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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉
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 ルゥが甲虫悪魔(スカラバエウス)の首を獲ると、これまで怒涛の勢いで攻めかかって来ていた悪魔たちの動きが鈍った。

 悪神が使徒に与えるという《狂乱の奇跡(フレンジィ)》でもかかっていたのかもしれない。


 ……けれど悪魔たちも、将を討ち取っただけで戦意喪失、崩壊してくれるほど安い軍勢ではないようだ。

 即座に幾体かの《隊長級》デーモンがその場で指揮を引き継ぎ、《兵士級》の悪魔をまとめて頑強な抵抗を繰り広げてくる。


 どころか、彼らの首領の首を奪還しようとしてか、蝙蝠の翼を持つ幾体かの悪魔が広間を飛翔。

 首を獲って半ば虚脱していたルゥに向けて突貫する。


「クソがッ!」


 そのほとんどはメネルが矢継ぎ早に矢を放って撃ち落とすけれど、ついに矢筒の矢が尽きる。

 二体の悪魔が上方から、身構えの間に合わぬルゥに急降下しようとした、その瞬間。


 僕は盾を捨て体を捻り、満身の力で《おぼろ月(ペイルムーン)》を投擲した。

 槍投げはずいぶんと久しぶりだし、そもそも《おぼろ月》は投擲用の槍というわけでもないのだけれど――

 それでも鍛え続けた体と馴染みの武器は、この無茶な頼みに応えてくれた。


 二重の断末魔が響く。

 投げ放った短槍は、見事に二体の悪魔の胴を貫き、その向こうの柱へと縫い止めていた。


「まだだ、ルゥ! もう少し頑張って!」

「っ、はいっ!」


 戦場で強敵に勝利し首を獲るその時こそが、戦場でもっとも戦士に隙ができる瞬間だと、昔ブラッドは言っていた。

 前世でも何か戦国か江戸の読み物だったかで、倒した相手の首を獲ろうとして別の敵に首を刈られる武者の絵を見た覚えがある。

 甘美な勝利の瞬間にこそ、敗北と喪失はひそやかに忍び寄るのだろう。


 頭ではそんな埒もないことを考えながらも、訓練された体はひたすらに動く。

 僕が武器を失ったと見て両手持ちの大刀を振り下ろしてくる悪魔に対して、斜めに踏み込んで回避すると、そのまま峰と柄に手を添えて両手で円を描く。


「ガッ!?」


 奪刀すると同時に相手の振り下ろしの勢いのまま、奪った刃で大腿部を深々と切り裂いた。

 いわゆる無刀取りだ。

 振り下ろした瞬間に、いきなり手の中から武器が消えて腿を斬られたのだ、やられた悪魔も何が起こったか分からなかったかもしれない。

 こんな大道芸めいた技を実戦で使うことになるとは思わなかったなと思いつつ、畳み掛けるように奪った刃を振って仕留める。


 正直、少し重心が寄りすぎているし、両手持ちの大刀はあまり好みではない。

 けれど、ブラッドのもとでおよそ武器といえる武器の扱いは一渡り学んでいる。

 鎖武器など扱いの難しいものでなければ、どういう用途の武器でもだいたいは扱えるし、この状況で選り好みはすまい。

 続けて突っ込んできた悪魔に僅かに隙を見せて正面からの打ち込みを誘うと、タイミングを合わせて片足を引いて体を開き、その動作で手首を切り飛ばす。


 流石に重量感のある大刀だけに、骨も何も一切無視して手首が飛ぶのは便利だ。

 僕としては槍のほうが安心だけれど、ブラッドが両手持ちの大剣(ツーハンデッド)を愛用していたのも分かる気がする。

 そのまま大刀を振り回して、続けざまに何体かの手足を刎ねつつ、周囲の状況を確認する。


「はぁッ……はぁッ……」


 レイストフさんは流石に暴れすぎたのか、だいぶ息があがっている。

 ゲルレイズさんも、兜の下で無言で荒い息だ。

 戦場を俯瞰してあちこちに支援を飛ばしていたメネルもそろそろ精彩を欠きはじめているし、ルゥは決闘の傷をおしてメネルの護りについている。

 これ以上続けば、流石に限界だろう。


 けれど悪魔たちも、いい加減に高位の個体の大半を討たれ、怯みだしていた。

 頃合いだ。

 僕は目についた、最後の《隊長級》の首を突貫して刎ねると――



「《去れ(ディスケーデ)》ッッ!」



 広間の悪魔たちに向けて、《退去のことば》を叩きつけた。

 マナによる無色透明な波動が、僕を中心に波紋のように周囲に広がる感覚。

 趨勢を決定づけたうえでの、強い精神作用を伴う《ことば》の一撃によるダメ押しだ。


 受けた悪魔たちが、びくり、と身を竦ませて動きを止める。

 弱い個体、直近でまともに受けた個体のなかには、その場で塵となって崩れ落ちてゆくものもいる。

 そしてそうでない多くの悪魔たちは――ついに、潰走をはじめた。




 ◆




 悪魔たちが逃げてゆく。

 ルゥは限界だったのかその場にへたりこみ、実戦慣れしたメネルやレイストフさんは残りの体力を振り絞り、逃げる悪魔の背に矢と刃を叩きつけて戦果を拡大する。

 統率は失ったとはいえ、はぐれになった悪魔はこれはこれで近隣を騒がす材料だ、少ないに越したことはない。

 ゲルレイズさんは辺りの警戒にあたり、僕はやっと息をつくと、皆の傷を治療しはじめる。


「灯火の女神グレイスフィールよ、癒やしと活力を――」


 手を組んで祈る。

 皆の傷口から暖かな光が溢れ、まるで傷など元から存在しなかったかのように復元されてゆく。

 ……とはいえ体力まで戻せるわけではないから、過信は禁物なのだけれど。


 そうして《ひかりの間》からすっかり悪魔たちを追い払うと――僕たちは笑みを交わした。

 誰からともなく手を掲げて、無言でお互いの手のひらを叩きつけ合う。

 ぱぁん、と軽快な音が幾度か鳴った。

 すっかり疲れきった腕の、打ちあった手のひらに軽い熱が残る。

 ――勝利の熱だ。


「やー、流石に死ぬかと思ったぜ」


 悪魔の大拠点に五人で突貫は流石に無謀だったと笑いながら、メネルはルゥの肩に手を回す。


「よくやったな、お手柄だぜ!」

「いっ、いえ、私などは――」

「いや。お前があの大将を押さえておいたおかげで、俺たちは大幅に暴れやすかった」


 レイストフさんがそう言い。


「後方で指揮に回られた場合、押し包まれて潰された可能性もありますな」


 ゲルレイズさんも頷いた。

 僕も全く同感だ。


「……君が取り戻したんだ。山と、王冠を」


 転がるスカラバエウスの首から王冠を取り上げると、ルゥに渡そうとする。

 と、首を左右に振って拒否された。


「まだです。――まだ、全てを取り戻したわけではありませんから」


 覚悟の籠もった声でそう言われ、僕も頷いた。

 そうだ。

 確かにまだ、この山の全てを取り戻したわけじゃない。

 ……竜が残っている。


「でも、全てを取り戻した暁には、ウィル殿に王冠を被せてもらいたいですね」

「えっ? それ高位の聖職者の仕事じゃ……」

「お前、高位の聖職者だろうが!」


 そういえばそうだった! と言うとみんながどっと笑った。

 そうだ、笑える。

 まだみんな笑える。


 相手はかつてない強敵。

 万全の状況とは言いがたいけれど、戦闘なんて常にそんなものだ。

 どこかしらが欠け、どこかしらが満足ではない状況で、それでも手持ちの札で万全を尽くすしか無い。


 体力はずいぶん消費したけれど、戦意は旺盛。心意気に曇りはない。

 なら、これが今のベストコンディションだ。


「行こう。まずは事前にかけておける魔法や祝福をありったけかけて……」

「――待て」


 レイストフさんが、眉間にしわを寄せていた。


「どうされました?」

「あそこを見ろ」


 レイストフさんが指差したのは、広間の中央あたりだ。

 無数の悪魔が塵となり、あちこちに塵の山ができているそこ。


「あれ?」


 ルゥも首を傾げ――それから一気に、蒼白となった。


「無い」

「無いって、何が」

甲虫悪魔(スカラバエウス)の体です!」

「はぁ!? 待てよオイ、けど首は確かにここに……」


 首はある。けれど、そうだ……塵になっていない(・・・・・・・・)

 異次元からの来訪者である悪魔は、殺せば塵となる。

 時々、武器や小さな部位が残ることもあるけれど、今回のこれは違う。


「……逃げたんだ」

「待てよウィル、首斬られて胴だけで逃げられるわけが……」

「奴が虫の体を模してるなら、可能性はある。首をもがれても動く虫、見たことない?」


 昆虫は脳にあたる頭部神経節から、はしご状の神経索を伝って体中に神経索を走らせている。

 その構造でもって、分散して情報処理を行うのが昆虫の身体の特徴だ、とは前世で読みかじった覚えがある。

 つまりあの甲虫悪魔(スカラバエウス)が、内部まで虫と似た身体構造をしていた場合――


「首をもがれて、それでも逃げたんだ。現状、どこまで思考できてるのかは分からないけれど……」


 高位の奇跡の中には、欠損部位を再生するものもある。

 首を再生できるかとなると流石に怪しい気もするし、人間では実験も検証も不可能だけれど、悪魔ならできてもおかしくはない。


「メネル、痕跡を」

「おう!」


 即座にメネルが痕跡を辿り始め、その間に僕は全員に付与と増強の魔法をかけはじめる。

 万が一にでも逃げ延びられ、悪魔たちを再編されたらことだ。


「追って仕留めます!」


 おう、と皆が声を上げた。




 ◆




 甲虫悪魔(スカラバエウス)の痕跡は、《ひかりの間》から通路を辿って更に奥へと続いていた。


「これは――《大空洞》への道行きですな」

「ひょっとして、竜に助けを求めに?」

「可能性はあるな。単にろくな思考もできず、身体の反射だけで迷走している可能性もあるが」


 できればそちらであって欲しいところだ。

 竜との遭遇を考慮して一通りのエンチャントをかけた僕たちは、魔法の灯りで周囲を照らしつつ、入り組んだ石の通路を駆けてゆく。


 進むごとに、瘴気が濃くなる。

 この瘴気が竜の発するものだとしたら――もう、竜はすぐそこだ。


「みんな、気をつけて!」


 埃の積もるいにしえの部屋や広間を横目に回廊を抜け。

 地下の深い谷間にかかる橋を越え。

 そうして、辿り着いた先は――暗く、大きな広間だった。


 どれほどの大きさがあるのか、範囲と照度を最大にした《おぼろ月》の穂先の灯りでも照らしきれない。

 巨大な作業場だったのだろう。

 火の消え、冷たい灰をたたえた炉が、まるで巨大な墓標のように連なっている。


「…………」


 かつては轟々と炎をあげる炉の灯りのもとで、やかましく槌音が響き、熟練の職人が弟子たちをどやしつけていたのだろう。

 鉱石運搬のためのからくり仕掛けがガラガラと往来し、作業の拍子をとるための歌だって響いていたはずだ。

 けれど今、火は消え、槌音は止み、人の声はなく、動く仕掛けもない。

 全ては、闇と沈黙の中にあった。


「……っ」


 かつてを知るゲルレイズさんが、歯を噛み締めた。


「追いましょうぞ」

「ええ」


 頷いて、悪魔の痕跡を追う。

 するとほどなくして、スカラバエウスは発見できた。


 僕たちに背を向け、《大空洞》の奥の闇に向けて盛んに動作をしている。

 首を失ったまま、天を振り仰ぐような動作をし、救いを求めるように両手を掲げ――



 そして次の瞬間に、叩き潰された。



 大きな、あまりにも大きな、鱗の生えた腕に。

 ルゥがあれほど苦戦した、デーモンたちの中でも高位の存在である、《将軍級》の悪魔が。

 蚊でも潰すかのように、一撃で。


【――惰弱よのう】


 塵となってサラサラと崩れ落ちるスカラバエウスの奥から、声が響く。

 闇の中に、黒い影が横たわっていた。


 巨大だ。

 いや、巨大だなんて表現では、とても足りない。


 僕はこの時、場違いにも、前世の学校の校舎を思い出していた。

 玄関先から振り仰いだ校舎が――もし生き物だったら、こんな気持ちになるのだろうか。


 影が、身じろぎする。

 それだけで、ぶわり、と熱気を伴った瘴気が吹きつけられた。

 魔法の灯りに反射して、影の周囲に、きらきらと金銀の輝きが見える。


【よくぞここまで到達した】


 黄金色のまなこが、僕を見つめる。

 踵を返して逃げたい衝動にかられた。

 こんなものを相手に、いったい何ができるというんだ。


「…………ッ」


 歯を噛みしめて、腹に力を入れる。


【弱きものよ、死すべき定めにあるものよ。――汝が名を問おうではないか】


 黄金色の瞳をした、瘴気をまとう黒竜。

 ――《災いの鎌》ヴァラキアカが、その首をゆっくりと持ち上げた。



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