仲間 3話
目の前のモノは、『小夜時雨』で斬り捨てた。
人を斬った手ごたえはあったが、倒れる前にそれはあっさりと消え失せ、闇だけが残った。
浄化の時とは異なり、刀から光の気の広がりが無い。
魔族の変身ではなく、幻術であったようだ。
周囲を見渡す。
闇しか見えぬ。
瘴気を吸いこみたくなかったので、既に護符で結界は張った。
我は胸元から魔法道具を取り出した。掌サイズの鏡のような平らな水晶。互いの現在地を知れる魔法道具だ。それ自体が魔法の輝きを帯びているので、闇の中でもはっきりと見える。
全員、近くに居るようだ。しかし、闇ばかりしか見えず、忍の目でも人の姿が捉えられない。
はぐれた場合はその場を動くなと、カルヴェル様から命じられていた。
したが、我の前に現れたあの幻――あのような類のモノが全員の前に現れているのだとしたら……危険かもしれん。
殊に……アジャン。
あれが魔と結びつき暴走を始めたら、やっかいだ。
ケルティの二の舞はご免じゃ。
我は魔法道具をよう見た。
アジャンの位置は、最も遠い。
最も近い味方は……
む!
セレス様!
うむぅ……
異空間の距離感は見た目通りではない。アジャンの元へ行きつく前に、次元通路につっこみ別の場所に飛ばされてしまうやもしれん。
まずは身近な者と接触をはかる!
それが上策。
間に合わず、アレが魔に堕したとて構うものか。セレス様の『勇者の剣』の浄化の光で斬っていただけばよいこと。
まずは、セレス様から♪
セレス様がいらっしゃるはずの場所に近づくと、白い光が見えた。
かなり近寄らねば、光は見えぬ。闇に吸収されてしまうようだ。
魔法道具がなければ、永久に仲間の位置はつかめなかったやもしれぬ。
我は光の中のセレス様を見つめ……
硬直した。
こっ……こっ、こぉ、こっ、これ、は……
凄すぎる……
侯爵家の広間だ。壁に歴代勇者の絵が飾られている。
そこにいるのは、幼児と大人。
右手に持ったハタキを振りまわし、左手に盾代わりのナベのフタを持って、幼児が大人に挑みかかっている。相手をしている男もハタキを持っていた。
幼児が走る度に、金の髪が揺れ、短めのドレスの裾がふんわりと広がる。ふっくらとした頬を真っ赤に染め、サファイアの瞳で対戦相手を凛々しく睨み、かわいらしい口から『えい! えい!』と掛声が漏れている……
いかん……
幼児愛好の趣味は無いと思うておったのだが……
犯罪的におかわいらしい……
あの美幼児は、おそらく、絶対、間違いなく、セレス様……
幻術にはまり、幻術に陥っている姿が、第三者にも見えるとは……
素晴らしい術じゃ!
おそらく、この白い光の中に入ったからじゃな、セレス様のご覧になられている世界に入りこめたのは。
だが、我が存在はあくまで異分子。そこには居ない者だ。セレス様も対戦相手も互いを目に映すのみで、我など気にもとめない。
しかし……
あのぷよぷよ、ほわほわ、ふわふわしたお子様がセレス様とは……
あああああああ、胸がたかまって……
くぅぅぅ……苦しい。
心の臓がはちきれそうじゃ……
悶絶する事、数十秒……
このままチャンバラごっこをなさるセレス様を見続けたい!
とも思うのだが、そうもいくまいて。
幻術が解ければあの愛らしいセレス様は消えてしまわれる。
それは、非常に残念ではある。が、代わりに、誇り高き真の女王様が復活なさるのだ。悲しむ事ばかりではない。
惜しいが、幻術を解くか……
セレス様の相手をしている男は、白髪混じりの金の髪の男。頬がげっそりとそげているが、目つきは鋭く、口元に浮かぶ笑みも肉食獣のように不敵なもの。
誰かはすぐに察しがいった。
鼻から右頬にかけて大きな刀傷がある。
勇者ランツの晩年の姿だ。腎臓の病で亡くなる寸前の。ガウンをまとう体も、ひどく痩せている。
カルヴェル様と共に世界各地の歓楽街で伝説を残された趣味人……晩年は、このような顔だったのかと思う。
そこの壁にある若かりし頃の肖像画に比べると、何とも頼りない姿だが……
お転婆な孫娘を相手にチャンバラごっこをする顔は、幸せそうだった。
まずは護符の結界を解き、周囲と接触が可能な状態とする。
その上で、ランツの背後に回り……
その背に『小夜時雨』を振り下ろした。
血飛沫をあげて倒れ、勇者ランツの幻が消え失せる。
「きゃぁぁぁぁ!」
幼児の姿のセレス様が悲鳴をあげる。
ランツの姿が完全に消えた後、その目は我を見つめた。
我が見えているのか。
この世界に干渉した事で、ようやく認識していただけたようだ。
茫然とした顔を我に向けておられる。
「おまえが……?」
目に涙を浮かべ、幼いセレス様が我を睨む。
「よくも……おじい様を……」
セレス様のお顔もお身体も徐々に変化し、左手の鍋のフタは消え、右手のハタキが巨大な大剣となる。身にまとっているのも白銀の鎧だ。
常の姿にお戻りだ。
セレス様のお美しい瞳が、憎しみのままに我をみすえる。
「おじい様の仇!」
『勇者の剣』は『小夜時雨』で受け止めた。
セレス様は涙を流しながら憎き仇を斬ろうと、剣を押してくる。
「セレス様! ジライにございます!」
「黙れ! 賊が!」
我が声が耳に届いてはおるようだが、我が誰かわかっておられぬ。
幻術が解けておらぬ。
周囲は、エウロペの侯爵家ではなくなったが、白い光に包まれた珍奇な空間のまま……セレス様はまだ幻術に惑っておられるのだ。
我を敵じゃと思いこんでいる。
自分が、今、何故、ここに居るのかも忘れているのだろう。
「さきほど斬ったのは、おじい様の幻にございます。勇者ランツ様はセレス様が三つの折に、病で亡くなられております。あれは幻でした」
「うるさい! 黙れ!」
話を聞く耳などなさそうだ。
祖父の仇である我を殺す事しか、頭に無い。
じりじりと『小夜時雨』が、押されてゆく。
以前、敵として戦った時とは、明らかに力量が違う。『勇者の剣』より凄まじい圧力を感じる。
まともに立ち合っても勝てまい。
瞬時に体をぎりぎりまで低くし、横転し、その場を離れる。
体術で距離をとってみた。
だが、駄目だ。周囲の白い光は、セレス様の動きに合わせついてくる。セレス様を中心にかけられた術なのだろう。
我の時は幻を斬った事で、周囲の白い光も消え失せた。しかし、セレス様の周囲から白い光は消えぬ。セレス様は幻術に囚われたままだ。
勇者ランツは幻なのだと、セレス様にわかっていただかねばいけなかったのだろうか?
とはいえ、もう斬ってしまった。今更、甦らせる事はできぬ。
ならば……
別の形で幻術に惑っておられる事をわかっていただくしかない。
逃げるのをやめ、逆にセレス様へと近寄る。
『勇者の剣』を振りかざし、セレス様が駆け寄って来る。
岩をも礫に砕く『勇者の剣』。
地上最強の攻撃力を誇る刃が、我へと振り下ろされる。
頭より真っ二つはマズい。体を右へと僅かに動かし、左肩でセレス様の刃を受ける事とする。
「え?」
セレス様が大きく目を見開く。
血を流し倒れたものを目にしてようやく……
誰を相手にしていたか気づかれたのだ。
「ジライ!」
心にある思いは、セレス様に正気に戻っていただきたいと願う気持ち。
他の仲間も同じ幻に囚われているであろう予想。
従者仲間は、皆、セレス様の助けを待っているのだと強く訴える。
「私……私……」
セレス様が倒れているものをご覧になる。
大量に流れ出ている血、落された左腕、ぴくぴくと力なく痙攣している体。
即死こそ免れても、致命傷である事は誰の目にも明らか。
「いやぁぁぁ! ジライ! 返事をして!」
「はい」
ご命令なので、返事をする。
倒れたものに抱きつこうとしていたセレス様が、びくっ! と体を揺らし、肩越しに振り返り、我のいる方角を見つめられる。
そのお顔は涙に濡れていた。
「ジライ……?」
「はい」
けげんそうに我を見てから、足元に倒れているものに視線を戻し、それから我の方へとセレス様は向き直った。ぷるぷると体を震わせながら。
「幻術……?」
「はい」
我は頷きを返し、セレス様の足元にあった我が幻を消し去った。
それと同時に、セレス様の周囲にまとわりついていた白い光が消え失せる。
セレス様が正気に戻られたので、敵の幻術の効果が切れたのだ。
こうとなっては、闇が広がるばかり。
セレス様のお目では、我の姿はもはや捉えられまい。
「斬られる瞬間、幻を残し、体術で逃げました」
「私……あなたを斬ってしまったかと思ったわ……」
「斬られたと思いこみましたゆえ」
お目に映らぬであろうとはわかっていたが、頭を下げた。
「『勇者の剣』に無限の守護の力を発揮されては、我のちゃちな幻術など見破られてしまいます。それ故、斬られたと思いこみました。周囲の強い思いと共感なさるセレス様の共感能力は、私の心を感じ取ってくださいました。仲間が危機と知ればお優しいセレス様のこと、必ずやお心を取り戻されると信じておりました」
「私……あなたを斬ったと思ったのよ……」
怒りのあまりか、お声が震えている。
我は更に低く頭を下げた。
「申し訳ございませぬ。他にセレス様を正気に戻す手立てが思い浮かびませなんだゆえ」
「馬鹿!」
セレス様が、我に体をぶつけてこられる。
そして、剣を持たぬ左手を我が背へと回される。
「馬鹿ぁ! 謝らないでちょうだい! 謝るのは私じゃない!」
セレス様が我にしっかりと抱きつかれる。
「ごめんなさい、ジライ、許して……」
許すも何も……
「あなたが無事で本当に良かったわ……」
セレス様に抱きつかれるなど……
役得だ。
覆面の下の頬が緩んでしまう……
二人を包みこむ形で結界を張った。長く瘴気を吸って、セレス様が肺を痛められては大事じゃ。
「私もセレス様が己を取り戻してくださり、嬉しく思います」
我が背をぎゅっと抱きしめられてから、セレス様は体を少し離された。
「皆、同じような幻に囚われているのね?」
「おそらく……」
「急ぎましょう」
セレス様もナーダより渡された魔法道具を取り出される。魔法道具そのものが持つ淡い光が、セレス様をも照らす。ここより最も近い位置に居るのはシャオロンじゃ。
魔法道具を頼りに先を進もうとするセレス様。気がはやっておられるのだろう。視界のきかぬ闇の中を大股で進まれる。
セレス様が結界外に出ないよう、急ぎ後を追った。
「幻だって、わかってたのよ、私も……」
シャオロンの元へと進みながら、セレス様がおっしゃる。
「おじい様の幻を見せて、魔が私を誘惑しているんだってわかってた。おじい様を斬って幻から抜け出ようとしたんだけど……駄目だったの。斬ろうとすると、体がまったく動かなくなっちゃって。それで、そのうち、段々……幻に囚われていったのよ」
セレス様がふぅと溜息をつかれる。
「正直に言うと……すごく楽しかったし、幸せだったわ。あなたが来てくれなければ、ずっとあの幻に囚われていたと思う。ありがとう、ジライ……」
「いいえ。従者としての役目を果たしたのみです。お気になさる事はありませぬ」
「あなた、どうやって幻術から抜け出たの?」
「幻を斬って」
「斬ることができたの……? あなたの前にも、あなたの大事な人が現れたんでしょ?」
「剣の師匠の幻が現れました」
セレス様が足を止められ、肩越しに我の方を向かれる。
「どんな方?」
「私めを手元に引き取り、剣ばかりではなく生き方を教えてくださった方です」
「良い先生だったのね……」
「はい、素晴らしき方にございました。心よりお慕いしておりました」
セレス様が悲しそうに顔をしかめられる。
「ごめんなさい……」
む?
「又、あなたに大切な人を斬らせてしまったのね……」
悔しそうともとれる声でそうおっしゃってから、セレス様が顔を前方に戻される。
「もう迷わないわ。必ず、私があなた達を守るわ」
決意をこめて、そうおっしゃると、セレス様は闇の中を進んでいかれる。
我に対し何を謝られたのかがわからない。
時々、セレス様が何をお考えなのかわからなくなる。
しかし……
我を気遣い、我の為に御心を痛めておられるのはわかる。
そのおやさしい心を嬉しく思いながら、セレス様の後をついて闇を進んだ。