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死神を食べた少女 作者:七沢またり
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第二十話 絵に描いた花は、食べられないけど美味しそう

 カナン街道を遮るように、王国軍の旗が満遍なく立ち並んでいる。左右の高地には即席の陣地が築かれており、そのまま攻めれば多大な被害を被るだろう。
 それを遠眼鏡で眺めながら、野戦陣地本営でガムゼフは予定通りだと頷く。前面には槍兵を並べ、その次に弓、最後尾に騎兵を配置する三列陣を解放軍は選択した。騎兵の役目は回りこんでの迂回攻撃だが、今作戦では投入予定はない。あくまで敵主力を引きつけておくのが主目的である。


「やはり、カナンは難所ですな。まるで自然の要塞だ。落すには大量の兵で一気にいくしかありませんな」

 実際に指揮を行っている将官がガムゼフに声を掛ける。ベルタ派の人間であり、ガムゼフとは旧知の仲だ。それなりに人望もあり、統率力にも長けている。王国時代の彼に足りなかった物は、運と貴族との繋がりだ。たったそれだけで、出世への道は閉ざされ、閑職へと回されていた。

「その通りです。だが、その分敵の兵站も厳しい物となっている。簡単に言えば、街道さえ押さえてしまえば、彼奴らは袋の鼠。やがては窒息して悶え死ぬでしょう。現地調達は不可能に近いですからな」

 ハスティー大佐率いる部隊がキュロスを落せば、カナンという袋に手を掛けた状態に持ち込める。多少危険を冒してでも、やってみる価値のある作戦だった。だからこそディーナーも強硬には反対しなかったのだ。

「今回の奇襲、上手くいけば一気に王都への道が開けますぞ。そうすれば、ガムゼフ殿の解放軍での立場も確固たる物になりますな。ますますアルツーラ様の為に働けるというもの」

「ハハ、いやいや、私などはどうでも良いのです。ただ解放軍勝利の為に、私は戦っているのですから」

 ガムゼフが謙遜し、愛想笑いを行う。実際には派閥同士の鍔迫り合いが行われている。アルツーラの信頼を勝ち取るためにも、何としても成功させたい。

「しかしこのまま見合っているだけでは、謀ありと疑われるかもしれません。そろそろ挑発がてら騎兵を投入しようと思うのですが」

 将官が騎兵投入を進言する。様子見に一撃浴びせるのは悪くはない。

「深追いは禁物、一撃を加えたら直ぐに引き返すよう厳命してください。仮に敵が食いついてきたら儲け物です。痛撃を浴びせてやりましょう」

「よし、騎兵隊に伝令を出せ!」

 ガムゼフが同意すると、将官が指示を飛ばす。騎兵の1隊に陽動攻撃を仕掛けさせろと、仔細を命じる。伝令が頷くと、本営から走り去っていった。それと入れ替わるように、別の伝令が報告する。

「ガムゼフ様。敵陣に忍ばせている諜報員から連絡。ヤルダー大将が軍規違反を問われ降格、王都へと戻された模様。率いているのはアンティグア、ベルタの敗残兵達です」

「ヤルダー大将も哀れな事だな。築き上げた名声がボロボロではないか。鋼鉄師団と呼ばれていたのが嘘のようだ。ああはなりたくないな」

「その分、我々としては助かっていますがな。彼の浅慮のお蔭でアンティグアは落とせたようなもの」

 将官が同情するように呟くと、他の将が軽口を叩く。

「……ふむ」

 報告書を読んだ後、ガムゼフは腕組みをする。現在カナン防衛を担っているのは元帥のシャーロフ。慎重深く、堅実な指揮を行うことに定評がある。そんな男が、この防衛戦の前に貴重な兵力を割くような事をするだろうか。嫌な予感が頭を過ぎる。作戦を続行して良い物かどうか。だが止めるには材料が少なすぎる。余りにも弱気な判断だ。

「どうされましたか、ガムゼフ参謀」

「……いや、何でもありませぬ。少しばかり考え事を」

「ハハハ、心配なさらなくとも、ハスティー大佐なら必ずやり遂げるでしょう。彼は野戦に関しては解放軍でも随一。フィン大佐にも引けはとりませんぞ」

「そうですな。何としてでもキュロス要塞を落してもらわなければ。解放軍の勝利の為にも。そして虐げられている民達の為にも」

 ガムゼフは頭に過ぎった懸念を振り払うように、強く頷く。ここで作戦中止を命じる事も出来る。だが、その場合は投資した時間、人、金が全て無駄となる。正面に展開しているこの大部隊も、無意味に撤収しなければならない。もしただの思い過ごしであったのならば、みすみす勝機を逃してしまう。一度動き始めた作戦を止めるのは、実行する時よりも難しい。
 ガムゼフは、作戦続行を決断した。

(大丈夫だ。きっと上手くいく。今更止めるなど考えられぬ。それこそディーナーの思う壺ではないか。必ず成功させてみせる)

 角笛が鳴り響き、陽動目的の騎兵達が駆け始める。ガムゼフは、彼らが舞い上げる砂塵を、落ち着かない心で見送った。






 第1軍山岳陣地本営。敵兵を見下ろしながら、シャーロフが白髭を撫でる。そして己の判断が間違っていないことを、確信する。敵にこの難所を攻め落とそうという気概を感じられない。長年の経験から、様々な戦場の雰囲気を嗅いで来たのだ。言葉では説明できない、臭いというものが多少は分かる。全く論理的ではないこの感覚。だが、シャーロフは自分の判断に自信がある。相手は何かを待っているのだと。それは恐らく、この対峙している場ではないどこか。見過ごせば、このカナンにとって致命的となり得るだろう場所だ。

「閣下。敵の一隊が攻めかかって参りました。迎撃しますか?」

「弓の射程に入るまで放っておけ。更に寄せてきたら槍で追い返すのだ。追撃無用。見え見えの陽動に引っ掛かる必要などない」

「閣下! じっと守っているだけでは兵の士気にも関わります。どうか私の隊に攻撃命令を。必ずや打ち崩してご覧に入れる」

 バルボラがシャーロフに強く発言する。
 この発言もそれほど間違っている訳ではない。敵の挑発をただ見過ごしていれば、指揮官が怖気づいたと兵達が思い始める。やがては厭戦気分に繋がり、崩壊の遠因ともなる。時には打って出る勇猛さも士気を維持する為には必要なのだ。

「……バルボラ。機会は間もなく訪れる。それまでは辛抱するのだ」

「しかしながら閣下。既に兵達の間には、見過ごせぬ噂も流れているのですぞ! ここは積極的に攻勢を仕掛けるべきです!」

 最近兵達の間で広がり始めた噂。
 何故シャーロフ元帥は、積極的に解放軍と戦おうとはしないのか。何か深い考えがあるのか、それとも別の理由があるのか。反乱軍将官ベフルーズとシャーロフは古くからの仲と聞く。敵総大将アルツーラも決起の際に何度も誘いを掛けたらしい。元帥も内心、考えるところがあるのかもしれない、等。


「馬鹿馬鹿しい。下らん噂など放っておけ。それを打ち消そうとまんまと打って出れば、それこそ敵の思い通り。放置しておけば、そのうち煙のように掻き消える」

 シャーロフは一蹴すると、再び敵陣に目を向ける。
 更迭したヤルダーには、足止めの指示を出した後、更に命令を下してある。変事の際は、己の判断により行動すべし、指示を待つ必要なし、と。


 その全く動じないシャーロフの背中を、憎々しい視線で睨みつけるバルボラ。守っているだけでは功名が立てられない。そして噂の真偽も分からない。シャーロフとベフルーズが、親友とも言える付き合いをしていたのは有名な話だ。後継者争いでは、シャーロフは中立を保ち、ベフルーズは失脚した側についてしまった。
 王位は長兄が継ぐべきであると主張したベフルーズは、現王クリストフが勝利した後に追放された。シャーロフも内心ではそう思っていたが、争いに巻き込まれることを嫌い、中立を維持した。それが現在の地位に繋がっている。仮に勝利者が違っていれば、元帥の座はベフルーズの物だった筈だ。

 バルボラは野心を隠そうともしない表情で、己の拳を握り締める。

(噂がどちらであろうとも構うまい。いずれ尻尾を掴み、その座から引き摺り下ろしてくれるわ)





――ゴルバハール峠中腹。深い木々に身を隠しながら、軽装歩兵3000は静かに進軍していた。霧が生じ始め、視界が閉ざされていく。本隊とはぐれてしまう者達も出る。
 足場は悪く、滑落する不運な者も少なくはない。訓練を積んでいても、視界が悪ければ意味がない。慎重に地面を踏みしめながら、前へ、前へと歩き続ける。
 部隊の先頭に立つ、ハスティー大佐は妙な胸騒ぎがしていた。道は間違えてはいない。雇った道案内も予定通りだと頷いている。時間も計画からさほど遅れてはいない。後は峠を下った後、全速力で駆け抜けキュロスを目指すのみ。

(なんだ、この嫌な空気は。霧のせいだとはとても思えぬ。まるで――)

 絞首台へと進む罪人になったかのような。そんな馬鹿馬鹿しい想像が脳裏に浮かぶ。これは栄光への道の筈だ。決して破滅への道ではない。そう言い聞かせる。暗い山道を、ひたすら無言で突き進んできたのだ。弱気にもなる。

(考えすぎだ。指揮官である私が弱気になってはならない)

 額の汗を拭い、自分を無理矢理に納得させる。後ろから付き従う部下達を振り返る。誰もが顔を落し、息を押し殺しながら行進している。山岳でも活動できる者を選抜した精鋭達、それなのに顔色はどこか暗い。これから奇襲作戦を行う部隊とはとても思えない。まるで敗残の兵達だ。自分だけではなく、彼らもこの嫌な空気を感じているのだ。それを振り払うように、前進する。立ち止まったら二度と動けない。

 道案内の男が、小声で呟く。

「……この峠が、こんなに静まり返っているなんて、珍しい」

「どういうことだ」

「へぇ。いつもは鳥達が鳴いて、鹿やら猪、小動物なんかもいるんですが。
今日は一匹も見かけませんもんで。それどころか虫の声すら聞こえない。……あっしだけかもしれませんが、こう、妙に寒気が」

 鳥の声、虫の声、そして獣の声。一切が聞こえない。聞こえるのはたまに通り過ぎる風の音と、自分達の足音だけ。

「そういう日もあるだろう。余り不吉な事を言うな」

「……な、なんだか不気味で、いつもの山じゃねぇみてぇだ」

 粗末な格好をした道案内が、両腕を寒そうに撫で始める。少なくない金を貰って雇われたこの男。別に王国だろうと解放軍だろうと関係なかった。今よりマシになるなら、誰でも構わない。それどころか、目の前に金があったのだ。だから彼らの案内を引き受けた。だが、今では後悔していた。こんな不気味な空気を味わうくらいなら、家で大人しくしておくべきだった。男は手ぬぐいで首筋を拭く。冷たい汗が実に気持ちが悪い。


「……大佐。我々は、上手くいくでしょうか」

 男が何かに怯えているのを見て、一人の兵士がぼそっと尋ねて来る。隊では古参の部類に入るその男が、弱音を漏らすのは珍しかった。
 思わず不安を口に出しそうになるのを堪え、ハスティーは答える。

「それは我々の働きに掛かっている。必ず成し遂げるという意気込みが必要だ」

「そ、そうですね。申し訳ありません」

「奇襲前で緊張するのは分かる。だがお前は古参兵だ。決して不安を見せてはならない。恐怖は伝染するぞ」

「は、はい!」

 ハスティーは古参兵の背中を軽く叩き、激励する。こうして空元気を出していなければ、己も弱音を吐いてしまいそうだった。得物の剣を握り締める。身軽さを重視して、兵達は剣、あるいは手槍程度の武装だ。長槍は行軍の邪魔になる為持ってはいない。弓を装備している者も短弓である。輜重隊を伴う後詰は通常武装であり、彼らが到着次第装備が受け渡される。その分行軍速度が遅いため、先陣を切るハスティー達がキュロスを落さなければならない。


「……そろそろ夜が明け始めるな。案内人、もう直ぐか?」

「へ、へぇ。もう少しでさぁ。ここからはさっきまでより楽になります。平地に近づいてきた証拠でさ」

「よし、山を下り終わるまでは宜しく頼むぞ。皆、もう一頑張りだ」

 ハスティーは息を吸い込んだ後、再び歩き始めた。





 空が白み始めてきた頃、軽装歩兵3000はようやく峠を下り終えた。既に霧が発生し、麓から近くの平野部を覆い隠している。晴れる前に出来る限り進軍し、キュロス要塞まで近づかなければならない。
 ハスティーは手で合図を送り、前進命令を下す。大声は出せない。警戒されていた場合、敵に気付かれる危険がある。

 1時間程度行軍しただろうか。霧の中に影が見え始める。馬に乗った人影。黒い旗がはためいている。ゆっくりとこちらへと向かってきているようだ。
 ハスティーは敵と疑う前に、味方の可能性を考えた。進軍経路と、到着時間はキュロス周辺を纏めているエブシェン男爵に伝えてある。もしかしたら、援護の為に来てくれたのかもしれない。騎兵が使えるのならば、寄せ集めとはいえそれなりに心強い。敵ならばこの段階で既に襲撃されているだろう。だが念のために部下に戦闘準備をさせる。

「私が指示するまで攻撃は待て。但し準備は整えておくように」

「はっ」

「了解しました」

 歩兵達が抜剣し、戦闘態勢に入る。

「我らは『峠を越えし狐』の群れだ。貴公は『待ち構えし狐』の者か?」

 我々は解放軍だなどと名乗ったりはしない。予めエブシェンとは幾つか合言葉を定めてある。キュロス制圧後、同士討ちを防ぐ為でもある。目の前の馬群からは返事はない。更にこちらへと向かってくる。投げかけた言葉は届いている筈だ。無視するという事は王国軍の可能性が高い。兵士達にも緊張が走る。霧の中、視界が効く距離までいよいよ迫ってきた。
 もう一度問い掛けようとしたその時、後方から悲鳴が轟く。

「返答がない場合は、攻撃を仕掛ける! 貴公らは――」

「て、敵襲!! 後方の部隊が敵騎兵に襲撃を受けています!!」

「な、何だと!? で、ではこいつらはッ!!」

 ハスティーが正面に向き直ると、馬に乗った女士官の姿が目に入る。黒い鎧に身体に似合わぬ大きな鎌を持った女。そいつからは、先程から感じていた嫌な空気が迸っている。殺気とも怒気ともいえぬ、形容し難いどす黒い気配。それを平然と身に纏いながら、ハスティーの目前までやってくる。
 剣を握る力を強める。冷や汗が背中を流れ落ちる。

(ああ。嫌な感じがしたのは、こいつのせいだったのか――)

 その女は凶暴に微笑むと、ハスティーが剣を突き出すと同時に、その凶刃で頭蓋骨を抉り取った。鮮血が霧の中に吹き上がり、とても幻想的な光景が生まれた。
 シェラはその光景に酔いしれる事なく、無言で大鎌を振るい始めた。

 霧の中に次々と赤い噴水が巻き起こるその場面は、解放軍兵士の脳裏に強く焼き付けられる。それを目撃してしまったハスティー隊の人間は、後々までその恐怖に苛まれ続ける事になる。精神に異常を来たし、発狂する者までいた。
 惨劇を記録に残そうと、狂ったように赤と白の絵を描き続けるのだ。誰にも相手をされる事なく、延々と繰り返される芸術とは言い難い行為。やがて一枚の絵画を完成させると、その生き延びた兵士は喉を掻き切った。最後に己の血でサインを書き記した後、哄笑しながら絶命したとされている。
 幻想的な霧の中、細い手で花を摘む穏やかな少女。地面からは赤い噴水が湧き、少女の足下を濡らしている。赤い水溜りの中には多数の花と髑髏が描かれ、見る者に退廃的な恐怖を感じさせる。後年、廃棄するのを惜しく思った者により公開されると、貴族達からは高い評価を得る事になる。

――王国軍シェラをモデルにしたとされるその絵は、『シェラザードの花葬』と名付けられた。




――霧の中、一方的な蹂躙は続く。
 視界が全く利かぬ中、シェラの騎兵達が軽装歩兵達を掻き乱していく。剣が騎兵の身体に届くより先に、長槍で串刺しにされ、一人、また一人と倒れていく。それでも必死に抵抗し、騎兵を地面に引き摺り落す勇敢な兵もいた。だがその抵抗も空しく、数本の槍が古参兵の身体に穴を開けた。指揮官を失った奇襲部隊は統率が取れなくなり、混乱を来たしながら峠へと戻ろうとする。
 霧が徐々に薄くなっていく。王国軍の伏兵はそれを待っていた。

『ハハハ! 今までの恨み、この場で晴らしてくれるわっ! 反乱軍を討ち取れいッ!』

『全軍突撃! ベルタでの恨み、今こそ晴らせっ!』

『応っ!』


 麓から、ヤルダーが怒声を上げながら先頭に踊り出て、攻撃を仕掛ける。元第4軍の士官も声を震わせて剣を掲げる。その声に続けとばかりに、周囲から戦鼓が激しく打ち鳴らされる。
 反乱軍の進軍経路を読んでいたヤルダーは、正面にシェラ騎兵隊、側面に混成師団を伏兵として配置した。シェラ騎兵隊で足を止め、霧が晴れると同時に挟撃を仕掛ける。ハスティー達は自ら死地へとやってきてしまったと言う訳だ。
 四方から猛攻を加えられたハスティー隊は崩壊。3000の内、2000までが討ち取られ、残りは四方に散らばり潰走した。

 更にヤルダーは独断で峠を越えて進撃を決断。参謀のシダモもこの機に乗じるべきだと進言。シャーロフに伝令を送る。シェラ騎兵隊にはキュロス防衛を任せて、混成師団は全力で峠を上り始める。

『ここで坂落しを食らわせ、我ら混成師団の底力を見せ付けるのだ! 全ての借りを、今ここで存分に晴らせッ!』

『ヤルダー混成師団万歳! ユーズ王国万歳!』

『全軍突撃! 手柄は立て放題だッ! 進めいッ!』

 高所からの奇襲を受けた解放軍5000は激しく動揺する。隊列を整える余裕もない。武装は十分だが、輜重隊を伴う分動きが遅い。勝ち戦で勢いに乗るヤルダー達を止めることは出来なかった。糧食、武具を投げ捨て、我先にと撤退を始める。
 ヤルダー隊は潰走する兵に激しく矢を浴びせかけ、落石を食らわせ、多大な被害を与えることに成功した。
 猛将の追撃は止まらない。ヤルダー混成師団は休息を挟みながら峠を下り、カナン地帯へと逆侵攻。カナン街道正面で対峙を続ける、解放軍主力3万の側面を突く気配を見せた。

 伝令から報告を受けたシャーロフも攻勢を決断。

『この機に乗じて、総攻撃を掛ける。反乱軍を追い返すのだ』

 篭っていた山岳陣地から果敢に出撃し、魚鱗陣を組み上げて解放軍へと向き合う。平野部で両者は激突した。
 初期は士気に勝る解放軍が優勢な展開を見せていたが、ヤルダー師団が側面を突くと形勢が逆転。間隙を切り開き、第1軍先陣のバルボラ師団が敵歩兵部隊を撃破する。親衛隊を引き連れ、自らも槍を振るい兵を鼓舞した。解放軍の歩兵が次々に討たれて行く。

『反乱軍の屑どもを皆殺しにせよっ! 一人も生かして帰すなッ!! 所詮は寄せ集めの雑兵だ、恐れる必要など何もないわッ!!』

 解放軍のガムゼフはこのままでは危険と判断し、緩やかな撤退を決断。一人の将官がまだ諦めるのは早いと抗議の声を上げる。形勢は不利だが、まだ負けてはいない。猛攻を受けているが、三段陣はまだまだ健在である。山岳陣地から敵兵が出てきたのだから、粘って増援を待つという決断もあった。
 ベルタにはアルツーラ率いる兵が待機しているのだから。ここで撤退しては、解放軍の敗戦を意味する。連戦連勝で士気を上げ、領主達を調略してきたのだ。今後の戦略にも影響が出るのは必然だった。だが、ガムゼフは冷静に戦況を判断し、将官の反対を押し切って撤退を命令。

『これ以上の戦いは無意味。本命の峠越えが頓挫した以上、ここは撤退が最善。全責任は私にある。ここは私の指示に従って欲しい』

 ガムゼフは湧き上がる怒りを抑えて厳命。ここで3万が壊滅しては、ベルタの支配にも影響する。最悪の事態だけは防がなくてはならなかった。それが作戦を立てた参謀の責任である。後詰の騎兵を伏兵として潜ませて、徐々に後退を始める。

 シャーロフはこれ以上の追撃は却って被害が大きくなると判断。潰走していないにも関わらず、規律を保ちながら引き上げているのだ。誘われて部隊を突出させたら、逆に包囲される恐れがあった。バルボラの徹底的に追撃すべしという意見を退け、山岳陣地への引き上げを命令する。

「何故ここまできて攻撃を中止するのだ! ここで壊滅的打撃を与えれば、ベルタ奪回も容易くなるものをッ! シャーロフめ、臆病風に吹かれおって! 千載一遇の好機を目の前で逃すというのか!!」

「しかし、伏兵がいると斥候から報告が――」

「馬鹿者がッ! 敗軍の伏兵など蹴散らせば良いのだ! 優勢なのは我が方なのだぞ! 後一歩で敵の本隊を壊滅に追い込めるではないか!」

 バルボラが手にした指揮杖を叩き折る。その剣幕に押されながらも、副官が報告する。

「バルボラ様、味方が引き上げていきます! 我々も移動させなければ、軍規違反に問われますぞ!」

「無念だが止むを得まいッ! 我々も撤収する! ……シャーロフの臆病者めがッ!」


 納得のいかないバルボラは最後まで撤収を渋っていたが、やがて陣地へと引き返していった。指揮官への罵声を吐き散らしながら。

 ここでバルボラの進言を容れて、全軍突撃を仕掛けていたならば、王国軍が勝利を収め、ベルタへの足がかりを築くことが出来た可能性は確かにあった。
 勿論反撃により戦力を消耗し、カナン防衛が危うくなった恐れも十分にある。
 堅実を好むシャーロフは、守りを選択しカナンの防衛には成功した。だが依然として王国軍の劣勢は続く。解放軍本隊を壊滅には追い込めなかったのだから。
 どちらが正解だったかは分からない。結果だけを見れば、敵奇襲を打ち破った王国軍の勝利である。








 戦い終えたシェラ騎兵隊は、命令に従いキュロス要塞へと入っていた。軍馬達に休息を取らせ、各自が体力を回復させる。
 シェラはパンを齧りながら、衛生塔へと向かっていた。要塞内に設置されている、疫病や、手傷を負ったものを治療する為の病塔だ。先程の戦いで傷を負った騎兵達が、上官を敬礼して出迎える。その間もベッドの上では血を撒き散らしながら、治療を受けているものがいる。将官や貴族ならば、魔力による治療を受ける事が出来るだろう。だが一兵卒である彼らは、痛み止めを投与するのが精一杯である。朦朧とする意識の中で、重傷を負った者は死んでいく。生と死の狭間を漂いながら。

 シェラは白衣を着た衛生兵の元へと近づいていく。目が合うと、残念そうに首を振り、他の者が待つベッドへと向かっていった。シェラが視線を下すと、青白い顔をした若い男が、身体を痙攣させながら何かを呟いている。

「さっきは良く頑張ったわね。貴方達の活躍のお蔭で、見事勝利を収めることが出来たわ。これからも私と一緒に、反乱軍を殺す為に戦いましょう。まだまだ戦いはこれからだもの」

 頬を撫でてやると、シェラに縋るような視線を向けてくる。だがその視線は定まらず、どこか宙を見上げているようだった。彼の視界には、既にシェラの姿は入っていないのだろう。

「シ、シェラ、ちゅ、中佐。お、おれ、は」

 口から吐血する。白いシーツに赤い染みが飛び散っていく。内臓部への致命傷。良くここまで帰還できたと行って良いだろう。最後まで指揮官と共に行動するという執念だけで、彼はここまで戻ってきた。だがこんな場所では手の打ちようがない。いや、どんな名医でも無理だっただろう。衛生兵は痛み止めを大量に与えて、出来る限り苦しみを取り除くしか術がなかった。
 シェラが出来ることもただ一つ。死神に出来ることは、たった一つしかない。左手にそれを握り締めて、右手には飴玉を取り出す。

「ところで、お腹空いてない? 私甘くて美味しい飴玉を持っているのよ。カタリナ少尉がいつも分けてくれるのだけど。それを貰ってきたの。貴方にも、一つ分けてあげる。とても運が良いわよ、貴方」

「シ、シェラ、中佐――」

 虚ろな瞳でシェラの名を呼ぶ若者の口に、白い飴玉を放り込む。そして赤く汚れた口元をゆっくりと押さえると、もう片方の手で処置を行った。

「その赤い飴玉、とても美味しそう。だけど貴方にあげた物だから、私は我慢するわね」

 動かなくなった兵士の目を閉じると、シェラは軽く微笑んだ。零れ落ちた赤い飴玉を顔の横に置き、左手に握ったそれを腰へと差し込む。周囲で敬礼を行っている負傷者に手を振ると、衛生塔を立ち去った。



 シェラは大きく伸びをすると、照りつける太陽を忌々しそうに睨みつける。主塔の上を見上げると、王国旗の横に、黒い旗が風を受けて誇らしげに翻っている。騎兵隊の誰かが、勝手に据え付けたのだろう。すっかり干からびたパンを細かく千切り、口へと放り投げる。
その足下に、どこからか黒いカラスがやってきた。パン屑を地面に少しだけ投げてやると、ひょこひょこと啄ばみ始める。何かを求めるようにシェラを見上げ、鳴声を上げる。

「鳥にあげる食べ物はもうないわよ。横着しないで自分で取りにいきなさい。貴方は空を飛べるのだから」

 もうやる物はないと、残りを完食してシェラは踵を返した。
 カラスはそれを感情のない目で見送る。やがて飽きたカラスは、休息の場所を目指して飛び立った。

――その後、カタリナが呼びに来るまで、櫓の上で優雅に昼寝をして過ごした。シダモへの報告など、やることは山積みだったのだが、優秀な副官に任せて気にしないことにしたのだ。
 その近くでは、パン屑を求める先程の意地汚いカラスが、未練がましくうろちょろしていた。
呪いの絵です。
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