072:矛盾の根にて闇は問う
ハニィロップ 第三都市シェラープ
旧き遺森の地下遺跡 忘却の遺都 東通り
ライラを抱きかかえたユズリハと、それに付き添っているドリスは、奇妙な場所にいた。
ユノに指示され、先に闇の聖域があるだろう道を歩いていくと、目に見える闇属性のマナが増えていく。
それだけなら気にもとめなかったのだが、闇のマナが増えるほどに、周囲が暗くなっていくのだ。
闇の精霊の領域であるのだから、暗くなるのも仕方がない――とは思っていたが、幹も枝も咲いている花も葉っぱも真っ黒な樹が見えてくる頃には、周囲は完全に闇に包まれていた。
これ以上進んで大丈夫なのだろうか――とは思ったのだが、不思議と道の先にある黒い樹はハッキリと見えるし、驚くべきことにまだ生きていたらしい一部の街灯の明かりは、闇を照らしている。
不思議に思ったドリスが指先に炎を灯してみれば、その火は周囲を照らしてみせた。
「これは闇……というよりも、まるで夜ですね」
「ああ、うん。ドリーの言う通りだと思う。この周辺……というか、あの樹の周りだけ、常夜のようになってるのかもしれないね」
その辺りは、ユノがここへ追いついてくれれば勝手に分析することだろう。
今はこの闇が害のあるものではないと分かればそれでいい。
すでにライラは意識を無くしている。
余計な行動、余計な判断は、ライラの身を危うくしかねない。
「ここらでちょいと休憩させていただきますね」
常濡の聖池で水を飲んだ時のように、夜色の樹に手を合わせてそう口にしてから、ユズリハはライラを下ろして、樹に寄りかからせた。
その時だ――
《その娘――穢れているのか……?》
ライラを寄りかからせた夜色の樹から、低い男の声が響いてきた。
その声に対し、ライラを抱き上げ逃げるか、剣を抜くか――ユズリハが刹那に逡巡する。
わずかな迷いの時間の隙に、樹から闇が染み出すように何かが出てきた。
姿を見せた存在を一言で表すのであれば、影色の人――だろうか。
人としての確かな立体感を持った影。
肉体と同じ色のターバンを目深に被っており、やはり同色の異様に長いマフラーで口元を隠している。
さらに全身に、やはり影色のストールなような薄い布を巻き付けているような姿。
目で見えているのに全く持って現実感がなく、それでいて強烈なまでの存在感を放つ存在。
「……シェイディーク・シャードゥ様?」
現れた存在に対して、ドリスが思わずといった様子で呟くと、それは鷹揚にうなずいた。
《いかにも。我はお前たち人間が闇の統括精霊と呼ぶ存在》
目の前にいるのが、シェイディーク・シャードゥだと分かると、ユズリハは息を吐いて、気持ちを静める。
ユズリハが警戒を解くと、シェイディーク・シャードゥは不思議そうに訊ねた。
《ほう? 素直に警戒を解くのか》
「精霊に対する、一種の信頼だと思って頂ければ幸いです」
《今の人の世では、そのような考え方が一般的か?》
「うーん……どうだろ?」
シェイディーク・シャードゥの問いにユズリハ首を傾げてから、ドリスに視線で問いかける。
「私にとって統括精霊というのは、おとぎ話の中の存在ですので……。
このように実際にお会いできるとは思っていませんでした。
恐らく、今の時代の人間の多くは、統括精霊を伝承の存在としか思っていないかと」
《……ふむ、今の人の世において、我らは伝承に埋もれたか……》
彼が何を思っているのかは分からないが、精霊なりに思うこともあるのだろう。
《まぁ良い。我らのコトよりも、まずはそちらの娘だ》
告げて、シェイディーク・シャードゥはライラに向けて手をかざした。
それから、彼が何をしたわけでもなさそうだったのだが、ライラの身体の中から、周囲の闇とは異なる黒いものが滲みでてくると、ゆっくりと霧散していく。
ほんの数秒その状態が続いたが、やがてライラの中からその黒いものが出てこなくなると、彼女の顔色は見る見る良くなって呼吸が落ち着いてきた。
意識こそ戻らなかったものの、寝ているのと大差のない状態になったことにユズリハは安堵する。
《この程度だったのか?》
不可解そうに、シェイディーク・シャードゥが小さく呟いた。
「あの……シェイディーク・シャードゥ様。一体何をなさったのでしょうか?」
《呼びづらいのであれば、ディークで良い。白薔薇めも、我をそう呼んでいたしな》
ドリスにそう言ってから、彼はライラの顔をしばし眺め、軽く息を吐くような仕草を見せる。
それから、改めてドリスの方へと向き直ると、答えた。
《この娘の中に、穢れが澱はじめていたのでな》
言いながら、チラリとライラを見て、もっとも――と続ける。
《本来は、この程度の穢れならば、人間に影響なぞないはずだ。
しかも半ば活動を止めていたので、放って置いても悪さするコトなく、いずれはマナやオドと共に対外へと吐き出されるはずのもの。
それが何らかのきっかけで活性化し、この娘の体調に不和をもたらしたのであろう。
我は、そんな中途半端に活性化していた穢れを取り除いてやっただけにすぎぬ》
「その生きた穢れっていうのが、体内に溜まって吐き出されない場合ってどうなるの?」
ユズリハの問いに、シェイディーク・シャードゥは淡々と答える。
《死に至る――だけであれば、もっともマシな形だな。
穢れは体調だけでなく、人間の……いや、生き物の精神の変調も引き起こす》
「精神の変調って具体的には?」
《理性が崩れ、欲求に対し過剰に解消するようになる。
人間であれば欲求だけでなく、欲望もそうだし、嫉妬や怒り、憎悪なども肥大化する。
変調する直前の精神状況の影響も少なからずでるな。恐怖から逃れようとしていた者が穢れで変調すれば、恐怖から逃れる為に自分を脅かすだろう存在全てを破壊するようになるだろう。もっともそれで逃れられるわけではなく、やがては目に映るもの全てが恐怖の対象となるだろうが》
ユズリハとドリスは思わずライラを見た。
人間にはさほど影響を与えない量であったとはいえ、そんなものがライラの体内に入り込んでいたと知り、改めて安堵する。
だが、安堵した二人に、さらなる追撃のような説明が続く。
《さらに強力な穢れに汚染されていた場合は、精神の変調がやがて肉体へと影響を与えていく。
基本的には醜い異形化だ。身体が膨れ上がるように大きくなったりが多いな。痛覚などが鈍化するので痛みに強くなり、とにかく穢れによって肥大化してしまった欲求や衝動に突き動かされるだけの生き物となる。
かつて人間たちはこの現象を異形黒化と呼んでいたな……。
そして、マナやオドの代わりに穢れそのものをチカラに変換できるようになるが、そうやって使用すれば使用しただけ、より穢れを呼び寄せ吸収せずにはいられなくなる。
人間であれば異形黒化直後であれば、精神を引き戻すキッカケでも与えてやれば、多少は元に戻せる可能性はあるが、やがてその姿が定着してしまえば、もう人間ではなくそういう生き物でしかなくなる。
化け物として葬ってやるしか、手だてがなくなるのだ》
ドリスが思わずライラに駆け寄って抱きしめた。
何事もなくて良かったと、瞳に涙が滲みはじめている。
《む……、あの娘を泣かせるつもりも、怖がらせるつもりはなかったのだが……》
「意外とそういうところ気にするんだ」
《白薔薇の奴や、聖女からは、人間であれほかの生き物であれ、女子供には優しくするべきだ。泣かせるな――と、なぜかやたらと言われていたのでな……》
そう答える口で、「だが、それがとても難しい」と呟いているのを見て、ユズリハは小さく笑った。
「本質的には優しいのに、行動や言動で誤解されちゃうタイプですか?」
《かつて似たようなコトを言われた記憶はあるが……我ら精霊は人間たちとは感性が違う故、よく分からぬ》
シェイディーク・シャードゥが腕を組み、うーむ……と悩んでいる姿は、なかなか絵になっている。
実際にこの姿が絵になった場合、見る者は威厳と恐ろしさに満ちた感想を抱くだろう。
もっとも、現実は泣かせるつもりのなかった女子供が結局泣いてしまったことに困っているだけ――であるのだが。
「何はともあれ、少しここで休んでいても?」
《構わぬ》
許可を貰い安心したユズリハは、座るのに手頃そうな瓦礫を見つけ、その上を軽く払ってから腰を下ろした。
ユノのことは心配だが、彼女はここで待っていろと言っていた。
ならば、それに従って待つだけだ。
「ふぅ」
一息つくユズリハの元へとシェイディーク・シャードゥが歩み寄ってくる。
《我からも問いを良いか、人間?》
「私でいいの? ちょっと泣いちゃった子が白薔薇さんの直系だけど」
《ふむ。やはりそうであったか――だが、今はお前に問いをしたい》
「私で答えられるコトならば」
《『闇』――とは何だと思う?》
「え?」
《ああ、別に深い意味のある問いでない。
我ら闇属性の存在は、いつの時代も恐れられているからな。我らの在り様そのものではなく、闇だから怖いとされている。
お前は人間の世界における『闇』も見ているようなのでな、このような質問をしてみたくなった》
「そうですか……」
理由はともかく、問われた以上は何か答えてみようと、ユズリハは考える。
「うーん……」
腕を組み、眉間に皺を寄せ、腰掛けてる瓦礫から落ちそうになるくらい身体を捻ってみるが、すぐに答えは出そうにない。
だが確かに、闇とは何なのだろう――と、改めて問われると気になってくる。
闇……影……裏……言葉から紐付いて、記憶から浮かんでくるのは、故郷であってもカイム・アウルーラであっても、裏街のことだ。
裏街で身につけた技術はできるだけ表に出さないようにいて、表街で生きてみる――それは、ユノに言われた、自分の憧れの正体を探る為のもの。
裏で得た技術には、必要な時以外頼らない――だが、必要な時は頼ってしまう。
それに、何だかんだと、裏街で会得した葉術はユノやライラに教えてしまっている。
だとしたら、こんな風に、あまり使わないで生きる――などと拘っている意味があるのだろうか。
居場所を探すために使うのを控えていたはずなのに、居場所を守るためにそのチカラを振るっている。
(我ながら、なんて矛盾――……)
だけど、だからこそユノの横に居場所を作れたとも言えた。
裏の技ではあるけれど、それがあったからこそユノを守れた。死に瀕しながらも生きながらえた。
地元の裏街で教えられ、裏街で磨かれた技――闇の技。
自分が光の中を歩くのには、闇の技に頼らざるを得ない。
ましてや、クラウド・プロテアという自分の技術の全てしても勝てるかどうかは五分という存在が現れたのだ。
ここで、闇の技に頼らないという選択肢を選ぶのはどう考えても自殺行為だ。
今は敵対しているわけではないが、それでも――ジャックとユノのやりとりを思い返せば、いずれ敵対する可能性も充分にある。
何より、クラウドは自分の腕を競える相手を求めている男だ。
例え敵対するようなことがなくとも、個人的な殺し合いを挑まれる可能性が高い。
その時までに、この矛盾に答えを出しておかなければ、生き残れないだろう。
「むむむむーん……」
《す、すまぬ……そのように思い悩むとは思わなんだ……》
「あー……いえ。こちらこそすみません。元々、あれこれ悩んでたコトに近い質問だったので、そのまま考え込んじゃいました……」
《そうか。答えは出せそうか?》
「分かりません。でも、近いうちに出さないといけないとは思ってます」
《ふむ――で、あれば……だ》
シェイディーク・シャードゥは夜色の樹に向けて、手を翳した。
すると、樹の枝から夜色の木の実のようなものがゆっくりと降りてくる。
《受け取るが良い》
黒く小さな球状のそれは、まるで――
「朱種?」
《我ら精霊は単純に結晶と呼んでいるもので、かつての人間たちは精霊結晶と呼んでいた。
人間の作り出す朱種とは、これを自らの手で作り出したモノにすぎない》
「私、ほとんどマナを使えませんけど……」
《問題ない。オドを巡らせれば良い》
「これは、それで動くんですねぇ……」
最後にユズリハはそう独りごちて、ありがたく受け取ることにする。
近いうちに、これをセットできる武護花導具をユノに作ってもらおうと、ユズリハは心に決めた。
《『闇』に関する答えが出たら、それにオドを巡らせ、声にオドを乗せて歌えば良い》
「歌って――盟友の唄ですか? あれ、今は廃れてしまって、ほとんど知ってる人いませんよ?」
《なん……だと……!?》
「まぁ私は唄えますけど」
《……そうか。それは良かった……だが……》
シェイディーク・シャードゥは何やら悩むようにしてから、何かを決めたようにユズリハに告げた。
《すまぬが、今の人の世について聞かせてくれぬか?
清らに水湧く花噴水の完成し、聖女がこの廃墟の街を作り出してからこっち、ほとんど地上に出たコトがなくてな……どれほどの刻が流れたのかも、分かってはいないのだ》
「……それは構いませんけど……ん? あれ、ちょっと待って……」
素直にうなずき掛けて、ユズリハは何かが引っかかって首を傾げる。
《どうした?》
「廃墟の街を作り出した……? 聖女が? 聖女って、清らの乙女マリア・クイン・プロテアのコトですよね?」
《ああ。そうだ。そのマリアが、この街と、この街の上に広がる遺跡風の迷宮と、それを囲む森林風の迷宮を創り出した》
「創り……だした……?」
《うむ。方法は秘するが、彼女はそれをするだけのチカラを持っていた。そして――》
『わたしたちのコトを忘れられちゃうくらいの時代になると、絶対に清らに水湧く花噴水の中に不必要に進入してくる連中とか出てきそうよね。
なので入り口を地下になるように土を盛りましょう。でもそのままじゃ面白くないから、その上に遺跡風の迷宮を建てよう。それを森の姿をした迷宮で囲んでると雰囲気出ると思わない?
森を抜け、遺跡を抜け、その先にあるのは見知らぬ文明の町並みの廃墟――感動も一塩よね。そうなれば、もう清らに水湧く花噴水への進入とかどうでも良くなると思うのよ。
あ、でもメンテナンス用の通路は必要よね? 白薔薇たちだけが使える順路は用意しておくべきだわ。わりと最短の方が楽だとは思うんだけど、どうしようかしら』
《――とまぁそんな具合で、彼女が一晩で構築したのが、清らに水湧く花噴水を囲うアレコレの真実だ》
シェイディーク・シャードゥがそう語り終えた時……
からん――と、何かが地面に落ちて転がる音が聞こえた。
そちらへと視線を向けると、いつの間にやら、ユノがそこにいる。
どうやらシェイディーク・シャードゥとの会話している間に、ここへとやってきていたらしい。
ユズリハが全然気づけなかったことを考えると、この辺りに広がる常夜には、気配察知の類いを妨害する効果などもあるのかもしれなかった。
「な……」
呆然とし、ぷるぷる震えながら、ようやく声を絞り出すように呟く。
その手からこぼれ落ちた原始蓮の杖を取ろうとする素振りを見せないほどの衝撃に襲われているらしい。
(確かに、衝撃的事実ではあるけれども……ユノの場合、ダメージが酷そうだよね……)
ユズリハは小さく嘆息しながら、目を見開き震えてるユノを見遣る。
《な?》
そんなユノの様子を不思議に思いながら、シェイディーク・シャードゥが聞き返す。
やがて、震えていた彼女は、
滂沱の落涙と共に、声を上げた。
「なによッ、それぇぇぇぇぇぇぇ――……ッ!!?」
それは、この遺都や遺跡の真実を知ったユノの、切実なまでの心の叫びだった。
マリア「生きていくのに、エンターテインメントの精神って大事だと思うのよね」
闇精霊「よもや、その考え方のせいで後世の人間が困惑するとはな……当時は思ってもみなかった」
森が生まれた当時は、聖女の墓森と呼ばれ、みだりに足を踏み入れないようにと言われて居ましたが、長い時の末、王家すらそれを忘れて森の近隣を開発して生まれたのがシェラープだったりします。
次回は、花噴水の不調の原因 と プリマヴェラの穢れの話……になる予定です。