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最果てのパラディン 作者:柳野かなた

〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉

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 ヒュドラの確かな死と、エルフの女性が癒やされたのを確認する。
 それから僕はルゥに武具を預けて、彼女の腕をひっぱりあげ、しゃがみ――

「よ、っと」

 肩に担ぎあげる。
 前世の消防士やライフセイバーが要救助者の搬送に使う、ファイヤーマンズ・キャリー……柔道の肩車みたいな形だ。軽く持ち上げて、早く移動できる。
 すぐに移動しなければならない。

 なにせ派手に戦って血を撒き散らしてしまった。
 既にギャアギャアと鳴き声をあげる奇怪な鳥たちが、死肉を求めて曇り空を飛び回っている。
 できるだけ早くこの場を離れなければ、血の匂いに惹かれた新たな敵との遭遇(エンカウント)は必至だ。

「ちょっと待ってくれ」

 そんな中で、ヒュドラの死骸からもっていかれた長剣を回収したメネルが、そんな声をあげた。

「あまり時間はないぞ」
「すぐだ」

 訝しげなレイストフさんにそう返すと、メネルは手に布を巻きつけ、ヒュドラの死骸の傍で短剣を抜いて何やら作業を始めた。
 上顎の牙の付け根、人間で言うと頬から耳の付け根にあたる部分に慎重に刃を入れている。

「よし」

 携帯していた小瓶に、ヒュドラの真っ黒な体液を注ぎ入れる。
 これは――

「毒腺から、毒を?」
「こっから使いどこがありそうだしな」
「気をつけてよ」

 僕もブラッドやガスから教わっているけれど、毒というのはなかなか扱いが難しい。
 きちんと毒性を保ったまま保管して、要所でうまく活用するのは意外と難しいし、知識がいるのだ。

「大丈夫だ、分かってる」

 とはいえ、メネルは優れた狩人であり、森の戦士だ。
 動植物や魔獣由来の毒の扱いにかけては、僕よりも扱いは優れているので、余計な心配かもしれない。

「悪ぃ、手間とらせた、行こうぜ」

 その一言ともに、僕たちは湿地を踏みしめて船へと歩き出した。
 体型と装備的にルゥとゲルレイズさんは歩きづらそうだけれど、それ以上に僕も、担いだエルフさんの体重分だけ足が泥に沈むので歩きづらい。
 それでも力任せに強引に泥をかき分ける。筋力はこんな場面でも役に立つ。鍛えておいて良かった!

「ヒュドラ……凄い相手でしたね」

 歩きながら、ぽつりとルゥが呟いた。
 微かに手が震えている。考えてみると、ルゥはこれだけの大物と相対したのは初のはずだ。

「まったくですな。揃ってかからねば危うい相手でしたわい」
「いにしえの勇士バークリーは、ヒュドラをほぼ独力で仕留めたというが」

 バークリー剛勇伝。ビィも時々歌う、古めかしい武勇伝だ。
 まだ世界に神話の名残が多く、多くの悪神の眷属たちが跋扈していたころ。
 古代の王国にその名を轟かせた勇士、放浪戦士バークリー。

 秩序と雷の神ヴォールトに仕え、勇敢で気高く、無辜の民のためにその剛力を振るっては、多くの怪物を討伐した。
 ただ色を好むこと甚だしく、ある時、運命の悪戯と悪女の嫉妬によって身を滅ぼす原因を作ってしまう――
 色々な意味で、英雄の代名詞のような人物だ。

「ヒュドラの実物見ると、疑いたくなってくるな。アレ単独とか無理……いや」

 メネルの視線がこっちに向いた。

「なにさ」
「いや、お前ならヒュドラ単独討伐、いけっかなー……と」
「…………」

 他の皆も、興味があるといった視線でこっちを見てくるので、真面目に考えてみる。
 強力な《ことば》でヒュドラの間合いの外から吹き飛ばせれば楽だろうけれど、霧巻く沼地に棲まうヒュドラを一方的に捕捉して攻撃するのは非現実的だ。

 となると、湿地内での遭遇。
 ヒュドラと戦う想定で、たとえば火炎系の付与効果(エンチャント)の施された武器などで、ちゃんと身を固めていたとして――

 良い魔法の盾で身を守りながら、とにかく序盤にできるだけ多くの首を斬り払えれば。
 あるいはバークリーのように端のほうの首ひとつを脇に抱え込んで盾にして、ヒュドラのほうを引きずり回しながら戦えば、なんとかなる、だろうか。
 身体能力増強フィジカルエンチャントの魔法や祝祷を重ねがけすればいけるはずだ。

 もちろん沼でヒュドラを相手に単独となると、常に頓死の危険はある。
 それでも《喰らい尽くすもの(オーバーイーター)》を抜いて泥試合を始める、という禁じ手を除いても、

「たぶん、分は悪くない、かな」

 メネルがそれはもう大仰なしぐさで天を仰ぎ、勇者の偉業を疑ったことをヴォールトに詫びた。



 ◆



 そのまま泥まみれになって、みな船のところまで戻る。
 船の中に武具を戻すとともに敷布や毛布を出して、未だ名前も知れず気絶したままのエルフさんを、体を冷やさないようにくるむ。
 それからまた腿まで泥に浸かって船を河に戻した。流れに沿って、ゆっくりと船が動き出す。

「むぅ……」
「うへぇ、改めて見ると泥まみれだなぁ」
「うわぁヒル!?」
「焼き剥がせ」
「水やらなにやら用意するね!」

 みな沼地の洗礼を浴びていたので、祝祷術やら妖精の加護やら魔法やらも使って、泥を落として徹底的に身を整える。
 こんな場所で病気になったら面倒どころではないので、重要なことだ。
 祝祷術で治せるとしても治すまでに消耗した体力は取り戻せないし、自覚症状のないまま潜伏し、間を置いて突然に発症する厄介な病気もあるのだ。

「これでよし、っと」

 おおよそ綺麗になったところで、戦闘の後始末なども全て終わった。
 レイストフさんが無言で率先して舵をとり、辺りを警戒している。

「それで、このエルフさんだけれど……」

 改めて、毛布にくるまれた彼女を見る。
 妖精が好みそうな豊かな金の髪。形の良い顔は青褪め、憔悴がうかがえる。すみれ色の瞳は伏せられたままだけれど、確かに息はしている。
 ……ようやく一息ついて、この人について話ができるようになった。

 水蛇の例を考えると、船の上も安全圏とは言い難くはあるのだけれど、それでも比較的マシな場所ではある。
 完全に安全な場所など、この暗黒領域で期待はできない。

「エルフの生き残り、ですか?」
「でしょうな」
「ま、俺たちだけで語り合っててもしょうがねぇだろ」

 メネルには遠慮というものがなかった。
 おい起きろ、と芸術品のようなエルフの頬を、べちべちと音がするほど叩く。
 そしてそれでも起きないと見るや、彼女のふっくらとした唇に手持ちの小瓶を当て、気付け用の強烈な蒸留酒を躊躇なく口内に流しこんだ。
 効果は覿面だった。

「……っ!? ゲホッ、ゲホッ!」

 強烈な刺激に、むせかえりながら目を見開き、金髪のエルフは跳ね起きた。
 何が何だか分からないと言った様子で、左右を見る彼女に――

「おう、起きた起きた」

 メネルは悪ガキのように笑いながら、そう言った。
 僕たちはといえば、あまりにあまりなメネルの処置に少しばかりフリーズしてしまっていた。

「っ……な、何すんのよ!」
「刺激的なキスで起こしてやったんだよ。気分はどうだ森の同胞? ゲロ吐きたいとか頭痛ぇとかあるか?」
「な、なんて下品な言葉づかい! 耳が汚れて頭が痛くなるわね!」

 祝祷術で治したとはいえ、瀕死の状態から復調したのだ。
 体力も消耗しているだろうに、このエルフさん、負けん気が強い。

「おう、そんだけ言えりゃあ元気だな」
「って、っていうか貴方さっき……キ、キスって……あなた、まさか……!?」
「安心しろ、酒瓶とだ」
「~~っ!!」

 耳の先まで真っ赤になって、エルフさんが早口のエルフ語でメネルに次々とまくしたてる。
 ちょっと僕の言語能力ではじゅうぶんに聞き取れなかったけれど、強烈な皮肉と嫌味を連打しているのは分かった。
 メネルは柳に風と、それを聞き流している。

 ルゥとゲルレイズさんはエルフ語に堪能ではないようで話についていけていないし、レイストフさんは舵棒を手に知らぬ顔だ。
 いい加減、話をすすめるためにも二人に言うべきなのかとも思ったけれど、メネルも流石にそこは弁えていた。
 エルフさんが少し息をついだ瞬間に、手を自らの左胸に当て、

「われらのあい出会う時、一つ星が輝く」

 洗練されたしぐさで、古いエルフ語の挨拶を述べた。

「……っ」

 エルフさんは顔をしかめると、舌鋒をひっこめ、同様に洗練された仕草で、形式にのっとった挨拶を返す。
 それを受けて、メネルは肩をすくめた。

「驚かせて悪かったな、育ちが悪いんだ。――イシルのメネルドールだ」
「……レムミラスのディネリンドよ。銀なる月の、疾きつばさの天つ鷲のきみ」
「この出会いに祝福のあらんことを。瞬く星々の網の、妙なる沈黙の音の娘よ」

 美しく音楽的な言葉で交わされる、形式にのっとった韻文詩のようなやりとり。

「…………普通にできるじゃない」
「エルフの儀礼は性に合わねぇんだよ。これ以上は勘弁だ」
「しょうがない奴ね」

 ディネリンドさんはすみれ色の目を細め、苦笑した。
 それから、流れにすっかり置いて行かれた僕を見ると、流暢で、けれど少し古風な西方の共通語で――

「失礼いたしました。あなたがこの一団の頭領でしょうか。お初にお目にかかります。ディネリンドと申します」
「ウィリアム・G・マリーブラッドです」
「命を助けられました。――あなた方に、心よりの感謝を」

 彼女はそう言って、うつくしい動作で一礼した。



 ◆



 暗く濁り、淀んだ川の水がゆらゆらと流れてゆく。
 野ざらしの白骨を思わせる、枯れ落ちた木々のあいだ。船は川の流れのままに北に進んでいた。
 その帆は、微かに風をはらんでいる。
 少し妖精の力が増してきたとかで、メネルが《追い風》の呪文を再び行使したためだ。

「そういうわけで――」

 名乗り合いを終えて。
 邪竜ヴァラキアカと、山脈の悪魔を討つために旅をしてきたというと、ディネリンドさんは驚いた様子だ。

「……本気? たった5人で?」
「冗談でこんな辺鄙な場所まで来ると思うか?」
「……あなたならやりかねないけれど、そちらのウィリアムさんはしないでしょうね。真面目で誠実そうだもの」
「俺は真面目でも誠実でもねぇってか」
「自分の胸に聞いてご覧なさい。……けれど、本当に無謀よ」
「無謀は承知の上です。それでも、そうしなければならないのです」
「…………そう。勇敢なのね」

 ディネリンドさんは共通語もそれなりに堪能なようだけれど、やはりエルフ語が母語だ。僕とメネルが主な会話の相手になる。

「それでディネリンドさんはなぜ、あんな場所でヒュドラに?」
「そうね。話すとなると、少しかかるのだけれど……」
「なら、先に飯にしようぜ。エルフの少しは信用ならねぇしな」

 とメネルが言い出した。
 確かにこんな危険地帯にいるのだ、食べられるときに食べておいて損はない。
 万が一、船がひっくり返ったら食料だっておじゃんなのだ。

「鹿肉の燻製、あったろ」
「うん。あ、けど……」

 エルフ族ってなんだか菜食系のイメージがある。肉とか出して大丈夫なんだろうか。
 メネルはハーフだしこの性格だから、あまり参考にならないし……と思って遠慮がちに問いかけると、

「問題ありません。食べられます」

 との返答が返ってきた。
 詳しく聞いてみると、エルフで肉を食べないのは、特に修行を積んで精霊の性質が濃くなったものなのだそうだ。
 それ以外のものは普通に狩りもするし、肉も魚も口にするらしい。
 意外だな、と思ったのだけれど、

狩猟(かりくら)漁労(すなどり)をし、動植物の均衡を維持するのも、森の司たるエルフのつとめですもの」

 そう言われて納得した。
 態系のバランスの維持のために、適度な圧をかけるためのものと言われれば、なんとなくエルフのイメージにも沿う。

 そういうわけで聖餐(パン)と、死者の町で燻製にした鹿肉を、船上で食べる。
 火を使うわけにもいかないので冷めた食事だけれど、冷えた鹿肉はいい感じにスモークされていて、これはこれで美味しかった。

「…………」

 ディネリンドさんは、物珍しげに聖餐(パン)を食べ、塩を振った燻製の鹿肉に目を丸くしていた。

「……待て。お前ら、普段なに食ってやがる」

 その食べ物への反応に、メネルが顔をしかめた。
 ディネリンドさんは、皮肉げに肩をすくめる。

「……想像できるでしょ?」

 死と、穢れの気配の濃厚な、濁った河川と泥湿地。
 ――想像できなくはないけれど、あまり積極的に想像したくない。

「なぜ私があそこにいたかも、貴方なら想像がついていたんじゃない? だから先に食事だなんて言って、私にも食べ物を振る舞った」
「…………」

 言われてメネルが、むっと口をつぐむ。この反応は図星だ。
 ディネリンドさんは、淡々と語り続ける。


「お察し通り。……口減らしよ」


 メネルがますます、顔をしかめた。

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