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魔王の器  作者: 月野文人
第一章 皇国学院編
9/218

これもデートというのか?

 騙された。建物を見たセレネの最初の感想はこれだった。

 大通りを離れ、薄暗い路地を入った所にある寂れた建物。扉は閉め切っていて、中の様子は見えない。

 約束通りカムイに食事を御馳走する事になったセレネだったが、外食する機会などないセレネは、皇都の食堂を知らなかった。仕方なく店はカムイに任せる事にして、そのカムイの後ろに付いてここまで来たのだが、目の前にある建物は、それらしい看板も何もなく食堂とはとても信じられない。

 そもそもここに来るまでに、すでに散々、嫌な思いをしてきたのだ。

 裏通りに佇む人たちの好奇の視線。中にはとても子供に向ける視線とは思えないようなものまであった。

 それでも我慢してカムイに付いて来てみれば、この結果。さすがにセレネも我慢の限界がきた。


「ねえ、私をどこに連れてきたのよ!?」


「どこって食堂に決まってるだろ?」


「これが食堂?」


「中に入ってもいないで疑うなよ。ここは立派な食堂だ。まあまあ美味いと思うぞ」


「……本当に?」


 カムイに嘘を言っている雰囲気はない。もっとも、真顔で嘘をつけるカムイなので、雰囲気だけで信じるのは間違いだが。


「何を疑ってんだよ?」


「私を変な所に連れ込もうとしているんじゃないわよね?」


「……自意識過剰。俺にとってはお前よりも飯のほうが上だ」


「何ですって!?」


「いちいち怒るなよ? 時間が勿体ないから入るぞ」


「……本当に大丈夫でしょうね?」


 セレネも、やはり貴族の令嬢だ。周囲の怪しげな雰囲気に飲まれて、かなり弱気になっている。


「大丈夫に決まってるだろ? こんな所で、ぐずぐずしている方が、よっぽど危険だ」


「それって、どういう意味よ?」


「それは入ってから話す。とにかく店に入るぞ」


 付き合っていられない。こんな思いをありありと表情に出して、カムイは建物の扉を開けて中に入っていった。それでもセレネからは戸惑いの気持ちは消えない。

 どうしようかと扉の前で悩んでいると、すぐにカムイが顔を出した。


「そんな所で一人で立ってると本当に危ないからな?」


「そんな所に連れてこないでよ」


「良いから入れよ。中を見れば余計な心配だったって分かるから」


 カムイに言われて、恐る恐る扉の隙間から中を覗くセレネ。確かに、中には幾つものテーブルが並び、数人の客が食事をしていた。なんとなく客層が怪しげなのは気になるが、ここが食堂である事は間違いないようだ。

 扉を大きく開き、足を踏み入れる。その瞬間に周囲の視線がセレネに集まった。


「もう、嫌」


「気にするな。すぐに興味を失くすさ」


「本当に?」


「別に容姿を見ている訳じゃないからな。……あそこにしよう」


 こう言ってカムイは、他の客から離れたテーブルに向かった。

 まだ視線は感じるが、立っていても仕方がないと、セレネもカムイの後に続いた。

 テーブルに座って少し経つと、これまた店員とは思えないような強面の男が、水を持ってやってくる。


「女連れとは珍しいな?」


「ああ、俺の友達だ。アルトとルッツも顔見知り。今度ダークにも紹介する予定だ」


「そうか。では儂も顔を覚えておこう」


 店員がそう言った途端に、周囲の客の視線がセレネから離れた。


「ああ、そうしてもらえると助かる。たまには良いだろ? こんな可愛い女の子の顔を覚えるのも。厳つい顔ばかりじゃな」


「違いない。注文はどうする?」


「いつものやつを二つ。飲み物も」


「分かった」


 店員が席を離れた所で、セレネが口を開いた。


「ねえ、どういう事?」


「大将は今でこそ食堂のオヤジなんてやってるけど、その昔は結構な顔役だったんだ。そっちの方は完全に引退してるけど、世話になった人は多いからな。今でも、それなりに重んじられている」


「顔役……。あまり、まともな職業ではなさそうね?」


 裏社会を仕切っていたのだから、まともでない職業の中でも、かなり上の方だ。ただ、詳しい話をセレネにするつもりは、カムイにはない。


「まあ、こんな場所だからな」


「どうして、こういう所にわざわざ連れてくるのよ?」


「ここなら何を話しても外には漏れない。そういう場所なんだ。視線消えただろ?」


「ええ」


 カムイの言う通り、さっきまで感じていた嫌な雰囲気は、綺麗さっぱり消えている。


「入ってきた時のあれは、知らない顔が現れた事への警戒心だ。でも、大将が顔を覚えると言った事で信頼できる人間だと周りは理解した。他の客も安心して話が出来るって訳だ」


「貴方はどうしてこの店に?」


「俺たちは孤児院出身だ。俺は短い間だったけど、他の奴らは何年もそこにいたからな。それなりに知り合いはいる」


「孤児院と、こんな場所がどう繋がるのよ?」


 セレネには、孤児の事情など分かるはずがない。


「孤児が働ける場所なんて限られてる。先輩たちがこの辺に大勢いるんだよ」


「……そう」


「最初に言っておく。話を漏らされたくないのは、他の客も同じだ。ここで見聞きしたことは、絶対に外に持ち出すなよ。良いな?」


 これを言うカムイの顔は、セレネが、これまで見たことがない真剣なものだ。裏社会のルールを破ることがどれだけ危険な事か。それをセレネに理解してもらうために、あえて厳しい顔をカムイは見せている。


「……分かっているわよ」


「本題の話は飯が来てからだ。それまでは適当に話をしよう」


「話って言われてもね。……そう言えばさっき私の事、可愛い女の子って言ったわね」


「お愛想って奴だな。そういう言い方の方が大将も喜ぶだろ?」


「ええ、そうでしょうね」


 自分にも少しは愛想良くしろ。これを言っても無駄だと思うので、セレネは口にするのは止めた。


「でも、お前ここまで来る間、結構注目集めてたよな? 気を付けろよ? 大将の食堂に入った人間に、変な事をする奴はそうそういないとは思うけど、真面目なスカウトはしつこく来るかもしれない」


「スカウトって何よ?」


 スカウトという言葉をセレネは知らない。貴族には縁の無い言葉だ。


「勧誘? 是非、うちで働いてくれませんかって誘いにくる」


「へえ、どんな仕事があるのかしら?」


 人に評価されるのは気分が良い。そう思ったセレネだったが。


「娼婦だな」


「死ねっ!」


 カムイの一言で、切れる事になった。


「何だよ? この辺は貧民街とは違って、合法な高級娼館ばかりだぞ? 聞いた話では売れっ子の女の人は、すごく稼ぐそうだ。下手な貧乏貴族よりはよっぽど良い暮らしをしてるって教えてもらった事がある」


「貴方、友達に娼婦の仕事を薦める気?」


 カムイと違って、セレネには娼婦への偏見がある。偏見というより抵抗だ。当然である。


「友達だっけ?」


「知らないっ!」


「冗談だよ。なんだかお前、雰囲気変わったな? もっと落ち着いた感じだったと思うけど」


 そもそも、セレネと話すようになったの最近の事だ。それまでは、同じグループでも、どこか距離がある感じだった。これはお互い様だが。


「私だって、まだ十二よ。年相応の時もありますぅ」


「なんだ、その、ありますぅ、って。それじゃあ、まるっきり子供だろ?」


「別に良いじゃない。私だってたまには甘えたい時があるのよ」


「その相手が俺?」


「……そうね。ちょっと甘える相手を間違えたわ」


「別に良いけど。……お前ってさ、王族なんだよな?」


 急にカムイは話を変えてきた。セレネだけでなく、自分にも少し慣れ合った気持ちがある事に気付いたからだ。他人を簡単には信用しない。過去の虐めに関係なく、カムイはこれを心がけている。


「そうよ」


「元の国名は?」


「エリクソン王国」


「……知らない。知るはずないか、元の国名なんて教わらないからな」


 辺境領は、あくまでも皇国の一部。元の国名が何であるかなど、皇国学院で教える事などない。


「じゃあ、聞くな」


「話のネタだよ。もう一つ、聞いて良いか?」


「何よ?」


「皇国に滅ぼされたのって、いつ頃?」


「嫌な事聞くわね」


「悪い」


「私の祖父の代。五十年くらい前ね」


 文句を言いながらも、セレネはカムイの質問に答える。セレネの生まれる前の話だ。セレネ自身には、思い出したくない記憶がある訳ではない。


「母親も生まれる前か。それは分からないな」


「でも歴史で言えば、五十年なんて最近よ。皇国が他国を侵略し始めて、千年になるのよ」


「……そうだよな。建国なんていえば聞こえが良いけど、他国を滅ぼして、皇国が出来上がったわけだからな」


「そういう事よ」


 皇国の領土の九割以上は、元は他国だ。多くの国を滅ぼして、今の皇国の栄華がある。


「祖父ってまだ生きてるのか?」


「亡くなったわよ。滅ぼされた時にね。自分の命を代償にお父様たちの命を救ったって事になっているわ」


「なんか微妙な言い方だな」


 セレネの言い方は、決して、それをした祖父を褒めているようには聞こえない。


「別にお爺様が命を差し出さなくても、皆殺しなんて事は無かったらしいからね。お父様が言うには自分の国が皇国に変わっていく姿を見たくなかったのだろうって」


「……良い王様だったのかな?」


「どうかしら? でもお年寄りは昔を懐かしんでいるわね」


 五十年前の事だ。まだ存命の者は多い。こういう点で、確かにセレネの言う通り、まだ歴史ではなく、記憶の中の出来事だ。


「じゃあ、今よりは良い国だったわけか。まあ、当然だな」


「まあね」


 実際にどうだったのかをセレネは知らない。だが、そうであると信じたいという気持ちが、カムイの問いに肯定の言葉を返させた。


「……お前幾つだ?」


「何を聞いているのよ。同い年でしょ?」


「でも父親は五十歳以上なんだろ?」


 亡国の時に生きていたのだ。当然、五十才以上となる。


「そうよ。もう六十になるわね」


「いや、やるな、お前の父親。五十近くで、子供を作った訳か」


 五十を超えれば老年。いつ死んでもおかしくない年だ。カムイが感心してもおかしくはない。


「ちょっと、変な事言わないでよ」


「でもそうだろ?」


「結婚が遅かったのよ。国が滅んだ時は私と同じくらいの年。でも、中々婚姻を許してもらえなかったみたいよ」


「どうして?」


「利権争い。妃を出せば、その家が実権を握る事になるでしょ。どいつもこいつも、うちの娘をってうるさかったらしいわ」


 滅ぼされた国である辺境領は、領主自身には様々な制約が課せられる。その分、皇国貴族である妻の実家の影響力が大きくなる事が多いのだ。


「そうか……。それで結局?」


「皇帝に泣きついた。誰と結婚しても、他家の恨みを買ってしまいますから、何とかしてくださいってね」


「へえ、なかなか頭が良いな。それで皇帝が選んだ相手とって事か」


「ええ、ちょっとした賭けね。皇帝だって、どこかひとつの貴族家なんて、そう簡単には選べないでしょ? 結局、皇国の貴族家と関わりのない者との婚姻をという事になったの」


「うまくやったな」


 実際は運だろう。貴族への報償代わりに、婚姻を決められた可能性だってあったのだ。


「そこまではね。でも特定の貴族に国を自由にされる事を防いだといっても、所詮はそこまでよ。皇国の人間が居座っている事に変わりはない」


 辺境領には、皇国から役人が送り込まれる。監視役というものだが、それだけで終わらずに領政にも色々と口を出してくる。多くの場合は、自分の利権の為に。


「でも直系の血筋を守る事は出来た。俺からすればどうでも良い事だけど、王族としては結構大事なんだろ?」


「そうね。でも、そのおかげで私は……」


「何かあるのか?」


「国の皆の期待を受けることになった。いつかエリクソン王家の復活をって事よ」


「お前、後継ぎなのか?」


「後継ぎって言うのかしら? 一人娘であるのは確かだけどね」


「……皇国は放っておかないよな?」


 セレネも又、それなりに背負っているものがある。距離を取る為に、話を変えたつもりが、逆にカムイの心の中にセレネへの共感をもたらすことになった。


「そうね。どこかの貴族の息子と私を結婚させようとするでしょうね。どこの誰とも知らない相手。まあ、王族や貴族だったら、それが普通でしょうけど、やっぱりね。それに国の皆はそんな事を認めようとはしない。なかなか難しいのよ。背負う物の重さに時々押しつぶされそうになるわ」


「悪い。変な話させちゃったかな?」


「良いわよ。口に出来るだけましだもの。国に戻れば、弱音なんて吐けないからね」


「……そっか。それで甘えたかったのか?」


「相手を間違えたって言ったでしょ?」


「別に良いと、俺は言ったぞ」


「…………」


 心の距離を縮めたのはセレネも同じ。泣き言を言える同世代の相手は、セレネにとってカムイが生まれて初めてだった。

 二人の間に、何とも言えない雰囲気が漂った――その時に。


「邪魔するぞ」


「きゃっ!」


 突然掛けられた声にセレネが、女の子らしい声をあげた。声の主は料理を持った大将だ。


「おお悪い、驚かせたか。良い雰囲気だから、どうしようかと思ったのだがな。待っていたら料理が冷めてしまうと思って、声を掛けさせてもらった」


 最初の無愛想な雰囲気とはうって変わって、気さくな感じでセレネに話しかける。


「良い雰囲気はないだろ?」


「いや、傍から見ていたら間違いなく恋人同士に見えたぞ」


「……それはない」


「そうなのか? それにしてはお前、この嬢ちゃんの事をお前呼ばわりしているじゃないか」


「えっ? あれ?」


「気が付いていなかったのか? お嬢ちゃんも何にも言わないから、てっきり、そういう関係だと思ったのにな」


「それはありません!」


 大将の誤解を解こうと、セレネも慌てて否定する。


「そうかな? 嬢ちゃんの方も難しい話をする前の様子は、年相応に見えたぞ。それは誰にでも見せるものではないのではないかな?」


 意味ありげに笑みを浮かべる大将の顔は、強面である事に変わりないのだが、目元には子供のような無邪気さを感じさせるものがある。


「……大将、さては、そうやって、俺たちを混乱させて面白がってるだろ?」


「まあ、それはあるな」


 子供のような無邪気さは、悪戯をしている故の無邪気さだった。


「やっぱり」


「だが、こうでもしないと、カムイは女の子に意識を向けようとなどせんだろ? 男の気持ちを知っているだけでは、世の中は生きていけん。女の気持ちが分かって初めて一人前。いや、女の気持ちが分かること等、永遠にないか。わっはっはっは」


 もっともらしい事を言って、高笑いする大将。セレネの第一印象は何だったのかと思うくらいの、ご機嫌な様子だ。


「いいから、料理を置いて、とっとと戻れよ」


「おお、そうだな。邪魔者は消えるとしよう」


 最後にもう一度、大笑いすると料理を置いて、大将はテーブルを離れて行った。


「…………」


 残された二人は、どことなく気まずい雰囲気だ。まんまと大将の思惑に嵌ったという事だろう。その雰囲気を何とか崩そうとカムイが口を開く。


「取り合えず食べるか」


「そうね。これは何て料理なの?」


「スープ」


「見れば分かるわよ! 私は材料を聞いているの!」


 少なくとも、セレネを怒らせる事には、カムイは長けているようだ。


「一つ一つはよく分からないな。とにかく色々な物をぶっこんで煮込んでるらしい」


「……美味しいのよね?」


 カムイの説明は、とても料理法には聞こえない。


「ああ、味は保証するぞ」


 恐る恐るといった感じで、スプーンですくったスープを口に入れるセレネ。


「……美味しい」


 その口から感嘆の言葉がこぼれた。


「だろ!? 色々な材料の味が混ざっていい感じなんだ。あとその肉も食べてみろよ」


「これは何の肉なのかしら?」


「さあ?」


「おい!」


「いいから食べてみろって。長時間煮込んでいるから、すごく柔らかいんだ」


 カムイに言われた通りに肉を口に運ぶセレネ。


「……本当ね。すごく柔らかいわ」


 かなり満足気な様子だ。


「どれも安物の材料なのは間違いないんだけどな。大将の手に係ると極上の料理に変わるんだ」


「うん。確かに美味しいわ」


「だろ?」


 気まずい雰囲気は、料理のおかげで綺麗に吹き飛んだ。そうなると、又、料理以外の会話も始まる。


「……ねえ、怪我はもう大丈夫なの?」


「それを聞くのは何度目だ? 大丈夫だって言ってるだろ」


「そうだけど……。もう深い話をして良いわよね?」


 二人の会話は、ようやく本題に入る。


「ああ、かまわない」


「神聖魔法使えるのね?」


 本題に入ると、今度は、セレネからの質問になる。


「まあな。知らなかったけど、あまり使える人いないんだってな」


「知らなかったの? でもあの時、内緒だって言ったじゃない?」


「それは魔法そのものを使えることを隠したかったからだ。魔法を使えないはずの俺が、使える様になってたら、色々と詮索されるだろ?」


「そうでしょうね。その詮索をしてもいい?」


 セレネの一番の興味はこれだ。魔法は持って生まれた才能が全て。それが常識なのだ。だが、カムイはこの常識から外れている。


「……まあ、ばれてるからな。魔法が使えるようになったのは、単純に魔法が使えなかった原因がなくなったから」


「それじゃあ、全然分からないわよ」


「今から言うよ。ひとつは属性の問題。魔法には属性毎の適性があるのは知ってるよな」


「もちろんよ」


「俺の場合は、それが極端で火水風土の適性が皆無に近いそうだ。だから四属性魔法が使えない。これは今もだな。入門魔法がせいぜいだ」


「でも神聖魔法には適性があった。そういう事なのね?」


「光属性魔法な。光属性魔法は高度な魔法って事になってるから最初から習わない。だから適性があるなんて分からなかったって事」


 神聖魔法なんて呼ばれる事で、光属性魔法は特別視されている。そうさせた理由があるのだが、それを語るつもりは、カムイにはない。


「なるほどね。……もしかして、そういう事って珍しくないのかしら」


「そうらしい。俺の場合は極端すぎるけど、四属性の魔法では実力を認められないけど、実は光属性魔法では才能があったなんて人、結構これまでもいたと思う。その多くが、魔法の道を諦めているだろうから、もったいない話だ」


「そうね。もうひとつは?」


 話を終わらせようとしていたカムイに、セレネは別の理由を説明するように促した。


「あれ? 他にあるって言ったか?」


「ひとつは、って言ったわ。という事は別にもあるって事でしょう?」


「……油断ならない女」


 自分の失言に気付いて、カムイは反省する事ではなく、セレネに文句を言う事にした。


「貴方には言われたくない。さあ、話しなさいよ」


「全く……。もうひとつは、俺の身体的な欠陥だな。病気みたいなものだ。魔力は使えば減る。でもしばらく経てば、減った魔力は元に戻るよな?」


「当たり前でしょ」


 そうでなければ、魔力が尽きて、魔法を使えなくなる。


「その当たり前の事が、俺の体には出来なかった。魔力の回復力が、ほとんどなかったんだ。だから、俺の魔力はいつも空っぽ状態。属性どうこうがなくても魔法なんて使えなかったんだ」


「……よくそれで倒れなかったわね? 常に魔力切れって事でしょ?」


 魔法を使いすぎると、強烈な疲労感が体を襲い、立っていられない状態になる。ひどい場合は気絶してしまう事さえある。それが魔力を消耗し過ぎた場合に起こってしまう症状だ。


「それはよく分からない。魔法を使ってないのだから、逆に最低限の魔力は残ってたんじゃないかな?」


「そう。今は使えるって事は、それが治ったのね」


「そういう事」


「どうやって?」


「秘密」


 さすがに、これ以上をカムイは話す気はない。体の事だって、かなり踏み込んで説明しているのだ。


「肝心な話になるとそれなんだから」


「かなり深く話したぞ。今度はそっちの番だ」


「何を聞きたいの?」


「お前……、いや、セレネさん」


 大将のせいで、カムイは呼び方を意識するようになってしまった。


「もうお前で、……さすがにお前はちょっとね。セレネでいいわよ」


 気にされるのも又、セレネは気になる。折衷案を提示したつもりだったが。


「じゃあ、セレ」


「なんで短くするのよ?」


「発音し易いから。セレの国の事情はなんとなく分かった。他にも多いのか、皇国に叛意を持ってる辺境領は?」


 セレネの文句を無視して、カムイは話を先に進める。


「その聞き方だと私の国が皇国に叛意を持っているみたいじゃない。一般論として答えるわ。それで良いでしょ?」


「十分」


「叛意とまではいかなくても不満を持っている国は多いわよ。ほとんど全てと言って良いわよね。理由の説明も必要かしら?」


「皇国の搾取だろ?」


「そう。辺境領のほとんどは皇国内よりも重い税金を課せられている。反乱を起こさないように力を弱める為でしょうけど、度が過ぎているのよ。更に最悪なのは、皇国から派遣されてくる役人の多くは、私腹を肥やすために、ただでさえ重い税金に更に上乗せしている。反乱どころか破産寸前の国も少なくないわ」


「何故、それが許されるんだろう?」


「お目こぼしって奴よ。辺境への派遣は決して誇れるものじゃあないからね。そんな利権がないと、誰も辺境になんて行こうとしないわ。こっちは来てくれなくて結構なのにね」


「なるほどね。そういう事か」


 悪事を働いている役人は辺境領以外にも居る。だが、辺境のそれは、あまりに有名な話なのだ。それを放置している理由が、カムイには分からなかった。


「もう制度みたいなものよ。辺境に数年いて私腹を肥やす。ある程度溜まったら、その金で中央の役職を買って戻っていく。そういう風に出来ているの」


「反乱という事にはならないのか?」


「……きっかけがあれば直ぐにも起こるわね。実際に起こっているじゃない」


 辺境領の反乱など、珍しい事ではない。起きては鎮圧され、又、搾取が始まる。そして、又、反乱。この繰り返した。


「そうじゃなくて、まとまって立ち上がるのは難しいか?」


「誰が中心になるのよ? それぞれ一国の王族よ、それをまとめられる人なんていないわ。そういう人は、皇国が放っておくわけがないしね」


 その為に、辺境領の子弟や、その臣下を学院に入学させて、資質を見極めようと皇国はしているのだ。


「そうなると立ち上がっては潰されての繰り返し。いずれ辺境伯はいなくなってしまう」


「解決策はあると思う?」


「そんな簡単に思い付くか。あえて言えば、辺境に好意的な皇族を作る。その人に皇位に就いてもらえれば最高」


「まさか、それをクラウディア皇女に求めるの?」


「それが出来ればいいけど、無理だろうな」


「理由は?」


「お人好しだから」


「良い事じゃない。辺境に同情してくれる可能性はあるって事でしょ?」


 扱い易い人物は、担ぐにはもってこいだ。そういう意味では、クラウディアは担ぐ人物としては悪くない。


「でも、皇位につくには邪魔者がいる。クラウディア皇女にそれは出来ないだろ? テレーザさんもそんな事をするタイプじゃないし」


 だが、辺境領には、クラウディアを皇位に就ける力がない。クラウディアが自分の手で皇位を掴む必要があるのだ。それが出来るとはカムイには思えない。


「過激な事考えるわね。邪魔者は消せって?」


「そうじゃなければ皇位になんて就けない。弱者は目的の為に手段を選んでいられないだろ」


「……なんか私の良心が」


「別に、セレにそういう事をしろって言ってる訳じゃない。俺だったらそういう手も考えるって事。それに……」


「何?」


「俺の周りには、俺の為に平気で手を汚そうってやつがいる。俺だけが綺麗なままでいようなんて、そいつに悪いだろ?」


「あの二人ね」


「あの二人だけじゃない」


「そう、他にも仲間がいるのね。そう言えばその二人はどうしたの? 三人分奢るはずだったわよね?」


 暗殺という物騒な話題が嫌で、セレネは話を変えてきた。


「ルッツは最近モテモテだから。忙しいんだ」


「モテモテ?」


「東や西から盛んにお誘いが来ているみたいだな」


「……それもカムイの為ね」


 東や西だけで、セレネが誰の事を指しているか分かった。ルッツの目的もだ。


「俺、呼び捨てにして良いって言ったか?」


「良いじゃない。私だけくん付なんて不公平でしょ?」


「じゃあ、許す」


「えらそうに。それで急に実力を見せたのね」


 ルッツが急に実力を見せたのは、ヒルデガンドとディーフリートの気を引く為。ようやく、セレネは理由が分かった。


「やっと、この話になった。元々、これが聞きたかったはずだよな?」


「そうだけど、カムイの場合は聞きたい事が次から次と出てきて、それ所じゃないのよ」


「それは否定できない」


「自覚はあるんだ?」


「まあな」


 隠さなければならない事が、カムイには沢山ある。側に居られると、その一端が覗かれてしまう事もあるとカムイには分かっている。


「カムイは何をしようとしているの、って聞いても教えてくれないわよね?」


「別に話せない事じゃない」


「そうなの?」


「仲間を守る事。居場所を作る事。そんな感じだな。ただ、その為に何をすればいいのかは、分かってない。とりあえず強くなる。今はそれくらいだ」


「じゃあ、私と同じね」


「まあ、そうだな……」


 行動は同じかも知れないが、内容は異なる。こんな事を、わざわざセレネに言う必要はない。これも隠し事の一つだ。


「カムイのお母様ってどういう人?」


 気まずそうなカムイの反応を敏感に察知して、セレネは話題を変えた。ただ、その結果は。


「素晴らしい人だったな」


「きゃっ!」


 また、後ろから突然声を掛けられて、セレネは驚きの声をあげる。


「おや、又、驚かせたか」


「……わざとやってるだろ?」


 苦笑いを浮かべながら、カムイは大将に文句を言う。


「お前だって、儂がいるのに気が付いていて教えなかっただろ?」


「そういう事?」


 セレネは恨めそうな目でカムイを睨んでいる。


「別に隠してた訳じゃない。飲み物を運んできたのが分かってただけだ。大体、後ろに立たれていて、気配に気が付かない方が悪いんだ」


「そんな事言われても……」


「修行が足りないな」


「うるさい。……ご主人はカムイのお母様をご存じなのですか?」


 大将が呟いた言葉の意味。それを思い出して、セレネは尋ねた。


「ご主人なんて呼ばんで良い。大将と呼んでくれ。それにそんな畏まった話し方も余計だ」


「はい。じゃあ、大将」


「カムイの母親のことは知ってるぞ。それはそれは綺麗な人だった」


「光の聖女の再来なんて呼ばれている人ですからね」


 カムイの母であるソフィア・ホンフリートは、皇国では有名人で、ちょっと調べれば、すぐに情報は手に入る。


「光の聖女の再来なんかではない」


「えっ?」


「聖女そのものだ。外見だけじゃない。それ以上に内面が美しい人だった」


 べた褒め。大将のカムイの母親への評価は、この言葉にぴったりだ。


「そんなに親しかったのですか?」


「何度か話をした事はあるな。ソフィア様は割とこの辺りにはよく来ていた」


「……この辺りにですか?」


 光の聖女の再来と、この物騒な裏町が、セレネには結び付かない。


「不思議かな? まあ、そうだな。こんな、いかがわしい場所に聖女が何度も訪れていたなんて、疑問に思うのが当然だ」


「ここに来て何を? 慈善事業とかでしょうか?」


 貴族の夫人が恵まれない人たちに施しを行う事はよくある。善意であったり、人気取りであったり、その動機は様々ではあるが。


「いや、何もしておらんな。施しをする事などなく、ただ、ここに来て我等と話をしておった。それ故に我らにとって、あの方は聖女なのだ」


「どういう事でしょう? 私にはちょっと分かりません」


「ふむ。では聞こう。嬢ちゃんは娼婦を目の前にして、どう接する? 毎日毎日、金の為に何人もの男に抱かれる女だ」


「それは……」


 自分の偏見を、セレネは自覚した。仕方ない事ではあるが、こうして面と向かって聞かれると、恥じる気持ちが浮かんでくる。


「かっぱらいやスリで生計を立てている餓鬼どもを目の前にして、どう接する?」


「…………」


 セレネには、貧民街の住人たちの荒んだ生活は、受け入れがたい。大将の言っている事は犯罪なのだ。だからといって、それを素直に口にする事は憚れた。

 結果、大将の問いには、沈黙で返すしか無い。


「意地悪な質問だったな。大抵の者は良くて同情か憐み、酷ければ蔑みの目で見るだろうな。それが普通だ。だが、あの方は違った。そんな感情は一切表さず、普通の人と変わらない態度で接していた。それは常に偏見の目で見られる我等にとっては、どうにも嬉しい事だったのだよ」


「そんなに嬉しい事なのですか?」


 偏見の目に晒された事がないセレネには、理解が難しかった。


「同情も偏見のひとつだ。相手を対等に見ていないという事だからな。これは、嬢ちゃんも覚えていたほうが良い」


「はい」


「あの方が見せた感情はただひとつ。怒りだけだった」


「怒り……」


「世の中への怒り。どうにも出来ない自分への怒り……。あの方が元気で生きていてくれたら、世の中はもう少し良くなっていたかもしれんな。これは愚痴か……」


 遠くを見るような目で話す大将。最後の言葉は呟きに近い小さな声だった。


「ふむ。思い出したら悲しくなってしまった。この話はこれで終いにしよう」


 涙に潤んだ目を隠すようにしながら、飲み物をテーブルに置いて、大将は去っていった。

 大将にとって、カムイの母親がどれだけ大きな存在だったのか。この大将の態度が示している。


「……今の話、知っていたの?」


「ああ、前に聞いた。子供の俺が大将に認められたのは母上の息子だってのが大きいな」


「そう。案外、カムイも重い物を背負っているのね」


 自分が国の皆の期待を背負っているのと同じように、カムイも多くの人に期待されているのかもしれない。セレネはそう思った。


「持って生まれた宿命。そう思ってる」


「宿命か……」


 カムイが口にした宿命の重さは、この時のセレネには分かるはずもなかった。

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