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魔王の器  作者: 月野文人
第一章 皇国学院編
14/218

学院の憧れの的とのデート

 学年の合同演習から数日が過ぎた頃、E組の教室に突然、ヒルデガンドが現れた。教室の入り口で、優雅にクラウディアに一礼をした後は、ヒルデガンドは真っ直ぐにカムイたちの所に向かってくる。


「ルッツ、頑張れ」


「断ってくれたんだろ?」


 カムイに無茶ぶりをされて、ルッツは困惑顔だ。交渉事は苦手なのだ。


「考えてみたら、考えて置いてくれと言われた後、返事をしてなかった」


「じゃあ、カムイが返事をしろよ」


「……俺、あの人苦手」


 カムイは交渉事は不得手ではないが、ヒルデガンドが苦手だった。冗談が通じそうもないヒルデガンド相手では、適当に誤魔化す事が出来そうになかった。


「俺もだよ」


「もう随分前だから、とっくに諦めてると思っていたのに」


 カムイとルッツが、こんな会話をしているうちに、ヒルデガンドは目の前までやってきた。


「カムイ・クロイツさん」


「はい」


 ヒルデガンドが話し掛けてきたのは、カムイに対してだった。


「少しお話をしたいので時間を取ってもらえませんか?」


「ルッツの件は改めてお断りさせてください。ルッツにその気はありませんし、私もルッツを手放すつもりはありません」


 誤魔化す事が出来そうもないのであれば、はっきり告げるしかない。こう思って、カムイは拒絶の言葉を口にした。


「その件はもう結構です」


「……では何を?」


 ヒルデガンドの用件は別だった。その別の用件に、カムイは全く心当たりがない。


「二人だけでお話をしたいのです。あまり人には聞かれたくない話です」


「はあ……。では、お部屋に伺えば?」


「いえ、周りの者にも聞かせたくありません。少し込み入った事を聞くことになるでしょうから。これは私というより、貴方の為です」


 話の雲行きが怪しくなってきた。他人に聞かす事が出来ない話など、ロクな内容ではない。


「……では、どこで?」


「どこか知りませんか?」


「……私が知っている場所は、とてもヒルデガンドさんをお連れ出来る場所ではありません」


 秘密を守れる場所となれば、カムイには大将の店しか思いつかない。ただ、さすがにヒルデガンドを連れて行く気にはなれない。


「そうですか。では私の実家の馴染みのお店があります。そこではどうでしょう?」


「こちらはかまいません。それで何時?」


「今からでは?」


「かまいません。すぐに出ますか?」


 面倒事は速やかに終わらせるに限る。


「はい」


「では向かいましょう」


 ヒルデンガンドの後に続いて、教室を出て行くカムイ。二人が教室を出て行った途端に、教室が一斉にざわめきだした。

 ディーフリートに続く、ヒルデガンドの来訪。一体何事かと騒ぐのも当然だ。


「なあ、何の話だ?」


 何事か分からないのは、ルッツも同様。アルトに問い掛けてみるが。


「さすがに分かんねえよ。周りに聞かせたくないって言ってたな」


 さすがのアルトも分からない。


「あの感じだと側近も外してだ。全く想像がつかないな」


「どうする? 告白とかだったらさ」


 冗談めかして、オットーは話すが。


「オットーくん、縁起でもない事言わねえでくれ」


 アルトには笑えない冗談だ。


「縁起でもないって、あのヒルデガンドさんからの告白だったら、快挙だよね?」


 何と言っても相手は、男子生徒の憧れの的。実際にそうであれば快挙どころの騒ぎではない。だが、アルトはそれを面白がれる立場ではない。


「相手は東方伯家令嬢ってだけじゃねえ。そんな噂が流れるだけで不味いんだぞ?」


「……ごめん、忘れてた。皇太子様の第一皇子の婚約者候補だね。それは問題だ」


 オットーにも、アルトの懸念が伝わった。皇族の婚約者候補の想い人などという話は百害あって一利なしだ。その相手だけではない、東方伯家からも睨まれる事になる。


「とりあえず、適当な話を作らなくちゃだな。あの騒ぎだ。すぐに他のクラスにも知れるだろう。……ルッツの件で良いか。まだ決着はついてねえという事で」


「それが無難だね。最後の説得という事で余人を交えず、本音を語り合いたい。こんなところでどうかな?」


 冗談にならない台詞を口走ってしまった事を反省して、珍しくオットーも、積極的に工作を考えている。


「ああ、それでいい。という事でオットーくん、よろしく頼む」


「えっ、僕?」


 さすがに、このアルトの頼みは、想定外だが。


「俺らが話題の出所じゃあ、疑う者も出てくるだろ? そこは頼むぜ」


「はあ、仕方がないか。カムイくんのおかげで美味しい物も食べられたし」


 ディーフリートに奢って貰えた話を理由にして、オットーはアルトの頼みを受け入れた。借りを残しておくと、この先もっと酷い事を頼まれるのではという思いもあっての事だ。


「頼み事する俺が言うのもあれだが、豪商の息子のくせに、あれで恩に着るのか?」


「うちは若い時は金に苦労しろっていう考えなんだよ。金のありがたみを知らずに、良い商人にはなれないってね」


「まあ、正しいな」


「だから、文句も言えない。おかげで限られた仕送りで質素な暮らしさ」


「俺達ほどじゃあねえだろ? こっちは無理して三人も学院で学ばせてるからな。食うだけで精一杯だ。まあ、学ばせてもらえる事に感謝してるから文句はねえけどな」


「そうか、三人の学費だものね。……でも、実際に告白だったらどうするの?」


 反省しているはずが、又、オットーは、話を蒸し返してきた。


「全力でもみ消す」


「当たり前か。でも、どうやって?」


「カムイの想い人はセレネさんって事で」


「……はい?」


 いきなり名前を出されたセレネは、アルトが何を言ったのか分かっていない様子だ。


「なんだよ、聞いてなかったのか? いざとなったら、セレネさんにはカムイの恋人を演じてもらうからな」


「どうして私が?」


「どんなに拙い事か分かるだろ? それにセレネさんという恋人がいるって事になれば、万一、告白だったとしても諦めてくれるだろ?」


「私はどうなるのよ?」


 ヒルデガンドとの変な噂を打ち消す為となれば、アルトたちは全力で広めるに決まっている。それが学院中にカムイとの関係が知られるという事だ。


「どうって? 何か問題が?」


 セレネの問いに、アルトはきょとんとした顔をしている。


「……あのね、私も年頃の女子なのよ。そんな噂になったら、他の男が近づいてこなくなるでしょ?」


「いや、それがなくても誰も近づいては……」


「何ですって?!」


 人をおちょくる事に関しては、アルトもカムイに負けていない。


「冗談だよ、冗談。なんだ、ディーフリートさんにそう思われるのが嫌なのか?」


 しかも、一度始めると、次々と話を広げていくところもカムイと同じ。


「なんで、そこでディーフリートさんが出てくるのよ?」


「だってディーフリートさんにからかわれるたびに顔を赤らめてるじゃねえか。心配しなくてもディーフリートさんには本当のところは話しておくさ」


「そういう事じゃなくて」


「でも、ディーフリートさんだって、あれだぜ。まあ、ディーフリートさんは男だから、過去に女の一人や二人いたって問題にはならないだろうけどな」


 セレネが否定しても、アルトは、セレネがディーフリートの事を好きという前提で話をし続ける。


「だから私はそういうんじゃないわよ」


「じゃあ、問題ないじゃねえか」


「……えっと。って違うから。どうして私が、カムイの為に犠牲にならなければならないのよ」


 何とか誤魔化されずに耐えきったセレネだった。


「仕方ねえな。よし、俺から特別に大将の特製スープを御馳走しよう」


 今度は、モノで釣る作戦だ。


「……なんか私、安くない?」


 ただ、報酬としての金額の妥当性に問題があった。


「それ位しか俺ら知らねえからな」


「まあ、美味しいから良いけど」


「じゃあ、決まり。代償はそれで」


 散々、ゴネながらも結局は、受け入れるセレネだった。


「ねえ、その特製スープって何かな?」


 アルトとセレネの交渉が纏まったところで、オットーが問いかけてきた。オットーは大将の店を知らないのだ。


「……おや? オットーくんはまだ連れて行ってなかったか」


「また、僕だけ仲間外れかい? 頼むよ、僕も同じグループなんだよ?」


「そうだな。でもあそこはカムイの許しがないとな。今度聞いてみよう」


「忘れないでよ?」


 どうにもアルトの口約束は信用出来ないオットーだった。


「大丈夫だって。俺は記憶力は良いほうだぜ」


「忘れる振りも得意だけどな」


「ルッツ、余計な事言うな」


「……なんか心配」


◇◇◇


 カムイがヒルデガンドに連れられてきたのは、皇都の大通りにある高級食堂。豪奢な建物の様子は、カムイが、いつも行っている裏通りの食堂とは比較する事さえ失礼だ。

 ヒルデガンドは正面まで行くことなく、少し手前にある小さな扉を開けて中に入った。少し曲がりくねった通路を抜けた、その奥に、小さなといっても、豪奢な扉があった。その扉を迷うことなく、ヒルデガンドは開けると、そこには既に店員が控えていた。


「ヒルデガンド様、ようこそいらっしゃいました」


 深く頭を下げたまま、こう告げる店員。通路を抜けている間に、誰が来たか確認してあるのであろう。


「奥の部屋は空いていますか?」


「もちろんでございます」


「では、あがらせてもらいます」


 店員の案内を求めることなく、ヒルデガンドは奥に進む。結局、一度も店員が頭を上げることはなかった。


「ああいう仕来りなのです」


 店員の態度に、興味を引かれている様子のカムイに、ヒルデガンドが途中で説明してきた。


「顔を見てはいけないと?」


「私というよりは同行者のですね。ここは我が家が皇都を訪れている時に、良く利用する場所です。お店の造りから、あまり会っている事を知られたくない相手との密会に使うことが多いようです」


「でも、実際は確認しているのですよね?」


「まあ、そうですけどね。見ていない振りが大切なのです」


「そうですか」


「こういう店の使い方は色々です。政治の話もあれば……、この先は言わせないでください」


「はあ」


 この先、が何を意味するのか、この時には、分からなかったカムイだが、部屋に入ると、すぐに想像がついた。

 ヒルデガンドの後について入った部屋は、食堂というより、宿屋の一室だ。それもかなり上等な。

 手前には大きめのテーブルが置かれおり、確かに食堂といった感じだが、その奥には、幾つもの部屋があるのが見える。執務室のような部屋と寝室。

 ここで政治事以外の密会となれば、大体想像がつく。


「……他になかったのですか?」


「余人に知られずに話をするには、ここが一番です」


「ご家族も使われる?」


「ですから、言わせないでください。私も正直、気分の良いものではありません」


 その家族には父親も含まれているのだろう。娘が想像して気分が良いものではない。しかも、その父親は、この場所に家族を連れてきているのだ。カムイには、その神経が理解できない。


「でしょうね」


「さあ、座ってください」


 こう言って、ヒルデガンドは、カムイに向かって、手前のテーブルを指し示す。

 カムイが、言われた通りにテーブルの席につくと、ヒルデガンドも真向いの椅子にに座った。


「それでお話というのは?」


「気が短いですね?」


「あまり居心地の良い場所ではありません。ヒルデガンドさんに驚かれても、自分のなじみの店にすれば良かったと、今は後悔しています」


「ごめんなさい。私、あまりお店は知らなくて。今度は、そこに連れて行ってください」


「……はい」


 カムイは、今度があるのか、と思いながらも素直に頷いておいた。


「…………」


 店の話をしたところで会話が途切れる。ヒルデガンドが、中々口を開こうとしなかった。


「えっと?」


「ごめんなさい。何から聞けば良いのかと悩んでいます」


「そうですか」


「……貴方は、今の皇国をどう思いますか?」


 躊躇った後でヒルデガンドの口から出たのは、以前にも聞かれた事がある内容だった。


「その質問は今の流行ですか?」


「流行?」


 カムイの問いの意味が、ヒルデガンドには分からない。


「ディーフリートさんにも以前、同じ質問をされました」


「そうですか、ディーフリートが……。それで、その時は何と答えたのですか?」


「私の立場で答えられるわけがありません」


「……それもそうですね。でも、それを押して、聞かせて欲しいのです」


 ディーフリートは、カムイから言葉を引き出す事は諦めて、自分で話し出したのだが、ヒルデガンドはそうではなかった。


「……東方伯家のヒルデガンドさんにですか?」


「いえ、私個人にです」


「なるほど。そういう事ですか。しかし、その言葉を素直に受け取れるのでしょうか?」


 そう言って、カムイは真っ直ぐにヒルデガンドの目を見つめた。カムイの琥珀色の瞳が射抜くように、ヒルデガンドの瞳に突き刺さる。

 数秒それが続いたところで、ヒルデガンドが視線を逸らした。そのヒルデガンドの横顔がほんのりと赤くなっているのがカムイにもはっきりと分かる。


「あの、ごめんなさい。やましい気持ちがある訳ではないのです。ただ、ちょっと」


「はい。それは分かりました。ヒルデガンドさんは、あまり見つめられることに慣れていないのですね? ちょっと意外です」


「こう言ってはあれですけど、先に視線を逸らされることが多いのです」


「ああ、ヒルデガンドさんに見つめられて、耐えられる男は少ないでしょうからね?」


「また、そんな事を言うのですね?」


「いけませんか?」


「恥ずかしいです」


 頬を染めて、恥ずかしそうにうつむくヒルデガンド。その仕草を見て、さすがのカムイも少し胸が騒いだ。この部屋の雰囲気も少し影響しての事だ。


「……参りましたね。正直、かなりヒルデガンドさんの印象が変わりました」


「それはどう変わったのですか?」


「怒らないですか?」


「怒りません」


「もう少し、男性っぽい方なのだと思っていました。でも、そういう女性的な態度であっても、ヒルデガンドさんの為に、それこそ命も捨てるという男が数多く出てくるでしょう」


「でも、貴方は違う」


 今度の台詞には、ヒルデガンドは照れる事なく言葉を返した。


「そうですね。今のところ、そういう気持ちにはなっていません」


「残念です」


 これまでの会話の流れに任せて、ヒルデガンドも、やや挑発的な言葉を口にする。


「その言葉は別の男性の為に取って置くべきです。勘違いしてくれる男は多いと思いますよ」


 他の男性はそうであっても、やはり、カムイは違う。


「……話が進みませんね。どうしても、話を聞かせてくれる気持ちには、なれませんか?」


「そうですね。ヒルデガンドさんの恥らう姿は中々貴重だと思いますので、それを見せて頂いた御礼に話しても良いです」


「……ではお願いします」


 ようやく話が聞けるとなって、ヒルデガンドの表情が、引き締まる。カムイもそれを見て、覚悟を決めて、口を開いた。


「今の皇国ですね。……歪んでいると思います」


「歪んでいますか?」


「はい。皇国そのものを語るのは、さすがに問題ですので、学院についての私の考えをお話しましょう。それでかまいませんか?」


 皇国を語れば、皇帝批判にまで繋がる。さすがに、口にするのは憚れる。それを聞いて、黙っているヒルデガンドの側も、罪になるかもしれないのだ。


「はい。結構です。私が貴方の話を聞きたいと思ったのは、先日の学院の授業がきっかけですから」


「あれで? まあ、良いです。まずは質問を。学院創立の目的は何だと思われますか?」


「皇国を支える人材の輩出ですね」


 迷うこと無くヒルデガンドは即答する。これは学院に入学した者であれば、誰でも分かる質問だ。


「はい。私もそう思います。では、始祖はどのような人材を輩出したいと考えられていたのでしょう?」


「始祖がですか?」


「始祖のお考えを、推察するのは恐れ多いですか?」


「いえ……、ただ、皇国を支える人材、それ以上の言葉が思いつかないのです」


「質問が悪かったかのしれませんね。私が思うに、始祖は身分などの出自に関係なく、優秀な人材を求めたのだと思います」


「ああ、それはそうですね。学院の門戸は誰にでも開いています。優秀なという条件付きですけどね」


 この事も、学院の生徒であれば大抵は知っている。学院の理念は、入学して一番最初に教わる事になっている。


「はい。門戸は開いてます。でも出口はいつの間にか閉ざされました」


「出口?」


「ヒルデガンドさんもお分かりですよね? 平民出身者は学院を卒業しても、国政に携わる仕事になんて就けません」


「でも、全くない訳ではないですわ。引き立てられて、国政の仕事を与えられる者はいます」


「でも、それは誰の引き立てによるものですか?」


「……貴族家ですね」


 少し考えて、ヒルデガンドは答えを返した。


「そうです。あくまでも貴族家の引き立てによってです。さて、そうして引き立てられた役人は誰の為に働くのでしょう? 純粋に皇国の為? そんな事はありません。引き立ててくれた貴族の為です」


「それは……」


 皇国の為に働かない訳ではない。ただ、その仕事の中に、貴族の意向が混じる事は、否定出来ない。


「国政に行けなかった優秀な人材は、どこに行きますか?」


「……貴族家です」


 次のカムイの問いに対する答えも同じ。貴族だった。ヒルデガンドにも、カムイが何を言いたいのか分かった。


「そうです。これで私が言いたいことはわかりましたね? 皇国学院は皇国を支える人材ではなく、貴族を支える人材を輩出する場所になっているのです。これが始祖が望んだ学院の姿とは、私はとても思えません」


「でも、貴族家も皇国を支える存在です」


 国政でも軍事でも、その役職の多くは貴族家の者が担っている。そういう点では、貴族家が皇国を支えているのは間違いではない。ただ、カムイが言っている皇国を支えるは、要職を貴族が独占する事ではない。


「それが建前であることは、ヒルデガンドさんであればお分かりでしょう? それが分からないというのであれば、話は終わりです。私が話しているのは、ヒルデガンドさん個人ではなく、東方伯家のヒルデガンドさんという事になりますから」


「ごめんなさい。そうでしたね。私は、私個人として貴方の話を聞くと約束していました。続けてください」


「話はこれが全てと言って良いのですけどね。それではヒルデガンドさんは物足りないでしょうから、更に言わせていただきます」


「はい」


「始祖の目的は、もう一つあったと思います」


「もうひとつですか?」


「はい。身分に関係なくに加えて、家に関係なく、生徒たちを一つにする事です。私は学院の制度は、そういう目的で定められていると思います。グループ活動などは、その最たるものですね? 一つのグループで長く、一緒に行動する事で、他家へのわだかまりをなくし、家への帰属意識をなくす事。では、実際はどうですか?」


「それは……」


 そうでない事は、ヒルデガンドは、誰よりもよく知っている。ヒルデガンドは、全く違う意識で、自分のグループを作っているのだ。


「さすがにヒルデガンドさんに答えていただくのは酷でしたね? 実態は、実家の繋がりによってグループが決められてる。家同士の対立を深め、貴族と平民の溝を深め、まったく本来のあり方とは、正反対な方向に向かっています」


「はい……」


「だから歪んでいるのです。今の実態を考えれば、今の制度はかえって良くない。たとえ始祖が定められた事であろうと、時代に合っていない事は改めるべき。私はそう思います」


「貴方……」


 最後の最後で、カムイは発言への制約を外した。

 始祖の定めた様々な事柄は、皇国においては絶対不可侵と言って良いもの。カムイの今の発言は、相当な問題発言と取られてもおかしくないものだ。


「これを始祖の否定と取られるかどうかは、ヒルデガンドさんにお任せします。でも、私は思います。始祖の意思をゆがめる今の学院の姿こそ、始祖を冒涜するものだと」


「……ありがとうございます。かなり無理に話をさせてしまいましたね」


「ええ、内心は冷や冷やです。これでヒルデガンドさんがカムイ・クロイツは、始祖が定めた学院の制度を否定したなんて公に言われたら、実家にまで迷惑を掛けてしまいます」


 そして、カムイはヒルデガンドを敵と認定し、敵に対するに相応しい行動をとる事になる。これは、決して口にする事ではない。


「その心配は無用です。この話は、あくまでもここだけの事。他言はしません」


「それは良かった」


 言葉だけで、相手を信用するカムイではないが、ヒルデガンドのこの言葉は、信用しても良いのかと、少し思えた。


「……もう少し甘えても良いですか?」


「はい?」


 話はまだ終わっていなかった。ヒルデガンドには、まだ、カムイに聞きたい事がある。


「私は……、どうすれば良いのでしょう?」


「すみません。ちょっと質問の意味が?」


 あまりにも質問が漠然として、何を聞きたいのか、さっぱり分からない。


「私の、その、将来について、何か聞いていますか?」


「ああ、その事ですか。……悩んでいるのは、将来の皇后候補としてという事ですか?」


「そうです。私も今の皇国が、決してこのままで良いとは思っていません。それを何とかする為に、私が出来ることは何でしょう?」


「……もしかして、これが本当に聞きたかったことですか?」


「……はい」


 将来の皇后として、皇国をどう考えるか。ヒルデガンドの悩みは、ここにある。ここに悩みが生まれるという事は、皇后としてと、東方伯家の人間としてでは、為すべき事が違うと、ヒルデガンドは考えているのだ。


「何故、私に? ヒルデガンドさんには優れた側近、私が言っているのはマティアスさんの事です。マティアスさんを、初めとした信頼できる人たちがいるのでは?」


「マティアスは、私の事を考えて答えをくれます。それはそれでありがたい事なのですけど」


「ああ、全くの第三者の意見って事ですね?」


「簡単に言えば、そういう事です」


「なるほど。皇族と貴族の利害が相反するものという前提でお答えすれば良いのですね?」


「そうです」


「東方伯家の自分と皇家に嫁ぐ自分の板ばさみと」


「……そうです」


 やや目を見張って、ヒルデガンドはカムイを見つめている。自分の心情をあっさりと理解するカムイに、内心で、かなり驚いているのだ。

 カムイに相談したのは間違いではなかった、そう思ったヒルデガンドだったが。


「全く、意味のない悩みですね」


 カムイはヒルデガンドの悩みをばっさりと切り捨てる言葉を吐いた。


「そんな事はありません。私にとっては大変なことです。今は確かに実家が大切です。でも皇族の一員となれば、やはり皇族としての立場を守るべきだと思う自分もいるのです」


「はい。でも一番大切なことが考えから抜けています」


「一番大切なこと?」


「今、この場のヒルデガンドさんは実家がどことか関係ない、ヒルデガンドさん個人のはずです。ヒルデガンドさん個人は何をしたいのですか?」


「私個人?」


「そうです。貴族でも皇族でもないヒルデガンドさんは、この国をどうしたいのです?」


「私は……」


 カムイの問いは、ヒルデガンドには難題だった。東方伯家のヒルデガンドとして生きてきた。ヒルデガンドは、素の自分の感情を押し殺す事が、正しい事として生きてきたのだ。


「今、私にそれを答える必要はありません。私が、とても厳しい事を言っているのは分かっています。個人としての思いを通すという事は、周りを捨てることになるかもしれません。捨てるどころか、親しい家族を敵に回すことになるかもしれません。ですから、ゆっくりと考えてください。時間はまだあります。私たちはまだ成人前の十二才ですよ」


「その成人までたった三年です」


 成人は十五才。そして成人を迎えれば、すぐにヒルデガンドは、嫁ぐことになる。


「はい。でもまだ三年あるとも考えられます。いや、もっとですね。一度決めたことを、その先ずっと変えてはならないなんて、そんな決まりはありません。それでは人の人生はやり直しが効かないものになってしまいます。人生にやり直しは効きます。これは本当です。一応、私はその経験者ですからね」


「貴方って……。ねえ、貴方はどうやってやり直したの?」


 カムイの言葉には、重みが感じられる。同い年であるカムイと自分に、どんな差があるのか、ヒルデガンドは、考えてしまう。


「簡単に言えば、私は一度死にました。死ぬ時って本当に苦しいんですよ。あれに比べれば、大抵の事は我慢できます。あっ、例えですよ。本当に死んでいたら、ここにはいません。いたとしてもアンデッドですね。今すぐ討伐するべきです」

 

 詳しい話は、ヒルデガンドには出来ない。カムイは途中から、冗談で誤魔化そうとしている。


「ふふ。それはそうね」


 そのカムイの軽口にヒルデガンドの顔がほころぶ。それは普段とは違う年相応の笑顔に見えた。


「あっ、素の笑顔も初めてですね。いつもの笑顔も素敵ですけど、今の笑顔のほうが私は好きです」


「もう。またそういう事を言うのですね。私も畏まった貴方より、今の素に近い貴方が好きよ。まだまだ本当の素には遠いようですけどね?」


「……失礼しました」


 素を見せていたつもりは、カムイには全くなかった。ヒルデガンドの話を聞いて、気の緩みに気付いたカムイは、すぐに態度を改めた。


「だから、もうそれはやめて。今日の最後のお願いを聞いてもらえますか?」


「今日のっていう言葉に、少し引っかかりますけど、どうぞ」


「私の事はヒルダと呼んで。それと少しずつで良いから敬語も止めて」


 最後のお願いが、一番の難題だった。


「……それは中々、難しい要求ですよ? 明日から、私がヒルダなんて呼んだら、余計な詮索を生むことになります」


 カムイの知る限り、ヒルデガンドをヒルダと呼ぶ者は学院にいない。どれだけの反響が起きるか、考えただけで、頭が痛くなる。


「じゃあ、貴方と二人きりで、ここに来たことを、それとなく家族に知らせようかしら? それを知ったお父様はどう思うかしらね?」


「……それ、脅しですよね?」


「ええ、脅しよ。これくらいしないと貴方は言う事を聞いてくれそうもないわ」


 実際にどうするかは別にして、これを口するほど、ヒルデガンドは譲る気がないという証。


「……分かりました。個人的な会話の時だけヒルダと呼ばせてもらいます」


 抵抗は無駄だと悟って、条件付でカムイは受け入れる事にした。


「ええ、それでかまわないわ。よろしく、カムイ」


「私も呼び捨てですか?」


「そうじゃないと変ですよ。それとも、ねえ、貴方、とでも呼びましょうか?」


「カムイでお願いします」


 ヒルデガンドが、私的な事で他人に我儘を言う。これが、どれだけ珍しい事かカムイは知らない。

 交わるはずがなかったカムイとヒルデガンドの道。その道が、本人たちも気付かないうちに、そっと近づいていた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] この作品でも女性はあざとい雰囲気で描かれるのですね、ちょっと残念です。
[良い点] 尊い
[気になる点] ヒルデに振り回されるカムイ。多いなこのパターン。 それにしても学院時代は平和である。会話にゆとりがある。 [一言] 甘えていいですか? 聞く女性ってずるいよね。
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