031:発芽する騒乱
「報告では足りないバラは二つ……。黒は俺の手元にあるが、赤だけは見つからんな……」
報告書を読み直しながら、共修騎士団団長ダンダルシアが小さくつぶやく。
これでは、謎掛けの答えが分かっても、恐らくは先に進めないだろう。
何よりその赤バラこそが詩文に出てくる紅き刻であるのは明白だ。
「学術騎士と共修騎士がこれだけそろって、謎掛けに頭を抱えるとはな」
そんなに難しい謎掛けでもない。
ツリーピオのせいで、じっくり考えられなかったと言っているが、そんなものは言い訳だ。事実、自分はこの報告書だけで答えの見当が付いているのだから。
それよりも、赤のカンテラが手元にない方が大問題だ。
赤のカンテラはどこにあるのか、どうすれば手にはいるのか――それが分からないのだから、考えても無駄なのだが、どうしても頭を悩ませてしまう。
そうして暫く経ち、そんな無為な時間を過ごしていたことに気づいて嘆息をした時だ。
ドアをノックする音が聞こえた。
「団長。おりますでしょうか?」
「ああ。何のようだ?」
「少々、追加でご報告が」
「入れ」
こんな時間に何が報告だ――とも思ったが、邪険にして追い返したところで、また無意味な思考をするだけだろう。
それなら、多少なりとも報告を聞いた方が幾分かは有意義だろう。一未満の有意義さでも、零よりはマシである。
「失礼します」
入ってきたのは、意外にも共修騎士ではなく学術騎士であった。
名前は覚えていないが、顔は覚えている。
他の学術騎士よりも一歩以上劣る頭脳の持ち主であるが、どれだけ邪険に扱おうとも自分を慕ってくる若き騎士だ。無能ではあるが、使い道は色々ありそうな奴である。
「報告とは何だ?」
「赤のカンテラについてです」
「ほう」
団長は思わず目を細めた。
「自分の勘違いの可能性もありますが、それらしき物を町中で見かけました」
「勘違いでも構わん。朗報なのは確かだ」
結果として違ったのであれば、また別の物を探せばいいのだ。今は少しでもそれらしい物を探したいと思ってたところだ。
「して、どこにあった?」
「はい」
声を潜めるように、彼は一歩踏み出し、身体を縮める。
「その……護衛隊のシャンテリーゼ隊長に聞かれると、些か口うるさそうなので、小声で失礼します」
「うむ」
町中にあるとなれば、無断で借りるだけだ。
だからこそ、あの女に聞かれれば、口うるさいのは間違いない。
その配慮は正しい。この若騎士、学術に関しては凡夫以下かもしれないが、自分の手駒としてはかなり優秀かもしれなかった。
「先ほど、シャンテリーゼ隊長に声を掛けられた者達で、街で評判の酒場へと行ってきたのですが」
店の名前は『孔雀の冠亭』というらしい。
「そこのカウンターの奥に掛けられていたカンテラの一つが、不枯の赤バラのカンテラでした。デザインも、遺跡の謎掛け広間にあった物と似ていましたので、もしかしたらと思いまして」
「良く報告してくれた」
それが本物であるか良く似た別の物であるかは、鍵として使ってみて試せばいい。
「店の場所と、カンテラが店のどこにあるかは把握してるか?」
「はい」
力強くうなずく彼に、団長は口元を歪める。
「この件は、他の者には言うなよ?
それが出来るというのであれば……明日――少し協力して欲しいのコトがあるのだがな?」
「自分でよろしければ」
「うむ――それと、すまぬな。貴様の名前はなんだったか」
「シニアーティス・リモニウスと申します」
学士としての、あるいは騎士として――そんな地位よりも、自分に覚えを良くしてもらおうと媚びを売ってくる阿呆は多い。
戦学共修騎士団始まって以来の天才騎士――そんな肩書き、足手まといが集まってくるだけの下らぬ評価だ。だが、誘蛾の如く集まってくるクズ共は、それなりに利用価値はある。
皇王族――そんな血筋など、自分にとっては邪魔なものではあるが、利用できるのだからさせてもらうだけだ。
馬鹿には馬鹿なりの使い道がある。
自分は『赤い愚者』とは違う。利用できる物は全て利用し、干からびるまでその使い道を吸い尽くし、その果てに切り捨てる。
高貴なる血筋に生まれた天才に利用されるのだから、馬鹿達だって本望であろう。その為にすり寄ってきているのだろうから。
「では、シニアーティス。詳細は明日話す。そうだな……明日、光精ブバルディアの刻丁度に、この部屋へ来い」
「はッ! 了解しましたッ!」
利用された結果、大怪我をしようが命を落とそうが知ったことではない。
そんなもの、こちらの提案や命令を素直に受け入れた阿呆の自業自得なのだから――
♪
結局、カルーアを追うように二人もお風呂を上がることにした。
着替えに袖を通しながら、ユノが周囲を見渡すと、脱衣場の隅にあるベンチにカルーアが腰掛けていた。
赤くなった顔を冷ますように手でパタパタと仰いでいる。
ユノは着替えを終えると、作業着兼普段着使いの改造ローブを手にとって小脇に抱えながら、カルーアの元へと向かう。
「本気で調子悪いようなら、店まで送ってくわよ」
「ありがとう。でも平気よ。ほんと、何でもないから」
「そう? ならいいけど」
肩を竦めて、ユノはカルーアの横へと腰を掛ける。
その時、抱えているローブのポケットから、何かが落ちた。
「ユノちゃん。何か落としたわよ?」
「ん?」
言われて、ユノは床に落ちたその紙切れを手に取る。
「何だっけ、これ……」
しばし逡巡し――ユノは手を打つ。
「ああッ! 色々あって忘れてたわ」
それが今朝の大花時計メンテナンス中に見つけた、師匠の手書きメモであることを思い出した。
「なんか、走り書きっぽい」
どこか急いで書き残した感じのするメモだ。
それをわざわざ師匠やユノしか見ないだろう場所に遺した理由というのは――
「ユノ? 何そのメモ」
着替えを終えたユズリハもやってくる。
「ん、師匠の遺したメモっぽいんだけどね」
そうして、横からのぞき込んでくるユズリハとカルーアと共に、ユノはそのメモに目を通した。
天高く昇りて、その刻を知らせる語り部。
誰がどこに居てもその姿を見せつけ、
誰がどこに居てもその姿を見下ろす、
その姿はまさに、天空と刻の支配者のごとく。
刻の支配者を管理する者は、
常に濡れし乙女の膝元、
枯れた王者と共にあり。
支配者を守護してみせるは、六つの花。
扉の位置に正しき花を捧げてみせよ。
支配者を管理するは、六つの刻。
そのうち一つ。赤き刻こそ鍵とする。
全ての刻が揃いしその日、
支配者はありし姿を取り戻さん。
「ユノのお師匠様って、詩人でもあったの?」
ユズリハの言葉に首を振って、頭からメモを読み直す。
「所々に筆を躊躇った後があるし、文字を書き直してる場所もある……古文書かなにかの翻訳……?」
「刻の支配者って、大花時計のコトかしら?」
眉を顰めながら頭を捻るユノの横で、カルーアが呟く。
「たぶんね。だから師匠も、時計の内部にメモを……」
カルーアにうなずいている途中で、ユノは言葉を止めた。その脳内で、急速に仮説が組立てられていく。
「ユノ?」
「ユノちゃん?」
急に黙り込み、表情を険しくするユノに、二人が心配そうに声を掛けてくる。
今すぐに飛び出して行きたい衝動をグッとこらえて、ユズリハに向き直った。
「明日……また『濡れ沈む遺口』に行くわ」
元々決まっていたことだが、改めて口にする。
ユズリハに告げるのではなく、自分に言い聞かせるように。
まだ仮説だ。確証がとれたわけではない。だから落ち着けと、胸中で自分を宥めながら。
「フル装備で準備しておきなさい。あんたの戦闘能力アテにするコトになりそうだから」
冷静になる時間が必要だ。興奮と苛立ちが混ぜこぜになっている今の感情で飛び出しても、何の得にもなりはしない。
「ユノ?」
手早くメモをたたんでポケットへと入れる。
「人の耳が多いココじゃ、仮説すら口にしづらいわ。
そもそも、誰かの耳に入れる気もないんだけどね」
それは実質、二人に対する牽制だった。
頼むから、深くツッコミを入れてくるな――と言う意味の……。
翌日――
「お昼食べてから?」
「ええ。腹は減っては……って言うしね」
いつもの時間に工房を閉めて、向かう先はカルーアの父が経営している酒場『孔雀の冠亭』だ。
そこへ向かう為に、二人が歩いているのは、職人街の中心通りガーベラストリート。
「やっぱ、グラジの騎士が多いねぇ」
歩きながら、周囲を見渡しユズリハが独りごちる。
どいつもこいつも、我が物顔で歩いているようで、気に入らない。
「イヤだよねぇ、なーんか威張って歩いてる感じ。
そう思わない? ユノもさ」
「思うわ。ここはあんたらのお膝元じゃないってーの」
面白くなさそうに口を尖らせるユズリハにユノがうなずいた。
「ジロジロ見てると因縁つけられるから気をつけなさいよ」
「そんなヘマはしないわよ」
実際、ユズリハはしないだろう。
彼女は見た目とは裏腹に非常に荒事に馴れている。
「ユノもさ、大丈夫だとは思うけど」
「気を付けはするけどさ」
相づちを打って肩を竦める。
それから、出掛ける前にユズリハが整えてくれた自分の栗色の髪に触れた。
「あたし達が気にしてなくてもさぁ……」
「ああ――まぁねぇ……」
正直なところ、ユノは自分の容姿に興味は無い。だが、ユズリハに言わせれば美少女に分類されるらしい。
この髪だって、作業の邪魔にならないよう適当に短くしているだけだ。
それがこの半年、ユズリハが手入れをしてくれるようになった。そうしたら、その途端に自分のことを知らない街の外の人間からやたらと声を掛けられるようになってしまった。
「お前達」
「ほらきた」
ユノがうんざりとした様子でうめくと、横でユズリハが苦笑する。
声を掛けてきたのは、学術騎士団のエンブレム付きの剣を携えた男だ。
「騎士のお兄さん、何か用?」
ユズリハが、子供のような口調で訊ねる。
十三歳前後のような容姿を持つユズリハは、自分の容姿の使い方を心得ているのだろう。
「いや、その……なんだ」
上目使いで見上げられている騎士が、赤くなって視線を逸らす。その瞬間、ユズリハがチロリと舌なめずりしたのをユノは見逃さない。
「天然の黒髪がそんなに珍しい?」
「あ、ああ……そうだな」
確かにこの辺りでは非常に珍しい髪色である。
紺や紫のように黒に近い髪色を持つ者は少なからずいるが、ユズリハのように純粋な黒とも言える髪色は多くない。
「でも髪よりも、もっと見たい場所とかあるんじゃないの?」
しなを作り、紬の隙間から白い太腿をわざと見せつけるユズリハに、騎士がこっそりと唾を飲む。
その生唾を飲み込む様子を見て、ことさらに妖艶な気配を纏いながらも、無垢な笑みを浮かべて騎士の腕に抱きついてみせた。
無邪気に抱きついているように見えるが、その実、騎士の心に蛇のように絡みつくように、締め上げるように、自身の身体を騎士へと当てている。
それにだいぶやられているのだろう。かれはユズリハにかなり心奪われているようだ。
「…………」
その様子を見てユノは男の目的をだいたい把握した。
ユズリハの誘惑に目を回しているようだが、この騎士が誘惑される前に近づいてきた目的はだいたい理解した。
「人攫いなんて、表街でやるもんじゃないわよー」
「え?」
面倒くさそうにユノはそう告げて、彼の横をすり抜けた。
恐らく、幼く見目珍しいユズリハを誘拐して、どこかに売って金にでもするつもりだったのだろう。
騎士の肩書きが聞いて呆れる。
「あーあ、もう」
それにユズリハも嘆息する。
「それを理解した上でからかって遊ぶのが楽しいのに」
ほっぺたを膨らませながら、騎士からするりと身体を離してユノを追った。
惚けていた騎士は、すぐに正気を取り戻すと追いかけてくる。
「お前らッ!?」
「職務はどうしたのよ職務は」
顔を赤くして追いかけてくる騎士に、ユノは一瞥だけして冷たく言い放つ。
「戦学共修騎士団派遣隊ってのは、様々な学者と学術騎士、それから共修騎士と、その護衛騎士で構成された、世界でも類を見ない学問の為の派遣騎士団って話だけど?」
「実際は、滞在中に護衛騎士隊の目を盗んで街で犯罪やらかすだけ――看板倒れよねぇ」
それに乗るようにユズリハも冷めた視線を向けた。
「お前ら……ッ、調子に乗りやがって……ッ!!」
激昂する騎士は、その手を剣の柄に乗せる。
次の瞬間――
「……ッ!?」
その柄に、見慣れぬ形――菱形を細長くしたような形だ――の短刀が突き刺さった。
驚愕し、視線をユノ達へと向け直してくる。
「……ッッ!?」
その直後に、再び彼は目を見開いた。
ユズリハは柄に刺さった短刀と同じものを指の間に挟んで構えている。
そしてユノが左手の人差し指を向けていた。
「お、お前――花術師だったのか……」
さらにはこれ見よがしに、ユノは右手で左袖をまくる。手首と肘の間ぐらいまでを覆う、その指貫手袋には、細やかな花の刺繍がされている。
「いや、刺繍……じゃない……?」
「そうよ。これは霊花を特殊な方法で織り込んだ手袋。
それがどういう意味か……。学術騎士団に所属する貴方が理解出来ないとは言わせないわ」
これ以上アホな振る舞いはやめろ。
その警告を兼ねて、人差し指に光を灯す。
「待て。撃つな」
「撃つかどうかはあたしの気分」
ユノがそう脅すと、何を思ったのか騎士は周囲に助けを求め始めた。
こいつは、どこまで騎士という存在を乏しめるつもりなのだろうか。あるいは、自信の行動が乏し目ていることになると考えていないのか。
どちらであれ、ユノには関係の無いことだ。
「だ、誰か……ッ!
花術師の小娘がッ、いきなり俺に花術を……ッ!」
そして町民達にも、彼の今後の人生なんて無関係なのだろう。
彼の必死な主張を完全に無視した。
それもそのはずだ。
表街の住人であろうと、裏街の住人であろうと、カイム・アウルーラでは、フルール・ユニック工房の二代目主人と、そこの居候の名前は有名だ。
ましてやここは職人街。ユノとユズリハのことをよく知っている者たちが多い地区。
状況が理解出来なくとも、この現場を見て騎士に加勢しようという物好きな住民はいない。
「始まりは、光が弾ける陽光の里」
「残念でした」
そう言いながら投げキスをするユズリハ。
続けて、
「重ねず一つ、其は浮き漂う小さき妖精」
ユノが投げやりに花銘を告げると、指先から光弾を解き放つ。
「う、うわぁぁぁぁぁッ!?」
思わず彼は自分の身体を守るように丸めた。
だが、何も起こらない。
「……?」
恐る恐る腕の隙間から、様子を伺う。
「……これは……」
そこには、白く小さな熱のない炎が、ふよふよと宙を漂っているだけだ。
「あ、灯りを作る、術……?」
暗闇を照らす、無害な光炎。
本来はカンテラやロウソクの代用として使う花術。
「あ、あいつらぁぁぁぁぁぁッッ!!」
ユノとユズリハだけでなく、彼の周囲からは野次馬すら消えている。
「クッソォォォォォォッ!」
怒り任せにすぐ横にある店の壁を蹴る。すると、その店の店主が顔を出す。
「なんだ? 文句あるのかッ!?」
顔を出したのは筋骨隆々の店主。
そんな店主に、彼は八つ当たり気味に睨みつける。
自分はグラジの騎士だ。分かっているのかと威圧するように。
すると、店主は――グラジの騎士如きにビビっていたら仕事にならないとばかりに、にらみ返すと――
「あるに決まってんだろうがッ!」
野太い声でそう叫び、丸太のような腕で彼を思いきりぶん殴るのだった。
孔雀の冠亭は昼前くらいにお店を開けて、ランチもやっている。
夜も賑わうお店だが、昼は昼でランチメニューを求めて結構な人が集まってくる有名店である。
ピークタイムを過ぎて、カルーアが休憩に入る少し前くらいが、ユノたちがよく顔を出す時間帯だった。
「おう。二代目にユズ嬢。いらっしゃい」
店に入ってきた二人に気付いて、マスターが声を掛けてくる。
「日替わりランチ二つねー」
「あいよ」
入り口を潜った正面にあるカウンター席。そこがユノとユズリハの指定席だ。元々は、ユノと師匠の指定席でもあった。
「何か、昨日――騎士相手にハデにやらかしたんだって?」
「別に騎士相手ってワケじゃないんだけど……」
昨日の出来事をとりあえず、簡潔にマスターに話してみた。
すると――
「がははははははっ!」
山賊や海賊のボスを思わせる風体のマスターが豪快に爆笑する。
「もぅ……そんな笑わなくてもいいじゃない」
「いやぁ、すまんすまん」
眦に滲んだ涙を拭いながら、マスターが詫びる。
「しかし、騎士の目を交い潜って遺跡に突入した挙げ句、遺跡の防衛機構と鬼ごっことは、ハデ好きなのは師匠譲りか?」
「いや別にそんなつもりないけど」
ほっぺたを膨らませるユノ。
そこへ、カルーアがランチセットを持ってくる。
「笑いすぎよ、とーさん」
「いいじゃねぇか。客から楽しい冒険譚を聞くのも酒場の店主の嗜みってなモンよ」
厨房から出てきた娘のカルーアにも怒られるが、マスターは気にした様子はない。
「まったくもう」
父の様子に苦笑しながら、カルーアは二人の前にランチセットを置いた。
「むぅ」
そんなカルーアが、ふんわりとした長い髪を揺らすのをじーっと見つめながら、ユズリハが呻く。
「ユズちゃん?」
「何度見ても、たゆんたゆんで、ばいーんで、ぼいーんで……」
「相変わらずどこ見てるのよ」
照れるのでもなく赤くなるでもなく。呆れたような笑みを浮かべる。
「昨日、しっかりと触れなかったのが残念」
「昨日のコトは思い出すと恥ずかしいから勘弁して」
「意外とウブで可愛かったよ?」
「ユズちゃん」
笑顔で顔をヒクつかせている。
さすがに、これ以上はまずいと判断したのだろう。
ユズリハは頭を掻いた。
「ええっと、ごめんね」
「もう」
それで、とりあえず昨晩の件はお流れということらしい。
「なぁ二代目。前も聞いた気がするがユズ嬢ちゃんって大丈夫なのか、色々と」
そんなやりとりを横で見ながら、マスターが訊ねてくる。
「さぁ? それより、前も言った気がするけど娘へのセクハラは咎めないの?」
「その辺の空気読めないバカ騎士がやるなら咎めるさ」
「まだ被害はないらしいわね」
「まぁな。だが、来るな――とは思うよ。護衛騎士の嬢ちゃんたちならともかく、な」
肩を竦めるマスターに、ユノも竦め返してみせた。
そうは言っても客商売だ。来たら来たで相手にしないといけないのだから、大変だ。
「なにはともあれ、いただきます」
そう言って手を合わせてから、ランチセットのハンバーグにナイフを入れた時――
「横、いいか?」
「ええ、どうぞ」
そう男に声を掛けられて、ユノがうなずいた。
「……って、カーネイリさん」
「よう。昨日は災難だったな」
「あのおっさんのコト? それならカーネイリさんが何とかしてくれたから問題なしよ」
そう肩を竦めてから、ユノはカーネイリに訊ねる。
「カーネイリさんもランチ?」
「いや。少しばかり夜通しの仕事をしてた。これから寝るんだが、その前に酒を飲みたくてな」
「そ。何を飲むつもり?」
「そうだな。今日は、麦酒の気分だが――」
「じゃあマスター。一杯目は私にツケといて」
そう告げると、マスターはうなずきながら、笑う。
「珍しいな、二代目」
「昨日のお礼よ。カーネイリさんとの貸し借りは早めに解決しておかないと、厄介事の種になりそうだしね」
「正解だ姫。俺はそういう男だからな」
そう笑いながらも、カーネイリはユノに礼を告げて、マスターからジョッキを受け取った。
「ありがたく、頂くぞ姫」
「ええ、どうぞ」
涼しい顔でそう答える。だが胸の裡にある顔は真っ赤に染まっていた。そもそもお礼を言葉や態度で示すのが苦手なのだ。
ユズリハやカルーアになら、それでもがんばって言葉にしようと思う。だが、彼女達くらいまでの仲でもないと、多少見知った相手にすら、ユノ的にこれが精一杯のお礼となる。
「そういえば、ユズリハ嬢は――姫の助手をしていたんだったか」
ジョッキを半分くらいまで一気に煽ってから、カーネイリはそんなことを訊ねてきた。
「そうそう。ユノの共同経営者やってるんですよ」
「共同経営者じゃなくて居候だからアンタ」
うなずくユズリハに、ユノは即座にツッコミを入れる。
「いいじゃん。お仕事手伝ってあげてるんだし」
「じゃあもうちょっと仕事覚えなさいよ」
「即席花術弾以外、ややこしいんだもん」
「技術じゃなくて書類仕事の方ッ! 即花弾はうちじゃ取り扱わないでしょう」
「取り扱おう。是非に取り扱いましょう。いいわよ即席花術弾」
「使い捨ての花導具なんて、材料がもったいないわ」
「その起動した一瞬の為に様々な工夫を凝らすの。その美学が分からないの?」
「その美学は分からなくはないけど、勿体無いじゃない! どんな芸術じみた逸品でも使ったら壊れちゃうのよ?」
「そこがいいの。形あるものはいずれ壊れるんだから派手に壊れるのに意味があるのッ! それに昨日……森の中で作ってたよね?」
「昨日のはそれこそ即席投げやりの一品なのでノーカウント」
「ノーカウントってなにッ!? ユノが作ったっていうだけで私的にはすごい価値ある一品だったんだけどッ!」
なにやらエキサイトしていく、ユノとユズリハ。
そんな二人を見ながら、カルーアが苦笑した。
「ユズちゃんも、意外とユノちゃんのコト言えないわね」
「即席花術弾愛好家かよ」
グラスを拭きながら、マスターは嘆息する。
「あ、そーだ」
手にしていたグラスを拭き終わったマスターがポンと手を打った。
「お姫様達、楽しそうにケンカしてるところ悪いんだけどさ」
「楽しそうッ!?」
「どこがッ!?」
両方から睨みつけられる。
「おー……こわ」
それにマスターは大げさに驚く。
横でカーネイリが喉を鳴らして笑っている。
「二代目にカンテラのメンテ頼みたいんだが、近々の予定は空きそうか?」
「あ、そうだ。それよそれ」
マスターの問いに、ユノはふーっと気持ちを切り替えるように息を吐く。
「返せるかどうかわからないんだけど、そのカンテラ借りたいんだけど……」
「おいおい。返せるかどうか分からねぇってどういうこった?」
訝しそうに眉を潜めるマスター。それとは裏腹に、ユズリハが何かに気づいたかのように、カウンター奥の壁に掛けられたカンテラに視線を向けた。
「ユノ、もしかしてあのカンテラって――」
しかし、ユズリハの言葉は、店の入り口が乱暴に開く音で遮られた。
「大変だマスターッ!
……って、二代目にミスタ・ショーンズ! 丁度良いところにッ!」
慌てて酒場に飛び込んできた男が、こちらを見つけなり、駆け寄ってくる。
「あん? どうしたんだよお前。そんなに慌てて」
「大花時計の前で騎士同士が口論してるんだが、一触即発って感じでさ。しかもその口論してる片方は時計を壊すとか何とかでッ!」
流石にそれには、ユノもユズリハもカーネイリも、さらにはマスターとカルーアまでもが顔を見合わせる。
「おい、姫達。代金はツケでいいから、ちと見に行って来い。カンテラの話はまた後だ」
それに二人はうなずくと、慌てて席を立つ。
「俺も行こう」
カーネイリはマスターへ、視線でツケておいてくれと告げる。
マスターがそれにうなずくのを確認してから、カーネイリも席を立った。
懸念事項の発芽が開始。これから先、しばらくドタバタが続きます。
次回は、発芽した種が芽吹きはじめます。