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魔王の器  作者: 月野文人
第三章 皇国動乱編
126/218

東西方伯の思惑

 東方伯家領の中心都市オステンブルグ。

 小高い丘の上にある、その城砦都市は東方伯家の軍政の中心拠点として、古くから東部辺境への押さえとなっていた。

 もっとも今は、東部辺境領だけではなく、大きく皇国側にせり出している新王国領、そして北部に出現したアーテンクロイツ共和国も警戒の対象だ。

 現在の皇国にとって、最重要拠点となるオステンブルクであるのだが、その扱いは微妙なものだ。


「皇国からはまだ何も言ってこんのか?」


 東方伯マクシミリアン・イーゼンベルクは、不安そうに、それでいて少し呆れた様子で、部下に問い掛けた。


「具体的な事は未だ何も。東方への警戒を怠らない様にという事だけです」


「そんな事は言われなくても、分かっておるわ。全く、どうしようもないの」


「こちらから改めて使者を出してはいかがでしょうか?」


「使者を出して何と言うのだ。皇国に反旗を翻すつもりは当家にはない、などと言えば、却って不審を買うだけであろう」


「では逆に、このまま無視するのであれば、こちらにも考えがある、とでもお伝えになってはいかがですか?」


 皇国の対応に、呆れているのは部下も同じだ。部下の場合は、もはや呆れるだけでは収まらず、憤っている。


「おい、それでは脅しであろう?」


 それが分かって東方伯は、苦笑いを浮かべながら、口調を冗談めかしたものに変えた。部下の気持ちをほぐそうと考えたのだ。


「そうでもされないと、皇国は真剣に考えないのではないでしょうか?」


 だが、その試みは無駄に終わる。今回の件は、東方伯家の人間にとって、簡単に許せる事ではないのだ。


「ふむ。しかし、今の皇国にそれをすれば、過剰に反応する可能性がある。それは事態を争いの方向に持っていくだけではないか?」


「それはそうかもしれませんが」


「東方伯家が皇国の忠臣である事に変わりはない。皇国に更なる騒乱を引き起こすような真似は出来ん」


「その元凶が皇国側にあっても、でございますか?」


「そうだ」


「……分かりました」


 言葉では了承を口にしても、心の中では、納得していないのは明らかだ。

 ヒルデガンドを一方的に反乱に追い込み、それを理由に東方伯家の千年の忠誠を疑う。

 憤りを感じているのは、この部下だけではない。多くの東方伯の臣が、皇国の不義に怒りを覚えている。

 そして、それに拍車を掛けようとしているのが。


「共和国の使者は?」


「サミュエル様と会談しております」


「長いな」


「……奥方様もご一緒でございますれば」


「おい」


「使者殿が、ヒルデガンド様の御言葉は直接伝えたいと申しまして。しかも、ご領主様にお伺いを立てる前に、奥方様の御耳にそれが」


「サミュエルか」


 東方伯の指示なく、それが出来るのは息子のサミュエルくらいしかいない。


「サミュエル様は姉であるヒルデガンド様を慕っておりましたので」


「そろそろ次期領主として、公私のけじめを覚える必要があるのだがな」


「奥方様と使者との話は私に類するものではございませんか?」


「……あまり甘やかすな。庇うばかりではサミュエルの為にならん」


「はっ、気を付けます」


 噂をすれば影とはよく言ったもので、そこにサミュエルが現れた。その顔がほころんでいるのは、使者との会談が有意義なものであった証だろう。


「終わったのか?」


「はい。共和国の使者殿は城を出ました」


「そうか」


「父上もお会いになればよろしかったのに」


「儂が会えば、それは公式な会談になる」


「陰でこそこそと会っていては、それこそ皇国に疑われるのではありませんか?」


「こそこそするつもりはない。使者が訪れた事は、堂々と皇国に報告するつもりだ」


「……そうですか」


「どうした? 不満でもあるのか?」


「共和国の使者殿が申しておりました。皇帝陛下はあれで猜疑心が強い御方。今回の事を報告するにしても、報告の仕方を考えるべきだと」


「皇帝陛下の猜疑心が強い? そうは思えんがな。どちらかと言えば、人を信用し過ぎる感があるのだが」


 皇国における一般的なクラウディア皇帝評は、東方伯の言う通り。クラウディアの本来の性格を知る者はテレーザくらいしかいない。


「極端なようです。自分の役に立つと思えば簡単に信じるが、役に立たないと思えば、途端に態度を変える。まあ言葉ではうまく説明出来ないと申しておりました」


「何故、そこまで陛下の事を……。共和国の使者は誰が来たのだ?」


「アーテンクロイツ共和国左丞相アルト・コストルです」


「左丞相? いや、待て。アルトとはあのアルトか?」


 左丞相という地位を東方伯は初めて聞く。だがアルトの名は東方伯も知っている。


「はい。カムイ王の四柱臣の一人であり、戦略や謀略面ではその半身とも言われている、あのアルト殿です」


「……そうか」


「左丞相と言うのは、皇国でいう宰相の様な位置づけだそうです。国外の事案については左丞相が、国内について右丞相が統括するのだと説明されました」


「では右丞相もいるのだな」


「はい。右丞相は、マティアス・シュナイダーだそうです」


「何と!? シュナイダー家のマティアスが?」


 シュナイダー家は東方伯家の従属貴族であり、その中でも有力家の一つだ。当然、東方伯はマティアスの名は知っている。


「驚きの抜擢です。事情については使者殿が申し伝えた内容を、ご報告した方が良いかと思います」


「そうか……。そうだな。報告してくれ。用件は何だったのだ?」


「まずは、姉上を共和国に連れ去るような形になった事を謝罪しておりました」


「ふむ」


「それと姉上を皇国に返す事は出来ないと」


「……理由は?」


「姉上はカムイ王の妃になるそうです」


「な、何だと!? そんな事が許される訳がないであろう!」


 ヒルデガンドは既婚者だ。東方伯はそう思っている。


「それが……」


「何だ!?」


「テーレイズ皇子殿下も認めた事であると」


「何だと!?」


 東方伯の驚きは止まらない。


「父上。何だ、ばかりですね?」


 これだけ驚きを見せる東方伯を、息子であるサミュエルも初めて見た。いつも厳しい父親の、普段見せない様子を目の当たりにしてサミュエルは楽しそうだ。


「……お前は驚かなかったのか?」


「いえ、驚きました」


「それにしては、嬉しそうだな」


「それはそうです。姉上がずっと望んでいた事ですから」


「何だ……、いや、そうなのか?」


 サミュエルの言葉に納得しかけた東方伯だったが、思いとどまって疑問を返した。


「父上もご存じでしょう? 姉上とカムイ王は、皇国学院の頃から惹かれあっていた事を」


「それは知っている。だが、もう十年以上も前の話だ」


「それがずっと想い合っていたようでして」


「……あれは皇子殿下の妃となったのだぞ?」


「ですから、テーレイズ皇子殿下も認められていたと申したではありませんか」


「どういう事だ?」


「テーレイズ皇子殿下は、カムイ王に預かっていたものを返すと、書状を残して去ったそうです。姉上には、離縁するから自由にしろと」


「……待て。テーレイズ皇子殿下は、では、共和国に居たのか?」


 書状の内容よりも、それが出来たという事実に東方伯は驚いた。


「そのようです」


「今はどこに?」


「それはさすがに教えてもらえませんでした。ですが、ご無事なのは確かなようです」


「そうか……」


「もうお分かりだと思いますが、姉上は、カムイ王の正妃になります。私は、東方伯の者としてではなく、弟として、この事を嬉しく思っております」


「儂はそんな事は」


「許しを得るつもりはないと使者殿は申されておりました」


「何だと!?」


 サミュエルは先回りしてアルトの言葉を伝えた。東方伯の反応はアルトにはバレバレだった。


「これは共和国左丞相としてではなく、カムイ・クロイツの友としての言葉だと。二人を結びつけるのは俺たちの悲願。それを邪魔する者は、誰であろうと許さないと」


「何と……」


「はっきりとは申されませんでしたが、その為に、多くの者が動いていたようです。案外、皇国と王国との戦争も、この為かもしれませんね?」


「ば、馬鹿な……」


「冗談です」


 必ずしも冗談では済まない。アルトの策謀に、そういった要素が含まれていた事は事実だ。


「性質の悪い冗談だ」


「まあ、相手がアルト殿ですから。疑って疑い過ぎるという事はありません」


「それはそうだが……」


「ちなみに姉上とカムイ王の結婚式は三週間後に行われるそうです。今からでも十分に間に合いますね?」


「……行ける訳がないであろう?」


 わずかに空いた間。それが東方伯の本音だ。


「公式には。もし、それを望むのであれば、皇国に知られない形で招待する事は可能だと申されていました」


 サミュエルにもそれは分かっている。


「それでも行く訳にはいかん」


 そして東方伯が意地を張る事もサミュエルには分かっている。 


「では、せめて母上だけでも」


「それを望んでおるのか?」


「それは父上が直接、母上にお聞き下さい。ですが、姉上とお会いする機会は、もしかするとこれが最後になるかもしれません」


「……そうだな」


「後、もう一つ、使者殿から申し入れがありました」


「何だ?」


「捕虜についてです。父上がそれを望むのであれば、捕虜の一部を皇国に返す用意があると申されておりました」


「それは……」


「受け入れるかどうかは一つの賭けです」


「ほう。何故、そう思う?」


 サミュエルの言葉は東方伯を驚かせた。自分と同じ考えを持っているように思えるのだ。


「皇国と共和国の交渉は、皇国の思う様には全く進んでおりません。ところが東方伯である父上の申し出に応じて、共和国は捕虜を返還してくる。それを皇国がどう捉えるかです」


「どう捉えると思うのだ?」


「やはり、東方伯家と共和国の間には密約がある。東方伯家は危険な存在だと。これが一つ」


「もう一つは?」


「東方伯家は、共和国にとって、姉上の手前、気を使わなければならない存在である。共和国と交渉する上で、東方伯家は利用価値がある」


「なるほどな。お前も少し成長したようだ」


 自分の考えと完全に合致していた。息子の成長が素直に東方伯は嬉しい。


「そうだとすれば、それは師匠が良いからでしょう」


「師匠? そんな者がいたか?」


「姉上は何か事あるごとに、手紙を送って下さいました。カムイ王がこう動いた。恐らくその意図はこうだと、まあ、こんな感じです。それを読んで色々と考えを巡らしていました」


「つまり、お前の師匠は?」


「姉上を通じての、カムイ王かアルト殿か」


「……馬鹿者が。それを臣下の前で言う奴があるか」


 皇国の方伯としての立場を守るとなると、こう言わざるを得ない。


「優れた者がいれば、それが誰であろうと習うべきだ。姉上にそう教わりました。そういう意味ではやはり師匠は姉上という事になりますか」


「その姉も共和国の王妃だ」


「そうです。ですから私が、カムイ王を尊敬している事など、大した事ではありません。それがなくても、臣下の者たちの共和国への信頼は深まっております」


「一応、理由を聞いておこう」


「皇国が我が家に対して、未だに何の謝罪の使者もない中で、共和国は、国政のトップ、カムイ王の右腕であるアルト殿を謝罪の使者として派遣してきました。どちらに誠意があるかは、明らかです」


「そうだな……」


 これも東方伯が感じていた事だ。政略の類も感じられるが、それでも何もしない皇国よりは好意的に取られるに決っている。


「そして姉上の処遇です。王妃という立場は、元々、それをカムイ王もその臣下たちも望んでいた事だとしても、政略の匂いを消し去る事は出来ません」


「そうだな」


「ですが、マティアス・シュナイダーを国政の第二位であろう右丞相に抜擢しました。これも政略の色が見えるとはいえ、少なくとも姉上を形だけの王妃とする訳ではないと、内にも外にも示す事にはなります。これも誠意と言えるでしょう」


「……確かに」


 サミュエルの考察が東方伯を超えてきた。考える時間の差ではあろうが、この成長はさすがに驚きだ。


「そこに更に捕虜の解放です。解放される捕虜は、東方伯家、従属貴族家の者たちとなります。家族を返してもらえる事を感謝しない者がおりましょうか? そして、もし、それを皇国が受け入れなければ、共和国への感謝はそのまま皇国への恨みに転じます」


「やはり策略ではないか」


「はい。その通りです。自国に隣接している東方伯家の印象を良いものにした上で、皇国と東方伯家の関係をより一層微妙なものにする策です」


「誠実とはほど遠いな」


「そうでしょうか? ここで皇帝陛下の為人が関係してきます。我が家に利用価値があると思えば、皇帝陛下は無体な事はしてこないでしょう。我が家を守る為の策と捉える事も出来ます」


「……なるほどな。しかし、それは陛下の為人がそのようなものであるという前提だ」


「はい。それを確認する必要があります」


「どうやって?」


「皇国魔道士団長が罷免されたという噂があります。陛下の乳姉妹であるテレーザ殿も、すでに遠ざけられているとの噂も。実際の貢献度がどれ程かは別にして、二人とも陛下が皇位に就く為に尽力した事は確かです」


「それは……、だが皇国にとっては悪い事ではない。二人の悪評は周知の事。それを遠ざければ、安心する者も多く出るのではないのか?」


 息子の言葉をあえて否定する東方伯。皇国の臣である事に拘れば、こういう反応に成らざるを得ない。


「問題はその後の扱いです。それなりに思いやりのある遇し方をしているのか。それとも、切り捨てるという言葉に相応しいものなのか。それである程度は為人が見えるのではないでしょうか?」


「良いだろう。調べを入れてみるが良い。だが、陛下の為人がどうであろうと、我が東方伯家の皇国への忠誠は変わらんからな」


「父上、その皇国というのはどこの皇国でしょう?」


 サミュエルは中々、話の進め方がうまい。これは手紙などで学べる事ではない。元々の資質だろう。


「何を言っておるのだ? 皇国と呼べるのは我が国、シュッツアルテン皇国しか世の中に存在しておらん」


「そのシュッツアルテン皇国ですが……」


「何だ?」


「改名するという噂もあります」


「なっ、何だと?」


 東方伯の本日最大の驚きはこれだった。


「噂というか、それを皇国は共和国に約束したようです。名を変えても、皇国は皇国なのでしょうが。国名とは、このように軽いものなのでしょうか?」


「…………」


 この事実は東方伯にとって、受け入れ難いものだった。皇国への忠誠心があれば、ある程、国名を変えるという事に抵抗を覚えてしまう。


「どの様な結果になるにしろ、皇国は新たな時代を迎えています。東方伯家も又、時代にあったあり方を模索するべきではないでしょうか?」


「……少し、考えさせてくれ」


「はい」


◇◇◇


 東方伯領オステンブルクが東の要となる中心都市であるとすれば、西の要は西方伯領都ベステンブルーメである。

 だが、その趣は城砦都市であるオステンベルクとは、随分と異なっている。

 平野に造られたベステンブルーメは、西方に広がる街道の中心に位置しており、その地の理から、商業都市といった性質が強い。

 建国後、割と早い段階で大陸の西端近くまでをほぼ手中にした皇国西方は、武の色が薄まり、商業圏としての色合いが強くなっていたのだ。西方の諸国連合は、商業国家である影響もある。


「その後の捜索状況はどうだ?」


「襲撃に関わったと思われる者の生き残りは、未だ見つかりません。恐らくは、今後も見つける事は難しいかと」


「そうか……」


「なんと言っても、顔も名も分かりません。それで探し出すのは、不可能と思います」


「まあ、そうであろうな。そうなると、事実を突き止めるのは難しいか」


「ただ、一つ新たな情報が」


「何だ?」


「ディーフリート様が皇都から消えた、ほんの少し前に、テレーザを貧民街で見かけた者がおりました」


 実際に見かけた者は居る。だが、それがテレーザだと何故、貧民街の者に分かったのかに、報告者は疑問を持っていない。


「……陛下の乳姉妹だな」


 西方伯も又、同じだった。西方伯の場合は、報告だけでは、状況が分からないという理由はあるが。


「はい」


「目的は?」


「さすがに目的までは分かりませんが、何らかの後ろ暗い依頼を、裏社会の者に頼みにいったのであろうと。逆にそれ以外に貧民街を訪れる理由が思い当りません」


「それもそうだな。これで限りなく黒に近い灰色という事か」


「状況的には黒でございます」


「しかし、証拠がなければ。いや、証拠があったとしてもな」


 すでに皇帝となったクラウディアを裁ける訳ではない。


「泣き寝入りでございますか? それではディーフリート様が浮かばれません」


「その女を捕える事は出来るのか?」


「それが、皇都から姿を消しました」


「……逃げたか」


「いえ、まだ確証はありませんが、共和国に向かったようです」


 これを掴んでいる西方伯家の情報網は、さすがと言えるだけのものがある。


「それはどういう事だ?」


「交渉の使者という事らしいのですが、テレーザを送り込んで、何の意味があるのかが分かりません。皇国学院時代のカムイ王との仲は最悪だという噂で、ただ怒らせるだけではないかと。それがあって、皇都内でも、誰も事実として信じられないようです」


「……人身御供か」


「その可能性もありますが、学生時代の憂さ晴らしで、国同士の関係が改善するとは思えません」


「そのテレーザとやらが、汚い仕事をしていたのだとすれば、それもあるのでないか? 目的は関係改善ではなく、テレーザの始末」


「そうだとすれば、陛下は、その汚い仕事とやらを知っている事になります」


「あの陛下が……、あまり考えられんが、あれでも、結果として皇位争いで勝ったのだからな。見た目だけで判断するのは間違いなのかもしれん」


「はい」


 西方伯の推量は限りなく真実を述べている。これが思いつける西方伯はやはり善人ではない。


「まあ、良い。テレーザが共和国に行ったとなれば、それはそれで面白い。事実が、そこで明らかにされる可能性がある」


「ただ共和国の発信では、信じられません」


「信じられなくても構わん。そういう可能性が世間に広まれば良いのだ」


 西方伯に泣き寝入りするつもりはない。ただ、復讐心からではなく、野心の為に利用出来るものは利用するという考えからだ。


「どうされるのですか?」


「それはこれからだ。だが、少なくとも皇国に引け目を感じさせる事は出来るであろう。それをどう利用するかだな」


「利用できますでしょう?」


「それもこれから考えるのだ。この件はもうしばらく様子見だな。もう一つの方はどうだ?」


「ほぼ間違いありません。他の商家にもそれとなく確認しました。いずれも、現在の大商家は、それまで皇国内では、目立つことのなかった商家ばかりという事です」


 デト商会がもたらした情報の裏付けも、西方伯は取らせていた。当然の事ではある。そして、これも皇国の為ではない。


「それだけではな。王国の息がかかっているのは間違いないのか?」


「商いにもかなり怪しい所がありました。王国が攻め込んでくる前に、かなりの量の食糧を買い漁っていたようでございます。戦争が始まる事を知っていたとしか思えません」


「これも又、状況証拠では黒か」


「はい。しかし商いに怪しい所はあるといっても、それだけでは罪に問えません。仮に、その物資を王国に流していたとしても、商人の事でございますから。同じような事をしている商人は他にもあるでしょう」


「だが、放置しておく訳にはいかん」


 自領の物流を握られている。この重要性を西方伯はよく理解している。


「一部、特権の剥奪が有効ではないかと」


「具体的には?」


「それほどの事ではございません。独占状態の物品取引を他家にも開放する。それと合わせて、我が家の取引量をそれとなく減らしていく。他商家と競い合わせて、力を弱めるという事でございます」


「対抗できるだけの力を持った商家はあるのか? 下手に張りあえば、潰される事になるのではないか?」


「それは……」


 部下が言葉を濁す。思いつく名は、すぐには口に出せない名だった。


「何だ?」


「……デト商会であれば、恐れる事無く立ち向かうのではないかと」


「それでは虎を追って、狼を招き入れる様なものではないか」


 西方伯の反応は、部下の予想通りだった。


「その通りでございますが、他に対抗する気概と資本力を持つ商会は、見つかりません」


「……それほどの資本力を? まだ小さな商家ではなかったのか?」


「それが調べてみますと、中々に怪しい所がございまして」


「それはどういう所なのだ?」


「確かにデト商会としては、使用人の数は少ないように見えます。しかし、取引先の数は、大商家並にあるようです」


「それは一体」


「商家の為の商家と言いますか。ある商家が百の品物を仕入れようとした時に、個々の商家に頼むのではなく、デト商会に依頼します。デト商会は、いくつもの商家から、百を集めて、それを卸す」


「無駄ではないか?」


 デト商会は当然、そこに自家の利益をのせる。それが西方伯には無駄に思える。


「はい、普通は。ところが、デト商会は、個別に当たるよりも、遥かに早くどこにどれだけあるかを見つけ出し、それを確実に運んできます。少々の手数料を払っても、そのほうが利は大きいようで」


 カムイたちの、情報活用は戦略や策謀だけではない。商業においても、商業の方が、情報を握る者の有利さは圧倒的になる。


「……売る側はどうなのだ? どんな利がある」


 西方伯もデト商会のやり方に興味を引かれてきた。


「デト商会は代金決済を品物の仕入れ時に行います。簡単に言いますと、求める商家に届く前に支払が行われるのです」


「なるほどな。個別で商談を行なえば、二か月先になるものが、その場で金が手に入る。金が手に入れば、その金で又、すぐに違う仕入が出来る」


「資金の回転が早まりますので、商家としてはたまりません。特に資金に余裕のない小さな商家ほど恩恵は大きい。恩恵は他にもあるようで、小さな商家にとって、デト商会はなくてはならない存在になりつつあります」


「だが、デト商会にとっては、相当リスクがある。それをあえてやるとなると、デト商会はそれだけの資金をどうやって……、などは聞くまでもないな」


「共和国が裏にいるのでしょう」


「共和国はどうやってそれだけの金を」


 どれだけの資金が必要になるか西方伯には分からないが、富とは無縁の地であったノルトエンデで蓄えられるとは思えない。


「それは分かりません」


「潰すべきはデト商会ではないのか? 皇国の商家はやがてデト商会に牛耳られる事になる」


「それをどう捉えるかでございます」


「どういう事だ?」


「では、デト商会が王国に基盤を置いて、皇国の商家に変わらずそれをされたらどうなりますでしょう?」


 デト商会の力は排除するものではなく、取り込むべきだと部下は言っている。


「……それはありえるのか?」


「分かりません。では、東方を基盤として、それをやられた場合は? 皇国の商業の中心は、西方から東方に移る事になりませんでしょうか? 商の西、農の東と言われた均衡が崩れる事になります」


「……あの男は」


 西方伯の顔に苦いものが浮かぶ。カムイにまんまと嵌められているのが分かったのだ。


「完全に当家の弱い所を突かれました。もっとも今であれば対抗は出来ると思います。大商家の力を集めて、小商家を潰して行けば、デト商会はその存在意義を失います」


「そして、それをすれば、王国の息がかかった商家が、皇国を牛耳る事になる」


「はい」


 部下の話は西方伯の答えが分かっていての事だ。これで西方伯は決断に気持ちを向けられる。


「だから、あの男は食えんというのだ。こちらの選択肢を殆ど奪っておいてから話を持ってきて、まるで我等が自分で決断したような形を取らせる」


「つまり?」


「デト商会の者に、王国に関わる商家を潰せと伝えろ。その為に必要な、ありとあらゆる許可証を出してやると言ってな」


「承知いたしました」


「ふむ。しかし、共和国がそこまで力を持っているとなると、少し考えねばならんな」


「それは?」


「南方伯をただの馬鹿とは言えんという事だ」


「西方伯様……」


 さすがに、これを今、西方伯が口にするとは思っていなかった。


「皇国が嘗ての皇国でいられないのであれば、我が家もこれまでの我が家ではいられない。そういう事だ」


「……はっ」


 西方伯が部下の前で、初めて野心を露わにした瞬間だった。

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