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最果てのパラディン 作者:柳野かなた

〈第一章:死者の街の少年〉

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 思わずあげた悲鳴は妙に甲高いものだった。

 まるで幼い子供のような、と思ったところで、僕は違和感に気づく。
 とっさに振り回した手が、異様に小さく、短い。
 ふっくらとして短く、小さな手……赤ん坊、幼子の手だ。

 って、いやそれよりもドクロだ。
 そしてここはどこだ。
 何が起こったのだ。
 パニック気味の思考があちこちに跳ねまわって落ち着かない。

 とにかくいったん、冷静になろうとしてみる。
 そう、落ち着いて、冷静に、状況を観察するのだ。

「■■■■……」

 目の前で、カタカタとドクロが顎の骨を鳴らしている。
 僕はドクロのことを、胸骨のあたりから見上げる構図だ。
 つまり、僕は、この眼前の動くガイコツに片手で抱き上げられているわけだ。
 ガイコツは僕の頭を骨ばった、というか骨ばかりの手で不器用に撫でている。
 ずらりと生えそろった歯は歯茎が失われているため、やけに長く、グロテスクに見える。
 今にも大口を開けて噛み付いてきてもおかしくはない。

「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ……っ!?」

 こんな状況で冷静になれるかっ!! と僕は内心で悪態をつきつつ更にじたばたした。
 動くガイコツである。お化けである。怪異である。超常現象だ。
 突然こんなものに遭遇したら、誰だって恐怖する。僕だってそうだ。

 しかも僕はなぜだか小さく、幼くなっているようなのだ。
 記憶の中の僕は……曖昧なところが多いが……上背はそこそこあって、ひょろりとした痩せ型だったように思う。
 だが、その身体操作の記憶と、今の小さな体の感覚がまったく咬み合わない。
 成人してから、子供の頃に遊んでいた三輪車に跨ったような感覚だ。

「■■■■……」

 ガイコツは困ったように、片腕で抱いた僕を、リズムよく揺さぶる。
 僕がどんなに腕の中でもがいても、延々と根気強く、揺さぶる。

「ぁ゛……」

 それでやっと、気づいた。
 ガイコツが僕を揺さぶる動作は、不器用だけれど、とてもやさしかったのだ。

 どうも不慣れで荒っぽいし、腕も骨ばっていて心地よくはないが……
 ガハハ、旨そうな赤子じゃのう! 綺麗な肌じゃ、頭から食おか? 足から食おか?
 といった人喰い鬼のような思案をしているのでは、ない、ようだ。多分。

 無論ドクロを眺めてその顔色が読めるほど器用ではないので、断言はできないし完全には気を許せないが。
 でも、このガイコツの動作は、やっぱり、やさしい気がするのだ。

「ぁ゛ー……」

 それで、少しだけ、落ち着いた。
 眼窩でちろちろと燃えている青い鬼火も、なんだかよくよく見ていれば愛嬌があるように見えなくもない。

 ……何が起こっているのだろう。
 そう思って、いったんガイコツから意識を外し、周囲に意識をやる。

 首もうまく動かせないが、何本もの太く壮麗な柱と、幾つものアーチが見える。
 天井の真ん中に採光用の円形の開口部があり、そこから薄く光が差し込んでいる。
 どこかの屋内であるのは間違いないが、やけに古めかしく、荘厳だ。
 ふと、いつだったか写真で見た、古代ローマ帝国の万神殿パンテオンを思い出した。

 ただ、それ以上は分からない。
 なんだか死体が動いていること。
 僕は小さく、幼くなってしまったらしいこと。

 それを脳裏で確認し、更に手がかりを求めようとするが、思考がぼやけはじめる。
 動いたら、眠くなったらしい。

「ぁ゛ー……」

 ガイコツはまだ、僕のことを、不器用にあやしてくれている。
 僕の体は、穏やかな波に揺られるように、ゆっくりとしたテンポで揺さぶられている。
 その波に身を委ねるように……僕は、再び眠りに落ちていった。



 ◆



 目が覚めると、僕の眼前に幽霊がいた。
 青白く、半透明に透き通った、目つきの悪い偏屈そうな鷲鼻の爺さん。
 幽霊としか言いようがない。

「う゛あ゛あ゛あ゛ぁぁっ!?」

 僕は悲鳴をあげた。

 すると抱き上げられる。
 見上げればそこには、かさかさに乾いた骨と皮ばかりの女がいた。
 枯骸ミイラってやつだ。

「う゛あ゛あ゛ああ゛ぁ゛ぁぁっっ!?」

 僕は悲鳴をあげた。

 するとぬっと覗きこんできたものがある。
 寝る前にも遭遇したガイコツだ。

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁっっっ!!??」

 僕はやっぱり、悲鳴をあげた。



 ……あれだ。
 ひょっとしてこれは神さまの罰で、ここはあの世の、それも地獄的な場所なんじゃないかな?
 生前ろくでもない生き方だったから、今、地獄の獄卒とかそういうのに囲まれてるんじゃなかろうか。

 ギャンギャン泣きわめきながらそう考えていたら、お腹が空いてきた。

「■■■■……?」

 幽霊爺さんが僕の顔を覗き込み、それから女ミイラに何か言う。
 すると、女ミイラが、どこからか白く粥のような物が入った椀を取り出した。
 匙で掬って、口の前に差し出してくる。
 ……思わず躊躇した。
 というか、躊躇しない理由がなかった。

 当たり前だが、からっからのミイラに、得体のしれない食べ物を「あーん」されたい奴がいるだろうか。
 ミイラと言って伝わらなければ、むかし教科書で見たであろう即身仏の写真を思い返して欲しい。
 枯れ木のように乾いた、人体の成れの果て。あれだ。
 流石にいないだろう。それに「あーん」されたいやつは。
 いたとしても、少なくとも僕はそんな奴と友情を育みたくはない。

 ……とはいえ、空腹だ。現状ほかに食事の手段などない。
 おまけに今はどうも体が幼くなっている影響か、食欲と睡眠欲が抗いがたいほど強い。

 ええい、ままよ! と、ぱくりと口に入れると、かなり美味しかった。
 幼児向けの食事というのはかなり薄味だったような記憶がするけれど、舌の方も年齢相応なのだろう。
 ガイコツが、よしよし、とばかりに頭を撫でてきた。

「うぁ゛……?」

 同時に、意外な事に気づいた。
 自分の口の中に、歯が生えていないのだ。
 口の中にものを入れて、はじめて気づいた。
 どうりで喋るときになんだか妙な具合になるはずだ。

 ……そうか、幼子というのは歯が生えていないのか。
 初めて知った。

 もし僕に育児経験などあったなら、今、これを手がかりに、自分がどのくらいの発育段階なのか分かったのかもしれない。
 ははぁ、歯が生えていないが乳を飲まされていないってことは生後何ヶ月くらいなんだな、って具合だ。

 が、僕のもの寂しい記憶の中に、育児の経験などという暖かで家庭的なものは当然ない。
 兄弟姉妹や親戚の育児の手伝いも、もちろんやってこなかった。
 せいぜいゲームの出産イベントや、流し見した何かの番組で赤ん坊をちらりと見たとかその程度だ。

 ごく普通の、ある程度の年齢の大人なら、おおよそ分かっていそうなことが分かっていない。
 ……薄っぺらだ、と思った。
 僕は、モニターの前で薄っぺらい知識を吸収して、それを何に活かすこともなく、そのまま歳だけ重ねて死んだのだ。

「ぁ゛ぁ゛……」

 もし神さまがいるとしたら。これが神さまの罰なのだとしたら。
 動く死体に囲まれた、何が何だか分からないこの境遇は。

 ひょっとしたら、薄っぺらな知識ばかり読みあさって知ったような顔をしていた僕に……
 自身の無知さとどうしようもなさを思い知らせるための、そういう罰なのかもしれない。



 ◆



 ……半年くらいが経過した。
 くらいというのは、眠ったり起きたりを繰り返していて一日一日の経過がはっきりしないためだ。
 赤ん坊というのは本当によく眠っては、空腹でよく起きる。

 いい加減、僕もこの状況が夢幻ではないことだけは確信できた。
 もしこれが何かの夢幻だとすれば、あまりに生々しいし、現実的すぎるのだ。
 動く死体におむつの世話をされる夢幻など、マニアックすぎるし何がどうなってそんなものが発生するのかまるで分からない。

 ……というわけで、移動も這う程度が限度の幼子の僕は、ひたすら三体の死人たちに世話される日々を送っていた。
 そうして接していると、自然、死人たちがそれぞれに喋っている言葉も、かなりの程度、理解できるようになってきた。
 自分でも驚くべき早さだと思う。

 まだまっさらな赤ん坊というのは、本当にまっさらなわけではなくて、実は体系的な言語を構築する機能を生まれつき備えていて、それに基づいて与えられた音声情報から言語を獲得していく、っていうのは確かチョムスキーとかいう、何だかひょうきんな印象の苗字をした学者の理論だったっけか。たしか普遍文法とかなんとか……ダメだ、聞きかじりだし細かいとこまでは思い出せない。
 やっぱり僕の知識なんて薄っぺらいもんだ。

「だぁ、だぁ……」

 まだまだうまく使いこなせない喉と舌を使って、なんとか単語を発語しようとする。
 いっぺん死ぬ前の記憶があるぶん、そちらの体の身体操作の感覚が残っていて、逆にコンフリクトをきたしているのだ。
 同様の理由で、最近はつかまり立ちは十分にこなせるようになったのだが、まだうまく歩けない。

「よしよし。だっこですね」

 そう言って微笑むのは女ミイラだ。周りの二人からはマリーと呼ばれている。
 マリーは古代の神官のような、古い、擦り切れたローブを身につけている。

 ミイラとなった女性に対して美醜を評するのはちょっとどうかとも思うのだが、たぶん生前は美しい女性だったのだろう、と思う。
 ほっそりとした体つきに、つねに目を伏せた淑やかな佇まい。
 枯木の樹皮のような肌には目立った損傷はないし、そこから生前の整った顔立ちがうかがえる。
 ウェーブのかかった金色の髪は、時間の経過にくすんでこそいるが豊かで美しい。

「今日は、すこしお外を歩きましょうか」

 ……! 連れて行ってくれるの!?

「ふふ、嬉しそうですね」

 どうやら我知らず、表情に出ていたようだ。
 僕もこの、育てられている神殿の外の様子は気になっていたのだ。
 が、この体で「ちょっと見てくる」などというわけにもいかず、こうして連れ出してもらえる機会をずっと待っていた。

「ほら」

 抱き上げられた。マリーから、ふわりと何かの香りがするが、不快な匂いではない。
 焚いた香木……か何かだろうか。優しいおばあちゃんからお線香の匂いがするような、そんな感じ。

「…………だぁ」

 その香りに、少し安心して身を委ねる。
 薄暗い神殿内を、マリーが一歩一歩、僕を抱いて歩いてゆく。
 色違いの四角い石が、交互に組まれた床。
 半球形のひどく高く大きな天井と、その頂点に開いた、目のような天窓から薄く差し込む光。

 壁には壁龕へきがんがあり、社めいたその装飾のなかには、おそらくこの神殿で祀っていると思われる神々の彫刻がある。
 歩くごとに、次々とそれが目に映っては去ってゆく。

 いかずちを象った剣を右手で掲げ、天秤を手にした壮年の、荘厳で威厳のある男。
 土に実る稲穂を背景に、赤子を腕におさめて、慈愛の笑みを浮かべるふくよかな女。
 燃え盛る火炎を背に、槌とやっとこを手にした、背が低くがっしりした立派な髭の男。
 吹きゆく風の象形とともに、愛嬌の良い笑みを浮かべて、酒盃と金貨を手にした躍動感あふれる若者。
 清流に腰まで浸かり、弓を片手に、もう片手を妖精かなにかに差し伸べる、薄布を身にまとった美しく若い女。
 何かの文字の彫り込まれた柱廊を背景に、杖と開いた書物を手にした、いかにも賢そうな隻眼の老爺。

 恐らく多神教なのだな、と僕は思った。
 なんとなく、像を見ているだけで、どういった信仰をされている神々なのかが分かる気がする。

 だが、次に見えた彫刻は分からなかった。
 背景は何もない。ローブを目深に身に纏ったそれは陰気な雰囲気を漂わせていて、男か女かも分からない。
 特徴といえばただひとつ、長い柄のついたカンテラのような灯火を手にしていたことだろうか。
 ……その灯火が、妙に気になった。

 が、マリーは当然、腕の中の僕の一瞬の思いなど知らぬままに歩いてゆく。
 目で追うが、彫刻は目の前からすぐに去っていった。
 いずれまた詳しく見るときも来るだろう。

 天井の目のような天窓から離れると、あたりはどんどん暗くなる。
 その奥、蔓草の彫り込まれたアーチのかかった、重々しい鉄扉に、マリーが手を伸ばす。
 押し開くと、軋みをあげる鉄扉の隙間から光が差し込んできて、ゆっくりと広がってゆく。
 そしてそれが十分に広がった時、マリーが踏み出した。


「ぁ…………」


 視界が一気に開けた。
 爽やかな風が吹き抜ける。

 朝靄に僅かに霞む、夜明けの丘の麓。広大な湖に沿って石造りの都市が広がっていた。
 古代か中世か、といった風だ。高い塔や、美しいアーチの連なる水道橋らしきものも見える。
 ……その全ては古び、廃墟となっていた。
 建物の屋根はところどころ崩れているし、壁の漆喰は無残に剥がれ落ちている。
 街路の石畳の隙間からは草が伸び、緑の蔓や苔があちらこちらで建物に絡みつき、張り付いている。
 かつて人の営みがあったであろう街並みが、まどろむように緑とともに朽ちてゆく。
 そのすべてが、昇る朝日にやさしく照らされていた。

 僕は目を見開いた。
 生前にモニター越しに見てきたさまざまな絶景など比較にもならないほど、それは美しい光景だった。

 風が、足の先から頭の中まで吹き抜けたような気がした。
 頭のなかが、不思議なほどすーっと冴えていった。
 全身が、体の全ての細胞が、世界を感じている。
 ……どこかで忘れてしまっていた、とても大切なものを思い出した。
 そんな気がした。

 なぜだか、じわりと涙が滲んだ。
 こらえようとして、歯を食いしばるけれど、それでも涙はぽろぽろとこぼれてきた。

 どうしようもなく曖昧で、混濁した生を送り。
 その靄のなかで、そのまま死んだ。
 だからこの世界で目覚めたのは、神さまの罰なんじゃないかと思った。
 でも、これは、罰なんかじゃない。

 ここがどこだか分からない。
 何が起こってるのかも分からない。
 でも、きっと、これは恩寵だ。
 驚くほど素晴らしい、恩寵なのだ。

 僕が無駄に捨ててしまったものを、そうしなくてもよかったのに、誰かが再び与えてくれた。
 とても暖かな、幸福な贈り物なのだと。

 わけもなく、そう確信した。

「綺麗ですね、ウィル。……かわいい坊や」

 マリーの声がする。

 ウィリアム。縮めてウィル。
 僕の名前だ。マリーたち3人がつけた、僕の名前だ。
 死ぬ前の名前は、曖昧と混濁のなかに呑まれてしまった。
 だから、この名前こそが、いまの僕の名前なのだ。
 この小さな体こそが、僕の体なのだ。
 どこか他人のもののように聞いていたその名の響きが、他人のもののように感じていた体が、かちりと噛みあうように馴染んだ気がした。

「ぁ゛あ゛ー…………」

 何か言おうとして、涙まじりの、産声のような声が出た。
 それでもいいと、未熟な声帯で必死に声をあげる。

 ……やるんだ。
 僕は、今度こそ、ちゃんとやるんだ。
 マリーが僕をあやすように揺らすなか、そう決意した。

 今はまだ何もかもわけがわからない。ここがどういう世界なのか、どうしてここに生まれたのか。
 けれど、そんなものはこれから分かっていけばいい。
 薄っぺらい知識ばかりで何もできなくても、これからできるようになっていけばいい。

 淀んでいるのも。
 知ったかぶっているのも。
 諦めてうずくまるのも、もうたくさんだ。

 僕は、今度こそ。
 今度こそ、生きるんだ。
 失敗してもいい。
 無様でもいい。
 泥にまみれてもいい。

 僕は、今度こそ生きるんだ。
 この世界で、生きるんだ!

 産声のような叫びとともに、僕はそう誓った。

◆小説家になろう 勝手にランキング◆
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