表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第一章:死者の街の少年〉
20/157

20

 


 場違いに、懐かしい思い出が蘇った。

 朧な記憶。前世の、たしか子供の頃。図書館で児童向けの小説を読んだ思い出だ。

 割と理解の早い子供だった僕は、高学年向けの難しい漢字の使われた本でも次々読んでしまって……

 両親はそれを喜んだのか、よく僕を図書館に連れて行ってくれた。


 子供の僕には図書館は広くて、見渡すかぎりの本にくらくらするような思いがした。

 児童書コーナーで、たくさんの本棚の隅から隅まで、色々な本を探した。

 むさぼるように読んだ。


 その中に、お気に入りの本があった。

 擦り切れた、古いファンタジー小説で。

 魔法使いの出てくる本だ。

 今ではもう、なんというタイトルなのかも思い出せないけれど……


 両手を広げた老魔法使いが、とても格好よかったことを覚えている。




「《縛り付け(リガートゥル)》、《結び目よ(ノドゥス)》、《束縛し(オプリガーディオ)》――」



 莫大量のマナが収束し、奔る。

 ガスが極めて正確に、高速に詠唱した《ことば》は流星のように青白い男に向かう。



【ハハハ、賢者よ。全てを知りつつ、抗うか?】



 この世ならぬ不浄の気配を発する男は、それをせせら笑い、まばたきのうちに黒い靄のように崩れ……



「《結びつき(コンキリアット)》、《追尾せよ(セクィトゥル)》っ!!」



 しかし、ガスはそれを見逃がさない。

 幾条もの闇色の尾を引き、拡散して束縛をかわそうとした靄の塊の周囲に、《ことば》が弾けるように広がった。

 何でもないように見えるが、戦いの中で一瞬の相手の変化に合わせ、淀みもなく適切な《ことば》を継ぎ足す極めて高度な技だ。


 最後に付け足されたほんの1、2語で、文章全体の印象が変わることがある。

 技巧の凝らされた詩文や、トリックの散りばめられた小説のように。

 ……連なる《ことば》は、時に花開くように変化する。


 再び黒い靄から形を戻した男の周囲には、マナによって形成された不定の檻と鎖が、幾重にも重なっていた。

 強固で重層な、束縛と封印の陣だ。



【ふむ――】



 だが、拘束された靄の男にたいした感慨はないようだ。

 余裕の態度を崩さぬまま、周囲を覆う檻状のマナに対して、



【……《破壊よ在れ(ワースターレ)》】



 破壊の《ことば》を投げかけた。

 ガスの放つそれすら圧倒的に上回る強烈な破壊の渦動が、あっさりと檻を引きちぎろうとし――


 だがその時には、ガスは指運による筆記を終えていた。

 右手で書かれた《守護》を意味する《ことば》が渦動を妨げる。

 左手で書かれた《消去》を意味する《ことば》が渦動を消し去る。


 そしてその時には、展開された《ことば(・・・)の連なりそのもの(・・・・・・・・)が、更に《ことば》を刻んでいた。


【…………!】


 檻による束縛が強化される。




 ――――四重魔法行使クワドラブル・キャスト




 ぐったりと力を失ったマリーやブラッドの傍で、僕はただただ目を見張っていた。

 ガスは優雅にさえ見える動作で両手を開くと、決意の眼差しで青白い男を睨み据える。



「《青褪めた(パッリダ)》《死は(モルス)》《等しき足どり(アエクォー・)で蹴り叩く(プルサト・ペデ)》……」



 朗々と放たれ始めた、長大な《ことば》の連なりに気づいた男の顔が、初めて変化する。



【……貴様!】



 拘束を破壊しようと男が矢継ぎ早にいくつもの《ことば》を発する。

 空間が軋む。周囲の地盤がめくれ上がり、千切れ飛ぶほどの衝撃が撒き散らされるが、《ことば》の拘束は揺るがない。

 あれは、あのガスの詠唱は。 


「《貧者の(パウペルム・)小屋も(タベルナース)》、《王者の(レグムクェ・)尖塔も(トゥッリース)》!!」


 左右の指運によっても増強されるそれは、本来、数人がかりで息を合わせて行う儀式魔法。

 一人ではまず行えないはずの、究極の魔法のうちの一つ。




「――――《全存在の抹消ダムナティオ・メモリアエ》ッッ!!!」




 肉体、魂、現象。森羅万象ありとあらゆる《ことば》と《ことば》の連なりをずたずたに分断し、遊離させ、無意味化してマナに還す、無色透明の崩壊の波動。


 古代語魔法による破壊の極地。


 ……《存在抹消》の《ことば》が、丘の一部を抉って抜けた。





 ◆




 まるで巨大な獣の顎に噛みちぎられるように抉られた丘。

 急激な地形の変動に大気が震え、波動により何もかもが消滅した空白を埋めようとするかのように、丘の周辺には強風が吹き荒れた。

 ばたばたと、抱えたマリーのローブがはためく。



「…………」



 《存在抹消》の波動が確かに青白い男を飲み込むのを確認してからも、ガスに油断はなかった。

 周囲の気配を警戒し、いくつかの《ことば》で、回避された可能性や、死んだふりの可能性を検証し確認していく。

 それからしばらくして、ようやく相手の消滅を確信したのか、ガスは手をおろした。


「……ブラッド、マリー。魂をもっていかれてはおらんな?」

「おう、まぁな」

「な、なんとか……」


 ガスはため息をついた。


「なら、とりあえずウィルをなんとかしてやれ。ワシは触れられんでな」


 そう言うと、ガスは僕に視線を向けた。

 目尻を下げた、今まで見たことがないくらい、優しい視線だ。


「――怖い思いをさせたのう」


 言われて、身体が、まだ硬直していることに気づいた。

 マリーがそっと、手を握ってくれる。

 ブラッドが、不器用な調子で背中をさすってくれた。


「ぁ……」


 息を詰めたまま、ほとんど呼吸もしていなかったことに気づいた。


「……っ、は……!」


 肺が酸素を求めていた。

 荒く息を吸う、吐く。

 どっと全身から冷や汗が出てくる。

 がたがたと、遅れて震えがやってきた。

 自然に、目尻に涙が滲む。

 怖かった。

 怖かった、怖かった、怖かった、怖かった……!


 本当に恐ろしい相手だった。


 僕も強くなったはずだ。

 戦技ではブラッドに、魔法ではガスに、精神性ではマリーにとても及ばない身だけれど、それでも真面目に訓練はしてきた。

 そこそこ強い、くらいの自負はあったのだ。

 それなのに、あの黒い靄の男を前にして、僕はまったく動けなくなった。



 絶対に勝てない(・・・・・・・)、そう直感してしまったのだ。



「すまねぇ、爺さん。……やっぱ、あんたの懸念通りになっちまった」


 ブラッドが言う。


「ウィルが旅立つまでは保たせたかったのですが……」


 マリーが残念そうに呟いた。


「……それが二人の決断じゃろう」


 ガスが肩をすくめる。


「懸念が当たってしまったのは残念じゃが……ワシとて、それを選んだ意志まで貶めるほど偏屈ではないわい」


 二人をいたわるような、優しい口調。


「それに何より、存外、うまくいったではないか」

「……そうだな。格好良かったぜ」

「ありがとうございます。本当に、いつも……」

「なに、いつものことよ」


 マリーとブラッドと、そっと微笑みを交わすガス。

 何かしらの対立の溝が、埋まったような、そんな雰囲気。


 それからガスは、僕の方に振り向いた。


「やれやれ、ウィル。とんだことに巻き込まれてしまったのう」


 まぁ、心配はいらんがな、とガスは笑う。

 その表情は、ずっと抱えていた懸念が解決したのか晴れやかだ。


「さて。なんと説明したものかな……そう込み入った話でもないのじゃが」

「……まぁ、こんなことになっちまったら、これも伏せとくわけにはいかねぇか」

「ええ。最低でも幾年かは猶予はあるでしょうし……ああ、中に入りませんか? ウィルも寒いでしょう」


 薬草茶でも淹れましょう、とマリーが提案する。

 まだぎこちない足取りのブラッドが、いいな、と笑って神殿の入り口に向かう。

 ガスもやれやれ、といった調子で息をつき、僕に振り向いた。


「そうじゃな。……暖炉の火でも囲んで、話そうではないか。なに、心配するな」


 いつにない笑みを浮かべたガスを見ていると、僕もなんだか嬉しくなってきた。

 緊張がほぐる。

 暖かい暖炉の前で、薬草茶のカップで手を暖めながら、話を聞いてみよう。

 ずっと繰り返してきた、家族の団欒だ。


「何もかも、なんとかなったの、」


 ガスに向けて、笑い返し。

 一歩を踏み出した僕の笑みが――


「じゃか、ら……?」


 凍りついた。




 ――黒い靄でできた腕が、ガスの胸部を貫いていた。





 ◆






「ぁ゛、か…………」




 ガスが。

 霊体であるはずのガスが、苦痛に呻いていた。

 そして僕が何をする暇もなく。


 ガスの身体が、あっさりと、上下に引き裂かれた(・・・・・・・・・)


「爺さん……ッ!?」

「ガスお爺さ……っ、ブラッドっ!」


 呆けた僕と違い、即座に反応したのがブラッドとマリーだ。

 二人ともいまだ体調が戻っていないにも関わらず、ブラッドはマリーの声に応じて前衛となる構えをみせ、マリーは祝祷術を攻撃的に行使する構えを取る。

 一瞬の遅滞もない反応は、二人の練達ぶりの証左だ。

 その二人が。



【……クハハ】



 潰れた。

 ぐしゃりと。

 地に伏した。

 一瞬で。


「が、あああ……ッ」


 べきべきとブラッドの全身の骨が破砕される音がする。

 黒い靄に圧迫されている。

 僕の頬に、弾き飛ばされた骨片が当たった。


「ひゅ……っ」


 マリーの喉笛が黒い靄にえぐり取られ、両腕が小枝のように折れた。

 空気の漏れる音がする。

 もう、神へ呼び掛けることはできない。



【驚いたな。まさか単身で、私の分体を崩壊せしめるとは……】



 黒い靄が人の形を取っている。

 ノイズ混じりの声。


 若い男。不自然なくらい均整の取れた身体。

 血が通っていないかのような、青ざめた肌。淀んだ瞳。


【……あらかじめ分体を二分しておらねば、長く活動に支障をきたしたところだ】


 男は、片手に握ったガスの上半身に向けて語りかける。


【賞賛しようではないか、《彷徨賢者オーガスタス》よ。お前は確かに、たぐいまれなる大魔法使いだ】


 ガスは。

 胸から下を引き千切られたガスは、血走った目で男を睨み据えていた。

 男はそれを受けて、なお涼しげに笑っている。


「スタ、グ……ネイトォ……ッッ!」


 スタグ、ネイト。

 スタグネイト。

 不死神。



 ……《木霊エコー》!



【滅ぼすのは惜しい。お前の執着が失われるまでは、待ってやる】



 そう告げて、《不死神の木霊エコー・オブ・スタグネイト》は無造作にガスの上半身を投げ捨てた。



【そして、そこのお前】


 不死神の視線が、こちらを向く。

 どきりと心臓が跳ねる。

 足が、がくがくと震えだす。


 目をそらしたいのに、目をそらすことさえできない。

 にぃ、と唇が吊り上がるさまが、はっきりと見える。


 歩み寄ってくる。

 動けない。


 僕に近づこうとする不死神を認識したのか。

 マリーとブラッドが半壊のまま、男の足元に食らい付こうとし、更に圧し潰される。

 骨が砕ける音が幾重にも響いた。

 不死神が目の前に来る。


 死を、予感した瞬間。




【……よくやってくれた(・・・・・・・・)


 


 笑みを含んで放たれたそれは、



【お前のおかげだ。感謝をしてもいい】



 まごうことなく賞賛の、言葉だった。



「なに、を…………」



 震える唇と、もつれかけた舌で、なんとか言葉を紡ぎだす。



【これなる英雄たちは、私と契約を行い、最高位の不死者となった】


 不死神は両手を広げて語る。

 それは、それは、愉快そうに。


【いつか《上王》に対する執着を失ったその時。

 再び私とまみえ、完全なる下僕となることを条件にな?】


 不浄の気配を漂わせる男が、語る、それは……

 つまり、


「ぼ、くが……」

【そうだ】


 不死神が嗤う。



【お前のおかげで《賢者》の執着は薄れ、《戦鬼》と《愛娘》に至っては、完全に《上王》への執着を失った】



 言葉が耳を通り過ぎる。

 理解が、追いつかない。

 だって、だって、それは、



【お前のおかげで、まずこの二人は、永劫に我が下僕となる】




 不死神は、愉快そうだ。




【…………お前がこやつらの息子として、よく(・・)生きてくれたおかげ(・・・・・・・・・)だ。】




 それは、だって。

 僕は、生まれ変わって。

 今度こそ。

 今度こそ、生きようって。


 ちゃんと(・・・・)生きよう(・・・・)って…………




【ハハハ、よほどショックのようだなぁ! まぁ、無理もない】


 思考が、回らない。


【だが、私がお前に感謝していることは真実だ】


 声が耳から入ってくる。


【そして未熟なりに、この英雄たちの弟子であるというのも悪くはない】


 理解ができない。


【どうだ。お前も私にかしずき、我が陣営に属さぬか】


 理解ができない。





【……この三人と(・・・・)永遠に(・・・)仲睦まじく(・・・・・)暮らさせてやろう(・・・・・・・・)




「…………!」


 それ、は……



【ハハハ。興味があるか? よかろう……】



 では考える時間をやろう、大切な家族ともどもな、と不死神は笑った。


【明日は折よく冬至。忌々しき太陽がもっとも力を失う時なれば】


 不死神の姿が崩れ、黒い靄と化す。




【――その晩に、返事を聞こう】 




 風が吹き抜ける。

 不死神の姿が消える。


 僕は、馬鹿みたいに突っ立って。

 何もできないまま、それを、見送るしかなかった。



 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[良い点] 重い過去と衝撃の展開でした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ