺される。それが嫌というほど分かっているだけに、否という者は一人もいなかった。
ケリーが酒を飲み干すと、グラスを強く握り締める。ヤルダーも思わず力が入る。机の上に広げられた地図を眺め、顎を擦る。
「マドロスから北西が第二要塞、西が第三要塞、南西が第四要塞か。第二は海岸沿い、第三は山岳に囲まれた難所。第四がマドロスに繋がる一番の急所だな。平野部で一番落としやすいだろう。私ならここを狙う」
正攻法を好むヤルダー。何も考えずに攻めやすい要塞を選ぶ。大軍を擁しており、兵站の心配がなければ間違ってはいない。わざわざ難所を攻める必要はない。損害覚悟で力攻めするのも時には必要である。
ケリーはそれならそれで問題ないと言い切る。彼にはここを守り抜く自信と覚悟がある。
「その分一番堅固に作ってあるぜ。まぁそう簡単には落せねぇよ。俺が直々に指揮を執るからな。ヤルダーよ。お前には海沿いの第二へ向かってもらうつもりだ。裏には食糧貯蔵庫への道が控えてるからよ。そこが落されると第5軍とお前らの師団は窮地に陥るって訳だ。どうだ、やばそうな場所だろう?」
海岸沿いに築かれている第二要塞を指差すケリー。街道を遮るように築かれた関である。だが堅固とは言い難く、攻城兵器を持ち出されれば、持ちこたえるのは難しいであろう。
「それは良い働き場所を貰ったというもの。このヤルダーと、栄えある混成師団。必ずや要塞を守り抜いてみせよう。そして我が働きを、今度こそ王都の連中に認めさせてやるわ!」
ギリギリと歯軋りするヤルダーを面白そうに眺めながら、ケリーはニヤリと笑う。きっとこいつは暴れるだろうなと確信しながら、からかうように話しかける。
「まぁ慌てるなよヤルダー。話は最後まで聞け。これはお前達にしか出来ない仕事だからよ。降格されたヤルダー中将と、敗残の哀れな混成師団にしか任せられねぇんだ。その猪みたいな頭で、よーく俺の話を聞いておけ。失敗は許されねぇ。良いな?」
「突然真剣な顔になりおって、一体何だというのだ。私だけでなく、貴様は兵達まで侮辱したのだ。下らんことだったら、許さんぞ!」
「それはだな――」
声を押し殺しながらケリーがヤルダーに説明する。聞き終える前に激怒したヤルダーが右拳で殴りつけると、ケリーも頭突きで反撃を行い、会議室は大混乱となった。周りの士官達は煽り立てるばかりで止める気配は全くなく、二人の中将は顔に痣が出来るまで殴り合いを続ける事となる。その様子は酒場で暴れる酔っ払い同士の喧嘩といった様相であった。参謀が呼び寄せた衛兵が制止に入るまで、馬鹿騒ぎは続いた。
――数日後の夜。火の手が上がる第二要塞を後にして、シェラ率いる騎兵隊2000は帝国軍陣地を目指していた。
兵達の馬には、王国兵の首100程が括りつけられている。更には縄で雁字搦めにされたマドロス家の次男、ダラスの姿もある。
猿轡を噛まされ、顔には青痣が浮かび、暴行を受けた跡が見受けられる。彼は帝国軍への捧げ物、生贄である。
「カタリナ。もうそろそろかしら」
「はっ。辺りに斥候の気配があります。我々は捕捉されたと思われます」
「そう。それじゃあ予定通りね。アレを掲げなさい」
後ろの騎兵に指示すると、白布を結びつけて、高らかに掲げる。
古今東西より降伏する手段として用いられる、いわゆる白旗。シェラ騎兵隊はそれを何個も掲げて進軍を続ける。
「帝国軍には美味しい物があるかしら。楽しみね」
シェラはマドロス名産の煮干を頭からしゃぶる。庶民の食べ物であるそれは、貴重な塩分を取る為に、非常に塩辛く味付けされている。本来は、単体で食べる事は余りしない。
シェラは顔を顰めてしょっぱいという表情をした。カタリナは水筒を差し出すが、シェラは首を振って遠慮した。
袋からもう一匹取り出して、今度は尻尾から咥える。苦味が口内を包み込んだ。
「この季節ですから、余り期待しないほうが宜しいかと。恐らくは――」
と、ウェルス特産品を挙げようとしたカタリナの声を遮り、周囲の茂みから歩兵達が殺気立って飛び出してきた。
松明を掲げ、威嚇するように長槍を騎兵に向けている。シェラは煮干を一気に噛み砕いた。小骨がジャリっと音を立てて粉々になった。苦味の後で塩味が広がり、シェラはまたしょっぱい顔をした。
「止まれッ! 馬を止めろッ!!」
「動くな! 動くんじゃないッ! 怪しい動きをしたら即座に殺すッ!」
「王国軍の者だな! その白旗がどういう意味かは分かっているのだろうな!?」
口々に大声を上げながら、シェラ達を威嚇する。騎兵達は動揺することなく指揮官の言葉を待っている。馬達も嘶きを上げようともしない。その妙な騎兵達を、帝国軍は訝しげな視線で観察する。普通はこういう類の人間はおどおどしているものだから。
警邏隊の指揮官が、咳払いをした後、大声で宣告した。
「我々はキーランド帝国第七軍団警邏隊である! 貴官らは何用で参ったのか! 返答次第では攻撃を仕掛けるッ! 心して答えられるが良いッ!」
その問いに、シェラは馬を一歩進めて、静かだが良く通る声で返答した。
「私はユーズ王国特殊混成師団騎兵隊所属、シェラ・ザード中佐だ。キーランド帝国に降伏する為に、第二要塞に火を放ちマドロス家の者を捕らえて来た。帝国軍の指揮官殿にお会いしたい。我々に帰るべき場所はもうない」
シェラが合図すると、付き従っていた騎兵達が首を放り投げる。帝国兵達がそれを調べる為に拾い上げていく。
遠く前方、夜空に滲むように浮かび上がる赤い光。第二要塞付近からは確かに火の手が上がっている。
それを警邏隊の指揮官が確認すると、シェラを警戒しながら睨みつける。
「……貴官は、マドロス人ではないのか?」
マドロスの人間は決して降伏しない。つまり、マドロス人ならばこの場で殺すつもりでいた。帝国第七軍団はウェルス地帯出身者が多い。この指揮官はウェルス人だ。
「私は中央国境地帯出身だが、それが何か?」
「……いや、了解した。だが降伏を受け入れるかは我らでは判断できん。これから貴官を本営まで案内するので、そこで仔細を説明されるが良い。決して変な考えを起こさないように。我らの兵はここだけではない」
「感謝する。それでは案内をお願いしたい」
「こちらだ。ついて来られよ」
シェラが促すと、指揮官が先導して歩き始める。騎兵隊の周囲には槍を構えた兵と、弓を構えた兵が囲うように陣形を組んでいる。妙な真似をしたら、即座に矢が放たれ、槍が繰り出されるのだろう。騎兵達は恐れを見せず、無言でシェラの後に従う。
いつの間にか白旗は、栄えある黒旗に付け替えられていた。彼らの誇りが許さなかったのだろう。シェラ騎兵隊に敗北はないのだから。帝国兵は全く気付いていない。
それらを一瞥すると、シェラはとても楽しそうに口元を歪めた。
「――本当に、楽しみね」
勝ち組の帝国軍に転職しました。
次からシェラさんのシーンが多くなります。
主人公なのに少ないですね。煮干食ってる場合じゃないです。