073:大きな百合の木の下で
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――…………………」
長い、長い……途方もなく長いため息をついてから、ユノはドカっと地面に腰を下ろした。
「不自然だとは思ってたのよ。この街も、遺跡も、森も。
なんていうか、明らかに人の手によるモノが加えられていて、どこか『遺跡とか迷宮ってこういうものでしょ?』っていう押しつけがましい演出みたいなモノを感じてたわ」
ユノは虚ろな目をしながら、誰に聞かせるわけもなく、怨嗟を重ねるように、ぶつぶつと独り言をこぼしていく。
「だから、間違いなく誰かしらの人工的な手が加えられている場所だとは思ってた。元々あったものに対して、誰かが何かを隠すために手を加えたとか――そういうのだって。
なのに、なのに――何よ、最初から丸っと全部手作りの人工物ってッ! あたしの感じたロマンを返せぇぇぇぇぇぇ――……ッ!!」
うーがーと叫びながら、ユノは頭を掻きむしる。
そんな彼女に、シェイディーク・シャードゥは申し訳なさそうに口を出した。
《そのロマンというモノをマリアは演出しようとしていたのだが》
「余計すぎる演出よッ!」
そう返事をしてから、キョトンとユノは目を瞬く。
「シェイディーク・シャードゥ?」
《いかにも》
子リスのようにカクンっと首を傾げてユノが訊ねると、名前を呼ばれた闇の統括精霊は素直にうなずいた。
「っていうか気づいてなかったんだ」
「それどころじゃない情報がもたらされたからね」
《我の存在感はマリアのイタズラ以下なのか……》
「「清らの乙女のイタズラ規模パネェ……」」
口を尖らせるように嘯くシェイディーク・シャードゥに、ユノとユズリハは思わず異口同音に呻くのだった。
何はともあれ――と、ユノは気を取り直すと、立ち上がり名乗る。
《娘――ユノよ。もしや、精霊術を使えるのか?》
「精霊術? 契約した精霊のチカラを借りて行使する花術のコト?」
《その通りだ》
「なるほど。それなら、あたしは精霊術を使えるわ。
水の統括精霊アクエ・メリウスと契約し、その分霊――アクエ・ファニーネのチカラを得たわ」
《紹介しては貰えるか?》
「したいのはやまやまだけど、その為に最低六重には言葉を重ねないといけないのはちょっと……」
《何を言っている? 単純召喚だけならば、花銘すら不要であろう?》
「え?」
予想外の言葉にユノが、「そうなの?」と首を傾げる。
すると、左目が疼き、肯定する声が聞こえてきた。
その声――アクエ・ファニーネに何でもっと早く教えてくれないの、と不満そうに口を尖らせてから、小さく息を吐いた。
不満の答えが、自分の契約者様ならば、自力で単独召喚までたどり着けそうで、それが楽しみだった……と言われると、仕方ないので許してやるという気分にもなる。
それはつまり、アクエ・ファニーネからチカラを認めてもらっていることの証なのだから。
《マナでもオドでも構わないので、それをレイに変換できるか?》
「ええ。できるわ。
聖池で――アクエ・メリウスに声を掛けた時の要領でレイを作りだして……っと」
《そのまま、契約の時に影響を受けただろう、その左目にレイを集中するのだ。
他にもそういう痣や痕があるのであれば、そこにもだ》
シェイディーク・シャードゥのアドバイスとともにユノは自らのマナとオドを少量づつレイへと変換していく。
それを左目と、右足の傷へと集めていった。
《お前の場合であれば、その左目から契約精霊を呼び出すイメージだ。馴れるまでは、何か花銘を口にした方が呼び出しやすいかもしれんな》
「来たれ、我が盟友よ」
ユノの言葉とともに、左目が光を放つ。
その直後、ユノの傍らに水のように透き通った身体を持つ女性が姿を見せた。
《水の精霊としてはご無沙汰を。この身としては、お初にお目にかかります、ディーク。
ユノの契約精霊、アクエ・ファニーネと申します》
《ああ。盟友の唄が人の歴史に埋没した時代にうらやましいコトだ》
《あら? でも目星はつけているのでしょう?》
《うむ》
そんな二人の精霊のやりとりを、目を見開き、口をパクパクさせながら眺めているのがドリスだ。
「あ、あの……お姉さま。あちらの女性は……」
「ん? 本人も言ってたでしょ。あたしの契約精霊で、水の統括精霊アクエ・メリウスの……まぁ娘みたいなもんね」
分霊と呼ぶよりも、娘の方がわかりやすいだろうと、ユノはそう口にする。
「ユ、ユノお姉さまはすでに歴史に名を残すような偉業を成してませんか?」
「そう? 精霊との契約って、先史は珍しくもなかったそうよ?」
あっけらかんと答えるユノに、ドリスは目を白黒させる。
ユノからしてみれば、歴史に名を残すことなど、あまり興味をそそる事柄ではないのだ。
「それより、ライラは大丈夫だった?」
その言葉に、ドリスはハッとして、ここでのシェイディーク・シャードゥとのやりとりをユノに語る。
それに、ユノも安堵したような顔をして、まだ眠っているライラの頭を撫でた。
「無事なら良かった」
ライラを撫でながら、ユノの脳裏に様々な情報が組み立てられていく。
恵みの雨の時間が短くなり、効果も落ちている花噴水。
シェイディーク・シャードゥからもたらされた穢れの情報。
かつては呪われていた、守護剣リリサル・ガディナ。
今、現在進行形で呪われているであろう防影乙女プリマヴェラ。
そして、ここ最近、妙に遭遇率が高い気がする寵愛種。
「うん。だいたいは組み上がってきた。
でも、あと少し情報が足りないわね。
修理する為にも、情報があと一つ、二つ足りてない感じ」
この際、『かけがえなき革命家達』は無視する。
あれは完全なイレギュラーだ。
彼らに会わずとも、自分は隠し通路に気づいただろうし、その為にはドリスかジブルに協力を頼み、指輪も借りたはずだ。
ドリスが持っている指輪が必須だったことを思えば、この場にドリスがいることも不思議ではないだろう。
この国に蠢く陰謀だとか、思惑だとか、そういうところの視点で見れば彼らも無視はできないだろうが――ユノの目的は、花噴水の修理である。
その一点だけで考えるのであれば、やはり『かけがえなき革命家達』は余分なできごとだったと言えよう。
(とはいえ、物事ってのは地続きだしね。
思考や推論の輪から外へ弾いたとしても、そんなのお構いなしに関わってくる可能性はゼロじゃないんだけどさ)
軽く嘆息するように息を吐いてから、ユノは没頭していた思考の海から意識を浮上させた。
「シェイディーク・シャードゥ――あー、あたしも、ディークって呼んでも?」
《構わぬ。ユノやユズリハ、白薔薇の血族の仲間達であれば、他の者もそう呼ぶコトを許そう》
ユノはシェイディーク・シャードゥに礼を告げてから、ユズリハを手招きする。
それを見て、ユズリハが座っていた瓦礫から立ち上がり、近くまで来るのを待ってからユノは話し始めた。
「ディーク。確認をしたいんだけど、良いかしら?」
《ふむ、何の確認だ?》
「千年もの間、この花噴水は一定の間隔で恵みの雨を降らせ続けている。あれは、確かに何らかの加工が施された水でしょう?
花噴水のその機能の基本は、水を作るコトではなくて、水を恵みの雨に変えて、外へと吐き出すコトだと考えてるんだけど、違う?」
《その通りだ。それこそが花噴水の本来の機能であり、機能の全てだ》
「――で、あればよ。その水はどこで確保してるのかしら?」
そう訊ねてはいるものの、ユノは半ば確信を持っている。
いくら、清らの乙女がイタズラに地下遺跡を作ったのだとしても、この遺都の場所はちょっと地下に深すぎる。
あの昇降機で降りてきた時に、そう感じたのだ。
つまり、元からかなり地中深くまで、花噴水の根は伸びていたことになる。
それは何故か――
《その顔は予想がついている顔だが……まぁ良いだろう。
ユノの考えている通りだ。この花噴水は、この地の奥深くにある地底湖から汲み上げている》
「やっぱり……」
小さく呟いてから、ユノはさらに訊ねる。
「その地底湖の水源は?」
《古き地名しか答えられぬが、ラインラン山脈の雪解け水がメインだ。それらが直接地下水となったもの、デニア渓谷を流れたもの、一度ソルディア水地帯を経由しその地の地下洞窟へと流れ込んで合流したもの、だな》
ラインラン山脈というのは、今も存在している地名だ。ハニィロップの北東にある土地で、聖パッシフル・ツァイト王国との国境でもある。
「デニア渓谷――というのは、今のデニア峠の辺りのことでしょうか?」
デニア峠もラインラン山脈の中に作られた街道の一部の名称だ。
あの辺りに存在する渓谷は、現在では全てラインラン渓谷という扱いである。
「たぶんそうね。問題はソルディア水地帯だけど……」
ドリスの言葉にユノはうなずき、人差し指で下唇を撫でる。
「ソルデ湖の辺りのコトじゃないかな。
ラインラン山脈の途中で、盆地みたいになってるとこにある湖。ラインラン山脈とともに、パッシフル・ツァイトだけでなくカイム・アウルーラとの国境にあるやつ」
かつては水地帯と呼ばれるような湿原が、今では水に沈んで湖になっているのかもしれない。
「基本的には北側の山からの水なのね」
《重要なの? ユノ?》
「どうかしらね。ここの足下にある地底湖は重要だけど、そこの水源に関しては考慮には入れとく必要が在るかな、程度かも」
アクエ・ファニーネにそう返して、ユノは再び思考を巡らせる。
「ねぇ、ディーク。
白い廊下の先にある、花噴水の扉――あそこって地底湖にいけるの?」
《ああ。内部が崩れたりしていないのであれば可能だ。制御室などもあの扉の先にある》
つまりは、やはりプリマヴェラをどうにかする必要があるようだ。
「ディーク、ファニネーネ。
この近辺に、穢れの存在って知覚できる?」
《そこの娘――ライラの澱の原因か?》
「原因かどうかの確信が欲しい――といったところかしら。
少なくとも、扉を護っていた花導人形は穢れていたわよ?」
《なに……?》
明らかに、ディークの気配が変わる。
彼が纏った空気――それは怒気だ。
《あれは清らの乙女が、自らの存在の一部を貸し与えて生み出した守護者。ある意味で、清らの乙女そのものだ……。
我は、そのようなコトにならぬようここに居たというのに……》
怒りと悔しさを滲ませるディークの横で、ファニーネがびくりと身体を震わせる。
それに、ディークが慌ててそちらを見た。
《すまぬ、ファニーネ。お前を怖がらせるつもりは……》
《いえ、そうではありません。
むしろ、どうして私たちは気づけなかったのか……》
《ファニーネ……何を?》
訝るディークに、ユノは嘆息した。
ファニーネの様子を見る限りどうやら、最悪の想像が当たっていたようだ。
「ねぇ、二人とも隠さず答えて欲しいんだけど……。
今の時代、人間が『突発型寵愛種』って呼んでる現象――あれって穢れが原因よね?
そして、その穢れって、邪精――いえ邪精の残滓でしょ?」
《自力でそこまでたどり着きましたか……》
「まぁね。でもヒントは結構あったわ。
さらに付け加えるなら、邪精って精霊の一種なんじゃないの?」
これを思いついたのは、守護剣リリサル・ガディナが魔剣であったことだ。
おそらく邪精は、通常の精霊同様に花導具を宿として出入りできる。ただマナをそこに残すのではなく、その宿とした花や花導品を変質させるのだろう。
そして、単独では生き物には宿れないが、花や花導品などを経由して、生き物の内側に宿る。
「そう考えるなら、ライラがどこで穢れを宿したのかも想像はつくわ。
寵愛種化――ええっと正しくは、異形黒化だっけ?――とにかく、そうなった花蜂と戦った時ね。あの毒攻撃に穢れも混じってたんでしょう」
毒液にマナを乗せて放たれた攻撃。
あれに乗っていたのは、変質したマナかあるいは邪精そのものだったのだろう。
単純な解毒だけなら、ユノとユズリハによって行われた。
だけど、霊臓器や命臓器に入り込んだ邪精までは、消しきれなかったのだ。
人と共にあるのではなく、人に仇なす精霊。
それが邪精の正体であるならば――
「この地はディークの影響が強いでしょう?
だから、その影響を隠れ蓑にしてたのよ。邪精が精霊の一種であるのなら、意志を持ってるってコトでしょ?
ディークに気づかれないように、ディークのチカラの影で、か細く消えそうな微弱な邪精が長い時間をかけてゆっくりゆっくりと花噴水を汚染していった」
ディークが目を見開き、やがて悔しそうに俯いた。
「お姉さま……では、花噴水の不調は……」
「そう。邪精が原因ね。問題はその大本となる邪精がどこにいるかって話なんだけど……」
「それで水源の話をしたんだね」
「ええ。汲み上げられる水の中に微弱な邪精を混ぜる。そしてそこから花噴水に宿る。それを長い年月を掛けて繰り返し、今の影響を与えるレベルまで成長したのよ」
推測の域をでない話だが、大きくは間違っていないだろう。
ユノの言葉に、ディークは天を仰ぐ。
《もしかしたら、我も気づいた時には邪精の影響を受けてどうにもならなくなっていた――そんな可能性に陥ってたかもしれぬわけか》
「でも、最悪になる前にあたしが気づいたわ」
態度は大きく変わっていないが、どこか今にも泣き出しそうな気配を纏ったディークに、ユノはきっぱりと告げる。
「だから、ここから修復できる」
《――ああ》
そのユノの強い眼差しに、ディークは活力を得たかのように力強くうなずいた。
「すでに恵みの雨にも穢れが混ざりはじめているわ。
人間以外の――特に花蜂みたいな貯臓器を持ちうる魔獣に分類されるような虫への影響が出始めてるもの」
「あれって、そういうコトだったんだ……」
ユズリハとドリスが感心したように呟く。
ユノは口にしなかったが、貸獣の馬が暴走したのも、その辺りが原因なのではないかと考えている。
「だから、あたしはまず地底湖の様子を見に行きたい。
カンが正しいなら、地底湖に邪精がいるハズよ。その為にも、プリマヴェラをどうにかしなければならない」
《あの花導人形はそういう名だったのか》
《いえ、違うわディーク。ユノが勝手にそう呼んでいるだけよ》
《…………》
困ったように沈黙するディークに対し、ユノは小さく咳払いをして先に進める。
「プリマヴェラは侵入者と穢れた存在に反応する――であってる?」
《ああ。侵入者といっても、白薔薇の血族とプロテアには反応しない》
「なるほど」
ジャックがプリマヴェラに気づかなかった理由もわかった。
そして、あくまで制御装置だけで、地底湖までは確認しなかっただろうことも。
(まぁ、修理ではなく使ってる技術の確認だけをしにきたのだから、そこまで気にしなかったのかもしれないわね……)
――と、そこまで考えてもう一つの疑問を思い出した。
「もしかして、遺跡全体が、プロテアは素通りさせる?」
《うむ。マリア自体がプロテアであったしな》
「そういうコトか」
ならばジャックが容易に侵入できた理由もついた。
そして、彼が本物のプロテアであるという確信も。
「改めて、プリマヴェラの対処法を考えたいんだけど……」
《ユノのレイを多く頂く形になりますが、七重の言葉を重ね召喚していただけたら、私がどうにか致しましょう。
ただの汚染されただけの花導具であれば、ユノに任せるところですが、背後に邪精の残滓があるのならば、話は別です》
「了解。なら問題なさそうね」
ファニーネの言葉にユノがうなずくと、そこへディークが訊ねてくる。
《その邪精の残滓はどうするのだ?》
「地底湖の様子を見てから考えるわ」
今のユノのチカラでどうにかできるのならば、その場でするし、難しいのであれば、守護剣を携えて改めて来るしかないかもしれない。
《そうか》
ディークがうなずくと、場に沈黙が流れる。
周囲を見渡し、ユノは手を合わせた。
「情報の交換と収集はこんなものかしらね。
地下だから解りづらいけど、もう結構な時間っぽいし、ここで一晩あかすわ。いいかしら、ディーク?」
《構わぬ。我が闇にて暖を与えよう》
「助かるわ」
そうして、ユノたちは、常夜の聖木の下で一夜をあかす。
太陽の位置はわからないが、間違いなく朝であろう時間帯に、ライラも一緒に目を覚ました。
ユノたちは、自分達の情報整理も兼ねてライラに状況を説明。
それから、手持ちの簡易携帯食と、ファニーネが生み出した水で、お腹を満たし終えた頃――
ドン!
――この地下に広がる遺都に、突如として爆音と衝撃が響き渡った。
さて、ぼちぼちハニィロップ編の風呂敷を畳んでいきたいと思います。
――そう思った矢先に、こんな説明回で申し訳ない気もしますが。
次回は、遺都の戦いです。