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女勇者セレス 作者:松宮星

剣と仲間と

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龍神湖の試練 1話

「最初は寝込みを襲って………」
「次は脱衣所………」
「それから、厠で………」
「で、今度は露天風呂の女湯なんですか………?」
 赤毛の戦士アジャンと武闘僧ナーダは、苦々しい表情で顔を見合わせた。
「………セレスは?」
 と、ナーダが尋ねると、アジャンは溜息をついた。
「無事だ。怪我一つない。だが、シャオロンが………」
「シャオロン?負傷したのですか?」
「いや、湯あたりというか………色あたりだな。鼻血ふいてぶっ倒れた。今、セレスが介抱している」
「踏み込んだんですか、女湯に………?」
「セレスが暗殺者に襲われたんだ、護衛役として踏み込まんわけにもいかんだろう」
 二人は顔をつきあわせ、大きなため息をついた。
「暗殺者、四回とも同じ奴なんでしょ?」
「らしい。毎回、仕掛ける前に名乗るらしい」
「忍者のくせに、名を名乗るなんてねえ」
「『ジライ』という名だそうだ」
「あなたは一度、その忍者と対決してるんでしょ?どんな奴なんです?」
「わからん。あっという間に逃げちまったし、俺は目潰しで目をやられてたからな。逃げっぷりは見事だったが………ただ」
「ただ?」
「『セレスより弱い』という事はないと思う」
「あなたの勘はアテになりますものねえ」
 武闘僧は顎の下に手をあてて首をひねった。
「………愉快犯なのでは?」
「愉快犯?」
「つまり、本当は暗殺する気がなく、勇者一行をひっかき回して、我々が右往左往する様をほくそ笑んで眺めているのではないかと」
「何のために?」
「さあ?」
「だが、今、敵が本気ではないってのは正解だな。セレス一人っきりの時を狙えるんだ、毒でも爆薬でも何でもいいが、その場で名乗りをあげずに致死性の高い攻撃をすりゃ決着(ケリ)はつく。なんで、ちょっかい出しちゃ逃げるを繰り返してるんだろう?」
「もうすぐ人里を離れるというのに、暗殺者がついて来てるだなんて、本当、厄介ですよねえ」


 勇者一行と同じ宿屋に、暗殺者は宿泊していた。
 先天性白皮症、いわゆる白子として生まれ、里一の暗殺技術を誇る『白き狂い獅子』の異名を持つ忍者………ジライ。
 彼は今、黒の束髪のカツラをつけ、染め粉でジャポネ人と同じ色に肌を染め、サムライ(ジャポネの剣士)に変装していた。一見、壁に向かって座禅を組んでいるようなのだが………実は内側からこみ上がってくる、えもいわれぬ歓喜に酔いしれ陶酔しているのだ。
(あああああぁ………鞭も嗜むとは………さすがは女勇者)
 今までもジライが襲撃する度に、女勇者は、拳、蹴り、投げ、小剣で反撃してくれたのだが………先ほど、露天風呂でくつろいでいる所を襲った時には、近くの桶に手ぬぐい(バスタオル)をかけて隠しておいた乗馬用の鞭を武器としたのだ。処女らしい恥じらいから手ぬぐい(バスタオル)で裸体を隠し、ジライに容赦なく鞭を振るったのだった。
 SMの館の人間用の鞭と違って、乗馬鞭は人間の肌には過酷なものだ。皮膚が裂け、血が滲む。女勇者の鞭は痺れるほどに甘美で、『大魔王の使徒』と侮蔑をこめて罵る声は天上の音楽のようであった。シャオロンという小僧が女湯に踏み込むまで、ジライは被虐の悦びに浸りきっていた。
(ほんに、あのお方こそ真の女王様じゃ………殺さねばならぬのが、まことに惜しい)
 忍者である以上、上役の命令には逆らえない。女勇者はいずれは殺す。だが、暗殺期限ぎりぎりまでは生かしておいて、たっぷりと遊ぼう♪と、ジライは心を決めていた。わざと姿を見せ、わざと攻撃を外し、女王様(女勇者)にいたぶってもらうのだ。
「ジライ!」
 襖をがらりと開けて、武家娘が入って来る。結い上げた黒髪はつややかで、茜色の小袖がよく似合う美形だ。
「その名を大声で呼ぶな、アスカ」
 ジライは振り返り、横目で女を睨んだ。
 しかし、女―――くノ一アスカは気にした様子もなく襖を閉めると、サムライに変装している仲間を睨み返した。
「二つ話があるの」
「仕事の話を先にしろ」
 アスカは、ムッと美しい顔をしかめた。
「お父様に聞いてきたわ。女勇者暗殺の期限は、来年の一月末だそうよ」
「ほほう。では、まだ三カ月もあるのか♪」
「さっさと女勇者を始末しろって、お父様、お(かんむり)だったわ」
「待たせておけ。(かしら)には、勇者の従者に手こずっておるとでも伝えておけばよい」
「でも………」
「前にも言うたであろう、アスカ。雑魚など倒してもつまらぬだけだ。世の者どもの希望を木端微塵に打ち砕くほどむごたらしくもみじめな形でその死骸を辱めてこそ、『白き狂い獅子』の名は高まる。女勇者の評判がもう少し高まるのを待ってから、仕事にかかる」
「それまで、お父様は待ってくれないわよ」
 アスカはべったりとジライに寄り添った。艶っぽい美女に甘えられても、サムライ姿の男はまったく喜ばず、むしろ不機嫌そうな顔となった。
「今日は抱かんぞ。染め粉を塗り直すのが面倒じゃ」
「んもう!意地悪!」
「まともな肌の色に生まれたおまえにはわからぬ苦労だ。(われ)は人中に交わる時は、染め粉で肌を染め、カツラを被り続けねばならぬ。夏は蒸れて殊につらい。異形が人里に潜むは苦行ぞ」
「………その苦行、もっとひどい苦行になるわよ」
「む?」
「お父様からの伝言、『一刻も早く女勇者を討て。部下のダイダラを送る。二人にても果たせぬのなら、好きなだけ部下を呼び寄せよ』ですって」
「ダイダラじゃと!」
 ジライは額に手をあて、頭を左右に振った。
「よりにもよってダイダラ………か。アレは人中では(われ)よりも目立つ。しかも、頭は鼻たれ小僧なみ………アレを連れていては隠密活動などできぬ」
「さっさと仕事をしろって事でしょ?遊んでないで、ダイダラが着く前に仕事を終わらせればいいんだわ!ダイダラ、あさってには、あなたと合流するんですって!」
「何を怒っておる、アスカ?」
「………あたしが話したかったことの二つ目」
 まなじりをつりあげ、キッ!とアスカはジライを睨んだ。
「なんで、あなたの部下の筆頭にダイダラの名前があがったわけ?」
「………」
「あなた、部下、いっぱいいるじゃない!」
「アレを我に押しつけて、仕事せざるをえぬようにしたかったのじゃろう」
「お父様の意図はそうでしょうけど………ダイダラ、昔っから、あなたに、ものすご〜く懐いてるわよね?」
「まあな」
「あたしが今回の作戦の説明に行ったら、あいつ、あなたの名前を聞いただけで顔を真っ赤にしてもじもじしたんだけど?と〜ても、気色悪かったんだから!」
「………」
「………寝たでしょ、あいつと?」
 ジライはあさっての方向を見つめ、ぽつりとつぶやいた。
「半年以上前に、一度な」
「ジライ!」
 アスカはジライの襟をつかんだ。
「馬鹿馬鹿馬鹿!何で、あんな里一番の醜いバカと!」
「そう悪しざまに言うな。あれでも、あいつ義弟(おとうと)ぞ」
「男と犯りたかったら、相手を選んでよ!あなたに言い寄っている仲間には、もっとマシな男がいるでしょうに!」
「中途半端な造作の者など興味ないわ」
 ジライはフフンと笑った。
「ダイダラほど醜ければ、それは、それで、又、一興ぞ。あやつ、あのご面相に、あの図体、その上、阿呆で、口もきけぬときておる。遊郭に行っても、女に逃げられ気絶される。女をさらってきても舌を噛んで死なれる始末。我と寝るまで、あやつ、あわれにも童貞であった。尻を貸してやったら、感謝感激、涙にむせんでおった。あの顔は、なかなかかわいかったぞ。鳥肌が立つほどに、な」
 声をたてて笑うジライ。睨んでいたはずのアスカから、怒気が薄れゆく。
「どうして………?どうして、そんな事を………?」
「ああいう奴こそ情にもろい。ほんの少し情けをかけてやっただけで、アレはもう我が忠実な下僕よ。アレは醜い阿呆だが、里一番の怪力。味方につけて損はないわ」
「………」
 アスカの頬を、ぽろぽろと涙が伝わり落ちる。
 ジライは眉をしかめた。
「どうした?何故、泣く?」
「ジライ………あたしも、なの?」
「?」
「あたしと寝てくれるのも………味方につけて損が無いから?あたしがお父様のお気に入りだから………?利用する為にあたしを………?」
「たわけ」
 ジライはアスカを抱き寄せ、結い上げた緑なす黒髪に軽く口づけた。
「何度言えばわかる。おまえは他の者とは違う………我が宝じゃ」
「本当?本当ね?」
「うむ」
「だったら抱いて!ダイダラなんかと寝るぐらいなら、う〜んと、あたしをかわいがってよ!」
「おい、今日は」
「嫌!あたしが宝だって言うなら、証拠を見せて!」
 涙目で迫って来るアスカ。
 ジライは溜息をついた。
「変装を解くと、後が面倒なのだが………」
「だったら、指でいいわ!指でイかせて!」
「まったく………しょうのない奴め」
 迷惑そうにそう呟いてから、ジライはアスカの襟をはだけさせ、己の手を滑り込ませる。巧みに女体を愛撫しながら、しかし、ジライは他の事を考えていた。
(ダイダラのお()りをしながら、人里になど潜めぬ。と、なれば、気は進まんが、そろそろ女勇者を()るか。あやつら龍神湖に向かうと言うておった………あそこなれば、人目も気にせず戦える………ダイダラに従者どもを押さえさせ、女勇者と最後の遊びでもするか)
 もったいないがのうと、ジライは残念そうに息をついた。
(隠密活動に不向きゆえ外しておったアレも持っていくか。『勇者』として葬ってやる為に、の………)


 女勇者一行は馬を旅籠(宿屋)に預けて、霊山フジの麓に広がる樹海へと入って行った。案内人を雇わずに、だ。
 仲間(カナメは顔が割れたので、別のくノ一キクリを呼び寄せておいた)を案内人に化けさせて、勇者一行の情勢を探らせようと思っていたジライは当てが外れた。
 地元の者ですら迷い多くの遭難者・死者を出してきた樹海に案内人もつけずに足を踏み込むなど、自殺行為だ。けれども、勇者一行は最も安全な最短距離を通って、樹海の先の龍神湖を目指して進む。先頭に立つ赤毛の傭兵の行動に迷いはない。この辺に土地勘があるのだろう。
 キクリを監視役につけ、ジライはダイダラとの合流地点へと急いだ。


 勇者一行の先頭を行くのは、赤毛の傭兵アジャン。荷物入れとそれに固定した両手剣を背負った姿だ。
 彼には常人にはない勘の良さがあった。己が進むべき正しい道を無意識のうちに知っていて、安全な道を選んで、初めての道でも迷う事なく進める。この勘のおかげで傭兵は、戦場で遅れを取る事なく、砂漠越えでも飢えや渇きに苦しむ事がなく、今まで生きてこられたのだ。
 旅籠の主人からおおまかな地図をもらい、湖のほとりに龍を祭る無人の(やしろ)があると聞いただけで、アジャンは仲間を率いて樹海へ入って行った。己が勘に絶大な信頼を寄せているからこその行動だ。
 彼の勘の良さは、シャーマンであった父の才を受け継いだものだった。が、傭兵本人は、シャーマン修行をする気が全くなく、真実を見抜く目をいつも利己的に使うだけだった。
 アジャンに続くのが、武闘家の少年シャオロン。少年も荷を背負っていた。
 見ている周囲の者の方が気の毒でいたたまれなくなるほど、彼はずっと気を張り続けていた。父の霊が教えてくれた目的地、龍神湖までは後わずか。そこで父ユーシェンが所有していた武器の片割れ、左手用の『龍の爪』を手に入れるのだ。
 父の霊は、『龍の爪』を手に入れる為に『試練を乗り越えよ』とも言っていた。その試練がどのようなものかはわからなかったし、少年は己が技量に自信を持てずにいた。それでも………逃げる気はなかった。父の右手用の爪を奪った敵は、シャオロンが対となる武器を手に入れれば向こうから姿を見せるだろう。仇を討つ為にも、絶対、爪を手に入れなければならないのだ。
 緊張しているシャオロンを気遣いながらその後ろを歩くのは、白銀の鎧姿の女勇者セレスだった。背の荷物入れに『エルフの弓』と『エルフの矢筒』を固定し、腰には『虹の小剣』を差している。
 シャオロンを案じながらも、セレスも自分自身に関する問題を抱えていた。
『勇者の剣』に嫌われて既に五カ月半………『勇者の剣』はナーダが持つと軽いのに(今は林檎一個分の重量だそうだ)、セレスが持つとどんどん重量が増してゆき、最近では(担いだ事はないけれど)赤毛の傭兵の体重並みの重さに感じられた。魔法の師匠、大魔術師カルヴェルが、三日かけて特殊な魔法をかけてくれたので『勇者の剣』の重さがこれ以上、増すことはないそうだ。
 セレスとしては本音を言えば、今すぐにも『勇者の剣』を背負い、これからずっと背負い続けたかった。しゃべる事こそできないが、『勇者の剣』には思考能力や感情があるとの事。しかも、好き嫌いが激しい、かなりの気分屋らしい。だから、ナーダの背に『勇者の剣』を預け、『虹の小剣』や『エルフの弓』で戦っていては駄目だ。自分で『勇者の剣』を背負い、武器として力を借り、苦難を共に乗り越えてこそ、一体感は高まる。剣に愛されねば、真の勇者にはなれない。
 けれども………
 忍者に狙われている今………
 しかも、シャオロンの武器を得る為に道なき道を進んでいる今………
『勇者の剣』を背負いたいなどと言っては、皆に迷惑をかけてしまう。『勇者の剣』を持っても、まともに戦えないし、歩くことすらままならなくなる………
 せめて樹海を離れるまで我慢しよう………セレスは涙をのんでいた。
 その『勇者の剣』を背負う武闘僧ナーダは、最後尾を歩いていた。左わきに大きな荷物を抱えていたが、樹海の道など苦にせず歩いている。
 彼の周囲には、よく野鳥がいる。休憩の度に鳥を呼び寄せて肩や腕にとまらせ、舌を鳴らして話しかける………ような振りをして、諜報員の部下と文を交わして情報のやりとりをしていた。アジャンの進む道が正確か否か常に確認し、龍神湖の社や敵の情報を得ているのだ。
 赤毛の戦士の勘には武闘僧も信頼を置いてはいたが、その勘が狂う可能性も、赤毛の傭兵が死亡する可能性もある。楽天家のセレスとは異なり、ナーダは最悪の事態を想定し、一行が全滅しないよう部下と連絡を取り合っているのだ。
 龍神湖の(やしろ)の情報は、必要に応じて一行に伝えるつもりだった。
 尾行されている事は、部下から報告があがる前からわかっていた。おそらく、アジャンも気づいているだろう。東国忍者が一人、後を追って来ている。警戒を怠るわけにはいかない。しかし、『ジライ』という忍者についての情報はとりたててなかった。


 ぬかるみ湿った土に足をとられかけながら、下生えの蔓を踏み越え、絡み合った木々の間を通り抜け、一行は進んだ。
 樹海の中で二日、夜を迎えた。毒虫や蛇が多く女勇者は閉口した。しかし、傭兵に『俺の選んだ野営地が不満なら、よそへ行け。だが、この辺りで、ここよりマシな場所はないぞ』と言われてしまっては文句は言えない。この手の彼の勘は外れたが事がないのだから。旅籠の主人の勧めで購入した蚊帳を張って夜を過ごした。
 果てなく続くと思われた木々の天井、太陽の光を遮っていたそれらは、やがて途絶える。次第にまばらとなってゆく木々に代わり、丈の高い草が一面に生い茂る。
 一面の野原。
 ジャポネは気温や湿度が高いのでまだ夏のように感じられたが、(こよみ)の上では季節はもう秋。周囲の草々も、黄色に装いを変え始めている。
 風にたなびく草の海の先………北に霊山が天へとそびえ、その山裾の東には日の光にきらめく大きな湖が見えた。
 深い蒼の湖であった。
 湖畔の景色を写す鏡のような水面が、遠くまで続いている。
「龍神湖です」
 武闘僧は湖に対し拝礼していた。
「太古より、龍の住み()と信じられてきた聖域です。神獣がすまうにふさわしい、雄大で美しい湖と思いませんか?」
「ケッ!」
 先頭の赤毛の戦士が不機嫌そうに声を荒げる。
「無駄口たたく暇あったら歩け、まずは社に行くんだろ?どっちだ?」
「さあ?霊山の麓、龍神湖の近くにあるとしか伝わってませんね」
 チッと舌うちを漏らし、赤毛の戦士が歩き出す。その後を東国の少年が追いかけ、セレスが続く。
「龍が神獣ねえ………」
 セレスは小首を傾げた。
「なんか変な感じ。西国じゃ龍って魔王の手下って印象(イメージ)なんだけど、ジャポネやシャイナじゃ違うのよね?」
「訂正してください。ジャポネやシャイナだけではなく、インディラでも龍は神獣です。シルクドの一部の部族も龍を崇めています。約三百年前、七代目勇者ロイド様の時代、大魔王の使徒の邪龍が暴れたせいで、西国では龍の評判はガタ落ちです。が、本来、龍は尊き生き物なのです」
「ふぅん」
「西国で暴れた邪龍は火龍でしたが、東国の龍は水龍です。水を統べ、雨をもたらす、水神なのです」
「………そういえば、ナーダ」
 セレスは肩越しに振り返り、武闘僧の両腕両脚の装甲へと視線を向けた。
「あなた、その装甲、神獣の甲羅で出来てるって言ってたわよね?それ、龍の甲羅なの?」
「いいえ」
 武闘僧は左手で、右腕の黒光りする滑らかな装甲を静かに撫でた。
「インディラ教の始祖バラシン様は、神より尽きる事のない浄化の泉をいただきました。その泉は、今でも、インディラ国の総本山の森に存在しています。その泉の番人、クールマから始祖バラシン様がいただいた甲羅です」
「クールマ?」
「聖なる亀ですよ」
「亀?亀が神獣なの?見たことあるの?」
「ええ。大僧正様のお供をしている時、幸運にも二度ほどお目にかかりました。とてつもなく大きく、理知的で、人語を解する、穏やかな生き物でした」
「すごい………今世でも神獣って実在しているのね」
「それは、まあ、未だに魔族が実在しているぐらいなのですから、神も実在してくださらねば困るではありませんか」
「そういう意味じゃないの。神の存在は私も信じているわ。でも、人の目に触れる所に未だに聖なる生き物がいるのって………素敵よね。穢れきった人間を見捨てずに残っていてくれただなんて」
「歴代の大僧正様の徳に()るところが大きいでしょうね」
 そう言うナーダの顔は少し得意そうだった。
「昔から、この龍神湖には龍が棲むと信じられてきました。が、その姿を見た者はいないそうです。でも、ここなら居ても、当然だという気がしますね」
 そこで、セレスは前を行く少年の背にぶつかった。
 少年は立ち止まり、うつむいていた。
「シャオロン?」
 その前の赤毛の戦士も足を止めている。悪寒をこらえるかのように両腕で、大きな己の体を抱え込んで。
「どうしたの、二人とも?」
「………寒い」
「え?」
「むちゃくちゃ寒気がする。頭も痛ぇし、ムカムカする………」
「風邪かしら?」
 セレスは視線を武闘家の少年に戻した。
「シャオロン、あなたも、なの?」
「はい………背筋がぞくぞくします」
 セレスは少年の額に手を当てた。平熱だった。
「風邪の引き始めかしら?ナーダ、風邪って癒せる?」
「ええ、まあ。風邪なら魔法で治せますけど………風邪じゃないと思いますよ」
 武闘僧は赤毛の傭兵の顔を覗きこんだ。顔中をしかめ、眉間に皺をよせ、傭兵は苦痛と戦っていた。ガチガチと歯を鳴らしつつ。顔色は白く、脂汗まで浮かんでいる。
「で、アジャン、社はどっちの方角なんです?」
「………わからん」
「わからない?あなたが?」
 武闘僧は片眉をつりあげ、糸目を更に細めた。
「珍しいですねえ、ご自慢の勘が働かないなんて」
「………目が、どうしても湖に向いちまうんだ。他のものなんざ、まったく見えん」
「なるほど」
 武闘僧は女勇者に対し笑みを見せた。
「やはり居るみたいですよ、この湖に」
「龍が?」と、セレス。
 ナーダは頷きを返した。
「アジャンを生贄に湖につっこんだら、姿を見せてくださるかもしれませんね♪」
「生贄だぁ?何の話だ、クソ坊主!」
 と、怒鳴ってから、アジャンは頭を抱えた。
「痛ぇ、くそぉ………頭がガンガンする………気分が悪い………吐きそうだ」
「アジャン、その頭痛、どちらの方角を向くと、ひどくなります?」
「………湖の方だ」
「東方面ですか。他も試してみてください、楽になる方角があるはずです」
 のろのろと赤毛の戦士が体の向きを変える。動くのもつらそうだ。セレスは、はらはらと見守った。
「南と………西だな。向けば、頭痛が多少、引く………」
「わかりました」
 武闘僧は満面に笑みを浮かべた。
「セレス、シャオロン、アジャン、北へ向かいましょう」
 何だと!と怒鳴りかけて、赤毛の傭兵は頭を押さえた。
「なんで………北なんだ?」
「あなたの体が嫌がっている方角に、多分、あるんですよ、社が」
「………何でわかる?」
「わかりますよ。あなたの意識が抵抗しているから肉体的苦痛に襲われているのです。さっさと精神を開け放って、神でも霊でもその体に降ろせば楽になるのに」
「………何の話だ?」
「あなたにはわからない『シャーマン』に関する初歩的な基礎知識です」
「くぅぅ………頭が痛ぇ………」
「………あまり気は進みませんが、抱っこして運んであげましょうか?」
 いらん!と怒鳴ったものだから、アジャンは激痛のあまりその場に蹲る羽目となってしまった。
 セレスは傭兵の動きを目で追いつつ、シャオロンの体を支えていた。
「顔色がどんどん悪くなってきてるわ………少し休みましょ、座って。ね?」
「すみません………セレス様、ご心配をおかけしてしまって………湖を見てたら気が遠くなっちゃって、急に寒気がしてきたんです………でも、大丈夫です。ナーダ様がおっしゃる通り、オレも北に何かあると思います。さっきから北の方が気になるんです。早く行ってみましょう」
 少年は、青い顔でけなげにもそう言い、ふらふらと歩きだす。
 それを上目つかいに見て、
「くそぉ………」
 仕方なさそうに傭兵は立ち上がった。本当は北になど行きたくないのだが、少年が向かう以上は同行しないわけにはいかない。
「肩かせ………クソ坊主」
「はい、はい」
 体重を預けてくる赤毛の戦士を支えながら、僧侶はセレスと共に頼りない足取りで進む少年を目の端で見つめた。
(アジャンがシャーマン体質なのは知っていましたが、シャオロンも霊感体質のようですねえ。そういえば、シャオロンのお父上がアジャンの体に降りたのも、シャオロンの鎮魂舞がきっかけだったわけだし………この二人、くっついていると相乗効果でスゴイ事になるんじゃ?)


 セレス達に少し離れてついて来てもらうようすると、予想通りアジャンの肉体的苦痛はやわらいだ。寒気と頭痛はあいかわらずだったが貧血と吐き気はおさまり、一人でどうにか歩けるようにまでなった。
 しかし………
 草の海の彼方、霊山の麓の森に鳥居が見える場所まで来ると………
 赤毛の傭兵の様子が変わった。まず、苦痛にゆがんでいた顔から表情が抜け落ちる。続いて、緑の瞳を半ば閉じ、背筋を伸ばし、やや内股に近い優美な所作で鳥居をめざし進み行く。アジャンの歩幅はそれほど大きくないのに、駆け足でもナーダは置いていかれそうだった。
(なんか憑いたっぽいですねえ)
「待って、シャオロン!」
 セレスの声に振り返ったナーダの横を、風のように少年が駆け抜ける。すれ違いざまに見えたのは、アジャン同様、夢を見るかのように半ば閉じられた瞳だった。
 丈の高い草を踏み分けて女勇者と武闘僧は走り、二人の後を追った。
 鳥居の前のすぐ横の木に、赤毛の戦士の両手剣と荷物がたてかけられていた。武器を手離すなど、普段の彼ならばありえない事だ。
 左右を森の木々に囲まれた鳥居。その先に、木々に挟まれた、細い石畳の道があった。真っ直ぐに参道が奥へと続いている。
 不思議なことに、鳥居を境に、内側の参道に草は生えていなかった。雑草一つ、塵一つない。社は無人だと旅籠の主人は言っていたのだが?
 参道の先に少し広い空間があり、小さな(ほこら)があった。祠を背に赤毛の傭兵はたたずみ、武闘家の少年は、まさに、その前に片膝をついて跪こうとしていた。
「ヨクゾ参ラレタ、龍ノ声ヲ聞ク者ヨ」
 厳かな口調で、赤毛の傭兵が少年に語りかける。
「我ハ、遥カ昔、龍ノ試練ヲ乗リ越エ、龍ヨリソノ爪ヲ預カッタ者。コノ社ノ神主ジャ」
「え?え?え?え?」
 セレスが目をぱちくりとしばたたかせる。神主の言葉は古代ジャポネ語。現在のジャポネ語すらろくに話せないセレスには、アジャンの口から出る言葉がさっぱりわからないのだ。
「アジャンに憑いているのは、この社の神主の幽霊です。大昔に龍から直接、『龍の爪』をいただいた方みたいですよ」
「あなた、わかるの?あの暗号みたいな言葉が?」
「当然です。お若いあなたには多分に欠けているでしょうが、私には知性と教養がありますからね」
 と、言わなくてもいい事を言ってセレスを怒らせつつ、ナーダは通訳を務めた。
「あの神主さん、シャオロンに祠の前で座禅を組めと言ってます。龍が直接、魂に語りかけてくるので、その声を聞け、と。どうも、龍が『龍の爪』の使い方を教えてくれるみたいです。一夜明けても何も聞こえない時や、爪の使い方が理解できない時は、立ち去れ、だそうです」
「龍の声が聞こえるかどうかが試練なの?」
「さあ?」
 シャオロンは背の荷物を下ろし、座禅を組み、目を閉じた。シャイナ人の子供が古代ジャポネ語など知っているはずはないのだが、神主の伝えた事をシャオロンは理解しているようだ。
 シャオロンを見下ろし、アジャンは悠然とした笑みを浮かべていた。
 あの二人の間には、霊感の無いセレスやナーダには、入っていけない世界があった。女勇者と武闘僧は顔を見合わせ、野営の準備を始める事にした。二人からあまり離れたくはなかったが、社で野営などしては不敬だ。鳥居の外の野原で適当な場所を見つけるしかあるまい。
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