人間
「魔物が何をしてくるかは見ていれば分かりますから、頭がフッと動いたときに、それにあわせて、こう体をハッと引けばいいのです」
ロクサーヌがセリーに回避行動をレクチャーしている。
例によってわけが分からない。
あんな指導でできるようになるなら苦労はない。
ロクサーヌの説明を聞いてできるのは最初からできるやつだけだ。
セリーがちょっと困ったような顔で俺を見た。
こっち見んな。
いや、気持ちは分かる。
「次はどっちへ行けばいい」
「あ。はい。こちらです」
しょうがないので助け舟を出した。
やはりロクサーヌは異常のようだ。
この世界の人はみんなこのくらいの戦闘技術があるのかもと疑ったが、どうやらそんなことはなかったらしい。
よかった。
セリーは常識人だ。一般人だ。
仲間である。
セリーと視線をかわした。
『今までこういうパートナーと二人で迷宮に入っていたんだよ』
『大変ですね』
言葉はないが、こういう会話がなされたに違いないと確信している。
目と目で通じ合うというやつだ。
今、俺とセリーの気持ちが一つになった。
その後も何匹か狩って、MPを回復させる。
このくらい狩れば十分だろうか。
「では帰るか」
ワープと念じて家に帰った。
「ワープという魔法は迷宮にも移動できるのですか?」
家に帰ると、セリーが迫るように訊いてくる。
しまった。
常識の通じない人間がここにも一人いた。
セリーの目が輝いている。
もっとも、背も低いので迫力はない。
むしろ可愛い。
上目遣いを覚えさせたら最凶になるな。
「そうだ」
「それと、詠唱はないのでしょうか」
「どうなのかな。あるんじゃないか」
そういえば、ワープは詠唱省略でしか使ったことがない。
冒険者ギルドで使うとき、聞きかじったフィールドウォークの詠唱を適当にそらんじてごまかすくらいで。
多分、詠唱省略のスキルをはずせば詠唱があるのだろう。
「先ほどは何も唱えていなかったように見えましたが」
「ご主人様は詠唱がなくても魔法を使えるのです」
「そうなのですか?」
「そうなのだ」
ロクサーヌの助けも借りて説き伏せる。
「何故そんなことが。いや、それを当人に聞いても分からないですか」
「分からないな」
当人に聞いても分からないということが分かってもらえて大満足だ。
やはりセリーは頭がいい。
実際のところ何故できるのか俺にも分からないし。
何故呼吸ができるのかとか、何故手足が動くのかとか訊かれても、生物学者でもない俺にはそういうものだからとしか答えようがない。
魚に何故海で溺れないのかと尋ねても困ってしまうだろう。
魚は泳げるから泳げるのだし、鳥は飛べるから空を飛べるのだ。
セリーは「でもどうして」とかつぶやいているが、一人で勝手に考えてくれる分にはどうでもいい。
「そういえば全部一撃で倒していましたが、お強いのですね」
「まああのくらいはな」
せっかく強いところを見せたのに、感動は少ないようだ。
ぶつぶつと「奴隷を二人も買えるくらいですし」とかつぶやいているところを見ると、迷宮で稼ぐには強さが必要だと分かっているのだろう。
頭がいいのも考えものだ。
「レベルをうかがってもよろしいでしょうか」
「探索者はLv33だ」
Lv33に上がったばかりだった。
さすがに最近はレベルアップのペースが鈍い。
レベルが上がっていくとやはり大変なようだ。
「え?」
俺が答えると、横からロクサーヌの素っ頓狂な声が飛んだ。
「なんだ」
「ご主人様はLv27では」
「ああ。あのときはな」
そういえば、ロクサーヌに聞かれて答えたときはLv27だったかもしれない。
「あのときはって」
「ひ、日々成長しているのだ」
「成長って」
ロクサーヌに答えたのは確か二十日ほど前か。
人より百倍速く経験値がたまるのだからしょうがない。
ロクサーヌだって最初のころより十以上レベルが上がっているのだが。
「それにしても、探索者Lv33で魔物を一撃で屠れるのでしょうか。いや、剣の攻撃力ですか」
セリーにはすべてお見通しらしい。
出したままのデュランダルを仇でも見るかのようににらみつけている。
「レベルのこともこの剣のことも、内密にな」
ここは風呂場に退避だ。
微妙なおももちながらもうなずいたセリーを見てから、逃げ出した。
「ご主人様、火種をよろしいですか」
しばらくすると、木の枝を持って二人が風呂場に来た。
恐れていた追求はないようだ。
追求されても、事実は事実だし、答えようがない。
「そういえば、セリーは火をおこしたことがあるか」
セリーに尋ねてみる。
普通、鍛冶職といえば火を使う。
魔法でも使わないと、マッチもライターもないこの世界では火をおこすのは大変だろう。
火をおこすことで鍛冶師のジョブが得られる、という可能性があるかもしれない。
「はい、あります」
しかしあっさりと肯定されてしまった。
違ったようだ。
後は何か金属を溶かしてみるとか。
あれ?
ロクサーヌが微妙な表情で俺を見ている。
何故セリーに聞いて私には聞かないのか、ということだろうか。
違う。違うんだよ、ロクサーヌ。
誤解だ。
「ロクサーヌに火が必要な場合は俺がいつでもつけてやるから」
「はい、ご主人様」
木の枝にファイヤーボールで火をつけ、ロクサーヌに渡してやる。
ロクサーヌが笑顔でうなずいた。
どういうフォローなのか自分でよく分からない。
疲れるな。
風呂を入れるため、その後も迷宮には何度か入る。
セリーは火の番をするというので、ロクサーヌと二人でベイルの迷宮の七階層で狩をした。
「何故迷宮に行かれるのでしょうか」
何度めかのとき、セリーが訊いてくる。
「お風呂を入れるのは大変なので、ストレス発散のためでは」
ロクサーヌが変な回答をした。
ロクサーヌの目に俺はどう映っているのだろう。
説明していなかった俺が悪いのかもしれないが。
「魔法を使ったのでMP回復のためだ」
「その剣にはMP回復のスキルまであるのですか?」
「いや。まあMP吸収だが」
「MP吸収……」
セリーがデュランダルをじっと見つめる。
「知っているのか?」
「あ、はい。コボルトのモンスターカードとはさみ式食虫植物のモンスターカードを武器に融合するとMP吸収になります。数が少なく貴重なスキルです」
なんだか分からないが、さすがはドワーフだ。
鍛冶師関連のことはよく知っているらしい。
「ウサギのモンスターカードが何になるか知っているか」
「詠唱遅延ですね。武器に融合します」
「おお。よく知っているな。役に立ちそうだ」
これはありがたい。
貴重なレアドロップを試しに使ってみるというわけにはいかないだろう。
調べる手間が省ける。
「ありがとうございます」
「ちなみに、詠唱遅延というのは詠唱中断とは違うスキルなのか?」
デュランダルについているのは詠唱中断だ。
「詠唱遅延は詠唱の完成を遅らせます。詠唱中断は詠唱を途中で破棄させるスキルです。コボルトのモンスターカードとウサギのモンスターカードを同時に融合させると、詠唱中断になります」
「詠唱遅延は遅らせるだけで、詠唱中断は強制キャンセルなのか」
違いがよく分からないが。
「詠唱中断の方がよいスキルになるのでしょうか」
ロクサーヌがずばり切り込んでくる。
俺にもよく分からない。
「一般的にはそうです。ただし、パーティーメンバー全員が詠唱遅延のついた武器を持って魔物一匹を取り囲めば、詠唱終了前に倒せるでしょう」
魔物の詠唱スピードよりも多くの詠唱遅延攻撃を加えてやれば、いつまでたっても詠唱が完成することはない。
たとえ一撃一撃の与えるダメージが少なくても、いつかは倒せるだろう。
ある種、飽和攻撃だ。
「詠唱中は他の行動ができないですよね」
「あれ? じゃあ詠唱遅延の方がよくね」
ロクサーヌのサジェスチョンを考慮すれば、そうなる。
詠唱中断だとキャンセルになってしまうのだから、次は通常攻撃がくるかもしれない。
詠唱遅延ならばキャンセルではなく詠唱中のままだから、すぐには攻撃してこない。
いつまでも遅延させ続ければ、攻撃を受けることがない。
ひょっとして詠唱遅延が最強なのでは。
「相手が一匹とは限りませんし、魔物が自分で詠唱をやめることもあります。それにパーティーメンバーの全員に詠唱遅延のスキルがついた武器を持たせるのも大変です。他の選択肢をせばめることにもなります。一匹しか出てこない低階層のボスには有効な作戦ですが、上に行けば大技を確実にキャンセルできる詠唱中断の方が有利になるでしょう」
「なるほど。それなら詠唱中断の方がいいスキルなのでしょうね」
ロクサーヌがうなずいた。
うまい話はないようだ。
そして、ボスが一匹なのは低階層だからと。
「しかし詠唱中断のスキルにするにはウサギのモンスターカードだけでは駄目なのか」
「コボルトのモンスターカードが必要です。コボルトのモンスターカードは特殊で、他のモンスターカードと一緒に融合することでスキルを強化する機能があります」
弱くてドロップが安いオジャマ虫モンスターだと思っていたら、コボルトにはそんな利点もあったのか。
「コボルトのモンスターカードか。コボルトを狩るのも大変だな」
「ひょっとして、ウサギのモンスターカードはお持ちなのでしょうか」
「ああ。ある」
「今朝のですね」
ロクサーヌが確認してくる。
視線を交わして、うなずいた。
「クーラタルの商人ギルドでモンスターカードやスキルつき武器などのオークションを開いています。モンスターカードはそこで売却することができます。ご存知でしょうけども」
もちろん初耳だ。
「……ロクサーヌ、知ってた?」
「えっと。なにかそんなのがどこかにあるとかいう噂は」
セリーが冷めた目で俺とロクサーヌを見る。
「お、俺は遠い田舎の出身なのでな。いろいろ教えてくれると助かる」
「かしこまりました」
今、明らかに好感度がダウンした。
しかし知らないものはしょうがない。
「オークションでコボルトのモンスターカードを買うこともできるか?」
「できますけども。鍛冶師につてがおありになるのでしょうか」
セリーがそのつてなのだが。
今はまだ黙っていよう。
「なるほど。セリーの説明はよく分かった。セリーはものをよく知っていて役に立つ」
「いえ、そんな」
「これからよろしく頼むな」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
セリーを褒めて、迷宮に向かった。
迷宮では、魔物を見つけたロクサーヌに「やはりロクサーヌは役に立つ」と褒めることも忘れない。
いろいろと気を使う。
相手が二人というのは思ったより大変だ。
迷宮から帰り、何度かお湯をためて、風呂は完成した。
レモンを浮かべて、外に出る。
「お疲れさまでした」
ロクサーヌが手ぬぐいを渡してきた。
汗をぬぐう。
「ありがとう」
「いえ。お食事の準備もできています」
「じゃあ食べるか」
ダイニングに行くと、テーブルの上に料理が並んでいた。
皿の置いてある位置からすると、セリーはロクサーヌの隣らしい。
「ボルシチというドワーフ料理を作りました」
セリーが迎える。
ボルシチじゃんと思ったが、翻訳の都合か。
ボルシチに相当する料理なんだろう。
「旨そうだな」
「お口にあうといいのですが」
食卓の中央には赤いスープが置いてある。
この世界ではドワーフ料理らしい。
俺が座ると、ロクサーヌが正面に座った。
もう少しテーブルを広く使ってもいいと思うが。
「座るのはそこでいいのか」
「一番ですから」
一番奴隷だから主人の前ということだろうか。
よく分からん。
「セリーも座れ」
「えっと。座ってもよろしいのですか」
「立って食べるのか?」
「食べてもよろしいのでしょうか」
何を言っているのだ。
「ご主人様は一緒に食事することを好まれます。ご主人様、奴隷が所有者と一緒に同じ食事を取ることはめったにありませんので」
ロクサーヌがそう言ってセリーを座らせた。
別に好みとかの問題でもないような。
まあ文句は言わずに中央の鍋からボルシチを皿に取る。
これはロクサーヌに仕込まれた。
スープを取り分けるのはご主人様の仕事、だそうだ。
よく分からないが、そういうものらしい。
郷に入っては郷に従えである。
まずはボルシチの皿を俺の前に置く。
ロクサーヌによれば、そういうものらしい。
次の皿はセリーへ。
と思ったら、何かにらまれたような気がしたのでロクサーヌの前に置いた。
「ほ、ほい」
「ありがとうございます、ご主人様」
ドワーフ料理というくらいだから、セリーも食べたいだろうに。
最後にセリーの前に置く。
パンとロクサーヌが作っただろう肉野菜炒めは勝手に取っていいらしい。
よく分からん。
「ではいただきます」
まずはボルシチから。
むむっ。
無骨な味だが、結構旨い。
いかにも田舎風料理という感じだ。
具はかなり大きく切られている。
細かく切ってミネストローネっぽくしてもいいんじゃないだろうか。
「美味しいです」
「ありがとうございます」
ロクサーヌとセリーが会話した。
「確かに旨いな。そういえば、狼人族には獣戦士というジョブがあって、ドワーフには鍛冶師があるよな。人間族には種族の固有ジョブはないのか?」
話を振ってみる。
ベイルの宿屋にいた人の旅亭というジョブも、なんとか族という種族の固有ジョブだった。
人間だけないのは不自然な気がする。
ひょっとしたら、英雄が種族固有ジョブとか。
それもなんか優遇されすぎだが。
「えっと……」
「あ、あの……」
二人ともなんか反応が悪い。
変なことを聞いたのだろうか。
「わ、私はご主人様に可愛がっていただけるのならいいと思います」
「私も覚悟はできています」
二人して何を言っているのだろう。
ジョブの話をしているのだが。
「どういうことだ」
「人間族というのは、欲望が極端に肥大化することのある種族だそうです」
セリーが説明する。
そんな説も聞いたことがあるような気はする。
動物にだって同性愛もレイプも生殖目的でないセックスも同族殺しも子殺しもあるが、全部行うのは人間くらいだとかなんとか。
人間がそんな悪徳をすべてこなすのは本能が効いていないからだとか。
この世界の人間も、あるいはむちゃくちゃやっているのだろうか。
戦争とか自然破壊とか。
「そうか」
「そういう種族なので、欲望が肥大すると色魔というジョブに就くことがあるとされています。それが人間族の種族固有ジョブです」
色魔がジョブって。
欲望が肥大化するというのは、性欲限定か。
人間って。