054:招かれざる訪問者
今回は途中で難解な表現が出てくるので、意訳的副音声という名のルビがついております。読みづらかったらすみません。
先日届いた手紙を改めて読み終えたネリネコリスは小さく嘆息し、それを鍵付きの引き出しへとしまい直した。
内容を要約すれば――
うちの暴走馬鹿貴族がそっち行くけど、まともな連中は関与してないから。馬鹿の独断だから。
なので、こっちに迷惑掛からない方法でならいくらでもいじめてやっていいよ☆
――というものである。
そして、この手紙に書かれていた通りに馬鹿がやってきたので、ネリネコリスは頭を抱えていた。
「国から爵位をもらっている貴族のやり方とは思えないのだけれど」
思わず独りごちてから、椅子から立ち上がる。
それから、部屋で控えている侍女へと声をかけた。
「用意はできてるかしら?」
「はい。ご指示の通りに」
「では着替えるわ」
「かしこまりました」
侍女と共に書斎から自室へと向かう。
その途中、廊下でハインゼルと遭遇する。
彼は恭しく一礼をしてから、少しよろしいですか――とネリネコリスに声を掛けた。
「ええ。何かしら」
「お客様がだいぶ苛立っております」
「待ちくたびれたって?」
「はい」
それはそうだろう――と、ネリネコリスは皮肉げに口の端をつり上げる。
「待たせておけばいいのよ」
「心得ております」
いくら相手が馬鹿とはいえ、他国から来た貴族だ。ネリネコリス宛に屋敷まで来ているのであれば、主人として対応しなければならない。
とはいえ、先触れも無く屋敷へやってきたのだ。
色々と言い訳や建前を並べられてこちらが屋敷に戻らざるをえないとはいえ、本来であれば追い返されてもおかしくはない行為。
こちらは城の執務室で仕事をしている途中に呼び出され、様々なところに支障がでている。ならば塩対応もそれなりに受け入れるべきだ。
自宅へ戻り、書斎で必要なものを揃え、自室で着替える。
これらを全て行った後でなければ、対応などできない。
カイム・アウルーラ行政自治領政局局長という肩書きは、軽いものではない。その肩書きは、この街の指導者を意味するものだ。
だからこそ、他国からのお客様相手に舐められてはいけない。
今回のように最初から舐めて掛かってくる相手には、徹底的に教え込むのが、カイム・アウルーラの貴族である。
「早馬の用意は?」
「早馬よりも早い大型陸走鳥を手配してあります」
「それは良いのだけれど、あの気むずかしい鳥の御者はいるの?」
「僭越ながら私めが」
「そう」
この執事はそんな技能を有していたのか――と思いつつ、まぁハインゼルだし……と勝手に納得しながらネリネコリスは続ける。
「目的は理解しているわね?」
「だからこその御者役兼メッセンジャー役にございます」
「結構。手はずは分かっているわね」
「無論でございます」
「私が着替えている間に、秘書のアスピーデと話のすり合わせをしておいてもらえるかしら」
「かしこまりました」
一礼して去っていくハインゼルの頼もしさに小さく安堵しながら、ネリネコリスは自室へと向かった。
自室で着替え――といっても、そこまで大仰なものではない。
今もなお大陸西部において主流である袖が大きく、布をふんだんに使ったようなものに着替えるつもりはないのだ。
主流を否定するつもりはないし、他国へ赴くので有れば身に纏うこともあるが、カイム・アウルーラの行政局長としては、基本的に着る気はなかった。
あれは、布を多く使うことで財の多さを示し、必要以外の動作は全て従者に任せられるだけの器であるということ見せびらかす為の格好だ。布の多さが財の指標となっていた時代からのものであるが、それも時代遅れになりつつあると、ネリネコリスは感じている。
だから――というワケではないが、カイム・アウルーラにおいて、時代を先駆けるようにそれらを示すのはあまり意味がなくなり始めていた。とはいえ、安っぽすぎれば領内であっても侮られるので、財を持つ権力者として多少は気にしなければならないが。
そういう意味で都合が良いと思ったのは、商人たちの中で流行しはじめているスーツスタイルだ。
もちろん、ただのスーツではなく、女性用としてオーダーメイドした高級品である。
フリルブラウスの上に、黒で縁取りをした灰色のジャケット。
ジャケットの襟のコサージュは霊花であり、裏地には花術紋を刺繍されている。
ブラウスにも、花術紋ではないものの、襟や袖には精緻な刺繍が施されていた。
下はジャケットと同色のスリムパンツという格好だ。
このスラックスだって、よく見れば非常に手の込んだ一品だと分かる。
デスクワーク用にフリルやコサージュなどのないシンプルなモノも用意してあるが、今回は来客の対応――しかも相手は他国の貴族だ。
故に身に纏うのはスーツスタイルと従来の貴族らしさを可能な限り両立させてほしいと頼んで作ってもらったこの女性用スーツは、見た目以上に上質な品となったのである。
カイム・アウルーラの貴族らしさと、見目だけを見て質を見る目のない余所の貴族への試金石を兼ね備えた逸品だ。
「本来はこれだけの戦装束を纏うほどの相手ではないけれど――行くとしましょうか」
侍女によって髪を整えられ、化粧をされて、指輪やイヤリングなどの装飾を身につけて……
――全ての準備を整え終えたネイネコリスは不敵に笑う。
「さぁ、誰に喧嘩を売ったのか教えて差し上げなければね」
そうして対面した、ノーノ・ジュオーリス・モブレスという男は、控えめに言っても肥えた豚であった。
西部貴族らしい布を多用した服に、これ見よがしに身につけた貴金属の数々。
どれもこれもが、肥えた身体に不釣り合いで、不格好に見える。
センス以上に身につけている者の素材の悪さのせいで、服や装飾が悲鳴を上げているように見えるのも気のせいではないだろう。
あまりにも似合って無さすぎて、成金と呼ぶにも烏滸がましく思うくらいだ。
なんというかネリネコリスとしては、この時点で色々と過程をすっ飛ばしてぶった斬りたい気分である。綿毛人をしていた時もこういう見た目と雰囲気の貴族は面倒事の原因であった記憶しかない。
時折居る、先祖の威光に肖ってるだけのダメ当主の典型にしか見えなかった。
(……剣でも携えてくるんだったわね……)
わりと本気でそんなことを思いながら、ネリネコリスはおくびにも出さずに、楚々とした笑みを浮かべて、ゆっくりと歩いていく。
そうして客間の椅子に腰をかけている男に声を掛けた。
「大変お待たせ致しました。モブレス男爵」
「まったくです。いつまで待たせるつもりですかな」
そうして話しかければこれである。
思わず口の端がヒクヒクと動きそうになるのを堪えて、ネリネコリスは挨拶を続けた。
「自由中立都市カイム・アウルーラ行政自治領。行政局局長、クレマチラス家当主ネリネコリス・ルージュレッド・クレマチラスにございます。
新たなる季節の訪れになろう出会いを与えてくれた、春の精霊に感謝を」
「急ぎだと言っているでしょう。遅れてきた上に、悠長な挨拶など……」
(ああなるほど――馬鹿だ)
手紙の意味を心底から理解した。
貴族――もっと正しくいうと爵位を持つ者――は、王より土地を与えられるか、国に貢献をし栄誉として賜るか。それによって、本人あるいは一族に爵位が与えられることで、その地位を得る。
所有する領地の大きさや重要度、領主や領地による国への貢献度。そして政治的な理由などから、爵位は上下することもある。
ややこしいルールや条件はこの際はおいておくにして、つまり、爵位を持っているものの多くは、国内において大なり小なりの領地を持っているわけだ――賜ったのが現当主であるとは限らない場合がほとんどであるがそれはおいておくとする――。
同時に、爵位を得た時点で貴族として扱われるわけで、貴族としての振るまいが必要となるのだ。
その貴族としての振るまいというのは、国特有のものもあれど、大部分において、西部貴族共通のものである。
大陸西部における国ごとに貴族の在り方に差異はあれど、この辺りの部分には大きな差はない。カイム・アウルーラが例外であるくらいだ。
「遅そくなってしまったコト、大変申し訳なく思いますわ。
ですが、夏に雪割草の開花を求めるだけでなく、春の訪れに耳を傾けず彩りだけを求めるのは如何なものかと存じますが」
表面上は申し訳なさそうにしたまま、けれど眼差しは氷点下の冷気を湛えて、ネリネコリスはモブレスへと真っ直ぐに視線を向ける。
カイム・アウルーラの貴族の在り方は周辺国とまったく異なる。
だが、だからといって、貴族の礼儀やマナーまで大きく異なるわけではないのだ。
この街には、大陸西部だけでなく、東部の、さらには海外の貴族たちもまた流れ着いている街である。
故に、貴族会が有している資料には各国の礼儀作法などを綴ったものが存在し、多くのカイム・アウルーラ貴族はそれで自身に不足している礼節を学ぶ。
なぜなら初対面の礼儀は、そのまま自身の、国や街を代表するのであればその土地の印象そのものになるからだ。
つまるところ――
「それに、季節外れの雷を纏うにしても、まずするべきは季節の訪れへの感謝でございましょう? そちらの祖国では親しくもない者と会う時、季節の精霊への感謝を妨げるのを是とするのでしょうか?」
――目の前の男の態度というのは、こういう印象を持つ好例である。
もちろん、事前に彼よりも上の地位にいるものから手紙を貰っているので、相手国に対する印象はそう悪いものではないのだが、建前というのは大事である。
遠回しに、自分の振る舞いで自国を貶めているのに気付け――と言ってみたが無駄そうだ。
正直なところで言えば、挨拶もロクにできない男爵の領地など信用できない。住んでいる無実の領民達には申し訳ないが、この男のせいで、領地そのものが領民諸共蹂躙されても仕方がないだろう。
この男の態度はそういうものだ。
「統括精霊にでもなったおつもりかな、ネリネコリス。
中立自治領などと言ったところで、大層なものでもないでしょう。貴女とて一領主にすぎないのですから」
深く――とても深く、ネリネコリスは露骨なまでに、これ見よがしな嘆息をした。
向こうが、わざわざ手紙を綴りこちらに知らせるだけにして、彼の動きを止めなかった理由はこれだろう。
(自分のところでどうにかすれば良いのに……勝手にこちらを巻き込まないで欲しいわね)
西部におかえる爵位の強さは、下から男爵・子爵・伯爵・侯爵・公爵となっており、同爵の土地無しと土地持ちは、どちらの権力が上かという点においては、国の事情次第で前後する。
――が、何をどう勘違いしているのか、彼は土地持ち男爵である自分と、ネリネコリスの地位が同爵程度であると思っているらしい。
「一つ訂正を」
だからこそ、侮蔑を隠さず露骨な仕草と口調で、ネリネコリスは言葉を紡いだ。
「カイム・アウルーラは確かに『領』を名乗っております。
これは、周辺諸国が『国』を名乗るコトを認めていないからにすぎません。これは古くから続く、我が領土と周辺諸国との政治的理由があるからであり、我が『領』の地力は周辺国に迫ります。
そのコトから、周辺諸国は古くよりカイム・アウルーラを建前では『中立領』と、実質的には『国』として扱っております」
中立領として甘んじていることや、周辺諸国へと強く出ないなどという理由で、モブレス男爵のように勘違いする者が少なからずいるのは事実だ。
なので、今回のように、試金石扱いで変な貴族とやりとりすることも少なくない。
その場合、基本的に変な貴族よりも上の地位にいるものから連絡を受けているので、政治的に拗れたりしないようにはなっているのだが。
だからといって、自分の国を巻き込まないような処理を頼む――などというものを飲む気はないので、熨斗をつけて送り返すつもりである。許可はもらっているので、それなりの憂さ晴らしはさせてもらうが。
「そのコトから、カイム・アウルーラ行政局局長の権力というのは、周辺諸国の爵位基準で見た場合――公爵以上君主未満という形となっております。
その意味を理解できないほどの愚か者であるのでしたら、今回の件は話を聞くまでもなく終わりにさせて頂いた上で、貴方の祖国の王へと報告させて頂きます。あしからず」
そもそも、同爵だとしても、相手も領主なら『様』と呼ぶべきだろう。その時点で間違えている。
恐らくは、相手が女で、遅刻という落ち度を利用すれば良いようにできると判断したのだろう。
ただのアホである。
「……大変な勘違いをしていたようだ。失礼した」
「精霊の宿らぬ花にも価値がないわけではありませんからね。今回のコトは統括精霊の耳にも届くことはないでしょう」
もっとも、上には報告しないけど、横には報告するのはお約束である。
その横が上に報告するかどうかなど、ネリネコリスの知ったことではない。
「……寛大な処置、感謝する」
ちなみに彼はこの流れで、椅子から立ち上がっていない。
言葉だけの謝罪や感謝であっても、もうちょっと取り繕えよと言いたい。
ちなみにこのやりとり――言動だけでなく行動や態度も含めて――全て秘書のアスピーデがメモしている。
彼女の速記能力の高さは、こういう時に大変便利なのだ。しかも、速記なのに字が綺麗なのでとても重宝している。
そろそろ本題に入りたいと思ったネリネコリスは、注意するのも面倒くさくなって、席に付く。
「さて、夏に秋を忘れるほど冬を求める理由をお聞かせいただけますか? 季節外れに遅咲きの花が咲いたなどというコトはないとは思いますが」
軽い殺気を飛ばし威圧しながら訊ねると、彼は脂汗を流しながら、ひとつうなずいた。
そうして、モブレス男爵は用件を告げる。
「可及的速やかに我が国に霊花を輸出して欲しい」
「……はい?」
何を言っているのだろうかこの男は。
思わず目を瞬きながら、ネリネコリスは、訊ねる。
「毎年の西部諸国会議において定められた量をお送りさせて頂いているはずですが?」
「承知している。だが足りないのだッ!」
(足りないのは貴方の頭でしょうが)
口には出さないもののネリネコリスは思わず胸中で毒づいた。
本気で急を要するほど足りなくて交渉するのであれば、しかるべき手段を取るべきである。
「このような言い方をするのは本意ではありませんが、たかだか土地持ちの男爵でしかない貴方がするようなお話ではないかと存じますが」
独断で行うにしても悪手だ。
手柄欲しさなのかもしれないが、こんな無茶な振るまいは、むしろ輸入を中止されてもおかしくない。
「それに、代価はいかがなさるおつもりですか?
本来、輸出する予定のなかった霊花を余計に輸出する以上は、通常よりも割高になりましてよ?」
輸出していない霊花は、緊急用の保存ももちろんあるが、基本的にはカイム・アウルーラ領内で使うのがほとんどだ。
それを寄越せというのであれば、補填するだけの何かが必要になるのは当たり前であろう。
「いや、それは……」
ただ、先ほどの偉そうな態度を見るに、強引に奪っていくつもりだったのかもしれない。
今の行政局長が女であるからして、強い気ででればどうにでもなると思ったのかもしれない。
女だという理由だけで下に見るのは勝手だが、それを理由にルールを無視をして良いなどという理由はない。
「それが正しい代価であるかは別にしても代価は用意しておくべきではございませんか? もしや何の代価も用意せずに、緊急の交渉を?
風の精霊からどのようなイタズラをされたのかは存じませんが、随分と杜撰で迂闊な行動ですコト。
口の軽いアマリリスも思わず蕾に戻ってしまいそうな話ですわね」
本当に、無駄な時間だ――とネリネコリスは心底から思う。
だが同時に、この貴族がここまで慌てている理由が気にならなくもなかった。
「霊花がダメであるならば、花修理です。優秀なものを派遣していただきたい」
どこか粘着質を思わせる愛想笑顔を浮かべながら、男爵は告げた。
「――そう、貴方の娘のような……」
瞬間、ネリネコリスの視線が眇められ、先ほどとは比べものにならないほどの殺気が膨れ上がると、目の前の豚を圧倒した。
局長「げきおこ」
秘書「どうどう。局長、どうどう」
そんなワケで次回に続きます。
次回で第二部日常編はラストの予定。
その次からは第二部騒動編がはじまります。始まるといいな。始められるかな……(弱気