表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉
96/157

29

 口減らし、ということは――


「どこか、お悪いんですか?」


 前世の姥捨て山のお話しかり、ふつう口減らしと言ったら、労働力にならないものから切り捨てるものだ。

 そうして食料供給と食料消費の釣り合いを取り、全体を生き残らせる。

 前世でも今生でも、飢饉となれば老人や病人から減らし、健康なものや役畜なんかを生き残らせる……のだけれど。

 目の前のディネリンドさんは、多少顔色が悪いけれど、どうにも健康そうに見える。


「違うわ」

「へ?」

「ウィル、そりゃエルフの思考じゃねぇ」


 メネルが眉間にしわを寄せつつそう言うと、ディネリンドさんが頷いた。


「そうね。その通り」

「……えっと、どういうこと?」


 どうもこうもねぇ、単純な話だと、複雑そうな顔をしてメネルは言った。



気高きエルフは(・・・・・・・)弱者を見捨てない(・・・・・・・・)



 確信を伴った声だった。


「いくら暮らしていけなかろうが、エルフが老人や病人を捨てるわけがねぇ。

 見たとこ周りは危険域だらけの、完全孤立した集落だ」


 辺りには淀んだ川と、泥湿地ばかりが延々と続いている。


「食料が減産するたび、動けて戦える連中が志願して、自発的に外に向かってるんだろ。

 ……どの方面かに脱出して、人里に到達して救援を呼べれば最上。そうでなくても口は減る、と」


 違うか、とメネルは言った。


「そうね、その通りよ。――ていうか、弱った人を追い出すとか馬鹿じゃないの?」


 ディネリンドさんは真顔でそう言った。

 弱いものは守られるもの、強いものは先に身を削るもの。

 それが当然のことだと、ごくごく自然にそう言った。狂信や盲信の気配もなく、本当にどこまでも、自然な調子で。


「つくづくエルフだよなぁ……」

「なにそれ。褒めてるの? 貶してるの?」

「褒めてるんだよ、ったく」


 メネルの視線は、まるで眩しいものを見つめるようだった。


「…………」


 エルフは誇り高い。

 そう何度も聞いていた。皆が口を揃えてそう言った。

 なるほど、こういうことなのだ。


「……エルフは、変わらんのう」


 ゲルレイズさんが、ぼそりと呟いた。

 彼の顔についた古傷が、口の端がつり上がることによって歪んでいた。

 それから幾つか細かい話をすると、僕は改めて話を切り出す。


「ディネリンドさん、集落に案内して頂けませんか? 山に向かう道筋を教えて頂ければ、こちらも出来る限りのことをします」

「ディーネでいいわ」


 彼女はヒュドラにやられて解けっぱなしだった金の髪をかきあげ、首の辺りでくくり直すと、


「願ってもないことよ。助かるわ」


 そう答えて、頷いた。




 ◆




 それからしばらく船を進め、湿地の中、狭い支流を進んでゆくと……日が暮れる頃になって、森が見えてきた。

 けれど、それはゲルレイズさんの話にあったような、美しい森ではなかった。


 重病に侵された末期の患者のような、濃密な死の気配。

 森の木々の幹は、ところどころ不気味に変色し、力なくしおれた枝からは、半ば茶色く枯れた葉が垂れ下がっている。

 流れに沿って、森の中へ、船に乗ったまま漕ぎ入ってゆく。


「…………」


 とても薄いけれど、毒気を感じる靄。

 あちこちから殺気めいた、凶猛な生命の気配。

 皆が眉をひそめた。

 予想はしていたけれど、明らかに正常な状態ではなかった。


「ひどいものだな」

「ええ、実際ひどいものよ」


 舵棒を取るレイストフさんの率直なつぶやきに、あっさりとディーネさんは返した。


「森はすっかり穢れて、年々、壊死するように縮退してゆく。

 獣は狂ったような気質の、奇怪なものばかり。

 泥地に囲まれて、どこに行けば他のまともな勢力と接触できるかもわからない。

 おまけに唯一、目印になる山は、悪魔と竜の巣よ」


 そう彼女が呟いた瞬間。

 再び西の方角から、竜の唸りが響く。

 ギャアギャアと怪鳥が飛び回り、森のなかの奇怪な獣たちが、恐れて縮こまる気配がした。


「……おまけに最近は、あの調子。もう終わりなんじゃないかって言うものもいたわ」

「これは、《忌みことば》の影響――だけじゃねぇな」

「ええ。邪竜の瘴気よ」

「……邪竜の?」


 竜は山の中にいるはず。なぜこちらに――


「ドワーフたちが地下に張り巡らせた隧道よ」


 その答えに、ルゥとゲルレイズさんが、顔を歪めた。


「私たち《花の国》のエルフと、《くろがねの国》のドワーフとは、良くも悪くも隣人だった。

 地上にも地下にも、たくさんの道があったわ。そして漏れ出る竜の瘴気は、隧道を伝って森の各所から流れ出した。

 ――そして今も、流れ続けている」

「それは……」

「…………」

「……気にしないで。別にドワーフの貴方たちに含むところがあるわけじゃあないの。ただの現状の説明。それだけよ」


 さっぱりとした調子で手を振ると、ディーネさんは語り続ける。


「このあたりは妖精の力も薄れているし、水も空気も食べ物も毒気を含んでいるわ。

 ……長く生きているものほど、その蓄積にやられて死んでゆく。もう、臥せって動けなくなっている者も多い。

 麗しの《花の国》なんてはるか昔。滅びを受け入れるつもりも、誇りを失うつもりはないけれど……それでも今は、いいとこ半死人よ」


 船が進んでゆく。

 いくつかの柵が見え、家々が見えてきた。

 汚れ、くたびれ、くすんだ白亜の家々。

 見慣れぬ船を見て、よろよろと、幾人かのエルフたちが姿を現す。


「――だから、邪竜を討とうとする勇者が、外から来るなんて思わなかったわ」


 夢みたい。

 ディーネさんが呟いたその言葉には、色々な想いが滲んでいるように聞こえた。


 今まで、僕たちが来るまでに。

 病に侵されて、幾人が死んだのだろう。

 縮退する森と、減少する食料に、外の世界との接触を求め、幾人が帰らぬ旅に出たのだろう。

 ――間違いなく、彼女の知る人たちも、そのなかにいたはずだ。


 邪竜の問題が顕在化するより早く、もっと探検の手を進めていれば。あるいは、救えた人もいたのだろうか。

 僕がそんな、埒もないことを考えた瞬間――ディーネさんはふわりと、体重を感じさせない動作で舳先に歩を進めると、くるりと僕たちに向けて振り向いた。


「ようこそ《花の国(ロスドール)》へ」


 右の手のひらを左の胸に。

 そっと足を引き、頭を下げる古式の挨拶。


「――歓迎いたしますわ、勇者さまがた」


 浮かべた笑みは、咲きほころぶ花のようだった。




 ◆




 それからしばらくは、慌ただしくなった。

 ディーネさんの事情説明もそこそこに、僕はとにかく重症者を治療させてほしいと願い出た。


 ――いきなりやってきた見知らぬ人間に、弱っている同胞たちを晒して良いものか。

 エルフの集落の主だった人たちも悩んだ様子だったけれど、ひたすら頭を下げ、どうか治療させて欲しいと頼み込むと――


「ごほッ……これほどの武具を持つ戦士が、ごほ、ごほッ、そこまで言うのだ。恥をかかせるな」


 古傷のある、真っ白な髪のエルフの長老が、僕たちの武具を見て許しをくれた。

 何度も何度も、ひどく咳き込みながらだった。


「その咳。治しましょう」

「ゴホっ。待て。私よりも、まず治癒が必要な者が――」

「すべて治します」


 後か先かの問題だ。

 目についたところから片っ端から治すつもりだった。


「馬鹿をいうな。祝祷術による治療は、気力、集中力を著しく削る。そう何人も――」

「百人や二百人でしたら問題ありません」

「ひゃく……っ!?」


 ディーネさんを含め、一堂に会していたエルフの里の面々がぎょっと目を剥いた。


「全て癒せますし、癒やします」


 言いながら祈る。

 軽く目を伏せると深く集中し、灯火の神様の助力を請う。

 次の瞬間には、ぼんやりと光が浮かび、長老の咳は消えていた。

 だいたい数秒のそれに、エルフさんたちがどよめき、あるいは絶句した。


 一呼吸のうちに深い祈りに達する。マリーの教えを受け、そして日々の祈りを繰り返し、自然に達した境地だ。

 たとえ奇跡を授かった神官といえども、鍛錬を繰り返し、それができるようにならなければ、戦いのただなかには身を置けない。


「――症状の重い人を集めて下さい。集められない人は順に出向きます」


 辺りを見回して言う。


「大丈夫。すべて癒やします。――グレイスフィールの、灯火にかけて」


 胸に手を置いてそう告げると、エルフさんたちは頷き合い、動き出した。

 それぞれに分担を決めて、集落の各所に走ってゆく。

 ……そうして僕が集落の全員を癒やしきる頃には、すっかり日が暮れていた。


「はー……」


 そうしていま僕は、集落の外れ、淀んだ水の流れの前で息をついていた。

 里の方からは、かすかに楽の音が聞こえてくる。


 衰弱で死の床につき、手足さえ麻痺していたような重症者が、次々と起き上がったのだ。

 みな手足がふたたび動くことに涙を流して喜び、友人知人誰かれ構わず抱き合い、歓声をあげれば、そのまま食べ物と飲み物と楽器を持ち寄り、宴が始まるのも自然の流れだ。

 僕も主賓として、すっかりもみくちゃにされて、幾度も果実酒を飲まされた。


 ゲルレイズさんやルゥも、エルフさんたちに何やら盛んにしゃべりかけられていたし、レイストフさんもエルフさんたちのお酒に静かに付き合っていた。

 メネルなど、すっかり酔っ払ったディーネさんに引っ張り回されて、焚き火の前で慣れない踊りを踊っていた。

 薄曇りの空に月もおぼろな、良い夜だった。


「…………」


 けれど――自分に《毒消しの祝祷》をかけて血中からアルコールを抜いておく。

 この地域では、いつ戦いになるかわからない。

 完全に酒精に身を委ねることは、できない相談だ。


 ……と、ふと、羽音がした。

 ばたばたと翼をはためかせ、僕の傍のねじくれた木に、一羽の大鴉がとまる。

 艷やかな黒の羽に、どこか不吉な紅の瞳。


【――旅は順調かね?】


 不死神の、《遣い鴉(ヘラルド)》だ。


「ええ、とりあえずは……って、イタタ……」


 鴉がしゃべるたび、脳裏に灯火の神さまの警告が、ガンガン鳴り響く。

 ――すみません、落ち着いて下さい神さま、大丈夫です。


【ハハハ。君は本当にグレイスフィールに愛されているな。……私にも愛されてみないかね?】

「ご冗談を。――それで?」


 真紅の瞳を見据える。

 ……真っ黒な鴉は、なに、警告さ、と前置きしてこう言った。



【引き返すなら、おそらくここが、最後の機会だ】



 同時。大地が、揺れた。

 地の底から響くような、唸りが聞こえる。



 ――ォォォォォォオオオオオオオ……



 西の山脈から、唸り声が聞こえる。

 魂を鷲掴みにされるような、恐ろしい響き。

 唸りが終わるとともに、沈黙が落ちる。

 エルフの里の楽しげな楽の音も、音に怯えるように止まっていた。



【もう一度だけ言う。――挑めば、死ぬぞ】



 紅の瞳が、射抜くように僕を見つめた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ