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魔王の器  作者: 月野文人
第三章 皇国動乱編
123/218

秘密同盟の成果

 中央貴族の大軍が城砦を囲んでいる。質はともかくとして、数の力は馬鹿に出来るものではなく、城砦側の攻撃は、何度それをしても、包囲を突破できるまでには至らなかった。

 時折、東部辺境領主の連合軍が包囲網を崩そうと試みたのだが、それも皇国騎士団が防御陣地の構築を完了した後は、中央貴族軍まで届くことはなくなってしまった。

 城砦が落ちるのも、時間の問題だが、皇国側がそう考え始めてから、既に一月が経っていた。


「……本当に来るのか?」


「はっ、共和国からは、そう通知が来ております」


「軍が出発した事は確認出来ているのか?」


「はっ。交渉団が同行しております。万一があってはいけませんので」


「それ以外の監視は?」


「諜報部隊を張り付けております」


「……大丈夫か?」


 厳重な監視を求めていながら、その監視の無事を心配してしまう。ケイネルは、とにかく心配で、胃が痛くなるような緊張が続いている。


「かなり遠巻きにしております。目的地を逸れていない事を確認出来れば良いとのご指示だったかと」


「その通りだ。しかし……。オスカー騎士団長」


 どれだけ、何を確認してもケイネルの不安は消えない。


「包囲軍から部隊を割いて後備に移した。真っ直ぐに向かって来れば共和国軍の横に布陣する事になる。本陣の厚みも増やしてある」


「それだけでは」


 ダメ元で持ちだした共和国への出兵依頼。ところが、共和国は実際に軍を動かしてきた。交渉の成功などと喜べるはずがない。共和国軍の矛先がどちらに向くのか分からないのだ。


「考え過ぎだ。良いか、共和国軍が本気で戦うつもりなら、全軍を共和国軍に向けても大丈夫かどうか。正直、中央貴族軍が主力のこの軍では自信がない」


「他の軍では自信があるみたいだな」


「皇国騎士団もかなり実戦で鍛えられた。特に防御戦では。堅牢な防御陣地を構える事が出来れば、勝てるとは言わないが、負ける事はない」


 度重なる敗戦の中でもオスカーは学んでいる。それは軍そのものも同じ。実戦の経験は、どんな鍛錬よりも軍を強くする。


「ここにはそんなものはない」


「だから、心配しても無駄なのだ」


「……つまり、諦めろと」


「開き直れと言っている。攻めてくると決まった訳ではない。それに支援すると言ったのだろ?」


「そう伝えてきた」


「では、それを信じろ。魔族は契約には誠実なのだろ?」


「そうらしい」


「共和国軍旗が見えます!」


 兵がアーテンクロイツ共和国軍の到来を告げた。


「来た!」


 皇国本陣から見て北側の街道に、風にはためく黒い軍旗が立ち上がっている。

 やがて、そこに描かれている銀十字の印がはっきりと見えるようになった時には、アーテンクロイツ共和国軍の軍列の全容が誰の目にも映る様になった。

 先頭を進むのは軍馬も鎧も黒一色に染まった騎馬隊。その後ろには鎧とは異なる黒装束に身を包んだ歩兵部隊、更にその後ろには白銀の鎧に身を固めた騎馬部隊が続いている。

 およそ一万の軍勢がゆっくりと皇国軍に近付いて来ていた。


「……多すぎる。共和国軍にはあれ程の軍勢がいたのか」


「中央は恐らく魔族だ。ざっと三千の魔族の部隊か」


 カムイがクロイツ子爵として辺境で戦っていた時は、せいぜい三百程しか率いていない。一万の軍勢は皇国にとって、予想外の数の多さだった。

 ゆっくりと進んできた共和国軍だったが、その進軍は皇国軍のかなり手前で止まった。

 先頭の騎馬隊が止まると共に、中軍の魔族歩兵、後方の騎馬部隊が一斉に散開し始める。縦列をなして行軍していた共和国軍は見る見るうちに陣形を変え、方陣に変わった。


「戦うつもりではないだろうな?」


 統制された動き。それがケイネルの不安を掻き立てる。


「……分からん」


「そ、そんなの……」


 クラウディアが怯えた声を漏らした瞬間に、戦場に轟音が響き渡った。

 周囲に一瞬で動揺が広がっていく。


「違う! 城砦側だ!」


 オスカーが慌てて大声で叫ぶ。事態を誤解した兵が、アーテンクロイツ共和国に攻めかかっては大変な事態になるからだ。


「何だと!?」


 だが、それはそれで、さらに周囲を驚かせる事になった。


 大きく開け放たれた城砦の門から、次々と飛び出してくる軍勢。共和国軍に気を取られていた中央貴族の包囲軍は、不意を突かれて、すでに混乱に陥っていた。


「包囲軍に伝令! 兵を落ち着かせろ! 陣形を整えさせろ!」


「はっ!」


 オスカーの号令に本陣にいた伝令の騎士たちが一斉に馬を駆けさせていく。


「止まらない! 突破する気だ!」


 だが、その伝令が届く前に、貴族軍は突破されそうだ。


「伝令! ヒルデガンド軍の進行方向を塞げ! 後方もだ! 包囲しろ!」


「はっ!」


 追加の命令を受けて、また伝令が馬を駆けさせる。


「マイケル! 魔道士部隊を動かせ! 前面に魔法を叩き込め!」


 オスカーは何とかヒルデガンド軍の足止めを図ろうと、マイケルに指示を出す。


「味方の兵がいる!」


「その後ろだ! 詠唱の時間を考えろ!」


「分かった! 魔道士部隊、前進! ヒルデガンド軍の足を止める!」


 マイケルの指示で、本陣に控えていた魔道士部隊が一斉に動き出した。その間もヒルデガンド軍は、中央貴族軍の陣を突き進んでいる。


「止まるのか!?」


「止めるのだ!」


 ヒルデガンドが率いる軍勢への対応に追われている皇国に、更なる衝撃が走る。


「共和国軍が動きました!」


「なっ、何だと!?」


 方陣を組んでいた共和国軍の両翼が、凄まじい早さで前進している。やがて陣形は鶴翼に変化し、共和国軍は、その陣形のまま軍全体を前にだした。


「ヒルデガンド軍、突破します!」


「マイケル! 早く魔法を撃たせろ!」


「撃てぇ! 撃てと言っているのが分からないのか!」


 前方にいる魔道士部隊の中から、マイケルの怒鳴り声が聞こえてきた。だが、それだけ。魔道士部隊からは一向に魔法が放たれる気配はない。


「マイケル! 何をしている!」


「……無駄だ」


 怒鳴るオスカーをケイネルが諦めた雰囲気で、告げてきた。


「どういう事だ!」


「まだ隠し玉があったという事だ」


「はっきりと言え!」


「恐らくは、魔道士団の多くは、マリーに従っているという事だ」


「……それをここで? 軍令違反ではないか!」


 まさかの裏切り。騎士であるオスカーには許せる事ではない。だが、騎士と魔道士は別物なのだ。


「この場にいる魔道士団員を全員処罰しろと? 出来る訳がないだろ!?」


「それは……」


「出来たとしても軽い処分だ。元々魔導士団の軍令違反など、珍しい事ではない」


 魔法という特殊能力を持つ魔道士の扱いは難しい。そして、そういう特別扱いが又、魔道士を増長させるという悪循環だ。これは皇国だけが抱える問題ではない。


「……共和国軍に向かっていくぞ。共和国軍も両翼を更に前進させている。包囲するつもりだな」


「戦うのか、合流か。もう天に祈る事しか思いつかない」


「俺もだ」


 中央貴族軍の包囲を一点突破してきたヒルデガンド軍は、前後を共和国軍に阻まれていた。それにも構わずに、その場で陣形を組んで共和国軍に対峙するヒルデガンド軍。

 やがて、それぞれの陣から申し合わせたように、騎馬が進み出てくる。

 共和国側からはカムイ、アルト、ルッツ、そしてラルフ。

 ヒルデガンド側は、本人とマティアス、ランク、ニコラス、そしてマリーだ。


「カムイ・クロイツ!」


「えっと、久しぶり」


 ヒルデガンドの呼びかけに、少し照れた様子でカムイは答える。だが、ヒルデガンドの方は厳しい表情を崩そうとしない。


「挨拶など不要です! 今直ぐ私と勝負しなさい!」


「……はい?」


「貴方の所業を私は許す訳にはいきません!」


 久しぶりの再会に照れを隠せないカムイと怒り狂っているヒルデガンド。二人の感情は全く噛みあっていない。


「なあ、アルト。妃殿下は何を怒っているんだ?」


「さ、さあ、何か勘違いしてるんじゃねえかな?」


 アルトの視線は対面にいるマリーに向いていた。そのマリーも又、申し訳なさそうな視線をアルトに向けている。


「こそこそ話していないで、私と勝負しなさい!」


「何を怒っているか分からない」


「世の中に戦乱を巻き起こし、多くの人を苦しめました!」


「それは否定出来ない」


「策を弄して、皇国を混乱に陥れ、皇国の威信を大きく損なわせました!」


「まあ、それが目的だから」


「策を成してテーレイズ様を罪人に貶めました!」


「それ、俺か? そうなるのかな?」


「私を……、私を王国に差し出そうと画策しました!」


「えっ? それは俺じゃないけど!?」


「惚けないで! 他にも色々! 私は貴方がやっている事は間違いだと思います!」


「えっと? 俺そんなにやったかな?」


 カムイが戸惑うのも当然だ。ヒルデガンドの誤解は全てマリーのせい。

 苦しい戦いの中で、カムイが来る前に降伏や自暴自棄の突撃などをさせない為に、色々と有る事無い事、吹き込んだのだ。

 ヒルデガンドがカムイとの約束を何よりも大事にする事が分かっていてのマリーの策だ。


「私は皇国の妃としてではなく、ヒルデガンド個人としても貴方を許すことは出来ません!」


「だから勝負?」


「世の中を混乱させている元凶は貴方です! だから私は貴方を止めます! 今こそ約束を果たす時がきたのです!」


 策はうまく行ったのだが、生真面目なヒルデガンドには少し効きすぎている。そしてカムイも。


「……そう来るか。それで、俺を止めた後はどうする?」


 約束の話を出された事で、カムイの態度から戸惑いが消えた。約束事に対しては、何であろうと真剣に向き合う。それを魔族の血を引く者としてカムイは自身に課している。


「テーレイズ様の名誉の為に、皇国の為に戦います!」


「まだ戦うと……。なるほど、分かった。では俺も約束通りにヒルダを止めてやろう」


「カムイ、いざ勝負です!」


 馬を降りて、二人は向かい合った。


 そして、こんな二人以外にも向き合う者たちがいた。


「えっと、戦うのか?」


 前に出てきたニコラスに戸惑いながらルッツは問いかけた。


「はい。こんな機会は次にいつ巡ってくるか分かりませんから」


「お前、あれだよな。カムイに認められた奴だ」


「努力を続ければという条件付きです」


「続けたのか?」


「そのつもりです。それを確かめさせてもらいます」


「いいだろう。じゃあかかって来い!」


 挑戦を受けないでいられるルッツではない。ルッツとニコラスがお互いに剣を抜いた。


 そして、向き合っている者は他にも居る。


「なんで俺まで?」


 目の前に進み出てきたマティアスに、アルトは疑問の声をあげる。


「良いじゃないか。君の本気を一度見てみたかった」


「ルッツ相手じゃなくて良いのか?」


「ルッツくんはニコラスに譲る。今はもうニコラスに勝てないから」


「……はあ、お手柔らかにな」


「いや、全力で行く」


 気合を入れてマティアスは、アルトに向かって構えを取った。


 こうなると、残る対戦は決まってしまう。


 この組み合わせは、共和国側の方が積極的だ。


「いざ、勝負だ!」


「……お前誰だ?」


 いきなり目の前に現れたラルフに勝負を挑まれたランクは戸惑っていた。


「ラルフ。勇者だ」


「なるほど、馬鹿か」


「馬鹿と言うな!」


「勇者を自称するやつが馬鹿でなくて何だ?」


「その口、すぐに黙らせてやる」


「はずれを引いた気がするが、まあ良い。誰であろうと俺は勝つ!」


 ランクにとっては不本意な相手ではあるが、自分だけ戦わないという選択肢はランクにはない。


 そして、全軍が見守る中、四対四の戦いが始まった。その中で、何といっても圧巻はやはり、カムイとヒルデガンドの戦いだった。

 ヒルデガンドの鋭い剣がカムイに襲いかかる。その常人にはほとんど見えない様な剣をカムイは体捌きだけで躱していく。

 それは嘗ての戦いを彷彿させるものだったが、その様は徐々に変化していった。剣の鳴り響く回数が、どんどんと増えていくとともに、明らかにカムイに余裕の色が見えなくなってきた。

 その様子に共和国軍のあちこちから唸り声が聞こえてくる。


「初めて見るが、あれが王のか?」


 ライアンが感心した様子で隣に立つシルベールに問いかけた。


「驚いたわね。人族の可能性ってものを久しぶりに感じたわ」


「そうだな」


「苦戦している理由は?」


「リズムだな。あれだけの早さで剣を振っていて、まだ余裕があるようだ。普通では分からない緩急をつけている。それに王は惑わされている」


「修行が足りない?」


「王に教えられる事はもうない」


「……つまり、あの娘は?」


 人族の身で魔族を、それも魔族の中でも強者に属するライアンを超える。そんな人族に出会ったのは、長命のエルフであるシルベールでも、数人しか記憶にない。

 ただ、これはちょっとシルベールの早とちりだった。


「さすがに勝てるとは思うが」


「じゃあ、カムイの方が強いのね」


「本気を出せばな。だが、本気を出せば……」


 決着は生死がかかるものになる。そんな結果でこの戦いを終わらせる訳にはいかない。


「止める準備ね。はあ、私たちの弟子はいつまでたっても面倒を掛けてくれるわね」


 ライアンとシルベールは、その時の為にと陣を離れて、カムイたちに近づいていった。


 二人の戦いに注意を向けているものは他に居た。


「ち、ちょっと待て!」


 マティアスの剣をかわしながらも、アルトは大声で叫んでいる。


「待てない!」


「いいから待て! マジでやべえ!」


「何が!?」


「カムイが本気になる! ヒルデガンドさんが!」


「……どういう事だ!」


 ヒルデガンドの名が出た所で、ようやくマティアスは剣を止めた。


「あれでカムイは魔族の、それも魔王の血を引いてる! 魔族ってのは強い相手との戦いになると歯止めが利かねえんだよ!」


「……それはまずいだろ!」


「だから、そう言ってる! いざとなったら、全力でカムイを止めるぞ!」


「分かった!」


 カムイの様子に気がつくのがアルトだけのはずがない。


「……待った!」


「えっ?」


「一旦止め!」


 ルッツもニコラスに対して、戦いの停止を告げた。


「どうしてですか!?」


「お前、命捨てる覚悟あるか?」


「それが必要でしたら」


「じゃあ、俺が合図したら、あの戦いに飛び込むぞ」


「……あれに!?」


 ルッツが示した先に見える戦いは、今のニコラスでも動きを追い切れない凄まじいもの。

 生来の気の弱さが出て来て、ニコラスは明らかにビビっている。


「そうでもしないとカムイは止められない。とにかく止めだ」


「わ、分かりました」


 カムイの様子に気付くとか関係なく、それ以前にランクとラルフの戦いは終わっていた。


「はあ。やっぱり外れだ」


 不満気な様子で剣を担いで立っているランク。


「そ、そんな馬鹿な」


 そのランクの相手をしたラルフは地面に倒れたまま、呆然としている。


「さてと勝負は付いた」


「もう一度だ!」


「……いや、周りの様子がおかしい。もうお前の相手はしてられん」


 周りの戦いが終わっていく中で、カムイとヒルデガンドの戦いは続いていた。

 一旦、間合いを大きくとったヒルデガンドは剣を中段に構えて、気合を貯めこんでいる。それに対して、カムイの剣も中段にある。

 カムイに剣を構えさせる何かがあるという事だ。

 ヒルデガンドの体がゆらりと揺れた瞬間に、その体が爆発を受けたような勢いで前に飛び出していく。

 ヒルデガンドの真っ直ぐに伸ばした突きをカムイが剣で横に払おうとした瞬間に、ヒルデガンドは剣を引き戻し、更にそれを突き出す。


「とっ!」


 カムイが自分の剣を戻した時には、ヒルデガンドの突きはカムイの頬を切り裂いていた。


「……へえ」


 頬に滲む血を手の甲で拭いながら、カムイが感嘆の声を漏らす。


「避けましたね」


「まあ。中々良い突きだった。これで終わりか?」


「……いえ、まだです」


「それは楽しみだ」


 顔に浮かべた笑みとは正反対にカムイの雰囲気は本能的な恐怖を感じさせるものに変わっていく。

 体全体から陽炎のように気があふれ出す。琥珀色の瞳はその輝きを増していった。


「やべえ! 止めろ!」


「行きます!」


 アルトの制止する声を無視して、ヒルデガンドはもう一度突きを放っていく。

 カムイの振る剣を同じように躱して、二度目の突き。それをカムイは剣を突き立てて受け止めた。

 更にヒルデガンドは素早く引き戻した剣で、カムイの剣を避けるように、三度目の突きを放つ。だが、それさえもカムイは突き立てた剣を横に払う事ではじき返す。

 大きく横に体勢を崩すヒルデガンド。そこにカムイの剣が襲いかかった。

 それをわざと地面に転がる事で避けたヒルデガンドだが、カムイの剣はその後を追尾していく。

 真上から突き下ろされてくるカムイの剣が、ヒルデガンドの両目に映った。


 思わず目をつむってしまったヒルデガンドの耳にカムイの声が聞こえてきた。


「あのさ、俺が妃殿下を本気で傷つける訳ないだろ?」


「そうは思えなかっただろうが!」


 恐る恐る目を開けたヒルデガンドの目に映ったのは、目の前で交差する幾つもの剣と、両手両足を押さえこまれているカムイの姿だった。


「あ、あの?」


「間に合いました。怪我はありませんか?」


「マティアス。それに皆さんも」


 剣を突き出しているのは、マティアス、ルッツ、ランク、ニコラス。

 カムイの体はライアンと、シルベールに押さえこまれていた。


「師匠、もう良いと思うけど?」


「そうだな」


「全く世話やかせないでよ」


「いやいや、止められなくても自分で止めたって」


 さきほど見せた恐ろしげな雰囲気は消え去り、いつものカムイがいた。


「……カムイ」


「俺の勝ち。これで止めろよ」


「私は間違っていましたか?」


「いや、間違ってはいない。でも、俺はこれ以上、無理して戦う必要はないと思っている」


「でも、私は」


「もう良いだろ? 妃殿下、じゃなくてヒルダは頑張った。もう色々なモノを降ろしても良い頃だ」


「ただのヒルデガンドになれと言うのですか?」


「ま、まあ。そうなるのか、どうなるのか。とにかく、一度休んだ方が良い」


「……そうですね」


 この期に及んで、まだ本音を言わないカムイに、周囲も呆れ顔だ。


「はあ、なんだか煮え切らないね」


 このマリーの台詞は全員の気持ちを代弁している。


「おっ、マリーさん、久しぶり!」


 カムイの挨拶は、そんな周囲の気持ちが全く分かっていないものだ。


「なんであたしは、こんな能天気の為に……」


「悪かったな。無理な事頼んじまって」


 カムイの態度に愚痴をこぼしたマリーにアルトが声をかけてくる。


「別に。久しぶりだね」


「そうだな。大丈夫か? 怪我とか、具合が悪い所とかねえか?」


「ん、大丈夫だよ」


「そうか。それは良かった……」


 カムイとは違い、何とも言えない雰囲気を醸し出しているアルトとマリーの二人。それの邪魔をしないように、少しでも長くそんな二人を見る為に、カムイたちは何も言わずに黙って見守っていたのだが、それをぶち壊す者が現れてしまった。


「カムイ王!」


「えっと……、あっ、ケイネルさん、じゃなくて皇国の宰相」


「……ええ、今はそういう立場です」


「何か用か?」


「何か用かと言われても。用であれば沢山あります。それはお分かりのはず」


「……とりあえず、何かな?」


 ケイネルは沢山あるというが、カムイの方には、全く心当たりはない。


「そうですね。まずはヒルデガンドとその一党の引き渡しを」


「何故?」


「彼等は反逆者です。皇国でそれに相応しい罰を与えなければいけません」


「断る」


「はあ!?」


 カムイが引き渡しに応じる訳がない。だが、ケイネルには分からない事だった。


「何故、ヒルデガンド妃殿下を引き渡さなければならない?」


「それは今、説明しました」


「皇国にとって反逆者であっても、こちらには関係ない事だ」


「関係ないとはどういう事ですか?」


「今の戦いはシュッツアルテン皇国軍のヒルデガンド妃殿下と、アーテンクロイツ共和国の戦い」


「だから?」


「ヒルデガンド妃殿下は戦いに勝った俺の物だ」


「「「おぉおおおお!!」」」


 カムイの言葉を聞いて、共和国軍の兵たちから、一斉にどよめきの声があがる。


「あっ、ち、違う。そういう意味じゃない! あれだ、捕虜だ!」


「ちっ」


「誰だ、今舌打ちしたの!?」


 周囲の反応に、驚いたケイネルだが、今は、交渉を進めなければいけないと、気を取り直して、カムイに向かう。


「……あの、よろしいですか?」


「あっ、どうぞ」


「その理屈は通りません。共和国は今回、我が国の要請に応じて、この戦いに参加したのです。戦いの主体はあくまでも我が国にあります」


「……いつ、そういう事になった?」


「それは、貴国の方から、そういう通知が」


「知らない」


「そんな?」


「誰だ、そんな事を皇国に伝えたのは?」


「ああ、悪い、俺だ」


 全く悪びれた様子もなく、アルトが名乗りでた。


「アルトか……。どうしてそういう事を?」


「その方が安全にここまで来れる。その為の策だ」


「策か。じゃあ、仕方がないな」


 あっさりと方便だとアルトは言い、カムイも簡単にそれを認めてしまう。ケイネルとしては、これで済む話ではない。


「ち、ちょっと待って下さい。仕方がないとは何ですか? 魔族は約束に誠実。そういう話ではなかったですか?」


「アルトは人族だ」


「そういう問題ですか?」


「そういう問題だ。それに外交の中での化かし合いなんて、そっちだってやっているだろ?」


「それはそうですが……」


「まあ、でもここまで露骨なのは申し訳ないな。アルトにはきちんと罰を与える」


「……それは?」


「とりあえず、外交官身分の剥奪」


「それが罰になるのですか? 貴国にとって役職など意味がないものに思えます」


 そもそも外交官という身分があるのかさえ、怪しいものだ。


「一応、降格だけど?」


「……それでは納得出来ません」


「じゃあ……。あっ」


「何ですか?」


「よし、これはどうだ? アルトには罰として、シュッツアルテン皇国のマリーを妻にする事を命じる」


「「なっ!?」」


 カムイの突然の宣言にはアルトとマリーが驚いてしまう。


「それのどこが罰になるのですか!?」


 そして、ケイネルには何の事だか、さっぱり分からない。


「罰だろ? マリーなんて性悪女を妻にするんだ。不幸だと思うけどな?」


「こ、殺す!」


 カムイの台詞に黙っていられないのはマリーだ。半分は、わざと挑発に乗っているのだが。


「あっ、捕虜の身で偉そうに。逆らうともっと罰を与えるぞ。鞭で打ったりしちゃうぞ」


「……誰か、あの男を殺してくれ。自分の手を使うのもあたしは嫌になったよ」


「それは後で」


「おおっ? アルトまで?」


「カムイ王!」


 カムイの悪ふざけにケイネルが怒鳴り声をあげてきた。


「あっ、失礼。どうぞ」


「ふざけるのも良い加減にして頂きたい! とにかくヒルデガンド一党はこちらに渡して頂く!」


「……俺は断ると言った。それが納得出来ないというなら、力づくで奪ってみろ」


「な、何ですと?」


 ケイネルに言われた通りに、カムイはふざけるのを止めた。その結果は、ケイネルにとって、良いものであるはずがない。カムイが事を起こす時は、充分な準備を終えた後だ。


「勘違いしているようだが、共和国と皇国の間に友好関係など存在していない。こちらは、いつでも戦う準備は出来ている」


「ほ、本気ですか?」


「当たり前だ」


「こちらは、既に周りを包囲しております」


「包囲ね。包囲されているのは果たしてどちらかな? この場にいる者が共和国の全てだとでも思っているのか?」


「……それは」


 カムイに言われて、辺りを見渡したケイネル宰相は気が付いた。カムイ・クロイツには四人の人族の忠臣がいる。だが、今、カムイの周りにいる人族は三人だけだと。

 しかも、そのうちの一人は。


「あっ、この男はただの居候だからな」


 ラルフに視線を向けたケイネルに、カムイが勘違いだと告げる。


「居候って言うな!」


「そもそも、なんでお前が前に出てきていた?」


「相手強そうだったからな」


「それで負けてれば世話はない」


「くっ……」


 ラルフを軽くやり込めた所で、カムイの視線は再びケイネルに向いた。


「さて、ケイネル宰相殿。答えを聞かせてもらおう。このまま戦争か、それとも改めて交渉かを」


「……交渉の継続を望む」


「賢明だ。一つだけ約束しよう。もし、東部辺境領主との停戦を望むなら、仲介役は買って出てやる」


「……それも後日の交渉で」


「そうか。だが、早めにな。そちらの後方基地は確か、ここから南に下って」


「ど、どういう事だ?」


「我が国にバレていて、東部辺境領主にバレていない保証はない。気をつけるのだな。兵がいくらいても、物資がなければ戦えない」


「…………」


 共和国軍の動きは囮でもあった。カムイを恐れて、全てをその対応に集中させた皇国の失敗だ。


「では。我軍はこれで引き上げる。交渉の場で会えるのであれば、会おう」


「引き上げだ! 帰還する!」


 ルッツの号令に共和国軍は、瞬く間に行軍の形に隊列を整えていく。ヒルデガンドと共に戦っていた軍勢も一緒だ。

 この場に現れた時の逆の陣形。ルッツが率いている黒一色の騎馬隊を最後尾にして、共和国軍は北へと進んでいく。それを皇国軍はただ見送る事しか出来ない。


「何も話せなかったね」


「陛下……、申し訳ございません」


 せっかくカムイが出てきたというのに、全く交渉が出来なかった。ケイネルはそれを責められていると思って、謝罪を口にした。


「停戦だね。私達も色々と準備し直さないと」


「はい」


「では、軍勢に引き上げの指示を出します。よろしいですか?」


 オスカーがクラウディアに許可を求めてきた。


「オスカー」


 クラウディアが何か話す前に、ケイネルがオスカーの名を呼ぶ。


「何だ?」


「もう一度聞く。勝てるか? いや、負けないでいられるか?」


「……今は聞かないでくれ」


「そうか」


 久しぶりに見るカムイ、そして初めて見るアーテンクロイツ共和国軍は、皇国を完全に圧倒していた。

 少なくとも、ケイネルとオスカーの心から、皇国としての驕りなど、綺麗さっぱり吹き飛ばすほどに。

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