早すぎる登場
戦場は一気にその動きを活発化させた。ヒルデガンドたちと勇者たちの戦いは続いている。そんな中で突然現れたカムイ率いる騎馬千。ルースア帝国軍の前線に紛れていたクラウディア軍を見つけ出し、その陣に向かって真っ直ぐに進んでいる。それを阻もうと進路を変えて動き出したルースア帝国軍。前線の動きが活発する中で、ルースア帝国軍にとってはまさかの本陣への突撃が敢行された。
突撃部隊はわずかな数だ。だが、そのわずかな突撃部隊の突撃を阻むのにルースア帝国軍は苦労していた。とにかく一人一人が強いのだ。
カムイ軍の突撃部隊はミト率いる間者部隊。個々の武勇ではカムイ軍の中では決して上位にあるとはいえない間者部隊ではあるが、その勢いは凄まじいものがある。ルースア帝国軍は何倍もの数で対しているが、その前進を止めることが出来ていない。そうなるのは当然のこと。ミトたちは一人一人が死ぬ覚悟を決めている。決死の突撃部隊を簡単に止めることなど出来るはずがない。
「本陣に増援を! 部隊を集めろ!!」
「近衛騎士団! 出撃準備だ! 増援がきたら前に出る!」
突撃部隊の強さが尋常ではないことを理解したルースア帝国軍も決意した。精鋭である皇帝直属部隊を投入することにしたのだ。
煌びやかな鎧兜に身を固めた近衛騎士が整列して、前進の体勢に入る。
「近衛騎士団! 突撃っ!!」
「「「おおっ!!」」」
盾を構えた体勢で隊列を揃えたまま前進する近衛騎士団。自分たちの後ろには一人も通さないという体勢だ。
「弓兵! 近衛騎士団の後方で攻撃体勢を取れ!」
近衛騎士団の投入だけではなく弓兵部隊にも攻撃態勢を取らせる。ニコライ皇帝を守る為であれば少々、味方に犠牲が出ても仕方がないと割り切っている。
「弓兵……放てっ!」
前方ではカムイ軍の突撃部隊とルースア帝国軍の戦いが行われている。そこへ容赦なく弓兵の放った矢が打ち込まれていった――。
◇◇◇
「ミト! 矢よ!」
「なっ!?」
味方の声に驚きの声をあげるミト。この混戦状態で矢を放ってくるとは思っていなかったのだ。
「全員回避! 矢の攻撃を避けて!」
驚きながらも味方への命令を発するミト。それに反応した味方が回避姿勢を取ろうとするが。
「前進! 敵はひるんでる! 前に出て!」
それとは正反対の命令が味方から発せられた。
「ミト! 矢なんて恐れてどうするの!」
「ミア……」
「前に出るのよ!」
ミトたちの目的はニコライ皇帝の拘束。その為に百名という数で数千の敵がいる本陣に突撃を掛けたのだ。死は覚悟の上。今更、矢を恐れて敵を突破する絶好の機会を逃すわけにはいかない。
「分かった! 前進! 敵を突破する! 私に続け!」
私に続けとミトは叫んだが、実際にはミトの前に数人の味方が躍り出た。前に出るミトの盾になる為に。
降り注ぐ矢がミトの前に立った味方の体を貫いていく。
「……空いた……行け……行けぇえええっ!」
矢を受けて倒れながら叫ぶ仲間。矢を受けたのはルースア帝国軍の兵も同じ。多くの兵士が地面に倒れたことで包囲に穴が空いていた。
「……続け! 私に続け! 突破する!」
本陣に向かった駆けるミト。その後ろに味方が続く。当初の百人からはかなり数が減っているが、それを気にする余裕はない。
ニコライ皇帝のところまではまだ突破しなければならない壁があるのだ。
「……三人!」
ミトの号令に応えて三人が前に出る。前に出た三人はさらに駆ける足を速めて、前方に展開している近衛騎士団の壁に向かって突撃していく。躊躇うことなく隊列を整えた敵に突っ込んでいく三人。だがその攻撃は敵が構える盾に、その盾の後ろから突き出された槍によってあっさりと阻まれた。
「……六!」
次は六人が前に出る。ただ最初の三人と異なるのはある程度進んだところで足を止めたこと。わずかな間ののち、その六人から一斉に魔法が放たれた。
「突撃!」
その魔法を追うように駆ける足を速めるミトとその仲間たち。
放たれた魔法は敵騎士の構える盾に直撃。その瞬間に爆風が広がった。今では珍しくもなくなった融合魔法。それをここで使ったのだ。
「こじ開けろ!」
爆風によって乱れた敵近衛騎士団の隊列。その隙間に飛び込んだ間者たちは至近距離で魔法を放つ。自分が傷つくことを全く気にすることなく。
「抜けろ! 一人でも多く突破しろ!」
味方が広げた隊列の隙間に殺到するミトたち。さらに敵を打ち倒して後方へ抜ける。
「二十! 残りは後備!」
突破をしたといっても敵に与えた被害はわずか。ミトは後方から追われることを防ぐ為に味方をこの場に残すことにした。どれだけの数になっているか分からないが。
ここまで来れば前進あるのみ。少しでも早くニコライ皇帝を押さえることが、味方の犠牲を減らすことになる。
だが、ニコライ皇帝に至る道はまだまだ遠かった。近衛騎士団の陣を抜けても、まだ本陣の守りを固める為に集結していた敵部隊がいた。目の前に展開した敵兵は優に千を超えている。
「……ミト」
「突破するしかない。ここで逃げられたらカムイ様たちを危険にさらすことになるわ」
「そうね……行きましょう」
死の覚悟は出来ている。だが目的が達成出来るという思いがあってこそ、それは力になるのだ。ミトたちの胸に湧いた「届かないかもしれない」という思い。それは疲れ切った体には堪えた。
それでも前に出るミトたち。敵と激突しようというその瞬間。
「……お疲れ。よく頑張ったね」
「えっ……?」
敵の最前列にいた兵士が思いもよらない言葉を掛けてきた。
「ここから先は僕たちに任せて、といってももう終わっているけどね。君たちのおかげでニコライ皇帝に近づくことが出来た。助かったよ」
「……ダーク様?」
目の前の兵士が何者かミトはその声で分かった。
「えっ? 今気付いたの? いくら久しぶりだからって酷くない?」
「……すみません。こんなところにいるとは思っていなくて」
「なんて話は後。とりあえずやることはやらないとね。アイン!」
ミトとの会話を一旦中断して、ダークは部下のアインの名を呼んだ。
『動くな! 動けばニコライ皇帝の命はないぞ!』
アインの叫び声にルースア帝国軍に動揺が広がっていく。だがまだ戦闘がやむまでには至っていない。事実かどうか疑っている兵士が多いのだ。
『う、動くな! こ、これはめ、命令だ! 皆の者! 動くな! これはルースア帝国皇帝ニコライの命令である!』
その疑いを解く為にニコライ皇帝本人が命令を発した。そうしなければ殺されることになるから必死だ。
『動くな! 陛下が拘束されたのは本当だ! 動くな! 全軍に停止の命令を出せ! 急ぐのだ!』
ダークの手の者に捕らえられたのはニコライ皇帝だけではない。同じ場所にいた将軍たちもまとめて捕らえられている。
周辺の兵だけではなく、全軍への停止命令を発したのはそのうちの一人、ホルスト将軍。聞き慣れたその声に戸惑いながらも伝令が動き出す。それと同時に本陣から太鼓の音が響く。退却の合図の太鼓だ。伝令が届くのを待っている余裕はカムイサイドにはない。
「……さて僕たちの仕事はここまで。あとはカムイに任せよう」
「いえ、私は」
「カムイのところに行くか。そうだね。場は整った。でもまだ勝機までは作れていない。戦力は一人でも多いほうがいいね」
「はい」
ルースア帝国本軍の動きは止めた。これで戦いはニコライ皇帝の命令を聞かないクラウディア直轄軍との戦いに絞られた。もっと言えばカムイたちと勇者、そしてクラウディアの身に宿るルキフェルとの戦いとなった。その勝敗の行方はまだ定かではない。
◇◇◇
「来たぞ! 勇者だ!」
盛んにまとわりつこうとしていたルースア帝国軍は後退していった。それでようやく邪魔するものなく勇者たちの陣に突撃をかけようとしたカムイであったが、それは勇者サイドが許さなかった。勇者たちは自ら陣を飛び出してカムイたちに向かってきている。
「まんまと釣れたね」
勇者たちを見てマリーは笑みを浮かべている。
「まあな。そうじゃないと演技のしがいがない」
突撃は振りだけ。実際は勇者たちを陣地から引き出すのが目的だ。
「ただ……全員来てないか? 出し惜しみって言葉を知らないかな」
出来ることなら一人ずつ順番に現れて欲しかったのだがさすがにそれは甘い考えだった。将らしき存在は四人。陣に残っていたであろう勇者の数だ。
「それは仕方ないね。さて準備しな!」
マリーが味方に号令をかける。周囲に響く詠唱の声。それが途切れると同時に一斉に魔法が勇者たちに向かっていく。激しい爆風が勇者たちを包む込んだ。
「敵兵を牽制しろ! カムイ様に近づけるな!」
さらに騎馬兵が大きく回り込みながら前方に駆けていく。
「さてどうだかね?」
この程度の魔法では勇者たちを倒せないのは分かっている。すでにマリーの魔道部隊は何度も勇者と戦っているのだ。それでも攻撃したのはちょっとした嫌がらせと、勇者たちが率いてきた一般兵を倒すためだ。
案の定、勇者たちは特に傷を負った様子もなく近づいてくる。攻撃の成果といえるのは煤で汚れた顔くらいだ。
「無駄なことを」
現れた勇者の一人、フルが口を開いた。それにマリーは肩をすくめるだけで応える。
「カムイ・クロイツ! この日を待ちかねたぞ!」
フルの方もマリーの相手をするつもりはない。勇者たちの目的はカムイを倒すことだ。
「それはどうも。こっちは別に楽しみにしていなかったが、それでも会わないと決着がつかないからな」
「そんな余裕を見せているのも今のうちだ。我らの力を思い知れ!」
目にも止まらぬスピードでカムイとの間合いを詰め、剣を振るうフル。だがその剣はカムイに届く前に止められた。カムイよりもさらに頭一つ大きいその騎士はランクだ。
「……雑魚が邪魔をするな」
「では、その雑魚に剣を止められるお前は何なのだ?」
「俺は雑魚ではない!」
ランクによって止められた剣をフルは力任せに押し込んでいく。力では常人を遙かに凌ぐランクではあるが、フルの力は凄まじく。ゆっくりと、確実に押し込まれていく。
「…ぐっ……んぐっ……」
「このまま押し切ってくれるわ!」
「バーカ。そんなの許すわけないだろ?」
「な、ぐあっ!」
フルの顔面にまともに火の玉がぶち当たった。威力のある魔法ではない。だがそれでマリーの目的は充分に果たされる。ランクはフルが魔法に気を取られている隙をついて間合いをとって構えを取り直した。
「傷はつかなくても熱くはあるんだね。まあ、知ってたけど」
「き、貴様っ!」
「なんて叫んでいる場合かね?」
「なっ!?」
フルがマリーに気を取られている間に今度はランクの全力の剣が襲い掛かる。それを咄嗟に体を斜めにそらして躱すフル。躱されたランクがわずかにバランスを崩したのを見逃さない。だが。
「んくっ」
また火の玉がフルの顔面に打ち込まれた。
「……こんなことで俺を倒せると思っているのか!?」
倒せるとなど思っていない。これはただの時間稼ぎにすぎないのだ。マリーとランクがフルの相手をしている間にカムイは他の勇者に襲い掛かっていた、ただ。
「さすがに三人は厳しいか」
カムイが相手をしているのはファレグ、ベトール、ハギトの三人の勇者。一対一であればかなりの勝ち目があるカムイであったがさすがに三人相手は辛そうだ。
「我らをなめるな!」
フルとマリーたちの戦いとは正反対の様相を呈している。勇者たちが放つ魔法がカムイに襲い掛かる。それに気を取られると剣が、それも時には二方向から襲い掛かってくる。さすがのカムイもかなり厳しい状況だ。逆によく耐えていると思えるくらいだ。
「ちきしょう。一人、せめて一人減ればな」
二対一であればなんとか。厳しい戦いの中でカムイはそんな手応えを感じている。だが状況はさらに悪くなる。
突然、まばゆい光が宙に広がったかと思うといくつもの光の刃が降り注いだ。カムイ目がけて。
「ちっ!」
幾筋もの光の刃。それをなんとかカムイは躱していく。だがその隙を勇者たちは見逃さなかった。懸命に魔法を避けているカムイに容赦なく斬りかかっていく。
それの邪魔をしたのは燃えさかる炎。だが広がる爆風はカムイをも飲み込んでしまった。
「……マリー」
爆風で大きく後ろに飛ばされたカムイだがダメージはない。だからといって感謝の言葉を述べる気にはならない。
「助かっただろ? 感謝しろよ」
「もうちょっと上手く助けろ」
「それは無理。こっちも大変なんだよ」
カムイだけに気持ちを取られていてはランクの支援が疎かになってしまう。余裕がないのはランクとマリーも同じだ。
「しかし……」
今の攻撃は目の前の勇者たちが放った魔法ではない。それはカムイには分かっている。では誰の魔法かとなると、それは一人しか考えられない。
「なかなかしぶといですね」
人は空を飛べない。だがその存在は宙に浮かんでいた。背中から生えている美しい幾枚もの羽を全く動かすこともなく。
「……ようやく黒幕の登場か。といっても早すぎないか? こういうのってもっと勿体つけるものだろ?」
クラウディアに憑依した天使と戦うと思っていたカムイにとって、この状況はやや計算外だ。しかもこの段階で現れるとは思っていなかった。黒幕であるルキフェルと相対するのは勇者の数をもう少し減らしてから、出来れば全滅させてからがカムイたちにとっては理想だった。
「貴方にはあまり時間を与えないほうが良さそうですので。色々と企んでいるでしょうから」
その通り。企みはまだ残っている。だが、その企みはこの状況ではあまり意味をなしそうにない。
「その企みを見事に打ち破ってみせようとは思わないのか?」
それが分かっているカムイは、企みの存在を隠すことを止めた。今はそれよりも大事なことがある。
「いえ。私は合理主義者なので。無駄な演出は好みません」
「それは残念だ」
「では早速、貴方には死んでもらいます」
「せめて名前くらいは名乗ったらどうだ?」
「随分とせこい時間稼ぎですね。でもいいでしょう。いくら時間を稼いでも状況は変わりません。我が名はルキフェル! 畏れ多くも神より地の管理を任された者!」
「管理なんて頼んだ覚えはない。地の世界は地の世界に生きる人々の物。貴様らにどうこうする資格はない!」
「……神の定めを否定するとは愚かな。その愚かさを後悔しながら死ぬがいい」
「テメエが死ね!」
宙に浮かぶルキフェルに向かってマリーが放った魔法の炎が襲い掛かる。だがその炎はルキフェルが伸ばした手の目の前で一瞬で消し飛んだ。
「勇者に効かない魔法が私に効くはずがないでしょう。愚か者に生きる資格はない。まずは貴方から殺して差し上げます」
「はっ。簡単に殺される私だと思うんじゃないよ」
「思い上がるな!」
ルキフェルの両の手から幾筋もの光の刃が飛び出し、マリーに襲い掛かる。それを必死に避けるマリー。簡単に討たれるわけにはいかない。これもまた時間稼ぎの一つなのだ。
現れたルキフェルは予想していた通り、どう倒して良いのか分からない厄介な存在で、時間稼ぎをしていてもカムイたちには勝利への道筋は見えていない。それでも戦わなければならない。そうでなければ自分たちの手を汚した意味がない。多くの人々に強いた犠牲。それを無駄にするわけにはいかない。